Chancellor 作:ちま
暗殺集団組織のアジトでエレミヤを邪悪な怨念の憑依から救ったカタリナは、マルスたちと別れた後にアカネイア・パレスに帰ってきた。そこでハーディン始めオレルアンの面々が見当たらないことに気付く。ウロウロと城内を探し回るうちに。
「あら、カタリナ。戻ったのね?」
声を掛けられ振り返った。宮廷女官のリンダだった。
「リンダさん!その…ハーディン様が、見当たらなくて。ウルフ殿たちも…」
「彼らなら城下町のノルダに行っているわ。」
「ノルダに?」
一体ノルダに何の用があるのだろう、とカタリナは不思議に思った。
「数日前…あなたが休暇をもらった直後かしらね?ニーナ様に奴隷市場の解体を進言して…ネーリング将軍と共に摘発に向かい、帰る場所のない元奴隷の孤児のために彼らの住む場所を用意しようとしているそうよ。」
「えっ!?ハーディン様が……」
「それにしても、何故そんなことを突然思いついたのかしら?」
とリンダが首を傾げる。
「ハーディン殿が自国で奴隷制度を廃止したことは知っているわ。けれどここはアカネイアで、彼はアカネイア復興のために招かれた臨時の宰相に過ぎないというのに。」
そこでカタリナははっとする。
「もしかして…私の話がきっかけかも、です。」
「え?」
「私は幼い頃、奴隷市場にいたのです。」
奴隷市場は昔から、あった。それはほとんど公に認められているようなもので、誰も無くそうとはしなかったし、無くせるとも思っていなかった。
「まあ。そうだったの?」
「ハーディン様に話したのは数日前…私は今日まで私をそこから救い出してくれたシスターに恩を返すために休暇をいただいていました。」
だがハーディンはカタリナの話を聞くや否や迅速に行動を起こした。
――私はここ数日、クリスへの未練に悩んでいたというのにハーディン様は…
カタリナの胸に自身の至らなさを恥じる気持ちとハーディンへの感謝が込み上げる。そしてキッと顔を上げた。
「私もハーディン様のお力になりたいです!今すぐノルダへ――」
「ちょ、ちょっと待って、カタリナ。」
リンダが今にも駆け出しかねない勢いのカタリナを慌てて止める。
「ずっとノルダへ行っているわけではなくて…毎日ノルダへ通いながら少しずつ準備をしているらしいの。そろそろ帰って来る頃だと思うわ。」
「そうなのですね。では、城門でハーディン様の帰りを待つことにします。」
「それがいいわ。」
リンダは頷き微笑んだ。
*
―数日前-
「おい、ロシェ。」
兵舎の休憩室で休んでいたロシェは入り口の方から聞こえたウルフの声にハーディンの警護の交替を告げに来たのだろうと腰を上げた。のだが――
「ああ、座ったままで構わない。今日は話しがあって来たのだ。」
彼の後ろから現れた主君ハーディンの姿に驚く。更にザガロ、アカネイアのネーリング将軍が続いた。思わぬ上官の登場で休憩室がざわつくが――すぐに静かになった。彼ら四人はロシェと同じテーブルに着くと、ハーディンが口火を切った。
「昨日のカタリナの話を聞いて私は決心した。ノルダの奴隷市場を解体したい。ニーナ様に申し上げたところ、違法ではあるが野放しになっていたとのこと。取り締まってくれるのならありがたい、との仰せだ。そこで早速、明日摘発に向かうことにする。ここにおられるネーリング将軍と彼の小隊も一緒だ。」
「ネーリングだ。ニーナ様の命によりハーディン殿に協力することになった。よろしく頼む。」
ハーディンが隣のネーリングを見遣ると、彼は頷いて自己紹介をした。
「ウルフです。よろしく。」
「ザガロです。こちらこそ。」
「ロシェです。お会いできて光栄です。」
狼騎士たちも慇懃に挨拶を返す。ビラクはハーディンの命でオレルアン本国に居るギュール王から命のオーブを預かりアリティアに届けるべく向かっていたためこの場にはいない。ネーリングは一人一人に頷き、挨拶が済むと話し始めた。
「長きに渡る悪習を絶つ機会を得られて嬉しく思う。政治の中枢にいる者たちが奴隷商人から賄賂を受け取り続けているせいで今まで手出しできなかったのだ。奴らのアジトはわかっている。街南東にある豪邸だ。暗黒戦争で孤児が増えたため今は特に盛況らしい。」
「そこまでわかっているのでしたら、明日すべてを終わらせることができそうですな。」
ハーディンが楽観的に言うと、ネーリングは瞑目して僅かに首を横に振った。
「摘発だけなら、そうですが…問題は摘発した後だ。帰る家がある者はよいが、そうでない者…特に孤児をどうするか……」
「ネーリング殿。私が自国で奴隷制度を廃止した時、身寄りのない者は居城に連れ帰り、彼らの身の振り方が決まるまで面倒を見ていた。彼らも宮殿に連れてきたらいいのではないですか?」
ハーディンは当然ネーリングが自身の意見に賛同してくれると思ったのだが…
「それは…難しいかと思われます。」
ネーリングは渋い顔をした。
「王宮の人々は彼らを歓迎しないでしょう。アカネイア騎士団も貴族出身者ばかり…民間出身の者はいません。」
王族とはいえ異邦人である自身も宮廷の人々に歓迎されていない雰囲気をヒシヒシと感じていたハーディンはネーリングの言葉より孤児たちが宮殿で冷遇されるのが容易に想像できた。
「うーむ。それならば教会に…」
大抵の教会は孤児院も併設しており、戦争や災害時のセーフティーネットになっていた。だが。
「戦争で孤児が増えたためこれ以上引き取る余裕がないかも知れません。」
ネーリングが困ったように眦を下げる。
「では他に一時的に身寄りのない者たちを預かってくれそうな場所の心当たりは?」
「……ギルド、ですかな。仕事待ちの旅人が滞在するための宿舎があります。」
少し考えた後、ネーリングが答えた。
「なるほど。他の選択肢はなさそうですな。…よし。計画は決まった。明日はノルダに向かう。今日はもう私の護衛はよいから、そなたたちも休んで明日に備えて英気を養ってくれ。」
ハーディンが狼騎士団の面々に向き直り、言った。
*
そして翌日。ハーディン率いるオレルアン騎士三人とネーリング率いる小隊がノルダに赴き、すぐさま奴隷商人を摘発し奴隷たちを解放した。その中には奴隷剣士もいた。
「私は捕らえた奴隷商人たちをパレスまで連行します。ハーディン殿、貴方は帰る処のない者をギルドの宿舎に連れて行ってもらえませんか?」
奴隷の身から解放され嬉々として家族の許に帰って行く者を見送り、残った者たちを見回してネーリングが言った。
「承知した。」
「ギルドはあそこに見える…緑の屋根の大きな建物です。そしてギルドの長に会ったら、これを。」
銀貨の入った小袋をネーリングがハーディンに渡す。
「これでギルドも暫くの間は彼らの面倒を見てくれるでしょう。あとはギルドの長に孤児らを養子にと望む者を募るビラを酒場や街中の掲示板に貼るように言ってもらえないでしょうか。」
そこでハーディンはひっかかりを覚えた。
「ネーリング将軍。そのビラを見て孤児を養子に迎えたいという者が現れたとして…その者が孤児を引き取るのに相応しい人物・家庭環境にあるかどうか、ギルドは調べるのですか?」
「いえ、恐らくそこまでは…」
「では、孤児が再び劣悪な環境に置かれる可能性も否定できないということですな?」
「そう…ですな。」
「ふむ。それなら私は他に方法がないか探してみることにします。ビラは万策尽きた場合に致しましょう。」
「わかりました。それでは、私は先に城に戻ります。」
ネーリングは馬首を返すと部下と捕らえた奴隷商人たちを引き連れ、行ってしまった。
「さあ、我々も行こう。皆、私についてきてくれ。」
ハーディンは元奴隷たちに微笑みかけ、馬首を返した。
ギルドは快く…というわけにはいかなかったが、(ほとんど銀貨の効果で)暫くは彼らの面倒を見ることを引き受けてくれ、元奴隷剣士たちはギルドで働けることになった。
「時間が惜しい。早速ノルダの街を見て廻るぞ。」
「「「はっ!」」」
ギルドを後にするとハーディンは狼騎士団の三人と共にノルダの街を巡り…
「ふむ。街を囲っている壁には私たちの入って来た北の正門の他にも山間の森へと続く西門がある。街中央北西寄りに大きな池。中央南寄りに闘技場と店。南西に森林。そして…中央東寄りと南西寄りに広い荒れ地があるな。」
南西寄りの荒れ地に気になる廃屋らしき建物を見つけた。ハーディンが馬上で少しの間、考え込むと。
「…町長と話がしたい。町長がどこに居るか、そこの民家で訊いてみよう。」
早々に取るべき次の行動を決め、馬首を巡らせた。
町長の家は、すぐに知ることができた。ハーディンの善政の恩恵はパレスだけでなくノルダにも及んでいたため、ただ名乗っただけで街人は好意的に情報を教えてくれ、あまつさえ案内を申し出る者さえいたが丁重に辞退して礼を言い、彼らだけですんなりと町長の家へと辿り着いた。
ハーディンたち四人の来訪に驚いたものの、初老の町長は慇懃に彼らを家の中に招き入れた。
「突然の訪問、申し訳ない。町長、幾つか訊きたいことがある。街中央南西寄りの荒れ地にある廃れた建物だが…空き家なのか?」
ハーディンが早速本題に入る。
「はい。以前そこにはノルダ農場という大きな農場がありました。ですが…もう10年になりましょうか。農場を経営していた者が後継者を残さぬまま老衰で亡くなったのです。それ以来、農地も彼が住んでいた家も荒れ放題で…」
「ならばその家、譲り受けても良いだろうか?孤児たちを住まわせたいのだ。」
「おお。もちろん。その方が亡き農場主も喜ぶでしょう。」
「ありがたい。それで家は補修が必要だろうが…良い大工を知らないか?」
「それならヨハンが適任でしょう。」
町長は地図を持って来てヨハンの家を指し示した。
「私の紹介だと言えばきっと協力してくれるはずです。」
「それはありがたい。…では、早速向かうとしよう。町長殿、我々はこれでお暇する。」
「ああ、お待ち下さい。」
立ち上がりかけたハーディンを町長が引き留める。
「今、家人にお茶を淹れさせています。お茶の一杯くらい飲んでいかれては?」
「お気遣い、感謝する。それではお言葉に甘えよう。」
ハーディンは微笑んで礼を言うと、狼騎士たちに頷いて見せた。
ヨハンは如何にも職人気質の実直な男だった。彼を伴って件の荒れ地の廃屋を訪れる。蝶番が壊れ斜めにかしがっている扉を開け中に入り、五人で廃屋の中を見て廻る。屋根も壁も床もあちこち傷んでいたが、建物自体は一般的な民家と比べてかなり大きかった。農場の規模はかなりのものだったらしい。
「ここは…農場主の部屋ですかね。こっちは…恐らく小作人たちの…」
「ここに孤児たちを住まわせたいのだ。修繕できそうか?」
「ええ。ところどころ湿気で朽ちていますが…資材があれば修繕できやす。が、その前に一つ、確認しねぇとなんねえことが。」
とヨハンは廃屋の外に出て家の傍にある苔むした井戸の桶を引き上げた。
「うん。水は腐ってねえです。家さえ直ればここに住めまさぁ。」
「そうか。よかった。」
「とはいえ…かなり時間が掛かることはご承知おき下せぇ。」
「いや。それほど時間は掛けられぬのだ。我らも手伝おう。」
「へぇ?異国の騎士様方と宰相様が手伝ってくれるってえんですかい?」
ヨハンが驚いて訊き返す。
「ああ。今日は一旦城へ戻らねばならぬが、明日からであれば…」
「そいつぁありがてえ。したらば明日はあすこに見える森で木材を集めやしょう。」
「わかった。では明日。」
翌日のことを決めるとヨハンは帰って行った。
「今日のところはここまでだ。我らもパレスに帰ろう。」
ハーディンがウルフたちに言い、騎乗すると馬首を返した。
ハーディン一行が帰城する頃には空は昏くなっていた。『お疲れ様。』と言って狼騎士三人を兵舎に帰すとハーディンは単身、自身の執務室に向かった。室内に入ると、侍女が用意してくれたのだろう、扉の脇に夕食が載ったワゴンが置いてあった。
ハーディンはとうに冷めた夕食を摂り机上に置かれた書類すべてに目を通し、処理をすると尖塔の最上階にある自室へ戻るべく執務室を出た。壁掛け燭台が柔らかな光を放つ壮麗な回廊を一人歩いていると、向こうから誰かが歩いて来るのに気づく。
――あれは…
「ネーリング将軍。」
「おお、ハーディン殿。戻ったのですな。よい方法は見つかりましたか?」
「ええ。街を駆け回っているときに街の中央付近にある荒れ地に廃屋を見つけ、町長を訪ね訊いてみたところ、持ち主のいない農場とのことで、孤児たちのためにそこを譲り受けました。かなり修復せねばなりませぬが、ヨハン…ああ、大工のことです――が協力してくれることになったので、我らも暫くノルダに通って手伝うつもりです。」
「…宰相の貴方が?」
ネーリングが驚きとともに尋ねる。
「ああ、内政のことなら心配要りません。既に復興のために打てる施策はすべて打っています。あとは問題や要望が上がってきたときに対処するのみです。」
「いや、そうではなく…」
アカネイアでは騎士でさえ職人の手伝いをするなど考えられぬことだった。
「貴方や貴方の騎士たちが手伝わずとも、大工を大勢雇って修復させればよろしいのでは?」
「それは…果たして大臣たちが資金を融通してくれるかどうか。今までの施策にも何かと理由をつけては民たちに費やす資金を減額しようと必死でしたから。かといってオレルアンから資金を送ってもらって祖国の民の血税をアカネイアのために使うのは筋違いです。…まあ、ヨハンに相応の謝礼ができる程度には融通してもらうつもりです。」
ハーディンが肩を竦める。
「……」
ネーリングは絶句してしまった。そして漸く我に返ると。
「明日ニーナ様に、私の小隊を貴方の手伝いに回すことを提案しましょう。資金の件も…」
「おお、それはありがたい。…ああそれと。もし城に予備の斧があれば貸していただきたい。明日はヨハンとともに木材集めをする予定なのです。」
と言ってハーディンは快活に笑った。
*
次の日。オレルアン一行とネーリングの小隊は大工ヨハンと落ち合うべくノルダ南西の森へと向かった。一団が着いたときには既にヨハンの木を伐る音が辺りに響いていた。
「来たぞ。ヨハン。」
「待ってやしたよ。…!?」
声を掛けられて汗を拭きながら振り返ったヨハンは2~30人はいる一団を見てポカンとした。荷馬車もある。
「随分と増えなさったんですねぇ。」
「ああ。大勢の方が効率的だろうからな。よし、皆、木を伐るぞ。」
ハーディンの呼びかけに皆が斧を手に木を伐り始めた。
荷馬車が伐った木でいっぱいになると廃屋へと運び、何度か往復するうちに十分な量の木材が集まった。途中でネーリングの小隊の数人が炊き出しのために抜け、昼頃には食事が用意されていた。パンと具沢山のスープだけだったが、あと数時間の労働をするのには十分だった。
「宰相様。見せてぇものがありやす。」
昼食休憩後。神妙な顔で申し出たヨハンにハーディンが頷き、皆を振り返ってから大工の後について歩き出すと皆が二人の後に続いた。
ヨハンが案内した先には生い茂る草木やごろごろと転がる石に隠れて分かりづらいが、人為的に掘られたと思われる、グルニアの木馬隊がうっかり落ちようものなら抜け出すのに苦労しそうな大きさの円形の窪みがあった。
「ほら、ここに溝があるでやしょう?」
とヨハンが窪みの北側にある溝を指し示す。そして溝を辿っていくと街中央北西寄りにあった大きな池に辿り着いた。朽ちかけた木の水門が水を堰き止めている。
「農場主はこの池から畑の水を引いていたに違いありやせん。石や草木を何とかすれば、きっと立派な畑になりやすぜ?」
「おお。それは名案だ。」
ハーディンが感心して思わず笑みを零す。ヨハンは続けた。
「木材は十分集まりやしたが…大工道具はあっしが持つものしかありやせん。なのでこの後はあっしが家の修理をして、旦那方は荒れ地をきれいにするというのは如何でやしょう?」
「そうだな。うむ。鎌と鍬もあれば草と切り株も片付けることができよう。」
「あ、宰相様。片付けた石なんかは捨てずに一カ所にまとめておいて下せえ。家の修復に使うこともあろうかと思いますんで。」
「相分かった。」
ハーディンは微笑み頷いた。