アカシヤー蔵馬に咲いた花ー 短編   作:hazeleye

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時系列は、5章終了後~6章の間。
アカシア本編をお読み頂いてから、ご覧いただくと蔵馬の内面の理解が深まると思います。

本編→https://syosetu.org/novel/375741/


この愛は共鳴ー蔵馬は恋を語らずに恋を交わすー

今なら、はっきりとわかる。

あのとき、葵の何気ない言葉が、心の奥底にそっと落ちて、そこから静かに波紋が広がっていったことを。

 

これは、蔵馬が「彼女に恋している」と気づいた頃の、静かに芽吹いた記憶のひとつ。

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

「そういえば、蔵馬って結婚しているの?」

 

ふとした言葉に、蔵馬は軽く目を見開いた。

いつも整っているはずの表情が瞬間的に固まり、無防備にさらされる。

気づかぬほどの「一瞬の隙」。

しかし、自分ではその揺らぎを否応なしに感じていた。

 

時刻は休日の午前10時過ぎ。

穏やかな陽射しが彼の部屋のレースのカーテンを透かして、柔らかな光の帯を床に描いていた。

微かな風が入り込み、さらりとカーテンを揺らす音が、いつもより大きく聞こえた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

(……また、不意を突かれたな)

 

たった今まで、向かい合ってにこやかに何気ない話をしていたはずなのに。  

目の前の葵は、何でもないことを聞くように、花のような微笑みを浮かべている。

問いかけに裏はなく、意図もなく、ただ思いついたまま口にしたのだとわかる。

 

それが、逆に蔵馬の胸をざわめかせた。

思いもよらぬほど深く。

 

「……葵。またいきなりだね」  

 

ほんのわずかに息を含ませた声は、落ち着いていたが、心は波打っていた。

 

(オレはまた、理性を試されてるのか……。いや、きっと彼女にそんなつもりはない)

 

その無邪気さ、無垢さにこそ、蔵馬はしばしば打ちのめされる。

それこそ、魔界の雷に打たれるような鋭く痺れる衝撃だった。

 

葵はただ、自分の中の「なぜ?」に素直なだけ。

少し首をかしげ、目を瞬き、クッションの上に座りながらこちらを見上げている。

その何気ない問いと仕草が、徐々に蔵馬の胸にかすかな熱を宿す。

試されているというよりも、理性がもろくなることを許されているような気配も感じる。

 

「あ、そうよね。少しプライベートな話を聞いて、ごめんなさい」  

 

「いや……かまわないよ」  

 

苦笑をまじえながら言葉を返す。

たしかに意表を突かれたが、こうして彼女に問いかけられることが嫌なわけではない。

 

「君は、どうしてそれを聞こうと思ったの?」

 

「霊界図書館で読んだ本に書いてあったんだけど……」

 

その答えに、蔵馬は胸の奥でさざ波が落ち着いていくのを感じた。

ではどんな言葉なら、落ち着かないのかなんて、追いかける必要もなかった。

 

「結婚して二人で共に歩むことで、自身の不完全さが補い合えると感じる傾向があると書いてあったの。あなたは、何千年も生きているでしょう? 結婚の経験があったら、聞いてみたかったの」

 

その瞳には、曇りも打算もない。ただ真っすぐに知を求める目だった。

 

「……なるほどね」  

 

蔵馬は少しだけ視線を逸らし、部屋の外を見つめた。

彼女の瞳と同じような澄んだ青空と目が合う。どこまでも広がり、雲一つない。

 

(……この心の揺れも、彼女の無垢さゆえだろうか)

 

「オレは、結婚の経験はないよ」

 

卓越した感情制御能力で、淡々と言葉を紡いだ。

自分の心の内にある名前の付いた感情を、まだ表に出す時期じゃない。

この感情は、言葉にしてしまえば崩れそうな程、繊細だから。

蔵馬は、もう少しだけ、この心を静かに大切に、育てていたかった。

 

机の上の読みかけの書物が、風によりページがめくられ、さらりと乾いた紙の音が静かに響いた。空気が微かに流れ、カーテンの影がゆるやかに揺れる。

蔵馬の視線が葵に戻る前に、彼女は言葉をつづけた。

 

「霊界の常識かと思って、人間界や魔界の物語や本も読んでみたの。そうしたら、確かに二人でいることで、一人のときには持てなかった強さや、安心が生まれると書かれたものが多いと感じたわ。そのことが必ずしも、不完全さを補い合うことを指しているわけではないと思うけど」

 

蔵馬はゆっくりと視線を彼女に戻した。

微かに首を傾げるその様子は、咲きかけの花が光を仰ぐようだった。

 

一冊の本を鵜呑みにせず、人間界と魔界の情報からも多角的に考えているところに、彼女の賢さを改めて感じた。

齢2歳ほどの彼女は、精神性においてはかなり成熟した魂をもつ。彼女は何でも受け入れる無邪気さで在りながら、本質を突く言葉を選ぶ。

 

「あなたは、結婚して二人で共に歩むことで、自身の不完全さが補い合えると思う?」

 

「そうだな……」

 

問いが、静かに空気を振るわせる。

蔵馬はわずかに目を伏せ、考えるふりをした。

本当は、答えはとっくに決まっている。

けれど、今すぐにそれを言葉にしてしまうのは惜しい。

ほんの少し、この心の揺れを楽しんでいたかった。

 

「……その思想は理解できる。ただ、オレはそう思わない」

 

答える声は穏やかで、どこか楽しんでいるようにも聞こえた。

彼は口元に手を置いた。

 

心の奥で、彼は静かに葵との時間を思い返していた。

足りないから惹かれたんじゃない。欠けていたから欲しかったわけでもない。  

彼女と関わることで、自分の中に生まれる「揺れ」そのものが、蔵馬にとって新しい命の芽吹きのようだった。

 

葵という存在は、蔵馬の論理にも、知識にも収まらない。  

見事に計算外。予想外。コントロール不能の人。  

けれど、その逸脱が、こんなにも愛おしいと感じる。  

彼女は蔵馬にとって、「補完」ではなく、「共鳴」だった。  

音叉のように、自分の深層に触れて、凜と鳴らしてくる。

 

 

部屋の中に優しい沈黙が広がった。

家の外の通りを車が走る音や、人の声がかすかに聞こえる。

やがて、また葵の潤いのある声が響いた。

 

「あなたは、どう思う?」  

 

再び、小首を傾げた彼女の瞳が、まっすぐにこちらを見つめている。

蔵馬はふっと微笑むと、手を降ろして葵に視線を流す。そしてその顔を覗き込んだ。

 

「……当ててみて」

 

「あら。あなたの深い思考を、私が推測して当てるの?」

 

「うん。君がオレのことをどう思ってるか、知りたくなった」

 

それは葵の感性への信頼と好奇心。

その口から、どんな言葉が生まれるのか楽しみでならない。

 

「ふふ。そうねぇ……」  

 

葵は小さく口唇に指をあてて、考えはじめた。  

細く整った眉がわずかに動き、目が楽しげに細められる。

 

 

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その仕草ひとつにも、蔵馬の胸は不意に高鳴る。

 

(やれやれ……。オレはどこまで試されてるんだろう)  

 

でも、悪くない。

蔵馬は愛しさを包み隠すために、口元に手をやる。

心の奥底で、何かが静かに脈打っている。

それは、今まで理性で幾度となく抑え込んできた、制御不能なほどの感情の揺れ。

 

今はもう、その波に逆らう気にはなれなかった。むしろ、この心地よい揺れに全身を預けてしまいたいと、願っている自分がいた。

数千年の生で培ってきたはずの冷静さや、万事において損得を計算する思考は、彼女の前では無力に等しい。

 

そんな「理性の敗北」を、彼は今、心の底から自然だと感じている。

葵との関係性の中で、蔵馬が初めて知る何よりも幸福な敗北だった。

 

 

 

「感じることをやめない、かしら?」

 

「え?」

 

この男らしくなく、無意識に反応してつい言葉が出た。言った直後に内心で驚く。

こんなにも無防備に反応するなんて。

 

しかし、その原因を問い直す間もなく、葵の声が静かに降りてきた。

水面に花びらが一枚落ちるように、さざ波を立てながら。

 

「抽象的な言い方になったわね。これは結婚というよりも、あなたが相手を想い、傍らにいる理由になると思うわ」

 

「……ああ」

 

まっすぐな瞳は、星を宿したように輝いている。

その透明感のある光の中に、蔵馬は自分を見た。

 

窓際のレースのカーテンが揺れる。まるで自分の心と同調しているようだった。

 

「今まで蔵馬と接してきて、あなたが自分の不完全さを補うために、誰かを求めているようには見えないの」

 

すらすらと淀みなく流れるように、その小さな口元から豊かな言葉が生まれていく。

潤いのある声は、彼の耳を震わせ、心の奥底に染み渡り、静かな波紋がどんどんと広がる。

 

蔵馬はその深い眼差しで彼女を包み込みながら、言葉の続きを待った。

この人の感性を味わいたいと、胸の奥が疼いている。

 

「あなたはむしろ、整っていた自分を超えるために、人間としての豊かな心を感じながら、想いを寄せる相手の傍らにいることを選んだ。だから『感じることをやめない』。そう言葉になったんだと思うわ」

 

「……。」

 

「これは私の主観だから、合っていても、外れていても、気にしないで」

 

言葉はしなやかで、芯があった。

彼女が感じたままの真実に対して、蔵馬は瞼を閉じて、しばし返す言葉を探した。

その声が、自分の中のどこまで届いているのかを見極めようとするように。

けれど、それより先に胸に広がったのは、驚きでも、戸惑いでもなく、温かな静けさだった。

 

葵の言葉は、蔵馬の想いを当てる当てないの領域を超えていた。

自分の中には、すでにそれに近い自覚があって、彼女を通して明確な輪郭が見えてきた。

彼は背筋を伸ばして、改めて目の前の人に向き直った。

深い湖の底のような瞳が開かれる。

 

 

「……確かに、今のオレは足りないものを、誰かで埋めようと思っていない。それを求めたら、どこまでも依存になる。それでは、本当の意味で隣にいることにはならない」

 

葵は静かにうなずく。

その仕草もまた、揺れるカーテンと同じく自然だった。

 

(……そうだ。君は、ただ「在る」ことを選べる人なんだな)

 

蔵馬は少しだけ、目を細めた。葵を見つめる視線には、やわらかな熱が宿っていた。

 

「例えば、君がふと何かを言ったとき。君の目が何かを見て輝いたとき。その瞬間に、オレの中で、何かが生まれるのを感じることがある。世界が、鮮やかになる。それは補い合うとか、埋め合うとかじゃない。ましてや答えを与える存在でもない。……ただ、共鳴なんだ」

 

その言葉を口にした瞬間、自分の胸の奥で小さな振動が起きるのを感じた。

彼の心臓が、葵の存在と穏やかに響きあったような感覚だった。

 

(こんなにも……静かに、確実に、葵はオレの中にいる)

 

「共鳴……ね。不思議な言葉。でも、少し分かる気がするわ」

 

葵が話すと、光に透けた花色の髪が小さく揺れ、頬にかかる様子も花のように美しかった。

 

この人は、自分の予想を超えてくる。けれどそれは、心地よい不意打ちだった。

彼女がもたらす未知の感覚は、蔵馬の内に新たな感情の領域を拓いていく。

 

(オレは、この心地よい揺れを、これからも感じていたい)

 

共鳴しながら、共に変化し、揺れ、時に乱され、それでも、共に歩むこと。

それが今、面白く、嬉しい。

決して一人では到達できないものだった。

 

葵がふわっと微笑む。

蔵馬は、その微笑みに心を奪われる自分に、静かに気づいた。

彼女を信頼して、この感情に揺れていいと自分に許せる。

その瑞々しい感性の声の余韻が、まだ耳のなかに残っているような気がする。

 

「葵は、時々真理をつくことを言うね」

 

「そうかしら?」

 

無自覚だからこそ、言えるのかもしれない。

そこに計算や確証はない。あるのは、彼女の感性だけだった。

だから、好ましい。その言葉と声は、耳にも心にも優しく、深く届く。

 

「オレは……もっと、君の言葉を、聞いていたいと思うよ」

 

蔵馬の艶のある繊細な声は、穏やかな抑揚をもって空間を漂う。

心の奥からの本音に、葵が驚いたように目を瞬く。

 

(優しい言葉……。私も、同じ気持ちだわ)

 

 

そして柔らかな花のように微笑む表情を贈った。

 

「……私たち、お互い様ね」

 

 

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(そうだった…。君から初めて感情をぶつけられた時、これからも話したいと言ってくれたんだったな)

 

 

心に残る記憶が、春の陽射しとともに蘇る。

あの時も、今も、自分たちは同じ言葉を交わしている。

それは、二人の関係が、変わらずも着実に深まっている証拠だった。

 




この話は、葵の「蔵馬って結婚してるの?」という台詞から生まれたものです。葵に対しての恋を自覚した頃の蔵馬がこの一言を受けたらどうなるかという妄想を形にしました。

書いてて思ったのは、「蔵馬、ここで高尚な告白してるやん」とツッコミを入れてしまいました。
冷静だけど静かに内面で感情が揺れている大人の彼は、書いていて楽しいのです。
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