IS【Three Heroes ~白・黒・灰~】 Unsung Episode   作:オブライエン

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 エタっていたわけではないです。忙しかっただけです。鬱展開注意です。


私は、気が狂いそうなほど、あなたのことが

「ドクター。私の夢、聞いて貰えますか?」

 

 いつも通りの検査の中、アウラがそんなことを言ったことがあった。

 如月がポカンっと口を開けて阿呆のような顔をすると、アウラは頬を少し膨らませて少しむくれた。

 

「あ、意外だって顔。酷いですね、私にだってそれぐらいありますよ」

「む、すまん。どんな夢か聞かせて貰えるか?」

「内緒ですよ。バティにだって秘密なんですからね」

 

 アウラは少し照れ臭いのか頬を染めて苦笑した。

 妹のような親友にすら秘密だと言った彼女の夢は素朴なものだった。

 それこそ、少女なら誰もが一度は夢見るような、当たり前で何処にでもあるような夢。

 

 

「私はーー」

 

 

 夢。

 ーーそれでも、叶わぬ少女の夢だった。

 

 

 

  第XX話  part03 - 私は狂おしい程、あなたのことが

 

 

 

「…………」

 

 ノックの主を確かめようと自室の入り口の扉を開けたジークは、その来訪者を確認して隠しきれない嫌悪感を無言で顔に表した。

 

「……また(・・)来たのか?」

「うん。来ちゃった」

 

 来訪者ーーアウラはジークの顔を見て、楽しそうに微笑んだ。

 あの夜の一件以来、アウラは暇を見つけてはジークの部屋に来るようになっていた。蹴っ飛ばして追い返そうとも考えたが、そこまでの強行手段に出ると負けた気がしてそれはそれでムカつくので、ジークは我慢比べだと思って現状を受け入れていた。

 アウラは大抵は他愛も無い雑談を吹っかけてきて、取り付く島もないジークの態度や嫌味にもめげず、時には死んだ子供たちのことを思って少しだけ泣いた。

 普段子供達の前にいるアウラは、決して涙を見せない。勝手にしろ、とジークも思っているが、気になることはある。

 誰にも、バティにもバレないようにしてから、と囁くアウラはいつもよりも嬉しそうだったことを覚えている。

 

「オマエ、オレの部屋を避難所かなんかと勘違いしてるんじゃねぇか?」

「いーの。居心地いいんだから、ここ」

 

 アウラはジークの憎まれ口を笑顔で流して、特等席と言わんばかりにベットにぽんと腰を掛ける。最初の時にあんなことされたベットに自ら座るとは図太い神経してやがる、とジークは思う。

 

「ーーこんなところの何処が居心地がいいんだよ?歓迎した覚えなんて一度もねぇぞ」

 

 しかめっ面で問うと、アウラは逡巡した後、遠慮がちにジークを見上げながら、問い返した。

 

「わかんない?」

 

 分かる訳がない。ジークはばっさりと切り捨てた。

 

「オマエの考えることなんてオレが知るか」

 

 すると、アリスは照れたように笑った。

 

「ーーじゃあ、いい」

 

 いい訳あるか、迷惑してんのはこっちなんだよ――とまでは言わない。お甘くなってしまったらしい自分に一番腹が立ち、ジークは深いため息を吐いた。

 

 

 ▼

 

 

 如月という男がラボ・アスピナに来た経緯は他の所員達とは多少異なっていた。

 彼は■■■■の人間ではなく、元々はとあるIS開発企業の技術研究員だった。

 ある程度の成功は納めているし、秀でてる面もあるが研究者としての能力は並みであり、大勢いる社の構成員の一人という扱いだった。

 唯一、他の技術研究員と違う点といえば、如月が単純なIS開発の技術だけではなく、医学や解剖学に関する技術も修めていたという点である。もちろんISその物の技術も修めているが、彼の本分はそのソフトウェアというべき操縦者だった。

 

 忘れもしない。そんな彼にある時、上司から辞令を言い渡されたのだ。

 

「IS操縦者の育成機関……ですか?」

「そうだ。■■■■と連繋して指定された新型ISを使いこなす操縦者の育成を行って貰いたい」

 

 飛びつきたくなる程の良い話だった。社が■■■■と繋がりを持っているという話を事前に知っていた如月とっては大して驚くことでは無かったし、■■■■が持つ世界最高峰の技術で製造されたISのプロジェクトに関われるなど研究者としては夢のような話だった。

 しかし、何故自分なのか。

 

「……不服かね?」

「い、いえ。しかし……どうして自分が?」

 

 自分を卑下するつもりは無いが、如月よりも優秀な成績を残している同僚は当然いる。人材の引き抜きというなら自分に鉢が回ってくる理由が分からない。

 

 問いに対して上司はこう答えた。

 

 一つ、『ラボ・アスピナ』と呼称される施設で行われるプロジェクトは従来のモノとは一線を画すものである、ということ。

 一つ、ISそのもの対しての技術ではなく、如月の『人体』そのもの対して技術を買っての選抜である、ということ。

そして最後に、このプロジェクトは秘密裏に行われる、ということ。

 

「このプロジェクトは絶対に表沙汰に出来ないというモノだ。君も他言無用で頼むよ」

 

ここまで言われれば誰でもこのプロジェクトがどういった物かは、嫌でも理解できた。

研究者の一人として■■■■の黒い噂は耳にしていた。彼等の技術力の高さは、その裏で流された血の量に裏付けられているということも知っていた。

 

 

ーーそれでも、如月はチャンスだと思った。

 

 

 そして、ラボ・アスピナに移動した後、如月はそこに集められた人間達の顔を見て、気づいたことがあった。

 彼等全員が、極めて優秀な研究者だった。慎重で知識が深く、一度犯した失敗は二度と犯さない。にも関わらず、如月は誰一人として彼らのことを『知らない』

 つまりは、そういうことだったのだろう。彼らは――如月も含めた――研究者として非常に優秀でありながら何らかな理由で名を馳せることが出来なかった無冠の人間なのだ。如月はプロジェクトの秘匿性を深く実感した。いかに優秀な研究者といえども著名な人間を使ってしまえば注目を集めかねない。そういった意味では無名の研究者達は陰で動かすなら最適だった。このプロジェクトは完璧主義であり非人道的だった。口うるさい奴らに知られれば黙ってはいないだろう。だからこそ、徹底的にその存在を秘匿した上でプロジェクトは進められる、と。

 そして秘密裏に行われるといえど「最強のISと最高の操縦者」を排出するこのプロジェクトは彼等には魅力的だっただろう。プロジェクトが成功すれば必ず『ラボ・アスピナ』の名は世界に轟き、歴史に名を残す。自分達は新たなステージに進める。人々に賞賛され、さらに優秀な研究所に配属され、あの篠ノ乃束すらも見返すことが出来るかも知れない。多くはそういった野望のためだった。大人たちは未来の光に惹かれ、結果として子供達の犠牲上で成り立つ研究に没頭した。

 とはいえ皆、手放しに野望を追っていたわけではない。

 如月だけではなく、恐らく全員がこのプロジェクトの意味に気づいていた。陰から陰へと消えるような、初めから存在していなかったようなプロジェクト。その本当の意味を。

 それでも彼等は進んだ。進むこと以外は選べなかった。如月でさえも、この計画の先にあるものを、自分たちの技術が実を結ぶ瞬間を、信じていた。いや、恐らく信じたかったのだ。

 皆の心の内に有ったものは、最も近い表現で表すなら「希望」と呼ばれるものだった。

 

 

 

 ▼

 

 

 

「よし。これで今日の検査は終わりだ」

「うん。ありがとう、おとうさん!」

 

 笑顔で抱き着いてきたバティを受け止め、頭を撫でててやる。バティは猫のように気持ち良さげに目を細めた。多くの子供たちが如月に心を開いてくれていたが、バティは特に如月に懐いており、「おとうさん」と呼びそれこそ本当の父のように慕っていた。

 実験棟の西側にある医療施設が存在している。実験の内容が内容なので用意されている設備は最新鋭のものばかりだ。そこで定期的に被験体の子供達の体調をチェックするもの如月の仕事である。

 

 

「……バティ、おまえ最近少し無茶し過ぎじゃないか?」

「!?」

 

 

 如月の言葉にバティはびくりっと身体を震わせた。図星である。

 精密検査などしなくても少し顔色を見れば分かることだ。元からバティは実験に積極的に参加する個体だったが、ここ最近のバティは少し度が過ぎている。まるで誰かと競うかのように、誰をも置き去りにするかのように貪欲に実験に参加していた。データが集まるのは良いが、優秀なソフトウェアが壊れてしまうのは困るっというのが研究所側の意見だった。如月もそう思うし、単純にバティを心配する気持ちもあった。

バティは少し逡巡したようだが、如月の言葉をつっぱねることを選んだ。首を竦めて、ぷいっとそっぽを向いた。

 

「そ、そんなことないもん!」

「そんなことないってのはないだろ。脳波と体調は嘘をつかないもんだぞ。ここ最近は『潜り』過ぎで身体に負担をかけすぎてる、バイタルサインにノイズが出てるのがいい証拠だ」

「むぅ。ちょっと疲れてるだけだもん。だから、おとうさんは気にしなくてもいいの!」

 

 ムキになった子供というのは強い。大人との間に城壁を作ってしまい、大人の言葉を頑なに受け付けなくなってしまう。

 だが、バティが無理をしてるのは誰が見ても明らかだ。バティは織斑千冬さえも超える適性を持ってはいるがそれに情報処理能力と精神力は比例しない。最高位の個体であるAのアウラすらも引き離す適性を誇ってはいるが、第二位の位置にしているのはそれが原因だ。制御しきれぬままISとシンクロすれば、圧倒的な適性はかえって自分の神経に負担をかけかねない。そうならないように調整をしてきたがバティが落ち着いて実験の過酷さを処理出来ていないのは心配だ。

 如月はむくれるバティに苦笑しながら、言いくるめるように述べた。

 

「バティ、お前が今焦る必要はないんだ。時間はあるさ。お前なら時間をかければ必ずアンサングに適合出来る。それに、アウラも頑張っているんだ。バティが無理してまで叶えないいけないことでもない」

 

 これは、嘘だ。

 バティを落ち着かせるために言っている一方、別の打算が如月にはある。

 バティはふるふると首を横に振った。素直で優しい彼女なら当たり前の反応だと如月は考えている。

 

「そんなのじゃ駄目だもん……わたしが、わたしがやらないといけないんだもん」

 

 

 如月は黙ってバティの言うことを聞いている。

 バティは、決意を述べた。

 

「わたしは、《バティ》だから」

 

 NO.02『B』《バティ》。適性の優劣では他の被験体を圧倒的に引き離し、目下アスピナの職員が最も期待を寄せている少女。

研究と計画の焦点として、彼女の使命感は非常に都合が良かった。少女やアウラがこうした姿勢を示してくれたのはこの計画の大きな幸運の一つだった。そうか、と如月は微笑み、これ以上追究するのを止めた。

 

「とにかく『頑張る』と『無理』ってのは別だぞ。アウラも心配してる、お前はもっと自分を労わっていい」

「……うん」

 

 バティは頑固なところもあるが、如月やアウラの言うことは素直に頷く。

 彼女は、両親に売られアスピナに来た少女だった。両親は知らない。だが、日本の貧しい家庭だったらしいということは分かっている。知れば苦しい事実を消されたのだから、彼女にとって記憶洗浄は救いだったのかもしれない。おとうさん、と慕われる如月はその事実に心を痛めもするが、それがただの感傷に過ぎないことは言われるまでもなく知っている。彼女が無意識下で「やさしい親」ーー「家族」を求めているであろうことも察しがついていた。しかし、自分は結局のところ彼女らを利用しているだけに過ぎないのだ。バティの健康状態を心配するのも、第一には打算ゆえのことだ。

 

 時間があるとは、如月は言い切らなかった。

 そこまでの嘘をつく余裕は無くなっていた。しばらくして、また子供が死んだ。

 

 

 ▼

 

 

【経過報告書 ――No,XX】

 NO.12『L』《レイラ》が死亡した。脳神経の損傷と脳幹からの出血など、死因はこれまでの多くの被験体と同じくISシンクロ時の過負荷によるものと見られる。目標敵が新たな戦闘機動を見せた為に生じたアンサングの演算が、彼女の適性で堪えられるものではなかったことが原因と思われる。今回の実験で得られたデータはアンサングのコアに吸収させた後、定着したデータをもとに実験を継続する。

 

【経過報告書 ――No,XX】

 NO.11『K』《カティ》が廃人化、処理した。彼女は精神的に不安定なところがあり、いささか自暴自棄のようにして実験に参加している向きがあった。恐らく彼女と親しかったNO.13『M』の死が原因と思われる。被験体の精神状態と身体状況に関しては別紙に詳細を記載する。

 

 

 ▼

 

 

 アンサングはその時、コアに呑み込んだ疑似戦闘データの定着とソート処理を受けていた。

 制御室では、何人かの研究員が黙々とパネルを操作している。カードを通しゲートを開くも、彼らは如月に一瞥もしない。

 データじゃ着々と集まってきている。優れたIS適性を持つ少女達の命を吸わせれば、コアが状況と負荷のレベルを学習し、それはまた敵に対する有効な戦闘機動の演算の補助にもなる。

 

「バティの状況があまり良くない。訓練プログラムを一旦減らすべきだ」

 

 署員の一人が振り返る。彼は被験体の実験スケジュールを管理している所員だ。

 

「バティとは?」

「B,だ.第二位の個体だ」

 

 如月が念を押すと、所員は納得したように頷いた。

 

「了解しました。それでは、空いたスケジュールは他の上位個体で埋めましょう」

「アウラーーAも万全じゃない。彼女にもあまり負担を掛けないでくれないか?」

「考慮します」

 

 彼らは、被験体の名前を完全に覚えてはいない。彼らにとって個体の愛称など関係ないと考えれば無理からぬことである。子供達の名前を全て覚えているのは、子供達と近い立場にいる如月ぐらいなものだ。所員たちは如月に対する興味を失ったように黙々とアンサングの調整に戻る。その姿はゲームに熱中する子供ように見えるし、偏執的な画家が一心不乱に筆を振るっているようにも見える。

 ただ、ここだけが時の流れから取り残されているような感覚が、如月の胸にはヘドロのように溜まっていた。

 如月はふと感じていた疑問を漏らした。

 

「アンサングは……今の戦場に通用すると思うか?」

 

 誰かが答えた。

 

「アンサングは最強のISです」

 

 確固たる声だった。

 アスピナの所員はアンサングを我が子のように思っている。ほとんどが■■■■から移動してきた人間であり、アンサングの設計そのものに関わっている者も多くいる。アンサングは最強のISだ。それを制御しうる最高の操縦者さえ用意すれば、恐れるものなど何もない。アスピナの所員たちは本当にそう信じていた。

 アンサングは現状、コアからシグナルで戦闘演算さえ出来れば問題ないので、心臓部を剥き出しにされ、四肢を拘束された状態で保管されている。

 子供達の命を喰らう大人達の夢の具現は、ただ黒く、ただ静かに、その心臓部を晒していた。

 

 

 ▼

 

 

 

ジークはその日、廊下でアウラを見かけた。しかし、部屋の外でも彼女と話す気などさらさら無いので、無視しようと思ったが出来なかった。彼女が見慣れない物を持っていたからだ。

 

「花?」

 

 鮮やかだが、生きている感じはしない。恐らくは造花だろう。

 造花を持って何処かに向かっているようだったが、アウラが進む方向には使われていない資材置き場しかなかった筈だ。

 ジークは怪訝に思い、アウラを見ていると廊下の角を曲がろうとしたアウラと目があった。

 

 アウラの眼は、泣き腫らしたように少し赤かった。

 

 

 

「……バレちゃったか。ここ、私とバティだけの秘密だったんだけど」

 

 アウラは隣に立つジークに照れたような笑みを向けた。

 ジークはというと、目の前の光景に少なからず圧倒されていた。

 

 異様な空間だった。薄暗い資材置き場の中央に資材を積み重ねた何らかのオブジェが並び、そこには名と写真、そして花が備えられている。一目で分かった。これは墓標だ。 

 

「……内緒にしてくれる?」

 

 新しい墓ーーに花を供えてアウラは振り返った、月明かりに照らされたアウラは少しやつれていた。彼女もそうだが、自分も大して変わらないだろう。生き残っている被験体のアンサングとの接続回数は700回は下らないだろう。ジーク自身も何故最低位の自分の身体がここまで持っているのか不思議に思っているぐらいだ。男であり肉体年齢が完成している歳であるから他よりも身体が頑丈だということもあるだろうが。

 そして、精神力も身体の頑丈さもジークには及ばない筈のアウラはその倍以上の実験をこなしている。

 それでいて、他の子供たちに深い愛情を注いでいる。

 脇に押しのけられた資材は埃をかぶっているのに子供達の墓には一切それがない。アウラ、或いはバティがたびたびここに来ている証拠だ。何故だ、とジークは思う。最初の夜のことが頭に過る。何故、コイツはこんなことが出来る。こんなにも、他人に優しくできる。こんな場所で、こんな環境で。

 

「どうしてだ?」

 

 ジークは壁に寄りかかり、やつれた少女を見下ろす。

 結局のところ、アウラへの複雑な感情はそこに行き着いた。

 

「えっ……?」

「どうしてオマエは、こんなことが出来る? 誰かに頼まれでもしたのか? 見返りが何処にある? こんな場所でなんの得にもなんねぇ、むしろ辛いだけなのに、どうして他の奴らの為なんて言えるんだ?」

 

 いつぞや、カルナが言った言葉と最初の夜のアウラの涙が脳裏を過ぎる。互いに笑いあう理由なんて、好きだからで十分なんじゃないのかと、カルナは言った。互いに笑いあった好きな人達の死に傷つきアウラは涙を流した。ジークはそれを頭の中から削ぎ落とすように意識しながら、ジークはこう思う。

 

ーーオレには、そんなことをする余裕も相手もいなかった。

 

 アウラは意外そうに少し目を丸くした。ジークの方からこれほど勢い込んで何かを言うことは、今まで一度だって無かった。ジークの表情は、アウラへの不可解な苛立ちをそのまま表に出したように苦々しく、その瞳には僅かな怯えの色すらあった。何から何まで正反対の少女を前にして、青年は確かに怯えていたのだ。これまで形成した自我とは全く別種の存在が理解できず、恐ろしく、また眩しかった。挑みかかるような瞳で、ジークはアウラをひたと見据える。どこかその視線にすがるような感情が宿っていることを彼は自覚していない。言い返してくれ、何でもいいから答えをくれ、じゃないとオレは何を思えばいいかわからない。

 

 

アウラは少し悩んだようだった。それでもすぐに自分の中の答えを探り当て、立ち上がる。そうして彼の顔を真摯に正面から見た。

 

「……私が《アウラ》だからかな」

「なんだそりゃ……意味がわかんねぇぞ」

「うん。ごめんね、私も上手く言えない……けど今の私は《アウラ》で、《アウラ》はバティやカルナや、みんな好きだからってこと。確かに辛いことも多いけど、それは私が皆を好きだった証だから、私は辛いままでいいの」

 

 未だ顔をしかめるジークにアウラは、ふにゃ、と微笑んだ。

 

「覚えてる?こういう考え方ね、教えてくれたのジークなんだよ」

 

知るかーーと返そうとして、ジークは思い留まった。今更いちいち覚えちゃいない程度のことだが、昔ジークはめそめそと泣く『誰か』に、何か言った覚えがあった。まだジークやアウラという名前を得るよりもずっと前、二十六人の被験体達が全員集まっておらず、まだアスピナに二人しか被験体がいなかった頃だったか。

 

「ーー私、昔はいっつも泣いてた。何も思い出せなくなったのがすごく怖くて。でもね、そういう時ジークが言ってくれたんだよ。『昔が思い出せなくても、オマエはオマエだ』――って。覚えてる?

 

 よせばいいのに、アウラはジークの声真似までした。それは、照れが混ざって思い切りが足りなかった。簡単に言えば全然似ていなかった。言い終えた後むしろそれに照れたらしく、アウラは少しばかり赤面して俯く。ジークはせめてもの抵抗に思いっきり白い目で見てやった。

 

「……アホか。んなお綺麗な言い方じゃなかっただろうが……」

 

 思い出した。

 全てを失い、めそめそと弱弱しく泣く少女にジークは横柄にもこう言ったのだ。

 

 ーーめそめそ泣いてんじゃねぇよ、鬱陶しい。何にも憶えていなかろうが、オレとオマエは今、此処にいるんだ。どうしようねぇんだから、とっとと腹括れ。

 

 少し顔を上げ、上目にジークを見るアウラの瞳にはある種の憧憬があった。

 

「この人すごいって思ったんだ。周りのことは何もわからなかったけど、でも羨ましくて、この人みたいになりたいって思った」

 

 

 馬鹿だ、こいつは。とジークは思う。

 何が羨ましいだ、自分のような奴に羨む要素などあるものか、羨望を抱いているのだとしたらそれはむしろー

 

 --むしろ。

 

 そこから先は思いつかない、悔しくて心のどこかが出力するのを拒否しているのかもしれない。

 

「それから、バティやユウナにあったんだ.あの子たち此処に来たばかりのころは酷くって……ああ、私と同じなんだなって思って……--知ってた? 私の《アウラ》って名前、バティがくれたんだよ」

 

 そう独白するように言って、アウラはジークから視線を外した。何だ、と思いジークも視線を追う。この倉庫の入り口だ。

 

「ね、バティ?」

 

 視線の先には、バティ。

 入り口から頭だけ出して、今にも呪い殺してきそうな目でジークにガンを飛ばしてきていた。

 

 

 

 どうしてこんなことになったのかよくわからないが、ジークは今アウラとバティと並んで廊下を歩いている。

 アウラとジークの間にバティが入り込んでいる。先程から左頬に殺気混じりの視線がぶすぶすと突き刺さっているのは気のせいではないだろう。バティからして見ればジークはもともと嫌いな奴でしかも今は大事な場所に入り込んできやがった侵入者でもあるのだ。抜身の敵意をぶつけられ、ジークは辟易とした顔で足を進める。

 

「ーーということだから、ジークもあの場所については、皆には内緒にしてくれるかな?」

「ま、言いふらすようなもんじゃねぇねしな。あんなもん」

 

 突き放すように言った直後、「メシッ」とジークの横っ面にバティの握り拳がめり込んだ。

 

「ほごっ!? テメェ何しやがんだクソガキ!」

「あんなもんじゃないもん! 後、ガキじゃないもん!」

 

バティはぷいっとそっぽを向いた。マジでシメてようかと思い、ジークは歯を剥いたがバティはやたら俊敏な動きでアウラの後ろに隠れ手を出せなくされた。ジークは忌々しげに目線を反らした。

 

「ガキのしつけぐらいちゃんとしとけ……ったく」

 

 アウラは困ったように、だが楽しそうに微笑んだ。

 

「しつけ? バティは友達よ、そんなことしないわ」

「うん、友達……おまえは違うけど」

「ウルセェ、んなもんこっちから願い下げだ」

 

 顔をしかめるジークとむくれたバティを見比べて、アウラはやけに穏やかな表情でいたそれをみているとどこか決まりが悪く、ジークは二人を置いていくつもりだ歩調を速めた。そうしたらそれにアウラがついてきて、更にアウラにバティがついてきた。不愉快そうに鼻を鳴らすことがジークの唯一の抵抗で、それでもアウラは楽しそうだった。

 

 時刻は午後三時。数分後に、本日五度目のアウラのテストが始まる。

 廊下の分岐点に差し掛かり、アウラは実験棟へ向かう方に一歩踏み出して、肩ごしに二人を振り返った。

 

「じゃあ、私はVRポッドに行くから、二人とも、喧嘩しないでね?」

 

 いつもより軽い足取りで去っていくアウラを見送り、ジークとバティは顔を見合わせた。「「ふんっ!」」すぐさまお互いそっぽを向いた。

先にこの場を離れたら負けな気がして、ジークは黙って突っ立てると、

 

「………………おい、おまえ」

 

と、ずっと年下のくせに上から目線でバティが話しかけてきた。ムカついたのでそちらをにらんでみると、バティはジークの方ではなく。

廊下の先を歩くアウラの背を見つめていた。

 

「んだよ」

「おまえなんかじゃ、わかんないだろうけど……アウラじゃ、」

 

 言いかけ、バティは口を噤んだ。

 怪訝そうに眉を潜めるジークであったが、バティは焦がれるような瞳でアウラの背を見つめ、続けた。

 

「アウラじゃ、アウラじゃあ駄目なの。だからわたしが、アンサングを制御する、私が操縦者になるの。アウラは外に出るんだ。だからーー」

 

 ここでようやくバティはジークの方を見た。ジークを見るバティの瞳には単純なアウラへの友情だけではなく複雑な思いが込められているように感じた。。

 

 

「ーーだから、その時はジークがアウラの隣にいてあげて」

 

 

 バティの小さな双眸にはある種の強い覚悟と決意があった。

 

 どいつもこいつも。ジークは嫌になる。どうしてどいつもこいつもそんな重いものを背負えるとでも思っているのか。こんなまだ十歳程度の少女が、そんな思い覚悟持ち続けられるものか。そう思ったが、ジークは反論を口にすることが出来なかった。最も可能性を持っているのは最高の適性を持っている彼女だからだ。

 バティは何かの痛みに耐えるような顔をしていた。それは実験の負荷からくる痛みであり、仲間達が死んでいくことに対する痛みであり、どんな未来になったとしても親友のアウラと別れなければならない運命に対しての痛みだった。

 

本当に、どいつもこいつも。

 ジークはちっぽけなバティの頭を手で押さえつけ、ぐりぐりと回した。不器用ゆえ、撫でるといった手加減は出来なかった。

 

「……ガキのくせに変な考えおこしてんじゃねぇよ。テメェがそんなもん背負おうのは十年早いんだよ」

「ふ、ふぎぎぎっっ!」

 

 バティは慌ててジークの手から抜け出した。

 そして、大声で叫んだ。

 

「十年なんて、待てないもん!!」

 

 バティの声は、震えていた。

 

「私がやらなくちゃいけないんだ! みんな遅くなってからじゃだめなんだ!! ジークなんて、なんにもできないZのくせに、かっこつけんな!!!!」

 

 半べそで一気にまくし立て、バティは唸りながらジークを睨みつけた。まだ言い足らないず、しかし言葉が出てこないのか口を何度も開閉して、荒らしく地団駄を何度も踏んだ。肩をいからせてジークに背を向けて大声で叫んだ。

 

「ばかっ!!」

 

 勢いよく走り去っていくバティの背をジークは黙って見送った。というより、唖然としていた。見事に言い負かされた気さえしていた。

 

 ₋₋₋₋慣れねぇことは、するもんじゃねぇな。

 

 我に返り、自嘲気味に頬を歪めて、ジークは一人肩をすくめた。

 

 

  ▼

 

 

「それは、お前が悪い」

「……オレかよ」

 

 いつものカウンセリング室で、ふとしてその話を如月に話したらバッサリと切り捨てられた。

 

「不安なんだよ。バティは。元々素直だが頑固な子だしな。VRとはいえ戦闘機動をこなしてる上、使命感にも駆られてる。そりゃあ、変な気づかいは逆効果にもなるさ……というかお前、気遣いのつもりだったのか、それ?」

「うるせぇ。どうだっていいだろうが」

 

 ジークは憮然とした顔で椅子にもたれ、向かいに座る如月を睨む。ここのところ調子がくるっている。もといえばあの夜、アウラの話を聞いたことが発端のような気がする。この期に及んでも自分がアウラに対してどういう感情を持っているのか分からず、そればかりか自分の立ち位置にも迷っている。

 例えばここで自分が何かしようとしたところで、何が出来る。何も出来ない。ジークは所詮『Z』最低位の失敗作に過ぎないのだから。まさか自分が落ち込んでいるなどとは思ってはいなが、ずっと年下のバティに一番痛いところを突かれたのは事実だ。だから口が少し軽くなって如月に本音を漏らしてしまっている。

 

「納得出来ねぇのはマジなんだよ。誰かの為だなんて、この世で一番うさんくせぇ言葉だと思ってた。だがどうだ、アイツ等は本気らしい。……アイツ等がどうしてそうできるのかも、オレがどうしてイラつくのかも、正直よく分からねぇんだよ」

 

 いつもより饒舌なジークの姿に、如月は笑いもせず聞いている。言い終えた後、ジークは「しまった」とさえ思えなかった。何でもいいから答えが欲しかった。感情や疑問のやりどころがわからず、ジークは最も頻繁に言葉を交わす男に無意識に意見を求めていた。

 十秒ほどの短い沈黙の後、如月は口を開いた。

 

「₋₋₋₋お前は、心の強い奴だからな」

 

 ジークは眉をひそめる。

 

 

「……どういう意味だ?」

「そのままの意味だ。俺はお前の過去をよく知らんが、お前が誰にも頼らずに生きてきたんだろうってことは分かる。だからか、実験の精神負荷にも耐えられる。最低の適性にも関わらず、ここまで生き残ってきたのが不思議なほどにな。誰にも理由を求めず、いやもしかしたら理由なんて無くとも、状況を受け入れて自分の為に動ける……少なくとも俺はお前をそういう男だと分析してる。」

 

 如月は時計の秒針の動きに合わせるように、ゆっくりと続けた。

 

「けど、そうもいかない人間の方が世の中にはずっと多いんだよ。不自由で残酷な世界で人間が生きていくためには何かしら、縋るものが必要なんだ。『名前』があるってことはそう言うことさ。口にするのも馬鹿馬鹿しいが詰まる所は、精神の問題なんだよ」

 

 ジークはその言葉の意味をうまく理解出来ず、怪訝な顔をしていると如月は唐突に、こう切り出した。

 

「₋₋₋₋なぁ、魂ってあると思うか?」

「はぁ?」

「雑談みたいなもんだよ。俺は無いと思う。人間の身に魂など宿らん。どんな人間の身体を開いてもそんな器官はありゃしなかった」

 

 如月は、笑みともつかない微妙な表情をしていた。バティやアウラやジークと同じ何かしらの意思を持つ子供達の死を目の当たりにし、その遺体を解剖、保管してきた男の表情は、一目で感情を察することは出来ないものだった。

 

「じゃあ、心ってのは、一体なんなんだろうな。死んだ子供達とお前の中身は、何が違ったんだろうな?₋₋₋₋死んでいった子供達の心は何処に行ったんだろうな?」

 

 ジークは、言葉を発することは出来なかった。

 心という物について如月に説明する言葉を持たなかった。

 そして、時は待ってくれなかった。

 

 

  ▼

 

 

 

【経過報告書 ――No,XX】

 NO.10『J』《ジュリアス》が廃人化、処理した。彼女は他個体に競争心を抱くケースの典型的なものであり、極めて積極的に実験に参画する個体であった。それ故に焦りを抱いており、自身を限界以上に酷使したのが原因と思われる。戦闘起動においては興味深いデータが回収できた為、アンサングのコアへの情報定着を最優先とする――

 

【経過報告書 ――No,XX】

 NO.09『I』《イリヤ》が死亡。当該個体は消耗がはっきりと見て取れ、意識の混濁、視力の極端な低下が特に目立った。この時点より機関は当該個体の用途を決定していた為、この結果は予定通りと言える。戦闘データは問題なくコアに還元し――

 

【経過報告書 ――No,XX】

 NO.07『G』《ガラテア》が廃人化。上位個体の「限界」は――

【経過報告書 ――No,XX】

 NO.05『E』《エルザ》が廃人化。今回のVR戦闘において新パターンを発見――

 

 

  ▼

 

 

 

 IS操縦者を運用するにあたって、精神というファクターは重要なものになってくる。

 通常の兵士とは造りがまるで違うのだ。ISのコアに宿る自意識と精神を同調させる必要がある操縦者には洗脳めいたやり方は出来ない、というよりも元からそういった使い捨てとしての運用は向いていない。 精神の支え、つまるところ「理由」がなくては、ISと深くシンクロ出来ないとされている。その理由づけについて、アスピナの研究員達はプロジェクト開始前からあらゆる面から吟味した。記憶を洗浄され、精神を白紙化された子供たちは素材として理想的であるが、それだけでは十分に仕上がったとは言えない。

 実験家庭における被験体達のモチベーションの維持。これは重要な命題だった。

 宗教、金、名誉、生存本能₋₋₋₋兵士が戦う理由は数あれど、白紙化された子供達にとってはそれらはあまり意味をなさない。そして子供達は機械ではなく生身の人間である。

 そこで、彼らが何を拠り所にすればいいのかについて、研究員は「被験体同士」という点に着目した。

 

 近しい他者に対する情愛。あるいは競争心。

 

 他に何も無いのなら、互いに視点を固定するのが最適である自然である。ある被験体が別の被験体に感情移入し、その被験体の為に何かをなそうとする。もしくは他の被験体に対して競争心を抱いて、他を出し抜くために実験に没頭する前者の場合は他の個体を守るためにより積極的に実験に参加するという個体が現れる結果となった。これは、実験が終われば生き残った被験体は解放されるという希望を持たせたことが功を弄したのだろう。

そして、被験体達がお互いに目を向け何等かの情を抱くには、個人個人のパーソナリティが必要不可欠だった。

 

 それは、名前であり、意図的に知らされた誕生日である。

 

 感情移入の取っ掛かりとして、こうした記号は何よりも都合が良かった。バティがバティであるように、アウラがアウラであるように、個人が自己と他者の名前を認識することが芽となる。そこには感情が生まれるナンバーとアルファベットだけではなく個人個人に「意味」が与えられる。子供達は白紙の状態から自らを規定する要素と、多芯を多芯と認める大切な記号を得る。やがて心が生まれるだろう。心は友愛や情愛、競争心や敵愾心となるだろう。

 バティの使命感も、アウラの思慕も、子供達の感情はアスピナという揺り籠の中で「予定通り」に生まれたものだ。

 名前をつけるとはそういうことだ。

 

 

 

 ₋₋₋₋だいじょうぶ。

 ₋₋₋₋だいじょうぶだから。

 

 バティはふらりとVRポッドから立ち上がった。実験棟はどこか薄暗く、高い高い天井の上では玩具のような照明が青白い光を放っている。厚さ数センチの強化ガラスの向こうで研究員達が自分を見下ろしている。幾つものケーブルに繋がれたVRポッドにはついさっきまで自分自身が繋がっていて、ポッドから伸びるケーブルの先には、黒よりも黒い漆黒のヒトガタ。

 アンサングは、幾多の仲間の命を吸い上げ、それでも無言だった。

 眩暈がして、視界がぼやけた。

 

「はぁ----はっ……はぁ」

 

 バティは焦燥していた。

 仲間たちが死んでいく。成す術もなく、時は容赦なくプロジェクトを進めていく。バティはそれが恐ろしかった。自分が全てに取り残されたような気がした。もしも何もかもが手遅れになって、自分以外のみんなが死んでしまえば----せめて、せめてアウラだけは。如月と共に孤独だった自分に手を差し伸ばしてくれた、あの姉のような親友だけは。

 データであっても《ブリュンヒルデ》は圧倒的に強い。バティは本物の彼女は知らないが、仮想空間に構築された白騎士の動きを見るだけでも伝説の力を実感するに余りあった。足りない。まだ、まだ足りないのだ。

 

 そう思いながら、もう20人の仲間が死んだ。

 

 死んだのだ。

 自分のせいで。

 

「く……ぅああっ!」

 

 いつの間にか握りしめていた拳を、バティはポッドに叩き落とし叩き落とした。ポッドはびきともせず、バティの手だけがひどく痛み、それがまた無力感を大きくする。少女の手は病的に白く、泣きたくなるほど小さかった。

 

 バティは祈った。神でもなんでもない。ただ目の前に厳然と立ちふさがるISに。大人達の夢(きょうき)が生み出した、多くの仲間達の命を貪り喰らった漆黒の怪物に。

 

 ₋₋₋₋アンサング、どうか、どうか。わたしをあげるから。わたしの全部を食べちゃってもいいから。だから----だからもう、誰も連れて行かないで。

 

 そして最初の限界は、突如として訪れた。

 呼吸が止まった。ふっと意識が遠のいていき、糸が切れた様にその場で膝をついた。視野が狭まり、動機が激しくなり、脳の奥でぐるぐると仮想の戦場の光景が乱舞する。吐き気を催すほどの強迫観念が腹の底から湧き上がってくる。眼球の奥の奥に大空を見た。大空を舞う白騎士を見た。

IS接続の負荷による発作である。バティの脳内で情報が爆発して、ぷつんと意識が途切れた。

 

 

  そのことを聞いた時、アウラはほんの一瞬視界が真っ暗になった。

  如月を押しのけて駆け出して、つんのめるような勢いで走った。何度も転びそうになりながら医務室にたどり着く。息する間も惜しんでドアを開けると、幾つか並んだ簡素なベットの一番奥に小さな影があった。

 

「バティ!!」

 

 悲痛な声に、バティは肩をびくんっと震わせた。虚空を眺めていた彼女は視線を泳がせ、「声の主」に不安げな声を返した

 

「あ、うら?」

 

 アウラは心臓が締め付けられるような感覚を覚えた。慌てて医務室を横切り、バティのベットの脇にしゃがみ込む。

 違和感が確信に変わったのはその時だ。

 IS接続負荷の障害としてよく見られる意識の混濁はなく、バティはちゃんとアウラを認識している。しかし何かが、決定的に違う。

 バティの両目が、アウラを捉えていない。

 

「アウラ、ごめん。ごめんね。ちょっと疲れちゃったみたい、えへへ」

 

 小さな手が何かを掴もうとするような動きで宙を滑った。きっとアウラの手を握ろうとしたのだろう。しかし、バティの手は見当違いの方向を探るばかりで一向にアウラに辿りつかない。言葉を失い呆然とするアウラを他所にバティの手は呆れるほど時間をかけて、アウラに辿りついた。そこは手でなかったが、バティはようやく触れることが出来た親友の服の裾をぎゅうっと力一杯握った。それだけでバティの身に何が起こったのか理解することが出来てしまった。

 

「う、そ」

 

 目が。

 それはバティ自身が最も認めたくない事だっただろう。アウラのかすれた声でバティも相手が言わんとしていること察してしまった。その顔が見る見る怯えと絶望に塗りつぶされていく。

 

「違うもんっ!!」

 

 涙ぐましい反論だった。体調不良に悩まされていたとはいえまだ十歳の少女であるバティが、今まで持っていた事自体が異常だったのだ。

彼女は視力の殆んどを失っている。

 

                      

  

「ちがう! ちがうもん! こんなもんなんでもないんだから! だいじょうぶだもん!」 

「っ!? わかった、わかったからっ!」

 

 癇癪を起こしたように叫ぶバティ。まるで説得力のない言葉だった。ほとんど見えていないであろう両目には涙が浮かんで、震える声で「だいじょうぶだもん」と何度も何度も繰り返す。言い訳をしているのか、自分に言い聞かせているのかも定かではない。やがてバティの大声は涙声に変わる。最も深く絶望を感じているのは他らぬバティ自身だ。繰り返す言葉も次第に力を失っていき、服の裾を握っている手が小刻みに震えだした。

 アウラはその時、わけもなく確信した。

 きっともう、終わりが近いのだ。

 身体が自然に動いた。アウラは両腕を広げて、バティの小さな体を抱きしめた。

 

「っ」

 

 びくん、とバティの体が小さく跳ねる。自分より一回り年下の少女の体は、細く冷たく、小さく震えている。すん、と鼻を鳴らすバティの頭に手を回し、黒い髪を優しく撫でる。

 最初から繰り返されてきた子供達の死。最初から予定されていた実験のプログラム。最初からそうなる可能性を秘めていた、全員。

 

「……ねえ、バティ」

「だいじょうぶ、だもん……だいじょうぶだもん……」

 

 もはや誰に言っているのかさえわからない、うわごとのような呟き。

 バティが壊れていく。

 

「こっちこそ、ごめんね。バティがこんなに頑張ってくれてるのに、私はなんにもできなくて」

 

 アウラの胸に身を預け、バティはふるふると首を振る。アウラが悪いわけではない、そう言いたいのだ。けれどそれは誰にでも言えることだ。きっと誰かが悪いわけではないのだ。

 せめてバティやジーク、今残っている子供達には生きて欲しい。この身に換えても。世界のことなんかわからない、アウラという少女の、それが等身大の希望だ。

 他にそうするより何もない。存在理由とでも言うべきものが、そこにはあった。

 

 その後遅れて来た如月にバティを預け、アウラが廊下を歩いている時、不意に思わぬ相手に声をかけられた。

 

「アウラ」

 

 その声に最初は気づかなかったのは、アウラの精神も摩耗していたからだろう。振り返って、思わず目を丸くした。

 

「……デイズ?」

 

 色素が完全に抜け落ちた透明の髪。作り物にも似た目。Dのデイズがそこに立ち、アウラを静かに見つめていた。

 

「こんにちは」

 

 不自然なほど改まった、教科書に載っていそうな典型的な挨拶。異様だった。デイズが自分から誰かに話しかけるなど今まで殆んど無かったというのに。

 

「うん。……その、何の用なの?」

 

 少し戸惑いながら不器用に笑み返すと、デイズは口元だけ笑みを浮かべ、脈絡もなくこう切り出した。

 

「ISとのシンクロには、一定以下の深度に至らないようにリミッターが施されていることをご存知ですか?」

「え?」

 

 彼女は、歌うように続ける。

 

「アンサングの制御で何より重要な点は、《それ》に届くかどうかです。アンサングにはもう一段階上がある。しかし、そのリミッターにはプロテクトがかけられていて、一定以下の深度では接続側からアクセスすることさえできない。ですが深層のリミッターに届き、それを解除することができれば、アンサングの全てがアンロックされ反応速度と精密動作性が跳ね上がる。これは被験体への負担を全く度外視した設計ですが、それを成功させれば可能性はあります」

 

 唖然とした。アンサングのコアとシンクロすること自体が危険を伴う。「持っていかれる」かもしれないからだ。しかし、更に深く深く潜った先のコアのリミッターがあったとして、それを解除すればどうなるというのか。そもそも、デイズの言っていることは本当なのか。

 

「……どうして、あなたはそれを知ってるの? どうして教えてくれるの、デイズ……?」

 

 アウラが戸惑いながら聞くと、デイズはただ笑顔を深めた。普段の一切の感情が伴わない面を被ったような笑みとは違う本物感情がこもった笑み。だが、そこに込められた感情は、形容できない程どす黒く淀んだ物だった。

 

「私はあなたを応援しているからですよ、アウラ。信じても信じなくとも構いませんが、そうしなければ、現段階で『ブリュンヒルデ』に勝つ手段はない。解除コードは単純です。使うも使わないも自由……聞きますか?」

 

 試すような視線。

 彼女は、何が目的なのか。しかしその内心を全く悟れない一方で、デイズは確かに真実を言い当てていた。このままでは、「ブリュンヒルデ」に勝つことは出来ない。

 藁にもすがる思いで、アウラは静かに頷いた。

 もう、アウラは迷わなかった。

 迷うことさえ許されなかった。

 

 

 ▼

 

 

「今日もかよ……」

「うん。今日もだよ」

 

 月明かりに満ちた夜。新円の満月が窓の外で光っていていつもより明るい夜、ジークは自室への来訪者に呆れ顔を見せる。

 

「……ホント毎日毎日飽きもせず来やがるよな、オマエ。ちったぁオレの迷惑も考えろやこら」

「いいじゃない。どうせ用事ないんでしょ」

 

 言って、アウラは手足を広げた体勢でジークのベットに飛び込んだ。一連のやり取りに小さな違和感を覚えてジークは首を傾げた。なんだかいつもより図々しい。

 

 ₋₋₋₋いつもより、か。

 

 その「いつも」が分かるほどアウラのことを見ている自分を自覚してジークは不愉快になった。舌打ち一つして、備え付けのデスクの椅子に腰をかける。腹は立つが、アウラの様子がいつもと違うのは本当のことだ。アウラは足をぷらぷら揺らしながら、横目で穴があくほどジークを見つめていた。

 

「んだよ」

「ん? ああ、うん」

 

アウラは少し戸惑ったように頷き、何故か言葉を選ぶように俯いた。何が言いたいんだ、コイツ----とジークは眉間に皺を寄せた。暫く待つと、アウラはようやく自分の言葉を探り当てたようで、口を開いた。

 

 

「明日ね、また『ブリュンヒルデ』と戦うの。もう何百回も何千回もやってきたことだけど」

 

 実戦----最終目的を『ブリュンヒルデ』とした戦闘実験。それはアンサングの正規操縦者となるための試験でもあった。最強と謳われた存在を打ち倒すことで、アンスングに相応しい最高の操縦者の第一歩とする

 しかし当然ながら、その戦闘実験が被験体達に課す負担は度を越していた。これまで死んだ20人の子供達は、ヴァーチャルシュミレーションで造り出された戦場で織斑千冬に、アンサングに殺されたのだ。最早数えきれぬ程繰り返された戦闘実験は、その度に子供達を死の危険に晒すほどのものだった。それは「持っていかれた」被験体達の数が、何より物語っている。

 

 ジークは表情を変えなかった。それに関するアウラの想いも、決意も知っている。だからこそなのだろう、どこか思いつめたような表情をするアウラに違和感を感じたのは。

 アウラはじっとベットの上で座っている。ジークから外された瞳が何処に見ているのは分からない。 

 

「バティが、もうダメみたいでさ」

 

 ぽつり、とこぼすアウラ。

 

「目が、ほとんどみえなくなったの。あの子はもう駄目。間に合わない。私が次の実験で『ブリュンヒルデ』勝たなくちゃあの子は死ぬわ……ユウナやマリアン、他の子供達みたいに」 

 

 ジークはアウラの言葉にこれまで感じたことのない何かを感じた。彼自身に自覚は無かったが、それは不安、と呼ばれるものだった。

 

「おい……?」

「勝つ方法があるかもしれないの」

 

 アウラの声はこれまで聞いたことのない硬質な物だった。言葉を失うジークを他所にアウラは虚空を見つめたまま続ける。

 

「ううん……その方法で勝たなくちゃいけない。本当なのかなんて、確認なんてしてないけど、でも、試せるならそれしかない」

 

 その「方法」とやらを口にしないのは、間違ってもそれをジークを行わないようにする為にか。アウラの顔色が蒼白く見えるのは月明かりが原因ではないだろう。握られた白い手に不必要な力が込められ、小さく震えるのをジークは見た。

 

「……死にに行くってツラしてるぞ」 

 

 アウラはビクッと体を震わせ、ジークを見上げて弱弱しく困ったように笑った。

 

「そうか、な?」

「そこまで気負う必要もねぇだろ。何も死ぬためにアレに挑むわけでもねぇだろ」

 

 ジークに言えるのはそれだけだった。なんて無責任な言葉だろうと、ジークは内心嫌になった。なにを任せて気になっているんだ、オレは----だが、覚悟を決めたアウラの前で他の言葉が見つからなかったも事実だった。

 本当に無力なのは、自分なのではないか。

 アウラはジークの内心を知ってか知らずか、満足したように頷き立ち上がった。

 

「うん、そうね。……私は死なない。私は、生きてアンサングの操縦者になるから、その後はバティのことをお願いね」

 

 窓から差し込む月光がアウラの顔にやわらかな影を刻んでいる。悪魔の管理する揺り籠の中で第一位に君臨する最高の被験体は、医務室で眠る小さな親友を強く愛していた。会うのはこれで最後だと、言外に彼女が述べているような気がする。

 

「アウラ」

 

 気づいたらその名を呼んでいた。

 

 扉の方に向きかけたアウラの足が、ぴたりと止まった。彼女の目は驚きに大きく見開かれ、波立つ感情に揺れていた。

 

「テメェには、言いたい文句が山ほどあんだよ。勝手にくたばったり、アンサング持ってオレの前から消えたりすんじゃねぇぞ」

 

 

 改めて言うのはかなり癪だったから一気にまくしたてた。言うだけ言って「わかったらささっと出てけ」と顎でしゃくるも、アウラはその場から動かなかった。ぽかんとした顔で立ちすくむ彼女の頭の中では、ジークの言ったたった一言がくるくると乱舞していた。

 

「アウラって……私の、名前。……はじめて呼んでくれた」

 

 言われた急に恥ずかしなった。ジークは舌打ちを一つしてアウラから目を逸らす。

 

「うるせぇ、だったらなんだよ。名前なんざ後でいくらでも呼べんだろうが」

 

 柄にもないこと言ってしまったとジークは思う。しかし、この研究所において「名前」というものがどんな意味を持つかもわかっているつもりだ。彼女の名前を口にした直後、これまで誰の名も一度も読んだことがないことを思い出した。

 

 アウラは一瞬だけ、泣き笑いのような顔をした。そこに見え隠れする感情の正体はジークには分らなかった。分からなかったがしかし、アウラという少女の感情の発露はそこにあったように思えて、同時に初めて来た夜にアウラが涙を流したことも思い出す。この狭い部屋は、アウラが何も気を張らなくてすむ唯一の場所だったのかもしれない。

 

「そうだね、そうだったらいいな。₋₋₋₋あのねジーク」

 

 アウラは、何かを決めたようにジークにそう切り出した。椅子に腰をかけるジークに向き直り、「何か」を思い立ったらしいsアウラの表情はなぜか少し緊張していた。月明かりが差し込む、狭く無機質な「被験体」の部屋。今はそのほとんどが空室となったその一つに立つ少女に、ジークは目を奪われた。プラチナブロンンドの髪が白い光を纏い、その青い瞳がこちらを捉えて離さない。

 

「……あの、ほんと言うとね。私の方も、ジークに言いたいことたくさんあるんだよ。知ってた?」

 

 どうして目を離せないのかわからない。ジークは椅子に射止められたようにアウラを見上げながら、なんだ、と問おうとした。

 言えなかった。

 

「な、₋₋₋₋っ!?」

 

 開きかけたジークの唇を、アウラの唇が塞いでいた。

 事態を理解するのにずいぶんとかかった。目をいっぱいに見開いて、ジークは間抜けな面をさらしていた。柔らかい唇が離れ、一瞬止まった息がお互い「ぷは」と漏れた。アウラの顔は仕掛けた側とは思えないほど真っ赤に紅潮していた。しかし思い切った両目には、ぶきらぼうでお高く止まった年上に一泡吹かせたことへの爽快感が見て取れもした。

 ジークと触れた自分の唇を人差し指で大切そうになぞり、アウラはひそやかに微笑む。

 

「オマエ、」

 

 ぴた、と指を唇に当てて止められた。

 

「言いたいこと、あるけど。……でも今は言わない。先にジークの言いたいことを沢山聞かせて貰ってから、私はその後に言うね。だから今はここまで」

 

 そう言って微笑むアウラは、すべての覚悟を呑み込んだようなひどく透明な顔をしていた。

 

 初めて、してやられた。

 アウラは軽い足取りで再び扉の前まで歩み、ノブを掴んで、振り返らないままこう言った。

 

「₋₋₋₋バティのこと、お願いね」

 

 扉が閉まる。

 ジークは何も言えず、月明かりに照らされた扉を見つめていた。

 

 

廊下の壁に背を預け、アウラは思いっきり、大きく息をついた。

やった。

やってしまった。

彼の前では平然なふりをしていたが、その実アウラの心臓は破裂しそうな勢いで激しく脈打っている。我ながら途方もないことしたものだと自分でも思うが、同じくらい大きな爽快感があった。震える吐息に小気味いい笑い声が混じる。ざまあみろ、と思った。いまだ感触の残る唇にもう一度触れて、また顔が熱くなるが、その感触と温かさを頭に刻み込んだ。彼の驚いた顔を目に焼き付けた。今は、それでいいと思った。

 

 ₋₋₋₋もし。

 

もし、この実験が終わって、それでも生きていられたら。 

もし、自分がアンサングの操縦者になれたなら。

もし、ジークやバティや他のみんなが解放されたなら。

もし、生き残った子供達が外の世界を知ることが出来たなら。

この先に何があるのかはわからないけれど、どんなにかかっても、いつか必ず彼や彼女に会いに行こう。

そして、ちゃんと言葉と想いを伝えよう。

アウラは薄暗い廊下を独り歩き、肩の辺りで切り揃えられた自らの髪に触れる。髪型なんて今まで気にしたこともなかったけれど、彼と唇を重ねた時、なんだか少し味気ないような気がした。照れたように首をかしげ、呟く。

 

「髪、ちょっと伸ばしてみようかな……」

 

 

  ▼

 

 そして、その日が訪れる。

 少女はしあわせの歌を口ずさむ。無くした友をせめてともと弔うためか、あるいはこれから生きていくべき友への別れの歌でもあったのか。

 

 

  ▼

 

 

 最初は、不可解な振動だった。

 医務室にいた如月はすぐさま異常に気付く。

 ₋₋₋₋何だ?

 バティの検査結果を書き込むペンが止まる。何が起こったのか一瞬だけ考え込み、今研究員達が何をしているかを思い出し、如月は総毛立った。

 アウラの戦闘実験だ。

 

「……まさか……っ!」

 

最悪のビジョンが脳裏に浮かぶ。

書類とペンを取り落とし、散らばったそれらがばさりと床に落ちる。その音に気づき、バティが首を傾げる。

 

「おとうさん?」

 

 バティは今、ぼんやりと滲むような色と輪郭しか見ることができない状況にある。バティはまだ気づいていない。如月は不安な顔をしているバティをベットに寝かせ、絶対にここから動かないように強く言い付ける。わけもわからずバティは頷き、医務室を飛び出す如月の背をほとんど見えない目で追っていた。

 

 息が切れるほど全力で走り、如月は実験棟の管制室に駆け込んだ。

 

「何がっ……」

 

 あった、と続けようとした如月の声は、信じがたい光景に消し飛ばされた。

 各種計器がぼんやりと光る管制室には、いつも通りの研究員達がいた。彼らは取り憑かれたのようにパネルを操作し、薄暗い室内を染め上げる真っ赤警告表示と向き合っている。そして管制室と実験棟を隔てる分厚い強化ガラスには、蜘蛛の巣のような大きなヒビが走っていた。軍用兵器の実験を考慮し、大口径の銃弾を歯牙にもかけないそれにヒビが入るなど只事ではない----その時如月の目の前で、ガラスの向こうで『黒』が走った。

 視認できない速さで何かがガラスを叩いた。室内が大きく揺れ、計器にノイズが走った。如月は危険も忘れて窓に駆け寄り四方天井高ともに数十メートルにも及ぶ広大な実験場を見下ろす。

 そこには、アンサングがいた。

 コアを剥き出しにして、発狂したかのように全身を激しく痙攣させていた。

 

「馬鹿な……有り得ない! アンサングが動いている!? それに、あの姿は…二次移行(セカンド・シフト)したというのか!?」

 

 それは、如月の知るアンサングの姿とはかけ離れた複眼四脊二翼の怪物だった。

 骨組みだけで出来た一対の翼。何度も何度も明滅する鮮血のような真紅の複眼。蛇のようにのたうちまわる四本の腕。装甲が粘着質な液体に姿を変え全身に纏わりつくかのように常に蠢いている。 

 狂気の沙汰たる光景を目の当たりにし、この短時間で如月の背には冷たい汗がびっしりと玉となっている。

 

「おいっこれは何だ!? 一体何が起こった!」

 

 近くにいた研究員に怒鳴りつけるように質問をぶつける如月。如月の方に視線を返したのはかつて■■■■にいた研究員の一人で、彼の顔には狂気めいた笑みが浮かんでいた。

 

「想定以上の成果です。NO.01『A』が、『末那識』のレベルに到達しました」

 

 最終シンクロ深度、コード『末那識』

 それこそが、プロジェクト語られぬ者(アンサング)の最終目標であり、ISのコアに仕掛けられた最大の仕掛けである。

 

 ISと操縦者のシンクロには幾つかの段階がある。四段階に分けられ、四段階目の「深層域(アビス・ペラジック)に至った操縦者とISは二次移行や単一能力の発現すると言われている。末那識はその更に先、いわば第五段階と呼ぶべき領域のコードネームである。

 もはや「兵器」としての安定した運用という概念さえ置き去りにした領域、脳細胞の一片とも残さずISに捧げ、ISそのものと化すに等しいほどでさえある。末那識とは即ち、己の自意識と全感覚以外の雑念が何一つ存在しない領域。

で、

 末那識が生み出す力は絶大だった。例えそれが、文字通り命を捨てる行為だとしても。こちら側が仕掛けたリミッターを全てキルし、あらゆる拘束を破壊しようとしている漆黒の怪物は、かつて白騎士が喧伝した「最強の個体」という名をそのまま顕現させているかのようだった。

 

「やはり、やはりこの実験は正しかった! どのみちAとBのどちらかとだと思っていた。アンサングが末那識に至れば、最高の操縦者が誰にも追いつけない速度を手にすれば、何者をも振り切る境地に辿りつく……!」

 

 内の興奮を抑えきれぬ様子で、誰かが呟く。正気を疑うほどのコマンド量が洪水のように吐き出され、それら全てを貪欲に吸収・実行するアンサングの電脳仮想戦場。これまでのどの戦場にも類を見ぬ狂気の機動。 荒れ狂うISは、目の当りした者に原始的な恐怖を喚起させるほどのもだった。モニタリングされているVR戦闘は尋常な世界ではなかった。

 圧倒し、蹂躙している。仮想データとはいえ、あの織斑千冬を。

 

 しかし。

 

「アンサングに接続された外部ジェネレーターに異常発生」

 

 アンサングの状況を観測していた者が、はっきりと報告する。いかにすさまじいシンクロを可能とし、織斑千冬さえまるで追いつけない機動を得たとしても、それは「暴走」だったのだ。

 

「……まずい! セーフ状態だった予備のエネルギーラインまで叩き起こされた!」

 

 如月が呻いた。コアとリンクしているコンピューターが先程から「モニタリング不能」とエラーメッセージをひっきりなしに叫んでいる。警告表示が止まらない。管制システムが表示しているアンサングに外付けされた試作段階のIS用ジュネレーターが過剰なまでのエネルギーを生産している。

 

「NO.01『A』、こちらからのシグナルに反応しません」

「設定上の精神汚染領域をオーバーしています。シンクロ深度、計測不能」

「VRのアンサング更に速度を増しました。再加速。仮想敵を追い詰めています。再加速」

「IS及びジュネレーター内部温度上昇。計算によると、あと6分少々でジェネレーターがオーバーロードを起こします」

「こちらからコアへの干渉は? システムのシャットダウンは試みたか?」

「試しましたがコマンドが受理されません。暴走状態にあり、完全にこちらのリンクが断ち切られているようです」

 

 

 如月は成す術もなくその様子を見ていることしか出来なかった。

 ₋₋₋₋アウラに、何が起こっているんだ?

 現実感が乏しい思考の中でヒビの向こうで禍々しく痙攣するアンサングを見下ろす。

 今暴走状態にあるジェネレーターは■■■■が独自開発したISのコアに頼らずISを稼働させるエネルギーを生産する装置の試作品だ。IS一騎を駆動させるエネルギーはその絶大な戦闘力が示す通り膨大であり、無論試作品とはいえISを稼働するために作られたジュネレーターが生み出すエネルギーもまた膨大である。オーバーロードのすえ、爆発事故を起こせば半径数キロが焦土となるだろう。

 このままでは、誰も助からない。

 その時、口を開いたのはこの研究所の所長だった。彼はまるでこの暴走までも織り込み済みだというような冷静な態度で、視線を周囲に巡らす。

 

「外部からの干渉を受けないのなら、残る手は一つだ。彼女と同じく仮想空間に入り、直接干渉するということだけだ。ただしあの深度での干渉は前代未聞だ。それが可能であるかどうかも、よしんば可能だったとしてもどちらかがどうなるかは未知数。ただし、」

 

 所長はそこで、視線を管制室の入り口に移した。

 

「やらなければ全員が死ぬ」

 

 あまりにもシンプルで、あまりにも重い言葉は、入り口に寄りかかることでなんとかして立っている少女に向けられていた。

 バティがそこにいた。

ほとんど見えない目で、なんとか如月の後を追い、なんとか此処に辿りついた体だった。何度も転んだのか、髪は乱れ、服は薄汚れていた。

 

「バティ……っ!?」

 

目は見えないが、耳はまともに機能している。

バティの表情から、すべての感情が無くなってしまっていた。事態に対して感情が全く追いついておらず、笑えばいいのか泣けばいいのか怒ればいいのか分からないという顔だった。光の薄まった両目を零れ落ちそうなほどに見開き、ガラスの向こうのアンサングを見つめている。

彼女が分かっていることは、一つしかなかった。

 

「あそこに、アウラが、いるの?」

 

暴走するアンサングは、耐え難い頭痛に苦悩するがごとく頭部を震わし、出鱈目に暴れまわっている。もうこの施設のどこにいても異常を察知できるほどだった。

 すでに選択肢など他にない状況だ。アウラのシンクロ深度についていける可能性がある個体など、バティ以外に存在しない。ゼロに等しい可能性かあるいは果実なゼロか、二つしかない選択肢は揃って酷薄で、加えて時間制限まである。だがこの場にいる者で、如月以外の所員は全てその答えをだしてしまっていた。

 

「₋₋₋₋なんで? なんで、アウラが……アウラが、あんなことに、なってるの?」

 

 独り言のような呟き。小さな体がおぼつかない足取りで強化ガラスに近づいた時、それを拒否するようにアンサングが強化ガラスに拳を叩き付けた。硬質なガラスに食い込んでばきりと音を立てる。

 バティはまるで夢でも見てるかのような表情だった。

 バティは取り乱してはいなかった。彼女が何を思っていたのかを理解できる者はいなかった。もしかすると、彼女も悟っていたのかもしれない。自分の目がほとんど見えなくなった時点で、きっともう、どちらかは駄目になことを。バティは、暴走するアウラとアンサングを前にして一体何を選択したのだろうか。

 

 あるいは、自らの命を捨ててでも、アウラを助けだそうとしたのかもしれない。

 

「おとうさん」

 

父と呼ばれた男は、返す言葉がなかった。

何も、出来なかった。

 

「アウラに、会いたい」

 

 

 ▼

 

 

 バティは、そうしてアウラを殺した。

 

 VR空間で何があったのか詳しく把握しているものはいない。

 予備のポッドを使い、情報定着させたもう一機の仮想のアンサングが、アウラのいる仮想戦場に突入した。そうして暴走状態にあるアウラのアンサングを機能停止に追い込むことで暴走しているコアを強制的に止めようとした。

 もちろんバティは、アウラのアンサングを撃破をしようとしたわけではない。バティは最後までアウラに語り掛けようとしていた。アウラと同レベルの負荷を身体に受けることも厭わず親友を連れ戻そうとしたのだ。一歩間違えれば二人とも死んでいてもおかしくなかった。バティも正気を失いかけ、アウラを救いたい一心で堪え、悲痛な声で最後まで呼びかけ続けたと思われる。

 思われる、というのは仮想空間で対峙する二人の様子をまともにモニタリングすることが出来なかったからだ。ポッドにもアンサングのコアにも交信記録は残っていなかった。

 

 アンサングのコアには、死亡したアウラの思考の断片が音声として染みついていた。ノイズや喘ぎ、呻き声が混じっていたが、それが何であるのかは誰にでもすぐにわかった。

 

 か細く掠れた、アウラの歌声だ。

 

 ₋₋₋₋どうか

   どうか、答えて

 ₋₋₋₋わたしは、きがくるいそうなほど

   あなたのことが、

 

 

 

 

それは、もう如月の記憶の中にしか存在しない、叶わぬ夢の話だった。

 

「私は、お嫁さんになってみたいんです」

「お嫁さん……それがおまえの夢、か」

 

 しみじみと如月が返すと、アウラは自分で言っておいて今更のように赤面した。子供っぽいということは自分でも分かっているのだろう。けれどそれが彼女の夢であることは嘘ではないようで、彼女のはにかむ顔は穏やかだった。

 

「そう。人を好きになって、その人と結婚して。それって普通だけど、なんだかいいなあって。あの歌みたいに」

「いつも歌っている、やつか?」

 

 アウラは頷いた。

 人を好きになって、その人と結婚して、幸せになる。

 彼女はその時、誰を思い描いていただろう。

 

 

「はい。デイジー・ベル。私が好きな、しあわせの歌です」

 

 

 

 

      To the next...                                                                  

 




 これからどんどん話は暗くなっていきます。アウラはお気に入りキャラなのでいなくなって私も寂しい……
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