魔法先生ネギま!(裏)   作:Ahiru

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3時間目 女子中等部へいらっしゃい

 2026年 4月7日 11:11

 

 タカミチは苦戦していた。

 

 心理的な影響もある。目の前で対峙するヒミナは、どうがんばっても13歳かそこらの女の子にしか見えない。基本的には無愛想だし、ちょっと表情に変化があったと思えば(しか)めっ面とかそんなのばかりだけれど、笑顔を振り撒くことができればきっと老若男女の心を陥落させると思う。それくらい愛らしい顔立ちをしている。そのヒミナを三十路の煙草(たばこ)臭いおっさんが殴り倒そうとしているのだ。気が重いのも当然だろう。

 

 それに、タカミチの攻撃手段に制限が課されているせいでもある。

 

 ヒミナとの戦闘の舞台になっている展望台を覆うようにして、一般人を遠退(とおざ)けるための忌避魔法が展開されている。しかし、その直径はおよそ50メートルほど。実はこの公園の全域をまったくカバーできていない。時間にも人員にも余裕がなかったからだ。

 

 タカミチが大技を放てば、間違いなく()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だから、最初から出力を抑えた状態で戦うしかなかった。

 

 それに──

 

「ぐっ……!」

 

 数度目の交錯だ。タカミチは辛うじてヒミナの蹴りを(かわ)した。

 

 どこか気品のある見た目に似合わず、ヒミナは近接戦を好む。その理由は単純で、ヒミナの身体能力が至近距離での殴り合いに適しているからだ。

 

 タカミチが拳を放った。姿勢は崩れていたが、それでも巨岩を砕くほどの威力を孕んでいる一撃のはずだった。その打ち下された拳を、ヒミナは易々と肘で()ち上げた。軌道が逸れる──程度ではない。右腕が頭の上まで弾き飛ばされた。

 

 無防備に晒されたタカミチの腹に、ヒミナがそっと手を置いた。

 

「ぐおっ……!」

 

 全身に稲妻が走った。意識とは無関係に体が硬直する。

 

 思わず後方に蹌踉(よろ)めいたタカミチを、ヒミナがそのまま押した。突き飛ばしたのではなく、掌をタカミチの腹に乗せたまま、真下に押し付けるようにヒミナが体重を乗せた。

 

 体がバラバラになったかと思うほどの衝撃が走った。

 

 砕けた石畳と大量の土砂が何メートルも舞い上がって、周囲の地面が激しく隆起する様子が見えた。いや、これは背中から叩き付けられたタカミチごと足場が大きく陥没したのか。胴体が千切れた気がする。(くわ)えていたタバコもどっかに飛んでった。

 

「────────────ッ……が、あ……!」

 

 無茶苦茶な膂力だ。

 

 掴めば折れてしまいそうな細腕のくせに、大型の油圧ショベルを相手に腕相撲を挑んだとしてもヒミナが勝つんじゃないだろうか。というか、単純な馬力であれば『咸卦法(かんかほう)』を発動しているタカミチよりも間違いなく上だ。

 

 しかも、体から断続的に這い出ている雷がまた厄介だった。

 

 少しでもヒミナに触れようものなら、まるで蛇の尾っぽを踏んづけたかのような反射速度で雷が牙を剥いてくる。

 

 たぶん、愛衣(めい)はこの雷に噛まれて昏倒したのだろう。タカミチの全身を鎧のように包んでいる淡い発光体──咸卦(かんか)の気を容易に貫通してくるほどの殺傷力があるから、いくら訓練された魔法使いであっても、ネギのように雷の属性に対する耐性を有していない限り、障壁を展開していない状態で不意を突かれると一撃で意識を刈り取られる気がする。

 

 仰向けになって地面に埋まったタカミチを、ヒミナがひょこっと覗き込んできた。

 

「私の勝ちでいいか?」

 

「げほっ。……いやぁ、まだまだ……」

 

 タカミチは腹を(さす)りながら笑った。幸い、体は繋がっていた。

 

「……よくわからん」

 

「なにがだい?」

 

「この期に及んで、まだ手を抜いているだろう。自殺志願者にしか見えんぞ」

 

 ヒミナは訝しげに眉間を寄せていた。

 

「はは……ぼくも本気を出すつもりだったんだけどね。やっぱり難しいみたいだ」

 

「……私を子供扱いしているのか?」

 

 ヒミナの顔がより険しくなった。見縊(みくび)られていると感じたのだろうか。その様子が可笑しくてタカミチは吹き出してしまった。

 

「そりゃあそうさ。ぼくは先生なんだ」

 

 タカミチは寝転がったままポケットに両手を突っ込んだ。

 

「子供のことが好きじゃなければ、こんな仕事を選んじゃいないよ。ヒミナくんのような可愛らしい子を相手に本気を出すってのは、ちょっと心が傷んじゃうな」

 

「いい加減にしろ。私は──」

 

「それに、ぼくが躊躇(ためら)っていたのは水平に技を打つことに対してさ。突貫で準備したから忌避魔法の範囲が狭くてね。実のところ、ここの展望台の周辺くらいしか覆うことができていない。ぼくが本気で打てば、拳が()にまで届いてしまう」

 

 ヒミナが気付く。もう遅い。

 

「だから真上になら問題はない」

 

 スーツのポケットを鞘代わりに、右手を引き抜く。

 

 タカミチの『咸卦法(かんかほう)』──時に究極技法(アルテマ・アート)とさえ称されるこのスキルは、本来は並存できない『魔力』と『気』を合一することにより、そのエネルギーを爆発的に増大させ、術者の肉体強度と身体性能を極限にまで強化する。その伸長率は凄まじく、1の『魔力』と1の『気』を足して5や10にまで昇華させる。

 

 結果、タカミチの拳は大砲に比喩されるほどの衝撃波を伴って垂直に放たれた。

 

 この技の名は〝豪殺居合い拳(ごうさついあいけん)〟。

 

 射程と規模と威力が何十倍にまで跳ね上がった不可視の拳撃だ。例え最新の複合装甲を搭載した戦車であっても真っ向から叩き潰すことができる。

 

 ヒミナがいくら硬くとも、さすがにこの技は()()はずだった。

 

「……っ!」

 

 ヒミナが頭を引いて、後ろに跳躍した。

 

 片手をつき、空気の上をがりがりと滑りながら着地する。その()()()()()()は大きく斜めに(かし)いでいた。それほど慌てて飛び退いたということだろう。まるで不意の音に驚いて飛び跳ねた猫みたいな挙動だった。

 

 タカミチは瓦礫を押し除け、ゆっくりと起き上がる。

 

「よかった。これも効かなかったらどうしようかと思っていたよ」

 

 ヒミナは警戒の表情を浮かべていた。その額から血が流れている。頭を掠めたらしい。どうやら無事に貫けたようだ。

 

「……盲目だな。致命までは至っていないぞ」

 

「だが隙は生まれた」

 

 魔力を足に集約させ、タカミチは地を蹴った。

 

 空中で静止するヒミナよりも高く、地上10メートルほどの位置まで一息で跳躍する。要した時間は一瞬間(いっしゅんかん)──文字通りの瞬きの間だった。

 

 縮地──または瞬動術と呼ばれる魔法使いの歩法だ。

 

 使い手にもよるが、ほぼ直立状態の姿勢からコンマ一秒にも満たない時間で遷音速(せんおんそく)の領域まで加速することができる。ヒミナの目には、損傷したフィルムを繋ぎ合わせた映像のように、タカミチの姿が一瞬だけ抜け落ちて映ったかもしれない。

 

 タカミチはポケットの中に収めた拳を強く握った。

 

 ヒミナは姿勢を崩しているから、すぐには動けないはずだ。それに、真下への軌道の攻撃であれば気兼ねする必要がない。

 

 先ほどは寝転がったまま上半身の力だけで打ったせいで、拳速が充分ではなかった。今度は腰を入れて思いっきり振り抜くことができる。その結果、この一帯には隕石が落ちてきたみたいな破壊痕が残るだろうし、展望台の付近はしばらく立ち入り禁止になる気がするけれど、その件については後で学園長に頭を下げよう。

 

 そうしてタカミチは、本日二発目の〝豪殺居合い拳(ごうさついあいけん)〟を放とうとした。

 

 だが、ヒミナと視線が合った。

 

 タカミチはぎょっとする。ヒミナの頭上に、つまり死角に回ったつもりだったのだが──瞬動術の動きを目で追われた。しかも、小さな掌がこちらを捉えている。雷を放ってタカミチのことを撃ち落とす気だ。

 

 まずい。ヒミナの方が速い。

 

「〝(なる)──」

 

 かくなる上は、禁じ手だ。タカミチは明後日の方向を指差して、大声で叫んだ。

 

「あっ! あんなところに吸血鬼が!」

 

「なんだと」

 

 ヒミナは素直に振り返った。当然、そこには誰もいない。

 

 ごめんねと心の中で呟きながら、タカミチは全力で拳を振り下ろした。

 

 ◆

 

 2026年 4月7日 12:05

 

 タカミチはどうにかヒミナの連行に成功した。

 

 簀巻(すま)きにされたヒミナは、今は学園長室の床に転がっていた。

 

 全身はボロボロだった。せっかくの白い肌には無数の擦り傷が刻まれている。子供に怪我を負わせてしまったと考えると心苦しいが、あの一撃をまともに食らっておいてその程度のダメージで済んでいる方が驚きだ。

 

 タカミチなんて、ヒミナに蹴られた左肩が痛くて堪らない。たぶん鎖骨が折れている。おかげで後半はずっと右腕一本で戦っていた。

 

「……ただの油断だ。次は覚えていろ、必ず殺してやるからな」

 

 着物姿の聞かん坊はとても不機嫌そうな顔でタカミチを見上げていた。

 

 卑怯な手で敗北を喫したわけだから、まぁ怒るのも無理はない。それでも負けは負けだと、大人しく学園長室まで同行はしてくれた(念のために縄でぐるぐる巻きにさせてもらったが)。そんな素直な性格だからこそ、あんな陳腐なやり口に引っかかったのだろうけど。

 

「はは、勘弁してくれ。ぼくも若くないんだ」

 

 タカミチは困ったように笑った。

 

 2人の正面には豪奢な机があって、そこには部屋の主が座っていた。近衛(このえ)近右衛門(このえもん)──ふさふさの白い眉毛と髭を蓄えた高齢の男性で、まるで瓢箪のように伸びた禿頭(とくとう)が特徴的だった。麻帆良(まほら)学園の学園長であり、つまりこの学園都市の中で最も偉い人物だ。

 

 ちなみに、ここは麻帆良学園女子中等部の校舎の中にある学園長室だ。

 

 麻帆良学園のトップの執務空間が置かれているからと言って、女子中等部がこの学園都市において最も中央的な学校機関──というわけではなく、学園長室はあちこちの学校に点在する形でいくつも用意されていた。理由は単純で、広大な敷地面積を誇る麻帆良学園すべてを監督・運営する上で、拠点が限定されていると不都合な点が多いというだけだ。この部屋も、そんな数ある学園長室の1つに過ぎない。

 

「ふぉふぉ。初めましてじゃの、ヒミナちゃん」

 

 学園長が楽しげに喉を鳴らした。

 

「さっそくじゃが、麻帆良学園にやってきた目的をお聞かせ願おうかの」

 

 ヒミナは不服そうに顔を(しか)めている。タカミチが(いさ)めた。

 

「ヒミナくん」

 

「……私は吸血鬼を探しにきた」

 

「ふむ」

 

「昨年の晩夏からこの都市で目撃されているという噂を聞き、それを調べにきた」

 

 タカミチと学園長は顔を見合わせた。

 

「たしかに、女子中等部の生徒を中心にそんな噂があると聞いたことがありますね。満月の夜になると生徒を襲うとかなんとか……」

 

「ふーむ、まさかのう」

 

「しかしここ数年、彼女は大人しかったでしょう? なぜ今になって……」

 

 たしかに麻帆良学園に吸血鬼は()()()()

 

 正確には、およそ15年前から強力な魔法の力によってこの土地に囚われ、女子中等部の生徒として学園生活を送っている。たしかに魔法の解呪や脱走などを試みていた時期はあったものの、少なくともこの数年間は目立った悪事を働いていないはずだった。だからタカミチは、桜通りの噂を耳にしてもよくある都市伝説だと頓着していなかった。なんせ()()は、依然として()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 

「なにか知っているのか?」

 

 ヒミナが口を挟んだ。いつの間にか上半身を起こしている。

 

「こっちの話じゃよ。……そうじゃ、ヒミナちゃんにもう一つ確認しておきたいことがある。この件は、正式な異端審問院(いたんしんもんいん)からの派遣と捉えてもよいのかの?」

 

 ヒミナはすぐに答えなかった。

 

 学園長は嘆息を吐き、懐から紙切れを取り出した。A4サイズの紙には、仏頂面でカメラを睨むヒミナの顔がカラーで印刷されていた。服装や身体的特徴まで丁寧に書かれており、写真の上には大きなフォントで『MISSING CHILD』とあった。

 

「やはりのう。チラシが回ってきておったよ。見つけたら連絡をくれじゃと」

 

「私は迷子の猫かなにかか」

 

 ヒミナは眉間に皺を刻んだ。

 

「……もう院は辞めた。2年も顔を出していない」

 

「向こうはそう思っていないということじゃよ。この手配書も生きておるし」

 

 学園長はチラシを折り畳み、机の上に置いた。

 

「まぁええわい。ところでヒミナちゃん、ウチの学校に通ってみんかの」

 

「なんだと?」

 

「さすがに異端審問院からの要請を無視はできん。ワシはこの後、ヒミナちゃんを見つけたと先方にDMを送るつもりじゃ。じゃが、ヒミナちゃんがウチの生徒であればその必要もなくなる。ウチの生徒の如何に対し、審問院なんぞが口出しする権利はない。もちろん、学費は要らんよ。衣食住も保証する」

 

 ヒミナはタカミチに視線を移した。表情がわかりにくいが、どうやら困っている様子だ。

 

「……正気か?」

 

「正気だよ。この方はこう見えて聡明な人だ」

 

「タカミチや、遠回しにワシをディスってない?」

 

 渋面を作るヒミナの頭に手を乗せて、タカミチは微笑んだ。

 

「元々、ヒミナくんを勧誘するつもりでぼくはきみに会いに行ったんだよ」

 

 正規の手順を守らずに麻帆良学園に踏み入った者がいると、タカミチのスマホに連絡があったのが今日の朝。都市の全域には侵入者を感知するための結界が張り巡らされているから、監視役である麻帆良の()()()が異常に気付いたのだ(寝起きのためか、電話越しに聞こえるその警備員の声はとても苛立っている様子だった)。

 

 タカミチはすぐに現場に急行した。そこでヒミナを見つけた。

 

 その場でヒミナを呼び止めることはせず、タカミチはまず学園長に電話で相談した。そして中等部に編入させてみようという話になった。

 

 ただ、タカミチはヒミナの性格をある程度は知っていた。きっと一悶着が起きると思った。だからこそ他の魔法先生の協力を募って、荒くれの侵入者をできるだけ無血で制圧するための舞台を用意しようと考えた。下準備を終え、改めてヒミナの元に戻ってきた時は焦った。いつの間にか魔法生徒の1人を失神させているし、あまつさえネギのことを殺──いやまぁ、痛めつけようとしていたからだ。

 

「私に学校へ通えと言うのか?」

 

 ヒミナがじっとこちらを見上げている。

 

 タカミチが頭に触れても、ヒミナは拒絶する素振りを示さなかった。だからつい、髪の質感を確かめるように輪郭に沿って指を滑らせた。絹みたいな手触りだった。

 

「2年間、世界を放浪してみてどうだった?」

 

「……それは」

 

「面白くなかっただろ? 1年で構わないから、騙されたと思って平凡な学生生活を経験してみるといい。意外と悪くないものだよ」

 

 腹まで伸びた白髯(はくぜん)を撫でながら、学園長が続いた。

 

「吸血鬼の件については好きに動いてくれて構わんよ。もちろん我々も調査を進めるが、元とはいえ異端審問院の一員に協力が期待できるのであれば心強い。ワシらにとっても、ヒミナちゃんがウチの生徒として学園内に留まってくれた方が助かるんじゃ」

 

「……たかが噂だ。仮構の危機に備えるためだけに、審問院に追われている私をわざわざ受け入れるとは思えん。他になにか目的があるんじゃないのか?」

 

「ふぉふぉ、タカミチが言わんかったかの」

 

 学園長は悪戯っぽく笑った。

 

「子供のことが好きでなければ、我々は教師なんぞやっておらんよ」

 

「……むう」

 

「ただし、入学には条件が2つある」

 

 タカミチはヒミナの頭を軽く叩いた。

 

「1つ、魔法使いのルールは守ること。一般人の前でむやみやたらに超常の力を行使することは厳禁だって知ってるだろ? 今日みたいになんでもかんでも暴力で解決しようとするのはダメだ。弱い者いじめも、公共の物を壊すこともいけないって審問院で学ばなかったかい? 子供扱いされるのが嫌だったら、これから常識をしっかり学ぶんだ」

 

「私は魔法使いではない。それに、降りかかった火の粉を払ってなにが悪い。向けられた杖の先をただ眺めていろとでも言うのか」

 

「振り払い方ってものがあるだろ。対話という方法もある」

 

「殴って杖をへし折った方が早いだろう」

 

「道徳って知ってるかな」

 

 人を殴っちゃいけませんという市井の常識くらいは教えておいて欲しかった、とタカミチは異端審問院の面々に対して内心で恨み言を吐いた。

 

「2つ目じゃが──ネギくんの力になって欲しい」

 

 学園長が椅子から立ち上がって、こちらに近付いてきた。

 

「……(ねぎ)?」

 

 ヒミナがこっちを見てきた。タカミチは苦笑する。

 

「今日、会っただろ。きみが雷で焼き殺そうとした子だよ」

 

「……あの赤毛の子供か」

 

 学園長はヒミナの前で立ち止まった。

 

「ネギくんはまだ幼いが、麻帆良(ウチ)の女子中等部で先生をやっとる。『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』になるための修行としてな」

 

「それがどうした。なぜ私の助力が必要になる」

 

「『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』になるための道は容易ではない。ネギくんにはこれから、数々の艱難(かんなん)が訪れるじゃろうて。それは己で乗り越えるべき障害ではあるが──彼がまだ9歳の子供であることも事実。1人では対処できん問題に巻き込まれることもある。そんな時、ヒミナちゃんがネギくんのことを助けてやって欲しいんじゃ」

 

「まるで見てきたような物言いだな。あの少年の人生が波瀾に満ちていると」

 

 学園長は即答しなかった。

 

 床の上に座り込んだヒミナと目線を合わせるように、膝を抱えてしゃがみ込む。白い眉の下から覗いた黒目がきらきらと輝いていた。茶目っ気があって、それでいてなにもかもを見透かしたかのような深い色の瞳だった。

 

「生い立ちが生い立ちじゃからのう。これはある意味での予言じゃよ」

 

 そう言って学園長は笑った。

 

「ということでヒミナちゃんには、ネギくんのクラスに編入してもらおうと考えとる。近くにおった方がなにかと支えやすいじゃろ」

 

 ヒミナは沈黙した。

 

 迷っているのだろう。さっきからずっと難しそうな顔をしている。

 

 でも、きっと承諾してくれるに違いない。異端審問院を離れたヒミナがなにをしていたのか、タカミチは風の噂で知っている。砂を噛むだけの2年間だったと聞いた。たぶん、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだろう。この子はそういう子だ。だからこそ学園長とタカミチは、ヒミナに学園生活を体験して欲しいと考えた。

 

 こちら側の申し出を受ければ、少なくとも無味乾燥な日々から脱却はできる。ヒミナにとっても悪い話ではない。固辞する理由は見当たらないと思う。

 

 十数秒は無言が続いただろうか。

 

 ばちんと音がした。烏羽(からすば)色の着物を締め付けていた縄が幾等分にも断たれて床に落ちる。雷で焼き切ったらしい。学園長が目を丸くしている。ヒミナは立ち上がり、尻の埃を何度か手で払う。そして渋々といった様子で首を縦に振った。

 

「……わかった。条件を呑む」

 

「ほっほ」

 

 学園長は嬉しそうな笑顔を向けた。

 

「だが、女子中等部と言ったな? 私が籍を置いて構わないのか?」

 

 ヒミナはまだ眉を曲げていた。

 

「そうじゃよ。たしかにヒミナちゃんはちょっと幼く見えるからの。ネギくんのクラスは明日から中等部の3年生じゃし、少し違和感はあるかもしれんが……問題はなかろう。あのクラスには小学生や大学生にしか見えん子もおる」

 

「そうではない」

 

「ほ?」

 

 学園長は首を傾げた。

 

()()()()()

 

「えっ」

 

「えっ」

 

 学園長は驚いていたが、タカミチも驚いた。

 

「ご、ご存じではなかったんですか?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()として、昔から界隈ではヒミナの見目が良くも悪くも有名だった。だから性別は承知の上で、ネギとの親睦を期待し、あえて女子中等部への編入を提案したものだとタカミチは思っていたのだが……。

 

「え、える……LGBTQぷらすというやつかの」

 

「よくわからんが恐らく違う」

 

「いやいやいやいや、ワシは騙されんぞ。その顔で男は無理がある。愛らしすぎるわい」

 

「失礼な老骨だな。この顔は生まれつきだ」

 

「ではなぜ髪を伸ばしておる。男にしては瀟洒(しょうしゃ)が過ぎるのではないか?」

 

「整髪が面倒なだけだ。お前だって禿頭(とくとう)以外は伸び散らかしているだろう。まずはその髭を切り落としてから物を言え」

 

「それになぜ一人称が()なんじゃ。声も高いし、やっぱり女の子なんじゃろ?」

 

「日本語として破綻はしていないだろう。自らを指して()と呼称する男をよく見るぞ」

 

「それはスーツを着たサラリーマンとかだから変じゃないの! 誰じゃ! ヒミナちゃんに日本語を教えたやつは! せめて()()と呼ばせんかい!」

 

 学園長はまだ疑っている様子だった。悪質なジョークだとでも考えているのだろうか。街中を飛んでいる鳩はすべて政府のスパイ機械だという話を聞かされたかのような顔で、苦笑するタカミチのことをじっと見つめてきた。

 

「マジで?」

 

「マジです」

 

 タカミチは頷いた。

 

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