魔法先生ネギま!(裏)   作:Ahiru

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8時間目 放課後ランデブー

 2026年 4月8日 12:20

 

 ネギ・スプリングフィールドは女子中等部の保健室に訪れていた。教室での身体測定の途中、3年A組の生徒の1人である佐々木(ささき)まき()が運ばれたという報を受け、数名の生徒たちと共に慌てて駆けつけたのだ。

 

「ど、どうしたんですか、まき絵さん」

 

「なにか桜通りで寝ているところを見つかったらしいのよ」

 

 指導教員である(みなもと)しずなが答えた。

 

 まき絵は保健室のベッドの上ですやすやと寝息を立てている。目立った外傷はないが、なぜだか両のほっぺたが思い切り引っ(ぱた)かれたかのように真っ赤に腫れ上がっていた。

 

「なんだ、たいしたことないじゃん」

 

「甘酒を飲んで寝てたんじゃないかなー?」

 

「昨日は暑かったし、涼んでたら気を失ったとか……」

 

「桜通りって、昨日の夜にガス管が爆発したところですよね? 朝に通ったら工事中の看板が出てたからびっくりしたです」

 

「まきえったらその音に驚いて気絶したんじゃないの?」

 

 怪我がないと知り、生徒たちは安心した様子で口々に憶測を語った。

 

 しかし、ネギは違和感を抱いていた。

 

 まき絵から(かす)かに魔力の残滓を感じる。もちろん彼女は魔法を使えない一般人だ。高濃度の魔力を帯びた何者かに触れられたり、実際に魔法による直接的な干渉でも受けない限り、こんな痕跡はまず残らない。

 

「ちょっとネギ」

 

 沈思するネギに明日菜(あすな)が声をかけた。

 

「なに黙っちゃってんのよ」

 

「あ、すいません明日菜さん」

 

 ネギは笑顔を浮かべる。

 

「まき絵さんは心配ありません、ただの貧血かと。それと明日菜さん、ぼく今日は帰りが遅くなりますので、晩ごはんは要りませんから」

 

「う、うん」

 

 明日菜は不思議そうにネギを見つめていた。

 

 ◆

 

 2026年 4月8日 13:30

 

 今日は授業がない。

 

 学期の初日だから、生徒に用意されたタスクは始業式とHR、そして身体測定だけだった。昭和で言うところの『半ドン』というやつだ。

 

 ただ、身体測定の場ではどこかの誰かさんがすっぽんぽん(フル・モンティ)を披露したせいで教室内が大パニックになったし、その後に保健室までまき絵の様子を見に行ったりと、大なり小なりのトラブルが発生したがために解散が後ろ倒しになってしまった。平時であればそろそろ昼休みが終わろうかという頃合いだ。

 

 自分の机に尻を乗せ、明日菜は伸びをしながら言った。

 

「んーっ。……じゃ、どこ行こっか? このまま遊びに行くでしょ?」

 

「せやなぁ。まずはごはんをどっかで食べへん? ウチお腹ぺこぺこやー。今日は学食はやってへんやろけど、食堂棟の方まで行けば開いてるんちゃうかな」

 

 木乃香(このか)はお腹を(さす)って答えた。

 

「たしかに、さすがになんか食べたいわね。……あ、そうだ」

 

 明日菜は近くにいた3人の女生徒たちに声をかけた。

 

「パルたちも来るー?」

 

「お、いいねぇ。漫画の締め切りもまだまだ先だし、久々に食堂棟のスイーツ巡りとでもいきますか。身体測定も終わったことだしねぇ」

 

「なにあんた、体重なんか気にしてたの? そういえば最近、前よりちょっとふっくらと」

 

「おおーっとそれ以上はGペンを足の小指に突き刺すからね」

 

 まず応答したのは早乙女(さおとめ)ハルナだった。

 

 太腿(ふともも)まで届く黒髪に赤縁(あかぶち)のメガネ。身長は明日菜と同じくらいだが、ボディラインは明日菜よりも肉感的だ。全体的に野暮ったい見た目なのに、陰鬱な雰囲気を感じさせないのは持ち前の明るい性格がゆえか。

 

 ちなみに、パルとはハルナの通り名であり、ペンネームでもある。たぶん起源は後者だ。彼女は漫画研究会に所属していて、ちょっと腐った趣味の持ち主でもあった。

 

「あんたたちも暇でしょ? 一緒においでよ」

 

「い、行こうかなー。あとハルナは別に太っているわけじゃないしプロの漫画家の人でもよく怪我するくらいGペンは鋭いから武器にしちゃダメだよー……」

 

 ハルナに問いかけられ、宮崎(みやざき)のどかが頷いた。

 

 小柄で内気な少女だった。ショートカットではあるのだが、その飴玉みたいに愛らしい瞳をなるべく晒したくないらしく、藍色の前髪を重く見えるように伸ばしている(心境の変化があったのか最近はちょっと軽くなったけど)。ニックネームは『本屋』。由来はそのまんまで、自己推薦で図書委員の役割を担うほどに本が大好きだからだ。

 

「そうなのです。誤解されがちですが、実際に男性は単純な『細さ』よりも特定のウエスト・ヒップ比──つまり『曲線』に惹かれるという実験結果も出ているのです。つまりハルナは充分に魅力的でそれに比べて私はおや横からのシルエットが完全に2Dですねははは……」

 

 ちょっと悲壮な感じで綾瀬(あやせ)夕映(ゆえ)が続いた。

 

 木乃香やのどかよりもさらに背が低く、双子の鳴滝(なるたき)姉妹やエヴァと同様に、いわゆる幼児体型にカテゴリされる同級生だ。長い紫苑(しおん)色の髪を腰の位置で2つに縛っている。

 

 ヒミナほど無機質ではないものの、全体的に表情の変化が乏しい。こんな感じでたまに妙な蘊蓄(うんちく)を披露することもあり、読書が趣味らしいのだが、同じ『本好き』でものどかとはまた違った印象を与える子だった。哲学研究会に席を置いていることからもわかるように、思慮深く聡明な性格でもある(ただし学校の勉強はできない)。

 

「はいはい、悪かったわよ。太ったとか言って。……で、みんな参加ってことでいいのよね?」

 

 ひらひらと手を振って、明日菜は肩掛けの学生鞄を担ぐ。

 

 その時、木乃香に軽く脇を小突かれた。

 

 促されるままに顔を向けると、視線の先にはヒミナがいた。クラスメイトたちががやがやと駄弁に花を咲かせつつ帰り支度を進める中、着物姿の編入生は教室の隅っこでぽつんと座って、薄墨(うすずみ)色の瞳で意味もなく虚空を眺めている。

 

 昨日、ヒミナの歓迎会がしたいと木乃香が言っていたことを思い出した。

 

 明日菜は少しだけ逡巡し、そして肩を落として大きく息を吐き出した。振り返り、のどかと夕映に向かって顔の前で手を合わせる。

 

「ねぇ、ヒミナくんも誘ってもいい?」

 

 のどかはギクリと体を強張(こわば)らせた。

 

「ち、ちょっとだけ怖いかなー、なんて……」

 

「私は皆さんが男性をクラスメイトとして受け入れていることの方が驚きなのですが……」

 

「まぁそれはご(もっと)もなんだけどさ」

 

 夕映の呆れた声に、明日菜は苦笑する。

 

 鳴滝姉妹が着物を剥ぎ取り、ヒミナが文字通りの一糸纏わぬ姿を披露したせいで(下着どころか足袋(たび)すらも履いていないせいで、異常に分厚い草履(ぞうり)を除けば完全に全裸の状態だった)、不思議な編入生の正体が男の子だったという事実は一瞬でクラス中に知れ渡った。

 

 詳しい事情は計りかねるが、たぶんバレちゃいけなかったことなんじゃないかと明日菜は思っている。廊下で待機していたネギなんかは頭を抱えて(うずくま)っていたし。

 

 ただ、さすがは能天気なおバカの集まりと名高い麻帆良(まほら)学園女子中等部3年A組と称すべきなのか──ほとんどの生徒にとっては父親以来であろう異性のシンボルを目撃したショックは大きかったようだが、その後の反応は概ねが好意的だった。容認の理由は主に「ヒミナちゃんは可愛いからまぁいいか」だそうな。ネギを筆頭に、幼気(いたいけ)な男の子には目がない委員長の雪広(ゆきひろ)あやかなんて鼻血を出して大喜びしていた。

 

 とはいえ、のどかと夕映は3年A組の中では常識人の部類に入る。そりゃヒミナに対してなにかしらは思うところはあるだろう。

 

 明日菜は素直に頭を下げることにした。

 

「ごめん。……でもほら、性別の件とか、私もまだ納得したわけじゃないんだけど、それでも編入初日にひとりぼっちってのはちょっと可哀想じゃん。たしかに陰気で無愛想な子だよ? でもネギいわく、悪い子じゃないって話だし。……ダメかな」

 

 夕映は薄く笑ってくれた。

 

「私はいいですよ。ヒミナさんの容姿が女性的だからか、個人的にはそれほど違和感や抵抗感は抱かないのです。それに、今回の編入がなにかの手違いでないのであれば、同じクラスメイトとして友誼(ゆうぎ)を結ぶ努力はすべきでしょう」

 

「わ、私はー……男の子だからじゃなくて、雰囲気がちょっと怖いって思ったんだけど……」

 

 のどかは胸の前でわずかに拳を握った。

 

「でもネギ先生が悪い子じゃないって言うなら、私も信じてみようかと思いますー……」

 

 賛成票を得ることができて、明日菜は肩の力を抜いた。隣を見れば、木乃香がにこにこと笑顔を浮かべてこっちを見つめている。

 

(もう、なんで私がこんな役回りを……)

 

 もちろん、誰かからご下命を賜ったわけでもないし、ヒミナのことなんて放っておけばいいと思うドライな自分もいるのだが──それはそれで居心地が悪い。自分の責務でないことは理解しているけれど、なんか嫌なのだ。まったく、こちとらネギの世話だけで手一杯なのに。というかそもそもこういうのは先生の役目じゃないのか。あいつはどこに行ってるんだ。

 

「明日菜、なんで私には聞かないのかな?」

 

「あんたはどうせ面白がってOKするでしょ」

 

 ハルナのぼやきを適当に(あしら)い、明日菜はヒミナに近寄って行った。

 

「ねぇヒミナくん、この後って暇してない?」

 

「……持て余すほどではないが、時間を作ることはできる」

 

 相変わらずのぶっきらぼうな反応だった。それにしても睫毛がめっちゃ長い。目や鼻などの顔のパーツも丸みを帯びている。性別を知った今でもやっぱり女子にしか見えないのだが、きっと神様はヒミナを二日酔いの日の朝にでも作ったのだろう。

 

「よかったら私たちとごはん食べて、そのままどっかに遊びに行かない?」

 

 ヒミナの視線が一瞬だけのどかに向いた。

 

「……質問を返すが、あの女は私に脅えているのだろう。構わないのか?」

 

「えっ。……も、もしかして聞こえてた?」

 

「陰気で無愛想な人格で悪かったな」

 

「あ、あははー」

 

 明日菜は乾いた笑顔を浮かべた。

 

 のどかとの会話を聞かれていたらしい。声量をかなり絞っていたと思うのだが。人のことは言えないけれど、随分と地獄耳なことだ。

 

 肩に腕を回すようにして、ハルナが明日菜の背中に飛びついてきた。

 

「大丈夫だって! のどかは人見知りだからさー、少し緊張しているだけだよ。喋ってみれば慣れると思うし、一緒に行かない? ヒミナちゃん、まだ麻帆良に慣れてないんでしょ? お姉さんたちがどこでも案内するよー」

 

「せやせや。本当はみんなで集まって歓迎会とか開きたいんやけど、ヒミナちゃんそういうの好きやなさそうやし……。せめて美味しいごはんくらいご馳走させてぇなー」

 

 木乃香は満面の笑みを携え、ヒミナの手を握り締めた。

 

 しかしヒミナは即答しなかった。

 

 一瞬、その淡白な視線が明日菜の背後に向けられる。のどかの反応を窺ったのだろう。明日菜が振り返ってみると、内向的で気弱なはずの本屋ちゃんが控えめな笑みを浮かべながら頷いた。彼女なりに「おいで」と言外に伝えているのだ。

 

「……わかった。行こう」

 

 ヒミナが椅子から立ち上がった。

 

 その時、柿崎(かきざき)美砂(みさ)を始めとするチアリーディング部の3人や、明石(あかし)祐奈(ゆうな)らの運動部4人組(まき絵は欠席しているが)がこちらを眺めていることに明日菜は気付いた。

 

 いってらっしゃい、と笑顔で手を振られている。

 

 察するに、彼女たちもまた孤立していた編入生を放課後のランデブーにお誘いしようと企んでいたのだろう。同行は申し出ずにむしろ見送るつもりでいるということは、明日菜たちの一行(いっこう)が先にアクションを起こしたことにより、非社交的な性格のヒミナに気を遣って、大所帯にならないよう自分たちは身を引いたというところか。

 

 ぷっ、と明日菜は吹き出してしまった。

 

 どうやらヒミナのことを心配していたのは自分だけではなかったらしい。

 

 ◆

 

 2026年 4月8日 14:02

 

 食堂棟。

 

 低層ながら幅のある石造りの建物で、地下から屋上まですべてのフロアがカフェやレストランなど飲食店で埋め尽くされているという麻帆良学園都市において最大級の飲食施設だった。

 

 名に『食堂』という語句を冠してはいるものの、実際には商業区画という立ち位置だ。生徒だけでなく学校関係者以外の大人たちも普通に利用する。そもそも普段の平日であれば、自炊やコンビニに頼らない生徒たちの多くは校舎内の学生食堂で食事を済ませてしまうから、食堂棟までわざわざ足を運ぶ物好きの方が少数派だ。貴重な昼休みの時間を削ってまで校舎の外に出ようとは思わないし、学生食堂はリーズナブルだし。

 

 その食堂棟の1F、どこにでもあるファミリーレストランに明日菜たちはいた。

 

 ランチタイムは過ぎているが店内の席は大半が埋まっており、制服姿の生徒たちがドリンクバーのグラスを片手にだらだらと四方山話(よもやまばなし)を繰り広げている。

 

 薪窯で焼いたピザを提供する本格的なイタリア料理店から、すべてのリソースをSNS上での写真映えにフルベットした瀟洒(しょうしゃ)なパンケーキ屋さんまで食事先の候補は()り取り見取りだったというにも関わらず、こんな一部のフェミニストから猛バッシングを受けるであろうデート先の代表格みたいな場所(失礼)を選択した理由は単純で、主賓であるヒミナが「行ったことがない」と言い出したからだ。

 

 その着物姿の編入生はむっつりとタブレットに表示されたメニューを眺めていた。

 

「このハンバーグとは肉料理か? ミートローフとなにが違う」

 

「えぇっ? ……うーん、フライパンかオーブンかの違いちゃうかなぁ」

 

「ヒミナちゃん、まさかハンバーグ食べたことないの?」

 

 隣で木乃香が首を傾げ、対面に座っているハルナは目を丸くしていた。

 

「ではオム・ライス(男の米)とは? 神前に供えられた米や魚は男しか口にできなかったという話を聞いたことがあるが、その手の類のものか」

 

「よくわかんないけど今の時代にそんな料理がメニューに載ってたら大炎上するわよ」

 

 明日菜は呆れ声で突っ込んだ。

 

「……もしかしてヒミナさんは海外の育ちですか? ハンバーグもオムライスも日本発祥の料理ですし、ファミレスを利用したことがないという点も納得できるのです」

 

 タブレットの画面をスライドさせる手を止め、夕映が尋ねた。

 

「えっ? そんなフジヤマゲイシャスキヤーキーみたいな格好してるくせにヒミナくんって実は日本人じゃないわけ? なんかそれって詐欺じゃん。外国人観光客向けのお土産屋さんで売ってる商品がぜんぶメイドインチャイナだったみたいな」

 

「……よくわからんが、お前が失礼な女であることは理解した」

 

 明日菜の失礼な物言いを聞いて、ヒミナがこっちをじろりと一瞥した。

 

「私の生まれは日本だ。嬰児(みどりご)の頃に日本を離れてしまったが」

 

「では、ずっと海外に留学していたということですか?」

 

「学校に通っていたわけではない。この2年間は特に目的もなく放浪を続けていた。特定の国に長く逗留(とうりゅう)することもなかった。最後にいたのはインドだな」

 

「じ、自分探しの旅にしては若すぎると思いますー……」

 

 夕映だけでなく、のどかも自発的に会話へ参加してくれていた。

 

 明日菜も含め、女子校育ちの連中なんて基本的には男性との接点に恵まれない(部活などで学校外部の団体に所属している場合はその限りではないが)。クラスメイトの中でもこの2人は特に異性への耐性がない勢力に属しているはずだから、もっと露骨に男の子であるヒミナを敬遠するものかと思っていたのだけれど──どうやらまたも杞憂に終わったようだ。

 

 まぁ実際、ヒミナの容姿が女の子にしか見えないせいで、男子として一線を引くことが難しいという側面もある気はするが。

 

 その時、明日菜たちのテーブルに配膳ロボットがやってきた。

 

 トレイを縦に重ねたような四角柱の自走式ワゴンの頭にディスプレイを取り付け、デフォルメされた猫ちゃんの顔を表示させただけのシンプルな機構のものだ(自動走行の技術が珍しいのか、ヒミナは不思議そうな反応を示していた)。

 

 配膳ロボットは料理が載ったプレートを背負っていた。

 

「あれ? 誰かもう頼んでたの?」

 

「あははー。私だよ、私。ヒミナちゃんが迷ってるみたいだったからさ、代わりにオススメを頼んであげておいたよん。ほら、ハンバーグとオムライスだけじゃなくて、プリンに日の丸の旗におもちゃまで付属した王道のお子さまランチ」

 

「あんたねぇ……」

 

 からからと笑うハルナに、明日菜は呆れ顔を向けた。

 

 厳かな烏羽(からすば)色の着物を纏ったヒミナの前に、幼児向けキャラクターのイラストが描かれた彩り鮮やかなプレートが置かれている光景はどことなくシュールだった。

 

 しかし、日本のコモンセンスに疎いらしいお人形さんみたいな見た目の編入生は、お子様ランチに込められた揶揄(やゆ)や皮肉といったニュアンスを汲み取ることができなかったらしく、それぞれの手にナイフとフォークを握ったまま「……随分と絢爛だな。なにかの晩餐か」とか呟いており、要するに満更(まんざら)でもない様子だった。まぁ、本人が気に入っているのであれば明日菜だってこれ以上はなにも言うまい。

 

 ややあって、卓上にはヒミナ以外の料理も出揃った。

 

「ほんまヒミナちゃんが来てくれて嬉しいわー。……なぁなぁ、やっぱどこかでちゃんとした歓迎会やらへん?」

 

「そだねぇ。もっとこう、長谷川(はせがわ)さんみたいに誰とも関わりたくねーってタイプに見えたけど、意外とそんなことなさそうだし。今度またクラスの連中に声かけてみてもいいかもね。茶々丸(ちゃちゃまる)さんとか桜咲(さくらざき)さんとかは来ないかもだけど、けっこう集まるんじゃないかな」

 

「それもまき絵さんが目を醒ましてからの話ですね。明日には登校できるといいのですが」

 

「せ、先生のはただの貧血って言ってたけど大丈夫かなー……」

 

 他愛もない話に耳を傾けつつ、明日菜はパスタをくるくるとフォークで巻いていく。

 

 ネギが言ったように、まき絵は貧血かなにかで気を失っただけなのだろう。発熱などの症候は出ていない様子だったし、外傷もなかった。学校集会の場で校長先生の長話に耐えられなくなった子が倒れちゃったくらいのイベントだと、明日菜だって楽観しようとはしている。

 

 けれど、保健室でのネギの反応が引っかかった。

 

  本人はなんでもないとばかりに笑っていたけれど──考えすぎだろうか。なにかを隠しているような、腹を据えたかのような、そんな表情に見えたのだ。

 

「……どうした?」

 

 ヒミナに指摘され、明日菜はパスタをフォークで巻いた手が止まっていることに気付いた。

 

「ごめん、ネギの心配してた」

 

「……(ねぎ)?」

 

「自分の担任の名前くらい覚えなさいよ」

 

 ヒミナは首を傾げてしまった。

 

「今日、ちょっと色々あってね」

 

 明日菜はちらと木乃香たちを盗み見た。オムライスの卵は薄焼きかふわとろかどちらが至高かという話題で盛り上がっていて、こっちの会話には目を向けていない。

 

「自分でもなにが心配なのかはわかんないんだけどさ。図書館島ってとこで、ネギがデカい石の化け物に1人で立ち向かおうとした時と雰囲気がちょっと似てるような気がしてて……。また変なこと考えてないといいんだけど。あいつ、頭いいくせにバカでガキで、でもなんかあった時に黙って1人で抱え込もうとする印象があるっていうか……」

 

 明日菜はガシガシと頭を掻き毟った。

 

「ごめん、忘れて。そんな大袈裟な話じゃないのよ、ホント。……あー、なに言ってんだろ。吸血鬼がどうとか、くだらない噂に引っ張られたのかな。そんな生き物いるわけないのに」

 

 ヒミナは無表情のまま黙々とハンバーグを頬張っていた。

 

 それにしても、箸しか使えなさそうな見た目をしているくせにナイフとフォークの扱いが意外と達者だった。背筋もずっと伸びているし、肉を口へ運ぼうとする挙措もいちいち丁寧だ。着物が普段着である時点でなんとなく察してはいたが、やっぱり良家の子女──いや子息だったりするのだろうか、なんて明日菜が考えた時だった。

 

「よくわからんが、気を揉む必要はない」

 

 ヒミナがこちらを見ずに呟いた。

 

「……へ?」

 

「あの子供になにかがあれば、私が守る。そういう約束だ」

 

「なにかって……なによ」

 

「なにかしらの艱難(かんなん)だ。私も知らん。しかし……お前がなにを案じようとも、あの子供が死に(ひん)すような大事(だいじ)に至ることはない。私が力になるからな」

 

 明日菜はぽかんと口を開くと、ややあってから吹き出した。

 

「……なにそれ。安心させてくれてんの?」

 

「事実を述べているだけだ」

 

「はいはい、ありがとね」

 

 明日菜はネギがまた無茶をするのではと気がかりだっただけで、死命を制すみたいな深刻な状況を危ぶんでいたわけではない。だから、ヒミナが漏らした慰めの言葉(?)はとんだお門違いなのだが──その真面目な物言いに、思わず頬が緩んでしまった。

 

 ヒミナは相変わらずのユーモアの欠片もない調子で続けた。

 

「それと、吸血鬼は現存するぞ」

 

 今度こそ明日菜は唖然とした

 

「……は?」

 

「昨夜にこの学園でも目撃した。寮の近くの、桜が並んでいる通りだ」

 

「えっ? ちょ、ちょっと待って、どういう……」

 

()うの昔に根絶されたと考える魔法使いも多いようだが、東欧の田舎ではまだ──」

 

「ま……待ってってば! いくらなんでも聞き逃せないから! あんた今、魔法使いって言わなかった!? 詳しく説明してもらうわよ!」

 

「やめろ、揺らすな。カスタードプディングが(こぼ)れる」

 

 声を張り上げたせいで、さすがに木乃香たちの注目を浴びたが、明日菜は構わずにヒミナの小さな肩を掴むと思いっきり前後に揺さぶった。

 

 ヒミナは(しか)めっ面を浮かべ、スプーンに乗っかったプリンを死守していた。その際、明日菜の蜜柑色の髪が──立ち上がった明日菜は半ば覆い被さるような体勢になっており、垂れ下がった髪の先端がちょうどヒミナの顔に触れた──その整った鼻をこちょこちょと(くすぐ)った。

 

「──っくしゅ」

 

 ヒミナがくしゃみをした。

 

 同時に、スイカみたいなサイズの()()()()が吐き出され、明日菜の腹に直撃した。

 

 一瞬にして明日菜の制服が──正確にはブレザーの襟元と肘から先、そして靴下とローファーを除いたすべての布が消し飛んだ。

 

 時が止まったみたいに談笑の声が消える。木乃香やハルナたちだけでなく、他の客や店員までもが逆バニーみたいな格好の明日菜を見てはあんぐりと大口を開けていた。なぜか店内のBGMが先ほどよりも遠くの方から聞こえてくる気がした。

 

 不思議と痛くも熱くもなかった。でも、自分の顔どころか丸出しの尻までもが真っ赤に染まっていると確信した。死ぬほど恥ずかしいからだ。

 

「……よく生きていたな」

 

 感心したようにヒミナが告げて、プリンを口にした。

 

 明日菜は大股を開き、渾身のソバットをヒミナの顔面にぶち込んだ。

 

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