「終わりではない。終わりの始まりでさえない。しかし、もしかしたら、始まりの終わりかもしれない」
"Now this is not the end. It is not even the beginning of the end. But it is, perhaps, the end of the beginning."
こくり、と喉を鳴らして水を飲み、サラは話を続けた。輝く漆黒の瞳が、話を聞く私の揺らぎを波として聴く。そんなふうに感じられた。
ディナーパーティーで……気になったのは、シズ。
高校生にはなってたけど、まだ実際には一度も高校に通ってなかったから、中学校の制服で、壁際にたたずんでた。
誰も、声をかけられなかった。
……それはそうだけどね。
サナエさんさえ、外にいるから話しかけられないし。
正直、迷った。
わたしはなにも知らない。なにができるかも分からない。
だから、なにを言えばいいかなんて思いもつかない。
けど、まあ――ひっぱたかれたらそのときはそのときだって思った。
体を動かせば気分も晴れるかもしれないし。
だから、両手にジュースのコップを持って、シズに近づいた。
でも、言えることはなかった。
だから、「――ん」って、ばかみたいにコップを押しつけるしかできなかった。
ああもうカッコ悪かったったら。
でも。
「ありがとう」
そう言ったシズの声を聞いたとき、だいじょうぶだ、って思った。
どれだけ
ノゾミとのことは、そのときのわたしは知らなかったけど、それでも安心できた。
「食べないの?」
「もう食べた。あとは帰ってリョウコさんにふとらされる」
「そうだよね。ここの料理も珍しくておいしいけど、リョウコさんの料理もいつもおいしいから、そのうちわたし通常の三倍に――」
「ちょっとうるさい」
「……はーい」
ぶーたれたふりをして、わたしは窓の外を見た。
灯火管制の遮光カーテンを、光が漏れないように少しだけめくって。
それは布地で笑顔をシズから隠そうとしただけだったけど――そのとき、どうしてか、見えた。
外で警戒を続けてくれているサナエさんが、膝をついて、煙草をひと箱海に流す姿が。
見えるはずは、ないんだけどね。
潜水艦の
でも、ひょっとしたら、魂ってやつなのかもしれない。
サナエさんは艤装を
艦娘が艦の魂、艦にまつわる多くの人たちの思いの顕現だっていうなら、艦じゃない、ひとりの特設艦娘にも人間の魂くらいはあってもいいんじゃない?
「――なに」
「なんでもないよ。いや、あるけど――あとで、ね。あとで」
一瞬のことだったから、シズが見ようとしても間に合わないのは分かってた。
だからわたしはそう答えた。
変なやつ、って言われたけど、うれしかった。
――少しくらい、海は許してくれると思うよ。ごみじゃないし、さ。
シズにコップを差し出す彼女は、とても格好よかったのではとも思ったが――口には出さなかった。
ただ、ふと気になったことをさしはさむ。
「多くの方と会話をされて、お元気だったのですね。もちろん、一から十まで話していただいているわけでもないとは承知していますが――アカネさんは?」
私が記憶を聞いたと説明した特設艦娘たちとの会話を、選んで話してくれていることは分かる。
それ以外にどれだけの少女たちと接したのかは想像するしかないが、サラは活発で、そして賢い女性だ。
それだけに、アカネの不在が少し気になった。
問いかけに、サラも首をかしげ、視線を斜め上に向ける。
「んー……そういえば。でも、みんながみんなパーティーって気分でもなかったから、顔を出してない人も何人もいたし」
「そう、ですよね……」
「それに次の日は、もちろんアカネもいた。いつもの、綺麗で毅然とした、それでいて柔らかい、いつものアカネだったよ」
最初の特設艦娘への、最後の特設艦娘からの、どこか憧れを宿した表情。
アカネに会ったことがある私にも、その思いは分かる。
私は納得し、そして言った。
「決戦の日、ですね」
「そ。パーティーが終わって、ひと眠りして、夜明け前。わたしたちは、海に立った」
わたしたちは、海に立った。
夜明け前の、まだ暗い海に。
〈
Z旗?
いいや、そうじゃない。
わたしたちは、そんなものに用はなかった。
この国の興廃、それはもちろん大切だけど――わたしたちは、わたしたちのために海に立った。戦った。
わたしたちなりの理由で。
だから――ん、ちょっと自慢になっちゃうかな。
でもまあ、いいや。わたしがやらなくても誰かがやったはずだし。
ベッドシーツを、もらってきた。
豪華客船〈飛鳥〉の、キングサイズのベッドシーツ。
それに、みんなで書いた。
自分の決意、誰かの名前、好きな言葉、未来の夢、捨てられない思い出、大きな悲しみ、小さな喜び、大切な人へのメッセージ。
なにを書くかの決まりも、まとまりも、文字数制限も、向きさえなくて、あとになったら読むこともできないようなかっこわるい『旗』。
それが、〈飛鳥〉のマストに高く揚がった。
キングサイズのベッドシーツでも、海の広さに比べたら悲しいほどに小さかったけれど――確かに、そこにあった。
夜明け前でも、わたしたちには、みんなそれが視えた。
刻まれた言葉さえも。
護衛艦にも、旗が揚がった。
〈いなづま〉には、生真面目に「UW」。
意味は『貴船の御安航を祈る』。
それから、〈いなづま〉は海軍〈
わたしたちは自衛隊の旗を見て、もう一度わたしたちの旗を見て、前を向こうとしたとき、悲鳴が上がった。
一瞬緊張したけど、黄色い悲鳴、ってやつだった。
「
って、カズサが別の護衛艦を指さして叫んでた。
確かに、国際信号旗の「X」がみっつ掲げられてた。
日本でのZとか旗旒信号のUWには意味があるけど、XXXに意味なんてない……と、思う。
あるとしたら、ひとつだけ。
「キスを送ってくれてんの? うわー、かっこいいお兄さんだといいな」
「顔とかどうでもいいわ、あんなんやる時点で心がもうイケメンよ、カクジツ」
「髭のナイスミドルかも……いや、女性の航海長だったっけ?」
「マジ? あー、じゃあ絶対それよ、それ。さっすが女子は分かってるわー」
カズサと、ミドリ、マキ。
新入り――って、わたしも同じだけど――の、特設駆逐艦娘の三人が大盛り上がりして、その熱が周囲にも広がってた。
そんな公式記録はないと思うよ?
特設艦娘がベッドシーツの旗を高く掲げましたなんてのも、護衛艦が信号旗でキスを送りましたなんてのも。
でも、わたしたちは確かに覚えてる。
あの夜明け前の海を、ね。
海と空の境界が、藍になった。
水平線に、『
その前面に、深海棲艦がいた。
わたしにとっては、初めて見る本物の敵。
訓練を思い出して艤装を点検して、深呼吸して、正面を向いた。
心臓は口から飛び出しそうなくらいばくばくしてたけど、だいじょうぶ、って、自分に言い聞かせた。
まず来たのは、自衛隊のミサイル。
深海棲艦の影響下ではミサイルの誘導も推進もできないけど、それを計算したうえで機能停止直前まで突入角度を調整した飽和攻撃。
航空自衛隊F-2、それにF-1の80式と93式空対艦誘導弾、〈いなづま〉たち海上自衛隊護衛艦の90式艦対艦誘導弾。
通常兵器にもできることがあると言うように、一瞬だけ、藍が白になった。
けど、それだけじゃ勝てない。
次はハルとシズとを先頭に、特設駆逐艦娘が左右一列ずつに分かれた。
敵集団を両斜め前方から撃ちこんだ魚雷の網に包み込む、統制雷撃戦。
所定の位置に着いたら発射して反転、所定の位置に着いたら発射して反転――これだけの人数がいた、いや、今までずっと戦い抜いてきたんだと思うくらいに大勢の特設駆逐艦娘たちが、黙々とその艦隊運動を続けた。
「公算射撃、よーい!」
そして、私は声を張り上げた。
公算射法での射撃。
第二次八八艦隊十六人の火力を束ねて、決められたエリアに叩きつける。
火力は、ある。
でも艦娘のようには敵を追えなくて、当たらない。
だったら追わない。
ちょこまか逃げられようとなんだろうと、気にしないで最初に決めた場所を撃つ。
そしてできるだけその場所に敵がいるように、統制雷撃戦で次から次へと魚雷を撃ちこんで動きを制約する。
装甲も、ある。
でも艦娘と違って当たったら痛いし、怖い。
だったら当たらなければいい。
敵の砲撃だけ無限に伸びるわけじゃない。
だからわたしたちが避けるんじゃなくて、戦い抜いてきたみんなが魚雷と砲撃、そして人数で、深海棲艦がこっちに近づいてくるのを抑えこんでくれる。
速力も、ある。
でも艦娘のようにはうまく動けなくて、狙いを定める妨げになる。
だったらあれこれ動かなければいい。
計算の簡単な直線運動だけで、砲塔の動きはただそれに合わせる。
そのために、自衛隊の人たちが全力で過去の海図と今の戦場を研究して、進むべき航路を考えてくれた。
「――てーっ!」
艤装で制御されていても、耳をふさぎたくなるほどの発砲音。
統制雷撃戦の魚雷が、公算射撃の砲弾が、深海棲艦の集団に炸裂して海を白くした。
特設戦艦十六人の主砲を束にしたら、当たればどんな深海棲艦だってひとたまりもない、はず。
空は次第に朝日に照らされて、明るんできていた。
「……やった?」
フラグ、とか言うけど、言っちゃうんだなってひどく冷静な頭のどこかで思った。
だって怖い。口に出さないと、自分が撃ったのかさえ自信がなかった。
「――やってもやってなくても、次を撃て! 早く!」
レイカの声が、無線から響いた。
そう、公算射撃はそういうもの。
でもそれが分かるのは、指摘できるのは、そのために訓練してきたわたしたちじゃなくて、そのための足止めをする役割のレイカだった。
「あなたたちなら、できます。撃てます」
アカネの声が続いた。
当てられます、じゃない。
まるで一歩踏み出せますっていうような、当然みたいな励まし。
わたしは唇を血が出るくらいに噛みしめて、前を向いた。
「てーっ!」
第なん射とは、言わない。数えない。不安になるから。
そう決めていた。
どれだけ考え抜いたって、所詮は点と線。
面を動き回る深海棲艦に、公算射撃も、統制雷撃も、当たらないことのほうが多い。
でも、撃たなきゃぜったいに当たらない。
砲弾で、魚雷で、深海棲艦が少しずつだけど沈んでいった。
「魚雷発射後は、再集結して第二次八八艦隊前方へ展開、焦らず確実に!」
指揮を執る特設軽巡艦娘のナルセさんが、駆逐隊の子たちに冷静に指示を出した。
それは生きた壁になって、わたしたち火力部隊への深海棲艦の接近を防ぐこと。
みんな自分が弾除けだと、捨て駒だと知っていて、誰もためらっていなかった。
いつものこと、だから。
弾除けになるのは。
いつものこと、じゃないから。
後ろから十六人の火力が深海棲艦にぶつけられるのは。
だから――だから。
私は叫んだ。
「――てーっ!」
戦艦が、巡洋艦が、消えた。
それでも、歓声は上がらなかった。
みんな唇をきっと引き結んで、ひたすらに砲を撃ち続けた。
水柱を背に高速で迫る駆逐艦を、アカネとレイカが前衛両翼から主砲で確実に撃ち減らした。
駆逐イ級一隻との最初の戦いから、どれだけの血と汗と涙を流した結果なのか、わたしには分からなくて、それでも
これが、八八艦隊の戦艦なんだって。
次発装填できるハルとシズが、斬り込んだ。
無数の深海棲艦の間をすり抜けながら、一隻一発で、確実に始末していった。
ハルの駆逐棲姫由来の艤装は、深海棲艦の敵味方識別信号を混乱させて、敵の隊列が乱れた。
蒼白い航跡を引きながら戦場を縦横無尽に駆け巡る姿に、わたしたちさえ一瞬目を奪われた。
それは深海棲艦に似ていて、もちろんまったく違う美しさ。
けれど、最強は昏い瞳のシズだった。
雷撃、砲撃。
傷ついて膝をつく特設駆逐艦娘に白い雷跡が迫れば、手に持った主砲を投げつけて爆発させて、代わりにその子の砲塔を受け取る。
本来なら、できるはずない。
「量産型」の艤装だって、それぞれに微調整されてるんだから。
でもシズはそれを力と技と魂でねじ伏せて、新しい砲を撃った。
魚雷が尽きれば、脚から引き剥がして、身軽になったところで海を舞う。
砲撃は確実に当たったし、潜水艦の魚雷はほかの誰にも分からないような直感でかわしたし、重巡には食らいついて一歩も進ませなかった。
リンとマリアとナツキとアオイとサチの、戦い方。
「――てーっ!」
喉の奥に、血の味がした。
汗が流れて、前線のみんなの流す血に、涙も
でも、そうじゃない。
いまわたしたちがすべきことは、泣くことじゃない。
そう信じて、目を見ひらいた。
「行ける……?」
「……行ける!」
小声で、隣のユリとアンズが言い交わしてた。
分析が半分、鼓舞が半分。
けれど半分だけでもほんとうに――そう思ったとき、頭を揺さぶられた。
「敵機直上――!?」
誰かの、悲鳴が聞こえた。
額を押さえると、べったりと血がついた。
でも、まだ生きてる、撃てる。
痛みなんて感じなかった。
けれど航空戦力だけは、特設艦娘にはほとんどない。
艦載機が飛べない
だけど空は明るくなってきていて、まだ、艦娘は来なかった。
みんなの隊列が、はじめて崩れかけた。
艦娘とは違って、空と海とに同時に意識を配ることは難しい。
でも、そこに、軽やかなプロペラの音がした。
「――先生!」
たった二機の、深緑色の戦闘機。
サナエさんとリナさんの、魂。
投下コースに入ろうとしていた深海棲艦の爆撃機が、あわてた様子で機体を捻った。
機銃は当たってなかったみたいだけど、爆撃機は引き起こすのが遅れて、わたしの右横に無害な水柱が立った。
次の瞬間には深緑は集中攻撃を受けて、粉みじんに消えた。
けど。
「ふたり一組! 対空、対艦、声をかけて!」
ナルセさんが、的確な指示を飛ばした。
みんなの士気が、戻った。
隣の子と手を繋ぐ。ぎゅっと握る、体温。
「いや、二人組作ってはトラウマだわー」
って、カズサが茶々を入れて、みんながどっと笑って――次の瞬間、カズサが後ろに吹き飛んだ。
悲鳴が上がった。
正面から突っ込んでくる、戦艦レ級。
ミドリとマキが激昂して立ち向かって、ふたりとも副砲に吹き飛ばされた。
海面に、赤い血が拡がった。
今度こそみんなが崩れかけたとき、レ級を砲弾が揺らした。
「あー、もう、今日は派手にやっても助けは来ないしな」
生還を諦めたような、諦めたことを喜ぶような、レイカの声がした。
全速力で、額にわずかな傷のあるレ級に突進する。
シズとハルの主砲がレ級の視界を奪って、レイカを支援する。
けれど、レイカの足下が爆ぜた。
レ級の使いこなす兵装のひとつ、特殊潜航艇。
魚雷が二発、レイカに突き刺さった。
「魚雷二発じゃ、トワは……トワあああっ!」
レイカは沈まなかった。
言葉にもなにもならない、ただの叫び、もしくは祈り。
レ級の顔面に、人間としての右ストレートが決まった。そのままレ級と掴み合う。
「構わないから、全弾ここにぶち込め!」
って、レイカが叫んだ。
公算射撃なら、確実にレ級を仕留められる。
でも、だけど、諦めたことを喜ぶようなさっきのレイカの声を聞いた、わたしにはできなかった。
――わたしは、公算射撃を捨てた。
「弾種、徹甲! よーく狙います!」
はじめて、
轟音。
奇跡か訓練の成果か、正確に当たった。
レイカの腕は燃え上がったけど、それでもレ級のほうがダメージが大きかった。
顔を押さえて唸り声を上げるレ級に、アカネが反対側からすうっと接近した。
零距離射撃。
「――……!」
言い表しようもない、レ級の悲鳴が響いて、そして消えた。
アカネは一瞬ちらりとレイカに視線を投げて、微笑んで、そのまままっすぐ敵艦隊に突っ込んでいった。
いや、敵艦隊の彼方の、『
けれど、そこで、ようやく、艦娘が来た。
それからのことは、正確に思い出すことがどうしてもできない。
曖昧な記憶のなかでは、わたしたちが切り開いた航路を、深海棲艦にも、波にさえも揺らがされずに、アカネがまっすぐにまっすぐに進んでいく。
その後ろに、艦娘が続く。
夜は朝になっていて、けれど深海は暗い。
ぱっ、ぱっと、まばらに、艦娘と特設艦娘と深海棲艦の発砲炎がひらめく。
水平線の向こうに、アカネの姿が、航跡が消えていく。
「艦娘の突入、成功。繰り返す、艦娘の突入、成功」
そう、打電した。
どれだけの犠牲を払ったとしても、それは、成功だった。
特設艦娘は、求められていたことを完遂した。
わたしたちには、予定どおりに、後退命令が出た。
艦娘が勝っても負けても、なにが起こるか分からないから。
重傷者は先に後送されたけど、腕に重度の火傷を負ったレイカも、もちろん頭から血を流してるだけのわたしも、海に立ち続けた。
一瞬のようにも、一日のようにも思えたけど――艤装が、力を失った。
溺れそうになって、わたしたちは大急ぎで艤装を脱ぎ捨てた。
鋼鉄と弾薬とガラスの冷たい塊は、深海へと沈んでいった。
腕の不自由なレイカの艤装は、不思議なことにほんの少しだけ長く機能を残していて、わたしたちが手伝って外すまで、レイカは海に立っていられた。
深海棲艦は、消えた。
艦娘も、帰ってこなかった。
アカネは帰ってきて、微笑んだ。
「終わりました」
って。
ふうっ、と――サラが息をついた。
終わった。
それがどれだけの意味を持つか、私も多くの記憶を集めるなかで、少しだけでも想像できるようになっていた。
「それで、終わった……のですね」
「――うん。まあ、帰りは、パーティーって気分でもなかったけどね。それに、本当に終わったのかまだ分からなかったし」
どこか呆然とした様子で、サラがつぶやく。
「でも、次第次第に世界各地から、同じような報告が届き始めた。それで――終わった、っていうことになった。
深海棲艦も、艦娘も、海から消えた。
特設艦娘は、わたしたちは消えなかったけれど、艤装は力を失った。わたしたちは、ただの女の子に戻った」
決して彼女たちは消えないけれど、航跡は、消えた。
それが私の集めてきた記録だった。
ただ、それでも、彼女は少し違うようにも思えた。
率直に、聞いてみる。
「そして、自衛隊で新たな道を志されたのですよね。特設艦娘としての経験も、役に立ったのでは?」
あっけらかんと認めるのかと思ったが――意外にも、サラは考え込んだ。
「いや、けっこう大変だったよ? 上司の上司が、あのときF-2でミサイル撃つだけ撃って帰った人だったりするんだから。
もちろんそれだって命懸けだったんだけど、わたしたちほどじゃないから」
ほんの少しだけ苦く、サラが笑う。
「こっちは階級に敬礼してるけど、あっちはそうじゃない。わたしじゃなく、あのときの特設艦娘に答礼してる。そう思うことがあった。
そもそもわたしの身長でパイロットなのも、ちょっと異例。
高下駄履いて歩くのも大変なのよ? 高下駄じゃなくても一番だって速度で、歩きにくい高下駄で歩くのは、もっと大変」
嫌味ではなく、ただ事実を告げるような口調で、サラは言う。
身長がどうだろうと彼女のような人材を手放したいとは思わないはずだが、実際に、事実だということだってあるのだろう。
世間が特設艦娘を忘れようとしていると思えてしまうのも、そのためかもしれない。
だから差し出口を承知で、口を開こうとした。
高下駄ではなく、ただあなたの背がとんでもなく高いだけではないのかと。
だが――私がそんな余計なことを言う前に、サラは破顔一笑した。
「ま、うじうじしてたらゆーくんに言われたんだけどね。
『そりゃ腕相撲をしたら僕が勝ちますよ。でも、戦ったらそうじゃない。素手でも武器を持ってもあなたが勝つ。僕があなたに惚れてるからじゃなくて、たとえ不倶戴天の敵だったとしても同じです』って」
「そ、それは……」
「言ったの第一空挺団だよ? それにフグ・タイ店の敵ってなによって、思わずどついちゃった。やっぱりサメってこと? フグとタイを食い荒らすやつ」
本気なのか冗談なのか、冗談だとして彼女のなのか彼のなのか、若干判断に困って、私は頭を押さえた。
もちろんそれは、心地よい頭痛ではあったけれど。
「あっ、でもそしたら敵は仮定の話で、ホントはべた惚れなんですってこう――」
「……帰っていいですか?」
「いいよ?」
「す、すみません、嘘です帰りません」
役者が違う。おとなしく無地の白旗を掲げて、サラの続きを聞く。
「それで、まぁ、いいのかなって思った。高下駄つきかどうか知らないけど、一番なんだったら、その景色を楽しんでやろうって。
それで私みたいなのが誰かひとりでも追いかけてきたら、なおのこといいでしょ?」
大きな大きな笑顔を、サラが浮かべる。
サメのように笑うという言葉の実例を、私ははじめて目にした。
とびきり素敵な女性の、サメのような、輝く笑顔。
口にしたら取って喰われそうだったので、必死にこちらの口を押さえる。
「んー?」
サメのひれが、周囲を泳ぎ回る。
ノゾミがどこかで微笑んでいるかもしれない。
私は“生還”を諦めて、諦めたことを喜ぶ声で、言った。
「はい、サメみたいで素敵だと思います」
――と。
一発、はたかれた。
インタビューを終える前、最後に、サラに聞いた。
「――“旗”は、いまどこに?」
「さあ、どこでしょう」
サラに微笑まれ、いささか無粋な質問だと反省した。
かつて海に立ったひとりひとりの記憶の中に、でよいのかもしれない。
けれど海に立てなかった私も、記憶の波打ち際くらいには、少しだけ分け入らせてもらおうと思って、自衛隊の基地を出てから、これまで逢った特設艦娘たちに電話をした。
シズは、自分も含めた名前を書いたという。
どれだけの名前を書いたのかは、聞けなかった。
レイカは、彼女とトワが読んだ小説の言葉を一箇所だけ変えて、「あなたの親友であったことは、無上の光栄です」と。
サナエは教師らしく、端正な文字で校訓を書いた。
『自主自律』。独り立つのではなく、自らを律すること。
それは偶然にも私が通った高校の言葉と同じで、ふと懐かしさを覚えた。
ハルには予想どおり、秘密だと言われたが、食い下がってみた。
彼女は「キミ、強くなったね」と面白そうに笑って、「車椅子のタイヤの軌跡を旗に引いたよ。それも私の航跡だ」と、本当か嘘か分からないことを答えてくれた。
「自分を守る線を引くのも、引きながら覚えていくことだと言っただろう?」と。
ナルセに問うのは、正直なところ躊躇した。
だが、問わないのも、会社の電話番号にかけるのも違うだろうと思い、
ナルセは会ってくれたが、頭を下げても詫びられるようなことはないと言われたし、あのときの飲み代を払おうとしても「居合わせた男たちが払ったので」と返された。
消え入りそうな声で、旗のことを聞くと、
「かつての名前を書いて、消しました。それだけです」
と答えられた。
なにも言えず、ただ記録すると、部屋を出ようとしていたナルセが立ち止まった。
「――というのは、理想の嘘です。実際には、プラントの改善案とか、あるべき組織図とか、そのようなことを書いたと思います。
青過ぎた時代の夢で、叶ったこともあり、まだ叶っていないものもありますが」
それだけ一気に言って、今度こそ本当に、ドアが閉まった。
「まだ」だと――そう過去を未来に意味づけた彼女の声は、少しだけ柔らかかったように感じたが、それも、彼女か私の理想の嘘かもしれない。
サラ?
彼女は、父の国の言葉と母の国の言葉で「あれやこれや」を書いた、そうだ。
つまり片方は日本語だが、「あの旗が千年後に発掘されたらロゼッタストーンになると思うよ」と言われたから、いったいどれだけの言葉を残したのか。
なんとか読んでみたい気もするが、きっと、いまの彼女と話すほうがもっと価値があるのだろう。
――そしてアカネは、ただ一言。「姉妹に」。
最終決戦の記録をお届けしました。
最終決戦ながら、最初のエピグラムのとおり、イメージは「スタートライン」でしょうか。海援隊ですし……。
とまれ最初の特設艦娘であるアカネに対し最後の特設艦娘、ある意味物語のヒーローであり、もっと早くに戦闘に参加していれば何人かの特設艦娘の未来は違ったのかもしれませんが、です。
いつもながらつかさにできることはなにもないのですが。
次回はいよいよ最終回、同じように最終決戦に参加していた艦娘の、少し違った記録をお送りする予定です。
9/14(日)までお待ちください。