Ange Vierge Désespoir infini   作:黒井押切町

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慕情

 秀は、仰向けで目覚めると、寝ているベッドがいつもと違うことに気付いた。普段のそれよりも、かなり柔らかい。肌触りも良いので、高級なものだろうと分かる。天井も、綺麗な白色だ。秀の自室のような、ひび割れた灰色ではない。直感で、ここはカミュの部屋だと分かった。膝枕で寝ていた自分を運んでいってくれたのだろう。

 ふと秀が顔を左に向けると、そこには柔らかな微笑を浮かべたカミュの顔があった。

 

「ようやく起きたか。もう10時だぞ。秀は寝坊助だなあ」

 

 秀は戸惑いを隠せなかった。まず第一に、カミュの態度がおかしい。今までは6時起床で、一分でも寝坊しようものなら拳が飛んできたものだ。それなのに、今日のカミュは10時まで、秀が起きるのを待っていたのだ。声色も、これまでの威圧的なものではなく、どこか優しい。それに、カミュが下の名前で秀を呼ぶのも初めてのことだった。

 とにかく、秀はベッドから出ようと、体を起こそうとすると、カミュに左腕を掴まれた。

 

「なんだ、昨夜のように甘えてこないのか」

 

 残念そうなカミュの声。それで、昨晩のことを思い出して、秀は顔を赤くした。あの時は特に何も感じていなかったが、今思い返せば、恥ずかしいことこの上なかった。

 

「あ、あれは、ああいう感じの感情を、向けられたことがなかったから……」

 

 取り繕って言ってみたが、声が上ずってしまった。

すると、楽しそうなカミュの笑いが聞こえた。

 

「照れてるのか? 可愛いやつめ」

 

 カミュは秀の前に回ると、秀を抱き寄せた。カミュはネグリジェを着ていた。秀は恥ずかしくて死にそうだった。

 

「は、離せ……」

 

「照れるな照れるな。今日の午前の訓練は無しにしてやるから、もっと甘えてこい」

 

 秀は解放を要求することでこの事態からの脱却を図ったが、腹をくくって、カミュの言う通りにすることにした。実際、カミュに甘えたいとも思っていたからだ。秀には、カミュが実の親のように感じ始めていた。今まで、親から、親らしい愛情を受けたことがなかった。だから、自分に色々なことを教えてくれて、面倒を見てくれたカミュは、母のように見えた。

 

「じゃあ、また膝枕させてくれ」

 

「好きなんだな、膝枕。しょうがない奴め。ほら」

 

 カミュが正座をして、秀が頭を乗せられるスペースを作った。そこに、秀はゆっくりと頭を置いた。

 

「やっぱり、気持ちいいな。ずっとこうしていたい」

 

「うーん、それは無理だ。昼飯を食べなきゃならん。食べ終わったら訓練を始めるから、それまで、な」

 

 カミュは、秀に甘えられることが嬉しいのか、口角を上げていた。そして、我が子を可愛がる親のように、秀の顔を撫でた。

 

「どうだ?」

 

「程よくくすぐったくて気持ちいい。そのまま続けてくれ」

 

「分かった」

 

 カミュが撫でるのを継続する。秀は、その快感に心を溺れさせていた。ずっとこの時間が続けばいいのに。そうも思っていた。だが、もちろんそんなことはなかった。カミュがそれとなく秀から視線を外して、部屋の時計を見た。

 

「おっと、もう11時か。飯を作らねばな。頭をどけてくれないか?」

 

 秀は、素直に頭をどかした。ねだろうかとも思ったが、カミュの迷惑になると考えたので、やめた。

 

「ああ、そうだ。今日の昼食はあの不味いレーションじゃなくて、私の手料理だからな。味は保証しよう」

 

「ああ、そりゃ楽しみだ……って、お前、不味いもの食わせてるって自覚あったのか!」

 

 秀は、少し憤慨してカミュに怒鳴った。カミュは、涼しい顔でそれに答えた。

 

「当たり前だ。あの程度の不味いものを毎食食べるくらいの根性がなければ、戦士としてやっていけない。それに、レーションがあるときはありがたい方だ。状況によっては、その辺の野草を食べて腹をみたし、泥水をすすって喉を潤さねばならないからな」

 

 秀は押し黙った。あのレーションも、カミュの思いやりの詰まったものだと分かったからだ。秀が感極まっていると、カミュは「ご飯が出来たら呼ぶから、適当にしてくれ」と言って、部屋から出ていった。

 一人残された秀は、しばらくボーッとしていたが、ふとあるものが目についた。クローゼットだ。白の世界のクローゼットは、中が亜空間に繋がっているため、そこまで大きくない。亜空間内で、ハンガーなどに服がかかっている、というものだ。大きさは、せいぜい縦、横、高さ五十センチ程度。形は立方体で、クローゼットの体積の大半を、亜空間発生装置が占めている。もっとコンパクトな亜空間発生装置もあるらしいのだが、それは戦闘用アンドロイドか、ジャッジメンティス乗りくらいしか使用が許されていない。そちらは500グラムもないくらいの重さだが、クローゼットや、その他の亜空間発生装置が使われている機械(冷蔵庫や、トイレなど)は、反乱が起きたときに容易に使えないようにするためか、100キログラムほどあるとか。並みの人間が持ち上げられる重さでないし、携行には不便だ。

 カミュのクローゼットの中身が、秀は気になった。軍服と、先程までようなネグリジェを着た姿しか見たことがないため、私服はどんなのだろうと思ったのだ。中を見てみると、秀は驚きあきれた。というのも、服が二種類しかなかったからだ。軍服とネグリジェ。それだけである。それらだけが、ずらりと並んでいる。

 

「あいつ、どれだけ私的のものがないんだ。俺でさえ、私服くらいはあるってのに。……うん?」

 

 秀は、亜空間の隅に、箱を二つ見つけた。見てはいけない、というような感じはするが、好奇心には勝てなかった。誘惑に負けて、クローゼットからそれらを引っ張り出してきた。

 二つの箱から感じる、異様なオーラ。秀はゴクリと唾を飲み込んで、恐る恐る、それらのうちの右側の箱を開ける。すると、そこから出てきたのは。

 

「ぶ、ブラジャー……。実物、始めて見たな……」

 

 飾りも何もない、いわゆるスポーツブラというものだろう。色は白い。非常にお粗末なものだ。だが、そのようなものにさえ、秀は興奮していた。しばらくそのブラジャーを凝視したのち、深呼吸を数回して、他のブラジャーも見てみた。しかし残念なことに、ブラジャーはすべて同じものだった。こういうことに徹底的に金をかけないでいるようだ。

 秀は、ブラジャーを戻すと、今度はもう片方の箱を開けた。中には、案の定、パンツが入っていた。全部白い安物のようだが、これにもやはり興奮せずにはいられなかった。だが、倫理的に、人の下着を勝手に見て興奮するなんていけないことだ、と思い直して、何回も深呼吸しながら、パンツを箱に戻して、二つの箱をクローゼットに戻し、クローゼットを閉めた。

 秀は一つ息を吐くと、床にあぐらをかいて座った。ぼーっとしていると、ふと、レミエルの顔が頭に浮かんだ。

 

(そういえばレミエル、大丈夫なんだろうか)

 

 レミエルと過ごしたあの一日が思い出される。たった一日だったけれと、それでもレミエルと過ごせて、楽しかった。ジュリアに殺されかけたことを考慮しても、今までで最高の一日だった。会いたい。レミエルに、早く会いたい。その思いだけが、加速していく。だがそれはまだ許されていない。まだ、秀はその資格がない。

 

(あいつに早く会って安心させてやるためにも、特訓、頑張らなきゃな)

 

 秀はいきり立って、大きく延びをした。そして部屋を出て洗面所に行き、顔を洗う。冷たい水が、心地よかった。洗面所から戻ろうとすると、

 

「昼飯できたぞー。早くテーブルに来い」

 

 カミュの間延びした声。秀は、駆け足気味に食卓に向かった。

 

        ***

 

「さあ、秀。召し上がれ」

 

 カミュがテーブルの上に置いたのは、大皿に山盛りにされた、オムライスだった。コンソメスープと思しきものが添えられている。

 

「青の世界の料理で、私が一番得意なものだ。遠慮しないで食べて欲しい」

 

 オムライス自体は学食で食べたことがあるが、このような形で食べるのは初めてだった。秀はそれらをまじまじと見つめていたが、腹が急に空腹を訴え始めたので、席について食べることにした。

 

「……いただきます」

 

 スプーンでチキンライスをオムレツごとすくって、ぱくりと口に入れる。

 

「美味いな。青蘭学園の学食よりもずっと美味い。これが家庭の味ってやつなのかな」

 

 秀は思わずそう呟きを漏らしていた。チキンライスのやや薄めのトマトソースの味と、オムレツの程よい塩味と甘みがマッチして、頰がほころぶような美味しさを感じた。

 

「美味しいか。そうか。ふふふ」

 

 秀の感想を聞いたカミュは、本当に嬉しそうに笑った。

 

「では、私も食べるとするかな。いただきます」

 

 カミュはそう言って自分の分のオムライスをテーブルの上に置いて、秀の向かい側に座って食べ始めた。

 

「うん。我ながらいい出来だ。……ところで秀」

 

「うん?」

 

「貴様が昨夜言っていた、“あいつ”とは誰のことだ?」

 

「レミエルっていう、赤の世界の天使だよ」

 

 秀は食べ物を口に含みながらカミュの問いに答えた。すると、カミュが、

 

「そのレミエルとかいう天使は、貴様の恋人なのか?」

 

 カミュの突飛な問いに、秀は思わず食べてるものを吹き出しそうになった。それを必死に抑えて、飲み込むと、カミュに怒鳴った。

 

「な、何をいきなり言うんだお前は!」

 

 対してカミュは、涼しい顔で言った。

 

「なんだ、違うのか? そんなことを言うくらいだから、てっきり周りの誰もが羨むラブラブカップルだと思っていたのだが」

 

「違う! 断じて違う! 俺とあいつには、αドライバーとプログレス以上の関係はない!」

 

 秀は、顔を赤くして、必死になって否定した。すると、カミュは面白がるように言った。

 

「おい、顔真っ赤だぞ〜? そういう関係でなくても、秀はレミエルとやらが好きなんじゃないのか?」

 

「それは違う」

 

 秀は断言した。確かにレミエルのことは心配だが、それはレミエルのパートナーとして心配しているだけであって、好きだから、ということではない。顔を赤くしたのも、そういう話題に慣れていなかったからだ。秀はそう自分に言い聞かせながら、そのことをカミュに告げると、

 

「ふうん……。まぁ、秀が言うのだから信じてやろう」

 

 と、ニコニコしながら食事を再開した。それから、秀は学園のことをカミュに話しながらオムライスを食べていた。

 

 一時くらいになって、

 

「「ごちそうさま」」

 

 秀とカミュは二人で一緒に手を合わせると、食器を皿洗い機にかけた。洗い終わると、カミュはそれをパッと片付け、秀に向いて言い放った。

 

「さあ、これで褒美の時間は終わり。特訓だ!」

 

        ***

 

 ナイフ訓練を始めて三週間ほど経つと、銃器の扱いも教わることになった。最初は組み立て分解から始まった。これはすぐにマスターできた。一週間も経つ頃には、代表的なものくらいは5、6分程度で組み立て分解ができるようになった。

 それと並行して、射撃訓練も行った。こちらもやはり、大方の銃は扱えるようにと、ハンドガンにマシンガン、アサルトライフル、ショットガン、スナイパーライフルの訓練を受けた。こちらは、今までで一番時間のかかった訓練だった。一ヶ月半ほどで、なんとか動き回る(まと)に当てることができるくらいにはなった。

 

        ***

 

 秀のスナイパーライフルの銃声が朝の青空に響き、弾丸が放たれた。その弾丸は、秀から1キロメートル離れた空中の的を穿った。秀はそれを見届けて、ふう、とため息をついた。

 

「よくやったな、秀」

 

 声がした方を向くと、満足げなカミュが腕を組んで立っていた。

 

「これで、最終試験までの訓練は終わりだ。私のところに来て約3ヶ月、よく頑張った」

 

 カミュは秀に近づいて、その頭をかき撫でた。秀は、気恥ずかしかったが、大そう心地よかったのでカミュにされるがままになっていた。秀にはそれが、親が子にするようにしているかのように見えた。

 

「さて、最終試験だが、リーナ=リナーシタというプログレスと模擬戦をしてもらう。制限時間は10分の、一発勝負だ。日時は今日の18時だ」

 

 カミュは手を離して告げた。その最終試験に合格すれば、レミエルのところに戻ることができる。絶対に合格しなければならない。秀は、カミュに力強く頷いた。

 

 そして18時少し前。秀は、カミュ邸の芝生に立っていた。相対するのは、長身長髪の少女、リーナ=リナーシタ。ジャッジメンティスの操縦士とのことだが、個人としての戦闘能力も高いとカミュが言っていたため、相手として不足はないようだ。装備は、お互いにハンドガン、ショットガン、マシンガンが一丁、刃に塗料が塗られたナイフが二本だ。それぞれ弾倉は一つだけで、ショットガンとマシンガンは、ポケットサイズの亜空間収納庫に入っている。

 秀は、リーナを鋭く見つめる。その一挙手一投足も見逃さぬという気で、ジッと見る。リーナも、秀を射抜くような視線で睨んでくる。

 秀の緊張が頂点まで高まった、その時。

 

「最終試験、始め!」

 

 カミュの合図。それと、秀とリーナが拳銃を抜いたのはほぼ同時だった。秀は懐から、リーナはホルスターから。お互いに獲物はSWE製の、実弾を使うハンドガン。ただし弾はペイント弾だ。軽すぎず重すぎない程よい重みがあり、撃ちやすいと評判のものだ。

 互いに同時に銃弾を放つ。リーナの弾丸が秀の右頬を掠め、秀の弾丸がリーナの右耳を掠めた。

 秀は自分の攻撃が致命傷に至らなかったのを確認すると、ハンドガンをリーナに向かって思い切り投げた。そして、それと同時に走り出し、リーナがハンドガンに気を向けた一瞬の隙に、リーナの左の脇腹に飛び膝蹴りを食らわした。リーナがよろける。秀はそこにさらにナイフで刺突しようとしたが——リーナは、すぐ態勢を立て直し、秀の伸ばした右腕がちょうど自分の肩に乗るように攻撃をかわすと、秀のその勢いを利用して、秀の手首を掴んで、背負い投げをした。背中を伝って、内臓に鈍い衝撃が走る。仰向けになった秀に、リーナがショットガンの銃口を額に突きつける。リーナが引き金を引くより前に、秀は転がってそれを避け、後ろに飛んで距離をとる。

 

(やはり一筋縄ではいかないな)

 

 秀は乱れた呼吸を整えると、マシンガンを亜空間収納庫から取り出し、リーナに向けて撃ちまくった。だが、リーナはそれを軽い身のこなしで躱していく。

 やがて、マシンガンの弾が底を尽きた。秀はマシンガンを投げ捨て、ショットガンに持ち替えたが、その隙に、リーナが秀の手からショットガンを蹴り飛ばした。

 

(ここだ!)

 

 秀は咄嗟に意識を切り替え、蹴って硬直しているリーナのさっきも蹴りを入れた脇腹に肘鉄を入れた。リーナが一瞬だけよろめく。さらにその隙に、ナイフをリーナの左胸に突き刺そうとしたが、リーナが左手でそれを掴んだ。秀がそれに驚いている間に、リーナがそのまま秀を引きつける。そして、先程のお返しとばかりに、秀の脇腹に拳を入れた。

 秀が後ずさる。そこに、リーナがハンドガンを突き付ける。リーナが引き金を引くと同時に、秀は屈み、そのまま前に跳躍。ナイフを突き出そうとした、その瞬間。

 

「10分経過! そこまで!」

 

 その声を聞いた瞬間、秀の体から力が抜けた。秀は芝生に手をついた。汗を滴らせ、荒く息を吐く。

 

「あなた、やりますね。αドライバーのくせに」

 

 凛とした女性の声。振り返ると、リーナが疲れなど微塵も感じさせない様子で佇んでいた。

 

「訓練したからな。元から強かったわけじゃない」

 

「そんなの分かってますよ。ただ、予想より強かったから、感心しただけです」

 

 リーナは素っ気ないさまで言う。

 

「では、私は任務がありますので、これにて失礼します」

 

 そう言って、リーナは歩き去ってしまった。入れ替わりに、カミュが近づいて来た。

 

「合格。いい模擬戦だった。リーナとあれくらいやれれば、一対一になってもそこそこ戦えるだろう。集団戦は、シュミレーターで何回もやったから、実戦で訓練を再現出来れば問題ない」

 

 秀は、その言葉に安堵した。帰れる。ようやく、レミエルの元に帰れるのだ。

 

「今日はゆっくり休め。いいな」

 

「うん。分かった。また、膝枕してくれるか?」

 

 きっと、してくれるだろう——希望を込めて聞いてみた。すると、いつか映画か何かで見た、幼子に対する母親のように、柔らかな笑みを浮かべ、

 

「本当に、甘えん坊だな。いいぞ、一晩付きっ切りで寝てあげる」

 

        ***

 

 夜。カミュは秀が寝たのを確認すると、自分の寝室に連れて行き、ベッドの中に入れた。安らかに眠る秀の寝顔に、カミュは思わず微笑した。暫く秀の寝顔を眺めると、秀に背を向けて電話をした。

 

「私だ」

 

『はい。なんの用でしょうか』

 

「上山秀はジュリアと敵対している。すなわち我々の敵となり得る可能性が高い」

 

『分かりました。もし、その時が来れば……』

 

「ああ、我々人間解放軍——いや、T.w.dの敵として、彼を殺す。いいな、リーナ=リナーシタ」

 

『了解しました。カミュ教官殿』

 

 電話の向こうの人間——リーナは、感情の抑揚のない声で言った。

 カミュは電話を切ると、秀に向き直った。そして、泣きそうになりながら告げた。

 

「ごめんな。今夜、側で一緒に寝てやるから」

 

        ***

 

 そして、翌朝。青蘭学園の制服を着た秀は、カミュと共に、白の世界の(ハィロウ)に来た。

 

「さあ、行ってこい、秀」

 

 カミュにそう促されたが、秀は行くのを戸惑った。

 

「どうした? レミエルを安心させてやるんじゃないのか?」

 

「そうだが……」

 

 秀は、門とカミュを交互に見た。門に入れば、レミエルの元に帰れる。だが、カミュのもとを離れることになる。

 

(子供が親元を離れる時って、普通こんな気持ちになるのか)

 

 秀は、そうだとしたら、経験しなければならないと思った。本当の親から離れた時は、本当にせいせいした。ためらいなど、欠片もなかった。だが、今はためらっている。暫く門の前で立ち往生していたが、やがてカミュに向いて告げた。

 

「俺は、あんたに本当に感謝してる。色んなことを教えてくれたし、弱かった俺を鍛えてくれた。ありがとう。行ってきます」

 

 母さん——その言葉を、かろうじて飲み込んだ。

 

「ああ、行ってらっしゃい……と、少し待て。餞別だ」

 

 カミュはそう言って、秀にポケットサイズの亜空間収納庫と、何かの錠剤を幾つかと靴を渡した。

 

「その中には、武器一式とフライトユニットと弾薬が入っている。弾薬はありったけ詰めておいたから、なくなることはほぼ無いだろう。その薬は覚醒剤だ。使うのは本当にヤバくなった時のみにしておけ。そして、この靴は、どんな高いところから落ちても、履く者が大丈夫なように出来ている。今すぐ履き替えておけ」

 

 秀は言われた通りに靴を履き替えた。履き心地はいい。

 

「じゃあ、行ってらっしゃい」

 

「うん、行ってきます」

 

 親子のようなやり取りを終え、秀は門に飛び込んだ。門を抜けた後に視界に広がったのは、懐かしい青蘭学園。青の世界はもう二月なせいか、冷たい空気を肌に感じた。

 どんどん地面が近づいてくる。落ちる地点は、どうやら中庭あたりのようだ。轟音を立て、土埃を舞わせて、足と地面が接触する。土埃が晴れると、見慣れた校舎がそこにあった。秀は、帰ってきたという実感を噛み締め、思わず告げた。

 

「ただいま、青蘭学園」

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