消えた航跡――特設艦娘の名のもとに――   作:白水つかさ

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板東誠一郎(護衛艦〈いなづま〉副長)

 私は、額の汗を拭った。

 

 気温は三十度を超えていた。

 海沿いの町だが、取材対象の家は駅からかなり遠い。

 タクシーに住所を告げるのもどことなく躊躇われたので、近くで降ろしてもらい歩くことにしたところ、だいぶ汗をかく羽目になった。

 運転手もプロだから口外するようなことはないと思うが、それ以前に、誰を取材に来たのかさえ察した様子はなかった。

 

 護衛艦に乗り組んであの戦争の最初から最後までを戦い抜いた士官となれば、特設艦娘の場合とは異なり、少しは有名なのかとも思ったが――そんなこともないらしい。

 もっとも、私以外の取材者やかつての部下は車で来ていて、タクシーに乗ったりはしないだけかもしれないが。

 

 そんなことを思うともなく思いながら、板東、と表札に掲げられた家の、チャイムを鳴らす。

 

「お電話させていただいた、白水です」

「――どうぞ」

 

 すぐに、扉が開いた。

 すでに退職されているとのことだったし、あの戦争当時に護衛艦の副長――二佐クラスだろう――であった経歴からも、六十は越えているはずだが、きびきびとした動きの男性に迎えられる。

 

 板東誠一郎。

 

 一九九九年七月の深海棲艦出現直後から、正体さえ分からない怪物に最前線で立ち向かい、多大な犠牲を払いつつも終戦までを戦い抜いた海上自衛隊士官だと聞いていた。

 経歴に相応しく、引き締まった体躯で眼光も鋭いが、通された洋間は意外なほどに生活感があった。

 同年輩の妻と並んで、背筋の伸びた姿勢で座り、私が改めて訪問の趣旨を伝える言葉に耳を傾ける。レコーダーでの録音も、迷わず認めてくれた。

 

「私で役に立てることがあれば、何なりと。話せないことはあるが」

「承知しています。深海棲艦との戦いにおいて、最前線でご活躍されたと伺っていますが――」

「活躍か」

 

 板東は苦笑した。私も、その視線を受け止める。

 

「最前線にいたことは確かだ。一方的に撃たれることを活躍と呼べるのであれば、それも当たっていなくはない」

 

 多くの護衛艦が、そして特設艦娘が、艦娘が失われた戦いのなかで、沈まずに“撃たれ続けた”だけでもひとつの奇跡なのだろうが、まさかそう返すこともできない。

 沈まなくても犠牲者は出ていたのだろうから、なおのこと。

 

「あの日の〈大和(ヤマト)〉だな。活躍と言うならば」

 

 懐かしむような、だがどこか自罰的な暗さのある声で、板東は言った。

 


 

 十二月八日。

 開戦の年の冬だ。

 

 かつての真珠湾攻撃の日にも、私が副長を務めていた護衛艦〈いなづま〉は撃たれていた。

 ミサイルは誘導できない。

 もともと、人間サイズの目標に撃つためのものではないが。

 艦砲は妨害されなかったが、これも人間ひとりの大きさを狙って当てられるものではないし、当たったところで127ミリでは……太平洋戦争では駆逐艦の砲だ。

 

 それでもシーレーン防衛なら、時間を稼げばよかった。輸送船が逃げるまでの時間を。

 だが、あのときは日本近海だった。退けば本土だ。

 体当たりするしかないかと考えた。

 したところで、一万トンもない護衛艦で、仮に実際の艦ならば数万トンはある戦艦に通用するかは分からなかったが。

 

 幸い、確かめずに済んだ。

 

 我々の後方から飛来した砲弾が、深海棲艦を一撃で轟沈させた。

 艦娘〈大和〉の、46センチ主砲弾。

 次々と、〈いなづま〉では手も足も出なかった敵艦が消えていく。

 誰からともなく、歓声が上がった。

 

 いち戦隊が消えるまで、しばらくかかった。

 撃たれ続けていた時間に比べれば、一瞬に思えたが。

 その間に双眼鏡で〈大和〉を見つけた。

 

 唖然とした。

 当然だろう。そのときまで、我々は艦娘という存在を知らなかった。

 知らされていなかったことが不満だというわけではまったくないが、はじめて艤装を纏った少女を見た気持ちは想像できるだろう。

 双眼鏡で拡大しているとはいえ、おぼろげではあったが、栗色の長い髪の少女が巨大な艤装を纏い、海に立っていた。

 

 ……いや、違うか。

 少女が艤装を纏っているわけではない。

 艤装、いや、艦そのものが少女の姿を取っている。

 あれはそういうものだった。

 

 直感した、と思う。人ではないということは。

 だが〈大和〉が〈いなづま〉と並び、敬礼を送ってきたときに背筋がふるえたのは、むろん恐怖にではない。

 歓喜とも少し違う。

 あえて言うなら、歴史に敬礼されたからか。

 

 いや、自分たちが歴史を作れると思ったわけではない。

 その意味ではむしろ、脇役になることを理解した。

 盾でも剣でもなく、せいぜいが弾除けであった役割が、いよいよ定まったことを。

 

 それでも、私も、乗組員たちも、そして報告を受けた上官たちも、翳りはまったくなかった。

 ようやく曙光が見えたのはもちろん理由のひとつだ。

 

 だが、それと同じか、あるいはそれ以上に、歴史、なのだと思う。

 陸海空の自衛隊を評するなかで、海上自衛隊は「伝統墨守、唯我独尊」。

 〈いなづま〉も、先代は太平洋戦争を戦った駆逐艦〈(イナヅマ)〉だ。

 そうした歴史の象徴、戦艦〈大和〉が、敬礼している。

 

 私が直感したのは、いま振り返るなら、そういうことだった。

 

 


 

 

 板東は、ひとつ息をついた。

 かなり客観的な言葉だったが、いま振り返るならと言ったとおり、当時はもっと上から下までが“呑まれて”いたのかもしれない。

 そして彼は、その時代を理性的に受け止めている人間に思えた。

 

「ありがとうございます。つまり、艦娘が戦うということは、自衛隊――少なくとも海上自衛隊が戦うことでもあった、と? 日本海軍の歴史を、艦の名前をはじめとして、ある程度明示的に受け継いでいる海上自衛隊が」

 

 私の問いかけに、板東は腕を組み、一瞬だけ目を閉じる。

 再び目を開き、視線がかちりと交わった。

 

「そう考えたことはなかった、が、言われてみれば正しいと思う。自分たちが勝った、という思いは、我々の中にあったのかもしれない」

「であれば、特設艦娘はどうなのでしょう? 彼女たちは、歴史を継ぐ者だったのでしょうか」

「……なるほど」

 

 阪東が声を押し出す。

 

「君の聞きたいのは、そちらだったな。すまない」

「いえ、今のお話にも感謝しています。ある人に、十二月八日は歴史の再演に見えたが航空攻撃(シンジュワン)ではなく砲声だった、と思わせぶりに言われたことも、ようやく理解できましたし」

 

 久しぶりに三枝の言葉を思い出し、私は苦笑した。

 板東に対しては、僭越かもしれないが、むしろ同行者のような感覚を抱き始めていた。

 過去を――日本海軍の歴史ほどの過去ではなく、その歴史にも支えられたあの戦争という過去を、あったとおりの形で記録する旅の同行者。

 

「しかし確かに、あなたの目から見た特設艦娘、あるいは現在から振り返った特設艦娘について、伺えれば幸いです」

「分かった。可能な限り、話してみよう」

 

 阪東がふたたび、ひとつひとつ足場を確保しながら進むような短いセンテンスで、言葉を紡ぐ。

 

 


 

 

 距離はあったと思う。

 いや、むろん、艦娘と比べればだが。

 

 それでもおかしな話だ。

 艦娘は鎮守府で過ごし、特設艦娘として疑似艤装を纏っていた女性たちこそが、我々と同じ基地で暮らしていたのだから。

 艦娘については、先ほど言ったとおり。艦の魂として受け入れられた。

 だが、特設艦娘には、そのような歴史はなかった。

 

 誤解しないでほしいが、嫌悪していたわけではない。

 そのような事実はなかったと断言できる。

 みな彼女らに敬意を表したし、戻らない者がいれば涙した。

 艦娘と特設艦娘は接触させない。そのなかで、どちらをも我々は助けた――いや、助けられたし、そのことを否定する者はいない。

 

 そうか……歴史と言うのであれば、彼女たちは別の歴史を思い起こさせたのかもしれない。

 艦娘とは異なり、そちらの歴史じたいの顕現だったわけではないが。

 それだけは幸いかもしれない。

 

 ともあれ、思い出されたものは――特攻隊。

 あるいは学徒動員。

 ひめゆりや鉄血勤王隊。

 

 そうした歴史を、彼女たちは思わせた。

 今にして思えばだが。

 例えば特攻隊の若者が目の前にいたとして、距離を置かずに接することができるだろうか。

 必要以上に讃えるか、年齢や階級相応に上から指導するか。

 往々にして前者だったと自戒するが、いずれにしても、対等な関係からは遠い。

 

 まして艦娘は――我々の歴史は――戦いの中で沈んでいき、そして最後にはみな姿を消した。

 いや、これもおかしな言い方ではある。

 特設艦娘の女性たちは、それ以上に多く命を落としたのだから。

 だが……うまく言えない。非難されても仕方がないが……艦娘〈(イナヅマ)〉が沈むことと、特設艦娘が沈むことは、等しくはなかった。

 

 護衛艦〈いなづま〉の沈没と、その乗組員ひとりの死。

 むろん後者も悲しむ。悼む。

 だが――分かってもらえるだろうか。

 

 


 

 

「――分かりません」

 

 私は、思わず言葉を挟んでいた。

 だが、それは、彼を非難するためではなく、むしろあまりにも痛々しかったからだ。

 反応せず一方的に語らせ続けることは、それこそ、対等から遠いと。

 

「ですがそれは、私が戦場に立ったことがないためであると思います。もちろん、海に立ったこともありませんが。

 きっとあなたとともに戦った自衛官の方々や、特設艦娘であった女性たちならば、分かるのだと。私はそう思います」

「……そうだろうか」

「思う、にすぎませんが。その意味では、戦争を体験したことのない私に保証されたところで、ありがたみはないですね。すみません」

 

 また、皮肉にではなく、苦笑する。

 いたしかたなく、という気配はあったが、板東もつられて片頬を歪めた。

 

「君が謝ることではないが――」

「深海棲艦由来の艤装を纏った特設艦娘については、なにか?」

 

 機微に触れそうに思われて、しかしおそらくは答えやすいだろう、という質問で、話をつなぐ。

 ハルによれば、ことさら秘密ではないとのことだったから。

 板東は少し考えこんだが、当惑ではなく、たんに記憶を掘り起こしている様子だった。

 

 


 

 

 ――ずいぶんと詳しいな。

 だが、話せないこと、ではない。

 確かに、深海棲艦由来の艤装を纏った特設艦娘は存在した。

 

 艦娘から攻撃を受ける場合があったとは聞いている。

 辛いことだが、少なくとも我々は違う。

 そもそも、彼女らを総称する呼び方がない。

 いっときだけ「鹵獲(ろかく)型」という名称が考案されたことがあるが、女性たちのほうを鹵獲してきたようではな。

 まあ、数が少なかったからでもあるが。

 

 いずれにせよ、そういうことだ。

 深海棲艦由来の艤装を纏っているからという理由で、基地において差別や偏見があった事実はない。

 

 トラブルが皆無だったとは言わないが。

 それは「普通の」特設艦娘でも深海棲艦由来でも関係なく、個々人のもめごとだ。

 最も基地に溶け込んでいた高校生は、潜水艦型の深海棲艦の艤装を装備していたと記憶する。

 

 車椅子の少女?

 いや、すまないが。

 

 言い訳にはなるが、出撃が多くてな。

 彼女たちの全員を知っているわけではない。

 ――駆逐棲姫の艤装か。それならば、多少は。

 だが、直接話を聞いたのか。

 ならばおそらく、君のほうが、私より詳しい。

 

 つまるところ、話せないことではないが、区別して話すことでもない。

 そして、誰についても……戦いしか話せない。

 海の上での。

 ――すまない。

 

 


 

 

「いえ……」

 

 私は、かえって恐縮した。

 もとより自衛官、それも最前線で戦い抜いた士官に記憶を聞きに来て、戦い以外の日常が多く語られると期待していたわけではない。

 

 実際、これまで自衛隊関係の施設などを訪問した際には、いわば紋切り型の答えばかりを聞かされた。

 といっても邪険にあしらわれたわけではなく、そちらに不満をもってはいないのだが、板東の態度は彼らとも大きく異なるように思えた。

 

「率直な思いを聞かせていただき、あらためて感謝します。当時戦われた方々は、みなあなたのように……あえて言うならば、苦しんでおられるのでしょうか」

「……どうかな。人によるだろう」

 

 苦しみについては否定しない、板東の言葉。

 彼の妻が、そっと腕に手を添えた。

 

「私個人ならば、理由はふたつ。ひとつは娘のことだ」

 

 妻の指に、少しだけ力がかかったように思える。

 

「娘が二人いる。――適性はなかった。心底安堵した。そして自分が安堵したことに、強い嫌悪を覚えた。あの子たちが海に立つ姿など、想像もしたくない。それでも、海に立った誰かの娘がいた」

 

 阪東の目が、私をとらえる。

 そして彼は言った。

 

「すまないが、録音を止めてもらえるだろうか」

 

 心の中では一瞬だけためらったが、もちろん、そのとおりにした。

 そして板東は、妻に席を外してほしいと頼んだ。

 彼女は視線を残しつつも、黙って、私と同じようにそのとおりにする。

 

 率直に言えば、当惑していた。

 これ以上話すつもりはない、というのであれば――残念だが――理解できる。

 だが、席を外すように言われたのは彼の妻であり、私ではない。

 

「書くものは?」

 

 阪東に問われ、さらに私のとまどいは深まる。

 持ってはいた。少し、アカネに憧れたためもあるかもしれないが、シンプルなノートとペンを持つようにしていた。

 もちろんそれまでも、記者として手帳や筆記用具はカバンに放り込んではいたものの。

 ノートとペンを取り出すと、板東はうなずいた。

 

「書かないでほしい、という意味ではない。今から話すことも、書いてくれていい。小説のように書いてほしいわけでもなく、私が口にした形で構わない。

 ――ただ、機械に捉えられるのには違和感がある。君という人間が、メモを取り、それを言葉にしてほしい」

「分かりました。――光栄です」

 

 素直に、そう口にした。ペンを手に取り、紙に目を落とす。

 

 


 

 

 二〇〇三年、一月二十日。

 戦争が終わった年だが、もちろん、そのときはまだ終わっていなかった。

 

 終わるとさえ思えなかった。

 一九九九年に私が出会った〈大和〉こそ健在だったが、艦娘の多くは戦いに倒れていた。

 そしてその代わりに、特設艦娘の少女たちが、あの海に立っていた。

 

 冬の海は荒れていた。

 そのため、任務を終えた第一〇〇三(ひとまるまるさん)特設駆逐隊の四人の特設駆逐艦娘を回収に向かったのは、快速のミサイル艇ではなく、〈いなづま〉だった。

 ……艦娘の〈電〉はすでにいなかったが、それを嘆く心はもう擦り切れていた。

 

 任務自体は成功裏に終わり、犠牲者もなかった。

 離島付近に出現した深海棲艦の緊急邀撃。

 だが、反撃も激しく、四人とも大なり小なり被弾して、艤装が損傷していた。

 そのために、〈いなづま〉が向かった。

 四人と洋上で合流し、艦上に拾い上げた。

 まだ危険海域だったから、入浴ともいかないが、少しでも楽にしてもらおうと部屋を開けた。

 

 すぐに本土に戻れるはずだった。

 

 だが、奴らが現れるとき特有の、ほの暗い霧が漂い始めた。

 全速前進をかけたが、振り切れなかった。

 ミサイル艇でも、あの荒れた海では困難だっただろうが。

 

 やがて背後に水柱が上がり、敵影が見えた。

 駆逐級が六隻、そして、戦艦レ級。

 

 知っているか?

 強力な艦ほど人型(ヒトがた)に近づくとされていた深海棲艦だが、ある閾値(いきち)を超えると、逆に異形の部分が生じるとも言われていた。

 戦艦レ級は小柄な少女の姿をもちながら、いっぽうで異形の怪物の肉体をも有していた。

 そして戦艦と艦娘たちが呼ぶのはほとんど詐欺のようなもので、航空攻撃、特殊潜航艇による雷撃、神出鬼没の機動性、あらゆる能力を一身に備えていた。

 

 護衛艦では振り切れない。

 荒天で、航空機が飛びそうにないことだけはまだしも救いだったが、砲撃を受ければひとたまりもない。

 

「内火艇を出せるか? ――彼女たちを降ろしたい」

 

 と、艦長が言った。むろん意味は明らかだ。

 

「減速するか、百八十度回頭の瞬間であれば、可能です。要員を就ければ、荒天下でも水を掻きだし続けられるでしょう」

 

 特設艦娘の少女たちを逃がし、〈いなづま〉で囮と――弾除けとなって沈もうという意味は明らかだった。

 だから私はそう答えた。笑っていたと思う。

 

「ただ、展開型のラフトのほうが確実かと」

 

 そう付け加えたが、確実であるはずはない。

 

 天候の問題ではない。

 曲がりなりにも戦闘力のある艦が存在しているうちは、そちらを狙う。

 確かにそれは深海棲艦の本能ともいえる行動原理だったが、そのあと救命艇を見逃して帰る保証などなかった。

 無力な輸送船も容赦なく沈める以上、少なくとも見つかれば、結果は明らかだ。

 

 だが、ほかの方法は思いつかなかった。

 過負荷でタービンを回しても、振り切れていないのだから。

 艦長が艦内に達し、私は少女たちの部屋へ向かった。

 

「聞こえていると思うが、本艦はこれより合戦に入る。君たちは退艦してくれ」

 

 扉を開け、そう言った私が目にしたのは――少女たちが、各自の艤装を選び集めている姿だった。

 被弾し、弾薬も消費しているとはいえ、それぞれに健全な部分は残っていた。

 ある者の脚部艤装、ある者の砲塔、ある者の魚雷発射管。

 燃料と弾薬も、かき集めるようにして移していた。

 

「君たち、何を――」

 

 無意味な言葉だった。何をしているかなど明らか。

 各自の艤装を寄せ集め、完動する特設駆逐艦の艤装を作り上げる。

 だが、私は認められなかった。

 

「艦長の放送が聞こえないのか。我々は命を懸ける。今回は我々が」

 

 こんな状況を知る由もなく、艦長の放送は流れ、終わった。

 歓声がどこかから遠く響いたから、士気は高かったはずだ。

 

 だが。

 四人から集めた艤装を身に着けていく少女。

 大きな空色のリボンをつけた、小柄な少女だった。

 

 まだ中学生。

 私の娘より年下だと思った。

 艤装を装備し終えた彼女に、大きく、強い瞳で、見据えられた。

 

 ……以下が、話されたとおりの言葉と記憶する。

 

「父さんは海岸で死んだ。兄さんは空で死んだ。母さんは殺された。わたしたちは六人いた。本当にあなたの命はわたしたちを守れるの」

 

 いまは、四人。

 

 八つの瞳に、見据えられた。

 娘を持つ父親として、迷いなくうなずければどれだけよかったか。

 だが、自衛官としての自分は、そうできないことを知っていた。

 

「守れる、とは言えない。だが――」

「ありがとう」

 

 彼女は微笑んだと思いたいが、そうではないと分かっていた。

 そして、少女はひとり海へ向かった。

 我々が道化であることなどどうでもよかったが、このまま行かせてはいけないと思い、しかし、何も言えなかった。

 そこで金髪の少女が言った。

 

「砲塔、プリクラでデコってんだから返せよ」

 

 と。

 それを聞いて振り返ったリボンの少女の表情は、これまででもっとも笑顔に似たものだった。

 

 

 

 少女は海に立った。

 

 敵艦隊に全速で突入。

 一瞬も速度を緩めずに、わずかに身をひねるだけで、魚雷を投射した。

 数呼吸のあと、水柱が立ち、駆逐艦が消えた。

 三体。

 反撃の砲火を軽々と躱す。

 

 それだけでも私は驚愕したが、さらに彼女は魚雷を再装填した。

 艦娘でも戦闘中の次発装填は難しいとされている。

 そして今度は残った駆逐艦の脇を、ほとんど袖をこするくらいの距離ですり抜け、すれ違いざまに魚雷を撃ちこむ。

 また、三体の駆逐艦が轟沈した。

 少女はまだ一発も砲は撃っていない。

 

 戦艦レ級は、駆逐艦よりは後ろにいた。

 速力の関係か、余裕なのかは知らない。

 深海棲艦の感情など読めるはずもなく、そもそも感情があるのかさえ分からないが、あのときのレ級は、少しだけ興味を示しているように見えた。

 

 魚雷は、今度こそ尽きている。

 もう十分だと叫びたくなったが――少女は速力を落とさなかった。

 

 小さな炎が輝いた。

 特設駆逐艦の発砲炎で、一瞬あとに、戦艦レ級の顔面に砲弾が炸裂した。

 わずかに煤けただけで無傷だったが、深海棲艦は苛立ったように顔を振った。

 

 繰り返し、驚くべき砲術の正確さで、少女は砲を撃った。

 その合間にひらめく大型砲弾は、軽やかに躱す。

 レ級は徐々に視界を奪われているように見えた。

 

 もちろん、〈いなづま〉は全力で逃げていた。

 もう、足止めは十分ではないか、離脱してよいのではないか――そう無線を発しようかと思ったとき、天候が変わった。

 

 晴れ間が見えた。

 

「……くそっ!」

 

 日頃は汚い言葉など発したことのない艦長が、吐き捨てた。

 航空機。

 むろん砲戦中のレ級が艦載機を発艦させることまではないが、遠方の空母からの爆撃機が彼女を襲えるようになる。

 位置は知られているのだから。

 

 だが、我々には何もできなかった。

 

 少女がささやかな対空砲火を放ち、それを嘲笑うように、おぞましい形の爆撃機が急降下する。

 彼女はそれも避けた。

 しかし至近弾で、手持ちの砲塔と、空色のリボンが飛ばされる。

 リボンにどのような思いが込められていたのかは分からないが、大切なものだったはずだ。

 だが彼女は、砲塔に手を伸ばした。

 

 〈いなづま〉には、敵は来なかった。

 脅威を排除しようとするのが深海棲艦の本能だとするなら、そういうことだろう。

 

 爆弾を躱しきった少女の肌を、機銃弾が裂く。

 いや、そのような細部が双眼鏡越しであっても見て取れるはずはないのだが……赤い血が、瞼の裏に焼き付いている。

 

 空が晴れたから死んだ。

 そんなことが許されるのかと、艦尾の軍艦旗を意味もなく睨んだ。

 旭日は無常にはためいていた。

 

 我々は遠ざかっていた。最後に、レ級がきびすを返すのが、見えた気がした。

 

 

 

「救難の許可を。SH-60J(シーホーク)なら目標海域に迅速に到達できます。レ級の転舵は視認、艦爆は長時間滞空は不可能かと」

 

 気付けばそう言っていた。

 内火艇で助かるか、ということ以上に、確実さなど心のどこにもなかったが。

 

 それでも艦長は許可し、ヘリを格納庫から出した。

 後部甲板で準備をしていると、三人の少女が駆けてきた。

 乗せてくれと口々に言う彼女たちを、私は止めた。

 必ず連れ帰ってくるからと。

 

 記憶にあるのは、音だ。

 ローター音。

 

 見つめていたはずの海は、覚えていない。

 どうやって、誰が、波間に漂う少女を見つけたのかも、そのとき彼女がどんな姿だったかも。

 

 ただ、ホイストで機内に彼女を救い上げたとき、腕が動いた。

 血の気を失って蒼白になった腕が、私に、砲塔を差し出した。

 受け取るよりも先に、砲塔はヘリの床に落ちて、ひどく高い音を立てた。

 

 行かせなければよかった。

 せめて、仲間たちを乗せてやればよかった。

 

 これは私の、罪の記録だ。

 

 


 

 

 言葉が終わっても、しばらくの間、私は何も言えなかった。

 

 ――泣いてはいけないと、思った。

 彼も泣いていなかったから。

 サナエに言われたから。

 ようやく、シズとサナエとハルと、特設艦娘だった女性たちから聞いた記憶がつながった気がしたから。

 

「ひとつ、伺っても?」

 

 湿った声で、問いかける。板東は黙ってうなずいた。

 

「彼女の名前を、ご存じでしょうか」

 

 阪東は、胸を衝かれたような顔をした。

 その表情に、私のほうが申し訳なくなる。

 シズはもちろん、サナエたちとも関係の長さは違うはずだし、自衛隊の艦、組織では、個人名よりも「副長」や「二佐」といった役割や肩書で呼ぶことが自然なのだろう。

 咎めているわけではないと、真意を必死で伝えたうえで、改めて言う。

 

「私は彼女の名前を知っています。彼女たちの名前を」

 

 そして言う。

 リン、マリア、アオイ、シズ。

 六人と言われた、ナツキ、サチ。

 

 知っているのは私が胸を張れるなにごとかをしたからではなく、偶然と、シズやサナエの思いがあったからだということを。

 

「リンさんは、いつも空を見ていたそうです。パイロットになりたいと」

 

 だからといって、空で最期を迎えたことが、なにかの救いになったと言うつもりはない。

 ただ、名前と同じように、彼女のことを。

 自ら罪とする記録を口にしてくれた板東に、伝えるべきだと思った。

 

 阪東は静かに席を立ち、妻を呼びに行った。




ううん……シズが最強だったと言い、ハルが自分が最強の駆逐艦ですらなかったと言ったのは、こういうことだったのかと、いつもながらつかさは圧倒されるばかりです。ツカサのほうが強くなり。
次回は8/17(日)、特設艦娘たちの生活を支えた女性の記録をお届けする予定です。
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