赤缶カレー粉と少女の冒険   作:灯火011

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第18話:魔王の城と未知の厨房

 境界の森を抜けた先に広がっていた光景は、カレンがこれまで見た景色や、読んだどんな物語の記述よりも、遥かに幻想的で、そして圧倒的だった。

 

 赤茶けた大地は、どこまでも続き、地平線の彼方には、巨大な活火山が、悠然と黒い煙を天へと吐き出している。そして、その麓。大地を裂いて流れる灼熱の溶岩が、まるで赤い血脈のように網の目のように走り、その光に照らし出された巨大な都市が、黒いシルエットとなって浮かび上がっていた。

 

 魔王国の首都、「ヴルカニア」。

 

 一行が街に足を踏み入れると、カレンは完全に言葉を失った。

 

 空には、大きさの違う二つの月が、妖しい紫色の光を放って浮かんでいる。街を巡る溶岩の運河は、ゴゴゴ、という低い地鳴りのような音を立て、その熱気が、乾燥した大気を常に揺らめかせていた。建物は、磨き上げられた黒曜石や、虹色に鈍く輝く未知の金属を、大胆に、そして鋭角的に組み上げて作られている。それは、人間の作る、曲線的で優美な建築とは思想からして全く違う、力と機能性を突き詰めた、荒々しい美の結晶だった。

 

 そして、何よりもカレンを圧倒したのは、行き交う人々の多様性だった。

 

 屈強な体躯に二本の角を持つ鬼人(オーガ)の鍛冶師が、巨大なハンマーを担いで歩き、その隣を、猫のような耳と尻尾を持つ、しなやかな獣人(ワーキャット)の商人が、軽やかな足取りで駆け抜けていく。空を見上げれば、背中に蝙蝠のような翼を持つ有翼人(ガーゴイル)が、偵察兵のように滑空していた。

 

 彼らが交わす言葉は、人間のものとは響きが違い、硫黄と、未知の香辛料と、そして金属が焼ける匂いが、この街の空気そのものを作っていた。

 

(すごい……。これが、魔王国……)

 

 カレンは、馬車の窓から、ただ呆然と、その異世界の日常を眺めていた。王都の華やかさとは、全く違う。しかし、そこには、荒々しくも力強い、確かな生命力が、街の隅々にまで満ち満ちていた。料理人としての血が、この未知の文化が生み出す「食」への、抑えきれない好奇心で、沸騰し始めていた。

 

 やがて一行は、街の中心にそびえ立つ、魔王の城へとたどり着いた。それは、城というよりは、巨大な火山岩を、そのままくり抜いて作り上げたかのような、自然と人工が融合した、禍々しくも荘厳な要塞だった。

 

 

 使節団が通されたのは、だだっ広い、がらんとした謁見の間。天井は、洞窟のように高く、壁には、歴代の魔王と、伝説の魔獣との戦いを描いた、荒々しいタッチのレリーフが刻まれている。その最奥。漆黒の溶岩石を削り出した、巨大な玉座に、その男は座っていた。

 

 彼こそが、この魔王国を統べる、魔王グルザール。

 

 その体躯は、熊のように巨大で、その身にまとう黒い鎧には、数えきれないほどの歴戦の傷跡が刻まれている。頭からは、威圧的な巨大な二本の角が天を突き、その顔は、深い威厳と、長年国を治めてきた者だけが持つ、知性的な疲労の色を浮かべていた。

 

「――よく来た、人間の使節団よ。そして、お前が、噂の『カレーの女神』か」

 

 魔王グルザールの声は、地鳴りのように低く、謁見の間全体を震わせた。

 

 王太子アルベールが、儀礼に則った挨拶を述べる中、魔王の、燃えるような赤い瞳は、ただ一点、カレンだけを、射抜くように見つめていた。

 

「将軍ゼノンが申しておった。お前の料理は、種族の壁を超える力を持つ、と。馬鹿げた話だ。だが、あのゼノンがそこまで言うのなら、試してみる価値はあるやもしれん」

 

 魔王は、玉座から、ゆっくりと立ち上がった。その巨体が動くだけで、空気が圧迫されるような錯覚を覚える。

 

「人間の小娘よ。我らは、ただ腹を満たすだけの食い物に、興味はない。我らが求めるは、魂を震わせ、血を滾らせる、力強い味。お前のその、ままごとのような料理が、我ら魔族の『魂』を、果たして満たすことができるのか。その腕で、証明してみせよ」

 

 それはカレンに課せられた、王としての、そして、この国の全ての魔族を代表しての、厳しく、そして真摯な試練だった。

 

「では、カレン」

 

 王太子であるアルベールが、腰をかがめ、カレンの目を真っ直ぐに見る。

 

「我々はこれから和平の交渉を行う。期間は1週間程度になるだろう。その間に、彼らと我らの間の橋渡しとなる料理を、作ってみせてほしい」

 

 アルベールの言葉に、カレンは強く頷いた。

 

 

 カレンが案内された魔王城の厨房は、彼女の常識を、再び粉々にする場所だった。

 

 そこには、王宮の厨房にあったような、整然とした秩序や、機能的な美しさなど、かけらも存在しなかった。あるのは、混沌と、力と、そして、むき出しの炎。

 

 人間のソレにくらべれば、あまりにも原始的で、あまりにも力強い光景だった。

 

 巨大な溶岩石をくり抜いて作られたかまどが、壁一面に並び、その中では、本物の溶岩が、轟々と音を立てて燃え盛っている。調理器具は、巨大な魔獣の牙を削り出した包丁や、分厚い鉄板を叩いて作っただけの、無骨なフライパン。そして、何よりもカレンを驚かせたのは、魔族の料理人たちの姿だった。

 

 彼らは、屈強な鬼人や獣人ばかりで、白いコックコートではなく、革のエプロンを無造作に身に着けているだけ。彼らは、使節団の一員として現れた、非力で小さな人間の少女を、あからさまに見下し、値踏みするような視線で見ていた。誰も、彼女に話しかけようとも、手伝おうともしない。完全な、孤立無援だった。

 

(なんだ、懐かしいな。でも、これなら、私たち人間のほうが美味しい料理を作れそうだけど)

 

 その時だ。カレンの頭上から、低い、しかし威厳のある声が降ってきた。

 

「カレン、だったか?」

「は、はい!」

 

 反射的に返事をしながら、声のした頭上に頭を向けてみれば、そこには巨人と言っても過言ではない魔物がいた。

 

「人間の方がおいしいものを作れる。そう顔に出ているぞ」

「え、あ。すいません」

「確かに、この厨房を見れば、そう思うのも仕方のないことだろう。だが、我らとて誇りは有る」

 

 カレンの頭に手を置くと、その巨人は乱暴に頭を撫でた。

 

「子供とはいえお前は人間を代表している料理人なのだろう。我らとて野蛮ではない。和平を望む。先ずはお前の誠意を示せ」

 

 

 やがて、カレンの前に、試練のための食材が、ドン、ドン、と、無造作に置かれた。

 

 洞窟の奥深くで、月の光だけを吸って育つという、青白く、妖しく発光するキノコ「月光茸(げっこうだけ)」。

 

 溶岩の熱で栽培されるという、燃えるように赤く、見ているだけで汗が噴き出してきそうな「炎(ほむら)パプリカ」。

 

 そして、極めつけは、巨大な魔獣「岩トカゲ」の、分厚い鱗に覆われたままの、脚の肉だった。

 

(……どうすればいいんだ、こりゃあ……誠意を見せろって言われても)

 

 カレンは、途方に暮れた。前世の知識も、オーギュストから教わった王宮の技術も、この、あまりにも異質な食材たちの前では、全くの無力だった。レシピも、調理法も、何もかもが、ゼロからのスタート。

 

 それでも、彼女は、料理人としての本能で、まず、食材と「対話」しようと試みた。

 

 月光茸を手に取ると、ひんやりとしていて、森の奥深くの、湿った土の匂いがした。炎パプリカは、近づくだけで、鼻の粘膜がひりつくような、強烈な刺激臭を放っている。

 

 そして、問題の、岩トカゲの肉。

 

(まずは、この鱗を、剥がさないと……)

 

 カレンは、オーギュストから贈られた、愛用のペティナイフを握りしめた。王宮の厨房で、どんな食材も、まるでバターのように切り分けてきた、最高の相棒。彼女は、ナイフの切っ先に全神経を集中させ、岩トカゲの、黒光りする鱗の一枚に、力強く、刃を立てた。

 

――キィィィィィンッ!!

 

 甲高い、金属同士が擦れ合うような音が響き渡り、カレンの手に、強い衝撃が走った。

 

 ナイフは、鱗に弾き返され、その切っ先は、無惨にも、欠けてしまっていた。

 

「……あ……」

 

 カレンの口から、呆然とした声が漏れる。その瞬間、それまで遠巻きに見ていた魔族の料理人たちから、我慢しきれないといった、下品な嘲笑が、一斉に上がった。

 

「ひゃひゃひゃ! 見たか、今の! 人間のなまくらじゃ、岩トカゲの鱗に、傷一つつけられんわ!」

「当たり前だ。あんなもんは、俺たち専用の『骨断ち斧』じゃなきゃ、歯が立たねえんだよ」

「和平の使節だか知らねえが、さっさと諦めて、お前の国へ帰って、ママゴト遊びの続きでもしてな、お嬢ちゃん!」

 

 刃こぼれした、大切なナイフ。四方八方から突き刺さる、嘲りの声。そして、目の前に横たわる、あまりにも巨大で、絶望的な、文化と常識の壁。

 

 カレンは、厨房の真ん中で、ただ、立ち尽くすことしかできなかった。将軍ゼノンも、王太子アルベールも、厨房の掟には、容易に口出しはできない。

 

 ここは、彼女が、たった一人で、乗り越えなければならない、試練の舞台なのだ。

 

 その瞳から、みるみるうちに、光が失われていく。

 

 初めて感じた、本当の「無力感」が、彼女の心を、冷たく、そして重く、支配し始めていた。

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