魔法先生ネギま!(裏)   作:Ahiru

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桜通りの魔法使い(裏)
1時間目 麻帆良学園


 2026年 4月7日 21:11

 

 桜舞う夜陰の中、ヒミナはじっと佇んでいた。

 

 その白い頬を生(ぬる)い風が撫でる。薄墨(うすずみ)色の髪が拡がり、顔にかかる。

 

 黒を基調としたヒミナの出で立ちは背後の夜に溶け、輪郭をぼんやりと滲ませていた。その姿はまるで幽鬼のようだった。往生を求めて此岸(しがん)を漂うだけの哀れな亡霊──あるいは、そこにいる理由も正体もあやふやで、理不尽に無差別に、ただ人を呪うだけの現代に創られた怪奇談に登場するような類の(あやかし)だ。

 

 そして、ヒミナは()()()()()()()()の少女と対峙していた。

 

 波打つ金髪、夜闇の中で爛々と輝く瞳に、襤褸(ぼろ)のような黒い外套。吸血鬼の少女の風貌は、ヒミナとはまた異なる怪異を連想させた。その渾名(あだな)の通り、墓場から蘇り、生者を襲って生き血を(すす)る不死の化け物だ。

 

 (あやかし)と吸血鬼──東と西の物の怪(もののけ)が夜の桜通りで睨み合っている。

 

「ちっ……面倒なやつに見つかったな」

 

 吸血鬼の少女は舌打ちし、不機嫌そうに言った。

 

「……随分と嫌われたようだな」

 

 ヒミナは淡々とした様子で応じた。

 

 そして、(そば)にあった自動販売機を右手で掴んだ。

 

 この街路を歩く人々のために設置された赤色の自動販売機だ。掴んだ位置はちょうどヒミナの肩の高さ。金属が歪み、ポリカーボネートが砕ける音と共に五指が自販機に食い込んで、300キロはくだらない長方体の()をヒミナは文字通りに掴んでいた。

 

 吸血鬼の少女が目を丸くした。

 

 自動販売機が持ち上がる。固定ボルトを弾き飛ばし、電源ケーブルを引き千切り──野球のサイドスローのようなフォームで、少女に向かって金属の塊が水平に投擲された。

 

〝氷楯〟( レフレクシオー)

 

 吸血鬼の少女は懐から取り出した小さなフラスコを投げ捨てた。

 

 フラスコから零れた紺色の液体──魔法薬の水沫が高速で飛来する自動販売機に触れた瞬間、なにもなかった空間に大量の氷が精製された。氷は結果として楯の役割を果たし、自販機の衝突を受け止める。自動車事故のような騒音が人気のない通りに響き渡った。

 

 金属片が舞い、ひしゃげたコーヒーやジュースの缶が次々に凍結する。氷の欠片が月光を反射してきらきらと輝いていた。

 

 ヒミナは表情を崩さない。間隙を挟まず、少女に向かって駆け出した。

 

 その二歩目。

 

「──っ!」

 

 踏み出したはずの右足をヒミナは強引に引き戻した。急制動が原因で踏鞴(たたら)を踏む。吸血鬼の少女が感心したような声を漏らした。

 

「足を絡め取ってやろうと思ったのだが……。この暗闇で()()が見えたのか」

 

 少女は手招きするかのように、人差し指を手前に動かした。

 

 しゅる、と微かな音がした。ヒミナの足元に迫っていた極細の糸が、ゆっくりと少女の手元に巻き取られていく。先ほど、ヒミナの右足は輪っか状に拡がった糸の中に踏み込んでいた。あとコンマ数秒でも足を引き戻す動作が遅れていれば、糸が絞られ、くくり罠のように足首を固定され、無様にもヒミナは顔から地面に激突していたことだろう。

 

 ヒミナは浅く息を吐いた。

 

「魔法薬の次は糸か。多彩なことだな」

 

「ひよっ子に褒められても嬉しくはないがな」

 

「褒めたのではなく貶したのだ。(くだん)の吸血鬼の正体が奇術師だとは考えてもみなかった」

 

 ひく、と吸血鬼の少女の頬が痙攣した。

 

「貴様、殺されたいのか?」

 

「それはこちらの口上だ。断っておくが、先に手を出したのは私ではないからな」

 

 ヒミナは緩く握った拳を前に突き出した。

 

 紫電が迸る。夜の帳を押し返すような、眩い電光がヒミナの体から滲み出た。雷は激情に(もだ)えて身を(よじ)り、少しずつ激しさを増していく。

 

「お前を討滅してやる」

 

 ばちん、と桜が弾ける音がした。

 

 ◆

 

 2026年 4月7日 10:13

 

 佐倉(さくら)愛衣(めい)は靴先で簀子(すのこ)を叩いた。

 

 ちょっと行儀が悪いとは思うが、資料の山で両手が塞がっているのだから仕方がない。トントンと木の板を蹴って、ローファーの履き心地を整える。

 

 簀子(すのこ)の上を歩む足音は軽快で小気味がよかった。鼻唄なんかを歌っちゃったりしつつ、整然と積まれたロッカーたちの(そば)を通り抜け、愛衣は第一昇降口から校舎の外に出る。その瞬間、眩い陽光が視界に飛び込んできた。

 

 目を細め、振り返って校舎を見上げる。

 

 ここは麻帆良(まほら)学園都市──埼玉県の麻帆良市に位置し、幼等部から大学部までのあらゆる教育機関が集う世界最大の学園都市である──その最奥の区画に築かれた複数ある女子校の一角、麻帆良学園女子中等部だ。

 

 欧州を参考にしたと言われる麻帆良学園の街景に合わせてか、あるいは総勢2000人を超える生徒を収容するために相当の建坪面積が必要だったためか、女子中等部の校舎はまるで西洋の公共建築のような外観をしていて、もちろんサイズも中学校の校舎としては規格外だった。重厚でクラシカルな意匠は、厳密な様式は異なれどアムステルダム中央駅のデザインとよく似ている。赤レンガ造りに白いコントラストが入った壁面の雰囲気なんてそっくりだった。

 

 校舎中央の塔に埋め込まれた時計の針が、10時を大きく回ったことを意味していた。

 

 もうこんな時間か、と愛衣は考えた。

 

 愛衣は女子中等部の1年D組に所属しており──明日の新学期からは2年D組だ──栗色の髪と花びらの形をした髪飾りが特徴で、真面目だがちょっと気の弱い性格の少女だ、と自分では思っている。

 

 明日が始業式なのだから、当然、今日はまだ春休みである。

 

 しかし愛衣は自分のクラスの担任教諭が抱えている雑務を手伝うため、休日にも関わらず学校に顔を出していた。もちろん学校指定の制服姿でだ。

 

 愛衣は麻帆良学園に所属する魔法生徒の一人だった。

 

 もちろん将来は『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』を目指している。『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』とは、世のため人のために働く、魔法世界で最も尊敬される仕事の一つだ。実力も()ることながら、振る舞いだって相当の高潔さや誠実さを求められる。だからこそ愛衣は、学校の授業や学園内のパトロールがない時はこうして人助けに精を出すことにしていた。

 

 ふと、両手で抱えた資料の重さを思い出した。

 

「えーと、この資料は別館に……」

 

 愛衣は視線を正面に戻した。別館はここから歩いて5分ほどの距離にある。

 

 女子中等部の校舎は橋桁(はしげた)のような基壇の上に建てられていた。基壇といっても二階建ての住宅くらいの高さはあって、この位置からでも女子校エリアの大半がオレンジ色の屋根と白い壁の建物で占められている様子がよくわかった。

 

 その時、からころという音がした。

 

 すぐ近くに着物姿の少女が立っていた。

 

「え……?」

 

 変な声が出た。まず、愛衣はその少女を精巧な造りの日本人形のようだと思った。美しいという意味でも、不気味で無機質だという意味でも。

 

 同い年くらいだろうか。首や手が細く、背も低い。150センチちょっとに見えるが、よく見れば底の分厚い草履(ぞうり)を履いているから、実際の身長は愛衣よりも低い気がする。一見すると喪服かと見紛うほどに真っ暗な烏羽(からすば)色の着物は部分的に白色の紋様が入っていて、帯にはちょっとした装飾も施されていた。(たもと)も随分と長い。たぶんこれは振袖だ。

 

 胸まで伸びた髪は墨汁を水で溶いたかのような薄墨(うすずみ)色で、瞳も同じ色。対照的に、肌は雪のように真っ白だった。

 

「あの……?」

 

 愛衣は恐る恐る、少女に声をかけた。

 

 いつからそこに立っていたのだろう。まったく気付けなかった。

 

 たぶん、この学校の生徒ではない。装いも奇妙だし、立ち姿を眺めるだけで名状しがたい違和感を抱く。雪女か座敷童か、どこぞの(あやかし)の類と邂逅したかのような気分になった。

 

「ここ、麻帆良学園女子中等部なんですけど……関係者の方ですか?」

 

 着物姿の少女がこちらを見た。

 

 湖面に映った夜を思わせるような瞳だった。深いし、とても暗い。感情らしきものが見えなくて、なにを考えているのかさっぱりわからない。愛衣の心臓がぎゅっと縮み上がった。

 

「……いや、違う」

 

 少女がこちらに向き直った。愛衣は思わず身構えた。

 

 からころ、と乾いた音がした。少女の履いた草履(ぞうり)が路面を叩いた音なのだと思うけれど、それにしても硬い音だった。草履(ぞうり)ってもっと柔らかい材質の履き物じゃなかったっけ。底が金属でできているのだろうか。

 

「少し尋ねても構わないか」

 

「い、いいですけど。なにを聞きたいんですか?」

 

「吸血鬼を探している。私はどこに行けばいい?」

 

「……吸血鬼?」

 

 愛衣は眉を(ひそ)める。

 

 まず最初に、魔法の巷間で暮らす人々にとって畏怖の象徴と化している、とある600万ドルの賞金首の姿を思い浮かべた。いや、あの史上最恐の極悪人は何年も前に〝サウザンドマスター〟によって()()()()()はずだし──そもそも中世はともかくこの現代で、現存している()()の吸血鬼の話なんて聞いたことがない。

 

 そう言えば、クラスメイトからこんな噂を聞いたことがある。

 

 満月の夜になると寮の近くの桜通りに血塗(ちまみ)れの吸血鬼──魔法や超常とは関係のない、()()()の方の吸血鬼だ──が現れ、無防備に出歩く女生徒たちを襲っているのだと。もちろん愛衣は信じていない。取るに足らない、ただの都市伝説の類だろう。

 

「桜通りのことなら、私たちが暮らしている学生寮の近くなのでずっと離れてますよ」

 

「……そうか」

 

 少女は無表情のまま、愛衣が指差した方角を見た。

 

 一体、吸血鬼になんの用だろうか。民話に登場するような怪異との遭遇を求めるなんて、その手の浮説でインプレッションを稼ごうとするインフルエンサーくらいだと思うのだが。

 

「ちなみに、なんで吸血鬼を探してるんですか?」

 

「噂を聞いてな。一度、この目で見てみたくなった」

 

「見て、それからどうするんですか? 写真を撮ってSNSに上げるとか?」

 

「本当に吸血鬼はいたんだな、と思うだけだ」

 

「……はぁ」

 

 愛衣はつい、間の抜けた声を漏らしてしまった。

 

「じゃあ、吸血鬼を探すならせめて夜の方がいいと思いますよ」

 

「なぜだ?」

 

「だって、こんな天気のいい日に吸血鬼は外を出歩かないんじゃないですか? 噂でも満月の()に出るって話ですし」

 

 着物姿の少女が表情を変えた。瞳を丸くし、わずかにだが驚きの色を滲ませている。

 

「……たしかに」

 

 その反応を見て、愛衣は気を緩めた。

 

 抜けているというか、涼しい顔をしているくせに意外と可愛らしいところがあるというか、この子の()()()()()を捉えることができたためだ。心の(うち)を表現することが普通の人よりも苦手なだけで、悪い子ではないのかもしれない。愛衣はそう結論づけた。むしろ、少しでも気味の悪さを感じてしまっていた自分のことを恥じた。

 

 吸血鬼ハンターごっこがなぜ女子中等部の敷地内への侵入に繋がったのかはいまいち判然としないが、この調子であればどうせただの迷子だろう。

 

「桜通りに行きたいんですよね。よければ駅まで案内しましょうか?」

 

「いいのか?」

 

 愛衣は笑顔を浮かべた。まだちょっと怖いけれど、人助けは望むところだ。

 

「あ、でもこの書類を先生に届けるまで待っててくださいね。あと、夜道はなるべく一人で歩かないように。吸血鬼がいるかはわからないですけど、危ないですから」

 

「わかった」

 

 少女は無表情で頷いた。そして、思い出したように口を開く。

 

「……駅と言ったが、どfのようにして電車に乗ればいいのかがわからない」

 

 愛衣は首を傾げた。

 

「電車の乗り方?」

 

「乗降場に入場するための装置があるだろう。腰ほどの高さで、いくつか並列しているものだ」

 

「……改札機のことですか?」

 

「あれはどういう仕組みなんだ。通過しようとしたら扉が閉まって阻まれた」

 

「……切符は買いました?」

 

「他の連中も買っていなかったぞ。装置を手で叩いている様子は見えたから──私も真似をしたつまりだったのだが。叩く位置が悪かったのだろうか? なぜか私だけが通れなかった。強さの問題かと考えて装置を執拗に叩いていると、駅員に囲まれてしまった」

 

「……もしかして30年くらい冬眠してました?」

 

 愛衣は呆れ顔を浮かべた。

 

「いつもはどうやって学校に通ってるんですか? 麻帆良(ウチ)は広いから、公共交通機関なしで通学するのって大変だと思うんですけど」

 

「私はここの生徒ではないからな。困ったことがない」

 

「あれ……? じゃあ、外から吸血鬼を探しにわざわざ……?」

 

「そうだ」

 

 少女は淡々と言った。

 

「欧州の片田舎の話であれば捨て置くが、噂の舞台が日本だったからな。──……()()()()()()()()()可能性が高いと踏んだ。だから気になった」

 

 その瞬間、愛衣の表情が固まった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 今の言い方は間違いない。そして、麻帆良学園の生徒ではないらしい。じゃあ一体何者だ。愛衣は紡ぐべき言葉を慎重に探した。

 

「……麻帆良の関係者の方では、ないんですよね?」

 

「違う」

 

「NGOやNPOに所属されているとか……?」

 

「違うと言っている」

 

 愛衣は唾を飲み込んだ。資料を抱えているせいで両手は塞がっているが、仮契約(パクティオー)カード──アーティファクトを顕現させるために必要なタロットカードサイズの魔法具──はすぐに取り出せる位置にある。じり、とローファーの踵が数センチほど後ろに下がった。

 

「申し訳ないんですけど、お名前と……所属を教えていただけますか」

 

 少女が目を細めた。

 

「……なにが言いたいんだ」

 

 この返答で、愛衣は確信を得た。少女は魔法の存在を認識しており、麻帆良学園の関係者でもなく、そして『現実世界』(ムンドゥス・ウェトゥス)で活動する魔法団体に属している様子もない。

 

 他に可能性は思い浮かばなかった。

 

 この子は()()だ。

 

「わ、私と一緒に、学園長のところまで同行してください。そこで詳しく話を聞きます」

 

 愛衣は焦燥を押し隠すように、無理して瞳を斜めに構えた。

 

「断る。従う理由がない」

 

「……力ずくでもいいんですよ?」

 

 そう言って虚勢を張るしかなかった。まだまだ修行中の身であるし、荒事に慣れているわけでもなかったが──『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』を目指す者として引き下がるわけにはいかない。せめて応援を呼び、到着までの時間を稼がなくては。

 

 少女は素っ気なく言い放った。

 

「やめておけ。声が震えているぞ」

 

 愛衣の顔がかぁっと熱くなった。

 

 資料の束を手放すと同時に、大きく後ろに跳躍して距離を取る。制服から取り出した仮契約(パクティオー)カードを(かざ)し、羞恥と動揺を振り払うかのように愛衣は叫んだ。

 

「〝来たれ(アデアット)〟!」

 

 手元にエニシダの枝で作られた魔法の箒(アーティファクト)が出現した。気を抜くとすぐに垂れ下がる自分の眉尻に叱咤し、愛衣は着物姿の少女を目いっぱい睨みつけた。

 

「佐倉愛衣、参ります!」

 

 対する少女は身構えもしなかった。

 

 彼我の距離は5メートルほど。愛衣は少女に箒を突きつけたまま、息を呑む。

 

 まずは、隙を作ろう。そして念話で応援を──()()()()と連絡を取り、あとは牽制を続けて時間を稼ぐ。悪くない作戦のはずだ。

 

 幸か不幸か、ここから見える位置に──校舎を囲っている前庭部に人影はなかった。大きな正面階段を下った先、基壇の前部に伸びた地上の広場もきっと同じく無人だろう。なんたって今日は休校日だ。職員室もここから離れている。衆人の前で魔法を行使することは御法度ではあるが、少しくらいであれば大きな音を立てても問題ないと判断した。

 

〝熱波〟(カレファキエンス)!」

 

 愛衣は箒を振り被った。少女はまだ棒立ちのままだ。

 

「〝武装解除(エクサルマティオー)〟!」

 

 足元をさっと掃き清める動作と共に、砂埃ではなく熱波が放たれる。地面に落ちていた大量の紙束が視界を覆うほどに舞い上がって、片っ端から燃焼し、消し飛んだ。こう見えて直接的な殺傷効果はなく、対象の服飾品を蒸発させて無力化するための非致死性魔法(ノン・リーサル・マジック)だった。

 

 多少は抵抗(レジスト)されるだろうけど、怯むくらいの反応は期待できるはず。

 

「えっ……」

 

 だが、高熱の空気が直撃したにも関わらず、少女はその場に平然と突っ立っていた。着物どころか髪一本さえも焦げていない。

 

 愛衣は唖然とした。

 

「なんでっ……なんの魔法……障壁……?」

 

「お前、魔法使いなのか」

 

 今さらのように少女が言った。まさか気付いていなかったのか。

 

「なんのつもりだ。私はただ道を尋ねただけだぞ」

 

「……見た目と発言が怪しいと感じました」

 

「失礼だな。日本人らしい(こしら)えをしているつもりなのだが」

 

「間違ってませんけど間違ってるんですよ。江戸時代の人じゃあるまいし」

 

 愛衣は箒を握る手に力を入れ直した。

 

「メイプル・メイプル・アラモード──」

 

 呪文始動キーを紡ぐ。威力の低い〝武装解除(エクサルマティオー)〟でダメなら、もっと高位の魔法だ。

 

 不審者が相手とはいえ、なるべく怪我を負わせないようにと気遣ってしまったことが失敗の要因だった。もっと強い炎で攻撃しないと、この子はたぶん大人しくしてくれない。

 

「──ものみな焼き尽くす浄火の炎、破壊の王にして再生の徴よ。我が手に宿りて敵を喰らえ」

 

 詠唱と共に、愛衣は箒の先端を少女に突き出した。

 

 すると、少女がこちらに肉薄してきた。

 

 愛衣の魔法を警戒する素振りも見せず、まっすぐに正面から突っ込んでくる。少女が左手を振り被った。なにかする気だ──いや、速いが問題ない。少女が愛衣に接触する寸前で、魔法の発動が間に合った。

 

〝紅き─(フラグランティア)─」

 

 箒から紅蓮色の焔が噴き出した。

 

 竜の息吹を彷彿とさせる炎の塊は、それこそ軍用の火炎放射器に近しい威力を誇る。至近距離で膨れ上がった炎熱の穂先を、少女は掌で受け止め──まるで空気の壁を掴んだかのように遅滞なく腕は振り抜かれ、その拍子に炎は四散して掻っ消えて──伸ばされた少女の左手が、愛衣の首を正面から掴んだ。

 

「ぁえっ……?」

 

 状況が理解できず、愛衣は箒を前方に突き出した姿勢のまま固まっていた。

 

 炎を素手で消された。懐に入られてしまった。

 

 ただ、ちっとも痛くない。愛衣の首を掴んでいる少女の五指に力が入っていないのだ。近距離に迫った薄墨(うすずみ)色の瞳が、じっとこちらを見据えている。

 

「あの……?」

 

 疑問を唱えた直後、愛衣の全身に強烈な衝撃が走った。ばちん、という音と共に、意志とは関係なく指先が硬直し、肩や尻が跳ね上がる。

 

 なにが起きたか推察する間もなく、愛衣は意識を手放した。

 

 ◆

 

 2026年 4月7日 10:37

 

「なんだったんだ、こいつは」

 

 ヒミナは愛衣を手放した。

 

 愛衣はぐにゃりと体を折って、力なく地に伏せた。目をバッテンにし、頬を地面に押しつけ、尻を高く突き出した姿勢のまま気を失っている。スカートが腰のあたりまで捲れ上がったせいで純白のぱんつが丸出しになっているが、それでも動く様子はなかった。アーティファクトである箒が白煙と共に消えていく。

 

 1分か2分か、ヒミナは沈黙していた。どうやら考えごとをしているらしい。

 

 やがて愛衣の栗色の髪を──頭の後ろで結んだ髪束の片側を掴むと、ヒミナは自身とそう変わらないであろう重さの少女をずるずると引き摺りながら歩き始めた。

 

 誰もいない校舎の前で、からころと足音が鳴る。

 

 その時だった。

 

 穏やかな春風が吹き、ヒミナの薄墨(うすずみ)色の髪がふわりと持ち上がった。

 

 そして、杖に跨った少年がヒミナの目の前に舞い下りた。歳の頃は10歳くらいだ。欧州系の顔立ちで、小さなメガネを鼻の上に乗っけた、利発そうな雰囲気の少年だった。触覚のように伸びた赤毛が頭の上で揺れている。

 

「あの……」

 

 少年は杖から降り、ヒミナに声をかけた。

 

「ぼく、この麻帆良学園女子中学校の関係者で、ネギ・スプリングフィールドって言います」

 

 ネギと名乗った少年は、警戒の色を浮かべてヒミナを睨んでいた。

 

「あなたは何者ですか?」

 

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