アカシヤー蔵馬に咲いた花ー 短編   作:hazeleye

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時期は7章直後。


短編13 うたた寝ー蔵馬の胸に眠る花ー

 

午後から降り続いた雨は、いつの間にか止んでいた。

東の窓の向こう、濡れた街の橙色の灯りが、時折ゆらりと揺れているのが、レースのカーテン越しに見える。

 

時計の針は、夜の8時を指している。

それほど遅い時間ではないのに、部屋には静かな眠りの気配が漂っていた。

 

 

ベッドの縁。

そこに座った葵は、いつの間にかこっくり、こっくりと舟を漕ぎ始めていた。

長い睫毛が伏せられ、細い肩がわずかに揺れる。

一輪の花が、静かに風に揺れているようだった。

 

(……珍しいな)

 

その姿を、蔵馬は少し離れた場所から静かに見つめていた。

手元には、魔界から取り寄せた品の包み。

中身を確認する手をふと止め、彼女の気配に意識が向いていた。

 

図書館の静かな片隅で、本のページをめくる途中でうとうとと眠り込む姿なら知っている。

けれど、自分の傍で、こうして気を許して眠り始めるとは。

 

(よほど疲れていたのか……それとも)

 

蔵馬の口唇に、ふっと笑みが浮かんだ。

関係が深まるにつれ、こうして隙を見せてくれる場面が増えてきた。

彼女にとって、自分が安全地帯になっていることを再認識して、体のどこかが音を立てる。

 

温度を含んだ彼の視線。

その奥には、抑えきれない感情と、ほんの少しのいたずら心が潜んでいた。

 

(さて……。どうしたものかな…)

 

花のようなこの人を、このまま眺めていたい。

でも、せっかく会えたのにすぐにこれだ。少し相手をしてほしいと、思わずにはいられない自分もいる。

 

 

蔵馬は包みをそっと棚に収めて、部屋の灯りを落とした。

暗がりにすぐ順応する妖狐の力を秘めた瞳に、ぼんやりとスタンドライトの明かりが浮かぶ。

その薄明かりの中、本棚から読みかけの一冊を取り出し、ベッドに腰を下ろした。

 

――スプリングが、ほんの少しきしむ音。

隣の葵に、その気配は届かない。

首を傾け、相変わらずゆっくりと舟を漕ぐように揺れる彼女。

小さく動く白い髪が、わずかな光を受けてほんのりと淡く輝いている。

 

(本当に……花のようだな)

 

その寝顔を見て、隠しきれない想いが溢れる。

このまま眠らせておくべきか、少しだけ起こしてみるか。

理性と男心の間でさまよいながら、蔵馬は静かに名を呼ぶ。

 

「……葵」

 

中性的で艶のある声。

 

「ん……」

 

葵は、ほとんど寝言のように応えるだけ。

細い肩が小さく揺れている。子どものように無防備で、心の壁がどこにもない。

蔵馬は静かに苦笑し、そっと身を寄せる。

彼女の耳元へ顔を近づけ、わざと声を落として囁いた。

 

「そんなに隙だらけだと、他の妖怪に襲われるよ?」

 

 

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ゆっくりと紡がれる抑揚のある声に、びくりっと小さな肩が跳ねた。

はっと目を開けた葵は、夢と現実の境目にいるような表情で辺りを見回す。

寝ぼけた瞳が何かを探して、ようやく間近にある彼の視線と出会った。

 

「………蔵馬?」

 

掠れた声は、まだ眠りの余韻をまとったまま。

 

「寝不足だった?」

 

彼はそう尋ねながら、相変わらず涼しげな顔で彼女を覗き込む。

お互いの髪が触れそうな距離。

彼の瞳の奥には、言葉にしない労わりの色と、魔性の色が同時に淡く輝く。

 

「……ええ、少し」

 

そう答える声も、まだ現実から遠い。

虚ろな光を宿したままの瞳で、彼女は静かに目の前の男を見上げる。

 

「ここは、安心する?」

 

「……そうね…。安心するわ。蔵馬は、前に、頼ってもいいって言ってくれたから」

 

小さく呟いた彼女に、蔵馬は目を細めた。

もう少し遊び心で追い詰めたいところだったが、この人の素直に自分を信じる様子と、慎ましい甘えに、そんな気も失せてしまう。

薔薇の棘をすべて抜かれたようだった。

 

(……やれやれ。葵は、オレを扱うのがうまいな)

 

蔵馬は予定していた行動を変更した。

今日は彼女の傍にいて、静かに労わりたい――その流れに、しばらく身をおくことを選択した。

 

そっと腕を伸ばして葵の肩を包み込む。

驚かせないように、静かに、迷いのない動作で。

 

「………それじゃあ」

 

蔵馬は、細い肩を抱き寄せ、そのまま自分の膝の上へと導いた。

まだ夢うつつの葵は、視界がゆらりとうごめき、されるがままに従う。

 

軽く、ふわりとした重みが彼の膝に沈む。

トンと、かすかな音。

 

「ここで、寝たらいいよ」

 

 

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囁く声は、柔らかく優しい。

それに応えるように、葵はゆっくりとまぶたを持ち上げる。

デニムの感触と蔵馬の体温、静かに心をくすぐる涼やかな匂いに更にほどけていく。

葵の大きな瞳が虚ろな光を映し、ぼんやりと彼を見上げる。

 

その視線の先には、深い双眸で彼女を抱きしめる蔵馬がいた。

表情を緩めながら、花色の滑らかな髪を触れる。

 

「こうしている時は、隙のある君でいていいから……」

 

「蔵馬は……眠らないの?」

 

葵は疑問に思ったことを、素直に口にした。

 

「……うん。オレはもう少し、ここで本を読みたいんだ」

 

そう言って、彼は右手に持った本を見せた。 

葵はふわりと微笑んで、体の力を抜いて彼の膝に身を預けた。

 

「あなたの膝の上は、温かいわね……」

 

ぽつりと零れた呟き。

ほんのりと漂う声が、蔵馬の胸の奥をくすぐった。

 

(優しい匂い……。落ち着くわ…)

 

象牙色の髪が彼の脚に流れ、甘い花の香りを運んでくる。

懐かしく、どこか儚い匂い。

 

 

しばらくして、か細い寝息が耳元に届く。

花が夜の静けさの中でそっと息をしている。そんな錯覚すら覚えるほどだった。

 

蔵馬は左手を伸ばし、そっと彼女の額に触れた。

随分とひんやりとした感触に、わずかに指先が反応する。

 

(……冷たい…?)

 

 

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窓の外も室内も、寒さを感じる空気ではない。

何気なく触れたはずなのに、その冷たさから胸に違和感という波がたつ。

夜の花が、朝日が昇るまでじっと蕾を閉じているようだが――。

 

本を脇に置くと、蔵馬は彼女の全身を観察した。

体に透けているところはないか、密かに怪我をしていないか、どこか患っていないか。

この人は、自分の体の変化に気づきにくいから。

 

(……考えすぎか…)

 

いつもより彼女の肌が冷たいだけ。けれど、不安はすぐには消えない。

葵は肩を小さく丸めている。

その体に、蔵馬はそっとベージュのブランケットを掛け、包み込んだ。

 

 

部屋には静けさが満ちている。

壁掛け時計の秒針の音が、やけにくっきりと耳に届く。

 

(……葵は、花そのものだな)

 

自然と、そんな言葉が立ち上がる。

花も眠る。昼は光を浴び、夜には静かに、根から命を吸い上げる。

葵の眠りも同じかもしれないと、根拠のない考えが脳裏をかすめた。

 

 

遠くで濡れた木々が風を受けて葉を揺らす音がして、思考はそこで止まる。

蔵馬は再び本を手に取り、ゆっくりとページをめくった。

膝の上の葵は、かすかな寝息を立てたまま、微動だにしない。

その体温と重みを確かめながら、言葉の海に意識の片割れを沈めていった。

――残りは、本の活字よりも、彼女の静かな呼吸のほうに耳を傾けながら。

 

本なんて、今はそれほど重要じゃない。

ページを開きはするが、左脳的に言語を理解する機能はあまり働かず、右脳で膝の上にいる彼女を感じることが優先される。

 

葵の寝息が、花のように小さく揺れていた。

花は夜に育つ。

眠りが彼女の命を支えているのなら、己はこうしてあればいい。

 

そんな想いを胸に沈めて、蔵馬は活字を追うことを再開した。

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

葵の温もりと重みに意識を預けながら、ふと、時間の流れに耳を澄ませる。

時計の針が、静かに進んでいる音。

その音に気づいたときには、いつの間にか9時を過ぎていた。

 

薄明かりのもと、蔵馬がそっと指先で触れていた葵の頬が、ようやくほんのりと温かさを取り戻している。

 

(やっと……戻ったな)

 

彼は静かに本を閉じて、ローテーブルの上に置いた。

柔らかな音とともにページが合わさり、部屋の静寂が深くなる。

 

視線を落とすと、膝に眠る葵の寝顔がある。

冷たかった頬にほんのりと赤みがさし、穏やかな寝息が耳に心地よい。

透明感のある肌は、どこかこの世のものとは思えない、微かな気配。

花びらのように、触れれば散ってしまうのではないかと思うほど。

けれど、彼にとって好ましい手触りだった。

 

そのかすかな重みと熱が、確かに彼の膝に存在している。

 

(よく、寝ているな……)

 

今日の彼女は、いつも以上に疲れているようだった。

魔界での暮らしは聞いているが、自ら進んで普段の様子を話すことはほとんどない。

自分の知らないところで、何かを抱えているように感じることもある。

 

それさえも彼女の一部として受け止め見守っているが、胸の奥に、言葉にならない小さな疑問が時々芽生える。

 

彼の深い眼差しの中で、葵は眠ったまま微かに身じろぎした。

 

(……このままでも悪くないが)

 

蔵馬はふっと短く息を吐くと、ブランケットを少しずらした。

彼女の腕を片方ずつ丁寧に持ち上げながら、ゆっくりと紺色の籠手を外した。

白い腕があらわになる。

――それでも葵は起きない。

 

次いで、そっと両腕を彼女の体の下に差し入れる。驚くほど軽やかで、彼の腕の中にすっぽりと収まる。

そのまま静かに立ち上がり、ベッドの中心へと運ぶ。

足音すら立てず、空気の揺らぎさえ抑えるように、そっと布団をめくる。

そして葵を横たえる。

結い紐を外すと、白い髪が枕にふわりと広がり、薄い口唇からほっと息が漏れた。

 

「……。」

 

一瞬芽生えた欲求を胸の奥底に閉じ込めるように、蔵馬はベッドからおりた。

手早く着替えを済ませて、灯りを落とす。

青白い夜の光の中、彼の双眸が葵を見つめて煌めく。

 

そしてそっと隣に身を滑り込ませる。

伸ばした腕で葵の肩を抱き寄せ、背中に自分の手を重ねる。

ゆっくりとした鼓動が、手のひらに響く。

心地よい振動に、蔵馬の心臓が同じリズムを刻むようだった。

手で、肌で、胸で、全身で彼女の生を確認する。

 

 

(……可愛いな)

 

思わず零れた密かな独り言。

蔵馬は、ふっと静かに目元を緩めた。

幼い無防備さと、女性らしさが、絶妙に同居するこの寝顔。

それを独り占めしているという充足感――人間らしい経験だった。

 

 

蔵馬は、他の誰にも聞かせたことのない声で囁く。

 

「……おやすみ、葵」

 

(夢の中でも、君を探してしまうかもしれない……)

 

それは、ほんの戯言のようで。心の底からこぼれた想い。

 

静かな息づかいとともに、言葉を閉じる。そして彼女を胸の中に引き寄せた。

葵は気づく様子もなく、ただ安心して眠り続ける。

 

(何度でも、君が望むなら……この手で護ろう)

 

あとどれだけ共にいられるか、保証はない。

それは、葵の儚さも蔵馬の妖怪としての戦うも含めて。

いずれ手放すときが来るとしても、それまではこの一秒を共にありたい。

 

指先に感じる柔らかな髪の感触。胸に触れる、か細い寝息。

その確かなぬくもりを感じながら、蔵馬は静かに目を閉じた。

 

時計の針が静かに進む。

二人だけの、深く、長い夜が静かに降りていく。

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

かすかな朝の気配の中で、葵が小さく身じろぎした。

微かな寝息が止まる。まぶたの奥で、ゆっくりと意識の光が動きはじめる。

 

(……ここは……?)

 

そっと目が開いた。

見慣れた天井、やわらかな香り。

温かい――首の下と肩に感じる心地よい熱源。

 

次第に思い出す。

昨夜、蔵馬の部屋に来て、夜のうちに帰るつもりだったことを。

 

「……あれ……?」

 

小さく声を漏らしながら、上半身をゆっくり起こす。

しなやかな象牙色の髪が肩から胸元に流れ落ち、首筋に触れた。

 

 

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目の前には、朝の柔らかな光を帯びた蔵馬の姿があった。

布団の上に体を預け、彼女の方に顔を向けている。

 

(……蔵馬)

 

起こさないように、ベッドから降りて窓から出ていこうと思っていたときだった。

気配が変わった。

彼は、静かに薄く目を開いた。

深い湖の底のような瞳が葵を映す。そして、静かに微笑んだ。

 

「……おはよう。ずいぶんと、気持ちよさそうに寝てたね」

 

飄々と、いつもと変わらぬ軽やかさをたたえた面立ち。

けれど、その奥には柔かい温度が滲んでいる。

 

葵はぼんやりと彼を見つめる。

まだ夢の続きかと思うほど、少し呆然とした表情で。

 

「……私……帰るつもりだったのに……。あのまま寝てしまったのね」

 

ぽつりとこぼれる言葉。

自分でも信じられないというように、まぶたを二、三度ゆっくりと瞬く。

 

蔵馬はふっと息を吐いた。

 

「あんなによく寝てたから、起こすこともできなかったよ」

 

少しからかうようでいて、優しい声音。

葵は目を伏せて、蔵馬が予想しないことを呟いた。

 

「昨日、飛影に……依頼品を渡しに行く予定だったの」

 

その言葉に、一瞬、彼は目をわずかに細めた。すぐにいつもの表情に戻り、淡々と答えた。

 

「……なんだ。それを気にしていたのか」

 

「寝てしまって、忘れてたの……」

 

「……まあ、飛影なら、山の上で一晩くらい平気だろう」

 

「……え?」

 

「フ。冗談だよ。彼なら心配いらないよ。この後行くといい」

 

答えながら、蔵馬は静かに上体を起こす。そして改めて葵を観る。

彼の言葉に少し驚きながらも、今後の行動を考えている表情は平常通り。

顔色、呼吸、妖気の状態など――昨夜より安定している。

彼に抜かりはない。

 

 

「ありがとう。そうするわ」

 

葵はベッドから降りようと体を動かすと、視界の端に揺れる自分の髪。

ようやく髪を下ろしていることに気づく。

部屋全体を見渡して、結い紐を探す。

彼の枕元近くに置かれているのを発見し、手を伸ばした。

 

そこで蔵馬は動く。その腕を引き寄せ、彼女の体を胸に収めた。

葵は小さく息をのみながらも、すぐに体を預けた。

しばらく柔らかい温度と、お互いの香りを深く感じる。

 

朝の穏やかな時間が流れていく。

やがて彼は口を開いた。

 

「いつでも……君が来たいときに、ここに来たらいいよ」

 

それを合図に、葵の視線が上がる。深い双眸と出会い、彼女は頷きながら微笑んだ。

 

「……ええ」

 

 




AI画像生成で籠手を描くと画質が下がるので断念中。
書いてて楽しかった回です。

次回より、アカシヤ本編の更新に戻ります。15章突入です。
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