赤缶カレー粉と少女の冒険   作:灯火011

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第23話:皿の上のダム

 謁見の間は、凍てついていた。

 

 魔王グルザールと、王太子アルベール。二人の指導者の間に交わされた、最後の、冷たい言葉の応酬が取り返しのつかない決裂を、その場にいる全ての者に宣告していた。重臣たちは顔を青ざめさせ、衛兵たちは無言のまま、柄にかけた手に力を込める。歴史が、再び、血塗られた冬へと逆戻りしようとしていた、その瞬間。

 

 バンッ!!

 

 謁見の間の、巨大な黒曜石の扉が、外から凄まじい音を立てて開け放たれた。

 

「何者か!今は重要な話し合いの最中だぞ!」

 

 衛兵が叫ぶ中に現れたのは、コックコートに身を包んだ、場違いなほど小さな少女、カレン。

 

 そして、彼女の両脇を固めるように、右には、深紅の湯気を上げる大鍋を担ぐ、鬼人料理長ボルグ。

 

 左には、黄金色の湯気を上げる大鍋を担ぐ、若き鬼人ガルバス。その後ろには、様々な種族の魔族の料理人たちが、食器を乗せたワゴンと共に、一列に、胸を張って、並んでいた。

 その、人間と魔族が、一つの目的のために、一体となった、異様で、しかし、あまりにも神々しい姿に、両国の王も、重臣たちも、衛兵たちも、全ての者が、言葉を失った。

 

「……完成したか、カレン」

 

 アルベールは小さく頷き。

 

「ほう……あれが、ゼノンが言っていたスープか」

 

 グルザールは、感心するように小さく呟いていた。

 

 

 カレンは、震える足で、しかし、一歩一歩、確かに、玉座の前まで進み出た。

 

「王太子殿下、魔王陛下。今一度だけ、お時間を頂戴し、我らの作る、最後の一皿を、召し上がってはいただけませんでしょうか」

 

 その声は、か細かったが、謁見の間の、重い静寂を、切り裂くほどの、強い意志を宿していた。

 

 アルベールとグルザールは、その少女の、あまりにも真摯で、命懸けの覚悟を宿した瞳に、互いに顔を見合わせた。そして、無言で頷き合う。

 

「ありがとうございます。――ボルグさん、準備を!」

「おう。やるぞテメェら!」

 

 カレンの合図で、会談の行方が決まるであろう、配膳が始まった。

 

 純白の、大きな皿が、二人の王の前に、静かに置かれる。

 

 まず、皿の中央に、炊き立ての白米が、高く、そして、頑丈な、半円形のダムのように、盛り付けられていく。それは、二つの世界を、無慈悲に、そして、厳格に、隔ててきた、国境の山脈のようでもあり、あるいは、両者の心の中にある、不信の壁のようでもあった。

 

 そして、ダムの左右の、ダム湖となるべき空間に、ボルグとガルバスが、それぞれの鍋から、究極のソースを、ゆっくりと、注ぎ込んでいく。

 

 右側には、岩トカゲと炎パプリカの魂が宿る、深紅の「魔のソース」。

 

 左側には、鶏肉と飴色玉ねぎの慈愛に満ちた、黄金色の「人のソース」。

 

 ここに、カレンが構想した、究極の「ダムカレー」が、完成した。

 

 その、あまりにも強いメッセージ性を持つ一皿を前に、アルベールとグルザールは、息を呑んだ。これは、ただの料理ではない。これは、この小さな少女からの、両国への、痛烈な、そして、愛に満ちた、問いかけだった。

 

 

 アルベールとグルザールの、言葉を交わさぬ、しかし、雄弁な会談が始まった。

 

 まず一口目、故郷の味。

 

 アルベールは、ダムを崩さぬよう、慎重に、黄金色の「人のソース」をスプーンですくった。その、優しく、奥深い味。彼の脳裏に、王国の、豊かな田園風景や、民の穏やかな笑顔が浮かぶ。和平交渉の緊張で張り詰めていた心が、故郷の味に、ふっと、安らぐ。

 

 魔王グルザールもまた、深紅の「魔のソース」を口にした。その、力強く、魂を奮い立たせる味。彼の脳裏に、荒々しくも美しい故郷の大地と、厳しい自然の中で、誇り高く生きる、同胞たちの顔が浮かぶ。王としての、民を守るという、重い責任を、改めて、その舌で、噛み締めた。

 

 そして、運命の二口目、隣人の味。

 

 アルベールは、おそるおそる、深紅のソースを口にした。その瞬間、彼の瞳が、驚愕に見開かれた。

(なっ……なんだ、この、力強い味は……! 荒々しく、刺激的だ。野蛮だと、そう思っていた。だが、違う! これは、厳しい自然の中で、誇り高く生き抜いてきた者たちだけが持つ、魂の熱さ、生命力の輝きそのものではないか!)

 

 彼の、魔族への偏見が、味覚という、抗いがたい真実の前に、音を立てて、崩れていく。

 

 グルザールもまた、黄金色のソースを口にし、その巨大な体を、微かに震わせた。

(……なんと、優しい味だ。甘く、柔らかい。脆弱だと、そう侮っていた。だが、違う! これは、長い、長い時間をかけて、文化を、慈しみを、家族の温もりを、丁寧に、丁寧に、育んできた者たちだけが持つ、魂の温かさそのものではないか!)

 

 彼の、人間への不信が、その、あまりにも深い、慈愛の味の前に、溶かされていく。

 

 二人は、言葉を失っていた。互いの国を、互いの民を、初めて、本当の意味で、理解した気がしたからだ。

 

 その姿をその眼でしっかりと見届けたカレンが、静かに、しかし、はっきりと、語りかける。

 

「そのライスで出来た、お皿の真ん中にあるダム……壁は、両国を隔ててきた、過去の壁です。憎しみと、不信で、固められた壁です。ですが、その壁は、決して、乗り越えられないものでは、ありません」

 

 アルベールと、グルザールは、まるで、見えない糸に引かれるかのように、互いの顔を見つめ合う。そして、示し合わせたかのように、同時に、その手に持ったスプーンを、中央の、ライスのダムへと、突き立てた。

 

 ――ダムが、決壊した。

 

 純白のライスの壁が、ゆっくりと、しかし、確実に、崩れ落ちていく。その、決壊した場所から、黄金色のソースと、深紅のソースが、まるで、雪解け水のように流れ出し、皿の上で、出会い、そして、美しく、混じり合った。

 

 赤と金が、互いの色を殺すことなく、鮮やかなマーブル模様を描き出す。それは、まさしく、二つの世界が、手を取り合い、融和する、その、奇跡の瞬間の、縮図だった。

 

 運命の三口目。融和の味。二人は、その、混じり合ったカレーを、口へと運んだ。

 

「……おお」

「これは……」

 

 口の中に、完璧な調和が広がった。魔のソースの力強さを、人のソースの優しさが、受け止める。人のソースの奥深さを、魔のソースの刺激が、さらに引き立てる。

 力強さと、優しさ。刺激と、安らぎ。対極にあるはずの二つの世界が、互いの長所を、何倍にも、何十倍にも、増幅させている。

 

 それは、単なる「美味しい」という言葉では、到底表現できない、「共に生きる、未来」の味がした。

 

 その味は、二人の脳裏に、鮮やかな、そして、あまりにも温かい、未来の幻影を見せた。

 

 人間の農夫が、魔族の子供に、甘い果実の育て方を、笑顔で教えている。

 

 魔族の鍛冶師が、人間の若者に、硬い金属を操る秘伝の技を、誇らしげに伝えている。

 

 ――そして、小さな家の、食卓で。人間の少年と、魔族の少女が、一枚の皿に盛られた、二色のカレーを、きゃっきゃと笑いながら、分け合って、食べている。

 

「おいしいね」

「うん、おいしい!」

 

 その、屈託のない笑顔。その、温かい光景。それこそが、彼らが、指導者として、心の奥底で、本当に、求めていた、国の姿だった。

 

 

 アルベールとグルザールは、スプーンを置いたまま、動けなかった。ただ、互いの瞳を、見つめ合っていた。

 そこには、もはや、敵意も、憎しみもなかった。あるのは、深い、深い理解と、そして、共に未来を創るべき、隣人への、敬意だけだった。

 

 長い、長い沈黙の後。

 

 先に動いたのは、魔王グルザールだった。

 

 彼は、椅子から立ち上がると、若い、人間の王太子に向かって、その巨大な体を、ゆっくりと、折り曲げた。深く、深く、頭を下げたのだ。

 

「……若き獅子よ。お前の国の、『未来』の味、見事であった。我らの負けだ」

 

 アルベールもまた、慌てて立ち上がると、老練な魔王に、敬意を表して、同じように、深く、頭を下げた。

 

「いえ、魔王陛下。貴国の『魂』の味、確かに、この身に受け取りました。これは、我らの、双方の勝利といえるでしょう」

 

 歴史的な和平成立が、事実上、確定した瞬間だった。謁見の間は、言葉にならない、奇跡を目の当たりにした者たちの、静かな、そして、どこまでも温かい、感動に、包まれていた。

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