アカシヤー蔵馬に咲いた花ー 短編   作:hazeleye

14 / 14
久しぶりの更新です。
マイペースに進めております。

次回は本編16章の予定です。温かい目でお待ちいただければ幸いです。

時系列は12章あたり。



短編14 愛と欲望が前に出ても

 

気づけば蔵馬は、葵を自室の壁際へと導いていた。

 

――無意識だった。

足音はほとんど響かず、影のような動きだった。

少し冷えた宵闇の空気の中で、彼の指がするりと葵の指へ絡みつく。

絡め取るというより、滑らかに馴染むような仕草。

やがてその手を持ち上げ、壁へと触れさせる。

 

『どこにも逃がさない』

 

言葉はないのに、彼の行動が、瞳が雄弁に物語っていた。

そこに潜むのは愛ゆえの欲望。そして静かで繊細な優しさ。触れれば、壊れてしまいそうなほどに。

 

間近にある葵の瞳を、蔵馬は射るように見下ろした。

深い湖の底の光を宿したその眼差しは、いつもと変わらない冷静さを装っていた。

でも奥底では……確かに、熱が潜んでいる。燃え盛り、抑えきれぬもの。

 

「……葵」

 

低く、吐息に混じる声。

耳の奥をくすぐるその響きは甘やかで、切なく、そして抗えない熱を含んでいた。

声を発するだけで、胸を焦がすような危うさが深まる。

 

葵はその声にわずかに肩を震わせ、そして導かれるように瞼を閉じた。

それは、合図。ただの沈黙が、彼女の答えだった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

その小さな承諾に、蔵馬は息を呑む。

彼の中のどこかが揺れて、音もなく胸の奥がほどけていく。

その合図で、彼は一段境界を超えた。

 

 

花びらのように柔らかな口唇へ、彼は吸い寄せられるように触れた。

その感触はあまりに細やかで、触れた途端、長きにわたって抑えていた堰が静かに切れる。内側から押し寄せるのは、止めようのない激流。

 

最初の口づけは慎重で、薄氷を踏むように柔らかい。

だが、時間とともに熱が増していく。

舌先が葵の口唇をなぞり、その柔らかな輪郭を確かめるように触れた。

彼女が小さく声を漏らし、体がわずかに震えたのを感じたとき。

蔵馬は、普段なら抑える欲へ、いつもより大きく行動権を渡した。

 

動きが変わった。冷静な熱から、明確な熱へ。

口唇を吸い、ついばみ、絡め──そのすべてに、彼の抑えきれない、飢えるような想いがにじむ。

 

もっと欲しい。もっと深く触れたい。

それは誠実かつ、燃えるような渇望。心の奥底から、ただ一人を求めるもの。

 

葵の足が小さく揺らぎ、体の重心が崩れた瞬間。

蔵馬は即座に左手で腰を抱き寄せ、支えた。

その腕の力には、彼女をこの胸から離すまいとする、剥き出しの熱が宿っていた。

 

「……っ……あ……」

 

小さな吐息が漏れる。その音が彼の耳に届いた瞬間、蔵馬の呼吸も乱れ始める。

 

口唇を一度離すと、葵の足元から力が抜ける。

──床に触れる寸前、彼はその身を抱きとめるようにして包み込んだ。

酔芙蓉の香りが鼻先をかすめ、甘く残酷なまでに彼の本能を揺さぶる。

 

そのまま、彼女を支えながら、再び口唇を重ねる。

今度はさらに深く、甘く、炎が静かに燃え広がるような熱。

 

彼の舌が彼女の中に入り込み、探るように、確かめるように動く。

獲物を逃さぬ妖狐の本能を思わせる攻め。

普段の穏やかさとは違う、彼の一つの側面。

妖しくも品のある好戦的な愛情が、惜しげもなく葵に与えられていく。

 

どれほどそうしていただろう。

ようやく、蔵馬は名残惜しげに葵の上唇を吸い、ゆるやかに口づけをほどいた。

 

 

夜の静けさが戻る。

吐息だけが彼の部屋に響き、ひんやりとした壁に淡く反射する。

蔵馬の呼吸は乱れていた。目の奥に宿るのは、渇望と驚き、そして彼女を自分の欲で飲み込んでいないかの確認だった。

 

葵を抱く腕の温度が、そのまま彼の揺らぎを伝えていた。

 

口唇が離れた瞬間、葵の胸は大きく上下していた。

自分の呼吸音と鼓動が、やけに大きく聞こえる。頬は熱を帯び、指先まで痺れるように震えていた。

 

(こんなふうに、強く求められるなんて……)

 

初めてだった。驚きや戸惑いもある。けれど、恐れはなかった。

 

彼が抱く熱は、ただの衝動ではない。葵はそれを直感でわかっていた。

彼の中にある愛ゆえの欲望と、妖狐としての本能。

その多面性のはざまで揺れながらも、彼女に向けられた想いは、偽りなくまっすぐだった。

 

その激しさに、まだ生まれて間もない心は追いつかない。

経験のない身体反応に、どう応えればいいのか分からない。

けれど、拒む理由もまた見つからなかった。

 

彼の瞳に映る自分を見てしまえば、それだけで答えは決まってしまう。

怖さよりも、安堵があった。

圧倒されながらも、不思議と胸の奥は静かに温かく満たされていく。

 

「……く、蔵馬……」

 

かすれた声が自然に零れ落ちる。

目の前の男を呼ぶ声に、自分でも驚いた。まるですがるような、甘えるような響き。

こんな自分を、初めて知った。

 

 

彼の腕に包まれながら、葵は悟る。

 

――これは、試されているんじゃない。

ただ、彼が彼である証を、全身で示されているのだと。

 

そして、その証を恐れることなく体験すること。

それが、今の自分にできることだと感じた。

 

 

少しずつ冷静になった蔵馬は、興奮と熱を冷ましていた。

目の前の葵は、浅く震える呼吸を整えながら、夢の途中に迷い込んだような瞳で彼を見上げていた。

その瞳の奥には、彼が与えた淡い熱を宿している。

 

ほんの先ほどまで触れていた口唇は、熟れた果実のように赤く染まり、わずかに腫れて艶を帯びていた。その姿が、彼の体を締めつける。

 

(……やりすぎだ)

 

その思いは冷や水のように、胸の奥底に浸透していく。

欲望に任せた自分の振る舞いが、彼女の心を怯えさせはしなかったか。

その不安が、鉛のように重く沈む。

 

「……すまない、葵。止まらなかった……」

 

吐息の混じる声はかすれ、普段の彼には似つかわしくないほど弱さを感じた。

葵は瞬きをひとつしてから、ふっと微笑んだ。そして小さく首を振る。

 

「……ええ。少し驚いたわ」

 

その一言に、蔵馬の張り詰めていた心は、解かれた糸のように緩んだ。

胸に広がるのは、穏やかな温度。

 

彼女を傷つけたくはない。

それでも、どうしても、この手で抱き寄せ、触れずにはいられなかった。

 

――抗いがたく、美しく、そして何よりも欲してしまう存在だから。

 

蔵馬は、まだ腕の中にある葵の体を、そっと引き寄せたまま、動かなかった。

この余韻に息を潜めなければ、今見ている光景も、感じている温もりも、すべて霧散してしまうかのようで。

 

 

二人の間に沈黙が続く。

互いの呼吸音だけが静かに重なり、まだ熱の残る空間を静かに満たしていた。

 

蔵馬は葵の髪に頬を寄せる。微かに甘く、どこか懐かしい花の香り。

夜気で少し冷えたその髪は、指の間にさらさらと流れ落ち、柔らかな手触りが心の奥の硬さをひとつずつ溶かしていく。

手先でその髪をそっとすくい取り、途切れることなく撫で続けていた。

 

葵を……傷つけたくはなかったのに。

 

その思いがふと甦り、彼はゆっくりと腕をほどく。

距離を取り切ることはできなくて、蔵馬は彼女の顔を両手で包み込む。

葵は何も言わず、ただ静かに彼を見つめ返した。

 

 

【挿絵表示】

 

 

――この人は、それでも変わらない。

 

蔵馬は視線を伏せ、そっと彼女の口唇に目を落とす。

先ほどまで、自分が熱に浮かされたように求め続けた場所。

わずかに赤みを増し、触れれば再び痛むかもしれないほど繊細に見えた。

 

「……ごめん、葵」

 

静かに、もう一度だけ告げる。

謝罪の中に、どうしても止めることができなかった渇望が内包している。

 

葵のまつ毛がわずかに揺れ、その目は彼を受け止め続けていた。

言葉以上の答えとなって、彼の胸に深く沁みていく。

 

(……オレは、これほどまでに、葵を……)

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。