日本国有鉄道鉄道防衛局 貴方の安全、絶対守ります! 作:ななつめ
さて、鉄道には鉄道郵便というものがある。
この管轄は郵政省で国鉄などの鉄道事業者は車両の運行のみをおこなうのだがここで問題が起きた。
そう郵便防衛庁である。
鉄道防衛局は鉄道の業務における脅威から守る義務がある。しかし郵便防衛庁は郵便と郵便インフラを守ることが義務なのだ。
ここで鉄道郵便の防衛業務はどこの管轄かが争われる。
簡潔にまとめるのなら有事の際に鉄道郵便はどちらが責任を取るのかが問題なのだ。
鉄道防衛局の主張はこうだ。
「鉄道の安全を守るのが我々の仕事であって、鉄道郵便は郵便輸送かもしれないが、れっきとした鉄道事業者が行う鉄道輸送業務であり我々の管轄である」
「鉄道郵便に脅威が迫った時、我々が防衛できなければ、そこが脆弱性となり、設備、貨物、旅客の安全が担保できない」
「よって我々が専任で防衛するのが道理なのだ」
一方、郵便防衛庁は、
「鉄道郵便は郵便輸送であり、郵便車は小規模の郵便局としての業務すら行なっているのだから、我々の管轄である」
「脆弱性を主張するのなら、同じく我々も郵便物の安全の担保ができないではないか」
「第一にお前らの所有する車両じゃないだろうが」
揉めに揉めた、盛大に争った。
1952年未明
突如として国鉄本社ビル(旧館)に轟然と響き渡る爆音に国鉄職員と残業していた運輸省職員は叩き起こされ、恐慌状態に陥る。
本社ビルは戦前からの耐爆設計だったが、側面から砲撃に晒されることは流石にあまり考慮されてはいなかったのでいくつかの穴が空いてしまう。
鉄道防衛局と鉄道公安警察はこの事態に素早く対応し、直ちに応射を仕掛け、下手人の制圧にかかるが、M24軽戦車に対し、本社ビルの装備は三八式歩兵銃を始めとした小火器類、最大で重機関銃までしかなかった為、有効射が重機関銃程度しか与えられず、しかも対空火器だったものだから取り外しに手間取り5分は撃たれるままと言っていい有り様だった。
なおこの間に所属識別が行われて郵便防衛部が下手人と判明し、郵政省に抗議と速やかに攻撃を停止するよう要請したものの、郵政省と郵便防衛部の上層部が全く把握していないと回答を返し、確認以外何もしなかった事でブチ切れた鉄道防衛局はまさかの本社ビルへ急行中だった汐留操、田町、東京区と大井工場の戦車部隊と近隣駅などから手空きの防衛局員を郵政本省庁舎へ差し向けた。砲撃を行う寸前で郵政省に先に到着した防衛局員が郵政本省庁舎内のほぼ全ての職員を降伏、制圧したことで砲撃は免れたが、郵便防衛部長らは運悪く室内銃撃戦で死亡することとなる。
のちに判明したことであるが、攻撃を行った犯人は郵便防衛部内の過激派によるもので郵政省からすれば寝耳に水の出来事だったのだ。
本社ビル襲撃の一報を受けた鉄道公安警察は鉄道防衛局らの銃撃戦から守るべく直ちに鉄道郵便局員の保護、拘束へ向かい防衛局員と共に郵便防衛部員との肉弾戦を繰り広げる。鉄道郵便局員は一時的な保護、拘束に同意し肉弾戦に巻き込まれる事を免れた。
朝9時頃にようやく機動隊が出動し、本社ビルの攻撃停止、犯人の逮捕、郵政本省庁舎の占領が解除され事態は収束を迎えることとなった。
駐日米軍はこれもう内乱ではと思い、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約、いわゆる旧日米安保条約の第一条に従い米軍の即応待機が執られるほどであった。
結果として旧逓信省貯金局庁舎である郵政本省庁舎、国鉄本社ビル(旧館)で銃撃戦が、東京中央郵便局、鉄道郵便局を中心に大規模な肉弾戦となるなど、鉄道は影響本数貨客合わせて1745本、郵便はクラッシュカバー4961通、全体の負傷者3万9618人、死傷者179名を出す大惨事となった。
さすがにこれには政府と国民も、アメリカまで怒りを通り越して呆れてしまい、国会では両組織ともに活動を制限するべきとの声が上がり、高火力装備の一時封印が行われると同時に関係機関職員と閣僚が3ヶ月の給料強制返納措置が採られることとなった。
なお両組織の責任者の多くは銃撃戦により戦死を遂げてしまい直ちに指揮、責任を取れる者がいなくなってしまい反発はあまり無かった。
最終的に、鉄道郵便の警備は鉄道公安警察の管轄となり、陸上郵便防衛部員2名までの警乗、鉄道防衛局員は非常時に鉄道公安官の求めに応じて警護を行うのみと定められた。
ここまで大きな事態を招いた裏事情として、日銀の鉄道現金輸送の争いでもあったのだが、郵便防衛部が鉄道現金輸送を担当することはなく日銀職員と日銀の警備員、鉄道公安警察と鉄道防衛局員2名の担当となる、郵便防衛部は戦前の輸送の関係で現金輸送車を担当していたが今回の件で相当縮小されたとか、これは表に出せない話であるので国民には知らされることは無い。
なおアメリカ政府はこの事態を重く見て日本政府に米軍による戒厳措置の条項を検討中であった新安保条約に盛り込むことを提案したが、国内世論とソ連を始めとする東側諸国の反対により実施されなかった。
あとがき
現金輸送について調べてみましたが、資料が過去の物も見つからず、貨幣博物館にも無かったので、おそらく明治期には拳銃などを扱え、日本全国津々浦々を輸送できたのは駅逓、現在の郵便局のみと言っていいので多分、逓信省郵務局が担当していたのではないかと思われます。なので本小説では現金輸送車は強化された郵便防衛庁が警備するという設定とさせて頂きました。
なお戦前は鉄道省の貨物輸送でも輸送していたことが公開されていますが相当過酷な環境だったようです。その後1948年に日銀私有貨車の荷物車マニ30が製造され、大きく環境が改善されました。こちらは2003年に日銀券鉄道輸送が終了したことに伴い、小樽で1978年製造のマニ30-2012が公開され、日銀券鉄道輸送の内容の多くが情報公開されています。興味のある人はご自身でぜひ調べてみてください。
ここまで遅れた理由は次に出す予定だった兵器の性能が決まらずエタったためです。車両の設計などを一からするために当時の技術を調べて図面を書くのは私にはちょっと無理だったので、性能はどんぶり勘定とさせて頂きます。なので性能にかなり無理のある箇所が出るでしょうが、ご容赦ください。