「あ戻ってきた。どこ行ってたんですか〜?」
「少し私用で……何してたんですか?」
「ブローチとか見てて……まあひっくり返るような値段で怖くて逃げ出しちゃったんですけど」
ブローチ……そう言った小物に興味を持ったことはないな。というよりメイドをしていたころはほとんどのものに興味を持つということも……ご主人様はそういえば色々身につけていたような。
あの屋敷を掘り返してみれば何か見つかるだろうか。
「ここ、交易品ばっかりで全部高くて……買ったとして私に似合うようなものなんてなぁ……って。ディステルさんには似合いそうなの沢山ありましたよ?」
「そう…ですか?そういうのあまり考えたことがなくって…」
「えー!せっかくそんなに綺麗なのに……確かに服装はそんなに派手じゃないか」
服はいくつか着替えを持ってはいるけれど、基本的には旅立つ時に着ていたあの方の黒と紫の衣装が入ったロングスカートの……ご主人様って紫色好きだったんだなぁ。
「何か気になるものがあれば一緒に見ましょうか?」
「うーん……いいです別に。旅の邪魔になりそうだし」
「それもそうですね」
馬車のようなものは持っておらず基本的に徒歩の旅路。それも大人の男性もいないので持てる荷物の量も限られる。
「お金あるけど、先々のこと考えると結局出来ることって少ないなあ…」
「向こうのパレードは見に行かないんですか?人が集まっているようですけれど」
「人多いとこ苦手で…」
「分かります…」
私は人が多い場所に行く経験が少なくて、ルルゥさんはそもそも素性を公に出来るものではない。一般人であれば気づかないだろうけれど、用心するに越したことはない。
「それでもまあ……楽しいですよ、こうしていられるの」
「………」
彼女の生い立ちを詳しく聞いたわけではない。それでも普通ではない人生を送ってきたわけではないというのはわかる。
それでも彼女が、あの時の私のようにならずに……こうして、普通の子供の表情をしていられるというのは……
「あ、そろそろラシレアたちの演説?が始まるんじゃないですか?どこだっけ……」
「中央広場の方でしたよ、パレード中なのでまだだとは思いますが……行きますか?」
「行きましょ!先に行ってラシレアのこと前の方で見てやらなくちゃ!」
「同席するだけで特に何かするわけではないと思いますけど……」
「じゃあ私があいつに向かって変顔します」
何故……
「ほらディステルさん行きましょ!」
「………ふぅ」
少し人通りの減った道を小走りで通っていくルルゥさん。
時間はあっという間に過ぎて既に日は傾き始めている。ヴェルデ家の人たちが出てくる頃には日が落ちかけているんじゃないだろうか。
「……魔法」
魔女が扱うとされる不思議な術。魔女の体内には魔力というものを生成する器官があり、魔力を使って彼女たちは魔法を使う。だからその器官を持たない普通の人間には魔法を扱うことはできない。
ただ一つの方法を除いて。
数十年前に起きたとされる津波……それが本当にミリア教団が起こしたものだとしても、それは私の役目ではない。魔女と関係があるのならそれはレプニムスの……アルコス騎士団のすることだから。
「はーやーくぅー!」
「…今行きます!」
ただもし、何かが起こるのなら。
その時は……
かなり海の近い場所に演説の会場はあった、少し走れば1時間くらいで海辺に辿り着けるくらいの近い場所。
ラシレアのお父さんの演説の内容は……すごくつまらない内容だった。なんかこの町の成り立ちがどうとか……昔に起きた津波での被害からどうこうとか話しているけれど退屈で仕方がない。まあこういうので笑えるような面白い話なんかないだろうけど。
隣のディステルさんも興味がないのか他のことを考えてるのか、話をあんまり聞いてる様子ないし。
「……気づいてないかぁ」
演説の後ろで他の従者の人に混ざって静かに立っているラシレアのことをじっと見ているけれど、こっちに気づく様子はない。前の方は確保できたとはいえ他に人がたくさんきて……
遠くの方を見てみれば昨日屋敷に来ていた貴族の人たちも何人か来ているみたい。
きっとこの退屈な時間も大切なことなんだろうと思う。毒を摂取しなければラシレアの体調も良くなるし、あのお父さんもかなりやつれているようには見えるけれど……それでも極端に悪くなるなんてことはないと思う。
その家の人が健在ってことを示すのは大事なことなんだろう。
「………でもやっぱり暇———」
悪寒。
肌を突き刺すような感覚、敵意。全部飲み込んでやるって言うくらいの大きくて……恐ろしいなにか。
「……っ!」
間違いない、私のじゃない魔力を感じるのは初めてだけど分かる。これは魔法だ。
誰かが魔法を使って何かをしようとしてる。どこかは分からないけれどその魔力の感じから分かる敵意。それも相当な規模の———
「……何、あれ」
人混みで振り返って海のある方を見ても、海は見えない。見えないはずなのに。
水平線が見える。
海が、迫り上がっている。
ダメだ、あれはダメなやつだ。
「ディステルさ——」
慌てて伝えようとして手で口を閉じられる。ディステルさんも気づいている、気づいた上で冷静に、私が変なことを口走らないように。
気づけばラシレアのお父さんの声も聞こえなくなっていて、代わりに戸惑いの声が次第に強くなっていっている。
「出来るだけ高いところへ。……あの屋敷の高さなら大丈夫だと思います」
「えっあっ……ディステルさんは!?」
「大丈夫」
大丈夫、わざわざそれだけ言うってことはどう考えても大丈夫じゃない。呼び止めようと、引き留めようとした時には既にするすると人混みを抜けて、どこかへと行ってしまった。
「わっ、ちょっまっ!」
途端に人がパニックに陥って逃げ出し始める、みんな一目散に高台に向かって。町自体は高低差があるから流れると思う、けれど……
「っ〜!ああもう!」
私も走るしかなかった。
息があっという間に切れて、足がもたれてこける。
もっと運動してけばよかったなと、身体の前面にジンジンと響く痛みを感じながら現実逃避気味に思う。
振り返れば、町を飲み込もうとする波。
なんでこうなったのか、なんでああなっているのかなんて考える余裕はなくって、走って逃げようと、逃げようとして。
立ち上がれない自分に気づく。
「……くそっ」
私に気づかず、逃げ惑う人々に踏まれないように身体を小さくする以外にできることがない。
これからだと思っていたのに。
せっかくこれから先を見据えることが出来たと、そう思ったのに。結局こんな風に終わるのなら、期待なんて抱かなくてよかったのに。
諦めたままでよかったのに。
「——え」
「うわ軽っ!」
何かに持ち上げられて背負われて、そのまま海から離れるようにして走っていく。困惑している私のことなんかお構いなしに息を荒くしながら必死に。
「———ルルゥ!?」
「やーいこの引きこもり!運動不足!軟弱者!」
「ハァ!?このっ……なんでここに」
「顔見てやろうかなって思ったらずっこけてたからっ……ひぃっ、走るのきっつい!」
「ちょっ、落ちる落ちる!」
「うっさいしがみついてろ!!」
言われた通りに力一杯腕を回してしがみつく、なにか苦しそうな声が聞こえたけれどお構いなしに力を入れる。
後ろを振り返って、改めて言葉を失う。建物を簡単に飲み込めるほどの波に乗った船が、町に衝突しようとしている。
「これじゃ、どれだけの被害が……」
父は他のみんなはちゃんと逃げられているだろうか。
何を間違ったのだろうか、それとも——
「大丈夫」
無責任な言葉を聞かされる。
「安心なんて出来ないだろうけど、とにかく……きっと何とかなる。そう信じて今は前だけ見てて」
「……貴女は」
「あっ、舌噛まないように」
「……ん」
力強く、私を背負って町を走り抜けていく。
目を閉じて祈る、何も出来ない私に出来るのはそれだけだった。
建物を跳んで、跳んで、スタグさんから聞き出したおおよそのミリア教団の本拠地の場所へと駆ける。町の外れ、大きな崖の中の洞窟に彼らは集まっているらしい。
魔女ではないものの魔法の行使には幾つか制限がある。魔力の生成がかなり遅いこと、魔女本人ほど魔法を上手く扱えないこと。
ミリアというのは恐らく水の魔女。
どういう経緯があったのかは分からないけれど、水の魔女の死後その魔力を生成する器官は教団の中で受け継がれ、スタグさんが捕まってしまいミリア教団がレプニムスに摘発されるきっかけが作られてしまったこのタイミングで力が行使された。
「———崖の上」
町の中で感じられたのは行使された魔法による魔力の気配。魔法を行使している者の居場所までは把握できなかったから、こうして教団の本拠地があると聞いた方角へ建物を飛び移って来たけれど……
船が三、四隻ほどの高さまで打ち上がった波はあと10秒ほどで町に到達してしまうだろう。完全に町の被害を防ぐとまでは行かないか。
「っ!」
突如波から水が巨大な腕のように伸びて来て、跳んで避けた私のいた家を飲み込んでしまった。どうやら勘付かれたらしい。続け様に何度も腕を伸ばしてくるのを建物を壁にしたり大きく跳んで避け続ける。
身体があの水の中に飲み込まれたならあとは窒息死しか待っていない。物理的な干渉は向こうが液体故にあまり効果はないだろう。
「………いや」
もう一本のナイフを取り出そうとして止める。この程度なら避けるのは容易い、ここで使わなければならないほど追い込まれているわけではない。
跳んで、避けて、進む。
それだけでいい、それだけしていれば目的地に着く。無駄な思考はせずにただ急ぐことだけを考えて。
一本のナイフを取り出し崖の壁面へと突き刺す。それを支えにして跳び、その拍子に抜いてまた突き刺す。その繰り返し。
こうして思いっきり身体を動かすのは昔から嫌いじゃない。身体が軽くなったように感じて、何でも出来るような……
ローブを羽織った人物を崖を登った先で見つける。波に飲み込まれない場所を選んだのだろう、随分と高い崖で登るのに苦労させられた。
「何をしている!早く突き落とせッ!!」
他にも武器を持ったのが何人か。こちらに矢を射ってくるのが二人、剣を持って突撃してくるのが二人、水色の結晶のようなものを持って活性化した魔力を漂わせているのがローブの男。
矢を避け、振り下ろされた剣を避け、こめかみにナイフの柄をぶつけて意識を奪う。それを剣を持った二人にする。
「く、来るなッ!」
魔法による水の腕を伸ばしてくるローブの男、声色から焦っているのが伝わってくる。その他には淡い光を放っている握り拳ほどの水色の結晶。あれが魔女の魔力を生み出す器官。
アレを使えば普通の人間でも魔法を使えるようになる。だから…
「フッ———」
水の腕を避けて素早く接近し、低い姿勢から身体ごと捻ってナイフを振り、結晶を握りしめていた左腕を切り落とす。その切り落とした腕から結晶を奪い取って、他の奴らには構わずに崖から飛び降りる。
手に持っているそれから魔力が流れ込んでくるのを感じる。それを手繰るようにして、魔法を使う。
町を飲み込み始めているあの波を、全部引かせるように。
まとめて押し戻すイメージ、瓦礫まではどうにか出来るわけじゃないけれど、これ以上被害が出ないように。
押し戻すついでに、水の腕を作り出してそこに飛び込み崖から飛び降りた勢いを殺して着地する。
「ふぅ……」
波が引いていく。沖から建物はある程度話されていたけれど、それでも建物が飲み込まれて瓦礫が沖から海の上にまで浮かんでいる。
最小限にはとどめたはず。そう自分に言い聞かせて、波が完全に引いて穏やかな海に戻ったのを確認して手に持ったその結晶をナイフで真っ二つに砕いた。魔力と共に結晶の破片が霧散していく。
「……それと」
そのまま教団の本拠地がある方へと歩いて行った。