こんなはずじゃなかった。
少し脅かしてやりたかっただけだった。ただ、以前のような静けさが戻ってくれたら、それでよかったんだ。
なのに…なのに、直撃するなんて。
あの子に、背負わせてしまうなんて。
インターホンが鳴った。私の部屋に来客など、来たためしがない。
ドアスコープから外を見る。そこには、白のコートに紫の腕章を付けた、赤い目の女が立っていた。
「…ヴァルキューレ…?なんで…」
恐る恐る、ドアを開ける。
「お、出た…こんにちは、お休みのとこごめんね」
「ああいえ、お気になさらず…」
何処か間延びした声で、目の前の警察官は話す。
「えーっと、聞きたいことがあってね…このアパートの目の前で事件があったんだけど、なんか知らない?」
「…人が燃えた、ってやつですか…?」
「そうそう、それ。何でも良いよ、なんか無い?なんか見たとかさ」
嫌な汗が背中を伝う。
「あ、えっと…現場を、見ました」
「何時くらい?」
「夜の1時くらいだったと思います…急に外が明るくなって、カーテン開けたら…」
「開けたら?」
「人が、燃えてました。4人くらい…みんな悶えてて…」
その時、警察官の目つきが変わったような気がした。何か閃いたような、そんな目になった気がした。
「その後は?」
「…びっくりしちゃって、その後はあんまり覚えてなくて…ごめんなさい」
「…まあ、普通そうだよね…わかった、ありがとね」
そう言って、警察官はドアを閉じようと――した所で止めた。
「そういや、貴方、プログラミングとかやるの?」
どくん、と、心臓が大きく跳ねる。冷や汗が噴き出す。
震えそうになる身体をどうにか押し留めつつ、答える。
「…なんでです?」
「いや、なんかおっきいパソコンが見えてさ。するのかな、って思って」
「…ええ、趣味程度ですけど」
「趣味か…私もよくやるよ。仕事サボるためにマクロ組んでる」
「そうなんですね…」
愛想笑いをしようとしたが、乾いた笑いしか出なかった。顔も引きつっているのがわかる。
「手間取らせちゃってごめんね。ありがと、じゃ」
「…あ、下の階、行かれますか?」
「ん?行くけど、どうかした?」
「ああいえ、別にどうというわけではないんですが…」
下の階には、この事件の通報者――花岡ユズが住んでいる。きっとあの子も、この事件を目の当たりにしている。
「…その子、今事件のショックで閉じこもっちゃってるみたいで…あまり、無理はさせないであげて下さい」
「あ、そうなの。わかった、忠告ありがと」
ぱたん、と玄関が閉まる。同時に、足の力が抜けて、床にへたり込んでしまった。
あの警察官は気づきつつある。保安部が総掛かりでやっても踏み込めなかった領域に踏み込みつつある。
瞼を閉じた。あの夜から、この街には静けさが戻ってきた。だが、今はこの静けささえ恐ろしい。まるで、真っ暗闇が追いかけてくるような――
―こんな目に遭う為に、ミレニアムに来た訳じゃない。
こんなはずじゃなかったんだ。
「…反応なし、か」
アパートの一階。表札には『花岡』とある。
インターホンを押しても、中から物音一つ聞こえやしない。留守か、それとも上階の住人の言う通り、閉じこもってしまっているのか。
「困ったな。どうしよ…」
上階の住人曰く、ここの部屋の人物はショックで閉じこもってしまっている。
事情聴取は無理か、と思い、ノアさんに現状報告をしに行こうとした時だった。
「あの、ユズちゃんに何か用ですか?」
声がした方を振り向く。そこには、姉妹と思しき緑と桃色の2人と、青い瞳の少女が立っていた。
「もしかして、ここの人の知り合い?」
「はい。…ユズちゃんに何か?」
「いや…この辺であった事件を調査しててさ。何か話を聞けたら、って思ったんだけど」
そう言うと、緑の子は表情を硬くする。やはり、話を聞くのは難しそうだ。
「…やっぱり、駄目?」
「…はい。ちょっと、そっとしておいてあげて欲しいんです」
ごめんなさい、と頭を下げられる。本来頭を下げないといけないのはこちらのはずだ。
「んー…わかった。じゃ、私は撤収するよ」
「はい。…協力できず、すみません」
「いやいや。人と関わりたく無い時もあるでしょ、そりゃ――」
その時だった。
玄関が、少しだけ開いた。その隙間から、オレンジの瞳が見える。
「…ユズ?」
桃色の子が驚いたように言う。
「…っ…あ、上がってください…」
震えた声で、家主――花岡ユズはそう言った。
「でもユズ、もういいの…?」
「…うん。ほんとは怖い、けど…」
「…いつかは、話さないと…駄目だと思うから」
「…見たのは、夜の1時ぐらいだったと思います」
目の前に座る橙色の少女――花岡ユズは、そう話し始めた。
「わ、私は、ちょっと夜更かしして、格闘ゲームをしていたんです」
「…この、プライステーション4で?」
「はい…そしたら急に、外が明るくなって…よ、夜中なのにおかしいなって思って…そしたら、そしたら…!」
「ユズ、無理は…」
「アリスちゃん…ごめん、大丈夫、だから」
…無理をさせてしまっている。
しかし、この子の証言が事態を動かす可能性もある。何とか、話してもらうしかない。
「…人が、燃えていた?」
「…っ、はい」
ここまでは概ね問題点なし。上階の住人の証言とも一致している。
「…どんな様子だったの?」
「えと…確か、1人が地面に倒れてて、他の人たちが動き回ってた、と思います…」
「…あれ?倒れてた?4人とも悶えてたんじゃなくて?」
「…いえ。1人、倒れていました」
「うちのユズは目が良いんだよ。見間違えってことはない気がするけど…」
桃色の子――モモイさんがそう言う。お姉ちゃん、と横からミドリさんに制止されていた。
それよりも、だ。
今、ユズさんは「1人倒れていた」と言った。
…やっぱりそうか。
上階の住人に尋ねた時も違和感があった。が、これではっきりした。
「なるほど、ね…他に、何か変わったことは?」
「それ以外は特に...いや…確証は持てないですけど…いいですか」
「…うん、いいよ」
そう言うと、ユズさんは一つ深呼吸をした。
「…あの時、見たんです。何か…赤い糸、みたいなのを…ぴんと張られてて…」
「…赤い、糸?」
糸。赤い糸。
「それは、何処からどういう風に伸びてたの?」
「えっと…こっちのほうが分かりやすいと思います」
そう言うと、ユズさんは窓を開け、ベランダに出た。このアパートは一階にもベランダがあるタイプだ。
ユズさんに追随してベランダに出ると、そこから事件現場を一望できた。
「こう…右の方から一直線に、自販機の方に…」
「高さはどのくらい?」
「えっと…あ、あの人くらい、だったと思います」
保安部員を指さしながら、ユズさんは答えた。その保安部員はノアさんと並んで立っていたので、高さは想像しやすかった。
「その糸は燃えてた?」
「えー…と、いえ、燃えてなかったと思います」
糸は燃えていなかった。
しかし、被害者の頭は、おそらくそれが原因で発火している。
…やはり決め手に欠ける。真相はすぐそこまで迫っているはずなのに、あと一歩が届かない。
「…あ、その…お役に立てなくて…すみません」
「いや、今はどんな情報でも欲しいからね。全然大丈夫だよ」
「…でも」
「あーもう!!空気がどんよりしちゃってるよ!!」
その時。横からモモイさんがそう言った。
「そんな真面目な話ばっかしてたら疲れちゃうじゃん!ほら、明るい話しようよ!」
「ちょっとお姉ちゃん…」
「…確かに、そうかも」
「フブキさん!?」
流石に質問責めしすぎた。ユズさんも疲れているだろう。それに私も、何となく頭の回転が悪い。お互い、休憩が必要だろう。
「…でも明るい話題って言っても、何するのさ」
「それはもちろんアレだよ!ほらアリス、頼んだ!」
「はい!ビギナー用のアレですね?」
そう言うと、アリスさんはおもむろに棚を漁り始める。そこには、数多くのゲームソフトが並んでいる。
「…お姉ちゃん、まさか」
「パンパカパーン!大乱闘ぶっ飛ばし姉妹です!!」
「ゲームやろう!!」
「――また負けた!!」
画面に表示される、2P WINの文字列。これで5回連続で見る事になった。
「おお、フブキさん、ゲーム上手です!」
「このシリーズ好きなんだよね~」
「…お姉ちゃんが下手なだけなんじゃない?」
「あー!なんて事言うのさ!!」
わいわい、ぎゃあぎゃあと、才羽姉妹がはしゃいでいる。その様はなんだか微笑ましい。振り向くと、ユズさんの表情にも笑みが浮かんでいる。
「ちょっと休憩っ!外の空気吸ってくる!」
そう言うと、モモイさんはベランダに出て行った。少しずつ秋が近づいている、そんな風を感じる。
「あ、じゃあ次私やります」
「お、珍しい。ユズちゃんが自分から行くなんて」
「UZQueenの出陣です!」
「ちょっ、アリスちゃん、その名前は…」
UZQueen。何処かで聞いたことのある、見たことのあるような名前だ。
ユズさんがコントローラーを握る。
キャラ選択が行われ、ゲームが始まった。
「…さ、どんなものかな…」
「…」
合図とともに先制攻撃を掛ける。しかし、その攻撃は余裕で回避され、カウンターを食らう。
…さっきのモモイさんより、格段に動きが速い。
こちらの攻撃は、まるで予知されているかのように躱され、防がれる。逆に向こうの攻撃は余すことなく当たる。
「つっよ…!」
「…!」
しかし。私だってこのゲームをそこそこやり込んだ身。
何とか攻撃を躱しきって背後を取る。コンボ技を叩き込んでやる、そう思った時だった。
がつん、という音とともに、その攻撃は防がれた。
「ジャストガード…?あのタイミングで…?」
「…そこ!」
カウンターが来る。
必殺のコンボ技が全弾命中。私の操作するキャラがステージ外に吹っ飛ばされ、敗北した。
「…よしっ」
何という早業。ここまで鮮やかにやられてしまうと、悔しいという感情すら湧かない。
「…ちょっと強すぎない?」
「勿論です。うちのユズちゃんは最強ですから」
「UZQueenは伊達ではありません!」
「…あ、もしかしてUZQueenって、あの――」
その時だった。
ベランダに出ていたモモイさんが、ばたばたと部屋の中に戻ってくる。
「お姉ちゃん、どうかした?」
「ユズ!フブキさん、ちょっと来て…!」
一体どうしたというのだろうか。
モモイさんに続いてベランダに出る。
「あれ、あれって…ユズの見たやつなんじゃないの…!?」
「…あっ…!」
モモイさんの指差した方向。その近くにはノアさんが立っている。
その頭の高さほどの位置に――
赤い線が浮かんでいた。それは視界の右の方から一直線に伸び、自販機のカゴの上に到達していた。
その時、携帯から着信音。相手はノアさんだった。
「はい、もしもし」
『フブキさんですか!?今どこに!?』
「ユズさんの部屋だよ。ベランダに出てる」
そう言うと、ノアさんはこちらに振り向いた。こちらを見つけたようだ。
『見えました!ということは、フブキさんにも見えてますね!?』
「…うん、見えてる。…出処、追えそう?」
『はい、今から追います!』
「了解。すぐ行くから、見つけたら教えて」
事態が動いた。それも、どん詰まり状態の状況を打開しうる、大きな一手となりそうな事態だ。
「…事件絡み、ですか…?」
「…そうだね。そうかもしれない」
「…頑張って、ください」
「頑張るのは性に合わないんだけど…うん、やれるだけやるよ」
お邪魔しました、と言い残し、ユズさんの部屋から出る。
踵を靴の中にしっかりと収め、ノアさんのもとへ急いだ。
次回「トリガーを引いたのは 後編」