Ange Vierge Désespoir infini 作:黒井押切町
視界の端に現れたあずさとユノに、レミエルは一瞬だけ気を取られてしまった。その一瞬の隙に、大量の矢が雨霰のようにレミエルに降り注いできた。
「光の翼!」
レミエルはそれを光の翼を体の前方に閉じることで防ぐと、後方に戻すついでに左翼側の軍団を光の翼で一掃した。
レミエルは魔法で視力を引き上げ、弓兵部隊とその規模を視認した。指揮官はフェルノのようで、規模は千人ほど。彼らに相対するのがレミエルだけなら良かったが、その規模では流れ矢が味方に当たってしまう可能性も十分に考えられた。
「距離は2キロくらいか。十分飛び込める距離だね」
レミエルはぽつりと呟くと、弾丸のように弓兵部隊へ突っ込んだ。交代で射っても、人が引く弓では連写に限界がある。レミエルは散発的に飛んでくる矢を軽く回避していき、とうとう一矢も食らわずに弓兵部隊に接触した。
「死にたくなかったら退いて! 加減なんてきかないから!」
レミエルはそう声を上げ、手当たり次第に近くの弓兵を、剣に持ち替える間も無く斬っていった。すると、弓兵が左右に開けるように一斉に引いた。命が惜しくなったのかと思ったが、レミエルはその考えをすぐに撤回した。開けた奥にペガサスに跨ったフェルノがいて、封印弓フェイルノートに矢をつがえていた。
「させはしない!」
レミエルはフェルノに突貫していく。四方八方から矢が飛んでくるが、レミエルは気にしない。ただ、フェルノは止めねばならない。彼女の矢がレミエルに直撃するのはともかく、流れ矢が青蘭島に落ちるだけでもひとたまりもないからだ。
レミエルは、フェルノにガブリエラの剣で真上から斬りつける。フェルノはそれをフェイルノートで受け止めると、空いていた左手に矢を持った。そしてそれをレミエルに突こうとする。レミエルはそれを他の弓兵の相手をさせていた魔剣のうち一本の遠隔操作で弾くと、ユラの剣で肩口を斬らんとする。しかし、フェルノはフェイルノートを傾けることで、それも防いだ。
「こんなことになるなら、あの時気にかけるんじゃなかったですわ!」
フェルノが憎しみを込めた瞳で睨み、怒鳴る。レミエルの知る彼女は、いつも優美に佇んでいた。彼女が怒りを露わにしたことなど、レミエルは聞いたことがなかった。つまり、彼女の怒りは赤の世界の呪縛から解き放たれた結果ということになる。
「何のことを言っているか分かりませんが、こんな戦いに意味があると思ってるのですが、あなたは!」
レミエルは二本の剣を押し込む。それで、フェルノが苦しげに顔を歪める。
「国内の混乱がこんな短期間で収まるはずもない。なのに国を疲弊させるだけの戦争をして、何か意味があるんですか! あなたはもう、自分の力で何が間違いか判断できるはずでしょう!」
「その混乱の原因を作ったあなたが、そんなことを言う資格はありませんわ。私はただ、赤の世界に忠義を尽くすだけですわよ!」
フェルノが負けじと押し返そうとして力を加えてくる。レミエルも押し切ろうとしているため、完全に拮抗してしまった。そこへ、威勢のいいはっきりした声が飛び込んできた。
「その意気や良し! そのままでいろ、フェルノ!」
声の主はグラディーサだった。彼女は、二人の真上から、剣を両手で持って突っ込んできた。
「我が愛弟子ユラの剣、返してもらうぞ! 堕天使のレミエル!」
猛然と迫るグラディーサを見て、このままではやられると踏んだレミエルは、フェルノを蹴ってその反動でそこを離れた。しかし、グラディーサは微妙に角度を変えて照準を確実に合わせてきた。
レミエルは、グラディーサがそうしてきたのを見て、一撃を食らうのを覚悟したその時だった。赤の世界から軍が現れた時と同じように、黒の世界の
レミエルだけでなく、グラディーサやフェルノ、他の赤の世界の軍も、戦いの手を止めて唖然としていた。そして、門からいくつもの全長十メートルほどの大きな影が出てきたかと思うと、その一部がまっすぐレミエルがいるあたりに向かってきた。ある程度近づくと、それがドラゴンだとはっきり分かった。やがてそれらは、赤の世界の軍に明確な戦術を以って攻撃を加え始めた。上と左右の三方向から赤の世界の弓兵部隊を挟み込む形で陣形を締め上げ、ドラゴンが吐く炎で一網打尽にした。
「黒の世界が奴らに味方するだと!? 今の軍では対処できるはずがない! 撤退するぞ!」
グラディーサがそう号令し、残った赤の世界の軍が撤退を始める。すると、かつてよく聞いた声が、一匹の黒いドラゴンから発せられた。
「追うな! あたしはそこの天使から色々聞くから、そこで待機していろ」
その黒のドラゴンはおもむろにレミエルに近づき、ぽんっと白煙とともに音を立てて弾けた。その煙の中から出てきたのは、赤のリボンで髪を束ねた短めの金髪で、右眼が金で左眼が赤、そして左腕が竜の腕で、右手に二股の槍を握った少女だった。
「クラリッサ? クラリッサなの?」
「ああ。しっかし変わったねえ、レミエル。白黒金と紫金の翼といい、目といい、その格好といい、口調といい。ま、それだけ修羅場をくぐってきたってことか」
クラリッサが笑顔でレミエルの背中を叩く。素直に友との再会を喜んでいるのが、レミエルにはよく分かった。
「さて、再会の喜びを分かち合ったところで、色々聞かせてくれ。魔女王からあんたらに協力しろと言われててな。この状況になった経緯は分かってるんだが、戦況はどうなってるんだ?」
レミエルは、クラリッサが十分信じるに値すると考え、レミエルの把握している限りの戦況を告げた。クラリッサは何度も頷いて聞いていた。レミエルが告げ終えると、クラリッサは真面目な顔つきで言った。
「なるほど、秀が一緒にいなかったのは喧嘩したからじゃないんだな」
レミエルはこけそうになった。空中だが。
「何真面目な顔でミーハーなこと言ってるの! そんなこと言ってる場合じゃないよ!」
「はっはっは。悪い悪い。何、ちょっとした冗談さ。私みたいな戦闘狂はこれくらいの気楽さがちょうどいいんだ」
「戦闘狂って自分で言うかな……」
レミエルは呆れながらに呟いた。そして、連絡用の携帯電話を取り出して、この作戦の指揮官であるマユカに繋いだ。クラリッサに聞かせるために、音量は最大にしてある。
「ええと、黒の世界の人たちがこちらの味方をしてくれるそうだけど、どうする?」
「ええと、今から作戦に変更を加えるのは難しいので、遊撃部隊として自由に行動させて下さい。他方の部隊にもそう言ってあります」
「という訳だけど、お願いできるかな?」
レミエルは電話を切ってクラリッサに尋ねた。クラリッサはすぐに大きく頷いた。
「もちろんだ。でもジークフリードには合流させてくれ」
クラリッサの頼みを、レミエルは快諾した。それでクラリッサが軍団をまとめて離れていくのを見送ると、レミエルは高度を上げた。青蘭島の戦況を目で確かめるためだった。だが、青蘭島全域が見えるところまで上がったところで、レミエルは愕然とした。――青蘭島は、すっかり閑としていたのだ。
***
秀は、港を目指す一行の先頭を守っていた。とはいえ、忍の襲撃以降は不気味なほど静かになっていたので、ただ単に歩くだけであった。先の戦いの激しさに加え、誰も言葉を発せぬこの空気に、秀が辟易し始めていた頃合いだった。黒の世界の門が光ったと思うと、銀色の竜を筆頭とした竜の編隊が、秀たちの前に現れたのだった。その銀竜の持つ紅と碧のオッドアイに、秀は微かな懐かしさを感じた。
「久しいですね、秀君」
その銀の竜が、爽やかな男性の声を発した。その声で、秀はその竜の正体を悟った。
「お前、銀色か! しかし、よくテリオスを装備した俺が分かったな」
「あなたの匂いがよくしたので、けったいな鎧をつけていても分かりましたよ。しかし、久しぶりの再会というのに、銀色呼ばわりですか。私は少しい悲しいですよ」
ジークフリードはぽんっと弾けて銀髪の青年の姿になると、秀に歩み寄った。
「一番偉い人はどこですか?」
「あそこにいるが」
レミエルはアイリスを指差した。するとジークフリードは懐から封筒と思しきものを取り出しながら、アイリスに近づいた。
「魔女王ミルドレッドから、書簡を預かっております」
「今見てもいいですか?」
アイリスが尋ねると、ジークフリードはもちろん、と快く頷いた。それでアイリスは一旦休憩を取ることにして、その封筒を丁寧に開け、折りたたまれた手紙を取り出した。彼女は無表情でそれを読んでいたが、やがて読み終えたのか、アイリスは手紙をゆっくりとたたみ直した。その時、彼女の目は若干ながら見開いていた。
「何が書いてあったんだ?」
秀がアイリスに訊いてみると、アイリスは虚空を見つめながら答えた。
「こっちに味方したいってことと、島民の皆さんを黒の世界に避難させたいって。白の世界では非公式になるから何かと不便だろうって」
秀は驚愕した。青蘭島の港から、青蘭島付近の無人島に造られたマスドライバーに住民を運び、白の世界の門に飛ばすという行程は、秀を含む作戦を立案した者しか知らぬことで、港に着いたらアイリスたちに告げるという手筈になっていたのだ。
しかしそのようなことは一切知らぬアイリスは、作戦の最高責任者であるマユカにそのことを尋ねていた。少し長引いていたが、やがて電話を終えて、アイリスがジークフリードに告げた。
「あなたたちの申し出を受け入れます。なお、黒の世界の軍は遊撃部隊として行動してくださいとのことです」
「分かりました。では」
ジークフリードが指を鳴らすと、彼が率いてきた竜の部隊の前に、突如として魔法陣が現れたと思うと、一辺の長さが2メートルほどの立方体で金属製の箱が現れた。
「島民の皆さまはここはお入りください。外から見ればかなり狭いですが、中は魔法で空間を捻じ曲げてあるため、島民の皆さま全員が入っても十分な広さがありますし、魔女王謹製の物ですから、安全性も、外部からの攻撃にもバッチリです」
そう言って、ジークフリードは一旦そこに入って出てみせた。それを見て住民は安心したのか、女子供と老人を優先して、順に順にと入っていった。全員が入るのを待つ間、秀は周囲を警戒しながらジークフリードと話すことにした。
「こっちの作戦、どうやって知ったんだ?」
秀が単刀直入にそのことを訊くと、ジークフリードは首を横に振った。
「私も、先ほど始めてあの書簡の内容を知ったのです。魔女王から私が受けた指令は、ただあなた方を助けてあの書簡を渡せ、ということのみでした」
「ごめん、ミルドレッドに漏らしたのは私」
話を聞いていたのか、シルトが申し訳なさそうに告げた。秀はテリオスを通して彼女を睨みつけるが、シルトの態度は変わらなかった。
「訳を知れば、ミルドレッドは馬鹿じゃないから助けてくれると思ったんだ。少しでも戦力の足しになればと思ってね。相談しなかったのは謝る。本当にごめん」
「反省の色がしっかり見えますから、許してあげましょう、秀殿。結果的には正解だったようですし」
テリオスが諌めてくる。AI風情に諌められる自分に腹が立ったので、苛ついていることを悟られぬように、秀はできるだけ優しい声色でシルトを許す旨のことを言った。
「優しいね、秀は。怒ってくれたっていいのに」
「サナギには言っておけよ。あいつも混乱してるだろうから」
「うん、分かったよ」
シルトは秀たちから離れてから、無線機を取り出して何やら話を始めた。すると、秀とシルトとの話が終わるのを待っていたかのように、ジークフリードが秀の肩を叩いてきた。
「浮気とは感心しませんね。そういえばレミエルさんもいませんし。そちらの緑のお嬢さんが可愛らしいのは分かりますが、節操を持った方がいいと思いますよ」
「違うに決まってるだろうアホが。レミエルと別行動なのは作戦上の問題で、普段はちゃんと仲良くやってる。リーヴェリンゲンはただの戦友だ。そう言うお前こそクラリッサはどうしたんだ」
「冗談に本気で噛みつかないで下さいよ。ていうかなんね私がクラリッサさんといい仲みたいに言ってるんですか秀君は」
「え、違うのか?」
秀がわざとらしくきょとんとして尋ねると、ジークフリードは呆れたように額を指で押さえた。
「違います。ただの幼馴染です」
「あ、そ……」
ジークフリードは真面目な顔で返してきた。彼も大概、冗談が通じないようだった。
「話は終わったかい?」
タイミングを計ったように、達也が話しかけてきた。
「達也? まだあれに入らなくていいのか?」
「若い男衆は最後に入るということになってるからね。まだ時間的には余裕なのさ」
微笑しながら、達也が肩をすくめる。しかし、すぐにその顔は暗く沈んでしまった。
「正直、僕は悔しい。警察官として柔道や剣道の心得があっても、兵士としての技能は皆無だから、何も手を貸してやれない」
「達也……。お前は、アイリスの思想に共感するのか?」
達也の言葉を聞いてそう感じた秀は、思い切って訊いた。すると、達也は儚げに笑った。その笑顔を見て、秀は、彼が本土の家族と連絡を取り合う姿を一切見たことがないことに、はたと気がついた。
「僕をはじめとして、この島に移住した人の大半は、一度故郷を捨てた人たちだ。もう一回や二回故郷を捨てることにためらいはないよ。それに、アイリスさんのしてくれたことを考えれば、彼女が作り直す世界というのも、いいかもしれないしね」
達也は、儚さはあれど清々しい笑みを浮かべていた。秀は達也の言ったことで少しほっとしていた。達也の言葉が島民の心の代弁だとするなら、秀たちのしようとしていることは、少なくとも青蘭島の人たちには受け入れられるということだ。勝手に戦いに巻き込んでしまったことも、少しは許されるかもしれない。
「話を戻すけど、僕は何かの形で君たちの力になりたい。何をしたらいい?」
達也の問いに、秀は少し考え込んでから、達也の目をまっすぐに見つめて答えた。
「陳腐な言葉だけど、生きて、応援してくれ。他のやつはどうか知らんが、俺はそれだけで十分だ。養父に多くを求めるつもりはない」
秀は少し気恥ずかしかったが、勇気を持って告げた。誤魔化したようなことを言いたくなかったのだ。
秀の言葉を聞いた達也はしばらく目を丸くしていたが、やがて表情を和らげた。
「ありがとう。そうするよ」
達也がそう言った直後くらいに、若い男性の集団が動き出した。
「じゃあ、僕はこれで失礼するよ」
達也は手を振って、名残惜しそうに秀から離れた。秀も達也ともっと話していたかったが、我が儘は言えなかった。
「秀君、さっきの人は?」
達也の姿が小さくなると、ジークフリードが尋ねてきた。
「俺の義理の父親だ。養子縁組をしたのはつい最近だけどな」
「あの人もそうでしたが、他の島民の人たちも、アイリスさんを信用しているように見えます。今のアイリスさんの姿もですが、T.w.dのあの時の戦いからしたら、到底考えられないことです」
「どうもアイリスは、ここでは人心掌握を第一に考えていたそうだ。赤の世界の時もかなり横暴に戦争を仕掛けてきたが、あいつの元に来て分かった。アイリスの不器用さが、戦いのスタイルに現れているだけみたいだ。直情的で横柄だが、根は優しいやつだよ、あいつは」
秀は、これまでに見てきたアイリスの姿を思い出しながらそう言った。リーダーとしての人格は至らないものがあるが、それでも彼女なりに努力していた。それはT.w.dに入ったこの一週間で、秀はよく分かっていた。ただ、彼女が中心になって組織を取り仕切るには向いていないというだけだ。
「まあ、少しも人徳が無ければ秀君みたいに付き随う人もいないでしょうしね」
ジークフリードが納得したちょうどその時、黒い竜が竜の部隊を率いて飛来した。
「おお、クラリッサさん。そちらはいかがでしたか?」
「レミエルと会ったよ。あと、こっちに来るついでに上空から偵察してみたけど、都市部だけじゃなくて、青蘭学園の裏側から広がる森にさえ敵が見当たらない。正直言って不気味だ」
ジークフリードがその黒竜に話しかける。彼の口から出たその名と黒竜が発した声に、秀はへえ、と少し目を丸くした。
「クラリッサも来ていたのか」
「そうだよ。久しぶりだね、秀」
クラリッサは秀の前に降り立つと、ぽんっと弾けて白煙と共に人間の姿になった。
「豪勢な鎧を手に入れたもんだねえ。早くその鎧の下のダチの顔を見たいもんだ」
「俺も見せたいが、まだ戦いが終わったわけじゃないからな。テリオスを取るわけにはいかないさ」
「へえ、テリオスっていうの。こういうの、カッコよくて好きだよ」
クラリッサはテリオスにベタベタと触り始めた。テリオスを通してクラリッサに触られる感触を感じて、秀は嫌な気分がしてきた。興味津々な彼女の気分を害するようなことはしたくなかったが、このまま彼女を放置するのも耐えられそうもなかったので、彼女を諌めようとするが、秀よりも早くテリオスが声を上げた。
「あの、止めて頂けますか?」
短い言葉だったが、その中にテリオスの不快感が凝縮されていた。流石にクラリッサも触るのを止めて距離を置いた。
「ごめんよ、無配慮で。ところであんたはその鎧のAIか何かかい?」
「そうですが、何か?」
テリオスはあからさまに嫌悪感を示していた。無理もないことであったが、クラリッサは困ったように頭を掻いていた。
「嫌われちゃったなあ」
残念がるクラリッサに、秀はため息をついた。
「当たり前だ。俺だって嫌だったし」
「あれ、そうだったか? ごめんごめん」
秀に対してはあまり反省していないようだった。いくら友人とはいえ、AIよりも扱いが下なのは不満だったが、それを指摘するのも億劫だったので、秀は何も言わないことにした。ちょうどその時、島民全員があの箱らしきものに入ったため、ジークフリードが部下と思しき人物に呼ばれた。
「では、島民の皆さんの収容も済んだようなので、私は護衛の任につきます。すぐ戻りますが、御機嫌よう」
ジークフリードはそう言って、竜の姿になって隊列に戻った。ジークフリードが着くと、島民を入れた箱が一匹の竜の背中に乗せられる。その様が、秀にはまるで大船に載せられた積み荷のように見えた。
***
マユカは、第二司令室の本来アイリスが座るべき椅子に腰掛けて、流れる汗を拭うことなく、青蘭島の地図を睨んでいた。アルバディーナ派の姿が、全く見えなくなってしまった。フィアを隊長とした偵察部隊を未開発の森林地帯にも何度か出動させているが、姿どころか形跡ひとつ掴めていない。青蘭学園内の監視カメラにも、アルバディーナ派の姿は捉えられなかった。世界水晶の部屋に入るための扉はシャティーたちが守っているが、彼女らからの報告も無い。アルバディーナらはまさしく忽然と、姿を消してしまった。
楽観的に考えれば諦めて何処かの支部に撤退したということになるのだが、マユカは不安で仕方がなかった。
(あの狡猾な副総帥がこれで終わるはずはない。何か、何か無いの……?)
マユカは時に監視カメラからの映像を凝視し、時に書類にまとめられた報告をひとつひとつ確認し、何か手がかりがないか隈なく探した。が、何ひとつ足取りをつかめるような手がかりは見つけられなかった。
本当に撤退したのかな――マユカがそう思い始めた時だった。声が聞こえた。か細く、幼子のような声。しかし、何を言っているかははっきりと聞こえた。たすけて、たすけて。そう言っている。かつてよく耳にした声。その言葉が何を意味しているかは、考えるまでもなかった。マユカは殆ど反射的に、通信をシャティーに繋いだ。
「シャティーさん! 部屋に突入してください!」
「分かった」
シャティーは短く返事をした。しかしすぐに、彼女の早口気味な声が、マユカの耳に飛び込んできた。
「ダメ、開かない! 内部から閉じられてる!」
マユカは息を飲んだ。シャティーの言葉は世界水晶がアルバディーナの手に落ちたことを意味する。動悸が早くなり、鬱陶しいほどの手汗が分泌される。マユカはパニックに陥りそうな自分を必死に抑えて、秀とリーナに回線を繋いだ。
「世界水晶の部屋に行ってください! 今すぐに!」
マユカは二人の返事を待たずに椅子に体を投げ出した。そして、気がつけば手を組み、天に掲げていた。まるで神に祈るかのように。
***
マユカの通信を受けた秀は、リーナの行動を待たずに、テリオスに指令を出す。
「世界水晶の部屋に飛ぶぞ、テリオス。やれそうか?」
「敵に集中すれば大丈夫かと」
「分かった。跳躍!」
秀の掛け声で、一瞬だけ周囲の光景が歪む。しかし次の瞬間には、世界水晶の部屋の中にいた。秀は肉眼で辺りを見回すが、人影はひとつも見当たらなかった。そして、秀はかなりの閉塞感を感じていた。その感じに、秀は懐かしさのようなものを感じた。全く同質とは言えないが、初めてジュリアと戦闘した時に張られた結界と同じようなものだ。これなら、シャティーらが突入していないのも頷ける。そこは納得したので、改めて索敵するが、やはり見つけることはできなかった。
「いない、のか?」
「いえ、います。かなり素早く動き回っているため、どこにいるとは言えませんが」
秀は、アルバディーナのエクシードが虫に変身するものだということを思い出した。それで、秀はテリオスの力を活かして視力と動体視力を臨界まで引き上げた。すると、世界水晶の周りを動き回る一匹のノミを見つけた。
「テリオスバレット! あのノミに照準を付けろ!」
秀がそう叫ぶと、急にそのノミが溶け出し、巨大なカメムシに変わった。そしてその瞬間、背後に多数の人間の気配を感じた。
「どうやら、隠蔽魔法で部下を隠していたようですね」
「分析してる場合か。ガトリングを肩に、バレットをサブアームに。ブレードを二本出せ。応戦するぞ」
秀はカメムシとなったアルバディーナは無視して、後ろの大人数のアルバディーナ派に目を向ける。すると、部屋全体にアルバディーナの声が響いた。
「世界水晶を見捨てるとはね。何か策があってのことかしら」
「よっぽど自信があるようですね。副総帥、いや、アルバディーナ!」
アルバディーナの上の空間に亜空間の扉が開き、リーナの声とともにジャッジメンティス改が現れた。
「ジャッジメントナッコォ!」
そのままジャッジメンティス改の拳をアルバディーナにぶつけようとするリーナだったが、すんでのところでアルバディーナが溶け、ジャッジメンティス改の拳が空振りに終わった。
秀の方はというと、シェルターの時と同じように不規則な動きで高速移動しながらテリオスバレットとガトリングで弾幕を張り、水晶に近付けさせまいとしていた。しかし、敵も同じ手は食わないとばかりに、防弾仕様のボディーアーマーで固めて前進してくる。
「銃がダメなら接近戦だ。テリオス、ガトリングとバレットを収納して、サブアームでもブレードを使え!」
「了解です。背中の敵は私が対処しましょう」
秀は敵の一人に狙いをつけ、真っ直ぐに吶喊していった。しかし、敵は進路を変えない。そのまま真っ向から歩いてくる。
最初に接敵した時に斬りつけるが、装甲がかなり重厚なのか、ボディーアーマーに傷がついただけだった。
「秀殿。普通の斬撃では無理です。パニッシャーを応用しましょう」
「そうか、分かった」
テリオスの助言に従い、秀はテリオスフィールドをブレードの刀身に纏わせる。
「これなら!」
秀は先ほどの敵にもう一度斬撃を加えた。インパクトの瞬間に、ボディーアーマーが粉々になった。すかさずその体を袈裟斬りで斬り裂くと、次の敵に狙いをつけ、同じように倒す。しかし、敵も黙ってやられるばかりでは無かった。隊列を崩して広く散開し、手に何かを持って水晶に猛然と突っ込んでいった。
「テリオス、何だあれは?」
「今分析が完了しました。あれは中に呪いを封じ込めたカプセル型の結界です。呪いを世界水晶に直接注入する気でしょう」
「だったら潰すまでだ!」
秀は最も近くにいた敵に狙いをつけ、テリオスがまずボディーアーマーを砕き、秀が斬るというコンビネーションであっという間に倒すと、次の敵に目をつける。しかし、いくらコンビネーション攻撃と高速移動を駆使しても、散らばった敵全てを漏れなく倒すことはできなかった。リーナは、今度は巨大な蝿に変身したアルバディーナとの戦闘に手間取っていて、秀の漏らした敵に構う暇などなかった。
秀の奮戦も虚しく、遂に一人の敵が当に世界水晶に接触せんとしていた。秀が眼前の敵を相手し、テリオスがサブアームからブレードを投擲するが、難なくかわされてしまう。もうダメか――秀が敗北を覚悟した時だった。
「時間、停止ッ!」
聞き慣れた声が響いたと思うと、秀とリーナを除く、その場の全員の動きが声の瞬間と同じ状態で停止した。声がした方を向くと、そこには秀にゆっくりと歩み寄るあずさと、ユノの姿があった。
「お前たち、どうしてここに!?」
「話はあと! 今の内にさっさと全滅させちゃいなさい! あんた達だけを動けるようにするのってすごく疲れるんだから!」
あずさが秀に怒鳴りつける。秀はあずさの言葉の通り、世界水晶に最も近い敵に斬りかかる。だが、その刃が敵に触れる前に、その敵に糸らしきものが伸びてきて、彼を釣り上げてしまった。
「何者だ!」
秀は辺りを見回す。しかし、その目に姿は捉えられなかった。時間が止まっているからかテリオスが何も言わないため、秀が業を煮やしていると、リーナが声を上げた。
「秀、頭の上に何かいます!」
「あら、ばれちゃったの」
どこかで聞き覚えのある声だった。その者が秀の前に姿を現わすと、秀は驚愕のあまり声を出すことができなかった。まるで思考が停止してしまったかのようだった。
「久しぶりね、元気にしてたかしら?」
秀の目の前に、ジュリアがいる。整った顔立ち、青い瞳、ふたつ結びの金髪、小さな王冠に人形のもののような衣服。どれを取っても彼女で間違いない。秀はただただ驚くばかりだけでなく、恐怖も感じていた。かつて死んだはずの人間が目の前にいる。汗が額から滲み出て、動悸が早くなり、吐き気すら覚え始める。気持ち悪いこと甚だしかった。それはあずさとユノも同様だったようである。彼女らもまた茫然自失としていた。困惑する秀たちとは対象的に、ジュリアは楽しそうに笑いながら告げる。
「なんでレミエルが殺したはずのお前が生きてるんだーとでも言いたげな顔ね。せっかくだから教えたげるわ。ちゃんと死んでこの世への未練なくあの世へ行ったんだけど、なんやかんやあってゴーストとしてまた現世にまみえることになったのよ。まさか時間停止能力の影響まで無視できるとは思わなかったけどね」
「じゃあなんで俺たちに与しない? お前がT.w.dに入った理由を考えれば、普通そうだろう!」
秀はなんとか平静を取り戻し、ジュリアに反駁する。すると、ジュリアは一瞬だけ笑みを崩し、すぐ表情を戻した。
「なんやかんやあって今は我が友、アルバディーナのお助け役なのよ。まあでも普通に考えたらあなたの言う通りだから、私は決して手を下すことはないわ。だから安心なさい」
ジュリアは例の敵に伸ばしていた糸を切ると、今度は巨大な蝿となっているアルバディーナに糸を伸ばした。
「誤魔化すのめんどくさそうだしそいつら全員殺しちゃっていいわよ。あなたにとっても悪い話ではないでしょう?」
ジュリアはそう捨て台詞を残すと、アルバディーナとともに姿を消してしまった。
ゴミのように打ち捨てられたアルバディーナ派の兵士を見て、秀は彼らにすぐ手をかける気にはなれなかった。