Chancellor 作:ちま
「綺麗だよ、アレクサンドラ。とても艶やかな毛並みだ。」
ハーディンは自身の愛馬をブラッシングしながらにこやかに語り掛けた。アレクサンドラは嬉しそうにブルル、と鼻を鳴らす。
「ええ本当に。とても美しいです。」
「きっとハーディン様が丹精込めてお世話されるからですね。」
それぞれの愛馬を同じくブラッシングしつつザガロとロシェが相槌を打つ。二人の言葉にウルフとビラクも同意するように温かく笑う。彼らも愛馬をブラッシングしており、明るい陽の光が差し込むアカネイア城の厩舎はオレルアンの面々と彼らの馬たちの和やかな雰囲気で満たされていた。そんな中で。
「あっ」
ロシェが厩舎の出入り口でこちらを見て唖然としているマルス王子主従に気付いて声を上げ、他の四人も彼らの方を見た。
「これはこれはマルス王子にマリク殿、…ええとそちらは?」
「彼は近衛騎士のクリスです。ご無沙汰しています、ハーディン殿、狼騎士団の皆さん。」
突然の戦友の登場に驚きながらも狼騎士団の4人と共に笑顔で彼らの方へとやって来たハーディンが尋ねるとマルス王子は卒なく答え、挨拶を返した。
「久しぶりですな。クリス殿は初めまして。今日はまた何故ここに?」
「ボア司祭に貴方が厩舎にいるだろう、と聞かされて…」
「いや、そうではなく、何故アカネイア城に?」
「ええと、ガトー様の命で。実はハーディン殿、貴方にお頼みしたいことがあるのです。」
「私に?」
「はい。ですがここで話すのも何ですから、場所を変えたいと思いますが…」
「それは構わぬが…あと少しで馬の手入れが終わるので待ってもらえぬか?」
「もちろん。突然訪ねたのは僕の方です。外でお待ちしていますね。」
申し訳なさそうに言うハーディンにマルスはぎこちなく微笑い、クリスとマリクとともに厩舎の外へと出た。
馬の世話を終えたオレルアンの面々はマルスたちとともにハーディンの執務室へと移動した。
「ロシェ、カタリナにお茶を用意するよう、言いに行ってくれぬか?ビラクも予備のオットマンの用意を。」
「「はっ。」」
ロシェとビラクはハーディンに言われてすぐにそれぞれの仕事に取り掛かった。マルスは『カタリナ』という名に引っかかりを感じたがありきたりな名前のため深くは気に留めずに、マリクとソファに座るとハーディンにまず疑問に思ったことを問い掛ける。
「何故、ハーディン殿自ら馬の世話を?」
幾ら自身の愛馬でも王弟たる身分の人が世話をするのはマルスの感覚だとちょっと考えられないことだった。騎士の馬の世話でさえアリティアでは基本、厩番がしていた。
「ああ…厩番は私と狼騎士団4人の馬に最低限の世話しかしてくれぬのだ。だから公務が休みの日はこうして皆で毛づくろいしてやっている。」
「……厩番の怠慢をボア司祭や…何ならニーナ様に言わないのですか?」
「ああ…それは…何と言うか…告げ口みたいで、な。そのようなことでニーナ様を煩わせるのも……それに言ったとして、馬が厩番に更に酷い扱いを受けるようになるやもしれぬし。」
ハーディンが肩を竦める。
「別に、大したことではない。愛馬がキレイになるのは私も嬉しいし、馬の体調不良に気づくこともある。何より、馬は乗り手との触れ合いを喜ぶ。それにまあ、部下たちとのコミュニケーションの時間だと思えば…」
「……」
――部下たちとのコミュニケーション、って。ハーディン殿、貴方は本当に良い上司です。
マルスはふとハーディンの執務室を見回した。アカネイアほどの大国の宰相の部屋にしては酷く殺風景だと感じた。まるで今まで使っていなかった部屋を急いで片付けたかのような。今自身が掛けている来客用ソファもクリスのためにビラクが用意したオットマンも随分年季が入ったもののようで、所々布地が擦り切れ、色褪せている部分もあった。処分するのを忘れてずっと物置にあったものを引っ張り出してきたかのように見える。
「…ハーディン殿。貴方はどのような部屋に滞在しているのですか?」
執務室がこれなら生活する部屋はどうなのか。気になってマルスは訊いてみた。
「部屋?…ああ。私の部屋はそら、そこの窓から見える塔の最上階だ。」
「……はは。お城の中枢から随分と離れているのですね。御伽噺や物語で囚われの姫君が幽閉されることの多い場所だと記憶しています。」
「ハハハ、貴殿は面白いことを言うな!」
マルスが顔を引き攣らせて言うと、ハーディンは破顔した。次にマルスはウルフに問いかけた。
「…ウルフ殿たちはどのような部屋に?」
「我らは兵舎の4人部屋です。」
「……オレルアンにおられた頃より待遇が悪いのでは?」
――曲がりなりにも4人は暗黒戦争の英雄、しかもウルフ殿は狼騎士団の団長でザガロ殿は副官だと聞いている。上官用の個室を用意して当然なのに…
「まあ、祖国にいたときは個室でしたが…ザガロたちとはともに育ったので特に居心地が悪いというわけではありません。」
とマルスの問いにウルフが肩を竦める。マルスは『なるほど』と言ってホンの一瞬、作り笑いを浮かべて。
――他国の王族を自国の復興のために宰相として招いておきながら何て扱いだ。
と心の中で苦々しく思う。恐らくボア司祭やニーナ王女も彼らに悪意を持って接しているわけではないのだろうが、属国の者たちという意識からこのような扱いになるのだろう。
「失礼致し……!!」
そのとき、ノックする音の後に開かれたドアの方から息を呑む音とともにガチャ、ガチャン、と陶器の割れる音がした。皆が振り向くと紫髪のボブの小柄な女性が驚愕した顔をして両手で口元を覆っていた。その女性はまさしくアリティアを裏切ったカタリナ本人だった。
「ああ、何てことを!」
ザガロが慌てて駆け寄り、割れたティーセットの破片を集め始める。マルスにマリク、クリスが立ち上がり驚愕した面持ちで彼女を見つめる理由がわからずにハーディンはただ眉を顰めた。
「……私、ノルダの生まれなんです。」
カタリナは落ち着くと皆が見守る中、話し始めた。
「あの町のこと知ってますか?私は…よく知ってます。あの町で、私は家畜みたいに虐げられて、何かあると面白半分にぶたれました。痛いのはいやだから、そういう時は目を閉じて何も考えないで、逃げ込むんです。心の奥に…」
カタリナは少しの間、瞑目して目を開けた。
「…でも、そんな私を救ってくれた人がいたんです。その人が私に生きる意味をくれました。私はその人のためなら、何だってしたいと思ったんです。あなた方にそういう人はいますか?」
クリスがマルスを、狼騎士団の四人はハーディンを一瞬見た。
「その人が…アカネイア城に潜り込め、と。信用させて、裏切れ、と。……私はその人の命令には逆らえません。幼い頃から今までそう『教えられて』きました。幼い私の心の奥底に刻まれてきたその人の言葉は、決して消えることはありません。」
カタリナの肩が震え、頬に涙が伝った。
「ごめ…なさ…い。あんな、に…私に…よく、して…くれた、のに…私…は…」
「カタリナ。そなたはパレス復興に当たり、民たちの目線から私に様々な助言をしてくれた。見よ、今のパレスの活気を。多くがそなたの功績だ。これからも傍にいて私を助けてくれ。」
ハーディンが微笑む。カタリナはかぶりを振った。
「今更…無理です。私は許されない罪を幾つも……マルス様。貴方にも、私は許されない罪を犯しました。どうか、罰を…」
「顔を上げるんだ、カタリナ。君が本当に悔いているなら、生きて、償いをして欲しい。」
「マルス様……」
「マルス殿の言う通りだ。生きて罪を償えばよかろう。楽なことではなかろうが…だが、これだけは約束する。例え何があっても…私はお前の味方だ。」
「俺たちも元は孤児だったが、ハーディン様に救っていただいた。」
「君は仲間だ。」
「僕たちのこと、兄だと思ってくれ。」
「そうだよカタリナ。我ら、草原の民を奴隷の身分から解放してくれたのはハーディン様なのだ。君も俺たちと同じだ。」
ハーディンに続きウルフたちが口々にカタリナに声を掛ける。そして…
「……う…うっ… …マルス様、ハーディン様… ウルフさん、ザガロさん……ロシェさん、ビラクさん……!」
カタリナは嗚咽とともに泣き崩れた。
「そう言えば…マルス王子。私に何か話があったのではなかったか?」
カタリナが再び落ち着いてから、ハーディンが思い出したようにマルスに尋ねた。
「あっ…忘れるところでした。実は…」
マルスは地竜のこと、封印の盾のこと、五つのオーブのことをハーディン始めオレルアンの面々に話した。
「…それでガトー様より、命のオーブをギュール王が所持していることを聞き及び、譲ってもらえないかと…」
「ふうむ。そのような事情があるなら兄もオーブを譲るに違いない。ビラクを遣わして兄からオーブを受け取り、アリティアに届けさせよう。」
「助かります。」
マルスはハーディンに礼を述べた後、カタリナの方を見た。
「カタリナ。君の言う『その人』…エレミヤを闇から救えるかもしれない。」
「えっ…」
「ガトー様から託された、光のオーブで。」
「ほ…本当ですか?」
期待を込めて訊き返したカタリナにマルスが頷く。
「そ、それなら!私がエレミヤ様の処にご案内します!」
「わかった。頼むよ。」
マルスはカタリナに微笑んで見せ、ハーディンに向き直った。
「ハーディン殿。もしも貴方がご結婚について考えることがあったなら…最低限、相手や周囲の者が貴方を対等な存在として尊重し気遣うことができるかどうかをよく見極めた上で決断された方が宜しいかと思われます。」
「…友よ。助言、感謝する。」
ハーディンは微笑みマルスと別れの抱擁を交わした。
*
アカネイア城を後にしたマルスたちはカタリナと共にパレス郊外の野営地へと戻った。そこでは第七小隊のメンバーが野営の準備を進めているはずだった。
「カ、カタリナ!?」
戻って来たマルスたちとカタリナが一緒にいるのを見てセシルが思わず叫び、第七小隊の他のメンバーも彼女を見てひどく驚く。マルスがすぐに経緯を説明したが…
「よくもまあ、平気な顔で現れたものね。」
セシルが腕を組み、カタリナを冷たい目で見下ろす。
「…すみません。」
「みんなを裏切ったあんたが改心したって聞いても、簡単に信用することはできない。」
「わかっています…私がしたことを考えれば、どう言われても仕方ありません。でも…信じてほしいことがあります。」
「何?」
「第七小隊にいた頃の私は…本心から笑い、本心から安らぎを感じていました。セシルさん、あなたへの友情も本心からのものです。」
「…あなたとの友情なんて、あたしはもう忘れてしまったわ。」
セシルがフイ、とソッポを向く。
「…そうですか…」
「何にせよ、暗殺集団組織アジトへの道案内が済めば、あんたとはおさらばね。」
セシルは踵を返し、行ってしまった。
「……カタリナ。」
焚火を囲み、城から戻った4人でお茶を飲みながら、マルスが口を開く。野営地に戻る途中、そして戻ってからも、幾度となく何か言いたげなカタリナの視線を感じてのことだった。第七小隊の他の連中は彼女とどう接していいかわからないからか、さり気なく彼らと距離を取っている。
――恐らく、アリティアに戻りたいのだろうが…
彼女が何度もクリスの方をちらちらと見ているのにマルスは気づいていた。恐らくクリスに好意があるのだと見て取れた。が、曲がりなりにも主君である自分を暗殺しようとした者を許して再び幕下に加えるわけにはいかなかった。
「君がアカネイアで…ハーディン殿の許で居場所を得られたことは僕も嬉しく思っているよ。」
「は…はい。でも…」
マルスは皆まで言わせず続けた。
「君に事情があったことも、君が根は悪人でないこともわかってはいるけれど…アリティアの人々の中にはさっきのセシルのように君を詰る者もいるだろう。だから君の過去を知らない人たちの中でやり直した方がいいと僕は思う。」
――マルス様は私がアリティアに戻りたがっていることなどきっとお見通し…わかった上でのこのお言葉ならもう諦めるしか……
結局のところ、クリスも再会してから声を掛けてくれることもなく、カタリナには何のよすがも残されていなかった。
「……そう…ですね。」
カタリナは目を伏せ小さな声で頷いた。
*
暗殺集団組織のアジトは、アカネイア辺境の山岳地帯にあった。
「ここは表向き、孤児院ということになっていますが…」
古びた教会を見上げて、カタリナがマルスたちに話す。
「…孤児院とは名ばかりの施設です。光のない地下に孤児たちを閉じ込め、洗脳しているのです。」
「な…」
同じ孤児であるクリスが驚愕の思いでカタリナの方を見る。
「組織の子どもたちは、ずっとその暗闇で育ってきました…自分の意思も心もなく、ただ命じられるままに手足を動かす人形のように…」
「カタリナ…」
ロディがカタリナを見て思わず呟く。
「でも私は…もう違います。エレミヤ様を救う…この気持ちだけは、私のものです。誰かから命じられたものじゃない…、私自身の心…私の宝物です。」
「カタリナさん…」
「カタリナ…」
ライアンとルークもカタリナを見た。
「エレミヤ様は孤児たちとともに地下の暗闇にいます。…そこは危険な処で、侵入者に備えるための壁穴から矢を撃ってきます。そしてエレミヤ様自身も、強力な魔道士です。」
「そんな…どうしたら…」
マリクがマルスを振り返り、カタリナも王子に向き直った。
「マルス様。貴方は、光のオーブでエレミヤ様を救えると仰いました。まだ仲間だと思われている私ならば、容易に近づけます。私にその、光のオーブを貸していただけませんか?」
「それは構わないが…」
「ありがとうございます。…これが償いになるとは思いません。でも、私が生きてできることをしたいんです。どうか、私を信じて外で待っていて下さい。」
「……わかった。気を付けて。」
マルスは光のオーブをカタリナに手渡し、頷いた。
「エレミヤ様…」
隠された地下道を通り、カタリナは勝手知ったる孤児院地下・奥の部屋にいるエレミヤの許へとやってきた。暗闇の中から声が返る。
「カタリナ?なぜ戻って来たの?目的を果たしたの?」
「それは…ですがこれを。」
「?」
カタリナが懐から光のオーブを取り出して魔力を籠めると、オーブが眩く輝き、エレミヤに憑りついた邪悪な怨念を焼き尽くした。
「あ…ああ…、…ああああ……。…わ…、…私の…子たち…、あああああ…!」
突如起こった光とエレミヤの絶叫で孤児院の地下にいた暗殺者たちが奥の部屋へ駆けつける。そこには倒れてピクリとも動かないエレミヤと傍で立ち尽くすカタリナがいた。カタリナが仲間の孤児たちを振り返り――
「……エレミヤ様は、昔の優しかったころのエレミヤ様に戻りました。もうあなたたちも人形ではありません。」
毅然と、言った。
「…マルス様。エレミヤ様も仲間の孤児たちも、もう大丈夫です。ここは本来の孤児院に戻るでしょう。…これ、お返しします。」
カタリナは孤児院の外に出ると、待っていたマルスに光のオーブを返し…
「私はパレスに戻ります。皆さんともここでお別れですね。どうかお元気で。」
と皆に深々と礼をして去って行った。
あらすじを書いた方が読者様に興味を持ってもらえるかもしれないですが、ストーリーを先に明かすのにも抵抗があり結局、設定程度しかキャプションに書いていません。これから登場人物もタグも増えるので、最後までお付き合いいただけたら幸いです。