魔法先生ネギま!(裏)   作:Ahiru

7 / 10
7時間目 不思議な編入生

 2026年 4月8日 8:19

 

 朝の通学時間、赤毛の少年──ネギ・スプリングフィールドは電車に揺られていた。

 

 ネギは(数えで)10歳の少年であったが、こう見えて中学生教師だ。

 

 もちろん普通ではない。満年齢では10に満たない子供が教鞭を取るなんて、どれだけ本人に能力があろうとも常識や法令の壁が立ち塞がる。だから、ネギが教職に就いているという事実が、ネギを取り巻く事情が普通ではないことを意味していた。

 

 なにを隠そう、ネギは魔法使いだ。

 

 ウェールズの魔法学校を卒業後、『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』になるための修行の一環として、遠く離れたこの日本の地で『先生をやること』という課題を与えられている。

 

 と、いうことで。

 

「いよいよ新学期、私たちも中3ねー」

 

 きちんと仕立てた緑色のスーツを纏ったネギの隣で、神楽坂(かぐらざか)明日菜(あすな)が感慨深そうに言った。長い蜜柑色の髪を鈴付きの髪紐でツインテール状に結い上げている少女だ。ネギが担当するクラスの生徒の1人で、通学中のためもちろん学校指定のブレザーを着ている。

 

「これからも1年よろしくな、ネギくん」

 

 近衛(このえ)木乃香(このか)がネギにおっとりと微笑みかけた。(あで)やかな黒髪の持ち主で、彼女もまたネギの大切な生徒の1人だった。

 

 この春からネギは、麻帆良(まほら)学園女子中等部3年A組の学級担任に就任した。元々、教育実習生として2年A組を受け持っていたのだが、無事に功績が認められ、正式な担任の先生として明日菜や木乃香と共にこの新学期を迎えることができたのだ。

 

 ネギは小さく拳を作って意気込み、

 

「よーし、がんばろわわわ!」

 

「きゃあっ!」

 

 カーブに差しかかったらしい電車がぐらりと揺れ、明日菜と木乃香の胸に顔面をサンドイッチされた。木乃香が初々しく頬を染め、ネギの肩を遠慮なく叩く。

 

「ややなー、もーネギくんてばー」

 

「えっ?」

 

「先生失格よねー」

 

「あぅ、そんなっ……」

 

 不慮の事故なのに、なぜかネギが責められた。というかバランスを崩してこちらに突っ込んで来たのは明日菜たちのはずなのだが。

 

「ところでネギくん、パートナー探しはもうせんでええの?」

 

 木乃香が小声で尋ねてきた。昨日のとある騒動について言及しているのだろう。

 

「やだなー、木乃香さん」

 

 ネギは若干の気恥ずかしさを覚えて笑った。

 

 すべての魔法使いの憧憬であり模範でもある『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』を目指す上で、実務面でも精神面でも、献身的に主人を支える『魔法使いの従者(ミニステル・マギ)』──いわゆる()()()()()は欠かせない存在と言えた。たしかに、誰の力添えもなく届くほど『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』とは簡単な目標ではないし、なにかと古い習俗に囚われがちな魔法使いの世界において、従者を持たずに『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』を名乗ることは格好がつかないという風潮もある。

 

 とはいえ、ネギにとってはまだまだ先の話だ。パートナーを誰にするかなんてもっと大きくなってから悩めばいい(一般人である木乃香は、パートナーという言葉を『魔法使いの従者(ミニステル・マギ)』ではなく恋人という意味で捉えているみたいだが)。

 

 今は目先の先生としての仕事にもっと集中すべきだろう。パートナーの如何よりも考えなきゃいけないことなんて山ほどある。

 

 例えば、不思議な編入生についてとか。

 

 烏羽(からすば)色の着物姿の異質な女の子──いや男の子か。名前はヒミナだ。ファーストネームなのかファミリーネームなのかはわからない。

 

 他にも、ネギはヒミナについて知らないことだらけだった。なぜ突如として3年A組への編入が決まったのか、そもそも男子のくせになぜ編入先が女子中等部なのか、魔法使いではないと表明するくせになぜ超常を行使できるのか──怨嗟を訴える蟒蛇(うわばみ)のようにヒミナの全身を這い回っていたあの雷は一体なんなのか。

 

 昨日、ネギたちの部屋で恥部を曝け出した後、けっきょくヒミナはシャワーも浴びずに帰ってしまった。顔を真っ赤にして騒ぎ立てる明日菜のことを鬱陶しく感じたらしい。

 

 すぐにネギはタカミチに相談しようとした。

 

 しかしながら、電話は繋がらなかった。というか電源が切れていた。日頃から忙しなく学外を飛び回っている印象があったが、まさか旅客機にでも乗ってしまったのだろうか。

 

 いずれにせよ、ヒミナのあれこれについて──特に差し迫った問題として、女子中等部に男の子を編入させるという点については早急にタカミチの真意を問いたかったのだが、連絡が取れない以上は保留とするしかない(明日菜はやや納得していない様子だったが)。

 

 それでも、新学期の前日になって初めて編入の話が学級担任(ネギ)に伝えられるなんてちょっと釈然としない。もしかして、ヒミナの編入先はやっぱり男子中等部なんじゃないだろうか。ぜんぶタカミチの勘違いで、そう考えればネギが直前までなにも知らされていなかったことも腑に落ちる──と思ったりもしたのだが、昨晩、学園長から編入生に関する通達がメールで届いたから、きっとこの後、ネギは職員室でヒミナと顔を合わせることになるのだろう。

 

 ふと、木乃香がじっとこちらを眺めていることに気付いた。

 

 数秒間ではあるが、思索に没頭するがあまり彼女との会話が途切れてしまっていた。ネギは慌てて笑顔を取り繕う。

 

「パートナーなんてまだ早いですって。しばらくは先生一筋でがんば……は……は……」

 

 不意にネギは鼻孔の奥にむず痒さを感じ、言葉を詰まらせた。具体的にはくしゃみの予感を抱いた。げっ、と明日菜がわかりやすく顔を歪める。

 

「──くしゅんっ!」

 

「きゃあっ!」

 

「ひゃっ……?」

 

 鼻と口から息を噴き出すと同時、ネギを中心に風巻(しまき)が放たれた。明日菜や木乃香を含む女生徒たちのスカートを風が次々と捲り上げる(電車は学園都市最奥に位置する女子校エリアに到達していたため、ネギを除き、周囲には女子しかいなかった)。

 

 恥ずかしながら、こんな感じでネギはくしゃみと共によく風の魔法を暴発させるのである。

 

 そして顔を上げると、魔法の存在とネギの悪癖を把握しており、だからこそ『怪異・真空スカートめくり』の原因を承知している明日菜がこちらを睨みつけていた。

 

「懲りないわね、ネギ坊主」

 

 ◆

 

 2026年 4月8日 11:09

 

 麻帆良学園女子中等部3年A組の教室で、生徒どもが騒いでいた。

 

「3年!!」

 

「A組!!」

 

「ネギ先生ーっ♡」

 

 アホみたいに騒ぎまくる生徒たちの視線の先──赤毛と小さな鼻メガネが特徴の少年が、まんざらでもないように照れ臭そうな笑顔を浮かべていた。

 

「えと、改めまして、3年A組担任になりましたネギ・スプリングフィールドです」

 

 ネギは教壇に立ち、クラスを見渡した。

 

「これから来年の3月までの1年間、よろしくお願いします」

 

「はーい!」

 

「よろしくー♡」

 

 能天気な生徒たちは、腑抜けた笑顔を浮かべて各々が応答する。

 

 その様子を眺め、エヴァは──エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは舌打ちをした。

 

 エヴァは見た目こそ10歳の小学生みたいな少女だったが──宝石のような碧眼と、踵まで伸びた波打つ金髪のせいで日本の市井だと目立ちはするものの──こう見えて実は齢数百歳の吸血鬼であり、それも『真祖』と呼ばれる最強クラスの生物の一角だった。その異称は〝闇の福音〟(ダーク・エヴァンジェル)。あるいは〝人形使い(ドールマスター)〟や〝不死の魔法使い(マガ・ノスフェラトゥ)〟とも渾名され──畏怖の代名詞として魔法世界の誰もが慄く最恐の存在だった。

 

 しかし、現在のエヴァは〝登校地獄〟(インフェルヌス・スコラスティクス)という凶悪な呪いにその身を縛られている。

 

 誰が一体なんの目的で開発した術式なのかは知らないが、というか深夜のテンションで考えたとしか思えないのだが、この奇怪な呪いは対象に()()()()()()()()()()()()

 

 原則として平日は必ず学校まで通わねばならず、麻帆良学園の敷地から外に出ることも禁止。その上で卒業も許されない。なまじ不老不死の身であるばかりに、エヴァはこのお花畑みたいな中学校生活をもう15年間も繰り返していた。

 

 同時に、エヴァは都市全域に展開された学園結界のせいで力を極限まで抑制されている。

 

 おかげで身体能力は10歳の少女のそれと同等だ。50メートルを走り抜けるのに10秒はかかるし、ジャムの瓶の蓋を開けることにも苦労する。

 

 一応、吸血鬼の力は満月の日が迫るほどに強くなるという特性を有しており(全盛期は気にも止めていなかったほどの弱い相関ではあるが)、月齢が13日を超えたあたりから、魔法薬を媒介にすれば初級魔法をどうにか発動できるくらいには魔力が回復するし、杖もなく空を飛んだり人間の血を吸ったりと、ある程度は超常を行使できるようになるのだが。

 

 とはいえ、この惨めで無聊(ぶりょう)な日々をいつまでも続けるつもりはない。

 

 だからこそエヴァはこの数ヶ月間、正確には去年の晩夏の頃から、とある企てを成就させるために人知れず悪事に精を出していた。麻帆良の連中からは『桜通りの吸血鬼』なんて陳腐な名で噂されてもいるようだが、なんとでも呼べばいい。

 

 すべては〝闇の福音〟(ダーク・エヴァンジェル)として返り咲くための布石だった。

 

(あのクソガキが……)

 

 昨晩のことを思い出し、益々と忿懣(ふんまん)が募る。

 

 たしか、ヒミナという名前だったはずだ。初対面ではあったが、その風貌について聞き知ってはいたし、漂わせている気配が特異だったせいで何者であるかは一目で看破できた。

 

 あの遭逢(そうほう)はどう考えても望ましくなかったはずだ。

 

 具体的になにかを妨害されたわけではない。夜色の底に埋もれる桜通りを無防備に歩いていた桃色の髪の少女──佐々木(ささき)まき()の生き血を吸うことはできたし、多少の衝突はあれど、最終的には逃げ(おお)せることもできた。とはいえ、この段階でエヴァのプランが学園側に露見する事態はなるべく避けたい。犯行を目撃されてしまったことは随分な痛手だった。

 

 口封じという手段も考えはしたが、さすがに今のエヴァじゃヒミナを殺せない。あしらうことはできても致命傷を与えることができない。

 

 昨晩のあれがヒミナの全力でなかったこともよく理解している。

 

 桜通りの半分くらいを()き起こしておいてをどの口がほざくのかとは思ったけれど、本人も弁明していた通り、たしかにあれで加減はしていたつもりなのだろう。

 

 だからこそ、いつまで経っても白黒がつかない冗漫な戦闘をヒミナが嫌がって、結果的に()()()()()()()()という展開をエヴァは懸念していた。そうなったら詰みだ。魔力の大半を封じられている状態でヒミナの猛攻を()なし続けていたエヴァの体術──合気はたしかに達人の域だろう。一方で、当たり前に限度もある。柳に風と受け流すことが合気道の真髄だとは言うけれど、柳だろうが岩だろうが、爆薬を前には等しく砕けて吹き飛ぶことしかできない。

 

 あの場は立ち去ることしかできなかった。ゆえに忌々しく思う。

 

「む」

 

 ネギと視線が合った。

 

 エヴァの表情に苛立ちが滲み、いつの間にか目つきが鋭くなっていたらしい。睨まれたとでも感じたのか、青ざめるネギを無視してエヴァは目を逸らした。

 

(しかし、一体なんの用があってこの学園に……)

 

 改めて昨晩の件に思考を戻す。

 

 ヒミナと麻帆良学園に繋がりはなかったはずだ。異端審問院(いたんしんもんいん)は脱退したとも言っていた。だから個人的な目的があってこの学園都市に訪れたのだろう。

 

 理想的な展開は、ヒミナがなんらかの目的を勝手に果たし、吸血鬼と遭遇したことについて誰にも口を割らずに学園を去ること。道義心の強い性格には見えなかったし、無関係の事件にわざわざ首を突っ込むほどの英雄症候群だとも思えない。現実的に考え得る顛末だった。

 

 逆に望ましくない結果として思い浮かぶのは、ヒミナが学園で騒ぎを起こして魔法先生の誰かに鎮圧され、芋蔓式にエヴァの情報まで吐いてしまうことだ。

 

(……考えすぎか)

 

 問題児だと聞いたことはあるが、腕利きの魔法使いが揃っている麻帆良学園都市で意味もなく暴れ回るほどバカではないだろう。

 

 さて、どう手を打つべきか。

 

 楽観視は避けたいと思う。たった一度の小さなイレギュラーで数ヶ月分の努力が水泡に帰すなんて笑い話にもならない。

 

 幸い、エヴァの計画は詰めのフェーズに入っている。『桜通りの吸血鬼』といういかにもな浮説への関知を今さら学園側に疑われたとしても、強引に推し進めることは可能だ。しかし、できれば()()()()()が警戒していない間に接触したいとも考えているから──

 

「それと、今日はみなさんに新しい仲間を紹介したいと思います」

 

 ネギの声を聞いて、エヴァは顔を上げた。

 

 ◆

 

 2026年 4月8日 11:15

 

「えーと、き、今日からこのクラスに編入することになったヒミナさんです」

 

 やや緊張した面持ちでネギが言った。

 

 教室に入ってきたのは、烏羽(からすば)色の着物姿で、薄墨色の髪と瞳が特徴で、中学1年生くらいの体格で、一片の愛嬌もないむっつり顔を浮かべた女の子──に見える男の子。

 

 ヒミナだった。

 

(なぁにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!)

 

 エヴァは顔面のデザインをぐしゃぐしゃに潰して絶叫した。心の中で。

 

(ばっ……! な、なにが起きてる! なぜあのクソガキが曲がり角でぶつかった食パン付属の転校生みたいなポジションに立っている! 教室で互いに指を差して「あーっ! 昨日の!」じゃないんだよ! ええい、これは学園長(ジジイ)の手引きか! いや、タカミチのバカも噛んでいるのか? というかあいつ(ヒミナ)は男ではなかったのか? ここは女子中等部だぞ!)

 

 ヒミナは無表情のまま教室を見回していた。特に気負った様子はない。

 

 むしろ笑みが強張っているのはネギの方だった。生徒たちの反応に対して不安を抱えていることが顔色から見て取れる。

 

「急に編入が決まったため事前にお知らせができていませんでしたが……仲良くしてあげてくださいね。ちょっと不器用というか変わっているというか、見た目は怖いかもしれませんけど悪い子ではたぶんなくてそのごにょごにょ……。で、ではヒミナさん。簡単に自己紹介を」

 

「……ヒミナだ。よろしく」

 

 ぶっきらぼうにヒミナが口を開いた。教室が沈黙に包まれる。

 

 ややあって、生徒たちが一斉に沸いた。

 

「ヒミナちゃんよろしくー!!」

 

「ちっちゃくて可愛い! お人形さんみたい! なんていうんだっけ……市松人形? 夜中に髪が伸びるタイプのやつ!」

 

「それは褒めてないのでは……?」

 

「すっごいお洒落な着物だねー。でも制服は?」

 

「まだ支給されていない。手配が間に合わんと言われ──」

 

「普段からずっと着物なの? 古風というか粋だねぇ。なんか老舗の着物屋さんの娘とかそういうオチだったりする? もしかしてお金持ちとか?」

 

「ヒミナって名字なん? それとも下の名前? 漢字でなんて書くん?」

 

(うじ)はない。ただのヒミ──」

 

「皆さんお静かに! ヒミナさんが困っているでしょう!」

 

「むむむ。佇まいが只者ではないアル。どこかで手合わせを願いたいアルが……!」

 

 とんでもない盛り上がりようだった。

 

 木偶(でく)か幽鬼のように()まわしい雰囲気を帯びているヒミナと対峙すれば、耐性のない一般人なんて普通は萎縮しそうなものではあるが、さすがは3年A組が誇る『愛すべきバカ者ども』だ。たしかに警戒を示す者も一部にはいたが──おおむねは大歓迎といった様子だった(本来はそのバカ者側の人間であるはずの明日菜だけはなぜか頭を抱えて机に突っ伏していた)。

 

「……この学校の女はなぜ人の話を聞かないのだ」

 

 ヒミナがぼそりと呟くと、ネギは苦笑した。

 

「あはは。……じ、じゃあヒミナさんの席は──エヴァンジェリンさんの隣にしましょうか。ちょうど空いていますし。HRを始めるので座ってください」

 

(ババババカなっ……! この期に及んでまだ王道の展開が続くというのか!)

 

 笑顔の生徒たちが見守る中、ヒミナはからころという硬い足音と共にエヴァの机までやってきた。二人の視線がかち合う。しかしヒミナは何事もなかったかのように目を逸らし、そのまま椅子に座ってしまった。

 

 エヴァは目を丸くした。てっきり一悶着が起きると身構えていたのだが……。あまりにも拍子抜けな対応だった。

 

 思わずエヴァはヒミナに小声で話しかけた。

 

「……貴様、私に気付いていないのか?」

 

「なんの話だ。……そんなことよりも、教室を間違えていないか? 他の生徒と比べて随分と幼いように見えるのだが。ここは初等学校ではないはずだぞ」

 

「殺すぞ」

 

 エヴァは眉間に青筋を立てた。

 

 どうやらヒミナはエヴァのことを覚えていないらしい。たしかに昨晩はとんがり帽子を深く被って顔を隠していたけれど、それでも声や魔力の残滓で気付きそうなものだが。鈍いだけか、それとも他者に興味がないタイプなのか。

 

 その時、教室の扉が開いて指導教員の(みなもと)しずなが顔を出した。

 

「ネギ先生、今日は身体測定ですよ。3ーAのみんなもすぐ準備してくださいね」

 

 そう言えばそうだった。思案を振り払い、エヴァは息を吐く。痩せることも太ることもできない不死者の成長を測っていったい誰が得をするのだろう。

 

 ところで、エヴァはあることを思い出した。

 

 隣に座るヒミナを見つめる。

 

「……まさか貴様も身体測定をここで受けるのか?」

 

 ◆

 

 2026年 4月8日 11:52

 

「あれー? 今日まきちゃんは?」

 

「さぁ?」

 

「まき絵は今日、身体測定アルからズル休みしたと違うか?」

 

「まき絵、胸ぺったんこだからねー」

 

 四方山話に花を咲かせるクラスメイトを尻目に、明日菜は制服を脱いでいた。

 

 身体測定の会場はこの教室だ。普通の学校であれば学年ごとに体育館などに移動して一斉対応しそうなものだが、なんたってここは麻帆良学園である。一箇所に詰め込むにしても生徒の数が多すぎるのだろう。そのためか、女子中等部に限らず、各々の教室に計器を持ち込んで身長や体重を測ることが学園では慣習となっていた。

 

 明日菜は教室の片隅に視線を送る。そこにはヒミナがぽつんと突っ立っていた。皆がそれぞれのブラジャーやショーツを曝け出している中、一人だけ着物姿のままだ。

 

 ガシガシと頭を掻いてから近寄っていく。

 

「ちょっとは遠慮しなさいっての。半裸の女の子をガン見してるんじゃないわよ」

 

 べしっと頭を叩くと、ヒミナは驚いたような顔でこっちを見てきた。

 

「ヒミナちゃ──ヒミナくん、あんた男じゃない。まぁ高畑(たかはた)先生が決めたことみたいだし、なにか事情があるんでしょ? 詳しく話を聞くまでは黙っててあげるけど……だからってタダで眺めていいわけじゃないんだからね。せめて壁を向くくらいの配慮は見せなさい」

 

「つまり、金を払えと言いたいのか? まるで娼婦のようだな」

 

「ぶっ飛ばすわよ」

 

 言いながらも、明日菜は腰に手を当て、肢体を隠すことなく堂々と胸を張っていた。

 

 ヒミナの見た目が幼いからだろうか。なんというか、小学校を上がったばかりの弟に下着姿を見られているような感覚なのだ(さすがに素っ裸を目撃されることには抵抗を抱くが)。実際、ヒミナの表情から嫌な情欲は窺えない。その薄墨(うすずみ)色の瞳に映った女子たちの肌を、あくまでも風景として淡々と処理している様子だ。

 

 とはいえ、中学3年生の男子ともなれば──いや小6や中1くらいの年齢であっても異性の裸には興味津々という印象があるのだが。本当に関心がないのだろうか。

 

「まったく……。で、どう? ウチのクラスは。やっていけそう?」

 

「やっていくとはどういう意味だ」

 

「だから友達ができそうかって聞いてんの」

 

「……よくわからん。()()の定義とはなんだ」

 

 ヒミナは難しそうな顔をしていた。明日菜は戸惑ってしまう。

 

「はぁ? 友達っていうのは……一緒に遊んだり喋ったりして、自分が楽しいって感じる相手のことよ。まさかあんた、今まで友達がいなかったとか言わないでしょうね」

 

「それは同窓や同輩となにが違う?」

 

「な、なんか無駄に難しい言葉を使うわね。ドーハイとかの意味はわかんないけど……たぶんそういうのじゃなくて、もっとこう──ああもう、言わせないでよ。こういうのって口にするの恥ずかしいんだから。友達っていうのは、自分よりも大切で、掛け替えのない感じで、いなくなったら嫌だなって思うような……な、なんかそういうものなの!」

 

「……ふむ」

 

 なにやらヒミナは考え込んでしまった。

 

 割って入るように、下着姿の柿崎(かきざき)美砂(みさ)が声をかけてきた。

 

「ねぇねぇ、ところでさ、最近寮で流行ってるあの噂どう思う?」

 

「え……なによソレ柿崎」

 

「あぁ、あの桜通りの吸血鬼ね」

 

 同じく下着姿の春日(かすが)美空(みそら)が続いた。すると、そのいかにも面白そうなワードを耳にした周囲の女生徒たちが食いついてきた。

 

「えー、なに? なにソレー!」

 

「なんの話や?」

 

 美砂がニヤリと笑った。

 

「知らないの? しばらく前からある噂だけど……なんかね、満月の夜になると出るんだって。寮の桜通りに、真っ黒なボロ布に包まれた──血まみれの吸血鬼が」

 

「キ、キャーッ!」

 

「ひぃぃぃ……!」

 

 一部の怖がりたちがガタガタと震え出す様子を見て、明日菜は溜め息を吐いた。

 

「もー、そんな噂、デタラメに決まっているでしょ。アホなこと言ってないで早く並びなさいよ」

 

「そんなこと言って明日菜もちょっと怖いんでしょー」

 

 椎名(しいな)桜子(さくらこ)が楽しそうに明日菜の肩をぽんと叩いた。

 

「違うわよ! 吸血鬼なんて日本にいるわけないでしょ!」

 

「その通りだな、神楽坂明日菜」

 

 背後から声をかけられ、明日菜の肩がびくりと跳ねる。

 

 振り返るとエヴァが立っていた。

 

 小学生みたいな体格のクラスメイトだ。AIが生成したかのように目鼻立ちは精巧で、長く伸びた金髪も相俟(あいま)って、海外のお人形さんといった比喩がよく似合う。そして悲しいかな、揺れや重みを伴う肉を胸部に備えていないがために、真っ平な白い壁に咲いた2つの蕾がブラジャーに守られることなく空気に触れていた。

 

「噂の吸血鬼はお前のような元気で活きのいい女が好きらしい。充分に気を付けることだ」

 

 エヴァはにやりと笑い、その場を立ち去ろうとした。

 

「え? あ、なに……? エヴァンジェリン、あんたもう帰るの? 身体測定は?」

 

「もう終わった。……見られるのはまぁ構わんのだが、あいにくと私に()()()()()を眺める趣味はないからな。先に帰らせてもらうよ」

 

「……はぁ」

 

 明日菜は間の抜けた声を漏らした。

 

 エヴァは適当に手を振り、制服に着替えると本当に教室を出て行ってしまった。ぽかんと口を開く明日菜だが、すぐにエヴァの発言がなにを指していたのかを理解した。

 

「あーっ! ヒミナがまだ服を脱いでないー! ぼくが脱がせてやろーかー!?」

 

「お姉ちゃんだけずるいですー! 私もするー!!」

 

 エヴァと同じくどうがんばっても中学生には見えない身長130センチの双子姉妹──鳴滝(なるたき)風香(ふうか)史伽(ふみか)がヒミナの周囲で騒いでいた。

 

 悪戯っ子の2人は「よいではないか」「あーれー」でお馴染みの帯回しをやりたいらしく、ヒミナの帯をぐいぐいと引っ張っていた。ヒミナは小さな悪代官に迷惑そうな視線を向けるだけで無抵抗の状態だった。

 

 嫌な予感がして、明日菜は慌てて静止した。

 

「ちょ……それダメっ!」

 

 いくら帯を引っ張ってもヒミナが微動だにしないものだから、けっきょく風香と史伽は帯を掴んだままその場でくるくると回り始めた。そうして数メートルに及ぶ烏羽(からすば)色の帯は呆気なく双子の姉妹に巻き取られてしまった。

 

 昨日、実際に脱がせてみて明日菜も初めて知ったのだが、着物なんてものは外側の帯一枚が外れたところで簡単に崩れるような構造をしていない。よくわからない何本もの紐が、帯の内側やインナーみたいな白い布を幾重にも締めている。しかし、風香と史伽が帯を力任せに手繰(たぐ)り寄せたために結び目が緩んだのか、烏羽(からすば)色の着物だけでなく内に着込んでいた白い肌着までもがすとんと真下に落ちた。

 

 その代わりにぽろんと飛び出したものがあった。

 

 もちろん教室中には悲鳴が響き渡った。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告