Chancellor   作:ちま

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「新アカネイア戦記 Episode 4 始まりのとき」より会話の引用あり。


第五話 追憶

 

 

「そんな!わたくしは嫌です!ドルーアなどへは行きません!」

ニーナ王女は悲鳴のような叫び声を上げた。グルニアの名将カミュが王女をパレスに匿い続けて早二年の月日が流れていた。再三の引き渡しに応じぬカミュにドルーアの皇帝メディウスは遂に業を煮やし、精鋭部隊をパレスへと向かわせたのだった。

「わかっているさ。今すぐこのパレスを脱出しよう。北のオレルアンでは、ハーディン公が勢力を保っている。彼なら、姫を守ってくれるだろう」

カミュが取り乱したニーナ王女へ冷静に言い聞かせる。

「さあ、手遅れにならぬうちに出掛けるぞ。姫は、出発の準備を。」

「…はい。でも、カミュ。あなたは良いのですか?そんな事をすれば、あなたの身に危険が及ぶのではありませんか?」

カミュが自身をドルーアに引き渡す気がないことがわかってニーナは平静を取り戻したのだが、途端に彼の身が心配になり、訊いた。カミュは笑って。

「ふっ。今更何を…そんな事は前からわかっていたさ。」

「では、やっと決心してくれたのですか?カミュ、あなたが国を捨ててくれるなら、わたくしは…!」

そう。この二年間ずっとニーナは願い続けてきた。カミュが祖国を捨てて自身と共にアカネイア再興のために起ち上がってくれることを。

――彼が居れば、何も怖くない。死さえも。

ニーナの胸が歓喜で高揚する。…がニーナの貌に浮んだ輝きはカミュの次の言葉で一瞬にして消えた。

「ニーナ。そうではない。ドルーア帝国やメディウスなど恐れぬが、グルニア王国は私のすべてだ。裏切ることなどできぬ。」

「でも、それなら…どうしてわたくしを…?わたくしを助けたら、あなたは罪人になります。それでも、グルニアにとどまると言うのですか?それでは殺されてしまいます!」

「いつか姫には言ったことがある。私の命など、いつでも差し上げると。その時が来ただけだ。」

「カミュ…!わたくしは嫌!あなたを犠牲にしてまで、助かりたくありません!」

カミュの襟を掴んで必死に訴えたものの、彼は困ったように微笑って。

「はは、ニーナはまだ子供だな。二年前の、初めて会った日の事を思い出すのだ。ニーナは言ったはずだ。いつかきっと、アカネイア同盟の大軍を指揮して、ドルーア軍に立ち向かうと。そのために、この二年間必死で頑張ってきたのだろう。人々はニーナをアカネイアの白い薔薇と呼ぶ。見かけは清楚だが、内に秘めた情熱が、接する人すべてに勇気を与えるからだ。機は熟しつつある。何かきっかけさえあれば、人々は団結してドルーアに立ち向かうだろう。その苦労を、一時の感情に流されて無駄にするつもりなのか?ニーナはそんなに弱い人間だったのか?」

――……ああ。違う、違うのよ、カミュ。

ニーナはカミュの襟から手を放して一歩後ろに下がった。

「…カミュ…。わかりました。あなたの言う通りに致します。でも、これだけは覚えておいて。」

ニーナはきっ、と顔を上げた。これだけは、どうしても言っておかねばならない。

「わたくしにとっては、あなたへの思いがすべて!一時の感情なんかではないわ。ずっとあなたの事を、思い続けてきた……。初めは憎んでいたけれど、でも、それも無理をしていただけ…。本当は、初めて会った時からあなたに夢中だった!わたくしは、強い人間なんかじゃない、あなたがいたから頑張れたの…!あなたがいたから……生きてきたの…!」

残酷な、告白だった。離れ離れになる運命だというのに。カミュは苦し気な貌でかぶりをふった。

「…姫よ。もういい。わかった…。時間がない。さあ、支度をするのです!」

「……はい。」

ニーナは沈痛な面持ちで頷いた。

 

 

ほどなくして……ニーナ王女はパレスを発ち、グルニアの将軍カミュと彼の腹心の部下三人に守られてオレルアン国境へと向かう。ニーナを先に行かせ、グルニア騎士4人はブルザーク率いるドルーア軍、突如現れた盗賊団をいなし振り切りながら森林をひたすらに進んだ。そしてついに。

「ニーナ。オレルアン国境はすぐそこだ。あそこに見える砦に向かって走れ!我らは戻ってドルーア軍を食い止める!」

カミュがニーナに叫び、馬首を返す。

「カミュ!あなたも一緒に……!」

馬上で振り返り、その背にニーナが必死に呼びかけるが男が止まることはなかった。

「行かないで……わたくしを置いて……行かないで……カミュ……」

王女は蒼い瞳にぼやけていく想い人の後ろ姿に懸命に手を伸ばそうとした――…

 

 

 

「カミュ……」

だがニーナが伸ばした手の先にあったのは見慣れた自身のベッドの豪奢な天蓋だった。

「………?」

「…気が付かれましたか?」

聞き覚えのある声が聞こえてそちらに顔を向けるとニーナの目頭から鼻梁を横切って涙がツ、と零れる。リンダとジョルジュ、その後ろにはハーディンとシーマが心配そうな顔で王女を見守っていた。

「わたくしは……」

「広間で倒れられたのです。」

「広間で……」

ニーナは今日が聖夜祭だったことを思い出した。

「……折角の聖夜祭に迷惑をかけてごめんなさい。」

「そんなことはお気になさらずに。宮廷医師の見立てに依ると少し疲れが出ただけであろう、とのことです。ニーナ様に大事ないとわかれば皆も安堵するでしょう。」

リンダは王女を安心させるように微笑んだ。それから幾ばくかの静寂。哀し気な貌で涙を流す王女に四人とも掛ける言葉が見つからない。

「……私はこのまま寝みます。皆もどうか寝んで。」

とうとうニーナが言葉を発したのを機に、心配から後ろ髪を引かれるような心地がしながらも皆、王女に一礼してドアへと向かう。

皆が去り扉が静かに閉じられると、再び部屋を静寂が包む。その静寂の中、ニーナは自身がひどく孤独に思えて――ベッドの中で自身を抱き締めながら胎児のように丸くなった。

 

 

パレスが陥ちて数か月――ニーナはアカネイア王家唯一の生き残りとしてグルニア黒騎士団監視の下、宮殿で軟禁生活を送っていた。

「姫。」

聞き慣れた深みのある声が自身を呼ぶのにニーナがゆっくりと振り向く。その声が誰のものかはわかっていた。

「カミュ。」

「ここにいたのか。城の中であれば何処へ行くにも自由だが行き先は告げていってくれ。失踪でもされたら私の責任になるからな。」

それは事実だったが、この”捜索”が他愛ないゲームだということは二人ともわかっていた。ニーナは何も告げずに自室から姿を消しても探せばすぐ見つかるようなところにいつもいた。

「あなたが探しにきてくれると思って。」

テラス窓に映る白い世界を背景にニーナが悪戯っぽく微笑むと、パレス駐留軍の総責任者であるカミュは軽く肩を竦めた。

「…広間は寒い。早く部屋へ戻ろう。」

確かに、寒かった。ニーナが纏っていた毛皮のショールを掻き合わせる。それでも。ニーナがわざわざカミュが様子を見に来る時間に故意に部屋を出て広間で待っていたのには理由があった。

「その前に。…こちらへ。」

ニーナが横に一歩動いてスペースを空けると、カミュは逡巡した後、彼女の隣りに並んだ。テラス窓からは雪化粧をした樹木や小道、冬の間はオブジェのように静まり返っている噴水が夕陽で淡く橙色に染まる庭園が見えた。

「冬の庭園も美しいでしょう?」

「……今日は聖夜祭だというのに、祝日らしいことを何もしてやれなくて済まない。」

そう。今日は聖夜祭だった。常ならば宮廷で華やかなパーティーが開かれる日。だがグルニアに占領されたパレスでは何もなかった。

「あなたが謝ることではないわ。」

ニーナがカミュの方を見て、微笑む。が。騎士の端正な横顔は庭園を向いたままで微笑み返すことはなかった。お互いが好意を持っていることはわかっていたものの…常識的に、自国を滅ぼした敵軍の将と王族最後の生き残りの姫が恋仲になれるはずもなかった。

――本当は。ディナーにダンスに……今日という日をあなたと聖夜祭らしく過ごしたかったけれど。

ニーナが心の中で嘆息する。

――せめて。今あなたと見ているこの美しい冬の黄昏の庭園を聖夜祭の思い出にしましょう。……そしていつか。戦争がアカネイアの勝利で終われば。私を匿ってくれたカミュに恩赦を与えることもできるはず。そうしたら……

ニーナはそんな未来が訪れることを信じて澄んだ橙色の空を見上げた。

 

 

数年後。ニーナが望んだ通り暗黒戦争はアカネイア連合軍の勝利で終わった。だがニーナはカミュに恩赦を与えることはできなかった。

 

 

 

――あの時に見た空の色と同じなのに。

窓の外の橙に染まった空をぼんやりと眺めながら、ニーナが思いを馳せる。数日前の聖夜祭でカミュがもういないことを絶望的な事実として受け止めたにもかかわらず、気付けば追憶に揺蕩っている自分自身がいた。

――いつか。忘れられる日が来るのかしら?

その時。自室のドアをノックする音に、ニーナははっとして我に返った。

「どうぞ。」

「失礼します。」

訪ねてきたのは宮廷女官のリンダだった。

「農場への援助の件ですが、準備が整いました。私が届けに参りましょうか?」

「援助?……ああ。」

リンダの言葉でニーナは聖夜祭のパーティーでハーディンとシーマに孤児たちの農場に援助すると約束したことを思い出した。その時その場にいたリンダは王女の指示を待たずに既に準備をしてくれていたのだ。

――すっかり忘れていたわ。

「届けに行く、と言っても場所はわかるのですか?」

失念していたことに心の中で狼狽しつつも平静を装いニーナが訊くと。

「はい。実は聖夜祭でニーナ様がお倒れになった時、シーマ殿と少しばかりお話ししましたから。その際お聞きした足りない備品や日用品も食品とともにお持ちするつもりです。」

とリンダがにっこりと笑い、彼女の笑顔がニーナには眩しく見えた。

――見返りを求めない善意を成そうとする時、皆が今のリンダのような顔をするわ。あの時のハーディンとシーマ殿も……

とニーナは聖夜祭のパーティーでの援助の申し出に二人が感謝したことを思い出す。

――彼らが築き上げたものを見てみたい。

ふいに、思う。そして。

「……それならば。わたくしも行くわ。」

思わずそう口にしていた。その時、”自分自身の意思で”何らかの行動を起こすことが必要に思えたからだった。

「ニーナ様も、ですか?」

リンダが驚いて訊き返すが、すぐに明るい笑顔になった。

「素晴らしいお考えです。戦争が終結して以来、ニーナ様はまるで現実を生きておられないかのようなお振舞いで密かに心配致しておりました。孤児たちの様子を見に行かれると仰せならばもちろん喜んでお連れ致します。」

とリンダは胸に片手を当てて礼をした。

 

 

数日後、ニーナとリンダは街人に身をやつして馬車に乗りノルダへと出発した。御者は同じく街人の格好をしたジョルジュである。

「孤児たちの保護者代わりであるシスター・エレミヤには今日訪れることを事前に手紙で知らせてあります。」

リンダは腰に付けた鞄の中のオーラの書の所在を無意識に手で確かめながらニーナに告げた。護衛のためにジョルジュがいるとはいえ、いざという時はリンダも彼とともに応戦するつもりだった。もっとも今は昼間で、舗装されたノルダまでの道は衛兵が巡回しているため、その心配はほとんどなかった。実際シーマは祖父と二人で何度か寄付金や品物を農場に届けに行っているが、一度も危ない目に遭ったことはないという。

「そう。シスター・エレミヤ…聞いたことのない名だけれど……」

聖職者の任命や異動を決めるのはボア司祭で形だけニーナが承認するのだが、リンダが口にしたエレミヤという名に王女は覚えがなかった。

「ニーナ様がご存知ないということは先王の時代に任命された方なのでしょう。何でも宰相殿が招かれたとのことです。」

「ハーディン殿が……」

――シーマ殿と言いエレミヤ殿と言い、彼はその時その場所に必要な人を見出す才能でもあるのだろうか?

とニーナが不思議に思う。

それからもニーナとリンダが時折他愛ないやり取りをしているうちにやがて馬車はノルダの街へと入り、ノルダ農場へと歩を進めた。そして畑の中の農道を進み、農地の中心にある古く、所々補修された跡がある大きな木造の家屋へと辿り着く。

リンダとニーナが馬車から降りて辺りを見渡すと建物を中心に畑が広がって畝がきれいな縞模様を形作り、薄く雪が積もっていても広い農地のほとんどに何かしら植えられているのが見て取れた。

「冬でも作物が育つのかしら?」

「かぶやほうれん草は冬でも収穫できます。玉ねぎやじゃがいも、人参、にんにく、ブロッコリー、キャベツなどは冬に植えて暖かくなってから収穫します。」

ニーナが不思議そうに訊いたのでリンダは丁寧に説明した。

「私はここでお待ちしています。」

と御者台のジョルジュが二人に声を掛ける。通常、御者が客人として主とともに家に入ることはない。ニーナは御者に扮しているジョルジュを振り返った。

「長居はしないつもりです。」

ニーナの言葉に、予め外で待つべく防寒対策をしていたジョルジュは微笑み頷き返した。

 

 

ニーナが木の扉に付けられた鋳鉄のドアノッカーを二度叩くと程なくして扉が開き、中から菫色の髪のシスターが姿を現した。

「お待ちしていました。どうぞ中へ。」

エレミヤは礼をすると脇へと避けたのでニーナ、続いてリンダがドアをくぐり家の中へと入った。ドアの先は広い空間で、ラグが敷かれ壁際にチェストや本棚が置かれたリビングらしきスペースや、奥の方には炊事場と食卓であろう大きなテーブルが置かれたダイニングスペースがあった。また別の一画には樽や木箱、作業台があり、作りかけの何かが無造作に放られていた。家の中は明々と燃える暖炉のおかげで暖かい。

ドアノッカーの音で来客を知った子供たちがドアの前に集まってきていた。

「パレスの商家の令嬢であるローゼ様と侍女のリンダ殿です。」

エレミヤが微笑みながら子供たちに二人を紹介する。ニーナの”ローゼ”という偽名はアカネイア王家の姓ヴァレローゼから取ったもので、二人は商家の娘とその従者ということにしてあったが、シスターには真の身分を伝えてあった。

「ノルダ農場にようこそ。」

最も年長と思われる少年が挨拶し礼をすると他の子たちもそれに倣った。ハーディンが救わなければ社会の暗い澱みの中で奴隷として過ごしていたはずの彼ら。だが今ニーナの目の前にいる誰もが、まるで生命そのものが輝いているように生き生きとしていて…ニーナが暫し言葉を失う。

「ローゼ様?」

沈黙したままのニーナを訝しんでリンダが小声で促すとニーナははっと我に返った。

「初めまして。ローゼと申します。こちらはリンダ。今日は少しばかりの寄付を持ってきました。」

そう言って二人が持参した資金と品物をエレミヤに手渡すと皆が口々にお礼を言った。

「さあ。皆はそれぞれの仕事や勉強を続けて。」

エレミヤは子供たちに笑いかけ、二人を自室へと案内した。

 

 

「ニーナ王女。今日は御自らお越しいただき、その上ご寄付までありがとうございます。」

エレミヤは自室に入ると深々と頭を下げた。彼女は二人に椅子を勧め、お茶を用意すると言って部屋を出ていった。

シスターを待つ間、ニーナが彼女の部屋を見回す。ドアの向かいに窓があり、部屋は明るい。家具は壁際に簡素な寝台と小机、チェスト、書棚、そして二人が座っている小さな円テーブル。ごく質素な調度品に囲まれた部屋は片付いていて清潔感があった。子供たちの世話をしながらの静かで平穏な、暮らし。素朴で温かい……

ニーナはふと忘れかけていた昔の夢想を思い出した。

――もしも。カミュと”駆け落ち”していたら。互いの身分もしがらみも捨てて誰もわたくしたちの事を知らない土地に行き、小さな家に二人で身を寄せ合い、カミュは薪を割り畑を耕し家畜の世話をして。わたくしは機を織る傍ら、”エプロン”なるものをつけて水を汲み炊事に洗濯に掃除。単調で退屈な、けれど幸せな日々の中、いつの間にか移ろって行く季節の中で、ゆっくりと年を重ねて……

その時ドアが開いてニーナは埒もない夢想からはっと我に返った。エレミヤは盆に載せた茶を持って部屋に戻って来ると二人に振舞い、自身も空いた椅子に座り口を開いた。

「……多くの方々のご助力のおかげで、農場は上手くいっています。私も再び子供たちのお世話をする機会を得られて、とても感謝していますわ。」

ニーナはエレミヤの言葉に少しばかりの違和感を覚える。

――彼女はここに招かれなければ、子供たちの世話に関われる環境になかったのだろうか?

「あなたはハーディン殿に招かれたとのことでしたが……」

ニーナは不思議に思い、訊いた。

「はい。私はずっと……悪夢の中にいたのです。」

エレミヤが俯き苦悩の表情を浮かべる。

「その悪夢から目を覚まさせてくれたのがかつて教会で面倒を看ていたアイネ……今はカタリナと名乗っているようですが……彼女がハーディン様との橋渡し役になってくれました。」

――……悪夢。

エレミヤが口にした『悪夢』という言葉にニーナは動揺する。聖夜祭で気を失った時に見た、オレルアンへ亡命した時の夢。

――あれは悪夢だろうか?

そう考えて、だがすぐにニーナは心の中でかぶりを振る。

――いいえ。あれはカミュとの大切な思い出。悪夢などではないわ。

と自身に言い聞かせた。

「シスター・エレミヤ。……どんな経緯があれ、あなたが今ここで子供たちのために尽くしていることは事実です。わたくしもできる限りの助力をさせていただくつもりですわ。」

「ニーナ様……ご厚意に、感謝致します。」

王女の温かい言葉にエレミヤは頭を垂れた。

それから。三人で他愛のない世間話を幾らかして――頃合いを見て御者を待たせているからとニーナとリンダは席を立った。

 

 

エレミヤと孤児たちに別れを告げて農場を発つ時、外はチラチラと雪が舞い落ちていた。ニーナはそんな中、見送りに出てくれた彼らにリンダとともに笑顔で手を振って馬車に乗り込むと、ジョルジュはすぐに馬車を出立させた。

――そう。悪夢なんかじゃない。

馬車に揺られながらニーナは思う。

――わたくしにとっては、カミュへの思いがすべて。わたくしは、彼がいたから生きてきた……

だが。再び思い知る。

 

もう、彼はいないのだ。

 

 

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