IS【Three Heroes ~白・黒・灰~】 Unsung Episode 作:オブライエン
NO.26『Z』《ジーク》 その名を手にいれるずっと前から彼は一人で生きてきた。そもそも『孤独』などという言葉は知らなかった。言葉を教えてくれる相手などいなかったし、そんなこと考えるよりもまず生きることが精一杯だったからだ。
ともあれ、彼は中国の貧民街で奪い、出し抜き、暴力を振るって生きてきた。生きるためにやれることは全部やった。そうしなければ生き残れなかった。だが、たかだか少年一人が上手く立ち回れる道理などある筈もなく、何度も力を持った連中に叩き潰されてきた。殴られる痛みも、血や泥の味も、生ごみの鼻が曲がるような匂いも嫌というほど味わった。中国の繁華街の極彩色を見上げながら、それらが照らすこともない泥水の中を這い回る少年に、手が差し伸べられることなど一度ともありはしなかった。
そんな益体もない生き方している中で、少年は当たり前のように理解した。「ここ」は「こういうところ」なのだ、と。
救いなどない。責めるべき相手など何処にもいない。世界はあるがままに「ある」のであって、善人も悪人も生きているだけで何かが狂っているのだとすればそれは恐らく全てが狂っているのだろう。だから、結局は自分は一人で生きていくしかないのだ。
それにしても何一つ変わらないのは、闇の淵に切れ間を差し込むあの星々だ。
一定のサイクルを繰り返しながら、幾億回もの夜で輝いてきた星々は空に浮かぶ目のようにこちらを見下ろしていた。どうやってもアレから逃げられない。観念した少年はスラムの暗がりからせめてもの抵抗として、輝く星々を睨み返した。
₋₋₋₋笑えよ、見てんだろ?
皮肉とともにつく悪態は、誰にも届くこともなく黒の空に消えた。
星々はずっと、そこにあった。
あの時から、ずっと。
第XX話 part04- 責めるべき相手なんて、どこにもいない
「ジーク」
後ろから声をかけられ、ジークは振り返る。資材倉庫の弱弱しい照明が入り口に立つ、カルナを照らしていた。迂闊だったかと、ジークは思った。ここの場所を知っているのはバティとジーク、そしてアウラだけだったのだから。
カルナはジークに声をかけた後に中の様子に気づいたようで、呆気にとられた顔で並ぶ墓標を見回している。確かに初見ならば驚くのは当然だろう。
ジークは壁に背を預けながら、ここのところめっきりやつれてきた少女を見つめた。彼女はもはや、アスピナにおいて最上位の被験体になってしまっていた。上位二名の実質上の脱落により、カルナの負担は精神的なものだけではなく実際的な実験スケジュールの過密化という点で増加していた。
「……こんな場所があったんですね」
「ああ、らしいぜ」
なげやりな返事を返すジークにカルナは微笑で返した。恐らく、カルナがこの場所を知ったのはジークがこの辺りに何度も足を運んでいるのを見たからだろう。自分自身でも意識していないことではあったが、ジークは毎日この資材倉庫に足を運んでいた。
アウラが死んでから、既に一週間が経過していた。
カルナは資材倉庫に並べられた幾つもの「墓標」を見下ろし、一つ一つを確かめるように辿っていった。一つ一つの前で座り込み手描きの名前を読み上げ、供えられた造花の感触を確かめるように触れていく。ジークは何をするわけでもなく座り込みカルナの背中を見つめていた。
たった二人でこの場所を造った二人はもういない。ふと、ジークはカルナに声をかけた。
「他の二人はどうしてる?」
「フィオナは……落ち込んでます。アイツはアウラやバティと仲良かったですから。デイズは相変わらずです」
そこまで言ってカルナは言葉を詰まらせた。そして、ジークの方へ振り向いた。ジークを見るカルナの瞳は震えていた。
「バティは、どうしてますか?」
あの一件以来、バティは他の被験体とは別の隔離されるようになった。簡単な説明は如月から受けている。何にせよ一命は取り留めたようだが、それが幸運だったかどうかはジ-クには判断出来ない。ジークは如月に特別に許可を得て、何度か面会はしてはいるが、その内容は疲弊しているカルナには伝えない方がいいだろうと、ジークは判断した。
「オマエは自分とフィオナの奴の心配してろ。アイツのことは気にすんな」
「……そう、ですか…」
痛ましい沈黙が下りた。カルナは21個目の墓標の前に座り込み、その場から動こうとしなかった。
「アウラは、₋₋」
長い沈黙を破り、カルナが口を開いた。
「アウラは……いったいなにを思ってしんだんでしょうか?」
「さぁ、な」
「…こんなことも、あるのかも知れないって思ってました。だってこんな場所だし、僕らは実験を受けるしかない、そう決められている…でも……」
カルナの肩が揺れる。恐らく彼女は強烈な罪悪感に苛まれているのだろう。彼女は第三位として場合によってはアンサングを制御しえる立場にいた。その彼女の無念さはジークには絶対に理解できないことだろう。だが、彼女が自分を責めることは正しいとはジークには思えなかぅた。
「ここは最初からそういう場所だろ。大したことじゃねぇ……今まで二十回繰り返されてきて、二十一回目がたまたまアイツの番だった。それだけの話だ」
ジークはカルナの背にそう言い捨て立ち上がり、踵を返して古びた資材倉庫の扉を抜けた。そう、今回は彼女の番だった。それだけの話だ。誰かを責めるべき話ではない。だが----だが。己の胸中でとぐろを巻く正体不明の感情に背を向けて、ジークは資材置き場を後にした。
カルナは暫くの間、座り込んだまま、身動きもせずにいた。アウラとバティのこと、これからのこと、考えるべきことは山ほどある。こんなところの立ち止まっている訳にはいかないことも重々分かっている。
カルナの前には資材で作られた墓標の一つがある。他の20の墓標に比べて、一回り大きく不格好で初めて作ったのが一目で分かった。供えられた造花と写真と共に供えられた紙には殴り書きで名前が書かれていた。カルナは写真を手に取り、ふと苦笑した
「……本当に、ジークは素直じゃないね。……アウラ」
写真に写っていたのは、寄り添いながらカメラに笑顔を向けているアウラとバティ。そして、二人と少し離れた処でそっぽを向いて不機嫌そうな顔をしているジークだった。
アウラの墓だった。
▼
医務室はひどく静かで、生きている者が誰もいないかのようですらあった。如月はさして大きくもない医務室の戸を閉め、更にその奥にある部屋の扉のノブに手をかけた。重要な障害を持つ被験体が出た場合のために設けられた個室である。扉を開くと、医務室の物に比べて立派なベッドがあり、そのすぐ隣にパイプ椅子に腰を掛けたジークの姿があった。
「……来てたのか、ジーク」
「……ああ」
ジークは身じろぎ一つせずにベットに横たわる一人の少女を見つめていた。
バティは、そこにいた。
あの事故が全ての原因だった。アウラはISとのシンクロによる負荷によって命を落とし、バティもまた生存したものの予断を許さない状態にある。『末那識』のシンクロによる負荷はアウラのみならずバティにかかる負荷も甚大だった。特にバティは異常に高いIS適性値を誇るが、だからこそ不必要な情報まで感知してしまうという欠陥がある。引きずられて死なずに済んだだけでも幸運だったといえる。
今のバティの髪は、茶からほとんど真っ白に変貌していた。また、ぼんやり色などはわかっていた視力も今はその程度の識別すら出来ない。ほとんど完全に盲目であり、最も悪いことには、彼女は一種の自閉状態に陥っていた。
何を言っても何の反応もなく、自分では食事さえ摂らず、栄養補給は点滴で行うしかない。この状態のバティはベットに仰向けになったまま動こうともせず、見えない瞳は天井にじっと向けられているばかりだった。ただ、ごくたまに如月が話しかけた時、夢から覚めたように正気に戻るときがある。たいていの場合、それは窓から星々が見える夜のことだった。その時ばかりは会話が成立するが、それとて本当の意味で「正気」ではないと如月は思っている。
一週間前のあの事件を境として、バティの記憶は強烈に混濁していた。
意識があるときに話をしていて気づいたのだが、バティと話がかみ合っていないところが多く見受けられた。そのもっとも顕著な例として、幾つかの記憶の欠落がある。時系列の混乱だけではなく、そもそも忘れてしまったことが幾つもあった。
その一つに、アウラのことがあった。バティの記憶から「アウラを殺した」という事実がぽっかりと抜け落ちていたのである。
バティにとって、アウラは何にも代えがたい親友だった。彼女を救えなかったばかりか、結果として自分の手にかけてしまったという事実は、まだ十歳の少女が受け入れるにはあまりにも過酷な事実で
整った医療施設に移送された」というシナリオが出来上がっていたのだ。
「₋₋₋₋バティ」
「おい、起きてるか?」
声をかけると、バティはジークと如月の方を向いた。意識が戻っている時だったのだ。ただし、その両目には何も映ってはいなかった。窓の外には真っ黒い夜空と点々と光る星々があった。
「あ、おとうさんと、ジーク」
声のする方を振り向き、目ではなく耳でこちらを認識したバティは屈託ない笑顔を浮かべた。
バティに笑顔を向けられた瞬間、如月はその場から逃げ出したくなる衝動にかられた。今の彼女の姿こそが自分たちがやってきたことを示す一つの現実だった。
だが、逃げることも許しを請うことも如月には出来ない。苦悩のすえ彼がとった手段は、待つことだった。今はバティを静養させ、こちらも出来る限りのことをした上で彼女がもう少しましになることを待つ。ただ一つ分かっているのは、事実を知った時、今度こそバティは壊れるだろうということのみだった。
幸か不幸か、アウラを失ったあの事故で、『末那識』に辿りついたアンサングの戦闘データはかなりの進化を遂げた。二次移行は疑似的なものだったのか、実験終了後元の姿に戻ってしまったが、新たな領域による新たな情報を喰い、アンサングのコアに蓄積された経験値は跳ね上がった。あと一歩なんだ。あと一歩で、あの状態のアンサングに被験体が適合すれば。
こんな状態になっても、如月はそんなことを考えてしまう。感情のどこかの部分が麻痺をおこしているのかもしれない。
如月は可能な限り取り繕った笑みを返す。
「調子はどうだ?」
バティは答える前にくしくしと目をこすった。今の彼女にとっては自分の目が見えないことも不思議でしょうがないらしい。如月は、アンサングの負荷による極端な視力低下であり、一時的なものだと説明した。かなり危うい説明だったがバティは如月の言うことをあっさり信じたが、それでも違和感は残ったようだ。
「まだあんまり見えないけど、だいじょうぶ。ねぇおとうさん、アウラは元気?」
バティにとっては至極当然な、しかし致命的な勘違いを含んだ質問に対し、如月は真実を告げられず、曖昧に首を振るしかなかった。「バティの中」ではアウラはまだ死んでいない。いや、ひょっとすると、今まで死んでいった子供達の皆が死んでいないのかもしれない。
証拠に、バティが話すのだ。死んでいった子供達との思い出を。とても楽しそうに。
例えばそれはNO.13『M』《マリアン》のことだった。彼女は控えめな性格をしていて、バティが懐くとひどく照れた。例えばNO.04『E』『エルザ』はバティと同い年の最年少で、いささか鬱屈しているところもあったが、あの子の笑顔が好きだとバティは語る。あるいはNO.10『J』《ジュリアス》の話や、NO.19『R』《ライラ》の話や、NO.25『Y』《ユウナ》の話であったりした。
「会いたいなぁ。わたしが元気になったら、また会える?」
「……ああ」
なんと答えればいい、なんと答えなければならない。
バティは見えない目を虚空に泳がせる。まるで窓から差し込む月光と、それが照らした浮遊する地理を見ているようだった。
静かな夜だった。
「ねぇジーク、あの歌、きかせて?」
「……ああ」
少女はそう言って笑う。ジークは短い返事の後、歌を唄う。アウラの好きだったデイジーベルを。
バティはデイジーベルが、アウラの唄うあの歌が大好きだった。何度もアウラに歌い方を習っていたし、アウラ共に唄っていた姿をみたことがある。
どういうわけか、あの事件以降、バティはあらほど嫌っていたジークに対して好意的になっていた。その理由を聞いてもバティは答えようとしなかった。
さらに意外だったのは、あれ程アウラと歌を嫌っていたジークがデイジーベルが唄えたということだ。如月が一度ジークに理由を聞いてみたが「あんだけ聞いてれば嫌でも歌える」としか答えなかった。その言葉の意味も、バティの要望に応える訳も如月には分からない。それを聞く勇気も如月にはなかった。
歌が終わり、バティはいつしか眠っていた。
如月はバティの体に毛布をかけてやり、ジークと共に部屋を出た。体の中のものを入れ替えるつもりで大きく深呼吸した。そして、一拍おいてジークに向けて頭を下げた。
「……悪いな、ジーク」
「何がだ?」
「それは……おまえにまで嘘をつかせてる」
ジークは如月の方を見ようともせず、淡々とした口調で答える。
「まがいなりにも医者のアンタがその方がアイツの為だって判断した。なら、オレがそれに従うのは当たり前だろうが」
「……そうか」
「じゃあ、オレはもういくぜ」
謝罪を拒絶するようにその場から去っていく、ジークの背を見つめながら如月はまた大きくため息を吐いた。謝罪することで少しでも罪悪感から逃れようとした自分の浅はかさが嫌になる。
「……語られぬ者(アンサング)、か」
最高の操縦者を想定して設計されたIS、アンサング。漆黒の装甲は今なお昼も夜もない実験棟の照明に晒され、真の意味での覚醒を待っている。
その後に起こることが運命であったのか、後になって考えてみても、如月にはわからないことだった。
それは、ある日突然起こった。
ある日、差出人不明の一通のメールが■■■■とアスピナに送られてきた。
そのメールにはとあるISの設計データが記されていた。そのデータを見た瞬間、アスピナの研究員達は戦慄を覚えた。
第四世代IS。
先進国達が総力を上げて開発を進め、しかしまで試作段階も完成していない第三世代ISの遥か先を行く新世代IS。 全てが完璧で、実践的で、革新的で、美しかった。時代に適応し、必要な要素を全て昇華させていた。特殊機構から生産される圧倒的なエネルギーとそれによって生まれる圧倒的なパワー。パッケージを使用せず、あらゆる戦場、戦闘距離に対応することが可能な展開装甲。そして、特異な単一能力。あげていけばキリがない。あらゆる無駄を削ぎ落とし一振りの名刀のように研ぎ澄まされたアンサングがISの一つの『完成系』ならば、第四世代はISはISの可能性を突き詰めた『究極系』と言えた。ISを知り尽くしたうえで、かつ既存の常識を打ち破れる正真正銘の天才の出来なければこんなものを造れない。
アスピナの誰かが、こう呟いた。
₋₋₋₋あなたはそうして、また我々の先に行くのか。篠ノ乃束。
アンサングを我が子のように愛していた研究員達にとって、第四世代ISの存在の重みは凄まじいものだった。彼らにとってアンサングは誇りだった。危険を伴いこそするが、既存のISの常識を覆す超高性能・超高速のISはアスピナの魂そのものだったのだ。第四世代ISという強すぎる輝きは、彼らの研究者としての存在意義を揺るがす程の物だった。
彼らはより研究に没頭する。亡者のような執着を、アンサングは沈黙のままに受け入れている。
幸い、死者はまだ出ていない。
▼
カルナは無理に無理を重ねた実験を受け、這うようにしてアンサングの制御に近づこうとしていた。無力感に苛まれ、それでも前に進もうと足掻くが、アンサングは冷然と彼女の神経を削いでいくばかりだった。
どうしてアンサングとシンクロするのか。今の彼女にはその理由すら分からなくなってきていた。
しかし、思うのだ。これまで死んでいった仲間たちのこと、『末那識』に触れたアウラのこと、バティやまだ生きている仲間たちの事。彼女達の顔を思い出すと巨大な何かに背を押されるような感じがするのは何故だろう。少女は自分の「居場所」を守ろうとした。他に何も無いから、彼の居場所は「ここ」しかなかった。
₋₋₋₋アウラ、僕はまだ届きそうにないよ。
十五歳のフィオナは、あの日から泣いてばかりいる。気弱な引っ込み思案で、けれど穏やかな優しい少女だった。彼女の心を支えていたものは、あの日のアウラとバティの事件でとうとう折れた。実験の時以外、思い出の詰まった遊戯室で膝を抱えているフィオナに、カルナは度々会いに行っている。
いよいよ覚束なくなった足取りで彼女に歩み寄ると、フィオナはいつもあらゆる感情が詰まった瞳でこちらを見上げる。
疲れた。フィオナに曖昧な笑顔を向けるや、カルナは膝からくしゃりと崩れ落ちた。とっさにフィオナがその体を受け止めると、あたたかな体温がカルナに伝わった。
僕には、何ができるんだろう。なんのために、どんなことができるというんだろう。答えは分からない
「₋₋₋₋っ、だ、やだよぉ!」
「フィオナ?」
「カルナまで置いてっちゃ、やだよぉっ!」
涙が落ちる。一体どれ程流したのだろうか。とっくに枯れ果てたと思っていた涙は、温かった。フィオナの胸に顔を埋めながらカルナは思う。
せめて、と思うのは、思い上がりだろうか。
少女一人がそれを願うのは、傲慢なことなのだろうか。
▼
バティは相も変わらず、意識の境界を行ったり来たりしている。
音もない医務室で昼も夜も変わりしない暗闇に視界を包まれながら、今はもういない筈の「親友」について思いをはせる。
アウラはどうしているのだろう。
アウラとはまた会えるだろうか。
₋₋₋₋ああ。それでも何かを失ったような気がする。
何を忘れているのだろうか。
それだけが、どうしてもわからない。
▼
ジークには「限界」が近づいていた。
神経が摩耗し、絶えず強烈な頭痛に苛まれ、視界がぼやける。肉体が鉄の装甲に変わったような違和感を覚え、体と知覚の乖離が耐え難いほどの吐き気を喚起する。
₋₋₋₋遅い。
自分の足音、呼吸音、汗の滴の落下、空調の音----それらが耐え難いほど「遅い」と感じる。自分の足が床についてからそれが空気の振動となって自分の耳に届くまでに、不気味なタイムラグを感じる。 恐らくISに接続している際の神経の鋭敏化の後遺症なのだろう。ISに対して追いついていないことによる障害である。
「…次は、オレの番か……」
脂汗が幾筋も伝い落ち、床に触れて散る。その音が異常に遅れて耳に届く。覚悟していたことではある。そもそもジークの場合、ここまで生きていた事自体が奇跡に近いのだ。
₋₋₋₋オレも、死ぬのか。
どうせ、どこに行こうが地獄だと考えていた。もとより何も期待していなかったと思う。だが、記憶を奪われたジークは常に原因不明の苛立ちと共にあった。
その苛立ちは、どんな時も「あいつ」に向けられていた。だが、どうやらそろそろ自分はあいつと同じになるらしい。
ジークは立ち上がり、今はもういない彼女のことを思う。壁に手をつき、ふらつく足は自然に資材倉庫に向かおうとする。何故そうしようと思ったのかはわからない。朦朧としたジークはもはや半ば自己喪失状態にあったと言ってよい。
どのように、どれほど歩いたのかは覚えていない。真っ黒な霧の中を歩いているようだった。いつしか、例の資材倉庫が方面とは違うところに足を踏み入れていた。
その時、ジークは不思議なものを見た。
人影だった。
「……アウラ?」
その時ジークが見たものはなんだったのか、説明出来るものは何もない。よもや超常現象ではないだろうし、ただの幻覚であったとしても不可解な点がいくつもあった。
だが、ジークは確かに闇の中にアウラを見た。
アウラはじっとジークを見つめ、ある扉を開いて、その部屋の中に消えていった。考えるよりも先に体が動いた。ありえない筈のアウラの姿を追い、誘われるようにその部屋の中に入っていく。
そして、見た。
▼
あの部屋の扉にロックするのを忘れていたことに気づいたのは、一日の報告書を所長に提出し終えた後だった。
しまった、とまず思った。連日の緊張による疲れで注意力が散漫になっていたらしい。例の部屋は施設の南端にあり、普段は使われないブロックにあるため子供達が気づく可能性は極めて低いが、保管している『物』が『物』なので念には念を入れなければならない。
少し重たい頭を押さえながら、急いで通路を辿り、暗闇の中に漏れる照明を認めた時、一瞬で意識が覚醒した。
あの部屋だ。
誰が、どうして、最悪のイメージが頭をよぎる。研究員のならば問題ない。だが。
半開きになった扉を押し飛ばすような勢いで、見慣れた部屋に飛び込む」月。そこにいた青年の背中を見た時、如月は目を見開いた。
「……ジーク……!?」
ジークは、呆然と「それら」の前に立ち尽くしている。
青白い照明が、病的に殺菌洗浄された室内を照らしている。室内に並べられた大小様々な機械が解剖などの人体への処理に使用される物だと専門家以外は知らない。大きな手術台があり、滅菌処理をされた道具が頑丈なロックを掛けた棚に保管されている。本来は滅菌された白衣を着こんで入るような部屋に、今は何も施していない二人の男が立っている。
ジークが見ている物は、円筒状の、液体に満たされたカプセルだった。小さく、分厚いガラス越しに「それ」は見えた7.「それ」は21あり、厳重にロックをかけられ整然と並んでいた。
「₋₋₋₋ドクター」
感情が全く込められていない透明な声が部屋に響いた。ジークのそんな声を如月は初めて聞いた。
「アンタは、人に魂は宿らねぇって言ったよな」
こんな時、なんといえばいいのか如月には分からなかった。弁明だとか謝罪だとか忠告だとか、そのどれもが相応しくないように思えて、ただ頷くことしか如月には出来なかった。
「……ああ」
「じゃあ、死んだ奴はどうなる?」
「……わからん」
「じゃあ、心ってのはなんだ? 死んだ奴の心はどこへ行くんだ?」
「…………」
心を削り取るような痛ましい沈黙が降りた。如月は立ちすくむジークを見ながら、こんな時に言葉を探り当てられない自分の弱さを突き付けられたように思う。
ジークの体が影のように動いたと思った時、突如として体を衝撃が襲った。
ジークが体ごとぶつかり、如月の胸倉を掴んでいた。如月の体が浮かび、そのまま力任せに壁に叩きつけられた。抵抗するだけの気力などありはしなかった。もとより自分にそんな資格などなかった。
「答えろよ。わからねぇとは言わせねぇぞっ」
「かっ、はっ……!」
「死んだ奴はどうなる。アイツ等の心って奴はどうなったんだ。『アイツ』はどうなった。死んだって言うなら、その後、どこに行って、どうなった!」
ジークの双眸が金色に変わり、感情が湧き上がってくるのが見える。今にも相手をかみ殺しそうな目だ。その感情に呼応するようにジークの全身に血管が浮かび上がり、稲妻のような罅割れのような不気味な紋様を形作る。怒りの余り普段は稼働していない予備人工心臓と人工血管まで作動したのだ。答えられず口をつぐむ如月の喉をジークは締め上げた。これほどまでに感情を爆発させるジークを如月は初めて見た。
「₋₋₋₋どうなったって聞いてんだよ!! 黙ってねぇで何とか言えよ!! これが……こんな……っ!!」
如月は何も言えなかった。ジークが見たものは、残酷でも悲劇的でもない、ただ余りにも機械的な現実だった。
「こんなもんが、アウラなのかよっ!!!!」
絶叫が響き渡る。
ずらりと並べられたカプセルには、その一つ一つに死亡した被験体の脳と脊髄が「保管」されていた。そして、最も新しいカプセルに張られたラベルには、こう記されていた。
₋₋₋₋NO.01『A』《アウラ》
強烈な衝動は、爆発した時と同じように急激に消え去っていく。叫び声がこだまじ、それが消え去るころには、如月を締め上げるジークの腕からは力が抜けており、全身に浮かんでいた血管も消えていた。もう完全に感情のやり場を失っていた。ジークは如月から手をどけ、普段の彼からは想像も出来ないような鈍重な動作で如月と並び壁に背を預ける。そうしてずるずると膝を折り、尻をつき、ぐったりとうなだれた。如月は結局、それに対して声をかけてやることさえ出来なかった。
そうして、お互い随分と長い間無言でいた。
「…………許してくれ、とは言えない」
こんな時にそんなことを言える自分の頭を、如月は疑った。呆れるほど厚顔無恥で、それでいて恐ろしいまでに残酷だ。それで償いのつもりか?許されなければ何だというのだ。彼の感情を全て受け止めれば許されるとでも思っているのか。21人の死んだ子供達の体を解剖し、データを集め、その脳と脊髄を後生大事に保管している悪魔はどこのどいつだ。
狂っているのは、誰だ。
先程のジークの絶叫が頭の中で何度も何度も鳴り響いて脳を揺らした。体から力が急速に抜けていく。今の今まで自分以外誰も入れなかったこの解剖室は、如月の罪そのものだった。
自分が必死にひた隠しにしていた罪の姿だった。それが全て暴かれて、急に恐怖が湧き上がってくる。恐怖そのものが流れ出たように独白になる。
「これが、俺のやってきたことなんだ」
ジークは如月の方を見もしない。
「綺麗事を並べても、いくら子供達を励ましても、これが俺の本当にやってきたことなんだ。疑うこともあった。何度も自分を責めもした。だけど、俺は、一度だって本気でやめようと思えなかった。これが実験のためになるって思ってたんだ。子供達のデータを集めればアンサングは完成に近づくって信じていた。オレも他の研究員も本気でそう信じていた」
如月の視線は、自分の手を捉えて離さなかった。子供達を丁寧に腑分けしてきた手だ。その手が小刻み震えている。「夢」という麻薬が切れ。ジークは悲痛な叫びで如月も自らの本質というものが分かってしまった。
アンサングの完成こそ至上目的。
それが今この瞬間でさえまったく揺らいでいないことに震え上がるほどの恐怖を如月は感じた。自分も研究者という怪物の内の一匹だったのだ。自らの内から湧き出る狂気に従い、研究の名の下に子供達の死を観察し、その身体を開いた。自分はおかしくなっているのだろうか。いや、本当に完全におかしならその方がきっと良かったのだ。あらゆることを学び、研究者としての道を歩み、ここまで来た。これまで何も成せなかった自分が、培った全てを賭けるべきけ研究に巡り合えた。これが最後のチャンスであり希望だと確信した。如月が最も恐怖したのは、そうして夢という名の狂気を追ってなお壊れない自身の「正気」だ。
「俺は……こんな時になっても心の底から思う。アンサングの完成が見たい。それが、俺のこれまでに意味をつけることだから。これが成らなかったら、俺達の何もかもが無意味で無価値になるんだ。……なあ、ジーク、俺達が狂っているのか? 全て悪いのは……俺達なのか?」
ジークは壁によりかかってしゃがみ込んだまま、俯いている。その時、ジークは、かつて中国の貧民街で潜み眠る時と同じ格好をしていた。
気が狂いそうな沈黙の間をおいて、ようやく、ジークは口を開く。
「₋₋₋₋んな奴、いねぇよ。絶対に悪い奴なんてどこにもいねぇ」
彼の言葉は、否定でも肯定でもなかった。
「都合の良い悪者なんていてたまるか。一番イカれていて何もかもそいつのせいにすればいい悪魔みてぇな奴がいりゃあ、世の中もっとマシになってる」
お前は狂っていると、そう言われた方が万倍もマシだった。
責められることさえ許されなかった。如月は歪んだ笑顔のような表情を浮かべる。口から洩れたのは狂ったような笑い声ではなく、情けない泣き声だった。
ジークはただ、カプセルを見つめていた。
「みんな同じだ。善も悪もクソの理屈だ。どいつもこいつも同じ、ゴミ溜めの穴の中さ……オレは、そこで、生きてきた」
だがその瞳が、唐突に揺れた。
「……ずっと、そういうところで生きてきた」
ジークは「アウラ」を見ている。その視線に込められた感情は、ぐちゃぐちゃに混ざり合ってジーク自身にも把握できていないに違いなかった。
正義の味方がいないように、完全に責められるべき悪役もどこを探してもいてはくれない。そういう世界で泥を舐めてきた。
この世界には、生きている価値も意味も無い人間は実在する。親兄弟もおらず、たった一人の仲間もいなかった自分がまさにそれに該当していた。善も悪も、狂気も正気も等しく無価値な、ただあるがままにある場所でそんな奴らは掃いて捨てるほど存在していた。ジークという名を得る前の少年も、ただ塵のように無意味に生きて灰のように無意味に死んでいくだけの存在だった。
思い出した。
ジークという存在は、それが我慢ならなかったんだ。
₋₋₋₋ああ、そうだ。
「なぁ、ドクター。わかったよ。……おれ、やっとわかったんだ」
ここに来たのは、意味が欲しかったからだ。
どうせ死ぬことは変わりないのだから、なんだってよかった。それこそアンサングのコアの中のデータの一片でもいいから、生きてきて少しでもましだったと思える何かが欲しかった。自分が生きて死んだということに、何か意味と価値が欲しかったんだ。誰かの為だなんて御大層な話でなくてもいい、ただそれでも、自分が「そこにいた」ということを誰かに覚えていて欲しかった。
そして、記憶に焼き付いた彼女の姿を想う。今は遥か遠い、しかし限りなく近くに思える7記憶の中で、彼女はいつも7笑っていた。誰かの為の笑みだったし、時には誰かの為に泣いた。彼女はいつも「誰かの為」にひたむきだった。それが、羨ましくて、妬ましくて、そしてどうしようない程に惹かれていた。
「オレは、アウラに惚れてた……ただ、それだけだったんだ」
言葉を切り、ジークはうなだれる。その方は小さく震えているようにも見えた。
泣いているのだろうか。それは、誰にもわからない。
結局のところ、二人はどこか深いところで共通していたのだ。名を成せない一研究者と、地獄のような孤独で生きてきた青年。二人の「意味」は、まだどこにもありはしなかった。
▼
それから、三日後に起きたことだ。
アスピナの所長が■■■■に一時召還され、本部に戻った。そこで何を聞かされたのか、帰ってきた彼の顔を見れば誰でも理解できた。
彼は絶望していた。
『プロジェクト語られぬ者(アンサング)』は、計画の停止を命じられた。
現在のチームは解体、厳重な口止めを強いられた上で再び■■■■及びその傘下組織に吸収されることになるらしい。ここで得られた貴重なデータ、IS、そして生存している被験体は全て■■■■本部へと譲渡される。アスピナは消滅し、彼らの生み出したものは全て有用な餌となるということだった。
それには、■■■■本部で制作されている最新型の第三世代ISが深く関わっていた。両機のコンセプトは同じ今までのISの常識を覆す高速機動型であり、その点でアンサングのデータは非常に有用な材料だったのだろう。
この指令のミソは「アスピナとアンサングの存在は一部上層部しか知らない」という秘匿性あった。言い換えれば、上が彼らを使い捨てにして影に葬ったとしてもなんの問題にもならないということだ。最初からアスピナもプロジェクトもさして大切なものではなかったのだ。そもそも被験体を使い潰すやり方は口うるさい連中に知られれば面倒なことになる。そうしてやり方でデータを取る以上、現場は隠しておいた方が良いし、無名の研究者達は材料として<実に手っ取り早かった。■■■■にとぅて木端のような研究者達などどうでも良かったし、まだ生きている被験体達を引き取って丁寧に「使用」すればいいぐらいにしか考えていなかった。
これには、また第四世代ISの存在が関わっていたのだろう。突如として現れた究極のISに対して、■■■■が焦りを感じなかったとは言い切れない。現実問題として時は待ってくれず、そしてアンサングは■■■■の新型や第四世代ISに比べれば旧式に過ぎない。返球の研究施設は、実に都合の良いデータの苗床だった。
無論、■■■■はビジネスライクな「取引」を持ちかけたつもりだった。事実としてアンサングに関するデータは貴重なものが多く、報酬出して買い取る旨を示した。加え所員達には戻った際に相応の席を用意するといった。それらは労へ報いた報酬であると同時に口止め料としての意味もあったが、合理的に判断すれば破格の条件だった。
彼らは、アンサングを最強のISだと信じていた。それを奪われるということは、即ち全てを取り上げられるということに他ならない。彼らのやってきたことが全てどこにも残らないということは、彼らの意味も価値も何もかも否定することに相違なかった。
影に生まれ、陰から影へ消されてしまうアスピナという研究機関は、即ち世界にとって最初から「無かったこと」になる。
彼らは、それがどうしても受け入れることが出来なかった。
その日以降、アスピナは通信設備を全てオフにし、回部からのコンタクトを拒絶した。
これ以降の出来事は、公式の記録には残されていない。
彼らは「実験の継続」を選択した。
その日、デイズは独り個室の椅子に座り、爬虫類のような目で窓の向こうのある一点を眺め、ぶつぶつと何か独り言を繰り返していた。
否。独り言ではない。それは明らかに相手のいる受け答え----会話だった。
ISとの接続ジャックに被せる人工皮膚には、脳と体内の通信用ナノマシンに作用して長距離の通信を可能にする特殊な端末が埋め込まれていた。それは、通常たかだか被験体が有するものではなかった。
ならば何故、デイズがそれを使用しているのか。
使用して、誰と話しているのか。
「₋₋₋₋ええ、おおむね予定通りと思われます。それでは、このまま計画通りに。はい。₋₋₋₋₋はい。そのつもりです」
To the next...
ISという巨大な輝きの影で産まれ、第四世代という巨大な輝きの影に消えていく。ある意味、この話の登場人物は束さんや千冬さん、そしてISが世界を変えたことによる歪みの被害者とも言えます。もちろん、束さん達が悪いとは言えません。しかし、力あるものは本人の意思とは関係なく周りに影響を与えるものだと思います。
この過去編も次でラストなのでよろしければおつき合いください