Ange Vierge Désespoir infini 作:黒井押切町
秀は、背中で感じる硬くも柔らかくもないベッドの感触と共に、目を覚ました。体を起こすと、欠伸を噛み殺しながら顔を洗い、寝癖を直す。そうしながら、秀は昨日のことを思い出した。
(よく考えたら、俺はあいつに、告白にも等しいことを、言ったんだよな……)
だが、後悔はしていなかった。殆ど断られる気分でレミエルに告げたのだったが、そのおかげで孤独や教師と組まされることからは脱却できた。昨日はあの後にレミエルを女子寮まで送ってから男子寮に帰った。その間に、秀は何も話さなかった……というより、何を話せばいいか、分からなかった。だから、今日は頑張って話そう——そう思った。
青蘭学園の寮は青蘭学園から徒歩10分ほどの位置にあり、その自室は一人部屋にはもったいないくらい、マンションの一部屋並みに広く、また洗濯機、冷蔵庫、冷暖房完備である。これは、青蘭学園に莫大な費用がかかっていることを示している一つの例だ。
秀は制服を着て部屋から出ると、扉の前に、制服姿の、いつも通り少し俯きがちなレミエルがいた。秀が目をパチクリさせていると、レミエルは意を決したように自らの手を握って告げた。
「あ、あの 一緒に……登校、しませんか……?」
秀は少し驚いたが、断る理由はない。頷きを返すと、レミエルは目を大きくして、
「あ、ありがとう、ございます……! その、本当に、嬉しいです!」
そう言った後の彼女の顔は、朝日が当たってよく見えなかった。だが、笑っていただろうということは、秀は容易に想像できた。
***
強く冷たい北風が、向かい風となって吹き付ける。吐かれる息は白く、また登校している生徒の何人かは手袋やマフラー等の防寒具を着用している。まだ11月だというのに、風景はすっかり冬だ。
「うう……。寒いです……」
レミエルが寒さに体を縮こまらせていた。レミエルと肩を並べて歩いていると、レミエルが相当小柄なのが分かる。何せ、彼女の身長は、秀の肩くらいまでしかない。140センチより少し上くらいだろうと秀は予測した。そんな低身長でしかも細身で、更にいつも頭が下を向いているなに、体を縮めては小さいのがもっと小さく見える。そのことを言うと、レミエルは少し怒ったように、
「そんな小さい小さい言わないでください! 一応、気にしてるんですから……」
「悪かった悪かった。軽い冗談だ」
秀は笑いながらレミエルを諌めた。この時、秀は生まれて初めて、楽しいと感じた。恐らく先の自分の行為は所謂「からかう」というものだろうが、その楽しさに気づいてしまった。これからからかえるときにはからかおうと、秀はウキウキした。その秀の傍で、レミエルはため息を吐いて、
「秀さんがそんなこと言うなんて、思ってませんでした。何だか、もっと陰気な人だと思ってたんですよ、私。教室で、ずっと独りでいましたから」
「それはそうだ。誰とも話さずに教室にいたら誰だって俺のことを陰気だと思うだろう」
秀が肯定すると、レミエルは怒ったように、必死にそれを否定した。
「そんなこと言わないでください! 自分のことを悪く言っても、ただ虚しいだけですよ。私がそれを一番理解しています。それに、きっと根は明るい人だと思うんです。さっき、私をからかったりしましたから」
レミエルは、秀の瞳を真摯に見つめる。しかし、秀はレミエルの言ったことが理解できなかった。事実を言っただけなのに、レミエルが否定してくるのが分からない。だが、そのことをレミエルに言っても、話が面倒臭くなるだけだろう。そう考えると、秀はレミエルの言うことを適当に肯定した。すると、レミエルは微笑みを向けた。これもまた、秀には理解できない。
「でも、そんな、独りだ、とか陰気だ、なんてイメージも今日から無いですからね、秀さん」
レミエルのその言葉に、秀がキョトンとしていると、レミエルは秀の手を握ってきた。秀のより一回り小さい手から、確かな温もりを感じる。
「あなたも、私も、独りじゃない。αドライバーと、プログレスなんですから」
レミエルが、昨日の教室で見せた時と同じような、煌めくような笑顔を向ける。秀はその笑顔に数秒だけ見とれていた。しかし、その事実を認識すると少し気恥ずかしくなって、照れ隠しのつもりで訊いた。
「私もって……お前の教室でクラスの奴と話してる姿、時々見るぞ」
「……クラスの人に、私が胸を張って友達と言える人は、独りもいません。そういう人は、故郷に一人だけ」
レミエルが悲しげに答える。秀はどう言葉をかければいいのか、分からなくなった。そしてそのまま、会話が途切れた。
***
靴箱に靴を入れ、レミエルと歩調を合わせながら教室に向かう。教室のドアを開けると、異質なものを見るかのような目で、クラスメートから見つめられた。その視線は、驚愕と好奇心に満ちていた。レミエルは戸惑っていたが、
(まあ、こうなるだろうな)
と秀はすんなりと受け止められた。今までぼっちだった人間が、いきなり異性を伴って登校してきたのだ。好奇心を持たないはずはないだろう。
そして、早速レミエルが質問攻めにあった。レミエルは大量の質問を処理できずにパンクしたような状態になっていた。
見かねて秀がレミエルに助け舟を出そうと思った矢先だった。
「汝が上山秀か」
背後から、女性に名を呼ばれた。振り返ると、そこには赤い装束に身にまとった、天使の女がいた。
「あんたの名は?」
「人をいきなり“あんた”呼ばわりとは失礼だが……聞かれたら答えねばならまい」
天使の女は、そう不機嫌そうに言うと、やや傲慢な態度で告げた。
「我が名はガブリエラ。導きの大天使だ。そこのレミエルの師でもある」
「ふうん……その大天使が俺に何の用だ?」
ガブリエラはその問いに、秀の真正面に立って答えた。
「レミエルと組んで、我が用意する相手とブルーミングバトルをして欲しいのだ」
「なんで」
「さっきも言った通り、レミエルは我が弟子だ。我としては、我が子にも等しい愛情を向けている相手に、得体の知れない、戦闘の実績もない男に任せる訳にはいかんからな」
「実績がないのは大会とかに出場していないからだけどな……いいだろう、売られた喧嘩だ。買わないわけにはいかんさ」
「フッ、相当自身があるようだな。その度胸だけは認めてやろう。放課後、第三コロシアムで待っているぞ」
ガブリエラは、それを捨て台詞に教室から出ていってしまった。秀の横では、レミエルが人に埋もれている。対して秀は一人だ。寄り付く者は誰もいない。クラスの男子は、秀をチラチラ見ながらコソコソと話すだけだ。だが、それでもいいと、秀は思う。秀は、青蘭学園で一人ではないのだから。あの人の他にも、自分の理解者になってくれるかもしれない人がいる。それだけで、満足だった。
***
放課後、秀は、レミエルを伴って、ガブリエラに指定されたコロシアムに着いた。微かに、プログレスの音楽ユニットであるL.I.N.K.sの歌声が聞こえる。今日、講堂でライブでもあるのだろうか。そう思うと、ここに来るまでの間、人気が少なかったのを思い出した。それでこの校舎から離れた第三コロシアムにも歌声が響いているのだろう。
ブルーミングバトルフィールドは、古代ローマのコロッセオを彷彿とさせる造りになっており、ブルーミングバトルをする所がおよそ直径15メートルの円形になっていて、それを取り囲むように、観客席が十数段ある。
フィールドに足を踏み入れると、その中心に人影が見えた。天使ではないようだから、恐らくガブリエラが用意したという対戦相手だろう。近づいて行って、その姿をはっきりと見たとき、秀は戦慄した。薄い白みがかった長髪を風に靡かせ、悠然と佇む長身のアンドロイド。いくら人脈がない秀とはいえ、彼女が誰なのかくらいは分かった。二年最強クラスと噂されるほどの強さを誇る、彼女の名は——。
「コードΩ33カレン……!」
「いかにも。私がコードΩ33カレンであります」
カレンは、そっぽを向いてぶっきらぼうに返した。
「本来なら、私と愛する妹、セニアとの至福の時を削ってまであなたのような愚民の相手をすることはあり得ないのですが……赤の世界の四大天使の一人であるガブリエラ様の頼みですから。ありがたく思いなさい」
挑発的な態度で、カレンは言う。秀は、それに先程まで感じていた慄きを忘れて苛立っていた。すると、観客席の方から、
「上山! 心を乱してはカレンの思うツボだぞ!」
ガブリエラの声だった。秀はそちらを向くと、そこには腕組みをしたガブリエラと、小さいアンドロイドが一人、並んで座っていた。恐らく、あのアンドロイドが、カレンの妹機の、コードΩ46セニアだろう。彼女を見ていると、
「私の愛するセニアに不浄な目線を向けないで頂きたいです。早く視線を逸らさなければ命を頂戴させていただきますです」
「あ、ああ。悪かった」
秀はカレンの言葉の節々から怒りを感じ取ったので、慌てて視線をずらして、敵意を持ってカレンを見た。カレンもまた、倒すべき敵として、秀を見つめる。
「レミエル」
秀は、カレンに目を向けたまま、やはり少し下を向いているレミエルに話しかける。
「勝てないかもしれない。ボコボコにされるかもしれない。だけど、頑張ろう。お前だって、馬鹿にされたらこいつにアッと言わせたいと思うだろう?」
「馬鹿にされてるのは秀さんですけど……分かりました。秀さんの激情に従います」
その言葉とともに、杖が空を切る、鋭い音がした。勢いよく構えたのだろう。レミエルのことが、秀が彼女の姿をよく見ていないだけ、頼もしく思えた。
空を見上げる。そこには雲はなく、四つの
秀は視線を戻すと、αドライバーの初期位置の、フィールドの円周近くに立った。それを確認したガブリエラが立ち上がって告げる。
「準備が出来たようだな。では、我が剣を投げる。それがフィールドに刺さったら、それをバトル開始の合図とする。では……フッ!」
剣が、ガブリエラの手から離れる。それは、放物線を描きながら落ちて行き——フィールドに軽い音を立てて、ゴングを鳴らした。