Ange Vierge Désespoir infini   作:黒井押切町

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静止した時の中での死闘!

 白の世界への進軍は、あと一時間というところまで迫っていた。外では雷鳴が轟き、薄暗い中を時折雷の閃光が白く染め上げている。その中、秀とレミエルは寮の自室で二人きりで、互いに寄り添いあってベッドに腰掛けていた。

 

「秀さん。私不安だ」

 

「案ずるな。用が済めばすぐ、お前の元にいの一番に駆けつける」

 

 弱々しく秀の手を握るレミエルに、秀はそう言い聞かせる。しかし、レミエルは首を横に振った。

 

「違うの。私が不安なのは秀さんのことなんだ」

 

「俺の?」

 

 秀が尋ねると、レミエルは小さく頷いた。

 

「カレンさんや、セニアと戦闘になった時、秀さんはいつも通り戦える自信があるの?」

 

「それは」

 

「無理だよね。美海さん達みたいな、あまり接点のなかった人たちとなら戦えるだろうけど、あんなに一緒に戦ってきた二人だよ」

 

「あまり見くびってくれるな」

 

 秀は強がってみせたが、レミエルは秀の言葉を一蹴した。

 

「無理だって分かってるから。秀さんは優しいもの」

 

 秀は、レミエルにきっぱりと言われてしまい、恥じ入って返す言葉が出てこなかった。それで、時計を見てから口早にレミエルに告げた。

 

「ごめん。もう行かなきゃならん」

 

「はい。いってらっしゃい」

 

「ああ。行ってくる」

 

 秀とレミエルは、お互いに体を離した。そして秀だけが立ち上がり、重い足取りで歩き始めた。ドアまで着いた時、秀はレミエルに振り返った。彼女は微笑みを浮かべていた。そのおかげで、秀は少しだけ安堵感を覚えた。気休め程度だったが、今の秀には十分すぎた。

 秀は再びドアに向き合い、間を置かずドアを開けた。すると、そこであずさとユノ、そしてシャティーが待ち構えていた。あずさとユノも、T.w.dの制服を着こなして、腰のベルトには一丁の拳銃の入ったホルスターを着けていた。

 

「どうしてお前たちがここに?」

 

「私たちも着いてくの。HQ要員だから直接戦闘するかは分かんないけどね」

 

「私は見送るだけだけどね」

 

 あずさがもみ上げを弄りながら答え、それにシャティーが付け足した。彼女らがT.w.dの制服を着ているということは、正式に加入したのだろう。こうして秀と対面している時でも、二人は時折服を気にしていた。まだ慣れてはいないらしい。

 

「それにしても、この制服って結構硬いとこあるよね。動くのにはあまり問題ないけど」

 

 ユノは制服の一部を叩きながら尋ねる。秀は二人の度胸の付き振りに感嘆していた。戦闘に向かうのに、こうして雑談が出来る。それも無理している様子は無い。秀はそのことへの喜びを敢えて口に出さず、ユノの言葉に答えた。

 

「この制服は防弾機能も備えてあるからな。それは当然だ」

 

 なるほどね、とユノが言って、三人は歩き出した。その後ろを秀が着いていく。寮を出たところで、あずさが話を切り出してきた。

 

「そうそう。実を言うと私、アイリスの言葉がよく分かんなかったんだ。言ってる意味は分かるんだけど、なんだろ。気宇壮大すぎてうまくイメージできないというか」

 

「じゃあ何でT.w.dに入ったの?」

 

 シャティーが小首を傾げる。あずさはポリポリと頰を掻き、歩みを止めずに答えた。

 

「アルバディーナだっけ? あの人の行いや、赤の世界は明らかな悪だと思う。シルトって人から聞いた話じゃ、緑の世界も信用できない。消去法じみた決め方だし、アイリスのやり方が完璧かと聞かれるとそれも分からない。私は、赤の世界のことは、あそこにいたしここに軍を送った経過も全部知ってるからある程度分かるわ。でも、他の世界、青の世界のことでさえ、私は全然知らない。批判的な目で見たことがないの。だから、あなたたちと行動すれば、世界の側面をしっかり見据えられる。身の振り方を見直すのは、それからでも遅くないしね。そう考えたから、私はT.w.dに入ったし、この派兵に随行することも受け入れたのよ」

 

 あずさの言葉に、秀は頷いた。あずさが入った理由は、彼女が十分に考えた結果だと分かった。それだけでも、あずさを高く評価するのは十分だった。

 

「ユノも?」

 

 シャティーが尋ねると、ユノは表情に翳りを見せた。

 

「大体同じだけど、私は他に理由があるの」

 

 ユノは暫く悩んでいるように唸っていたが、集合場所となる正門が見えてきたこともあってか、躊躇いがちに言った。

 

「メルトちゃんと、由唯ちゃんの仇を討ちたい。建設的な考えじゃないのは分かってるけど、それでも私は達観できない。あの魔獣を、私の手で」

 

 ユノは右拳を握り締めた。そうする顔に最早穏やかさは無い。温和な性格をしたユノからこのような発言を聞くとは誰も思ってなかったのか、秀だけでなくあずさとシャティーも絶句していた。ユノは温和な性格をしていると同時に、戦う理由にするくらい仲間のことを大事にしている。彼女が復讐を決意したのは、その仲間想いゆえかもしれない。秀はそう考察した。

 澱んだ空模様の下、ユノの言葉で、秀たち四人は沈黙し、重苦しい空気が漂っていたが、そこで四人は自然に別れて、秀は一時的な配属先となった解放軍第二部隊の元へ向かい、あずさとユノはHQ要員の所へ、シャティーは寮に戻った。

 

「君が仲嶺秀君か」

 

 秀が列の最後尾に並ぶと、秀の隣にいた、一人の男性隊員が話しかけてきた。身の丈180センチメートルほどのがっしりした体格の、地球の年齢で25歳ほどに見える男性だった。

 

「いかにも俺は仲嶺秀だが」

 

「この従軍に志願してきたのは君だけって聞いたんだけど、やっぱりそれはテリオスを扱う者としてってことかな?」

 

「まあ、そうなる」

 

 彼の言うことは間違っていなかった。だが、秀の心境と彼の想像には食い違いがある。それは彼の気さくな様子からして明らかだった。秀はこの時、カミュに対して失望していた。まだ彼女を母として見るような慕情は残っているが、彼女の行いはつい先日にT.w.dアイリス派が悪と断じたことと何ひとつ変わらない。秀が進んで従軍しないのもこれが原因だった。

 

「テリオスを装備した君の活躍は前回の戦闘で見てる。俺たちのうちの誰もがテリオスに憧れてるんだ。皆、俺がαドライバーだったらって思ってる。期待してるからね」

 

 彼は秀の肩を軽く叩いた。秀は彼に「任せておけ」と爽やかに返したが、内心では彼の発言に苛立っていた。秀はテリオスとは仲違いしており、前日のトイレでのやり取りからまだ一度も会話していない。普段は殆ど話し出すことは無いのに、秀を貶められる時には決まって口を出し、時には我がままを振りかざす。兵装は強力でも、そのAIの人格は最悪だ。彼はテリオスの本性を知らないからそう言える。秀はそう考えた。

 ちょうどその時、リーナが点呼のために、各隊員の名前を呼びながら巡回に来た。

 

「仲嶺秀!」

 

「は!」

 

 最後にリーナが秀の名を呼び、秀は威勢の良い声で返した。秀は、普段は彼女と友人として接しているために、このようなやり取りは違和感を感じるが、規則なので仕方がない。秀が名簿の番号上は最後なので普通はここでリーナはこの作戦の指揮官のカミュの元へ報告しなければならないのだが、彼女は眉をひそめておもむろに秀に歩み寄ってきた。

 

「戦うの、不本意なのですか?」

 

 リーナが、他人に聞こえないように耳打ちしてきた。

 

「そんなことはないが」

 

「嘘はよしてください。あなたの目に迷いがあります。そのような状態で大丈夫ですか? 従軍志願の棄却なら、今ならまだ間に合います」

 

 秀は平静を装ったが、リーナはすぐに看破してしまった。しかし、秀にも意地があった。戦いから降りろなどと言われては、反抗せざるを得なかった。

 

「本当に大丈夫だ。心配はいらん」

 

 秀が突っ撥ねると、リーナは先ほどまでの厳しい口調から一転して、か細い声で言った。

 

「秀、私は」

 

 リーナはそこで言葉を止めてしまった。秀はその続きの言葉を待っていたが、リーナはそのまま何も言わずに秀から離れた。

 

「何でもありません。では」

 

 リーナは逃げるように走り去った。途中で一瞬だけ振り返ったが、彼女がその時どんな表情をしているかまでは秀は分からなかった。

 

(あいつ、どうして)

 

 秀がリーナの行動の意味を考えていると、不意に肩を叩かれ、思考を中断させられた。先ほど話していた彼だった。

 

「やれやれ、隊長殿はみんなの憧れなんだよ? カミュ教官が養母で隊長殿の想い人……。しかもとても可愛い恋人がいる。なんて贅沢な人生なんだ君は」

 

「想い人? やっぱりあの態度はそうなのか?」

 

「何だ、気付いていたのか」

 

 彼は意外そうに言った。それから、列の前の方を見ながら呟いた。

 

「まあ、バレバレだしね。隊長殿って結構単純だし」

 

 秀にはその呟きを拾う気は無かった。それよりも、リーナに言われたことを気にしていた。迷いがあるのは確かだ。EGMAをテリオスに従って破壊するかということや、カレンやセニアと対峙した時に果たして戦えるかと。白の世界の事情がある程度分かる秀は、解放軍の思想にも一理あるとは思っていた。だが、協調し合う道もあるのではと考えていた。

 ミハイルの共闘の申し入れは、確かに解放軍の意思を完全に蔑ろにしており、その点で彼女らの配慮が足らなかったと言える。しかし、そもそもの解放軍に参加している者の義憤の出所は、アンドロイドが人間の役職と尊厳を奪ったことだ。人間の尊厳を取り戻すのは、果たしてアンドロイドを全滅させることでしか達成し得ないことなのか。共存する道もあるのではないか。秀は、昨日からそう考えるようになっていた。彼は昨日からの事の顛末を鑑みると、解放軍は、手段と目的を履き違えている気がしてならなかった。

 

「気をつけ!」

 

 秀の思考を遮るように、空気をつんざくような号令がかけられた。全員が一斉に、整然とした動きで先頭にいるカミュの方に向く。

 

「諸君! 我々はこれより、EGMAの防衛のため、白の世界に赴く! これは我々の命運をかけた戦いであると共に、人間全体の尊厳をかけた戦いでもある! 撃ちてし止まぬ、撃ちてし止まぬ! この精神を胸に、全ての敵を撃滅せよ!」

 

 カミュの檄に、解放軍兵士の魂が呼応する。しかし、秀は複雑な心境だった。この戦闘用アンドロイドが数多く集まる機会に、彼らがが出来るだけ多くのアンドロイドを破壊しようと目論むのは明白だ。何とか止めねばとは思えど、その方策は全く思い付かない。秀が迷っている間に、第一部隊が人員輸送車に乗り込み始めた。

 結局、秀は何も考えが纏まらないまま、車に乗り込むことになった。そして、気が付けば港に着いており、秀が輸送艦に乗り込んだと思ったら、あっという間にマスドライバーまで着いていた。

 ジャッジメンティスの搬入が済んだ後、流れで第二部隊のシャトルの席に着くが、秀の心のもやは晴れぬままだった。第一部隊のシャトルが間も無く発進するとなっても、秀は未だに悩みに悩んでいた。

 

        ***

 

「セラフィックエンジン、起動。時間停止!」

 

 ユーフィリアは、解放軍の全軍がシャトルに乗り込んだのを確認すると、自らの時間跳躍能力を応用して、時間を停止させ、マスドライバー施設に浸入した。すべきことは単純明快だ。マスドライバー施設を破壊し、またこの静止した時の中で、解放軍を全滅させる。セラフィックエンジンの修理が完了した今となっては、造作もないことだ。

 ユーフィリアは未来を知っている。しかし、そこで語り継がれていた歴史と、この歴史は違っていた。ユーフィリアの世界線では、T.w.dは全ての世界を巻き込むほどの大災厄が起きた時、終末思想を唱えた集団だった。だが、彼らはユーフィリアが今いる時代の彼らのように、武力を行使するでもなく、すぐに姿を消してしまった。理由は考えるまでもない。もはや滅亡に瀕した世界に、何もすることはないと踏んだのだろう。そしてテリオスも、彼女の時代では知る人ぞ知る、封印された兵器だった。詳細は一切不明で、何故封印されていたのかも一切分からないまま、テリオスは紛失した。他にも、レミエルの堕天と融合や、人間解放軍がEGMAを占拠したことなど、ユーフィリアが過去に来たから、という理由では説明できない様々なことが起こっていた。

 

(もしやママが行ったのは、時間遡行ではなく、平行世界への跳躍だったのでしょうか。だとすれば起こった事象には納得できますが、それでは何のために行ったのかが説明できない。私は、どうすれば——)

 

 ユーフィリアは、T.w.dが民意を全く聞かないという点で、世界に仇なすものとは確信していたが、彼らを滅ぼした先のビジョンが見えなかった。それを考えながら歩いていると、突如として、踏んだ床が爆発した。全く予想だにしていなかった事態に、ユーフィリアの思考は中断され、姿勢制御もできずに吹き飛ばされた。

 

「地雷!? 馬鹿な。時間は停止しているのに!」

 

 パニックに陥ったユーフィリアに追い打ちをかけるように、天井から出てきた自動砲台がユーフィリアめがけて火を吹いた。ユーフィリアは咄嗟に回避しながら、思考を整理していった。

 

(どういう理屈かは分かりませんが、とにかく動いている以上、警備システムの制御室を押さえねば。マスドライバーの破壊が達成できなくなるリスクは、出来るだけ減らさないと)

 

 ユーフィリアは、事前にアインスから渡された施設の見取り図を思い起こす。それに従い、制御室に向かって走り出した。

 

        ***

 

 制御室は照明が付いておらず、監視カメラの映像を送る複数のモニターが部屋の中を照らしていた。そこに元いた職員は、椅子の上で、コーヒーを飲もうとしている姿勢や、モニターに注目している姿勢のまま、固まっていた。その中で、あずさはユーフィリアがまっすぐ制御室に向かってきているのを見て、大きなため息をついた。

 

「ま、すぐ思い付くわよね。このくらいは」

 

 あずさは、同じ学校の生徒として、ユーフィリアが自分と同じような能力を持っていることは知っていた。時間が停止した時、唯一その能力を持っていたあずさは、まず他の人員を時間の止まった中で動けるようにしようとした。しかし、ユーフィリアの方が能力の強さとしては一枚上手であったらしく、あずさが動かせたのは、発電施設を含めた無機的な物で、警備システムを作動させられたのはそのおかげだ。

 

「しっかし人一人を動かすよりもこんだけ大掛かりな装置を動かす方が楽とはね。案外やってみなくちゃ分かんないわね」

 

 誰に向けたわけでもない言葉を呟きながら、あずさは拳銃の手入れをする。しかし、あずさが射撃が苦手なこともあって、彼女はまともにユーフィリアを相手にする気は無かった。拳銃は、あずさが用意した秘策を成功させるための、単なる油断させる道具に過ぎなかった。

 ユーフィリアは次第に制御室へ近づいて行っていた。最初の方こそトラップに戸惑い、ダメージを受けている様子が見受けられたが、近づくにつれトラップに冷静に対処し、被害も少なくなっていた。しかし、少しでもダメージを与えることがあずさの目的だったので、彼女はあまり気にしなかった。

 あずさはユーフィリアの位置を確認する。すると、彼女は既に、制御室へ続く廊下に出ていた。それに気づくと、あずさはモニターの電源を落とし、ドアを開けて、右手に拳銃を、左手に超小型の発信機を握ってその影に隠れた。時折彼女との距離を確認しながら、息を潜めて待つ。この時、あずさはかなり重い緊張に襲われた。不快な汗が止めどなく流れ、息が荒くなる。トラップに任せていた時とは違い、ここはあずさ自身が戦わねばならない。しかも、今回は一人だ。ユノもシャティーもいない。初めてのことで、不安で不安で仕方がなかった。

 

(落ち着け、落ち着けあたし。ユーフィリアを止められるのはあたしだけなんだから。あたしがみんなを、ユノと秀を助けるんだ!)

 

 あずさが深呼吸したところで、爆発音が聞こえた。慎重に様子を見ると、制御室への道の中で、最後のトラップが作動したことが確認できた。

 

「今だ!」

 

 あずさはわざと大声を出して、制御室から飛び出してユーフィリアに拳銃を向け、数発撃った。対するユーフィリアは、それらの銃弾を全て避けると、実体剣を出してあずさに斬りかかった。あずさはそれを銃で受け止めるが、ユーフィリアの力に敵うはずもなく、簡単に弾き飛ばされて、壁に叩きつけられた。その際取り落としてしまった拳銃をユーフィリアが踏み潰し、あずさの眉間に剣を突き付けた。

 

「愚行はやめなさい。さすれば命だけは助けます」

 

「愚行って何のことよ。こうしてあんたを止めようとしてること? それともT.w.dの一員としてあたしが戦ってること?」

 

 あずさは不敵を装って笑ってみせた。しかしユーフィリアは、その冷酷な表情を変えもせずに、あずさに告げた。

 

「両方です。あなたの行いは世界に害を為します」

 

「あっそ」

 

 あずさは、ユーフィリアの言葉を鼻で笑った。

 

「残念だけど、あたしはアイリスたちが本当に悪者かどうか、判断する材料がまだ少ないのよ。あたしは青も白も黒も緑の世界のこともてんでさっぱり。あんたの言葉は見方のひとつとしては受け入れるけど、でもあんたの言葉には従わないわ」

 

「何故です。私にはあなたが理解できません」

 

「秀から聞いたわ。あんた未来から来たそうじゃない。その未来で何があったかは知らないけど、その未来での経験があんたの視野を狭くしてるんじゃない?」

 

 あずさが指摘すると、ユーフィリアは目に見えるくらいに眉をひそめた。

 

「T.w.dに属している身で、何をほざきますか」

 

「あら。別に特定の組織に入ったとしても、批判する目を持ち続けられれば何の問題もないわ。あんたの思い込みで話されると困るわね」

 

 あずさが言うと、ユーフィリアは剣を振りかぶり、そのまま振り下ろした。あずさは咄嗟に体を捻る。しかし、唐竹割りは避けられたものの、左袈裟を深く斬られた。流石にこの激痛には耐えきれず、あずさは思わず絶叫し、傷口を手で押さえ、左手を下にして床に倒れてうずくまった。

 

「今ならまだ間に合いますよ」

 

 ユーフィリアの冷たい目線があずさを射抜く。しかし、あずさは痛みを堪えて何とか笑みを作り、ユーフィリアに向けた。

 

「脅迫なんて、仮にも正義の味方気取ってる奴に言われたくないわね。それにさっき斬りつけたってことは、あんたにもう反論する材料が無いってことでしょ。昔の学園のアイドル様の一人も、地に堕ちたものね」

 

 あずさが言い終えるか否かという時に、ユーフィリアはあずさの傷口を踏みつけた。先ほどと同等とまではいかないが、再びあずさの体に激痛が走る。

 

「そのザマでよく言う。そんなに早く死にたければ、望み通りにしてあげますよ」

 

 ぞっとする、氷のような声だった。あずさは内心では恐怖感に充ち満ちていたが、それでも勇気を振り絞り、左手の発信機を隠れて操作しながら、作り笑いを浮かべて言った。

 

「四次元って、空間に時間の軸を追加したものだって説もあるのよ。つまり、その説を導入すれば、この静止した時の中でも、座標が設定できるってわけ」

 

「だからなんですか」

 

 そう言って、剣を振り上げるユーフィリアが、少しだけ動きを止めた。自分の言葉が多少なりとも気になったに違いないと踏んだあずさは、ありったけの大声を上げた。

 

「あたしたちの底力、見せたげるわ! ユノ!」

 

 あずさが叫ぶと、彼女とユーフィリアの空間に穴が開き、そこからユノが現れた。ユーフィリアは完全に予想していなかったようで、ただただ固まっていただけだった。そうしている間に、ユーフィリアの臍の位置に、ユノが掌底を入れる。

 

「瞬間移動!」

 

 ユノが叫ぶと、ユーフィリアの腹部のみが、はるか遠方まで飛ばされた。飛び散る内蔵のような内部機構から、思わず目を離す。残った腰から下はバランスを崩してそこに倒れ、胸から上は鈍い音を立てて床に落ちた。

 

「あ、ああ。ごめんなさい、ママ。私は——」

 

 ノイズ混じりのその言葉を言い切ることなく、ユーフィリアの目から光が失われた。その顔をよく見ると、涙だけが流れ続けていた。

 彼女の機能が停止したのか、時間が動き出したのを感じた。疲労感と安堵感から、あずさが動けずにいると、ユノが寄って来て、傷口に優しく触れた。すると、みるみるうちに血が止まり、傷口が治癒した。恐らくは魔法であろう。

 あずさとユノは、アイリスと話す中で、このようなことを言われた。あずさはT.w.d陣営で唯一、時間停止能力を持っている人であり、ユーフィリアに対する唯一の手段だと。先ほどの作戦は、戦闘能力に乏しいあずさのために、アイリスから授けてもらったものだった。時が止まった時に、あずさのいる四次元座標を特製の超小型の発信機で、静止する直前のユノに伝えて、ユノがその座標に瞬間移動することで、他の人を止まった時間の中で動かせなくとも、ユノだけは動けるようになるというものだ。その発信機はアイリスが発明したもので、それから受け手の脳に直接伝えられるという、リンクの原理を応用したものだ。この戦法をものにする訓練は、想像を絶するものだった。外観上は一回するのに殆ど時間がかからないものだが、お互いに精神を磨耗し、常人より長い時間を体感した。一日のうちに五千回以上繰り返して、その一日で修得したのは、ひとえに二人の根性ゆえだった。

 

「ありがと、ユノ。さあ、戻ろうか」

 

 礼を言い、あずさが立とうとすると、失血のためか、千鳥足になって倒れそうになった。それを、ユノがすかさず抱きかかえ、肩を貸した。

 

「あずさちゃん、彼女、どうする?」

 

 ユノは、ユーフィリアの残骸を見ながら尋ねた。

 

「上半身だけでも、カミュのところに持ってこうか。まだ人工知能が生きてるかもしれないしね」

 

「うん。そうしよっか」

 

 ユノは空いている腕でユーフィリアの上半身を抱え、シャトルに瞬間移動した。シャトルの中は、かなりどよめいていた。マスドライバー施設に侵入された形跡があったため、シャトルの発射が安全が確認できるまで見送られたためであった。

 

「椎名! それにフォルテシモも、先ほど消えたと思ったら。それに椎名、その傷はどうした!?」

 

 他の解放軍の人員があずさとユノに注目する中、血相を変えたカミュが駆け寄って尋ねた。その顔には焦りが見える。そして厳しい軍人の顔ではなかった。本気で心配している。これが、秀が母として慕う彼女の一面かと、あずさは納得した。

 

「これもう治ってるから、血が足りないだけ。それと、ほら」

 

 あずさは、ユノの抱えるユーフィリアの上半身を指差した。それを目にしたカミュは絶句した。あずさたちが倒したという事実に驚嘆し、彼女らが居なかったら、ということを想像したのだろう。しかしそのような様を見せたのは一瞬で、すぐに冷静沈着な軍人としての表情に変わり、顎に手を当てて考え始めた。

 

「まだ機能が停止しただけか、それとも人工知能もダメになったかは分かんないけど、とりあえずどうするの?」

 

 あずさが尋ねると、カミュは一回唸ってから答えた。

 

「人工知能を摘出する。コードΩ00は、未来から来たという情報もある。解析できれば、有益な情報が手に入るやもしれん」

 

「では、どうしましょう」

 

 ユノが尋ねると、カミュは小刀を取り出し、屈んでユーフィリアの頭にその刃を立てた。

 

「機能停止している今のうちに行う。だが危険があるかもしれん。皆、私から離れてくれ」

 

 カミュの言葉に従い、彼女以外の、シャトルに乗っている者は、全員がカミュから離れた。シャトルから出ないのは、安全確認のためにシャトルから出られないように外から操作されているためだ。それに、シャトル自体も頑丈で、核爆弾でも爆発させない限りは中で爆発しても問題無いように作られている。

 カミュがユーフィリアにナイフを入れる光景から、あずさは目を背けていた。ユノがユーフィリアの腹部を吹き飛ばした時でさえ、その破損部を直視できなかった。頭部など尚更だ。

 軽く小さな音が数回したと思うと、何か大きな布のようなものが翻るような音と、ビニールが擦れる音がした。

 

「終わったぞ」

 

 カミュが簡素に告げた。彼女の手には、何かしらの丸い物が入った黒い袋が提げられていて、後方にはブルーシートを被せられたユーフィリアの上半身があった。

 

「隊長殿。ご無事ですか」

 

 部隊員の男性の一人が尋ねると、カミュは両手を広げてみせた。

 

「見ての通りだ。しかし、頭部を切開してみたが何が人工知能に当たるか、工学の心得のある私にさえ分からなかった。とりあえず首から上は切除したから、残りはメルティ=ロウに見せた方がいいだろう」

 

「メルティ=ロウ?」

 

 あずさが初めて聞く名前だった。ユノに顔を向けるが、彼女も首を横に振った。

 

「メルティ=ロウとは我々の技術協力者だ。元はアンドロイド工学畑の人間だが、アンドロイドに依存する社会に疑念を抱いたために人間用の兵器の開発をしている人物で、ジャッジメンティスの計画を継承し、製造したのも彼女だ。もっとも、解放軍に正式には属していないがな。分かったら早く席につけ。安全確認が先ほど取れたそうだ。もうじき出立だ」

 

 カミュが口早に言う。あずさとユノは素直に彼女の言葉に従って、飛び込むようにシャトルの座席に着いた。先ほどの戦闘の緊張から解放されたおかげか、今から白の世界に行くとなっても、さほど緊張はしなかった。

 

(前行った時とはまるで事情が違うわね)

 

 前回白の世界に行ったのは、瀕死の秀を白の世界の病院に連れて行くためだった。しかし、今回はある意味でその逆の行為と言える。

 

「これも、試練かしらね。何かを掴めるといいのだけれど」

 

 あずさはある種の期待を抱き、天井を見ながら、シャトルの発進をじっと待った。

 

        ***

 

 シャトルが解放軍の手配した土地に着陸し、シャトルの中と外で二回点呼を行うと、解放軍一行は輸送車に乗り込み、EGMAに向かうことになっていた。EGMAに亜空間移動をしないのは、敵の侵入を防ぐために、亜空間移動に対する妨害処理がなされているためということだった。

 天気は晴天とも曇天ともいえない、中途半端な空模様で、湿度と温度が快適な状態で保たれていた。EGMAの賜物なのだろうが、その人為的な天候に、秀は違和感しか感じなかった。

 第二部隊が輸送車に乗り込む直前のことだった。リーナの通信機に、誰かが連絡を入れてきたのだ。カミュのには入っていないようで、リーナは秀たちに先に輸送車に乗り込むよう指示して、リーナは苛ついた様子で、外で連絡に応じた。その会話に、単純な好奇心から、秀は耳を澄ませてみた。

 

「どなたですか? ……父上!? 今は作戦行動中です。私事なら後に——は? 秀を連れてこい? テリオスの亜空間移動を使えば大丈夫だろう? 何を無茶苦茶な。……命令!? そんな最高顧問が変な命令出さないで——ああっ!? 父上、父上! ったく、あの人は!」

 

 リーナは通信機を地面に叩きつけると、大股で輸送車に乗り込み、秀の前で止まり、一枚のメモ用紙を差し出した。

 

「これが私の家の、父の部屋の座標です。なんだか知りませんが、秀だけここに来いとの命令です」

 

「俺だけか?」

 

「そうです。分かったらとっとと飛ぶ!」

 

 リーナが怒鳴りつける。その剣幕に気圧され、秀は黙ってテリオスのデバイスを取り出した。

 

「おいテリオス。この座標に飛ぶぞ。早くしろ!」

 

「やれやれ。了解です」

 

 テリオスが呆れた様子で了承したかと思うと、次の瞬間にはある一室にいた。広々とした、白一色の部屋である。側面には大きな窓が付いていて、その窓のそばにスピーカーの付いた人間大のカプセルがあり、側に白衣を着た、銀髪で短髪の女性が立っていた。

 

「ようこそ、仲嶺秀君。作戦中に済まない。しかし、どうしても戦いの前に君に話しておかねばならないことがあるのだ」

 

 渋く、落ち着いた男性の声が聞こえた。そこの女性が発したとは思えない。スピーカーから出たのだろう。秀は、恐る恐るカプセルを覗いてみた。そこには、目を閉じた、血の気のない白髪頭に何本かのコードが繋がれた、初老の男性が横たわっていた。秀には、その男性が生きているようには見えなかったが、テリオスは違った。

 

「死んではいませんね。この男性は生きています」

 

 テリオスは、その男性を見るなりそう言った。すると、スピーカーから再び声が聞こえてきた。その声は、目の前の死体のような見た目とは正反対に、活気にあふれていると強く実感できた。

 

「その通りだ。自己紹介が遅れたな。私はアルフレッド=リナーシタ。リーナの父親で、人間解放軍最高顧問を務めている者だ」

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