日本国有鉄道鉄道防衛局 貴方の安全、絶対守ります! 作:ななつめ
“郵便防衛庁”という組織が、日本にはあった。
日本郵政省の下部組織。
日本の郵便と郵便インフラを守ることを名目に、戦後GHQが発足させた郵便の、郵便による、郵便のための自衛武装組織である。
どんなに兵装が充実していても。
どれほど他国から見て軍隊であったとしても。
国内の全ての現行法をどう解釈しても、日本郵政省が管轄する郵便物を警護のための一部門。一国の軍にありながら、トップが内閣総理大臣ではなく郵政大臣な、世界一戦える郵便部門―それが日本郵便防衛庁なのだ。
当初、アメリカは同年に発令した“警察予備隊令”によって日本の再軍備、それが無理なら警察組織の強化拡充をと考えていたのだが、その両方が日本国内外の反発から頓挫。これによりアメリカは、軍や警察の形を取らない治安維持の模索を強いられた。
そしてこの世界では、もう一つの組織が産声を上げたのである。
“日本国有鉄道鉄道防衛局”である。鉄道公安警察と双璧をなす、もう一つの国鉄内組織となったのだ。
なぜ郵便防衛庁があるのに鉄道防衛局が設立されたのか、それはGHQへの対立勢力である。当時のGHQとアメリカ本国では連合国軍最高司令官であるマッカーサーとAmerican Council on Japanこと「ACJ」アメリカ対日協議会による統治方針の対立である。そして警察予備隊の設立が日本国内外の反発から頓挫したことでそれぞれが独自に動き出したのだ。
ACJが目をつけたのは、43年の再編で鉄道省から業務を引き継いだ運輸通信省鉄道総局であった。鉄道省では正装として佩刀することがあったのである。そして警察官が警戒のために乗り込む「移動警察」制度が1922年からあり、1927年にはこの制度は廃止され、その業務を引き継いで、鉄道省に「鉄道司法警察官吏」という職員が設置されていた。
その後、戦後の混乱による治安悪化のため 1946年3月から、試験的に警視庁による警乗が行われ、きわめて良好な成績を収めた。まず1947年1月22日から東海道線・山陽線の第1・4・5・8の各列車について、警察官による警乗が開始された。その後1947年4月に鉄道公安警察が発足。そしてACJはここに武器メーカーとしてさらなる重武装化を目論んでいたところに再軍備の頓挫である。まさに鴨がネギを背負ってきたような物であった。
ならば、“鉄道保護令”だ。これで鉄道員らの装備を拡充しよう。だが鉄道公安警察として武装すれば警察予備隊のように反発が見込まれる。なら新組織としてしまおうそうしよう。
その結果として、日本全国の鉄道員は困惑をもって新組織、鉄道防衛局を迎え入れたのである。
どうして今まで拳銃が精々だったのが、なぜ旧軍の三八式歩兵銃やアメリカ軍のM1カービン、ブローニングM1918自動小銃や九九式軽機関銃に九六式軽機関銃、果てはブローニングM1917重機関銃、ブローニングM1919重機関銃、ブローニングM2重機関銃、九二式重機関銃に九七式車載重機関銃などに化けてしまったのだろうか。
それでもまあ、車内外の治安はさらに改善し、熊や鹿、猪など害獣への射撃などでは大きくなった銃声が役に立って意外に好評であった。
これによって鉄道防衛局に所属する武装した鉄道防衛職員が鉄道員に同行、さらに危険地域への運行については鉄道防衛局の職員が業務を代行する事によって鉄道員の負担を軽減させる事としたのだ。
だがACJの野望はこれに留まらなかった。
昭和26年1月、朝鮮半島での戦争では北朝鮮軍がまたも韓国首都のソウルを陥落させて情勢が逼迫するとACJは郵便防衛庁に便乗し、
「武装がライフルと機関銃だけ?そんな豆鉄砲でどうやって共産軍から鉄道を守ると言うのだ?ACJは鉄道防衛局に戦闘車と対戦車バズーカを販売する準備がある。そして日本国有鉄道鉄道防衛局には日本各地にある鉄道設備を防衛する義務があるのだ!」
などとマッカーサー元帥の文をほぼ丸コピした声明を発表
これをもとに、M3軽戦車 M5軽戦車 スチュアート、M3中戦車 リー、グラント、M4中戦車 シャーマン、M22軽戦車 ローカスト、M24軽戦車 チャーフィー、M26重戦車 パーシングを始めとした米軍車両や旧日本軍の97式中戦車などの機械化戦力を配備された。
ただあまりの装備の繁雑さに整備課を始めとした後方部隊や勘定方が悲鳴を上げるに至る。そこで51年発足の日本兵器工業会を通して汎用車両の新規開発を打診。アメリカの介入や方針の二転三転がありながらも各車両が出来上がったのである。
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