魔法先生ネギま!(裏)   作:Ahiru

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5時間目 明日菜とお風呂

 2026年 4月7日 14:19

 

 ヒミナが昏倒させた聖ウルスラ女子高等学校の少女はすぐに目を覚ましてくれた。

 

 ネギとしては何度も頭を下げ、焼け焦げた髪や体操服の賠償を申し出たい気持ちではあったのだけれど、当の本人は「冬でもないのに静電気なんて、変ね。空気が乾燥しているのかしら」と妙な勘違いをしていた。そんなわけないだろうという言葉は飲み込んでおいた。自然現象に対して謝罪するのも変な話だし、蒸し返したくないという心理も働いて、ネギには帰途に就く少女たちの背中を心配そうに見送ることしかできなかった。

 

 そしてネギは、ヒミナを引き連れて女子寮の中に入った。

 

 玄関ホールにいた数人の寮生たちはネギを見ては手を振って、そしてヒミナを見ては眉を(ひそ)めていた。あの子は誰だろう、という声が聞こえた。

 

 ヒミナの容姿は遠目からでも非常に目立つ。

 

 その烏羽(からすば)色の着物が原因だろう。もちろん茶道部や花道部に属している生徒には見えない。彼女たちはこんな色の着物は選ばないからだ。

 

 ヒミナの草履(ぞうり)が奏でる、からころという足音も人目を引いた。

 

 屋内では壁や天井に音が反響するから、余計にうるさい。それにしても、金属塊で床を叩いたような音だと思った。雪駄(せった)の踵には尻金(しりがね)という金属板が打ち付けられており、歩くとカチカチと粋な音がする──と、どこかで聞いた記憶があるのだが、それともちょっと違う気がする。もっと重くて、もっと硬い音だった。

 

「えぇと、ヒミナさん……?」

 

 ネギはヒミナの横顔を見た。

 

 相変わらずの仏頂面だが、視線が細かくあちらこちらに向いていた。これから自分が住まう寮がどういう場所なのか、興味はあるようだ。

 

「なんでまた新学期の前日になって転校を? ぼく、今日までなにも聞いてませんでしたし、たぶん急に決まったって感じですよね? ほら、転校って普通は学期を跨ぐ前には決まるものじゃないですか。だから、もしかするとなにか事情があるのかなぁって……」

 

 世間話のつもりだった。

 

 まだヒミナのことはおっかないと思っているけれど、さっき散々ツッコミを入れたせいで少しだけ慣れてきた。だから道すがら、色々と質問してみようと考えたのだ。

 

 明日のHRではヒミナのことをクラスのみんなに紹介することになるだろうし、担任の先生として、ある程度は人柄や出自について事前に把握しておきたい。それに、興味もある。ヒミナが()()()()()()()であるという点も加味すると、学園ドラマにありがちなただの転校イベントでないことは容易に想像ができたから。

 

「あっ、もし言いにくいことであれば答えなくて大丈夫ですからね」

 

 ネギが付け加えると、ヒミナは難しそうな顔を浮かべた。

 

「……私が尋ねたいくらいだ。行きがかり上、こうなった」

 

「は、はぁ」

 

「それに、前の学校と言ったが……私は学校などに通ったことはない」

 

「そ、そうなんですか?」

 

 ネギは驚いた。

 

 たしかに魔法使いの多くは、一般人とは異なる制度の教育を受ける(ヒミナは自身を指して魔法使いではないと明言していたが、超常を行使できることは事実であるし、ネギはつい標準的な魔法使いとしての尺度で考えていた)。それにしたって一切の学校機関に在籍したことがないという経歴は珍しい。教科書もなく理解できるほど魔法理論は単純ではないし、いくら魔法使いであっても社会生活を送るための基礎教養は必要だからだ。

 

 こちらの反応を見てなにを思ったのか、ヒミナは無表情で平たい胸を張った。

 

「心配するな。文字の読み書きや四則演算くらいなら教わっている。中等教育とやらがどのようなものかは知らんが、字義から察するに高度な教養は求められないのだろう? 学校に通ったことがなくとも課業の理解に支障はないはずだ」

 

「ちなみに三角形の面積を求めるための公式ってわかります?」

 

「大きいのか小さいのかくらい見ればわかるだろう」

 

「……」

 

 これはウチのクラスの赤点常習組(バカレンジャー)を超える大物が入ってきたぞ、とネギは内心で頭を抱えた。明日にでも小学生用の算数ドリルを借りてこなくては。

 

 ネギはやや無理のある咳払いを挟んだ。

 

「ヒミナさんは学校には行かずに、ご家庭で勉強を教わっていたってことですよね。立派なご両親じゃないですか。ほら、ヒミナさんって(言葉遣いと振る舞いと目つきを除けば)佇まいにすごく品がありますし。それも教育の賜物ですか?」

 

「私に親はいない。言葉や計算、作法などは()で叩き込まれた」

 

「あっ、すみません……!」

 

 ヒミナが不思議そうな顔をした。

 

「……なぜ謝る」

 

「なぜって……こういう話題は気軽に踏み込んだらダメじゃないですか。すみません、ぼくが不躾でした。ヒミナさんのことを知ろうとする余りに配慮が欠けてしまって……」

 

「そういうものなのか」

 

 ごにょごにょと弁解するネギを尻目に、ヒミナは淡白な反応を見せた。

 

 どうやら気に障ってはいないらしい。何事もなかったかのように、ロビーのソファでだらだらと(くつろ)ぐ女生徒たちの様子を眺めている。

 

 安堵はしたものの、ネギは次の話題に困ってしまった。

 

 できればヒミナが呪文もなく発現させた雷の正体についても質問をしたかったのだが──今まさにセンシティブな領域に土足で立ち入ってしまったばかりだし、軽率な詮索は避けたいという心情が(まさ)った。これでもしも『実はこの雷は亡くなった両親から授かった力で……』みたいな展開にでもなった日には、ネギは英国紳士として熱々の紅茶を頭から被って自殺することになる。

 

 だからと言って、ここでネギが黙ってしまうのもそれはそれで違うというか、自分の失態が招いた体裁の悪さを相手に押しつけるみたいで筋が通らない。

 

 なにか喋らなければ。思い切って紅茶派かコーヒー派か質問をしてみるか?

 

 紅茶を飲みたいがために大量の中国人を阿片(アヘン)漬けにした英国人の末裔としてはコーヒー派とは相容れないものがあるのだが、いやでも見た目からしてヒミナは緑茶派とか言いそうだよなとネギがあわあわしていた時だった。

 

「女ばかりだな」

 

 ヒミナがぽつりと呟いた。その視線は吹き抜けになった天井を──階上の廊下を歩く女生徒たちの姿に向いている。思わぬ話題提供にネギは食いついた。

 

「そりゃ女子寮ですから。基本的には男子禁制です」

 

「お前はいいのか?」

 

「い、いやよくないんですけど……すみません、色々と事情があって()し崩し的に……」

 

 麻帆良(まほら)学園に赴任した直後、あくまでも一時的な処置としてとある生徒たちの部屋を間借りすることになり、なんやかんやしている内に女子寮での寝起きが当たり前になってしまったネギは、肩身の狭い思いで自分の足元を見つめた。

 

「もっ、もちろん生徒の皆さんから出て行けと言われればすぐにでも……。それに共用の大浴場などには絶対に──……いや可能な限りは近付かないようにしていまして……」

 

 ヒミナは(いぶか)しげに言った。

 

「よくわからんやつだな。なぜ恐縮している」

 

「だって、違う部屋とはいえ、同じ屋根の下で男が暮らしているなんて話を聞いたらヒミナさんが不安になるかなって……」

 

「私は気にしない」

 

「ほ、ほんとですか?」

 

「当然だろう。私も──」

 

 会話はそこで途切れた。少女の声が割って入ったからだ。

 

「ネギじゃん。どうしたの? その子」

 

 見れば、神楽坂(かぐらざか)明日菜(あすな)近衛(このえ)木乃香(このか)が階段から降りてくるところだった。

 

「あっ、明日菜さんに木乃香さん……」

 

「っていうかあんた、高畑(たかはた)先生に用事があるって言って出て行かなかったっけ?」

 

 制服姿の明日菜が腰に手を当てて言った。

 

 脚にまで届く蜜柑色の髪を、鈴付きの髪紐でツインテール状に結い上げている少女だ。肢体はアスリートのように滑らかで、背の高さは同世代の男子の平均身長くらい。愛称は『おサル』または『バカレンジャー』。その字名(あざな)が示す通りちょっと乱暴者で勉強も苦手だが、根っこはとても優しく、実は友人想いの性格であるとネギは知っている。

 

「ほんまやー。ネギくんが知らん子と一緒におるー」

 

 その隣で、同じく制服姿の木乃香がはんなりと笑っていた。

 

 おおらかな性格をしている可憐な大和撫子だ。(あで)やかな黒髪の持ち主で、身長は明日菜よりも10センチくらい低い。出生が関西らしく、その証拠に柔らかな京ことばを使う。そしてこの麻帆良学園都市の学園長──近衛近右衛門(このえもん)令孫(れいそん)という話だった。

 

 明日菜も木乃香も、ネギが担当するクラスの生徒である。そしてネギが転がり込んでいる部屋の家主でもあった。

 

「えぇと、か、彼女はヒミナさんです」

 

 ネギは浮かべた笑顔が少しだけ引き攣った自覚があった。

 

「急な話なんですけど、実は新学期から明日菜さんたちのクラスに編入することが決まって。今はこうして、寮の中を案内していたところです」

 

 言葉を吐き終えて、ごくりと唾を飲み込んだ。

 

 ネギが緊張している理由は明瞭で、明日菜と木乃香の反応が心配だったからだ。

 

 魔力を知覚できない一般人とはいえ(すったもんだがあったせいで明日菜だけは不本意ながら魔法の存在を認知しているのだが)、ヒミナが漂わせる異質な気配だけは否応にも感じ取ってしまうはずだ。気味が悪いと顔を(しか)めるのか、あるいは畏怖を抱くのか。それこそ、中庭で遭遇した聖ウルスラ女子高等学校の少女たちのように。

 

 いずれにせよ、3年A組(ウチ)の生徒たちには怖がって欲しくなかった。担任の先生として、クラスのみんなには仲良くして欲しいと願うことは当然だ。

 

 でも、ネギはこの人形みたいな少女の善性をまだ見出すことができていない。

 

 タカミチは自信たっぷりに悪い子ではないと断言していたけれど──ぶっちゃけ、ネギだってまだちょっと怖い。なにを考えているかわからないし表情は冷たいし、そもそも殺されかけたし。だからこそ、ヒミナについてもっと教えて欲しかった。

 

 きっと生徒たちがヒミナに抱く第一印象は最悪(失礼)だろうから、こう見えてお化けが怖いとか甘いものに目がないとか、雨の日に段ボールに入った子猫を見つけて傘を差し出しているところを友人に目撃されて「べっ、別に猫が可哀想だと思ったからじゃないんだからね!」と言ったことがあるとかなんでもいいけれど、無愛想な編入生の魅力をネギがよく知った上で、みんなに「この人は悪い人じゃない」と胸を張って紹介したかったのだ。

 

「………………」

 

 明日菜と木乃香はじーっとヒミナを見つめたまま、たっぷりと10秒は口を閉ざしていた。段々と胃が痛くなってきた。頼むからなにか言ってくれ。

 

 沈黙を破ったのは木乃香だった。

 

「やーん、かわえーっ♡♡♡」

 

 ネギの反射神経が追いつかないほどの速度でヒミナに抱きつくと、猛烈な勢いで薄墨(うすずみ)色の頭を撫で回し始めた。

 

「ちっこいから年下やと思ったけど、同級生さんなん? なんで着物なんか着てるん? ウチみたいにお見合いやったとか? っていうか髪めっちゃサラサラやんかー! シャンプーなに使うてるん? なんでそんなにお人形さんみたいに可愛い顔なん? わああほっぺたぷにぷにやん! 柔っこいわぁずっと撫でてたいわぁめっちゃええ匂いするわぁなぁなぁなんか答えてぇなヒミナちゃんヒミナちゃんなぁなぁなぁなぁ♡♡♡」

 

 愛くるしい子猫を愛でるかのように木乃香は目を輝かせていた。

 

 赤の他人に体をベタベタと触らせることをよしとするタイプには見えないヒミナが、それこそ借りてきた猫みたいに大人しく(もてあそ)ばれている状況にネギは唖然としていた。

 

 いや、よくよく見るとヒミナの右手が中途半端な位置まで持ち上がっている。たぶん、肉薄する木乃香を雷かなにかで迎撃しようとして、寸前のところで思い留まったのだろう。暴力はダメだとネギがしこたま説教したせいかもしれない。

 

「えーと、私は神楽坂明日菜。よろしくね」

 

 明日菜が右手を差し出しながら笑顔を見せた。ヒミナはなにかを逡巡していたようだが、やがて当てもなく彷徨(さまよ)っていた手で握り返した。

 

「で、ヒミナちゃんの部屋ってどこなの?」

 

「……661号室と聞いている」

 

「そっか、そういえばあそこって空室だったっけ。じゃあさ、引っ越し屋さんとかってこの後に来んの? よかったら荷解きとか手伝うけど」

 

「必要ない。私物はこれだけだ」

 

「うそ、だってそのスーツケースって1週間くらいの海外旅行用とかのやつでしょ? その中に荷物がぜんぶ入ってるの? 服とかも? ウチのクラスの子たちだったら4泊5日の修学旅行でも足りないって騒ぎ始めるようなサイズよ、それ」

 

 明日菜は至って普通にヒミナと会話を交わしていた。思わずネギは彼女に耳打ちをした。もちろんヒミナには届かないように声量を絞って。

 

「……あ、あの。……ヒミナさんのこと、怖くないんですか?」

 

「へ? なんで?」

 

 明日菜はきょとんとしていた。

 

 なんでと問われれば、説明に困る。別にネギだって誹謗がしたいわけではない。明日菜や木乃香が自然体でヒミナと接してくれることは喜ばしいわけだし。

 

「まぁ無愛想で目つきが悪い子だなとは思うけどさ。要するに根暗の陰キャってことでしょ? そんなん言い出したらウチのクラスにも似たようなのいるじゃん。長谷川(はせがわ)とか、龍宮(たつみや)さんとかエヴァンジェリンとか」

 

「たぶんそれ色んな方面からすごく怒られますよ……」

 

「……聞こえているぞ。誰が根暗だ」

 

 ヒミナに睨まれても、明日菜は物怖じする様子もなく「ごめんごめん」と笑っていた。

 

 ネギはしばし呆けていたが、あることを思い出した。

 

 そうだった。ウチのクラスの生徒たちは底抜けに能天気で、眩いほどに明るく、どこまでも善良な──いわゆる『()()()()()()』たちなのだ。物事を深く考えないからこそ、遠慮がない。誰かの心に無断で椅子を持ち込んで居座ろうとする。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()では、彼女たちにとって仲良くなる上での障害になり得ない。

 

 なんだ、ただの杞憂だったじゃないか。

 

 ネギは口元を緩めた。けっきょくのところ、ヒミナが生徒たちとは馴染めないと勝手に決めつけて、勝手に(うれ)いていただけだった。

 

「せやせや、ヒミナちゃんはなんでこないにボロボロなん?」

 

 木乃香が首を傾げた。

 

 生々しい傷こそ見当たらないが、山道を転がりながら下山したのかと尋ねたくなるほどヒミナの着物は擦り切れていた。泥の汚れなのか、肌には()()()()()()も残っている。着物──たぶん振袖だ──の正確な価格なんて知らないけれど、小市民のネギとしては破けた生地の修繕にいくらかかるのかが気になって仕方がない。

 

 まぁ、顛末の一部を知っているネギにはそうなった理由がなんとなく推察できたから、あえて質問することは避けていたのだが……。

 

 ヒミナはむっつりとした顔で答えた。

 

「殴られた」

 

「殴っ……!? だ、誰に?」

 

「名前は知らん。へらへらとした笑みを浮かべた烟草(えんそう)臭い男だ。姑息な手を使い、背後から虚を突かれた。まだ私は動けたのだが、腹の上に乗られ、腕を掴んで組み敷かれてな。これ以上は徒費(とひ)だと判断し、抵抗を諦めることにした」

 

 とても誤解を招く言い方だった。あと、ネギはヒミナの目の前でタカミチの名前を何度か呼んでいるはずだし「名前は知らん」はあんまりなんじゃないかとも思った。

 

 明日菜は顔を真っ青にしていた。

 

「へ、変質者っ? ちょっとネギ、大丈夫なの? そんな危ないやつが学園内を彷徨(うろつ)いているなんて……生徒に注意喚起した方がいいんじゃないの? あと警察に通報とか……! ヒミナちゃんは平気? その男に変なことはされてないよね?」

 

「あ、あはは……そうですね……」

 

 ネギは乾いた笑みを作った。その変質者はあなたの想い人ですよ、という言葉は飲み込んでおくことにした。

 

「幸い、怪我はないようやけど……。ああでも、はよお風呂に入った方がええなぁ」

 

 ヒミナの頬に付着した土汚れをハンカチで拭いながら、木乃香が言った。

 

「あ、それいいかも。ネギ、大浴場の案内ってまだよね? せっかくだし、そこでキレイにしちゃえばいいじゃん。すっごいのよ、ウチの寮のお風呂。100人近い生徒が簡単に収まっちゃうくらい広いんだから」

 

「大浴場は使うなと釘を刺されている」

 

 ヒミナが答え、ネギが目を丸くした。

 

「あれ? そうなんですか?」

 

「それまたなんでや?」

 

「知らん。差別かなにかだろう」

 

「絶対に違うと思いますけど」

 

 明日菜は困ったように腕組みをした。

 

「うーん。よくわかんないけど、じゃあ部屋のシャワーで済ますしかないか。シャンプーとかって持ってきてる? よければ貸そうか?」

 

「いや、面倒だ。風呂は後でいい。この程度の汚れには慣れている」

 

「はぁ? なに()まし顔でどっかのわんぱく坊主みたいなこと言ってんのよ」

 

 くんくんと、まるで犬のように木乃香がヒミナの頭皮の匂いを嗅ぎ始めた。

 

「さてはヒミナちゃん、ネギくんと一緒でお風呂嫌いな子やなー? あかんえー? ちゃんとキレイにせんとネギくんみたいに汗臭くなってまうえー?」

 

「ぼ、ぼくだって最近はちゃんと入ってますよ……!」

 

「こんな垢臭い子供と一緒にするな。泥に(まみ)れることには慣れているから不快ではないと言っただけだ。風呂には後で入る」

 

「垢臭いって言い方はやめません? 汗臭いより傷付くんですけど」

 

 明日菜は大きく溜め息を吐くと、

 

「はいはい、どうせ適当な言い訳を並べてけっきょく風呂キャンするんでしょ。ネギと一緒のやり口ね。そう簡単には騙されないんだから」

 

「後で入ると言っているだろう」

 

「でも困ったわね。大浴場に連れてくのはダメっぽいし……」

 

「明日菜がヒミナちゃんを洗ってあげたらええんちゃう? ウチらの部屋のお風呂で」

 

「おい、聞いているのか」

 

「えぇっ? なんで私が洗ってあげなきゃいけないのよ」

 

「だって明日菜、ネギくんで慣れてるやん。いっつもお風呂で裸の付き合いしとるしなぁ」

 

「それはこのバカが自分で頭を洗えないって言うからで……! っていうか私は裸じゃないから! 水着を着てるの木乃香も知ってるでしょ!?」

 

「おい殺すぞ」

 

 ぎゃーぎゃーと少女たちが騒ぎ立てる様子は、ネギにとっていつも通りの光景ではあった。同時に、苛立ちを通り越して殺意の念すら漂わせているヒミナが大人しく抱かれ続けている絵面がものすごくシュールにも思えた。

 

 ヒミナはこちらを見ると、ぼそりと言った。

 

「一応の確認なのだが、この女どもを雷で焼き殺すのは」

 

「ダメです」

 

 ◆

 

 2026年 4月7日 14:59

 

 半ば強引に、ヒミナはネギの──いや明日菜と木乃香の部屋まで連れて来られた。

 

 2段ベッドにガラステーブルにソファ、そして学習用のデスクを2つ並べても4〜5人の人間が足を伸ばすことができる広めのワンルームだ。

 

 当初、ネギには一応の寝床としてソファが割り当てられていたのだが、あまりにも明日菜のベッドに寝惚(ねぼ)けて潜り込むことが多いため、最近じゃクローゼットの上にあるロフトに布団を敷いて寝るという取り決めになっていた。要するに、ちゃんとした寝所(しんじょ)を作ってやるからもうベッドに入ってくんなというわけだ。

 

 まぁ、残念ながらネギの夢中遊行(むちゅうゆうこう)は一向に解決せず、それ以降もほとんど毎日のように明日菜の布団を侵犯しては引っ叩かれているのだが。

 

「ほら、あんたも早く脱いでよ」

 

 廊下に面した浴室から明日菜の声が聞こえた。

 

 正確にはトイレと洗面台が一体になっているユニットバスだから、脱衣所と呼ばれる空間は存在しないのだが、ヒミナに気を遣って異性(ネギ)の目が届かない場所で服を脱ぐことにしたようだ(いつもは明日菜も木乃香も、当たり前のようにバスタオル1枚で部屋を歩き回るくらいにはネギのことを子供扱いしている)。

 

「なにこれ、すご。振袖の帯ってこうなってるんだ」

 

「自分で脱げる。引っ張るな」

 

「っていうかこれ、普通に畳んで置いていいの? ハンガーとかないとダメなやつ?」

 

「適当でいい。汚れて困るものなら平服として使っていない」

 

「うわ重っ! 振袖ってこんなに重いの? よく肩が凝らないわねー」

 

「だから引っ張って脱がすな。お前は追い剥ぎか」

 

 されるがままになっているであろうヒミナを想像し、ネギは苦笑した。

 

 明日菜はなんやかんやで面倒見がいい。なんで私が、と口では文句を垂れながらも、けっきょくは最後まで世話を焼いてくれる。たしかに言動は粗野で粗暴で粗雑だけれど、木乃香ではなく明日菜の布団にだけネギが吸い寄せられる理由も、彼女の振る舞いの端々にお姉ちゃんっぽさを感じているからかもしれない。

 

「なぁなぁネギくん、ヒミナちゃんの歓迎会っていつがええと思う?」

 

 木乃香はカウンターキッチンの中をうろうろとしていた。

 

「やっぱ今日は急やろか。クラスのみんなも集まれるかわからへんし、初対面の人しかおらん催しにいきなしヒミナちゃんを呼ぶのは可哀想かなぁ。でも、せめて何人かとは先に顔合わせしといた方が、明日の自己紹介の時とか緊張せんで楽かなって思うんやけど……」

 

「心配しなくても大丈夫ですよ」

 

 ネギは微笑んだ。

 

 明日菜も木乃香も、なんの色眼鏡もなしにヒミナを歓迎してくれている。

 

 他の生徒たちも同様だ。きっとこの風変わりな編入生を受け入れてくれる。そりゃクラスの中は人見知りや内向的な子だっているし、ちょっとした悶着も起きるだろう。でも、あの子たちなら問題ない。多少の(いさか)いはきっと乗り越えてくれる。

 

「ヒミナさんはみんなと仲良くやっていけます。明日菜さんや木乃香さんがいるんですから」

 

 木乃香はきょとんとした表情でネギのことを見ていた。

 

「……せやね」

 

 ややあって、同意を示すかのようにふっと優しい笑みを浮かべた。

 

 その時だった。

 

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああッ!!!」

 

 ゴキブリを素足で踏みつけたとしてもその声はないんじゃないかと思うほどの、ほとんど雄叫びみたいな凄まじい悲鳴が壁越しに聞こえた。

 

 同時に浴室の扉が勢いよく開き、素っ裸のヒミナが転がり出てきた。

 

 ネギは反射的に目を逸らそうとした。しかし、それよりも早く視界に捉えてしまった。

 

 まず、ヒミナの顔や着物から覗く手を見て、わかってはいたつもりだったけど、改めて白い肌だと思った。腕利きの職人が丹念に磨いた人形の皮膚だと説明された方が納得できるくらい、人工的な透明感がある。その次に、ネギの視線はヒミナの股間部に突き刺さった──いやもちろんそこになにかがあることを期待して注視したわけではなく、意図せずとも()()()()があればつい見てしまうのが人間というものだろう。

 

「お前、どうやって私の顔を……」

 

 なぜかヒミナは驚愕に目を(みは)り(こんな表情ができるのかとネギまで驚いた)、赤く腫れた片頬を掌で押さえ、浴室内にいる明日菜をまじまじと見つめていた。どうやら顔面を思いっ切り蹴り飛ばされたらしい。

 

 すると、バスタオルを体に巻いた明日菜が顔を真っ赤にして廊下に飛び出してきた。

 

「ああああああんた! なんっ、なななんで下着を履いてなっ……のっ、ノーパンなの!?」

 

「着物はそういうものだと教わった」

 

「それ迷信だから! じゃなくてっ、なん……なんで()()がっ……!」

 

 混乱する頭を落ち着かせるかのように、明日菜は大きく息を吸うと、

 

「あんた男なの!? なんで男が女子中等部に編入するって話になってるわけ!? どういうことか説明しなさいよ! あんた何者なの!?」

 

 叫んで、明日菜がこちらを睨んできた。

 

 恥辱と憤怒の色に染まった彼女の顔には『お前はこの事実を知っていたのか』と書いてある。ネギは全力で首を左右に振った。いや、たしかに具体的な性別については一度も言及されていなかった気がするけれど、でもこの顔とこの声で、しかも()()中等部への編入生として紹介されたのだから、まさか女の子じゃないかもしれないなんて疑うわけがない。

 

 そもそも、タカミチはヒミナの性別について承知していたのだろうか。

 

 その頃、木乃香はと言えばカウンターキッチンの奥で恥ずかしそうに顔を両手で覆っていた。しかし五指が蟹のハサミみたいに二股に分かれているせいで、その隙間から可愛らしい瞳がばっちりと覗いている。

 

「……そうか。まだ告げていなかったな」

 

 廊下の壁に背を預けていたヒミナが、ゆっくりと立ち上がった。

 

 分厚い草履(ぞうり)を履いていないせいで、明日菜と並ぶとより小柄に見えた。木乃香よりもさらに身長が低い。ネギよりもちょっと高いくらいか。大事なところを隠そうともせず、仁王立ちになったヒミナは堂々と明日菜を見上げた。

 

「ヒミナだ。よろしく」

 

「自己紹介しろって言ってんじゃないわよ!」

 

 勢いよく振り上げられた明日菜の(すね)がヒミナのヒミナに()り込んだ。ぐしゃっという嫌な音がして、ヒミナは無表情のままその場に崩れ落ちた。

 

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