Chancellor   作:ちま

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今更ですが、ミディアが本作に登場しないのは暗黒戦争後にアストリアとの結婚のために騎士を辞めたとゲーム本編で街人が言及しているからです。ミシェランとトムスもハーディンが気に入らなくて騎士を辞めたとウィキで読んだので登場しません。


第四話 赤薔薇と白薔薇

 

 

聖夜祭当日。夕刻になると宮殿へと続くパレスのメインストリートはパーティーに参加する人々の馬車が列をなし、宮殿前の広場で次々と馬車から降りては城内へ吸い込まれて行く。そんな中で。

「緊張していますか?」

列に並び馬車の中で順番を待ちながら、向かいに座るシーマにハーディンが声を掛けた。先刻城下にシーマを迎えに行き、宮殿まで来たものの、降り場に近づくにつれ彼女の表情が硬くなった気がしたためだった。だが。

「少し。でも大丈夫。貴方のプラスワン(同伴者)を上手く務めて見せます。」

ハーディンの気遣いにシーマは微笑って答えた。

二人の乗る馬車が正門扉の前に着くと御者が馬車のドアを開け、脇に避けて恭しく頭を下げた。先にハーディンが馬車を降り、シーマのために片手を差し出す。その手にシーマが自身の手を重ねて慎重に馬車から降り、広場に降り立つ。茶褐色の流れるような長い髪にローズレッドのドレスを身に纏ったシーマはまるで気高い赤薔薇のようで、新雪が散り敷く冬景色の中でより一層鮮やかに見えた。

「ありがとうございます。」

「いえ。赤いドレスがよく似合っています。とても…美しい。」

ハーディンが改めて言うとシーマは少しはにかんで。

「母のドレスを取っておいてよかったです。よもやこんな形で役に立つとは……ハーディン様も、素敵です。」

とハーディンの深緑色の礼服姿を見て微笑んだ。赤と緑の衣装に身を包んだ二人がともにいると聖夜祭の象徴である瑞々しい柊を連想させた。

ハーディンも微笑み返し、エスコートするために腕を差し出すとシーマは片手を軽く掛け、二人は城の広間に向けて歩き出した。

「……ここは、変わりませんね。」

城の中の、広間へと続く広い廊下を進みながら懐かしそうに周りを見回し、シーマが呟く。

「幼少の時、訪れた時のまま……」

「暗黒戦争で戦場になったものの、幸いなことに建物に被害はほとんどなかったですからな。」

「本当に…ハーディン様始め、戦争を終結させた勇士たちには感謝しかありません。」

「…このような平和な中で聖夜祭を迎えることができてよかった。」

「ええ。」

二人が広間に入ると、空間にまだ余裕はあるものの、既に大勢の人が居てそこかしこで談笑していた。煌々と灯されたシャンデリアや燭台が壁面に飾られた金色や銀色、赤や緑のオーナメントやリースを煌めかせ、広間を恰も”光の籠”のように照らしていた。

「ハーディン様。外をご覧になって。夕陽に染まった庭園がとても綺麗です。」

広間を巡るうちにテラス窓の傍に空きスペースを見つけ、そこに落ち着いた二人だったが、シーマに言われてハーディンが外を見ると、薄く雪が積もった庭園が柔らかい橙色に染まっているのが窓の向こうに見え、それは例えるならば”冬の黄昏”と題された絵画のように美しかった。

「ええ、本当に…」

パレスの麗しさは知っていたはずが、今日が聖夜祭という特別な日だからか、殊更美しく見えてハーディンは感嘆し、素直に同意する。二人が窓辺に佇み、時折会話をして時を過ごすうちに広間は刻一刻と人が増えて行き、空が昏くなるにつれて庭園は薄闇に沈んでいった。

…そして。広間の空気が王女の登場を期待する人々の囁き合う声や密かな熱気を飽和した頃。広間の奥、左右に半円を描くように伸びた階段の上からアカネイアの白い薔薇――ニーナ王女が現れた。胸の下方から流れる鮮やかな瑠璃色の布が映えるスノーホワイトのドレスを纏った王女は今夜、最高に美しかった。否。いつも美しいのだろうが――ハーディンは王女を前に見たのはいつだっただろうか、と疑問に思う。

王女が皆に来城の感謝と聖夜祭への祝意を述べた後、広間の隅に陣取っていた小楽団がゆったりとした音楽を奏で始めた。パーティーの開始である。広間の壁面に設えられたテーブルに食べ物を取りに行く者もいれば、片隅のカウンターに酒をもらいに行く者、集まって談笑する者と様々だった。ハーディンがシーマにどうしたいか訊こうとしたとき。

「ハーディン殿。」

ふいに声を掛けられて振り返った。ネーリング将軍だった。妻らしき女性と一緒だ。

「ネーリング将軍。この祝いの日にお会いできて嬉しく思います。」

「私もです。ところで…」

ハーディンに挨拶を返した後、ネーリングがしげしげと隣りのシーマを見る。

「そちらのご婦人は?」

「シーマ殿です。パレス雑貨店の娘ごで聖夜祭の今日、”クリぼっち”である私の同伴者になることを申し出てくれたのです。」

「雑貨店の?」

「シーマです。お見知りおきを。」

ドレスの裾を僅かに持ち上げて優雅に挨拶するシーマにネーリングが目を瞠る。

「そう聞かされなければ、どこぞの姫君と言われても信じてしまいそうですな。」

「はは…」

「うん?待てよ、シーマと申されたか?どこかで聞いたような……」

「ああ、もう行かなくては。今日という日にあなたにお会いできてよかった。」

記憶の糸を手繰り寄せようとするネーリングにハーディンは柔和に微笑み、シーマとともにさり気なくその場を離れた。

 

 

聖夜祭。誰もが家族、仲間、パートナーなど大切な誰かと過ごす日。ニーナは玉座に座り、ぼんやりと広間を眺めながら、広間に集う大勢の人々の中からあの時と変わらぬ微笑みを湛えて今にもカミュが現れるのではないか、と夢想する。

パレスが陥ちてオレルアンに亡命するまでの二年間、この城に彼はいた。その頃のように城内を歩いていれば通路の先から彼が歩いて来るのではないか、部屋のドアがノックされれば彼ではないか、と今も淡い期待を抱いてしまうのだが――それは幻想に過ぎず、パレスに帰還してから一度もそれが現実になったことはない。まるで追い求めても消えるとわかっている幻影を必死に掴もうとして足掻いているかのように滑稽だった。

――もうあれから……どれだけの月日が経ったのだろう。

ニーナが思い巡らせる最中、それが現実だと信じたくない忌まわしい記憶もフラッシュバックする。暗黒戦争中、グルニアの戦いで斃れる彼を見た。

――…けれど。本当にあれは現実だったの?

その時は涙が枯れるほど泣いたはずが――パレスでの彼との思い出を繰り返しなぞるうちに何時しかあのグルニアでの光景は夢だったのではないかと思い始めた。いや、そう思い込みたかった。

ニーナが取り止めもなく夢想に浸っている間。見るともなしに見ていた広間のある場所で、踊っていた人々が踊るのを止め、何かを囲むように輪になって集まるのを見た。ニーナが興味を引かれて輪の中心を見ると、一人はハーディン、もう一人は鮮やかな深紅のドレスを身に纏った令嬢が見事なダンスを披露していた。

――あの赤いドレス…どこかで…ずっと昔に……?

そのときニーナの脳裏にまだ少女だった時分の、式典の折に見た美しい女性のビジョンが浮かんだ。そしてそこで雷鳴のように閃いた一人の王女の存在。

――まさか…!?

ニーナは勢いよく玉座から立ち上がった。

 

 

パーティーが始まってもニーナ王女は玉座に座ったまま動かず、特に何の感慨もなさそうに広間の様子をただ眺めていた。王女の傍には暗黒戦争で共に戦った魔道士リンダと弓騎士ジョルジュが控えていた。宮廷女官のリンダは当然としてニーナがジョルジュを近衛に選んだのは、ハーディンには知る由もなかったが、彼のその柔らかそうな金髪と物腰が過去の想い人を彷彿とさせるが故だった。

――私のことなど、頭の片隅にもないのだろうな。

ハーディンが心の中で嘆息したとき。

「ハーディン様。」

名を呼ばれてはっと我に返るとシーマが気遣うように自身を見ていた。

「ああ、すみません。少し…ぼんやりとしていました。」

ハーディンがぎこちなくシーマに微笑むと、彼女は慈愛に満ちた微笑みを返した。その温かな笑みに一瞬見惚れる。それは氷の刃のようにハーディンの心を傷つけ続けるニーナ王女への報われぬ恋心ごと包み込み暖めてくれるかのようで、漸くハーディンの目も覚めた。

――私は何をうじうじと。聖夜祭のこの日、共に居てくれる人がいるではないか。

今日は聖夜祭で皆が皆、家族、仲間、パートナーなど大切な誰かと過ごす日。そんな大事な日にシーマは自分と居てくれることを選んでくれたのだ。

その時。小楽団が古典的なワルツを奏で始める。それはダンスの時間が始まる合図だった。人々がさざめき、大多数がパートナーとともに開けた場所に移動する。

「私たちも踊りましょう。」

ハーディンは持っていたグラスをテーブルに置き、微笑んでシーマに片手を差し出した。

そして…草原の王子に導かれ、さながら赤薔薇の花弁が小川の流れの緩急を滑るが如く――シャンデリアの光に満ちた広間をグラ王国の元王女が舞い踊る。

実はこの日のためにハーディンは公務の合間を縫ってシーマの許に通い、二人でダンスの特訓をしていた。その成果あってか息もピッタリで二人の動きは滑らかで淀みなかった。ダンスの最中、ハーディンがその長身を活かして繋いだ手を上へと上げてシーマを小川の小さな渦に巻き込まれた花弁のように回転させ、遠心力で離れようとするシーマの華奢な手を力強くぐっと引き戻した。

「きゃっ!」

小さく悲鳴を上げ、ほとんど抱き寄せられるような形になった王子を見上げ、元王女が高揚した笑みを浮かべる。

「お上手です、ハーディン様。」

「貴女も。」

その時、突如拍手が起こり、ハーディンとシーマははっとして周りを見回した。いつの間にか二人を囲むように人だかりができていた。自分たちが目立っていたことにも気づかずダンスに夢中になっていたことを気恥ずかしく思いながら、二人はそっとその場を離れようとしたのだが。俄かに観衆の一部がどよめいたかと思うとサーっと潮が引くように分かれた人々の向こうからニーナ王女が現れ――

「あなたはもしや……シーマ王女?」

と呆然とした顔で呟いた。

 

 

「幼少の時にお会いして以来ね。ずっと消息を聞かなかったけれど今までどうしていたのですか?」

皆が踊り続ける中、ニーナはハーディン、シーマ、そして近衛のリンダ、ジョルジュとともに広間の端のテーブルに移動するとシーマに尋ねた。深紅のドレスが彼女を鮮烈に彩り、真夏の太陽のように眩しく見えて、寒色系のドレスを纏った自身とは正反対だとニーナは思った。

「お久しぶりです、ニーナ王女。宮殿での式典でお会いして以来ですね。私は物心ついた頃に母とともに父ジオルの許を去り、パレスにいる祖父の許に身を寄せたんです。今は雑貨店で働いています。」

シーマは物怖じすることなく笑顔で答える。

「雑貨店で…そのあなたがなぜハーディン殿と宮廷のパーティーに?」

「ハーディン様は私の店で大口の買い物をされました。訊けばパーティーで同伴する方がおられないとのこと。それで差し出がましくもご恩返しのため、プラスワンとしてパーティーに参加させていただいたのです。」

淀みなく答えるシーマにニーナは何と言っていいのかわからなかった。ハーディンが聖夜祭のこの日、同伴者がいなかったことをニーナは今初めて知った。同伴者のいない者がパーティーで惨めな思いをすることは容易に想像できたため、本来ならハーディンが自身の人脈で同伴者を見つけたことに安堵せねばならぬところ。

――なぜ誰かに…私にでも――相談しなかったのかしら?言ってくれれば北の大国オレルアンの王弟に相応しい令嬢を引き合わせることもできただろうに。

今までのハーディンへの無関心を鑑みることなくニーナは思ったのだが。

「まあ。それは…結構なことです。わたくしも…あなたと再会できたことを感謝しなくては。」

と、ただ答えた。

「もったいないお言葉です。」

シーマが恭しく頭を下げる。ニーナは次にハーディンに目を向けた。

「ところで…大口の買い物とは、雑貨店で何を買われたのですか?」

それはただの興味本位の質問だった。宮廷のパーティーへの同伴は長らく街人として生きてきたシーマには勇気の要ることだったはずだが、それでも恩返しのために敢えてするほどの、どれだけの買い物をしたのか。だが返ってきた答えは。

「作物の種と肥料、農具、生活用品などです。」

「……?」

それらを”山”のように買ったとしても金額としてはたかが知れている(そのくらいの経済的知識はニーナにあった)。そして新たな疑問が湧く。

「生活用品はわかりますが…なぜあなたに農具などが必要なのですか?」

「奴隷市場で解放した孤児たちが生活していくための、長らく打ち捨てられていた農場を整備するために必要でした。」

「孤児を?教会の孤児院に入れなかったのですか?」

「戦争のため孤児が増えすぎて余裕がないとのことでした。」

――なぜ私に相談しなかったのだろう?

再びニーナが思う。客員の身であるハーディンが上の者(しかもトップだ)に掛け合うことがどんなに引け目を感じさせるものか彼女には思い至らなかった。実際、ハーディンの相談役はほぼネーリングが担っていた。

「そう…ですか。ともかく、孤児たちの居場所ができたのはよいことです。……私にできることはありますか?」

そう申し出るのが適切な気がしてニーナが言うと。

「ああ、それならば。シーマ殿も街人から寄せられた物を寄付してくれていますが何分、冬に育つ作物は限られる故、食べ物や生活に必要な物を援助していただけると助かります。」

ニーナの申し出にハーディンとシーマが微笑む。そこには共通の目的(農場の経営を軌道に乗せる)に向かって協力してきた者のある種、打ち解けた親密さがあった。ニーナがその光景に、疎外感を感じる。

――ハーディン殿は暗黒戦争をともに戦った同志だというのに。

それが果てしなく遠い過去の出来事のようで(実際は一年しか経ってはいない)、彼と自身とを繋ぐ絆がひどく希薄に思えた。

「…………ええ、もちろん。援助します。」

「「ありがとうございます。」」

二人が厚かましいお願いをしてしまっただろうかとアタフタし出したのにニーナははっとして長い間の後に答えると、二人はほっとしたように感謝を込めて一礼をした。その光景に再び疎外感を感ずる。何となくこれ以上この場に居たくなくなって。

「それではわたくしはもう行くわ。どうか楽しんでいらして。」

スノーホワイトのドレスを翻して立ち去ろうとしたのだが。

「ニーナ様!」

とシーマが呼び止めた。

「?」

「……失礼に聞こえたならお許しください。…あの。私たち民はハーディン様を宰相としてアカネイアに招かれたのは貴女のご夫君に相応しいかどうか判断するためだと思っています。実際、ハーディン様がいらしてから復興は進み、治安は良くなり、民たちは豊かになりました。聖夜祭である今日、もしかしてお二人の婚約発表があるやも、と期待する者もいました。…私もその一人です。」

不思議そうな顔で振り返ったニーナに思い切って切り出したシーマにハーディンは驚き、ハラハラしながら見守る。

「…ですが、貴女はハーディン様に無関心のように見えます。」

「……」

復興は待ってはくれないが故に、ニーナにハーディンを宰相に招くという進言をしたのはボア司祭だった。当初はアカネイア復興のために王女に伴侶を迎えねばと言っていたものの、カミュを忘れられぬニーナの心の内を知ったボアはひとまずそれで折り合いをつけようとしたのだ。

――ハーディン殿がわたくしの伴侶に相応しいかどうか判断するため、と?

ニーナは民たち(或いは周囲の者たちも?)にそんな風に思われていたことに少なからずショックを受けた。所謂”婿選び”の話はハーディンを宰相に招いたことで立ち消えたと思っていたからだ。ニーナにとって、国の復興と自身の結婚は全く別の話だった。

「わたくしは……」

「ニーナ様。」

『ハーディン殿を婿になどとは考えていない。』とニーナが自身の考えをそのまま吐露しそうになった時、後ろに控えていたリンダが口を挟んだ。

「お心を決められるまでに時間が必要なのはわかります。ですが今日は聖夜祭。皆が晴れやかな顔で祝日を迎えられたのは偏に宰相殿のおかげです。せめて我が国の復興に尽力してくれている宰相殿に皆の前で感謝と労いの言葉を掛けられるべきかと。ダンスの時間が終わって人々が帰り始める前に。公の場で宰相殿に謝意を示すのは今しかありません。」

――謝意?

ニーナは自身がハーディンに感謝するべき、という発想がなかった。何もかも…生まれたときから、周囲が自身とアカネイアのために尽くしてくれるのは当然だったから。だがその時ニーナはシーマが指摘したように自身がハーディンに無関心だということに気づいた。彼をアカネイアに招いておきながら、ほとんど気にも掛けていなかった。

「ニーナ様。恐れながら。私もリンダの意見に賛成です。今宵のパーティーには裕福な街人も多く参加しております。明らかに功績を上げている、自身が招かれた宰相を公の場で認めることは国の復興と民の幸福を”ニーナ様ご自身が”強く望まれたことだと示す良い機会です。」

と今度はジョルジュが口を開いた。酒色に溺れ、国も民も顧みることのなかった先王。宰相も私利私欲に走り、民たちには怨嗟の声が満ちていた。戦争を終結させて国に平和を齎したものの、戦後ニーナは民のために何も為してはいない。だからこその進言だった。ハーディンを公の場で認めることで彼の功績も王女自身の名声とすることができると。

「……わかりました。ではハーディン殿、わたくしと共に階上へ。シーマ殿はこちらで待っていらして。」

さすがに最も信頼する古参の家臣二人に言われてニーナも無視できずに頷き、思わぬ展開に戸惑いを隠せないハーディンを促して広間奥へと足を向けた。

 

 

広間の奥にある階段を上り、階上に着くとニーナは楽団に身振りして音楽を中断させた。皆の視線がニーナと隣にいるハーディンへと向けられる。ニーナが人々を見回してから、ゆっくりと口を開いた。

「皆様。聖夜祭の今日、この場を借りて、わたくしがオレルアンから招いたハーディン宰相への感謝を述べたいと思います。彼の手腕により復興は進み、わたくしたちも元の生活を取り戻しました。以前のような聖夜祭を迎えることができたのも宰相殿のお力添えあったればこそです。…宰相殿、」

ニーナは緊張した面持ちのハーディンを振り返り、微笑んだ。

「ありがとう。」

シン…と静まり返っていた広間は次の瞬間、歓声と大きな拍手が巻き起こった。見渡す限り、歓喜に満ちた顔がこちらに向けられ『アカネイア聖王国、万歳!』という声があちこちから聞こえ、その熱気にニーナは少なからず衝撃を受ける。

――人々がこんなにも歓喜するほどハーディン殿はアカネイアの復興と繁栄に尽くしてくれていたのですね。引き換えわたくしは……

自身は今まで何をしていたのか、とニーナが自問する。思い返そうとしたが自分が日々をどのように過ごしていたのか思い出せない。思い出すのは過去…カミュが居たパレスでの二年間のみ。廊下の曲がり角で。ドアを開けたときに。いつも、ニーナはカミュが現れることを心のどこかで期待していた。だが、彼が現れることはない。今は王女が軟禁生活を過ごした戦中の二年間ではなく、戦争が終わって既に一年が経過していた。ハーディン宰相の許、人々は前を向いて着実に生活を立て直し、国力も戻りつつあった。すべてに、時が流れていた。――ニーナ以外は。

――今は……“いつ”?わたくしは……

突如鮮明に、グルニアの戦いで刃に貫かれて果てた想い人の姿がフラッシュバックする。…そして。現実が絶望となってニーナに襲い掛かった。

――もう、彼は、いない。

そう悟った瞬間、目の前の光景がまるでスクリーン越しに見ているかのように遠のいたように感じた。次いで視界が暗くなり、ぐにゃりと歪む。人々の驚く声と悲鳴。『ニーナ様!』という叫び声。それがニーナの意識が途絶える前に聞いた最後の音だった。

 

 

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