魔法先生ネギま!(裏)   作:Ahiru

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4時間目 いざ女子寮

 2026年 4月7日 13:14

 

 けっきょく、ヒミナには麻帆良(まほら)学園女子中等部に編入してもらうことになった。

 

 性別が男の子であることは承知の上で、だ。

 

 学園長は苦悩していたものの、背に腹は代えられないと判断したらしい。それほどネギとヒミナを引き合わせたいのだろう。タカミチも賛成の立場だ。『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』を目指すネギにとってヒミナの後援はきっと役に立つはずだし、そもそもヒミナのクラスメイトは()()()()()()()()()()()()()()()がある。

 

 タカミチは隣を歩くヒミナの姿を見た。

 

 肌が真っ白だった。だから、対比として暗い色の瞳がよく映える。

 

 目つきは鋭いが、瞳そのものは大きくて丸い。眉は細く短く、ついでに睫毛がめっちゃ長い。つくづく男の子には見えないし、それに──

 

「なにを見ている」

 

 視線に気付かれたらしい。烏羽(からすば)色の着物を纏った編入生は正面を向いたまま言った。

 

「いやぁ、きみがクラスメイトたちと仲良くできるか心配でね」

 

「なぜ親しくなる必要がある」

 

「……学友だよ。まさか卒業まで彼女たちと口を利かないつもりかい?」

 

「学校とは読み書きや計算を学ぶための教育機関だろう。同輩と交流を深めることで、記憶力や理解力などの効率化が期待できるものなのか?」

 

「……」

 

 タカミチは額に手を当て、深く息を吐き出した。

 

 今さらだけど心配になってきた。ヒミナは中等教育を受けたことがないはずだから、いきなり中学3年生の教科書を渡されても色々と苦労するだろうし、授業外でのフォローが必要だとはもちろん考えていたが──……記念すべき第1回目の補習内容はもう決まった。近くの幼稚園から『友達と仲良くしましょう』みたいなテーマの絵本を借りてこよう。

 

「さて、ここが女子中等部の女子寮だ」

 

 気を取り直して、タカミチは目の前の建物を見上げた。

 

 一般的に寮といえばアパートやマンションのような外観を想像するものだが、この女子寮は近代ヨーロッパ風の校舎のような見た目をしていた。薄砂色の外壁に、赤茶色の瓦屋根。年季の入った色合いで、窓は多いがベランダはない。

 

 そして建物の数は1つではなかった。形や大きさは違えども似たような色調の棟が複数、中庭を変則的に囲むようにして回廊で繋がっている。

 

 麻帆良学園女子中等部は()()()()()を除いて全寮制だ。そして同校は一学年につきおよそ30人のクラスがA〜Zまで存在する。つまり、必然的に2000人以上の生徒を収容可能な()が求められる。その上、大浴場や寮生食堂、果てはCO―OPの支店に展示ホールなどなど、寮内にある施設も生徒数と比例するようにサイズが増す。結果として、そこらの大学キャンパスに匹敵する棟数と敷地面積を有する学生寮群が完成したというわけだ。

 

 タカミチとヒミナが立っているのは、そんな女子寮の中庭だ。

 

 (まば)らに木が植えられ、よくわからない石のオブジェなんかも置かれていた。ちらほらと生徒の姿もあった。何人かが遠目から物珍しそうな視線をヒミナに向けている。

 

「ヒミナくんには今日からここで暮らしてもらう」

 

「そうか」

 

「きみの部屋は661号室だ。1人部屋なんだが、ちょうど空室でね。ただし家具はほとんど揃っていない。学園長が後で手配してくださるそうだけど、それまでなんとかなりそうかい?」

 

「構わん。屋根と壁があるだけで充分だ」

 

 ヒミナは大きなキャリーケースを引いていた(駅前のコインロッカーに預けていたらしい)。中には替えの着物など、最低限の生活用品が入っているようだ。

 

「ああ、あと大浴場は使っちゃダメだよ」

 

 タカミチはぴしゃりと言い放った。

 

 いくらヒミナの面立ちや体型が女子にしか見えないとはいえ、人前で全裸になればさすがにエクスカリバーの有無で性別がバレる。教員のタカミチでさえ滅多と立ち入ることが許されない女の花園にあろうことか男の子が入寮したと発覚した日には、PTAと報道部が怒涛の勢いで職員室に押しかけてくること請け合いだろう。

 

「風呂に入るなと言うのか」

 

「部屋に備えつけのシャワールームがある。きみはそっちで我慢してくれ。いいかい? 書類上はヒミナくんの性別を女の子ということにして手続きを進めるつもりだ。わかるだろ? 編入先は麻帆良()()中等部なんだ。きみには女の子として振る舞って欲しい」

 

「なぜそんな面倒なことを……」

 

 ヒミナは露骨に嫌そうだった。

 

「編入先を指定したのはお前たちだろう。それに、入校者を性別で区分する習わしがあるということは、男だけが在籍する学校も存在するのではないのか? 私はそちらでも構わないのだが」

 

 タカミチはヒミナの頭から爪先までをじっくりと眺めた。

 

「いや、ヒミナくんを男子校に入れるのはそれはそれでまた別の問題が……」

 

「……どういう問題だ」

 

「2年前まで、ヒミナくんも異端審問院の宿舎で同僚たちと共同生活を送っていただろ。あそこは軍隊みたいな感じだから。その時、同性から着替えやシャワーなんかを覗かれたことはなかったかい? ベッドに潜り込まれかけたことは?」

 

「最初の頃はあったが、余りにも辟易してな。雷で焼き殺すようにしていたらいつの間にかその手の闖入(ちんにゅう)はなくなった」

 

「そういう問題が起きるんだよ」

 

 やれやれ、とタカミチは(かぶり)を振った。

 

「いずれにせよ、大浴場は禁止だ。あと下着にも注意してくれよ。明日、始業式が終わった後に身体測定がある。他の生徒と一緒の部屋で着物を脱がなきゃいけない。体育の授業前もそうだね。とにかく性別がバレないように徹底して欲しい」

 

「……それは無理がないか? 人前で肌を晒す必要があるのだろう」

 

「大丈夫だよ。ヒミナくんの腰は細いし、お尻も──……いや、まぁその教室の隅っこで壁と向き合ったままサッと着替えれば誰も気付かないさ」

 

「……善処する」

 

 ヒミナは無表情のまま頷いた。

 

 本当にわかっているのかそうではないのか、いまいち判然としない。ともあれ、タカミチには本人の良識を信じて委ねることしかできないのだが。

 

 まぁヒミナは下着姿の女の子を見て鼻の下を伸ばすタイプではないし、そもそも異性に対して関心がないはずだ(だから学園長もタカミチも、思春期の男子と女子を()い交ぜにすることによる情事については心配していない)。そのため、素っ裸でも目撃されない限りは周囲に性別がバレることはないと思うのだが……。

 

「あっ、タカミチ!」

 

 その時、赤毛の小さな少年が──ネギ・スプリングフィールドがこちらに駆け寄ってきた。

 

「ちょうどよかった、あの後どうなったか聞きたくて──」

 

 ネギはいきなり急ブレーキをかけた。どうやらタカミチの体が視線を遮って、死角に立っていた着物姿の同伴者が見えなかったらしい。

 

 顔が強張っている。ヒミナのことが怖いのだろう。

 

 仕方のない話だ。中等部の校舎前で、ヒミナはネギに対して明確に毀傷(きしょう)の意思を示している。敵なのか味方なのかを考え(あぐ)ね、距離を取って警戒するのも無理はないと思う。こちらの思惑や事情についてまだなにも説明できていないし。

 

 ──いや、きっとそれだけじゃない。

 

 タカミチは改めてヒミナの横顔を眺めた。

 

 風に吹かれ、胸まで伸びた薄墨(うすずみ)色の髪が揺れている。ちょっといい匂いもする。なんとなくだが桜餅の香りを連想した。

 

 烏羽(からすば)色の着物は所々が(ほつ)れ、また色褪せていた。タカミチとの交戦が原因で生地が擦り切れてしまったせいだ。ただ、その肌に傷は残っていない。風致(ふうち)公園での戦闘がおよそ2時間前。土汚れや出血の痕はあるものの、擦傷も挫傷も、少なくとも目に見える位置にあった傷は早くも塞がってしまった様子だった。

 

 そして、その顔立ちは驚くほどに整っている。

 

 決してポジティブな意味ではない。精巧が過ぎるがゆえに、見る者に作為的な異物感を、血の通っていない人形がヒトの振りをしているかのような気味の悪さを抱かせる。

 

 つくづく男の子には見えないし──人間にも見えない。

 

 恐らくは多くの者が、ヒミナと対峙すればなにかがおかしいと眉を(ひそ)めるはずだ。動いているのに、喋っているのに、感情の色が表情にも声にも滲まない。目の前のこれは本当に()()なのか、自分が対峙している相手は傀儡(くぐつ)絡繰(からくり)の類ではないのか、そんな疑念に襲われる。タカミチだって初めてヒミナを目にした時は同じようなことを考えた。考えてしまった。

 

 戦闘の修練を積んでいる人間──まだまだ未熟とはいえ、他者の魔力や気配を読み解くことができるネギや愛衣(めい)にとって、ヒミナの存在はなおさら異質に映ったことだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 魔力の感知ができない一般人であっても、形容しがたい違和感にだけは気付く。適当な学校にヒミナを放り込んだとして、きっと誰も近寄ろうとはしないはずだ。間違いなくこの子はクラスの中で孤立する。羽を染めて正体を偽った(からす)が鳩の群れに混ざったかのように。

 

 それでは意味がない。

 

 だから、()()()()じゃないとダメなのだ。

 

 ヒミナを受け入れることができる人の輪がこの麻帆良学園にあるとすれば、それは底抜けに能天気で、眩いほどに明るく、どこまでも善良な生徒たちが(ひし)めく、あのクラスだけだ。

 

 そしてネギはあのクラスの──3年A組の担任教師である。

 

 ドタバタとして騒がしいけれど、それでいてなによりも尊い学校生活という安寧に──日本のような先進諸国では特に忘れられがちだけれど、決して当たり前ではない──とても特別な()()()()()とヒミナを結ぶ役割は、この幼いけれど優秀な『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』の卵にしか担えない。生徒たちにとって、先生とは(かすがい)なのだから。

 

 がんばってくれよ、とタカミチは声に出さずに呟いた。

 

 ◆

 

 2026年 4月7日 13:27

 

「……ヒミナ、さん?」

 

 恐る恐る、ネギはその少女の名を呼んだ。

 

 薄墨(うすずみ)色の髪と瞳、真っ暗な着物と草履(ぞうり)に、蝋でできた人形のような冷たい表情。今朝、女子中等部の昇降口前で邂逅した少女だ。名前はたしか──ヒミナだ。そう名乗っていたし、タカミチもそう呼んでいた。

 

 ヒミナはなにも喋らない。じっとこちらを見つめている。

 

「えっと……」

 

 ネギが繋がる言葉を探していると、タカミチが笑顔を浮かべた。

 

「ああ、ネギくん。心配させて悪かった。今朝の件はもう解決したから大丈夫だよ。ヒミナくんはとても人見知りでね。知らない土地で知らない人に声をかけられて、つい攻撃的になってしまったのかな? ほら、ヒミナくんも謝るんだ。ネギくんを怖がらせただろう」

 

「……すまなかった」

 

 ヒミナは仏頂面で言った。その頭をタカミチが押して、強引に頭を下げさせた。

 

「改めて紹介する。ヒミナくんはぼくの古い知人で、友人だ。少しばかり感情表現が苦手なタイプだけど、悪い子じゃないよ。ぼくが保証する」

 

 タカミチがヒミナの小さな肩に手を置いた。

 

 一方のヒミナは、どこか物言いたげな様子でタカミチを見上げていた。なんとなくだけど、お前と友人になった覚えはないと言いたいんだと思う。

 

「そしてこの子はネギ・スプリングフィールド。まだ9歳だけど、とても優秀でね。イギリスのメルディアナ魔法学校を主席で卒業している。今は修行の一環として麻帆良学園女子中等部で教師をやっていて、2年A組──いや、この春からは3年A組を受け持っている。ヒミナくん、()()()()()()()()()。ちゃんと言うことを聞くように。くれぐれも今日みたいに暴れたりしてネギ先生を困らせるんじゃないぞ」

 

 ネギは首を傾げた。聞き捨てならないセリフが混ざっていたような気がする。

 

「ぼ、ぼくが担任の先生って、つまりヒミナさんがぼくのクラスに……?」

 

「事後の説明になってすまない。急な話だけど、明日からヒミナくんはネギくんのクラスに編入することになったんだ」

 

「えっ、えええええええええええええ!?」

 

 ネギは顔を青ざめさせた。

 

 本人を目の前に失礼な反応だとは思うが、いかんせんヒミナの第一印象が悪すぎる。

 

 一般人でないことはよくわかった。その上で、悪い魔法使いではない──のか? 無法者にしては悪意や敵意などが欠けていたように思う。どちらかと言えば無垢で純真な印象すら抱いた。それでも女子中等部の生徒を気絶させたことは事実だし、ネギに対しても明らかに攻撃を加えようとしていた。それも割と全力で。

 

 ネギにとってみれば、釘バットを担いで校舎の窓を割って回るような札付きの(ワル)が自分のクラスに転がり込んでくると言われた気分に近い。そりゃ憂鬱になるに決まっている。

 

 それに、ヒミナは怖いのだ。

 

 暴力を振るわれそうになったからではない。そもそも彼女が帯びる気配や魔力が──言語化が難しいのだが、対峙しているだけで、その深々(しんしん)として透き通った色の瞳に捉えられているだけで、なぜか嫌な感じに心がざわつく。仄暗い道の物陰から覗き込む幽鬼と目が合ったかのような、言い知れない悪寒が胸中を占める。

 

 これは不安か。あるいは畏れか。

 

 その時、タカミチがスマートフォンを取り出した。

 

 画面を見つめ、一瞬だけ目を細める。頬が引き締まった。再び顔を上げた時、先ほどの硬い表情が気のせいだったかのように、メガネをかけた伊達男は柔らかい笑みを浮かべていた。

 

「仕事が入った」

 

 そう言って、タカミチは片手で『ごめん』のポーズを作った。

 

「ネギくん、すまないがヒミナくんのことを任せても構わないかい? 女子寮の中をエスコートしてやって欲しいんだ。部屋の場所や設備についてまだ教えてやれていないから」

 

「えっ」

 

 ネギは目を(みひら)いた。ヒミナが眉根を寄せる。

 

「……お前が案内するという話ではなかったのか」

 

「ここに来る前に桜通りには寄っただろ? もう約束は履行されたはずだよ」

 

 タカミチは膝を折り、ヒミナの手首を握って持ち上げると、ポケットから取り出したものをその小さな掌の上に置いた。見るに、それはネームプレートが付属した鍵と、りんごのロゴが刻まれた黒色のスマートフォンだった。

 

「ヒミナくんには部屋の鍵を渡しておく。それと……これも持っておくんだ」

 

「……なんだこの板は」

 

「スマホだよ。どうせ持ってないだろ? ぼくの電話番号が登録してある。きみの性格上、黙って1人で抱え込みそうだからね。例の()()()が見つかったら、必ずぼくに連絡してくれ。後になってからじゃないよ。()()()()()()()だ」

 

 ヒミナは受け取ったスマホを裏返したり振ったりして反応を観察していた。電源が落ちたままなのか、ディスプレイが点灯することはなかった。

 

 最後にタカミチはネギの肩を叩くと、足早にその場から立ち去ってしまった。

 

「それじゃ、頼んだよ。ネギ先生」

 

「あっ、ちょ……タカミチ……!」

 

 ネギが呼び止めても、残念ながら頼れる友人が振り返ることはなかった。

 

 残された2人に沈黙が訪れる。

 

 ネギは困ってしまった。なにを喋ればいいのかわからない。この異国の地で、悪戦苦闘しながらもなんとか教師を続けることができるくらいの社交性を持っているつもりではあったが、苦手意識のある相手となれば話は別だった。

 

 寮を案内してやれとは言われたけれど、いきなり「じゃあ行きましょう」と切り出すのは無作法だろうか。まだ信じられないけれどネギの生徒になるわけだし、出身や()()()()()()など、ヒミナについて興味を示しておくべきではないだろうか。いやまだパーソナルな話題は早いのか。ではなんて切り出せばいいのだ。天気の話でもすればいいのか。こんなことなら雑談力を鍛えるとかいう意識の高い啓発本でも買って読んでおくべきだった。

 

 ヒミナはむっつりとした顔でタカミチが去った方向を眺めていた。なにか思うところがあるわけではなく、ただ見ているだけといった感じだ。一向に口を開く様子はない。

 

 気まずい空気に耐えられなくなって、ネギは思い切ってヒミナに声をかけた。

 

「あの……ご趣味は?」

 

「ない」

 

「じゃあ好きな食べ物とか……」

 

「ない」

 

 我ながらセンスのない話題だとは思ったが、それにしてもヒミナの反応は冷ややかだった。これが俗に言うところのコミュ障というものなのだろうか。

 

 会話が途切れ、というか一度も成立することなく、また互いが口を閉ざす。

 

 そのまま3分くらいは時が流れた気がする。この居た堪れない空間から逃げ出したいという捨て鉢な気持ちと、先生として生徒の面倒を見なければという責任感で板挟みになり、もう誰でもいいから助けてくれないかなとネギが嘆き始めた頃、ちょうどその()()が通りかかった。

 

「あら、子供先生じゃない!」

 

 体操服姿の少女だった。

 

 腰まで伸びた黒髪に、ちょっと気の強そうな顔立ち。四角いエナメルバッグを肩から下げ、首にはタオルを巻いている。彼女の後ろには同じく体操服を着た少女が2人立っていた。

 

「あ、あなたたちはドッジボールの時の……! どうしてここに……!」

 

 ネギは彼女たちの顔に見覚えがあった。

 

 以前、ネギが担当するクラスの生徒たちと、校舎の屋上コートの使用権(+ネギの人権)を巡って争っていたことがある。麻帆良学園聖ウルスラ女子高等学校の生徒だった。ドッジボール部に所属しており、なんでも関東大会で優勝するほどの腕前らしい。悪い人ではないのだけれど、ちょっと強引で強気なお姉さんという印象だ。

 

「今日は午前中に部の練習があったのだけど、クールダウンも兼ねて遠回りをして帰りましょうという話になって、たまたま近くを通りかかったのよ」

 

 黒髪の少女は優しく微笑んだ。

 

「それにしても、運命ね」

 

「へっ?」

 

「どうせだったらネギ先生と鉢合わせをしないかしらと思ってわざわざここの敷地内に入ったけれど、まさか本当に再会できるなんて。やっぱり私たちのモノになるべきだわ!」

 

 少女ががばーっとネギに抱きついた。身長差のせいで、視界いっぱいが体操服で覆われる。柔らかな肉を包んでいる白地の布に口を塞がれ、堪らずネギは酸素を求めて手足を振り回した。黒髪の少女は(くすぐ)ったそうに声を漏らす。

 

「あん、もうっ、暴れないで。慌てなくてもじっくり可愛がってあげるから。そうね、まずは私たちの寮へと一緒に帰りましょうか」

 

「英子だけズルい! 私にも触らせて!」

 

「きゃーっ! やっぱり可愛いわ!」

 

「もががーッ!」

 

 ネギには見えないが、後ろに控えていた2人の少女も情熱的なスキンシップに参加したことが声でわかった。服のあちこちが引っ張られ、その度に抱き寄せられて、何度も窒息しそうになる。なんだこれは。またいつものドタバタコメディか。

 

 そう思った矢先だった。

 

「──なるほど」

 

 水を打ったようにその場が静まり返った。

 

 ヒミナの声だ。感情のない、相変わらずの平淡な声。夢中になって騒ぎ立てる少女たちの声を縫うようにして貫いた、そんな音の響き。

 

 頭を抱える腕の力が緩み、ネギは少女の胸から脱出した。

 

「な、なに? この子……」

 

 黒髪の少女は初めてヒミナの存在に気付いた様子だった。

 

 怪訝そうな、不審そうな、まるで捻れたピースが1つだけ混ざったパズル絵を眺めているかのような顔をしている。なにかがおかしいと確信は抱いているのに、その不快感の原因がなにかまではわからない。他の2人も似たような表情を浮かべていた。

 

「お前に訪れる艱難(かんなん)とはこういうことか」

 

 ヒミナは掌を少女たちに(かざ)した。

 

「想定していた事象とはまるで異なるが……まぁいい。やることは変わらん」

 

「ヒミナさん、なにを……?」

 

「助けてやれと言われている。だからお前を助ける」

 

 ネギはゾッとした。脳裏に()ぎるは、憎悪を腹に抱えてのたうち回る蠎蛇(うわばみ)のような紫電の束。まさか、ヒミナはあんなものを一般人に向けて放とうとしているのか。これはコミカルな日常パートではなかったのか。

 

 あいにく、いまのネギは杖を所持していない。魔法で対抗することができない。だからせめてとばかりに、精一杯の制止の声を張り上げた。

 

「ぼ、暴力はダメです! ヒミナさん!」

 

 ヒミナの眉がぴくりと動いた。

 

 視線を宙に向け、黙り込む。なにかを思い出しているようだ。ややあって、ヒミナは拡げていた五指の人差し指以外を折り畳んだ。

 

「そういえば──……そういう話だったな」

 

 ばちんという音と共に、ヒミナの指の先端から雷が走った。

 

 細いが、静電気と呼ぶにはやや太い、一本の雷の筋が黒髪の少女に突き刺る。彼女は画鋲を尻で踏んづけたかのような直立姿勢で飛び上がった。

 

「ふぎゃんっ!」

 

 ぶすぶすと、頭から白煙を吹き出しつつ少女は白目を剥いた。

 

 (つや)やかだったその黒髪はすっかり縮れて焼け焦げて、もはや顔の倍の大きさまで膨れ上がっていた。肌はこんがりとしたきつね色に染まっている。まるで日焼けサロンでタンニングマシンの爆発事故にでも巻き込まれたみたいだった。

 

「え、英子ーっ! しっかりして!」

 

「大変! ジミ・ヘンドリックスみたいな髪型になってるわ!」

 

 残る2人の少女は、慌てた様子でアフロヘアーの少女を支えていた。

 

 ヒミナはむっつり顔のまま、満足そうに頷いた。

 

艱難(かんなん)とやらがこの程度であれば……拍子抜けだな。よほどの敵性と相見(あいまみ)えるものだと考えていたが、あの瓢箪(ひょうたん)頭も大袈裟なことだ」

 

「なななななにやってるんですかヒミナさん!! 暴力はダメって言ったでしょーっ!!」

 

 ちょっとした仕事を終えた感を出しているヒミナに、ネギは全力で詰め寄った。

 

「なにを言う。2人は生かしておいた。あの女も……加減はしたぞ。少しばかり弱い雷で撫でただけだ。太陽光で皮膚が焼けた状態と変わらん。重篤な組織損傷は起こしていないし、放っておけばそのうち起きる」

 

「それも立派な暴力です! それに、あの子たちは一般人なんですよ! こんなところで魔法の力を使っちゃダメに決まってるでしょ!」

 

 少女たちに聞こえないように、ネギは小声のまま叫ぶという器用な真似をしてみせた。

 

「魔法ではないのだが……」

 

 ヒミナは難しそうな顔を浮かべた。声音に抑揚がないせいでわかりにくいが、どうやら困惑しているらしい。自分ではいいことをしたつもりなのに、一方的にネギにお説教されている現状が理解できないといった様子だ。

 

「しかし、お前は苦しそうに喘いでいたではないか。だから私はお前を助けようと……」

 

「あれは違うんです! そういうお約束なんです!」

 

「私には苦悶しているように映ったのだが、心の(うち)ではあの女の胸乳(むなぢ)に顔を(うず)めることがお前の本意だったと……そういう話か?」

 

「間違ってます! 森羅万象すべてが間違ってます!!」

 

「では、敵を排してなにが悪いと言うのだ」

 

「だからあの人たちは敵じゃないんです! ちょっと戯れていただけというか……本当に危険性があるなら、ぼくだってもっと強く抵抗していますよ。杖だって寮の部屋に置いてあるので、呼んだらすぐに手元まで飛んできますし」

 

(もが)いていたのは建前で、その実、あの女の情痴はお前にとって好ましかった、と……?」

 

「なんでそうなるんですかもおおおおおおっ!!!」

 

 顔を真っ赤にしてネギは(小声のまま)怒鳴った。

 

 その背後では、黒焦げのカリフラワーみたいな頭になった少女が「やだ、そんなとこ触っちゃダメよ……♡」と呑気な寝言を漏らしていた。

 

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