IS【Three Heroes ~白・黒・灰~】 Unsung Episode 作:オブライエン
これは、記録という歴史から外れた物語である。
第XX話 end 染まる闇を超えて
灰色の雲に覆われた、雪の降る夜だった。
如月はバティの個室の扉を開き、ベッドに横たわる少女に声をかける。
「バティ、何か悪いところはないか」
バティは目を周囲に巡らせ、声のする方、つまり如月に顔を向けた。
「ぜんぜん! あのね、もうすぐ良くなるから、わたしもっとおとうさんの役に立てるよ」
髪が白くなっているのに、バティはそんな健気なことを言う。ある程度は回復したのか、薄ぼんやりとではあるが、視力は戻りつつある。まだ一メートル先のものさえ判別できないにしても、至近距離のものは認識できる程度になっていた。
だが、バティは決定的な間違いを頭の中で造り出した上で安定している。自身が捏造した記憶の上で暮らす少女は、その殻を崩すことが出来ない男を心から慕っている。静間は繕った表情でベッドの脇に座り、しかし、内面では自己への追求を押し止められずにいた。
ジークの言葉が何度も繰り返し頭の中で木霊する。あの時、無意味に命を繋いできたジークが零した言葉は、如月の心になにか熱を持った楔を打ち込んでいた。
考えていた。
――なぜ、この実験に参加したのか。
それは第一には、上層部からそう通達を受けたからだ。一技術者が上の指令に逆らえる道理などなかった。
――ならばそのことについてどう考えていたのか。
白状する。心が躍った。希望があった。単純に嬉しかった。これまで自分が必死に身に付けてきたモノの全てを注ごうと思った。生き甲斐ができると思った。
――なら死にゆく子供たちと向き合い、その身体を解体した気分はどうだった。
正しいことをやっていると思った。何かを成すためには、犠牲は必ず必要だ。彼女達の死は必要だった。彼女達が残したデータと同じように。
――ならばそれは罪なのか。お前は罰を受けるべきなのか。
わからない。罪の所在がどこにあるのかもわからない。許されるような場所にいるのかもわからない。
この時点で既に、アスピナは本部である■■■■との一切の交信を断っていた。自ら孤島状態に陥ったアスピナに未来が無いことぐらい誰にだって分かっていた。それでも、大人たちはそうせざるをえなかったのだ。自らの知識が、努力が、罪が、そうした存在の全てが意味を結ぼうとしていた。それを一方的に奪い取られるということは、死よりも遥かに怖かった。
バティは笑う。屈託のない、おおらかで伸びやかな笑顔。
「ねえおとうさん、アウラは元気? わたしより良くなってる?」
「……ああ。今はお前を待ってるよ」
これは嘘だ。バティが壊れないようにするための方便だ。
「そっかあ。……あ。あのね、アウラに言っといてほしいことがあるの。ぜったい、ぜったいにムリしちゃだめだって。言ってくれる?」
「わかった、伝えておくよ」
これも嘘だ。伝えるべき相手はもういない。正確には、あの部屋に『いる』と言えるかもしれないが、言葉が通じることはない。
「ねえ、わたしが実験を終わらせられたら、みんな外に出られるよね?」
「そうだな、きっと出られるさ」
そしてこれも嘘だ。全てが終わったとして、生き残った子供達を手放しに解放するわけがない。
そう、嘘だ。平然と放たれた言葉の全てが嘘だ。
子供たちに残酷な希望を持たせるための、意図的な嘘だ。嘘をつく一方、如月は心の内で自身に問いを投げかけ続けていた。
――お前は、子供達に何を与えた? 何を奪った?
バティは笑っている。まるで取り残されたように。彼女の「今」にはアウラもマリアンもジュリアスもエルザもユウナもいるに違いない。外部との繋がりを放逐し、誰にも知られぬロシアの奥地にひっそりと存在する施設で、バティは笑っている。色の抜けた髪を揺らし、見えなくなった目を細め、楽しかった頃の思い出をひとつひとつ辿っている。
「……バティ。お前は、俺を恨んではいないのか?」
言葉が口をついて出た。
バティはきょとんと首を傾げる。
「どうして?」
「どうして、って……」
如月は思わず口ごもった。これほど純粋に「なぜ」と問われたことなど、思い返してみれば初めてではないだろうか。如月は必死に言葉を探し、思い付く端から述べていった。まるで自分自身の精神を腑分けしていくようだった。
「その……なんだ。俺達は、お前達を束縛している。記憶を奪った。そうして何人も犠牲にしながら実験を続けて、まだ止まろうとしていない。……お前は、それを恨んでいないのか?」
今更ながら口に出すと、なんと安っぽく聞こえるだろう。ただ、それは今まで子供たちの前では一度だって口走ったことのない言葉だ。言えば全てが裏返る。自らがひた隠しにしていた本性を自分の手で曝け出すような気がしている。無論、そんなことを言ってどうなるというものでもなかった。
バティは大きな目を見開いて、ほとんど見えない視線を如月に向けている。無垢な瞳だった。その瞳が今や如月には恐ろしかった。
夢という麻酔は、もう切れていた。
「俺達は、お前達の記憶を、これまでの人生を奪った。いやそれだけじゃない。お前達の、これからの人生さえも奪っている」
賢しいことを考えてみても、自らの立場に疑問を持ってみても、罪悪感に苦しんでいようが、結局のところ大きなものが作り出した流れには逆らい切れていない。それに従うまま夢だの意味だのに固執したのが自分だ。正当化と憐憫で自分の心を守り、ただ前ばかりを見て盲目的に進んできた、その糸が、今は切れた。施設そのものの存在意義を否定され、それでも足掻き、真っ黒な破滅に突き進んでいるのが今のアスピナだ。
わかっている。それは、大人の夢(エゴ)だ。わかっているのだ。わかっているのに、この期に及んで、自分達を罰する何かを求めている。
バティは押し黙っている。口を真一文字に引き結び、視線をじっと如月に向けている。彼女は考えているのだ。自分の頭で、自分の心で。
「あのね。わたし、おとうさんのこと好きだよ」
やがて自分の答えを見つけ、小さな声が生まれる。
「だって、楽しかったもん。おとうさんとか、アウラとか、それにジークとか、みんなに会えたから。みんな好きだから。歌を教えてもらったから。嬉しかったから、だから、いいの。怒ってなんかないよ。だってね、おとうさんに言いたかったことがあるんだもん」
バティの口が滑るように動いていく。
あの日、独りで部屋の隅で縮こまっていた少女。アウラと共に歌を歌った時。ジークとけんかした時。死が介在する日常でせめてもと笑っていたあの日。それは意味のある記憶だった。たったこれだけの期間、次々と仲間が死んでいく中で、しかし孤独だった少女が確かに心から笑っていた記憶だった。
「……言いたかったこと?」
バティが笑った。
「ずっと一緒にいてくれて、ありがとう」
言葉が詰まる。息が止まる。
何を与え、何を得て、何を奪い、何を成そうとしている。許してくれとは言えない。そんな資格は無い。だが、
ああ、だが。
頭の中で、最後の疑問が形を得る。
――お前はいま、何を失おうとしている?
▼
灰色の分厚い雲が空を覆い、真っ白な雪が降りつづけている。人里から離れ、近くに建物一つない静寂に包まれたロシアの極地の夜だった。
それを何の前触れもなく引き裂くものがあった。それは数機の輸送ヘリのローター音であり、高速回転するプロペラが生む風であり、大地に積もった雪を吹き飛ばす音だった。
一定の間隔を置いて飛ぶ三機もヘリと大型輸送機にはそれぞれ武装した歩兵が搭乗しており、各々が黙して到着と突入の時を待っている。歩兵が十余名――必要最小限の規模。何ら偽装処理も施さず飛行するその姿は、対空迎撃の危険性が万に一つもないことを証明している。
彼らの向かう建物には対空迎撃の設備や高感度レーダーはおろか、満足な武器もない。あるのは、ただパイロットを持たない不完全なISだけだ。
建物の名は、ラボ・アスピナといった。
ある日を境に、アスピナは外部との通信を断った。
一方、アスピナが再三の警告に応じないと知ったとなると、■■■■の判断は早かった。最初からこうなることはある程度予測の範疇にあったのだろう。
現在アスピナが占有している「武力」は、実験段階にあるとはいえ、完動品のISが一機。この一機は、ライフルの一挺がミサイルの一発とは全く違うように、航空機や戦艦とはまるで違う深刻度を意味していた。ISとは今や世界の誰もが知るようにたった一機で絶大な戦果を挙げうる強大な機動兵器であり、あらゆる可能性を秘めた実験素材であり、また核を超える世界の抑止力である。当然IS一機は一機関の手に余る。そうした兵器を独断で保有することの意味を、ISとIS操縦者を研究する機関がよもや知らぬ筈もあるまい。
アスピナのしていることはISの独占行為である。その脅威度は、ただの通常戦力を保有した凡百のテロリストを何倍も上回るものと断定できる。
彼らはもはや、強大なIS戦力と有望な操縦者の素材を独占するテロリストだ。その罪は極めて重く、また熱心な研究者であるがゆえに研究を取り上げられるということに対する強い抵抗の意思も見られる。警告に応じなかった時点で、アスピナの者達は既に特A級のテロリストに登録されていた。
危険思想の芽を摘むため、即刻射殺しても構わない。部隊はそのように通達を受けている。
▼
ばりばりと空気を裂くローター音が、窓の外から何憚ることなく届いてきている。
もとよりセンサーや迎撃設備などある筈もない施設である。音だけでその存在が現れたことを知った。
ジークは、気配を音で遠くから何かが近づいてきていることを察知し、かつてアウラと共にいた自室で窓の外を見た。何が始まり何が終わろうとしているのか、確証などないが、それがなんとなくわかるような気がしていた。
カルナは、覚えのない音を聞いた時、ぞわり、と背筋を走るものがあった。弾かれたように飛び上がり、駆け出した。行かなければ。何かが起ころうとしている。
フィオナは部屋の片隅でじっとうずくまっていた。もうどうだって良かった。なんでもかんでも、知らないどこかで起こって、そうして結局自分もまた無為に死ぬばかりだと思っていた。フィオナは例の音を聞いた時、この状況を終わらせてくれる何かが来たのかもしれないと思った。思った時、激しくドアを叩く音と、カルナの声がした。
デイズは「予定通り」にこちらに到着しようとしている彼らに気付き、眉ひとつ動かさぬままに人工皮膚の端末から通信回線を開き、あらかじめ定められていた合流地点へと向かった。
アスピナの研究員達は、遅かれ早かれ必ず来ると思っていたその音と影を認識して、さして驚くこともなかった。
――来たか。
十分に予想できたことだった。命令を無視して施設に籠城するアスピナを、■■■■が放っておく筈がない。自分たちが特A級テロリストに認定されていることは分かっていた、しかし、それでも黙ってアンサングを明け渡す線は最初から無かった。
アンサングが、全てだった。
所長を筆頭に、彼らは粛々と作業を続ける。それは抵抗の準備でもなければ逃げる用意でもなかった。ただ実験ログをまとめ、アンサングのコアに残ったデータをソートし、それらを定着させた。その後、アンサングは個別の保管用コンテナに収め、ある場所へと格納された。それで今やれることは全て終わりだった。
所長は作業を終え、所長室で機関全体の経緯をまとめたレポートをまとめていた。ひどく暢気に思われる行為だが、彼にできることはもうそれしか残っていなかった。
ふと、背後の扉が開く。振り返るとそこにはデイズが立っていた。
「……いつからだね?」
「最初からです。私と若干名の研究員にはもともとこうした目的もありました」
「そうか」
所長は自らの手元に視線をもどし、紙媒体にまとめたレポートをファイルに綴じる。
デイズの左手に光が集束し、黒曜石の如き光沢と透明感を持った漆黒の装甲が装着される。何らかのISを部分展開したのだ。
「君は、自分のやってきたことを正しいと信じていたか?」
答えは返ってこない。所長は構わずに、続けた。
「私は信じていた。信じていなければいけなかった。私達はどこにいた? どこにいて、何をしていた? それがわからなかった。自分達にさえ、だ。これがわかるのならば例え成すことが罪を伴っても構わなかったのだ。世界にアスピナとアンサングの名を刻みたかった。この世界のほとんどがそうであるように、物事は結果が全てなのだから」
「研究なら本部が引き継ぎますよ」
「いいや。本部では代わりにならない。アンサングはここで造り出された、そうだ、アンサングは……最強のISだ」
そう言う時の彼の表情は、微笑んですらいた。
ISを部分展開したデイズの貫手が放たれる。音はなかった。音もなく突き出されたデイズの左腕が何の容赦もなくチーフの左胸から背中へ貫通した。
左胸に刺さった腕を引き抜かれ。所長は糸が切れた人形のように前のめりにどさりと倒れた。真っ赤な血が流れ出て床を濡らす。デイズは腕を振って血を払い、死体の手からファイルをはぎ取った。そして、一言呟いた。
「…………全く理解ができませんね」
デイズが所長を『処分』したのとほぼ同時にアスピナの研究員達が同胞であるはずの研究員達に突然背後から撃たれだし、施設内に歩兵達が突入を始めた。
デイズと数名の研究員はもともとこうした目的をもって本部から送られてきていた。アスピナが独断で実験を継続するか、或いは本部の意に沿わぬ形にプログラムを捻じ曲げる危険性もある。■■■■はそうした偏執的な側面を持つ技術研究員の性質を熟知していた。だからこれは、保険だ。アスピナが暴走した場合、制圧部隊と連携し、内側から所員を始末しデータを持ち去る。無論その奪取対象にはアンサング本体も入っている。
デイズはもともと■■■■の実験体だったが、先述の理由に加え、実際にアスピナの研究プログラムを吸収するという意味で異動してきた個体だった。その真実は巧みに隠蔽され、アスピナの所員にすら知らされていなかった。
デイズは所長室から出て、自らも処分作業に入った。全てを自分の手で終わらせるために。そして、その先に向かうために。
如月はベッドの上のバティを見つめ、「その時」が来たことに気付いた。
これからの自分の結末については、もうとっくに覚悟は済んでいる。だが子供達はどうなる? バティはどうなるというのか? 自分には何が起こったっていい。もう自分には研究員達には未来はない。、だが、子供達はどうなるのか。
優秀な実験素体が残っているのなら、きっと■■■■は無碍には扱うまい。バティの症状も、ここより設備のいい医療施設に入れられれば、もっと回復するかもしれない。自分はどうなってもいい。だがバティを無傷で引き渡してその生命を保証して貰えれば。
そうすれば――そうすれば、なんだ。
如月の思考が反転する。
保証して貰えれば、何だ。
バティの病状が幾分か回復したとして、それからどうなる。そうなった後のバティはどうなる。場所を変えただけで実験は続くだろう、いくら身体が治ったとしても何も変わらないだろう。バティはどこにも行けない。他の子供達はどこにも行けない。
如月は思う。そこからさえ自分は目を背けるのか。自分達の都合で彼女らを引きずりまわし、大きな動きに押し流されるまま、最終的にはその最後の結末すら見届けないままに目を閉じ耳を塞ぐのか。
「バティ」
「……ん、なに、おとうさん?」
立ち上がる。少女の小さなちいさな手を取る。今この時ばかりは、その体温のあるがままを確かに感じた。
「一度しか聞かない。お前は、ここを出たいか?」
▼
断続的な銃声が聞こえてくる。
廊下の壁には、腹部を真っ赤に染めた死体が転がっていた。窓のない廊下には死体が昇る蒸気とむせ返るような血臭が充満しており、ジークは思わず立ち止まった。死体を見たことがないわけではない。だが、これほどまでに明確で的確なやり方によって殺された死体を見たのは初めてだ。
その時、また施設のどこかで新たな銃声が響く。今度は近い。ジークは慌てて身を翻し、近くの空き室に身を潜めた。
「クソッ、何が起こってやがる……!?」
わけがわからなかった。突如として遠くから聞こえてきたヘリのローター音が最初で、間を置かずにこれだ。だが事実として目の前に転がっている死体は本物で、まだ体温が残っている身体も臭気を振りまく血も現実のものだ。この施設内でリアルタイムで人が殺されていっている。
ジークは施設の構造を思い出しながら、顔だけを廊下に出して廊下の先に目を凝らした。大きなブーツの足跡が一つ、転々と続いて行っている。血を踏んだのだろう。明らかに廊下の先へ行ったことが分かる
進むか戻るかしかない、一本道の廊下だ。分岐は先にしかない。ジークは腹を決め、死体の血を踏まないようにしながら慎重に歩を進める。その際、死体が何か使えそうなものを持っていないか調べてみた。まだ温かく柔らかかった。吐き気を催す死臭に耐えながらひとしきり探したが、目当てのIDカードは見つからず、見つかったのはメモ帳とペンぐらいだった。
壁伝いに慎重に進み廊下のT字路に差しかかったところ、見た。
真っ黒な人間が一人、分岐点の辺りに立っている。研究員が一人、男の足元でうつ伏せに倒れていた。生きているが、やはり逃げられないように撃たれている。
ザックが見ている中、黒い男が二言三言何か言葉を発し、情報が無いと知るや、無造作にとどめを刺す。点射された銃弾が背中越しに研究員の左胸を貫く。男は何事もなかったように小型の通信機と思しきもので誰かと通信しながらその場を離れた。
男が真っ黒なのは、全面を覆うマスクと黒い戦闘服に身を固めているからだ。テロリストではない。頭からつま先まであんな完璧に装備を固めたテロリストはいない。そして、正規軍でもない。戦闘服に所属を表すエンブレムやロゴの類も一切なかった。
「……クソッ、なんだってんだよ……!」
――バティを、お願いね。
瞬間的に脳裏に蘇るのは、死ぬ前夜のアウラの言葉だった。
バティは医務室にいるはずだ。どうやら歩兵の連中にとってここの研究員は殺害対象のようだが、被験体はどうだ? バティやカルナなど自分以外の個体は、他の研究員は、アンサングは、如月は今どうなっている?
考えると気が急いた。しかし迂闊な動きをするわけにはいかない。ジークはかつて中国の貧民街で盗みを働いた時のような慎重さで、生きている者を探しに歩を進めた。
その最中にいくつもの研究員の死体を見た。清潔に保たれた施設内は今、まるきり様変わりしている。今、リアルタイムで人が死んでいっている。
「――ク、ジーク……!」
ふと、押し殺した声を聞いた。まだ幼い、高い少女の声だ。
場所は元々は職員の詰め所だったであろう広い空き室。ジークは覚えのある声を捉え、反射的にそこに飛び込む。
「オマエ等……!?」
カルナとフィオナが、息を殺してそこにいた。
「おい、コイツは一体何が起きてる?」
「わかりません。ぼく達もなんとかここに隠れられましたけど、大人の人達が死んでるのを何度か……」
少なからず混乱してはいるだろうが、この非常事態で正気を保っているカルナの胆力にジークは舌を巻いた。同時にこの状況下にあってまともに会話できる相手がありがたい。
一方フィオナは、膝を抱えたままがたがた震えている。無理もない。こうした反応の方がむしろ自然だ。
「戦闘服になんのエンブレムも無かった……たぶん本部の私兵部隊です。彼らを見ました?」
「ああ。けどよ、なんで本部の連中がこんなことをする? これで連中に何か得があんのか?」
多分、と前置きし、カルナは答える。
「ライブラリの中に情報があったんですけど、本部はアンサングとは別に新しいISを開発しているみたいです。しかも、各先進国と同じ独自の第三世代ISを。外の情報はぼくらには全然わからないけど、アスピナが何か上に反抗したのかも知れない」
カルナが言い終えるか終えないかのところで、再びどこかから銃声が響いてくる。フィオナが電流を受けたようにびくりと硬直し、怯えて頭を抱え震えだした。庇うように彼女の背に手を回すカルナに、ジークは一番確認しなければならないことを聞いた。
「オレ達を殺すことも連中の目的になってると思うか?」
カルナはしばらく何も発さずに黙った。無論それは彼女も十分に考えていた可能性であり、絶対にないとは言い切れないからこそこうして隠れているのだ。被験体の保護が第一目的なら研究員を虐殺することの説明がつかない。正直、歩兵に見つかってろくなことになるとは思えなかった。ややあって、カルナは声を落として答える。
「――そう、じゃないかも知れない。ぼく、デイズを見たんです」
「……奴を? どこでだ?」
「近くです。北ブロックの実験棟への連絡通路の辺り……デイズは、あの本部の兵士の人達と一緒に歩いてました」
ジークは一瞬、頭の中に空白を差し込まれたような驚きに見舞われる。
「ぼくも最初は見間違いかと思ったけど、間違いありませんでした。だからもしかしたら、あの人達はぼくらを連れて行くつもりなのかも知れない。デイズと同じように」
「本部に、か」
カルナは頷く。彼女の言葉をそのまま鵜呑みにするなら、被験体は殺されないと考えてもいいだろう。だがだからといって歩兵達の前に行っても碌なことになる気がしない。それに本部に連れて行かれた後に何が待っているのかなど知れている。貴重である優秀なIS操縦者をそのまま手放すわけがない。場所を変えただけで、これまでと同等か、あるいはより過酷な実験プログラムが続くに違いない。
とどのつまりは何も変わらないということ。ただしここが始まりだった子供達からすれば、それが良いことなのか悪いことなのかさえ判別しきれずにいる。
「……聞いてもいいか。なら、どうしてお前らは逃げてる?」
「そりゃあ……このまま隠れてたってどうにもならないのはわかります。けど、みんなが気になって、探さなきゃって」
「みんな……?」
「あなたやバティや、フィオナやデイズ。それにドクター。あなたとフィオナには会えたし、デイズが無事だってこともわかりました。けど……特にバティは、あんなことになってるから……」
途端、かなり近い位置で銃声がした。直後に、足音。近付いてくる。
三人の顔が一気に硬直した。ジークは反射的にカルナの口を止め、固まって部屋の隅の辺りにあるデスクに身を隠した。
扉が開く。ジーク達からの位置では見えないが、闖入者は四人だった。歩兵部隊は研究員や被験体に抵抗力など無いことを知り尽くしているから、施設の制圧にも慎重さよりは早さに比重を置いている。いささか大雑把な歩調で室内に押し入り、無線を使ってまた別働隊と連絡を取っている。
三人は息を殺し、その声に耳を澄ました。彼らはどこのブロックを制圧しただとか、どこで有用なデータを回収しただとかいった作戦進行上の報告の応酬を交わし、最後にこう言った。
「ISの所在は?」
IS――間違いなくアンサングのことを指している。彼らの任務のうちにはアンサングの回収も含まれているのだ。連中はアスピナもプロジェクト語られる者(アンサング)も完全に解体するつもりだということを確信した。歩兵は通信端末で仲間と会話を二言三言繰り返し、「こちらの班」の「時間切れ」に留意するべしと――少なくともそう聞こえた――最後に言い残して、切った。
それが何を意味する言葉なのかはわからない。
意味を考える間もなく、続いて聞こえてきた声がジークの思考を塗り潰した。
「アンサングでしたら、私もどこにあるのかわかりませんね。有用なデータは揃ったのですから、ISそのものの優先順位はそう高くないのでは?」
デイズ。
あの平坦で抑揚のない声色は、この施設で何度となく聞いたあの女のものだった。こんな時であっても全く変化がないトーン。それはいいとしても、あの話し方ではまるで、――――まるで、最初から本部の人間だったかのようではないが。
「最悪、この場で廃棄することも想定しておくべきです。下手に持ち去られるよりはそうした方が良いでしょう」
――なるほど、な。そういうことかよ。
デイズの口ぶりからその正体を悟る。声は続く。
「最優先は『B』の回収です。後は使える被験体、私以外だと『C』と『F』ですね。死亡した個体の脳組織などもどこかにあれば、なお良しです。どのみち外へは出られませんから、慌てることもないでしょうが」
歩兵の一人がくぐもった声で応える。
「上からは、あと一人生き残っていると聞いたが」
「『Z』は元々失敗作です。足しにならないこともありませんが、ここで処分しても問題はないかと」
フィオナはもとより、カルナでさえ顔を真っ青になっていた。
彼らは、ジークを殺そうとしている。
「……ジ-ク」
捕獲対象の少女は息を呑み、震える小さな声で、処分の対象にあるジークに答えを求めた。
「合図だ。合図で飛び出せ」
ジークは硬い声で言い放つ。
「デイズの野郎をどうにかするのは後でいい。……不意を付きゃどうにかなる、まずドクターと『あいつ』を探すぞ」
カルナは目を見開いて、ジークを見ていた。
絶望と恐怖に押し潰されるのは今じゃない。やれることならまだある筈だ。歩兵たちが本格的に部屋の中を探り始めた。このままでは数分と待たずに見つかるだろう。ジークはそれに急き立てられるように、二人に言った。一秒でも惜しい。ぐずぐずしていると三人まとめて見つかってしまう。
「無理ですよ、撃たれちゃう……!」
「オレがなんとかする」
「あなたが撃たれちゃうんだ、ぼく達はともかくあいつらはあなたに手加減なんかしないっ」
カルナはもつれるような早口で受け答えし、ジークとフィオナを何度も見比べる。
そしてカルナは、覚悟を決めた。
「ぼくが囮になりますから」
「あぁ……!?」
ジークは呆気に取られ、しかしボビィの顔を一目見てわかった。こいつは、本気だ。
「あいつら、ぼくを殺しはしないはずです。本気で逃げたら注意くらい逸らせる。あなたはその隙に逃げてください、フィオナのことお願いできますか?」
「何言ってんだテメェ、見つかって本気で撒けると思ってんのか!? だいたい、どうしてオレの為にそんな――」
近づいてくる、声が聞こえてしまうような位置に歩兵が来た、
「あなたは、アウラのお墓を作ってくれてた。……信頼してます」
言葉を失う。
カルナが、隙をつくように笑う。いつか見た朗らかな笑み。
「ぼく、行きますから。お願いします」
あと三十秒も無い。カルナは恐怖で体が動かなくなる前に、無理やりにでも飛び出そうとした。もはやそうしなければならない状況にあった。
覚悟を決め、たった一人出て行こうとするカルナの手を、フィーアの手が掴んだ。
「…………私も、いくわ」
フィオナは気付いていたのだ。ボビィの体が、恐怖に震えていることを。
カルナは一瞬、ほんの一瞬だけ泣きそうに顔を歪める。涙の後を残すフィーアは、頑として譲らない目をしていた。
少女の震えは、もう止まっていた。
「ごめん。……ごめん、ごめんね、フィオナ」
カルナはその手を取る。強く、強く握る。
そして最後に、ジークにこう言い残した。
「――バティのこと、泣かせたら怒りますよ」
それが最後だった。
二人が、同時に飛び出した。
逃げる足音。それを追う足音。銃声と、弾丸が壁を砕く音。少女達は必死になり、追い立てられる獣さながらに逃げ出す。
ジークはその音を聞きながら、砕けんばかりに歯を噛み締め、腹を決めた。
立ち上がる。部屋の中は風が吹き抜けたように荒れ、威嚇射撃の銃弾が壁や床を穿っており――しかし今や、他には誰もいなかった。
▼
どれほど歩いただろうか。如月はバティの小さな体を背負い、神経質なほど慎重な足取りで通路を巡っている。
「おとうさんっ? どうしたの、どこ行くの?」
バティはひとたまりもなく怯えている。無理もない。どこかから断続的に聞こえてくる銃声や、ぼやけた視界にちらつく見慣れぬ赤色や鉄錆と火薬の臭いは彼女の不安感を煽り立てるに余りある。バティはそのどれをも知らないのだから。
詳細に説明してやるだけの手間が惜しい。如月は「大丈夫だ」とだけ返し続け、普段使われておらず研究員もいない、つまり歩兵部隊が来る危険性が低い通路ばかりを選んで歩いた。この施設内の構造はすっかり頭に入っている。静間はこれからの行動を必死に組み立てつつ、息を切らしながら、歩行と走行の中間のような速さで連絡通路を移動した。
まずはバティを絶対見つからない場所に隠れさせなければならない。それからバティを待たせて、他の子供達を探す。それから。それから――
見つからず行動することに関して、施設内を把握していることが功を奏した。また、昔人体工学の知識を使って歩兵の装備について多少齧っていたことも好都合となった。如月は何度も抜け道を使い、どこか隠れられる場所はないか、とばかりを考えて歩き、
いつの間にか、そこにいた。
厚い扉の上の表示から、そこが資材倉庫であることがわかった。ここがいいだろう。バティを下ろす。
「バティ、しばらくここに隠れていろ。いいか絶対に出るんじゃないぞ、俺は外に――」
扉を開け、中にあるものを見たとき、驚愕よりは納得が心を支配した。
――そうか。
ここだったのか。
静間はここを知っている。在りし日のアウラから聞いたが、実際に訪れたことは無かった。そんな資格は自分にはないと思っていた。
資材をのけて作り出したスペースに並ぶ、無数の墓標。
ここは、死んだ子供達の墓場だ。
そして、「それ」にはバティが先に気付いた。気づいてしまった。
「……バティ? どうし、」
どうしたも何もあったものかと、その時如月は咄嗟に理解する。
見つけたのだ、バティは。
それは、誰が作ったのかすぐにわかった。そう考えてみるとあっても不思議ではないものでだが、バティにとっては絶対に「あってはならないもの」だった。
ぼやけた視界に広がるものが何であったのか、バティ自身には具体的でなくともわかった筈だ。「見覚えのある光景」によって、封じられていたバティ自身の記憶が違和感を叫び出した筈だ。バティとアウラがこれを作っていた時、墓標は20だったことを。今は、21あることを。不格好な資材の塊が一つ余計にある。21の墓標の中で、一際不器用で一回り大きく、初めて作ったということが一目見て明らかで、造花と共に一枚の紙と一枚の写真が添えられている。
バティは墓標に歩み寄った。よろめく足取りでなんとか辿りつき、しゃがみ込む。
「バティ」
我に返った時、自分がもう取り返しのつかないことになったことに気付く。
「バティ、駄目だ。それを見たらいけない。駄目なんだ、それだけは……それだけは見るな」
力の無い静止がまるで聞こえていないかのように、バティは震える手で墓標に触れ、置かれていた紙に気付く。
そこには、文字がある。サヤは目を凝らす。至近距離でないと文字も見えない。
そこには、名前がある。
「あう……ら?」
たった一枚のたった一人の名前が、バティの中の時間を逆流させた。
「あ」
思い出す。思い出していく。アウラの笑顔も、如月の言葉も、ジークと喧嘩したことも、アンサングの黒も、《末那識》の闇もあの時のアウラも自身の悲痛な言葉も、仮想空間の中でもう一つの意識反応が消えたあの当然のような静けさも。
「ふぅぁ、あ、あ」
事実が明らかになる――アウラを、バティが、その手で殺したことが。
「ぁ――うあ、ぁああ、ああああぁああぁあああああぁあぁああぁああああああぁああぁぁぁぁぁぁぁあぁああぁぁあああっ!!!!」
死にも等しい追想だった。
バティはもう、蘇った記憶に押しつぶされ、何も考えることができなくなっていた。感情が激流となって、細い喉のどこからそんな声が出るのかというほどの金切り声と変わる。白い手の指先が、削るように頭を掻き毟った。爪が剥がれ髪が抜け皮膚が剥がれた。白い頭に赤いものが散らされ始める。骨が浮かぶほど痩せた手が自らの頭を傷付け、脳の奥に刻まれた記憶を必死に掻き出そうとしているようだった。
如月は息を呑んだ。自分は幽霊を見ているのではないかと思った。ここに至り、彼自身もまた、事実という圧力に心を潰されかけていた。
恐らくさっきの声で、奴らに完全に位置が割れた。資材倉庫の出入り口は一つしかない、今更出たところでこちらを調べに来た歩兵と鉢合わせに遭うのが関の山だ。いいから早く逃げろと理性が叫んでいる一方、それがもはや無意味であることも理解していた。
如月の足が勝手に動く。自傷行為を続けるバティの正面にしゃがみ込み、彼女の両腕を掴み取って止めた。バティの痙攣する指には、彼女自身の髪の毛と微量の血が絡み付いていた。
バティは泣いていた。狂気に至るほどの絶望に覆われ、大粒の涙をとめどなく零し、顔をぐちゃぐちゃして泣いていた。
これが、罪だ。何よりはっきりした罪の姿だ。
「バティ。……バティ。許してくれとは、言えない。俺にそんなことを言う資格はない。だが、」
だが。
――ああ、だが。
「すまない……バティ、すまない。……すまない。すまない。すまない、すまない、すまない。すまないっ!!」
この罪は自分のものだと、思う。
ずっと言わなければならなかったことだ。最初からこうしなければいけなかったんだ。最初からこうするべきだったんだ。
終わりが近付いていた。資材置き場の入り口に立った真っ黒な男は、腰にライフルを携えていた。
▼
カルナは通路の壁によりかかり、力なくへたり込んでいる。
もう走れなかった。疲労ではない。全身が痛みで痺れて動けないのだ。
一度見つかってしまった時点で、本気で撒けるなんて最初から思っちゃいない。とはいえ、全力で走ったつもりなのにあっさりと追い付かれ、ご丁寧に動きまで奪われたのはいくらなんでも悔しかった。
目の前に立っているのはデイズだ。歩兵達はその少し後ろに控えている。
カルナの動きを封じたのはデイズだった。ISを部分展開した腕でカルナの体を掴み、力任せに壁に叩きつけたのだ。それは運動能力を奪うというよりこちらの気勢を削ぎもうだめだとわからせる手段なのだろう。それが証拠に、無傷のフィオナは今、逃げようとさえしていなかった。
(きみだけ逃げろって、言ったんだけどなぁ。)
フィオナは頑として聞かなかった。そういうところでの強情さは、カルナ自身が誰よりわかっていることだ。フィオナはカルナの傍にしゃがみ込んで、悲しみと怒りがないまぜになった強い視線を大人たちに向けていた。デイズが口を開いた。
「殺す気はありません。此方に来て頂けますか?」
こんな時でも、平坦で感情のこもらない言葉だった。仕事だからやっているだけでカルナとフィオナの命など心底どうでもいいと思っていることが伝わってきた。
「行くわ」
フィオナが毅然とデイズ達を睨み返しながら、告げる。
「行くから、早くカルナを治して」
カルナは、フィオナのそんな強い声を初めて聞いた。
デイズと歩兵達は一瞬だけ目を合わせるが、そうと決まれば話は早いと歩兵の片割れが一歩踏み出す。もとより最初からそのつもりだったのだろう、ポーチから簡潔な救急セットを取り出し、腹が立つほどの手際の良さでカルナの傷に応急処置を施した。小型のシリジェットで何かの薬品を注射された時、嘘のように痛みが引いた。鎮痛剤か何かだろうか。
カルナとフィオナは殺されない。まだ、十二分に有用だからだ。この処置はあくまで応急的なものであり、早めに然るべき場所で治療を受けるべきだといった意味のことを歩兵が言い、さも当然のことのようにカルナの体をおぶろうとする。しかしカルナはそれを断り、代わりにフィオナの肩を借りて、どうにかこうにか自分達だけの力で立ち、歩いた。
どこへ行くのだろうか――そう思い、カルナは首を振る。
「……他のみんなは? ジークや、ドクターは?」
バティの名を出すことはできなかった。もしも、「もう殺した」と答えられてしまえば自分はもうどうしていいのかわからない。
「ドクターは知りませんが研究員はほぼ『処分』しました。ジークはまだだそうですが、まぁ時間の問題でしょう」
デイズの必要最低限の回答。そこに含まれた単語にカルナとフィオナは震えた。
処分。
処分。
処分。
「どうして。……どうして、そんなことが出来るんだ」
「任務ですから」
ぎり、と歯が軋んだ。
今目の前にいるこいつらが、少なくともこいつらの仲間が「殺った」という事実に頭の中で何かが切れたのが聞こえた。
「だからって! どうして大人はみんなそうなんだっ、上の都合ってのでみんな巻き込んで! あんたら一体何なんだよっ!!」
「カルナ……っ」
驚くフィーアに寄りかかりながら、それでもカルナは止まらなかった。湧き立つ感情をどこかにやらなければ収まりがつかなかった。
どうしてみんな死ななくてはいけなかったのか。
つまるところ、それがNO.03『C』《カルナ》の包み隠さぬ本音だったのかもしれない。
圧倒的な「大人」を前にして自分ではどうしようもなくて、その大人でさえ子供達では理解の及ばぬ「逆らえない何か」に従い動くしかない。こうした幾層もの状況を重ねたところにある「世界」という存在が、カルナにはどうしようもなく恐ろしかった。
今、気付いた。もしかしたらアスピナという悪魔達の揺り篭は、巣立つ前の子供達を守る一つの檻であったのかもしれないと。
口を滑らせたことに気付いたのは、デイズが此方に振り返り、お決まりの無色の微笑みを浮かべたときだった。
フィオナがこちらを庇った。デイズはずいと身を寄せた。何かされる、そう思った。
だが、何もされなかった。
「何だと聞きましたね。私はNO.04『D』《デイズ》、その前の名はディーヴァ、その前の名はB-121654。その前は……失礼、忘れてしまいました」
「……きみは、」
「本部はここよりマシな実験プログラムを敷いています。必ずしも悪い方向に行くとは限りませんよ。……暴れないで下さいね、できれば殺したくないので」
これ以上噛みつける言葉が何も浮かんでこない。
カルナは俯き、心底から悔しそうに声を漏らした。
「……狂ってる……」
「そんなことは、最初から知っています」
律儀にそう返し、デイズは前をただ歩く。
視界が開けたと思った時、カルナとフィオナは夜の風とにおいを感じた。薄汚れた白い服と髪を揺らすのは、回転するヘリのローターが起こす風だった。
そこには、複数の兵士達がいて、見覚えのある研究員達もいた。
データと被験体の回収完了、第一班これより帰還する――右横を歩く歩兵が通信機越しの誰かにそう告げる。
行くしかない。
「……フィオナ」
カルナは自らの身体を支えてくれる少女に声をかけ、精一杯の笑みを向けた。
「ごめんね、ありがとう。……嬉しかった」
「いいよ」
フィーアは笑う。
「カルナと一緒に行くなら、怖くないもの」
少なくとも、これからの二人を待っているのは良い未来では決してないだろう。強い風とフィオナの体温を感じながら、カルナはただ一つ心残りなことを思い返す。
ジークと、バティと、如月。
彼らは――
▼
覚悟していた銃撃は来なかった。
その代わりに如月が見たものは、真横から歩兵に体当たりを仕掛けるジークの姿だった。
何が起こったのか一瞬わからず、如月は目をしばたかせる。二人はもつれ合って廊下に転げ、馬乗りになったジークが上半身を跳ね上げた。その手には何か細長いものを握っていたが、如月の位置からそれは見えない。
捻じ込む。
上半身を突き上げる勢いごと乗せて、ジークは歩兵の顎の下からそれを突き刺していた。中程から折れそれでも強引に刺し貫き、顔面の内部まで穿つそれは完全な致命傷だった。
歩兵の体を貫いたそれは、ジークが研究員の死体から発見した、一本のペンである。
歩兵はしばし痙攣し、それからぐったりと力を失う。ジークが離れるとその場に倒れ伏し、動かなくなった。
「……死んだのか」
如月の問いにジークは首肯だけで答え、動かなくなった歩兵の体を漁る。
――どうせ同じ穴のムジナだ、せいぜい恨めよ。
名も知らない男の死体に心の中でそう告げ、装備をはぎ取った。ライフルとサイドアームの自動式拳銃、二種のマガジンが合計で五つ。拳銃くらいなら撃ったことがある――と思う。過去の記憶は消されているが、体がなんとなく覚えてはいる。
「っ、ごふッ」
何の脈絡もなく込み上げてきて、ジークは床に吐瀉物を吐き出した。
ほとんど何も入っていない胃液がぶちまけられる。驚く如月に目もくれず、ジークは何度かせき込み、腹の奥から出せるものを全て戻して最後に唾を吐いた。ここまで明確に意識的に人を殺したのだ。頭ではわかっていても、本能的な部分が強烈な嫌悪感を示したのだろう。だがもうこれでいい。吹っ切る覚悟はできていた。
「――アイツは?」
「あ、ああ。……今は落ちついてる。だが、ショックが大きすぎたみたいだ」
ジークは歩兵が来た時には既にぴくりとも動かなくなっていた。聞き取れないような小さな声でぶつぶつと何かをつぶやきながら光の無い瞳でアウラの墓をじっと見ている。自傷行為を繰り返していた先ほどまでに比べれば幾分かマシだが、直視し続ける事が出来ないほど痛々しい姿だった。
ジークはしばらく無言でいた。バティを見つめるその瞳には、如月にはない強い意志が込められていた。
「ジーク……。あの墓は、お前が作ったのか?」
「まあ、な。そのせいでコイツが気付いちまったみたいだけどよ」
「いや、いいんだ。アウラもきっとそうして欲しかったろう。――それからここは早く離れた方がいい、通信か何かに応答しないことに他の兵士が気付くかもしれない」
ジークは頷き、ライフルを静間に放り投げた。
「逃げてやる」
そして、いきなりそう言った。
「このまま何もしねぇで殺されるなんて真っ平だ。オレはアイツを連れて逃げる。……なんか手はあるかドクター、アンタは闇雲に逃げてたわけじゃねぇだろ」
「あ、ああ。一つだけ心辺りがある」
「上等だ。じゃあ、当然アンタにも付き合って貰うぜ、ドクター」
「俺も、か?」
「たりめぇだ。アンタだけ先に楽にしてたまるか」
不敵に笑うジーク。
そうだ、自分はここで楽になってはならない、如月自身もそう思っていた。しかし同時に、知っていた。逃げる方法はある。だが逃げた者が安心して逃げ続けられるようにする為には、もう一つの「工夫」が必要であることを。
「まずは、アイツをなんとかしねぇとな」
ジークはそう言うと、ずかずかと歩み寄ってバティの傍に座った。不格好なアウラの墓とバティを見比べ、彼女の両手を躊躇いなく掴み取るジーク。バティは何の反応も見せずぶつぶつと何かを呟いている。それでもバティを見つめるジークの双眸にはなんの迷いも無かった。
「……いいか、良く聞け。ここから逃げる。外へ出て、もう実験も何も無い場所で逃げるんだ。時間がない、早く行くぞ」
ジークは至近距離でバティに、一つ一つ確かめるように言い含めた。今のバティが、言葉の意味をどれほど正しく理解しているのかはわからない。だが、それでもバティはどうにか声でジークを認識した。
「じー……く?」
バティは呆けたような声でジークの名前を、辛うじて聞きとれそうなくらいの声で呟いた。空白のような沈黙が降りる。
バティは、「今」のバティだ。
全てを思い出した。あのアウラの墓に気付き、それをきっかけとして何もかもが蘇ったバティだ。そんなバティの表情が、くしゃりと歪んだ。
「わた、し」
ひくっ、と少女の細い喉が音を立てる。バティが呑み込まざるをえなかった絶望を、体全体が拒否しているのではないかと思えた。
「わたし、ころ、殺したの。あっ、あうら、アウラを、ころ、こ、ころしっ、わた……わたしがっ」
しゃくり上げながら、まるで懺悔のように「殺した」と繰り返すバティ。懸命に言葉を紡ぐたびに声が歪んでいき、言葉は意味を失ってか細い泣き声となった。例え顔は見えずとも、震える吐息は直に伝わる。あの事件について知ってはいる。知ってはいるが、その上で目の前のバティをどう慰めることができるというのだ。
バティの心はもう完全に壊れる一歩前だった。親友のアウラがもういないばかりか、他でもないこの手で殺してしまっていたという事実。『末那識』の暗闇、死んでいった何人もの仲間、取り残されてしまった自分、その全てがバティの小さな体を押し潰してしまいそうなほどの恐怖と絶望に変わる。バティは幼児のように泣いた。ふうふうと喘ぎ忙しなく動く両肩を掴み、ジークはどうにかバティを落ち着かせようと努力した。
「…今は、そのことはいい。今は逃げる事だけ考えろ、話は生き残ってからだ」
バティを落ち着かせ、どうにか此処から動かそうと思い言った言葉だったが、今のバティには逆効果だった。バティは涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、こう言った。
「…よくないよ…だってアウラは、ジークのことが大好きだったんだよ……ジークだってアウラのこと好きだったんでしょ…………だから、ジークだってわたしのことっ!」
「っ」
ジークも離れて見守るしか出来なかった如月も息を呑み、硬直するしかなかった。
バティは知っていたのだ。アウラの想いもジークがつい先日まで自覚することが出来なかった本心も。だからこそ親友を盗られたくなくてジークのことを毛嫌いしていた。暴走事件以降突然ジークに好意的になったのも、捏造された皆がいる記憶の中にその事実が組み込まれていたからなのだろう。
バティから見れば、目の前にいるジークこそが自身の罪の証だった。自分が奪ってしまったあり得たかも知れない未来。自分が奪ってしまった親友の夢。 怨まれて当然であり、憎まれて当たり前だ。許しを乞うこと出来ない。第一、バティ自身が自身を許せるはずがなかった。
「――やだ」
記憶を取り戻した時を遥かに超えるショックがバティを襲っていた。耐え切れるはずがなかった。
「やだっ、やだあっ……もう、やだ、もういい、もうやだよぉっ!」
身を縮こまらせ、気が狂うような叫びをあげるバティ。いや、事実、もう狂いかけていたのかもしれない。ジークはその時、バティが一体何が「もうやだ」で「もういい」のか理解していた。
バティは、生きることに本気で絶望しているのだ。
アウラを殺した。あり得たであろう未来を奪った。カルナいない、フィオナがいない、マリアンがいない、ジュリアスがいない、エルザがいない、ユウナがいない、誰もいない。その事実もさることながら、何よりバティの心を抉るのは、それでもなお自分自身が生きているという現状だ。彼女を苦しめるものは大切なものを失った喪失感であり、取り残されたことへの恐怖であり、そして何よりも自らの身を焦がす強烈な罪悪感だった。
自分自身が生きる価値を見い出せなくなった時、人は本当の意味で絶望する。あるいはそれは、かつていた世界から切り離され、ここではないどこかへ行かなければならなくなった時の痛みか。
重なった。
かつて路地裏で、あの星空を見上げていた自分自身と。
「……ふざけんじゃねえぞ」
ジークは歯を食いしばり、悲しいほど震えるバティの両肩を掴む手に力を込める。
わかっているのだ、何がどうあっても進まなければならないことは。この命がもはや自分達だけのものでないことは。
「ふざけんじゃねえ。じゃあ何か、オマエはここでこのまま黙ってくたばっちまうつもりか? なんだそりゃあ、勝手にテメェの命を自分だけで見限ってんじゃねえぞ! オレとオマエはもう共犯者だ、オマエには生きて貰うぞ、どんなに這いつくばろうが無様だろうが、絶対に生きて貰うぞ!! じゃなきゃ、アイツらのやったことが全部無駄になんだよっ!!」
バティをお願いね、と言い残しアウラは死を覚悟して実験に赴いた。
カルナとフィオナは自分を逃がすために囮になった。そして今、最後の手段が手に届きそうなところにある。自分達だけでは絶対にここまで辿り着けない二人だった。
ただ生きるだけなら、誰にでもできるのだ。
生きることによる意味が、理由が必要だ。誰にだってそうだ。生きて死んだことに対する「答え」が必要だ。ここで死んでいった者達に報いる為にも、だ。
激しく胸を上下させるバティの呼吸が、ふと、止まる。たっぷりと時間をかけて、少女はぽつりと呟いた。
「わたし、は、いきていて、いい、の?」
どこまでも悲しい、絶望に満ちた問いだった。
それに意味を与えよう。この暗闇から抜けよう。無為に命を繋いできた《ジーク》は想う――今度こそ最後まで貫こう。他の全部を引き換えにしても構わない。ここまで生きて、ここまで来た自分自身の存在に意味があるのだとしたら、この時の為にあったのだと。
それでいい。《ジーク》は、その答えを選択する。
細い体を抱き寄せた。そこには体温があった。鼓動があった。呼吸があった。ジークにはそれしか無くて、バティにもまたそれしか無かった。お互いを確実に認識させる為に、ジークは震えるバティの体を強く強く抱き、絞り出すように告げた。
「――一緒に来い。オレと生きろ、《バティ》!」
他には何もない。
《ジーク》と《バティ》が、そこにはいる。
どれほどそうしていただろうか。恐らく、たった十秒ほども無かっただろう。
バティの震えが、止まった。
後編に続く
よもや、文字数制限に引っかかるとは……