さすらいの鉄薊   作:あぱ

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旅立ちの

 

 鼻を突くような焼けこげた匂い。

 焼け焦げた屋敷、名前も彫られていない墓石。

 その前にそっと、あの方の好きだった紫色の花を添える。遠くまで行って摘んできたもので、とうに瑞々しさなどは消え去っていたけれど、それでもきっとあの人は喜んでくれるだろう。

 

「焼かれなければ、庭に沢山植えてあったのだけれど」

 

 ふぅ、と息を吐きながら、未だ焼け焦げた匂いのするその場所をぼーっと眺める。長年仕えた記憶もいずれ朧げなものとなっていくのだろう。それがなんだか寂しい。

 

「……随分と質素な墓だな」

「………あら」

 

 声のした方を振り返る。あの方が生きていた頃、何度も屋敷を訪ねてきた友人の赤い髪の魔女の方が、いつものように不愉快そうな顔で、それでいていつもより何か言いたげな顔をしてそこにいた。

 いつものようにお辞儀をすると、気色悪いと吐き捨ててあの人の墓の前にやってきた。

 

「ただの石じゃないか」

「あまり目立つと壊されそうなので」

「……名前が彫られてないのもそれでか」

「はい」

 

 屋敷の跡地を一通り見渡した後、その方は私をじっと見つめてくる。それが不思議で首を傾げてどうかされましたか、と聞いてみれば呆れたようにため息を吐かれる。

 

「魔女狩りにあって死んだって言うから急いで来てみれば……主人が死んだはずのメイドが、なんかケロッとしてるもんだから」

「あぁ…なるほど」

 

 彼女の言葉にクスっと笑ってしまい、不機嫌そうな眼差しを向けられる。

 

「そうですね……自分でも少し不思議には思っています。もっとこう……慟哭のようなことでもするものだと」

「………まあ魔女の召使いなんざ、大方その辺から拾ってきた人間に無理やり制約を結んだようなやつばっかだし、死んでせいせいしたんだろう」

「あの方はそのようなことはしておられませんよ。……それに、悲しくないわけではありません」

 

 じゃあなんで、と。異議を唱えるように私に言うその表情を見て、自分でも改めて考えてみる。

 

「私の価値観はあの方に作っていただいたものですから……悲しまなくていい、恨まなくていいと、あの方は言ったのです。……だからきっと、そのせいですね」

「主従揃って気色の悪い……あいつもあいつだ。人間なんぞいくらでも殺して逃げられただろうに、なんでむざむざと…」

 

 摘んで来てくれたのだろう一輪の紫色の花を、乱暴に墓に添えてくれる。口では色々言ってはいるけれどそれでも悲しんでくれているのだろう、それが何だか嬉しくて口角が上がってしまう。

 

「人間が大好きだったので、あの方は。人間を近くに置く魔女というのも珍しいのでしょう?」

「気味の悪い趣味してるなとは思ってたよ」

「だから魔女狩りに屋敷の周りを囲まれた時も、あの方は抵抗せずに、私だけを逃して大人しく捕まって………」

 

 あの時の光景を思い出して、言葉が詰まる。

 

 汚れたメイド服の上に質素なローブを羽織って、町の中を駆け回って。

 人の怒号の飛び交っている場所に辿り着いて、民衆の視線が降り注がれているその場所を、私も見て。

 

 磔にされたあの方が、最後まで笑みを浮かべながら足先から焼かれていくのを。その眼が生気を失っていっても、その口元だけは焼けても、焦げても笑っていたことを。

 

 灰となって朽ちていくところまで、私は見た、見届けた。

 

「親に捨てられ、飢えて死ぬだけだった私を拾ってここまで生かしてくれたのは、あの方です。私に作法を、気品を、心を与えてくれたのは私のご主人様です。ただの戯れだったとしても、私を作ってくれたのはあの方という事実は変わらないのです」

 

 だから今だにこのメイド服を脱ぎ捨てられないでいる。

 主人を失ったこの服なんて、ただの布切れにすぎないというのに。

 

「分からないな」

 

 私の言葉に不満げに……今日ここへ来てから機嫌の良かった瞬間なんてなかったけれど、彼女はそう口を挟んだ。

 

「そこまで想っていて、何故そうしていられる。敬愛する主人を失ったメイドが、何故墓の前で笑っていられる」

「……きっと私の悲しむ顔なんて、あの方は見たくないでしょうから」

「死人に意思なんてない!」

 

 胸ぐらを掴まれる。

 憤りをぶつける相手を見つけたかのように、彼女の眼に宿った憎悪が私に向けられる。

 

 見たことのない表情で、向けられたことのない思い。

 

「あいつがどう思うかなんて意味がない。お前が、あたしが、今どう思って、何をしたいかだろう!」

「だから貴女は、あの方を焼いた人間たちを殺しに行くのですか?」

「っ………」

 

 苦虫を悲しめたような表情を浮かべて、私の服から手を離す。

 

「分かりますよ、そのくらい。貴女があの方をどれだけ大切に思っていたかも。……えぇ仰る通り、それは貴女のやりたいことなのでしょうね。きっとそんなことをすれば、あの方は悲しむでしょうから」

「………死人のために生きるのは御免だ。それも自分のくだらない信念のために死んだ奴なんか……あたしはあたしのために、人間どもを殺しに行く」

 

 あくまで復讐ではない。

 自分のために、自分の心のために殺すのだと。

 彼女はそう言っているのだろう。

 

「……私は、その死人のためにこれまで生きてきたのです」

「だから解せない。………何故、恨まずにいられる?お前の全てを奪った奴らを…何故、憎まずにいられる?」

「………」

 

 自分でも驚くくらい、そういう感情が湧いてこない。自分でも分からないのだから、彼女から見れば理解に苦しむのは当然なのだろう。

 

 目を閉じて、あの光景を思い出す。

 チリチリと何かが焼ける音、不快感を感じる匂い。生々しい熱が肌を通して伝わってきて、目を逸らしたくなるような光景を、ずっと目に焼き付けていた。

 

「あの方が最後まで笑っていたのは……私がいたからだと思うのです」

「………自意識過剰」

「かもしれませんね」

 

 引いたようにそう言ってくる彼女に、我ながらどうかとも思いながらクスッと笑って返してしまう。

 

「満足だったんだろうな、って。あの方は不思議な方でしたから、本当は最期に何を思っていたのかは分からないのですが。……それでも笑っていましたから」

 

 人間たちに気味の悪い笑みだと、焼かれながら石を投げ続けられても決して、その笑みを絶やすことはしなかった。

 

「私という人間に傷を残して逝ける………それで満足だったんだろうと、そう思うのです」

「………」

「私にとって、あの方は全てでした」

 

 私の世界にはあの方しかいなかった。

 私の思考の中心にはいつもあの方がいて、何をするにもあの方のことを考えてしまう。

 

 そんな私という人間が生涯癒えないであろう傷を残して逝った。

 

「だから、忘れたくない。たとえ時間があの方の声を、表情を、その全てを朧げにしようとも……刻みつけたい、心の臓にまであの方を」

 

 時間が私からご主人様を奪い去っていくのなら。

 全てを奪い去ろうとも残る傷跡を、私自身に残したい。

 

「私は、ご主人様の価値観で生きたい」

「………価値観?」

「人間を最期まで愛したあの方の思いを、私という人間を形作ってくれたあの方の思いを。あの方という存在を、せめて私という存在が消え去ってしまうまでは残したい」

 

 そうすれば、私の記憶からあの方という存在が全て消え去ってしまっても。私自身に刻まれたあの方の傷跡が、その存在を証明し続けてくれる。

 

「私が、あの方の足跡を刻み続ける」

 

 貴女がその眼を通して見ていた世界を、私も見てみたい。

 

「だから私は人を憎まないのです。……理解はして頂けないでしょうが」

「全くだ、主従揃って頭のネジが外れてる。………マトモなあたしを置いていくなよ」

「ご主人様はきっと貴女のことも想っていたと思いますよ」

「…だといいけどな」

 

 大きな大きなため息をついて、屋敷の残骸に座り込んでしまった。本当に、疲れた表情をしている。

 

「ヤメだヤメだ。お前見てるとなんか全部アホらしくなった、人間なんか殺してもこのモヤモヤが晴れる気しないわ」

「そうですか、それはよかった」

 

 お前なぁ、と。心底呆れた様子で私のことを見てくる。

 

「まあ、一番悲しいはずのお前がそうやって気味の悪い笑みを浮かべ続けてるんだから………私がお前より怒ったって仕方ないだろう」

「自分のために復讐するのではなかったのですか?」

「減らず口はアイツそっくりだよ、本当に」

「それは光栄です」

「付き合ってらんねー」

 

 これまた呆れた様子で。

 しかし笑みを浮かべながら、空を仰いでそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、これからどうするんだ?とりあえずその服は脱いどけよ」

「そうします。………旅に出ようかと」

「…急だな」

「急なことだったもので」

 

 箒に跨って去ろうとする彼女を見送る。

 

「昔あの方が語ってくれた、今までに旅してきた場所。……それを辿ろうと思います。あの方の足跡を確かめに」

「……ま、好きにすりゃいいさ」

 

 ふわっと飛び上がり、私を尻目にどんどん距離を離していく。手をひらひらとさせて私の方を一瞥して。

 

「そういうことなら、いつ駆け込んで来てもいいようにしておくよ」

「……フフッ、ならいつかお伺いしなければなりませんね」

「気長に待ってるよ。………じゃあな、ディステル」

「えぇ、ご機嫌よう、ミクェラ様」

 

 遠く離れていくその姿を、見えなくなるまでずっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よい、しょ……」

 

 瓦礫を除けて、ようやくお目当てのものを探し当てる。茶色の革表紙に金の細工がしてある少し豪華な手帳。

 

「燃えていなくてよかった」

 

 表紙についた汚れを少し手で払い、中に目を通す。特に読めなくなっている場所はなく、見慣れたあの方の字がたくさん刻まれている。

 私と出会う前に旅をしていた時の記録なのだと、そう話してくれた。旅の内容は語ってくれず、私も興味を示さなかったけれど……

 

 これから始める旅は、あの方のことを知るための旅。

 あの方の最期の笑みの意味を………人間に虐げられても、人間を愛し、最後まで笑えていたあの方の真意を知るための旅。

 

 貴女の足跡を辿っていけば、その答えに辿り着けると信じて。

 

 

 

 

「……やっぱり少し焦げ臭いでしょうか」

 

 メイド服を脱いで墓のそばに畳んで、瓦礫の中から焼けずに残っていたあの方の服を着てみたはいいものの……

 

「……まあ、どちらにせよこれしかありませんし、仕方ないでしょう」

 

 買って頂いた私服は探してみたはいいものの、見つかったのは灰ばかり。こんなことになるのならもう少し着ておけばよかったと、今更少しばかり後悔する。

 

 二本のナイフを懐に、今持てるだけの路銀を鞄に。

 

「旅の仕方、なんてものは教えてくださいませんでしたね」

 

 最も、私が旅に出るなんて二人とも考えもしなかったからだと思うけれど。でもきっとあの方もこうやって手探りで旅を始めたと思うから。

 

 

「さて、と」

 

 

 もしかしたら、自分が死んでも私が憎しみに駆り立てられないようにしてくれたのかもしれないなと、屋敷の敷地から一歩踏み出してみてそう感じた。

 旅立つために踏み出したこの一歩が、世界を一変させてしまったように感じて。

 

 この旅路の先に、あの方を忘れてしまう結末ではなく……最後まで理解しきれなかったあの方のことを知る結末が待っていればいいなと、そう願う。

 

「……行ってきます」

 

 瓦礫の山にそう告げて。

 灰と朽ちた骨の埋められた墓にそう告げて。

 

 履き慣れない靴で地面を踏み締めて。

 

 広がってしまった、途方もなく広い世界を見渡しながら。

 

 

 

 

 優しい風が頬を撫でて、髪を揺らして吹き抜けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん〜?んー………」

 

 その不思議そうにしている声が私に向けられていると気づいたのは、ツンツンと頬を突かれてからだった。

 てっきりこのまま腹を空かせて死ぬのだと、この路地裏でひっそりと、傍らで腐っているネズミの死骸のようになるのだと思っていたから。

 

「生きてる……でも誰も気に留める様子なし」

「………」

「あ、これストレスじゃなくて普通に髪が白いのか。道理で……」

 

 顔を覗き込んでくる。

 子供心ながらに、その瞳を見てこの人は人間ではないのだろうと感じていた。それすらもどうでもいいくらいには、気力のない生を送っていたけれど。

 

「うーん、誰も見向きもしない……ということは、誰の所有物でもない?じゃあ、私がもらってもいい、ということでいいのかな?」

 

 そう言って少しの間周囲をキョロキョロと見渡し、まるで声をかけられるのを待っているように振る舞っていた。誰も興味を示さないと分かると、嬉しそうに私の方に向き直した。

 

「良い拾い物が出来た!」

 

 それはもう、心底嬉しそうで、楽しそうに。

 

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