消えた航跡――特設艦娘の名のもとに――   作:白水つかさ

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ノゾミ(特設艦娘:潜水ソ級)

 ノゾミという名の少女がいた。

 

 海に立つのではなく波の下を泳ぐ、潜水艦型の特設艦娘。

 さらに深海棲艦、潜水ソ級由来の艤装を纏う彼女は、二重に敵勢力に気づかれにくい、希少な特質を有していた。

 深海棲艦に対する隠密性だけでいえば、水上艦型の特設艦娘や艦娘はもちろん、一部の潜水艦娘をさえ凌駕していたかもしれない。

 

 だが、艦娘は深海を纏う少女を撃つ。

 

 それゆえに潜水艦娘との共同行動は不可能であり、一般の特設艦娘には潜水艦型の艤装を纏う者はいなかった。

 いずれにしても、潜水艦を計画的に敵の進行ルートに配置して行う『艦隊決戦前段の漸減(ぜんげん)作戦』のような戦法は、基地を出港して何日も海を渡ってくることが明らかな人間同士の戦争における艦隊とは異なり、神出鬼没の深海棲艦には成立しないものだった。

 だからといって各個に進出しての、あるいは群狼戦術(ウルフパック)での、通商破壊作戦も成り立たない。

 深海棲艦に、通商路や補給線という概念が存在するはずもなく、仮にあったとしても人類には発見できていなかった。

 泊地や集積地を思わせる姫級は観測されたとも噂されるが、地上目標に潜水艦が単独で攻撃をかけることもまた困難だった。

 

 だから、ノゾミは(ひと)りで出ていき、帰ってきた。

 水底を這うように進み、深海棲艦の警戒をかいくぐり、戦火の果てで“なにか”を拾い集めて帰還する。

 ときには特設艦娘や艦娘の艤装の欠片、ときには新型深海棲艦の出現動向、ときには――独りではなく、誰かを連れて。

 船団護衛任務のなかで撃破され波間を漂う少女を、ノゾミが救助したという記録が、戦闘詳報に残されている。

 

 だが、それはわずか。

 ほとんどのとき、ノゾミは独りで出ていき、独りで帰ってきた。

 静かに(おか)に上がり、「海は深いよ、いろんなものが落ちてる」とだけ言って微笑んだ。

 

 

 

 だが、日常の彼女を語る者はみな、口を揃えて言う――「明るい人だった」と。

 深海棲艦由来の艤装を纏っていることなど、特設艦娘たちも、基地の自衛官たちも、陸では意識さえしていなかった。

 板東も、最も基地に溶け込んでいた少女、と回想したように。

 

 ノゾミは気さくで、誰にでも話しかけ、恋の話も大好きだった。

 誰が誰を想っているか、誰と誰が一緒に訓練していたか、誰が誰と喧嘩して仲直りしたか。

 そんなことを敏感に察しては、「ノゾミソナーに感あり!」と笑った。

 けれど本当に落ち込んでいる相手には、黙って寄り添った。

 

 双子の兄がいた。

 かっこいいのと仲間に聞かれ、「もちろん!」と答えた。

 恋バナとかするのと聞かれ、それにも、「もちろん!」と答えた。

 「でもふたりの秘密だからね、海の底まで持ってくよ」と自嘲でも自虐でもなくさらりと続け――紹介してもらおうと思っていた仲間は、あてが外れて少しだけ困惑した。

 

 年の離れた妹もいた。

 かわいいのと仲間に聞かれ、「わたしの妹だからね」と胸を張り、とてもうれしそうにしていた。

 恋バナとかするのと冗談で聞かれ、それにも、「わたしの妹だからね」とうなずいた。

 「こっちの秘密なら教えてあげてもいいよ、からあげみっつと引き換えに」と続けたから、冗談で返しているのは仲間にも分かったが――少しは本当のことも、あったのかもしれない。

 けっきょくからあげの魅力が勝って、誰も聞き出そうとはしなかったそうだけれど。

 

 たまに特設駆逐艦娘の対潜訓練につきあうと、ひどいことになった。

 訓練用の魚雷を放ってきているうちは真面目だが、サメのひれが周囲を泳ぎ始めたり、足を引っ張ってきて艤装を付けているのに沈みそうになったり、わかめをかぶった彼女がよりによって輪形陣の中央に浮かんできたり。

 ハルは任務の性質上も艤装の特質上も、あまり対戦しなかったそうだが、幽霊のポーズをしたノゾミが「こうならないようにがんばってね」と頬に手をくっつけてきたことを覚えているという。

 

 だからほとんどのとき、日常での彼女は独りではなかった。

 にぎやかに食事をし、訓練中の真面目な少女から屋上にたむろするちょっとグレたグループまでふわりと声をかけては噂を集め、そして、誰かの死にはまっすぐに涙した。

 彼女の部屋には、来客と笑い声が絶えなかった。

 

 

 

 誰とでも仲の良い少女だったが、とくに同年代のミズキとはよく話していた。

 

 最初の特設艦娘のひとり。

 長い黒髪で、それさえも自己演出の道具として用いていた少女。

 ある政治家の一人娘で、将来は婿を取るのではなく、自らが政界に打って出て日本を変えるのだと言っていた。

 容貌も発言も、特設艦娘としての戦いも、そのための演出で――そして同時に真実だった。

 

 お互い高校生とはいえ、ごく普通の家庭に育ったノゾミと、そんなミズキがとりわけ打ち解けた理由は分からない。

 ノゾミも、ミズキも、もはや語ってはくれないから。

 

 トワが命を落としたとき、ノゾミはまだ本格的な航海は始めていなかった。

 仮に同行していたとしても、魚雷を四本も受けた彼女の命を救うことはできなかっただろうけれど。

 レイカはもちろんノゾミに恨み言など言わず、ただ、魚雷を受け止めるのに代わる方法がないかを探し求めはじめた。

 今なら、レイカがあのとき「わざわざ魚雷を受けて痛い思いなんてしたくない」からと、ことさらに軽い口調で言った裏にある思いも、分かる。分かったつもり、でしかないにしても。

 

 けれど、レイカが見出した、派手に砲煙を上げて艦娘を“おびきよせる”方法に、ミズキはあまり賛成しなかった。

 不確かだからかもしれないし、艦娘に見せ場を奪われるからかもしれないし、最後まで自ら盾となったトワのことを思ったからかもしれないし、あるいは艦娘に撃たれる艤装を纏うノゾミのことを気にかけたからかもしれない。

 その理由ももう、分からない。

 

 ミズキの最後の戦いに、艦娘が駆け付けたのは、そう思えば皮肉だった。

 彼女は戦艦ル級と新型の重巡を向こうに回し、輸送船と仲間の特設艦娘を逃がして、驚異的な時間を粘り抜いた。

 艦娘はなかば弾薬を使い果たした深海棲艦をたやすく撃破したが、艦娘からの誤射――艦娘にしてみれば誤射ではないのだろうが――の危険を押してノゾミが海域に進出したときには、波間にはなにも漂っていなかった。

 (のこ)した言葉があったとしても、海の底に消えた。

 

 ノゾミの明るさは、変わらなかった。

 ただときおり、独りで月を見上げる彼女の姿があった。

 それまでは、長い黒髪を勝手に三つ編みにしたり、暑いのに後ろからべったりくっついたり、不思議なほどに話題の尽きないおしゃべりをしたりしながらふたりで見上げていた、月を。

 

 

 

 シズからは、少し長く話を聞いた。

 

 ナツキと、サチと、リンと、アオイと、マリアを失って、彼女が独りになってしまった後。

 ノゾミの部屋で、黒ひげを遊んだ。

 

 黙って樽にプラスチックの短剣を刺していく。

 ナツキと違って、どれだけ刺しても黒ひげは飛び出さず、ノゾミの刺した最後の一本で、ようやく緊張感のない音とともに抜け出てきた。

 ふたりはぷっと吹き出し――シズはそのまま机に突っ伏した。

 しゃくりあげる彼女の頭を撫でながら、ノゾミは静かに言った。

 

「ミズキが電話したことがあるの。飛び出させたら勝ちなんですか負けなんですかって。

 もちろん特設艦娘だと言ってちやほやされようとしたわけじゃなくて、むしろ、どれだけ大人っぽく話せるかの練習?

 うまくいきすぎて子持ちのママと思われたってちょっと微妙な顔してた」

 

 それはそうなるよねえ、と、ノゾミは遠くかすかな声で笑った。海の底から浮かび上がる泡のように。

 

「そしたら、やっぱり負けだって。最初は、縄を切って仲間を助け出すって設定で、飛び出させたら勝ちだったらしいけど」

「……」

「海は広いよ。刺す場所はいくらでもある。だから負けるまでに終わるよ、きっと」

 

 ならいつか負けると、思うともなく思った心の動きをソナーで感じ取ったように、そう声がした。

 けれどシズは、うなずけなかった。

 涙声で、顔を上げられないままつぶやく。

 

「負けたい。ナツキとかみんなみたいに」

 

 ぴたりと、手が止まった。

 海の底になにかを探すような、沈黙。

 間隔の長い、呼吸の音が聞こえた。

 やがて、波立ちを意識して押さえつけ、微笑みをかぶせたような、ゆっくりとした声がした。

 

「……そう“望み”どおりにはならないんじゃないかな。さっきの黒ひげの避けかたを見ると、シズは下手だよ。負けるのが」

 

 暖かな身体が、シズの背に覆いかぶさった。

 

「さっきはわたしの負けだったね。もう一回やる?」

 

 シズはかぶりを振った。

 髪の毛が当たるのか、くすぐったそうにノゾミが笑い、両脇の下に腕を入れてシズの小柄な体を抱え上げた。

 ノゾミの髪からは、ほのかに潮の香りがした。

 

「はいはい、それじゃ、中学生はそろそろ寝る時間。……四月から、高校生だっけ?」

「……うん」

 

 それは確かに事実だったから、シズはうなずくしかなかった。

 航路を示し、波の下からでも、潜望鏡を上げさせる。そんな言葉だった。

 

 くっつかれたまま、部屋を出るとき、シズはふと振り返った。

 

「――カーテンは引いてるから、だいじょうぶ」

 

 灯火管制のなか、部屋の電気をつけたままであることに、ノゾミはほろ苦く笑った。

 

「すぐ戻るから。帰ってくるから。――(かえ)る場所は深海じゃないと、思いたいから」

 

 そのとき感じた体温を――シズはまた、感じることになる。

 深海棲艦に包囲された、そのときに。

 

 

 深海棲艦の駆逐艦多数に襲撃され、船団から引き離す方向に誘導しての戦い。

 魚雷も弾薬も撃ち尽くし、機関も損傷して、(くら)い瞳で自らに迫る異形を見つめたとき。

 水面下から足首を掴まれ、水底へと引き込まれた。

 

 パニックになり、むやみに手足を振り回しているところを、ふわりと抱き留められた。

 暖かな体温とともに、どんどんと深く沈んでいった。光のない、深海へと。

 

「――……!」

 

 ノゾミだとは分かった。

 だが、水面下では特設駆逐艦の艤装は役に立たず、生身の人間は何分も息を止めていられはしない。

 遠いとはいえ、深海棲艦が投下しているらしき爆雷の圧が、身体を揺さぶった。

 負けたいと言ったのに、そうなってみればパニックになった自分を恥じて、置いていくようノゾミを突き放そうとして――唇をふさがれた。

 

 こぽりと、唇の端から小さな泡がこぼれた。

 

 それは丸く、きらめきながら、水面へと浮かび上がっていく。

 見えるはずのない、ノゾミの笑顔が、泡のなかに見えた。

 本当のノゾミの顔は、ぼやけながら、目の前にあった。

 

 ノゾミに口づけされているときだけは、呼吸ができた。

 ソナーをもたない自分にはなにも見えなくても、冷たい海水に肌を刺されていても、爆圧があたりを揺らしてさえ、それは不思議と、安心できる時間だった。

 

「――ぷはっ!」

 

 やがて、水面に浮かび上がった。ノゾミは頭を振り、水滴を跳ね散らして、

 

「負けなかったね」

 

 と、言った。

 艤装は全損していた。駆逐艦は水圧に耐えるようにはできていない。

 だが、シズは生き残った。人間は耐えるように生きている。

 

 ノゾミに抱かれ、波間に顔を出して、シズは黙って青空を見上げた。

 

 

 

 それからしばらく経った、ある日。ノゾミは戻らなかった。

 

 独りであるがゆえに、何があったのかを誰も知らず、そして独りではないから、何かがあったことを誰もが知っていた。

 何日も、何人も、港で帰りを待っていた。

 リョウコは、食べられない料理を作り続けていた。

 

 それでもあるとき、電気がついたままの、部屋を開けた。掃除をするだけと自分に言い聞かせて。

 遮光カーテンはしっかり引かれているが、明るい蛍光灯が照らす部屋は、いかにも女子高生らしいグッズであふれていた。

 戦術教本などは、目立たない場所に押し込まれていた。

 

 だが、五紙もの新聞が、それぞれ四つ折りにされてきっちりと積まれていることが、奇妙に浮いていた。

 ときおり、政治欄に――これは彼女らしくかわいらしい――付箋が貼られていた。

 リョウコは、ミズキの部屋から見つけたスクラップブックを、そっとその山の上に置いた。

 

 

 リョウコは電気を消さなかった。

 多くの少女たちが、ひとりで、連れ立って、部屋を訪れては、なにかを話していった。

 

 泣き声がすることもあれば、笑い声が聞こえることもあった。

 新聞は日々届けられ、ときおり誰かが読んでいた。

 置かれているものはよく増え、稀に減った。

 減るのは、もとの持ち主を知る誰かが、持ち主とともに送るため。けれど多くの場合は、そうなったとしても、グッズはノゾミの部屋に残ることを選んだ。

 

 だからノゾミが還らなかったあとも、彼女の部屋は深海の暗闇にはならなかった。

 誰かが食事をしたり、訓練を終えた真面目な少女が汗を拭ったり、屋上にたむろしていたちょっとグレたグループが噂話をする場所を変えたり。

 そして、ノゾミや誰かの死を悼む者と物が増えたり、ときに減ったり。

 彼女の部屋には、来客と笑い声が絶えなかった。

 

 

 最後の戦いの前。高校教師であった、いや、高校教師であるリナが、二通の卒業証書を部屋に置いた。

 そのときも、まだ、電気はついていた。

 

 そしてすべてが終わったあと、誰かが、かちりと電気を消した。

 深海の脅威が去った海で、ひとつ、明かりが消えた。

 

 


 

 

【尚人と瑠璃と――】

 

 全館空調の心地よいはずの家で、私は少し汗をかいていた。

 尚人と彼のパートナー、そして瑠璃。

 

 直接のインタビューを中核にせず記録をまとめるのも初めてなら、それを縁者に見せるのも初めてだったので、緊張の汗だった。

 尚人の双子の妹であり、瑠璃の姉である、ノゾミのことを。

 いや、もちろん、記者としての経験のなかでは同種の記事を書いたことはあるが。

 だが三人の雰囲気は暖かく、私は胸を撫で下ろした。自分のことはともかく、ノゾミのことを誤解されては申し訳ない。

 

「おやおや、そんな人気だったなんて、ちょっと嫉妬しちゃうな」

 

 最初に口を開いたのは、尚人のパートナーだった。肘で尚人をつつきながら、笑顔で言う。

 

「いいじゃないですか、けっきょくあいつの手元で止まったんだから」

 

 かっこいいと言われていた尚人は、照れたように頭を掻いて、それに答えた。

 私の前だからか、少しだけかしこまった口調。

 だがそれも、次の言葉までだった。

 

「瑠璃も、かわいいってさ」

「そ、それは……うれしいけど……」

 

 かつて姉に憧れ、そしていま彼女を知りたいと言った女性は、姉の残した言葉に赤面していた。

 私としては、(かど)の取れたその表情が見られただけでも、少し嬉しい。

 

「からあげで売られるの? 私の秘密は」

 

 不本意そうな声に、私はつい吹きだした。

 もちろん、瑠璃も本気で怒っているわけではないけれど。

 

「いえ、冗談だと思いますよ。少なくとも、聞いたという方には会いませんでしたし」

「からあげに負けるわけ? ――ですか?」

 

 最後に思い出したように敬語を付け加える瑠璃。

 尚人が、からかうように言った。

 

「聞かれたいのか聞かれたくないのか、どっちなのかな」

「どっちって……そもそも、私は恋の話なんてノゾミ姉さんにしたことないし」

「ん? 書いてただろ、誰それがかっこいいって。ツカサさんの前だから名前は秘密にしておくけどさ」

「あ、あれはテレビの話じゃない!」

 

 瑠璃がテーブルを叩く。

 ほのぼのとした、生きている者の話。

 それでいいと思った。

 電気のついたあの部屋で話されたのも、そんな話だったから。

 

 気密性の高い、心地よい家が、ふと、灯りの消えない寮の部屋のように感じられた。

 

 

註:

黒ひげは、二〇二五年七月に、「飛び出させたら勝ち」に原点回帰したという。シズへのインタビューはその前に行った。いずれにしても、深海棲艦戦争当時は、ミズキが電話で聞いた勝敗が正しかったということである。

 

 

 


 

普段と違う形でお届けしました。

期せずして(いつもながら内容についてつかさができることはほとんどありません)、正しさをもって支えになったトワに対し、優しさをもって支えになったノゾミ、というイメージでしょうか。

トワが痛みとともに思い出されるのに対し、ノゾミは暖かさをもって思い出される。それはどちらが優れているというわけではないのですが。

 

ちなみに黒ひげ勝敗問題は、モキュメンタリーですから「2025年6月に序文発表」「その後各回の記録を発表」という時間軸はタイムスタンプどおりですが、「インタビューはもっと前に行われている設定」なのです。

 

次回は8/31(日)、章を改めて、「最後の戦い」に参加した、最後の特設戦艦の記録をお届けする予定です。

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