ログ・ホライズン ~高笑いするおーるらうんだーな神祇官~ 作:となりのせとろ
◇8◇
「またシロエのことを考えていたのですか?」
「…………」
「そうなんですね?」
「あの人のことを話さないで」
アキバの街で一般な
そしてその光を背に受け長い黒い影を濡羽に踏ませている女は冷たく微笑んだ。
濡羽が毎夜見る姿のない黒い影たちとのいつまで続くかもわからないにらみ合いの最中にインティクスが姿をみせることはそうはなかった。むしろ<西の納言>という大仰な衣を濡羽が着込む時にしかこの女は濡羽の傍へと姿を見せるようなことはしない。従者としての装いをしていてもこの目の前の女が濡羽の言うことを聞いてくれたことはただの一度しかない。
「無駄ですよアイツはただの能力が高いだけのノイズですから。潔癖のアイツにはわかるんですよ、貴女からするドブの臭いが、醜くて吐き気を催すだけの本当の姿を見抜くんですよ。
あなたが手に入れることはできない男です。あれはどことも繋がれない人間です。いつもそうだった」
濡羽の視界に悔しさが滲んでいく。それでも目を見開き悔しさを悟られないようにインティクスを睨みつける。
「…なんですか、その目は。
アキバになんか行ってあの化物になにか言われましたか。あなたの味方になりますとでも甘い耳触りのいい言葉でもかけられましたか」
「ダメですよ。あれは人じゃないんだから。あれは正真正銘の化物ですよ。あなた嘘まみれじゃないですか。あなたにはこれっぽっちも本当のことなんかない」
「 でもねぇ、あれもあなたと同じで嘘しかないんですよ。人の深いところに無断でズカズカと土足で踏み荒らすくせして自分の内側を見せることなんてこれっぽちもしやしない。そのうえ騙して悪気もなく無自覚にヘラヘラと笑うんですから。
人として大切なものがどうしても欠如してますから、貴女と一緒です。薄汚くておぞましい、見るに耐えません」
告げられるのは否定の言葉。
奏のことをインティクスは名前で呼ぶことをしない。ただ化物と、心底毛嫌いするように、口にすることすらも気分が悪そうに、ただそう告げる。
濡羽は幾度とことなく聞いてきたその言葉を信じはしない。彼の姉は言った。彼の中心は彼の“好きな人”を中心に全てが回っていると、だから、彼の何の根拠もない言葉を濡羽は信じられる。それに…
「それなのに、なんですか!?わたしへのあてつけのつもりですか?
あの化物をここに呼ぼうだなんて、わたしへの嫌がらせのつもりですか?」
それでもにらみつける濡羽の耳をインクティスは指先でひねるようにつまみ上げた。
「だからアキバへ行くなんて困るんですよ、濡羽。自覚してください。あなたのサロンだった時とはもう違うんですよ。この〈Plant hwyaden〉は。あなたはデク人形を沢山集めてあなたのお城を作る。わたしは今度こそヤマトサーバのすべてを手中にする。ねぇ、濡羽。そういう約束ですよね?」
濡羽の望み。濡羽の願い。
それは自分の居場所をつくるというだけの些細な願い
どんなことがあっても二度とあの場所だけには戻らないための居場所
そのために濡羽はインティクスと契約を結び今がある。
<Plant hwyaden>は濡羽の城。それは濡羽を慕うもので囲まれた賛辞と消えることのない無数の明かりで包まれた不夜城だ。
「だから、言ったでしょう。判ってください。薄汚れた貴女と契約を結ぶのは私くらいだって。
あなたは、あなたの居場所をつくるのでしょう?」
濡羽は心の痛みを押さえつけ取り繕い必死に頷く。
「……だったら、その目を止めなさいっ」
振り上げられるインティクスの右手
すぐにくるであろう衝撃に備えるために濡羽は目を閉じるが、その衝撃がくることはなかった。
そっと目を開けたところで濡羽が見たのは振り上げられたインティクスの右手をヘラヘラとした軽薄そうな笑みを浮かべたKRがガッシリと掴み止めているところだった。
「おいおい、インティクス~。今日はずいぶんと元気いいじゃないか。ただふざけて暴力ばっかりふるってると友達に嫌われるぞ~?」
「なんのつもりですか?」
「いや~ここ無駄に広いじゃん。散歩するつもりが迷っちゃってさー、そしたらたまたまここに出くわしちゃったわけよ。さすがに見て見ぬふりなんてできないっしょ?」
「ヒーロー気取りですか」
掴まれた腕を強く振りほどき磨きぬかれた銀のナイフのように鋭く切れる剣呑な目つきで睨みつけていた対象を濡羽からKRへと変えるインティクス
「違うね。
うら若い娘さんが難儀してるとあっちゃあ、穏やかじゃないだろ。それに『誰かの代わり』にされた挙句、
――それだけさ。
んじゃ、せっかくだしお姫様に夜の散歩に付き合ってもらおうかな」
「……」
道化じみた軽い足取りでインティクスをするりと避けたKRは濡羽の腕を掴んで体を引き上げた。そのまま濡羽を引きずるようにぐいぐいと部屋に光を差し込めている白亜の扉へと突き進んでいく。
その姿をインティクスは黙って見つめているだけだった。
「ありがとうございました。KRさん」
「ああ、いいって、いいって。気にするなよ。俺も少なからずお姫様に聞きたいことがあったんだ」
「わたしに、ですか?」
KRはピエロじみたわざとらしい大きな動きで両腕を広げて見せながらバルコニーの冷たい手すりへと近寄り腰を掛けた。
「そう。奏に会ってみて、どう思った?」
インティクスに対して言った皮肉交じりの軽い調子でいった言葉とは少し雰囲気がちがう彼の言葉を受けて濡羽は先日あった青年のことを思い出す。
「優しい方、でしょうか…」
「本当に思ったことを言ってくれて構わないよ。別に本人の前でもあるまいし、アイツに言ったりはしないから」
「……子供みたいな方だと思いました。まるでなにも知らない無知な子供。知らないからこそ優しくて妄信的、自身の存在を頑なに主張し続ける、そういった印象を受けました」
「なるほどねぇ、子供か。イイ線いってるよ」
このKRという青年と濡羽との接点ははっきりいって皆無である。
インティクスやカズ彦と同じ古巣にいたことは知っているが普段彼がなにをしているのか濡羽は知らない。<十席会議>の第十席に席を置いていることは知っているから姿と名前も覚えたし<Plant hlwayden>へ入ってきてすぐに少しばかりの挨拶も交わした。
けれど、それ以降の接点は二人には一切なかった。濡羽はギルド運営に興味はないために<十席会議>に顔を出すことはほとんどなかったし。せいぜいインティクスに出席しろと言われた時だけだ。けれどKRが会議の最中に起きている姿は一度も見たことがない。自前のリゾートチェアに寝転がりアイマスクをつけて昼であろうと夜であろうと寝ているのが濡羽が知っているKRの姿だ。知っているのは十席の中ではカズ彦としか友好的に関わりを持っている人間がいないことくらいだろう。
「わたしにそれを聞いてなにが知りたかったのですか?」
「やだなぁ。そんなに勘ぐらないでくれよ。ただ知りたかっただけさ。
百恵さんがアキバに行ったてことはアイツは絶賛大修羅場中ってことだろ。容赦も同情の欠片もなく叱りつけられてるアイツを応援するために冷やかしに行きたい気持ちでいっぱいだけどそういうわけにもいかないからこうして今の奏を間近で見てきたお姫様に聞きに来ただけさ」
いい性格をしている。濡羽は思った。面白そうなことであれば人の不幸でも飛びついていきそうな印象を受ける。実際には濡羽のことを助けたり、空気を読んでアキバへと出向かない辺り根っからの善人ではないにしろ悪人ではないのだろうけれど、性格が悪い。
「KRさんは奏さんのことをどう思っているのですか?」
「それは、元仲間として?それとも一人の人間としてかな?」
「両方で」
「ふうむ。
彼はねぇ、惜しいんだよ。ヒーローに匹敵するくらいに魅力的なキャラクターをしているのにヒーローになりきれないんだ。まったく、俺からしたら羨ましくて仕方ないっていうのにさぁ。
子供じみているていうのは俺も全面的に同意だよ。あれはまだ子供みたいに可能性を十分に秘めたヒーローの有精卵さ。孵るかどうかは知らないし何が出てくるかもわからないけど」
「カナミさんという方は、どんな方だったのか知っていらしゃいますか?」
濡羽は聞いた。彼の姉が漏らしたおそらく彼の“好きな人”。目の前の青年がそこまで買う人間、自分も少なからず買っている人間が中心に据えるまでに惚れて心酔して熱狂する女のこと。別に嫉妬などをしたわけではない。これは単なる気まぐれ。
それを聞いたKRはここで初めて心底驚いた顔をみせた。
「それは…インティクスや俺、奏との関係を知りたいってことなのかな?」
こんどは濡羽が驚かされる番だった。カナミという女性は奏だけではなくてインティクスやKR共通の友人だったのかと、
「その感じだと、別に深いところまで知っているってわけじゃなさそうだね」
「百恵さんに名前だけを聞きました」
「凄いやつだよ。とんでもない人たらしさ。
「人を従えるカリスマ性に長けていた、ということでしょうか」
「いやいや、あれは人を従えるなんて大仰なものじゃない。むしろみんなアイツの世話焼きで集まっていたくらいにいってもいいくらいさ。
あそこは放蕩者の集まりだったからね。インティクスが上手く取り繕ってようような悪評が広まらないで済んでいた。その程度にはいろいろやらかしていたんだ。
仲がよかったときかれたら正直よくわからないね。いいやつとか悪いやつはともかく合わない者同士は居るものだ。
でもね、みんな彼女のことが好きだった。お互い合わないもの同士でも不思議と揃って彼女のことが好きだったんだよ」
懐かしむように笑顔を浮かべて、空に浮かぶ黄金の月を捉えたKRは月に手をかざす。慈しむように愛でるように手の届きようのない月を撫でるような素振りをみせる。
「そして、奏はその中でも彼女を特に好いていた。愛していたなんていっても恥ずかしくないかもね。妄信して狂信していたよ。そこはインティクスと一緒さ。彼女との差がどこでついたのかはあえて言わないけれどね。
楽しそうに笑うんだよ。アイツは彼女といるときにね。そして彼女のためにならヒーローの顔を見せるときが何度かあった。
だから俺は個人的には応援していたよ、ヒーロー同士の子供ってのが見たいって下心丸出しの気持ちもあったりして応援してたんだけどね」
非道徳的なことこの上ないけれど、すごいやつ同士の子供はもっとすごくなるかもしれないと思うと見てみたいと思わないかい?冗談めかしたようにそんなことを言うKRだが、そんな思想は彼が無邪気なだけなのか、十全なまでに知識を持った大人ゆえなのか濡羽には判別はつかなかった。
「そんな単純な話ではないと思いますけど」
そんな単純な話じゃない。子供というのは持って生まれた才能だけで全てが決まるような簡単な生き物じゃない。環境や、身近にいる人間の影響、偶然の事故、教育、様々なことが真っ白な子供に色をつけていって一人の人間が出来上がっていく。
「わかってるさ。だからそんな怖そうな悲しそうな顔をしないでおくれよ」
「俺は楽しみでしょうがないよ。奏が本物になる瞬間を見ることはできないけれど、きっと彼は来るべき最後のクライマックスの舞台に必ず現れる男だからね。そこで繰り広げられる今までの全ての因縁に対して彼がどんな答えを出すのかは俺は必ず見届けると決めている。
だからそのために俺は出来うる限りの力をつけて舞台を整えるためにここにいるんだ。
俺と同じように考えるやつがアキバにもいるみたいだし万事上手くいくと信じているよ」
愉悦に浸るように笑うKR
遠くない未来の一抹の光景が彼には見えているのだろう、いや、見えていないのかもしれない。見えていなからこそ、その光景が楽しみでしょうがない。そういった表情だ。
今はまだ違うかもしれない。それとはかけ離れた存在かもしれない。その期待はただの古馴染に対するえこ贔屓なのかもしれない。
それでもKRは彼がヒーローになる存在だと信じて疑わないのだった。