最近部下の一人が良く働く。いや、勘働きが良いというべきか。
珈琲を淹れようとした時に丁度良く差し出されたり。
欲しい資料を先回りして準備されたり。
それだけであれば単に気が利くだけで良い。けれどどうにも、それ以上である、と感じ始めたのが本日。
*
今日もある種いつもの通り。DU地区に店を構える、とあるレストランにて爆破騒ぎが発生。案の定引き起こしたのはゲヘナの美食研究会。
またかという気持ちを抱えつつ、奴らを追う為に公安局を出ようとした直後、その部下からの進言が。
周辺マップを出し、一点を指さす。曰く。絶対にこの場所を通るから、ここに網を張っておけば一網打尽に出来ると。
今しがた発生した事件にも関わらず、当てずっぽうや適当を述べている様子ではなく。必ずという確信に満ちていた。
「……根拠は?」
仮に今の話が本当だとしても、間違っていたとしても、早く現場へ向かわねばならない事には違いない。建物を出て、歩きながら疑問を投げる。例えば行きつけのレストランだから地理に詳しいとか。その周辺に住んでいるとか。そういった、何かしらの理由があればまだ納得できる。
だが、本当に欲しかったのは明確な返答では無く。ただ自分の内にあった予感が疑問の形を取っただけ。過去の経験に基づく予想。きっと人形と不発弾に出
これは、また「何か」の予兆だと。
私の質問に対して部下は足を止めた。釣られて足を止めて振り返ると、部下は声を低めて笑い声を一つ漏らし。
愛おしむ様に自らの右手首を撫でる。動きを目で追ってみれば、そこには部下が普段付けていなかった腕時計──いや、腕時計型端末か──が巻かれていて。
私、何でも知っているんです。
とだけ呟き、また歩き始める。私の横を過ぎる瞬間見えた口元は、笑みの形に歪んでいた。
示された地点に人員を配置させれば、あっけなく全員を捕らえることが出来た。……これもまたいつもの通り給食部の愛清フウカも誘拐されていたようで。
彼女はすぐに開放したが、誘拐された割にはけろっとした顔で先日のサンドイッチの出来栄えに対しての感想を求めてくるものだから、案外彼女もしっかりとゲヘナ学園の生徒なのか。なんてどうでもいい感想が頭をよぎった。
*
美食研の連中を牢に詰め込んで一息入れる。どうせ二、三日もすれば脱獄を図るのだろうが。私が四六時中見張っていれば防げるかもしれないが現実的ではない。
監視体制に改善が必要である、と考える一方、他の不良連中や逮捕した奴らは概ね定められた日数で解放するまでは大人しくしている。やはり美食研や、矯正局からでさえ脱獄してみせる一部の奴らが異常なのだろう。
ともあれ、通報された事件は片付いた。であれば次の懸念点である、部下の事。……何でも知っているとまで宣った、彼女の事。
いくら「何か」が関わっているかもしれないと言えど。流石に個人が付けている腕時計までをどうにかできるような権限は私には無い。
また、例の地点を示した部下に話を聞こうとしてみても、巡回や別の事件に当たっていたり。時間が空いたと思えば既に勤務時間が終わっていて、既に公安局内に居なかったりと。
掴もうとした手の隙間をするすると逃げられているような感覚。
本人の言う通り、「何でも知っている」のであれば、私の動きを察知することもたやすいのかもしれない。
思うように動けないまま日常が進み、二日後。
公安局内がざわめき立ち、また脱獄騒ぎかと腰を上げたところ、続けて次の一報が入る。
*
騒ぎを起こしたのは──起こそうとしたのは、想像通り美食研究会。しかし既に鎮圧され、再度牢に収監されていると。
報を知らせてきた一人を捕まえて話を聞いてみれば、その鎮圧に一役買った人物はやはりと言うべきか。
件の部下だった。
*
このまま彼女を捕まえようとしても業務や任務を盾に、何かにつけ避けられるだけだろう。ならばアプローチを変えるべき。
つまりは今しがた脱獄を試み、かつそれを阻止された美食研の連中へ話を聞くべきだ。そう決めた私は、彼女達が収監されている牢へと足を運んだ。
───
──
─
「あらごきげんよう、カンナさん」
鉄格子越しに私へ、今さっき脱獄を企み、阻止されて再収監されたとは思えない程の余裕を見せながら、まるで旧知の仲にでも話しかけてくるのは、美食研究会のリーダー。黒舘ハルナ。
ああ、今こそ珈琲が欲しい。それも特別に濃く淹れた、苦く熱い珈琲が。脳裏に浮かんだ逃避に近い誘惑を振り払って彼女に声を掛ける。
「……聞きたいことがあって来た」
「ふむ。珍しい事もあるものですわね。公安局長が自ら足を運んでだなんて。別に構いませんわよ? ちょうど今
そう言って彼女は、悪びれる様子を無いまま優雅に目を細めた。
「それにしても、随分と優秀な部下が付いたようですのね。カンナさん」
「……どういう意味だ?」
「? だってそれについて聞きに来たのでしょう?」
「……」
そう言われればその通り。しかし言から察するに、普段と違う点があった、というのは他ならぬ追われる立場であった彼女達だからこそ実感できた点でもあるのかもしれない。
「今回私達は、予め仕込んで置いた爆弾を使って脱出というプランでの脱獄を目論んでいたのです。ああ、もう封じられたのですから隠す必要もないという訳で」
「しかし解せないのが、爆弾の隠し場所です。これを使おうと思った時、貴方の部下がまるで、そう、最初から知っていた、とでも言わんばかりに。私たちの目の前で隠し場所を暴いたのです。全くもって驚きでした。今まさに使おうとした脱獄手段を私達に見せつけるかのように持ち去っていったのですから」
「カンナさんも知っているとは思いますが。真に美味しいものを口にする、という志が一致している以上、内部からのリークはあり得ません。かつ、爆弾の隠し場所は『知らなければ知っている筈がない』所でした。もしやカンナさんが全て見抜いて手を回していたのでは、との予測も。貴方の表情をみれば分かるというもの」
それもまた、違うのでしょう?
彼女は笑ってそう言った。
「……まあ、その通りだ」
ここに来て、彼女の言を否定をする必要は無い。予想外の事態でも無ければ私はここへ、ハルナへ話を聞きに来ようなどとはしないのだから。
「ともあれ、私に分かるのはこれくらいかと。他に聞きたい事でも?」
との問いに、しばし逡巡。時間はいくらでもあるが、同時に無駄な事を聞いても仕方が無いという思い。そして、この疑問を尋ねるという行為が意味すること。
「……お前達を捕らえた、その例の爆弾の隠し場所を暴いたという部下の様子。それが聞きたい。何か、いつもと異なる違和感は無かったか?」
部下の手綱を取り切れていないという、弱みを自ら晒すような選択は、おそらく以前の自分には取れなかったのではと思う。
しかし今の私は知っている。覚えている予感を放置することに比べたら、些細なプライドなど捨ててしかるべきだと。
「そうですね……。私達を捕らえる動きをする割には、私達自体は眼中になかったかと思いますわ。ずっと──」
──自らの手元へ注意を向けていましたもの。おそらく、右手首へ。何かを注視するように。
ハルナは
やはりそうか。
懸念が一つ当たり、深く息を付く。とにかく、これで確認は取れた。私以外の目にも「そう」映ったのであれば、確定とみて動いていいだろう。
つまり、右手首へ巻いた腕時計型端末。それが恐らく、今回の「何か」の正体。
*
次に来るときはかつ丼の差し入れをお願いしたいですわね。尋問は怖くてもかつ丼は美味しい、と評判ですのに。などという別れ際の戯言を聞き流して、特別牢を後にする。
どのように話を聞こう。地下から地上へと向かう階段を上りながら、その方法に思考を割く。
とはいえ。向こうが推定「なんでも知れる」相手である以上、碌な対策は取れない。むしろ確実に罠に嵌められる策を思いついたとして、それに対して対策を打たれてしまえばどうしようもない。
であるならばいっその事、無策で挑んでしまおうか。私に対策が無い事を知れば、油断して私の前に出てきてくれるのではないか。などと考えていたら。
ピリリリ。
つらつらと現実的でない考えが満ちていくのを遮断する、聞きなれた電子音が突如、私の耳朶を揺らす。
発信源はジャケットの内ポケット、仕事用の連絡端末。階段の中腹で足を止め、ディスプレイを見れば音声通信の呼出。……番号は公安局から。
今日は一体どこで、誰が事件を起こしたのか。二日前が美食研究会なら次は温泉開発部あたりかなどと、先程まで脳裏に流れていた、役に立たない思考よりは幾分か建設的な予想を組み立てながら応答をタップ。
……温泉開発部だろうがヘルメット団だろうが、ましてや仮に、厄災の狐がどこぞで大規模テロをかましたとしても。そうであればどれだけ日常であったか。
「もしも──「局長! すぐに戻ってきてください!!」──何?」
「【〇〇】が、いきなり局内で暴れ始めて! 局長に会わせてくれと叫びながら! とにかく早く! 私達じゃ鎮圧できなくて、動きが全部読ま──」
鼓膜を破らんばかりの焦燥に満ちた声が示した名前は、件の部下。聞き返す間もなく、銃声と悲鳴。
それきり通信は切れ。後に残るのはビジートーンのみ。
「ッ……!」
思わず漏れた舌打ちを合図代わりに、階段を駆け上がる。
「何か」はいつも、まともに考える間など与えてこないなと。場違いな思考が一瞬だけ過った。
何が起きた? 私を避けながらも業務には通常通り当たっていた筈。それこそつい先程、美食研究会の脱走を阻止していた。それなのになぜ、一転して私を?
全力を脚に傾けている為、考えは纏まらない。纏める為の酸素が全て速度へ変換されている。しかしそのおかげで、迅速に公安局へ辿り着く。
*
私の眼の前に広がる光景は。
公安局外壁一部に大きく残る爆破痕。おそらく美食研が脱出用に使おうとしていた物だろう。その近くに伸びている、鎮圧に動いたのだろう部下達が数人。
それを遠巻きに囲む、まだ動けそうな幾人かの部下達の背。そして。
公安局外壁の爆破痕の奥、随分と風通しの良くなった廊下に当たる部分に。背をまるで老婆のように丸め、息を切らして、アサルトライフルを構え。時折右手首を掻き毟っては頭を大きく振り乱す。件の部下の姿。
「私にも当てて構わない! 三秒後に一斉に──撃て!」
「局長!? はっ、はい!」
この場にいる誰の耳にも届くように、短く指示を飛ばす。鎮圧に動く部下達は突然の声に一瞬だけ混乱するも、即座に指示に従い射撃体勢へ。
そして、その銃口の先にいる彼女は声を辿り私を視認。一瞬だけ右手首へ目を向けようとして、拒む様に手首をまた掻き毟る。
同時にライフルを私へ向け、躊躇いなく引き金を引いた。──彼女の内にどのような思惑があるにせよ。私と向かい合って、逃げない。であれば、制圧は容易い。
ライフルからの射撃と同時、私は一秒を使って大きく息を吸いこみ。前方へ駆け出しながら身を極端に大きく屈めて射線を躱す。
数発は当たって構わない。今大事なのは視界。
それさえ守れればどこに当たろうと些事と片付け、体に叩き込んだ動作をなぞって拳銃を取り出すのに一秒。
最後の一秒で照準を合わせ。背後から張られた弾幕に射撃を重ねる。射線の先は、右手首。……腕時計型の、「何か」。
反射的に彼女は躱そうとして、動きの先に置かれた弾幕により硬直。どこに躱せば良いのか。仮になんでも知れるとして──それを知るのは一人の人間。情報処理能力には限界がある。
ライフルを構えた手を捻って、足をかけながら肩を押し体勢を無理やり崩せば。
彼女が暴れる振動を受けつつも、驚くほどあっけなく制圧は完了した。
だがこれは、あくまで前提条件に過ぎない。つまり。騒動を引き起こした原因にどう対処するかが一番の問題なのだから。
暴れ続ける部下を拘束し、私は。腕時計型端末を、彼女の右手首から抜き取った。
*
曰く。
最初はディスプレイを見れば、知りたいと思ったことが表示されるだけだった。その日の天気や、無くした文房具の場所。その程度。
けれど段々、知れる範囲が増大していったらしい。
他人が何を考えているのか。今日の事件はどこで、誰が、何を使って起こすのか。そんなことまでディスプレイに表示され。
自分がほんの少しだけでも知りたいと思えば、それはすぐに手に入る。
知った情報を使って、自由に立ち回ることに優越感を覚えていたのだという。
確かにそれは十分、何でも知れると表現していい。美食研究会の逃走ルートを即座に潰して見せたこと。脱獄計画を未遂に終わらせたこと。
他にも、私が強引にコトを進めようとしない範囲で色々遊んでいたらしく。
私から距離を取っていたのも、「私がそれを外させよう」と考えていることを知ったから。そして、そういった「何か」に少なからず触れていることを知ったから、警戒した。
そしてつい先程、突如。「知れる範囲」が、更に拡張された。ディスプレイを見て情報を得るという、いわば能動的な伝達手段だったそれは彼女の意志を介さず。まるで、頭蓋骨を切り開いて脳に直接文字を刻むかのように変貌した。
いつだったか私に対して、「なんでも知っている」と。そう
文字通りの意味で、一言一句違えず、「
例えば、
百メートル先の誰かの会話を。道行く人すべての思考を。手引きしている人間を。目に映った人の名前を。木の葉の落ちる場所を。過去に起きる事件を。明日の天気を。未来に起きた事故を。キヴォトスに訪れた終焉の意味を。幼少期に食べたクッキーの味を。阻止に動く人間を。
大も小も関係なく、目に映ることの全てと目に映っていないことの全て。永遠とこの世の全ての始まりから終わりまでを脳裏に刻み込まれ続けて。
そうして彼女は、耐えきれなくなって。助けを求めたのだ。事情を知っていて、かつ、一番近くにいた私へ。
対処法も。私以上に事情に詳しい人物も。原因も。何もかもが分かっても、自ら「何か」を引きはがす事だけは出来なかったのだという。
……特にこの「何か」が、例えば以上に吸着したりだとか、超常的な力で取れなくなったとか。そういう事では無いらしい。事実、私はいとも簡単にこれを取り外せた。
なのになぜ、彼女はこれを外すことが出来なかったのか。答えは実に単純。
「何も知らない」。──無知へ戻る事を恐れた。たったそれだけ。与えられる情報に耐えきれなくて手放そうと思って尚。一度知ってしまった後では。
──何も分からないんです。怖いんです。一秒先が、一分先が何も分からなくて。局長は今、何を考えているんですか? 教えてください。何も分からないのです。怖いのです。教えて下さい。教えてください。おしえてください。
医務室の、ベッドの上。彼女は布団の中へ頭まで潜って。私の問いに震えながらもどうにか答えていた彼女は。……私の部下は。
最早今までの様子など見る影もなく、別人になってしまったかのように。
おしえてください。
とだけ繰り返した。
*
「……」
──元々は、拳銃で破壊しようと考えていた。けれどそれをしなかったのは、この「何か」は対抗策になるのではないか? と考えたから。
ゲヘナで遭遇した人形や、アビドスで見た極彩色の
明確に私を上回り続けたこの腕時計型の「何か」であれば明確に対処や、場合によっては消滅させるような手段が分かるのではないかと。利用できるかもしれない。
そんな甘い考えは、目の前の部下を見て吹き飛んだ。これは、自由に扱える手合いではない。確信を持つにはあまりある、豹変した彼女の姿。一刻も早く、破棄するべきだ。
今すぐに内ポケットから取り出して、拳銃で打ち抜けばいい。
事実、物理的な破壊を防ぐような気配は何一つとして感じない。私が起こせる何かしらの一工程で「これ」は粉々になる。
けれど動けない。
既に私も知ってしまった。まるで、リンゴの山に一つだけ腐ったリンゴを混ぜ込んでおくような。体ではなく、思考を侵す
たった一滴の、燻ぶって消えない考えの火種。
いつか仮に、万が一の時。取り返しのつかない時。そんな時が来てしまったのなら、最終手段に出来る。使える。来ないで欲しいと切に願う。
図らずも部下の言を聞いて、見て、それは強固な確信へと至り。
ああ、と。先程の部下の言葉に納得を得る。だから彼女は私へ助けを求めたのだ。正しい選択が分かっている癖に最期の一歩が踏み出せなくなってしまったのだ。今の私と同じように。
だから、それを止めてくれる
結局私は形だけの逡巡を終えて、内ポケットから手を離す。
──未だに、腕時計型の「何か」は。その形を保ったまま、私のポケットに眠っていた。
無知である私なら選べた選択肢は最早、手の届かない場所にある。
【Case3. D.U._ヴァルキューレ警察学校公安局/無知】
中断。