(もう一球――いや、これで最後にする)
星野は息をゆっくりと整え、心を静かに沈めた。
(試したことはない。でも……やるしかない)
腰、肩、手首。
そのすべてを、最大限に逸らして――“しならせる”。
今までのフォームとは違う。
この一球は、感覚だけを頼りに生まれた「賭け」だった。
「――行きます!」
高くトスを上げる。
空中で一瞬、身体が弓のように反った。
バチィンッ!!
インパクトと同時に、鋭い“縦回転”がかかる。
バシィンッ!!
星野の3球目――未知の回転をかけた、全身を絞り出すようなジャンプサーブが放たれた。
ボールは空中でわずかに揺らぎながら、ホークのように鋭く軌道を変える。
会場が息を飲む。
「……っ!!」
弁野が一歩、瞬時に踏み込む。
(止める……! 何が来ても!)
両手をすべり込ませて、ギリギリの角度でレシーブ。
バチィッ――!!
弾かれたボールは、予想より高く舞い上がった。
山なりの軌道を描いたまま、ネットへと向かっていく。
(跳ね返れ……!)
星野は必死に目で追った。
だが――
チュン……!
ボールはネットの頂点に当たり、僅かに跳ねて――
そのまま、ポトリと星野側のコートに落ちた。
「……っ!」
数秒の静寂ののち――
「……負けた、か」
星野は肩で息をしながら、落ちたボールを見つめていた。
悔しい。
けれど、それ以上に胸に残ったのは――
(楽しかった……)
あの一瞬に全てを懸けて、全力で挑んだ「勝負の感覚」。
そのとき、コートの向こうから声が飛んできた。
「……上等や、チビ」
弁野が、タオルを肩にかけながら笑っていた。
「思った以上に、ええ勝負やったわ」
「……でも、最後は負けました」
「そらそうや。先輩やからな」
にやりと笑って、弁野は親指を突き出す。
「でもそのサーブ、磨けば武器になるぞ。面白いサーブやった」
星野は小さくうなずいた。
「ありがとうございます……!」
まだ、バレーボールをやれる可能性がある――
そう思うと嬉しかった。けれど、それ以上に迷いが深まっていった。
そして俺は、担任の長谷川先生に進路相談を持ちかけた。
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「進路相談……というより、バレーボールについてだろ?」
「……!?」
「この前の試合を見てたら、お前がどれだけバレーボールが好きかはすぐに分かる。だが、同時に“危うさ”も感じた」
「それは……」
「身体のことは医者が判断することだ。でも、それを除いても俺は“強豪校への進学”はオススメしない」
「……」
「前の学校からの話も聞いてる。風邪気味だったのに無理して試合に出て――それが喘息のきっかけだったってな?」
「はい……」
「……なぁ、星野。お前、プロを目指してるのか?」
「プロ……憧れは、ありました」
「今の体調じゃ、“目指す”とは素直に言えんよな」
「はい……」
「プロになりたいのかと聞いたのは、確認のためや」
「確認?」
「もし仮に、お前が“あと1回しかバレーボールができない”って言うなら、俺は止めん。大人としては間違ってるかもしれん。でもそれが、お前の人生や」
「……先生」
「ただな、この前の試合でのお前は“死に物狂い”じゃなくて、“楽しんでた”――日向みたいにな」
「……!」
「だったら、無理して強豪校に行くんじゃなくて、普通の高校で、じっくりやる方がいいんじゃないか?」
たしかに。
俺が、あの鷹月高校の誘いに今ひとつ乗り気になれなかった理由は、たぶんそこにある。
「万が一、強豪校に行ったら、また無茶して身体壊すかもしれん」
「そんなことは……」
「……だからな、受験勉強の間にしっかり体力づくりしよう。少しでも長く、バレーボールができるようにな」
たしかに、二度とバレーボールができなくなる――その恐怖は、今も胸に残ってる。
だったら、ピンチサーバーでもいい。
少しでも活躍できるように、工夫して身体を整えていこう。
「……先生、ありがとうございます」
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こうして俺は、強豪校の試験ではなく、病院からも近い高校――
あの、翔陽が行きたがっていた「烏野高校」を受験することを決めた。
そして――春。
俺たちは、ついに烏野高校に入学を迎えた。
父さんは通院の都合もあって、以前から夢だった喫茶店を開いた。
店の名前は『流星の絆』。父さんが好きな小説から取った名前らしい。
「なら、洋食屋にでもすりゃいいのに……」
そんなツッコミを心の中で入れながら、俺は商店街を歩く。
ふと信号前で、丸山の姿が見えた。
「丸山、おはよう」
「おはよう、星野」
軽く挨拶を交わして、二人並んで歩き出す。
舞い散る桜が、今日の入学式を祝っているかのようだった。
商店街の通りには、同じように烏野高校の制服を着た新入生たちが見える。
「それにしても、いよいよ高校生かぁ〜」
「まさか丸山が烏野に来るとはな〜。てっきり新山女子に行くと思ってたよ」
「確かにね。最後の大会でベスト4に入ったのは大きかったけど、あれは後輩セッターの力もあったし……。それに、私は“烏野女子バレー部を全国に連れて行く”のが夢なの」
聞けば、烏野の女子バレー部は東京オリンピックの頃に県大会2位まで行ったきり、長い間目立った成績が出ていないらしい。
数年前には男子が全国大会に出場――あの“小さな巨人”がいた時代の話だ。
どうやら、丸山のおばさんが、かつて烏野女子バレー部でリベロとして活躍し、その後社会人リーグでも名を馳せた選手だったという。
丸山はそのおばさんに憧れて、バレーボールを始めたのだそうだ。
「なら、俺か丸山で――いつか、ダブル全国大会出場してみようぜ」
「ふふっ、何それ。でも……いいね、それ」
「負けねぇーからな」
「私もよ、星野には絶対負けたくない」
互いに笑いながら、拳を突き出す。
ポン、と拳がぶつかる音がして、ふたりの気持ちは確かに交わった。
桜舞うこの道が――
まるで、俺たちの新しいスタートラインを示してくれているようだった。
次回からは烏野高校編になります