消えた航跡――特設艦娘の名のもとに――   作:白水つかさ

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補章 艦娘の海、人の海
三枝とツカサ


これらのたましいは、喜びと悲しみで織られていた。

悲しみによって、うつくしく清められ、

それでもすぐに笑みを浮かべた。

歳月はやさしさを与え、夜明けはかれらのもの、

夕映えも、大地のすべての色もまた。

 

かれらは生の動きを視て、音楽を聴き、

眠りと目覚めを知り、愛し、誇らしく友と歩んだ。

そっと胸をふるわせ、ひとりで座り、

花に、毛皮に、頬に触れた。

すべて、もはや終わった。

 

水面は風に吹かれて笑い、

豊かな空に照らされて、一日中、きらめいていた。

そしてそのあとには、

霜が、ひとふりで、踊る波も、

さまよう美しさも凍らせる。

 

白く不滅の栄光を、集う輝きを、

広がりを、そして、輝きわたる平和を、

かれらは残していった。

 

――Rupert Brooke "The Dead"

 

 

 詩を記したメールが届いたのは、日曜日だった。

 差出元は、「.go.jp」ドメインのメールアドレスで、三枝邦彦(さえぐさくにひこ)議員事務所の公設秘書の署名がなされていた。

 かつて特設艦娘を忘れようとしているのではないか、保護という美名で枠に押し込めようとしているのではないかと三枝に問い、弾き返された記憶が、脳裏を苦くよぎる。

 

 だがそれ以上に、当惑の思いが強かった。いちど取材に訪れただけの記者である私に、いまさらコンタクトする必要があるのかと。

 取材結果を文章にすることは事前に告げていて、特に条件を付けられたわけでもなかったし、公開からは相応に時も過ぎている。

 そもそも抗議かなにかなら、詩を送ってくるはずもない。

 

 メールには、改めて話ができればという趣旨が丁寧に書かれており、日程候補も提示されていた。

 議員会館という場所への興味も手伝って、私はすぐに返事を書いた。

 それも含めて秘書の、あるいは三枝の「上手さ」だと感じなかったわけではないが。

 

 


 

 

 近日中に国会が開かれそうだという情報の出回る、ある日。私は議員会館を訪れた。

 

 入口の衛視に議員名を伝えると、内線で事務所に確認しているのだろう時間のあと、中へと通された。

 手荷物検査はあったが、もちろん危険物など持ってはいない。

 エレベーターで指定された階まで上がり、部屋番号を確認して声をかける。

 

「――白水です」

「お運びいただき、ありがとうございます。秘書の柳瀬(やなせ)と申します」

 

 まだ四十台にはなっていなさそうに見える、細身の男性に迎えられた。

 きっちりと着込んだスーツが、生真面目そうな雰囲気によく似合っている。

 政界には駆け引きも裏取引もあるだろうにと、余計な心配をしてしまうほどに。

 

「どうぞ」

 

 彼に導かれ、部屋に入る。

 議員会館に足を踏み入れるのも、もちろん議員個々人の部屋に通されるのもはじめてだ。

 だが、どこか見覚えがある。

 一瞬考えこんで、校長室を思い出した。

 特設艦娘の記録と記憶をたどる取材では、サナエに特設空母としての経験と、駆逐隊の少女たちの追憶、そして――彼女たちの最期を聞いた部屋。

 

 入ってすぐのところには、ファイルキャビネットや比較的簡素な机が置かれたワークスペース。

 間仕切りの奥にはソファーのある応接スペースがあり、最奥に主――校長室なら校長先生、ここならば議員が座している。

 教育でも政治でも、権威の輪郭は似てくるのかもしれない。

 

 三枝には、外の飲食店でインタビューしたときでさえ、彼の論理に歯が立たなかった。

 なら彼の陣地たるこの場所で、私になにが問えるのかと、改めて不安になる。

 

 けれどサナエには、彼女の居場所である校長室で、いろいろなことを教わった。

 三枝に届かなかったときにはまだ出逢えていなかった、多くの特設艦娘たちにも。

 いちど拳を握り、そして、開く。

 

「お久しぶりです。お招きありがとうございます――と申し上げるべきなのでしょうが、正直なところ、驚きました」

 

 だから、先にこちらから声をかける。取材を申し込んだ前回とは異なり、招かれた身であることも確かだ。

 

「お忙しいでしょうところ、ご足労いただき恐縮です」

「どうでしょうか。けれど、少しでも忙しいとすれば、取材に応じていただいたみなさまのおかげですから」

「謙虚な方だ。ともあれ、どうぞ」

 

 ソファーを勧められたので、遠慮なくかけさせてもらう。

 三枝もデスクから出てきて、私の対面に腰かけた。

 相変わらず、油気のない締まった体に知的な顔立ち。スーツのラペルに、議員バッジが存在を主張している。

 

 

「まず、あの詩についてお伺いしても?」

 

 レイカやハルに、教わったこと。

 論点設定、レイカ流に言えば、「何について聞きたい?」というわけだ。

 三枝は表情を変えず、少しだけ面白がるように首をかしげたので、言葉を続ける。

 

「私はあの記録の冒頭に、ブルックの詩を掲げました。うまく訳せたかは自信がありませんが、自分なりに彼の思いと取り組んだつもりです。

 だからこそ思うのですが――大臣としてご多忙のなか、それなりに時間がかかったのでは?」

「いえいえ、大したことは」

 

「メールは秘書の方のお名前でしたね。そちらの方が訳されたのでしょうか? それでも、秘書の皆様もお忙しいでしょう。

 あるいは、どこかに訳詩がありましたか」

 

 軽い緊張感。

 原詩の著作権保護期間は満了している――だから私が自分なりの日本語訳をするのは自由だ――が、訳には新たな著作権が発生する。

 本などから既存の訳を拾ってきたのであれば、訳者の没年次第だが、厳密に言えば著作権法違反、となる場合もありえる。

 むろん、議員たるものがそれを知らないはずもないが。

 

「――あなたが、訳されたようなものですよ」

「……?」

 

 だが、思ってもみない返しに、あっけにとられた。

 

「生成AIはご存じでしょう? プロンプト、と言うのですかね。グランチェスターの原文とあなたの訳、それからThe Deadの原文を入力してみたら、あの訳を出してきた。

 だから、あなたが訳したようなもの、というわけです」

「それは――」

「グランチェスターの訳はあなたに著作権があるでしょうが、その創作性じたいを私が享受したわけではなく、人格のない大規模言語モデルに与えただけですからね。著作権法上の問題はないそうですよ」

 

 先ほどの私の発言の、意図までお見通しというわけか、そんな解説まで付け加えられる。

 ふところに手を入れられたような――いや、正直に言えば、素肌に触れられたような不快感があった。

 視界が狭まり、呼吸が早まる。

 手のひらに汗が浮かぶ。

 だが、意識して、拳は握らない。

 

「……それは、意外でしたが。使っていただいて感謝します、と言うべきでしょうか」

 

 平坦な声で、返す。三枝がかすかに笑うのが見えた。

 秘書の柳瀬が居心地悪そうに身じろぎしたのも、視界の端で分かった。分かったことで、少しだけ余裕がもてた。

 

「私ももとより記者として、みなさまから預かった、借り物の言葉を連ねている身ですから。

 詩の訳についても、ブルックの言葉を借りている点では同じです。あなたにまた借りされたからといって、文句を言いはしませんよ」

「なるほど。以前のあなたなら、もう少しうろたえていたかもしれませんが」

「――この旅で出会った方々のおかげです。あなたも含めて、ですね」

「あのときの記録では、上から目線と書かれてしまいましたからね。そんなことはありませんよと、対等な相手として揺さぶってみたのですが。さすがにお強い」

 

 そう言われると、苦笑するしかない。

 あのときそう思ったのは確かだし、少なくとも、書くなとは頼まれなかった。

 そして、

 

「……それを上から目線と言うのです」

 

 さくりと返してみる。

 あのとき男性記者たちと交わしていたのとは異なる、愉快そうな三枝の笑い声がした。

 

「はは、これは手厳しい」

「分かったよクソ野郎、と申し上げましょうか?」

「シズさんの言葉ですか。犠牲を払えと本音で伝えてくる正直な奴、という意味の、ある種の誉め言葉だったと記憶しています」

 

 私の言葉は字面だけなら明らかに罵声なのだが、三枝は顔色も変えずに返してきた。

 やはり、私の記録をよく読み込んでいるらしい。

 彼は控えている秘書を示し、言葉を続ける。

 むしろ秘書のほうが、弁明したいような顔をしていた。

 

「ちなみに、そちらの柳瀬くんと私でかなり手は入れましたよ。大意はともかく、詩としてはまだまだ機械には任せられない」

 

 安堵した、というよりは、その光景を見てみたかった、と思った。三枝のような大物政治家が辞典と首っ引きになっている様子は、さぞ違和感があっただろう。

 柳瀬のほうは、むしろ文学にたずさわっているほうが似合うような雰囲気なのだが。

 正直にそのあたりを口にすると、三枝はまた笑った。

 

「彼は乱読家ですからね。実に頼りになりました」

「引き抜かせてはもらえないでしょうね。

 ……ともあれ、人力ならばなおのこと、私を揺さぶるためだけに時間をかけたわけではないですよね」

 

 

「ええ。あなたに伺いたかったのですよ。

 新艦娘――あなたの、彼女たちの言葉に従えば、特設艦娘ですかね。彼女たちの記録の冒頭に掲げるなら、こちらではないかと」

 

 まっすぐに私を見据え、直截(ちょくさい)に切り込んできた三枝の言葉を、一瞬、受け止めかねた。

 著作への干渉、などという「上から目線の」ものではない。

 むしろ、率直な感想、あるいは、異議とでも言えばよいのか。

 

「グランチェスターは確かに美しい詩です。故郷の懐かしさと、そこを離れた焦燥と追憶を綴る情感は、戦場という異郷にあった少女たちに捧げるに相応しいのかもしれない。

 ですが、ブルックがあの詩を書いたのは平時です。その気になれば、いつでも帰ることはできた。戦時下とは違って」

「……はい。ベル・エポック、ではあります」

 

 ひとまず事実を認める。聞いている、ということを示すだけの、受けにもならない発言ではあるけれど。

 むろんそのまま、三枝の意見が続く。

 

「そして第一次世界大戦がはじまり、彼も従軍した。

 The Dead、『死者』のほうは、まさに戦中に、戦士を讃えて書かれた詩です。

 もはや日常に戻ることはできない死者を――そして彼自身も、そのひとりとなりましたが」

 

「存じています。あまりに若い死……ブルックも、多くの兵士たちも。特設艦娘たちと同じように」

「ええ。ですが、すべては終わり、かれらの時は凍りついたとはいえ、栄光と平和を残した。

 それこそが、ブルックが大戦の死者に捧げた言葉であり、彼女たちに捧げられるべき花冠ではありませんか?」

 

「……ご意見は分かりました。分かったつもり、かもしれませんが。受け止めたいとも思います」

 

 あのときのようなクリシェは、いまの三枝にはなかった。

 だからかえって、思い浮かんだことを口にするのに躊躇してしまう。

 傷口に指を伸ばすようなためらいをもって、おずおずと声を押し出す。

 

「今度は、私が上から目線と言われるかもしれません。実際にあの戦いの渦中にあった方に対して、僭越だとも思いますが――」

「いえ。あなたも、やはり戦場にいたのだと思いますよ。ご遠慮なく」

 

 冷静な声で、三枝に促される。

 思い切って、私は言う。

 

「……あなたにとっても、あの戦いは青春であり栄光であり、死に似たなにかでさえあった。政治家や官僚の方が戦っていたことも分かると、アカネさんも言っていました。

 『死者』をこそ掲げるべきというご意見は、そういうことでしょうか」

 

 正面から、目を見てぶつかる。三枝は微動だにしなかった。

 うっすらと、だが面白そうに、唇が弧を描く。

 

「あのときも、自負と覚悟はありますと申し上げましたかね。とはいえその程度です。不滅の栄光という詩を自分に寄せるほどには、思いあがっていませんよ」

 

「――そして、あの戦いを終えて誰ひとり残らなかった、艦娘にとって」

「……」

 

 はじめて、三枝の瞳が揺らいだ気がした。

 

 私は、ふと、〈吹雪(フブキ)〉の名を思い出した。

 深海棲艦に対抗する術を示した、最初の艦娘。

 三枝も幾度も話し合ったという――そして、戦い半ばで海底に沈んだという、少女の姿をした艦の名を。

 

「……なるほど。艦娘は、消えた。彼女たちにも、捧げたかったのかもしれませんね、私は」

 

 ゆっくりと、目を閉じて、三枝はうなずいた。

 あのとき感じたかすかな違和感、艦娘の「死」に触れたときの三枝の瞑目が、心に蘇った。

 何かを吹き消すように、三枝がひとつ、ため息をついた。

 私は、彼に答える。

 

「あなたの翻訳は……思いは、受け止めました。ですが、やはり私はグランチェスターを選びます」

「理由を、いえ、思いを、ですかね。聞かせてください」

「私が記録したのは、生きている人たちの声です。死んでしまった人たちも、声のなかで生きていた。彼女たちが生きた航跡を、私は記録した」

 

 あのときとは、また違った必死さで、私は言った。

 

「あなたも生きている。終わっていないんです、なにも」

 

 深海棲艦も、艦娘も、海から消えた。

 けれど、特設艦娘たちは、消えなかった。

 美しく終わることを拒否したのだと――意識的にせよ、無意識にせよ――思う。

 

 そして、「あのとき艦娘は何を思ってたやら」と肩をすくめた、レイカ。

 三枝の瞑目。

 ならば艦娘さえも終わってはおらず、生きている者のなかに残っているのかもしれない。

 

 

 

 レイカのことを思い返して、ふと気になった。司書である彼女なら、三枝の訳詩をどう思うのかと。

 AIとレファレンス、という対比は、私もときおり耳にすることがあった。

 それで、

 

「すみません、少し、ネットを見させていただいても?」

 

 三枝に断りを入れる。

 取材の最中に他のメールチェックをしている輩と誤解されたくもないからだが、心配はいらなかったかもしれない。

 だが、疑問をもたれたのは確かだ。

 

「構いませんが、なぜ?」

「The Deadの、原文を見たくて。図書館員(レイカさん)なら、自分で一次資料に目を通せと言うのかなと思いました」

「なら、プリントアウトを出しましょうか?」

「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ、ペーパーレスの時代です」

 

 国会審議では大量の紙が配られているとも聞くが、三枝は苦笑した。

 それにしても、奇妙な協力関係だ。

 とまれ素早くスマートフォンを操作して、英語の詩を表示する。最後の連を。

 

 

He leaves a white

Unbroken glory, a gathered radiance,

A width, a shining peace, under the night.

 

 

「――なにか?」

 

 興味深そうに、三枝が訊ねてくる。

 いや、政治家なのだから、内心がどうあれ興味をもっている風を装うことは朝飯前なのだろうが――そのときの彼は、本心から問いかけているように思えた。

 スマートフォンの画面を、三枝に示す。

 

「生成AIにかけた、と言われましたね。わりとよくあるそうです……いえ、私の訳と原語を使ったということなら、私のせい、かもしれませんが」

 

 私がグランチェスターを選んだときにも、『死者』は選択肢にはあった。

 そのとき目を通したのはとうぜんながら原詩だから、送られてきた訳を読んだときにかすかな違和感があった。

 それをいま、確かめた。

 

「under the night――夜のもとに。最後の一節が、訳では失われています」

「……なるほど」

 

「ブルックは戦中に亡くなったとおっしゃいました。必然的に、The Deadを書いたのは世界大戦のさなかになります。

 だから栄光や輝きや平和は確定してもたらされたものではなく、暗い夜のもとに遺されたもの」

「……」

「私たちはそれを、拾い集めなければならない。記録しなければいけない。

 そう詩人が唱えていると読むのは……いささか、自分に引き寄せすぎかもしれませんが」

 

 これもクリシェだろうか、と、心のなかで苦笑する。

 アカネやサラ、カズサなら、もっと軽やかに扱えるのだろうけれど。

 海に立てなかったかつての子供としては、少し肩に力が入ってしまう。

 

「だから『死者』もまた、終わっていないんです」

「ならそちらでもよいのでは?」

「……あ」

 

 思わず間抜けな声を出してしまった。三枝が愉快そうに笑っている。

 ……まあ、それでいい。

 少なくとも今の顔は、いつかの上から頭を撫でるようなものではなく、リングでつんのめった相手に向けるものだ。

 対戦の場には上がらせてもらえたと、思っておくことにする。

 

 

「冗談ですよ。お見事でした」

 

 三枝が、ソファーに深く掛けなおす。

 知らず知らず身を乗り出していたことにいまさら気づき、私も座りなおした。

 最後に、というような気持ちで、問うてみる。

 

「それにしても、なぜ私を呼んだのですか?」

「あなたが記録を発表して以来、私のところにもいくつかの反響が届きました。たいがいは感情的に過ぎるものでしたが、中には興味深いものもあった」

「ご迷惑でなければよかったのですが――」

 

「それは、ご心配なく。議員事務所に日々寄せられているご意見からすれば、大海の一滴です。

 ただ、この流れの速い時代に、反響など長くは続かなかった。だからもう一度、やってみてもよいかなと」

「……水面にもうひとつ小石を投げ込んでみよう、と。石ころですか、私は」

 

 不満そうに、と言いたいが、尚人のときと同じく、うまい表情も作れずに私はつぶやいた。

 

「石で文字を刻むこともありますからね。あなたならまた書くでしょう。打ち負かされても、誠実に」

 

 あのときの記憶が、あらためて蘇る。必ずしも、苦くはなく。

 ひとつため息をつくと、偶然にも、三枝の嘆息と重なった。

 

「――と思いましたが、今回は私が負けましたかね」

「勝ち負けの問題では……」

「かもしれません。そして、書くなとは言いませんよ、今回も」

「それは、どうも」

 

 潮時、というわけか、三枝が立ち上がる。

 議員席を向いたまま、目は合わせず、けれど距離を開けもせずに、彼は言った。

 

「今度、娘が母になります」

「――おめでとうございます」

 

 席を立って、本心から私は言った。

 少しだけ年齢を感じさせる声で、どこか私以外の誰かに聞かせるように、三枝は続ける。

 

「あのときは五歳でした。私は、板東副長や特設艦娘の親たちとは違った」

「……」

 

「だから反省した、というわけではありません。

 私が冷酷な官僚であなたが人情味ある記者だったり、あなたが愚か者で私が賢明な選良だったりすれば構図は簡単ですが、そういう話ではない。

 ただ、あなたの記録を読もうと思った理由のひとつでは、あるかもしれません」

 

 絵解きを求められているわけでは、もちろんない。

 簡単な構図などない。

 だから私は黙って、自分にできる唯一のことをした――記録して、記憶することを。

 

 やはりここにも、終わりはなかった。

 

「さて」

 

 三枝が議員席に座し、私を見た。

 

「あなたはよい記者だと思います。私の伝記でも書いてみますか?」

「え……?」

 

 ぽかんとして、思わず腕組みをしてしまう。

 本気で悩んだ私を見て、三枝は――腹立たしいことに――実に面白そうに笑い声をあげた。

 

「冗談ですよ。引退するか――あるいは総裁選への出馬を狙うか。政治家が伝記を出すのはそんなときです。

 まだ、どちらも考えてはいませんよ」

 

 まだ、と未来に位置付けられ、ナルセを思い出す。

 取り込まれたと言われるのかもしれないが、面白そうだとは思った。

 まあ、こんな狸では、少なくとも前者はいつになることやら分かったものではないが。

 

「書かせたくなったら、また詩を送ってください。前向きに検討しますよ」

 

 せいぜい苦労をさせてやろうと、そう言って、私は部屋を出た。

 

 


 

 

 議員会館の、エレベーターホール。

 何基ものエレベーターが忙しく上下しているのは階の表示から見てとれたが、各階で乗り降りしているのかこのフロアまでやってくるには少々時間がかかっていた。

 

「――白水さん」

 

 背後から声をかけられて、振り向く。

 柳瀬秘書が立っていた。

 

 物静かな気配は先ほどまでと変わらないが、やはりどこか柔らかさが増している。

 三枝の部屋での一幕が険悪なものだったとは言わないが、緊張感があったことは確かだ。

 私も気持ちがほころんで、ふと思いついた言葉を口にする。

 

「見張りですか? 私はジャック・ヒギンズではありませんから、帰ると言ったらちゃんと帰りますよ」

 

 ハードボイルドを気取って肩をすくめてみせると、柳瀬は小さく笑った。――とても嬉しそうに。

 

「鷲は舞い降りた、ですね。そういえばあの話も、記者が埋もれた歴史を追う、というつくりになっていました」

「ええ。ご存じでしたか」

「――妹は、私の本棚から勝手に持ちだして読んだんですよ」

 

 一瞬、なにを言われたか分からず、ぽかんとした顔をしてしまう。

 

 それから、大慌てで記憶をたどる。

 レイカ? いや、彼女に政界で働く兄がいるなどとは聞いていないし、顔立ちや雰囲気も異なる。

 サラも「天使は舞い降りた」とタイトルをもじった発言をしていたが、あれはパートナーがそう言ったという文脈だったので、「鷲は」を読んだとしてもそちらの影響であるはずだ。

 だからといって、特設艦娘の記憶を辿る旅とは違う場所で出会った誰かのこと、だとも思えない。

 

「まあ、いつものことでしたし、私も彼女の本を好きに読ませてもらっていましたから、お互い様ですが」

 

 そう、続けられて――ようやく(わか)った。

 言葉によってというよりは、空気によって。

 私は面識のない、彼女のことだと。

 

「……トワ、さん」

 

 まっすぐに私を見て、彼がうなずく。

 細身の体に、政界には似合わないほどに生真面目な雰囲気。

 それは最初の特設艦娘のひとり――レイカが、リョウコが、真面目で正しい委員長と語った少女を思い起こさせた。

 アカネも、シズも、ハルも、痛みとともにその名を口にした女性を。

 

 新・八八艦隊は、機密保持のために政治家や防衛関係者といった内輪の人物の縁者から選ばれた――三枝の説明が、脳裏によみがえった。

 政治家の息子が将来を見据えて議員秘書として経験を積むことも、良し悪しは別としてよくあることだ。

 柳瀬がそうならば、妹も政治家の娘、「内輪の」ひとりとなる。

 

 そしてトワにしては珍しいチョイス、と笑ったレイカの声も、聞こえた。

 トワと彼なら、きっと何の気兼ねもこだわりもなく、お互いの選んだ本を自由に手に取って、読みふけるのだろう。

 灯火管制などない時代の、夜更けまで消えない部屋の明かりと、暖房の温度さえ、感じられるような気がした。

 

「はい。あなたの記録を読んで、とても久しぶりに、妹の顔を見ました」

 

 柔らかく、少年の顔で、柳瀬が微笑む。

 

「最後に妹を見たのは、出征の日でしたから。つついたら弾けて消えてしまいそうな、張り詰めた顔で、トワは()()った」

「……」

「それからは、彼女ですからね。機密保持を真面目に受け止めて、全然手紙も送ってくれませんでしたよ。

 ようやく一通送られてきたと思ったら、わたしは元気です、みんなも元気でいてください、とそれだけだったり」

 

 苦くはない――むしろ誇らしげな表情を、彼は浮かべた。

 正しいことを言う人が、実践する人が、特設艦娘のなかに必要なのだという、リョウコの発言を、思い出す。

 私は黙って、納得した。

 

 けれど、次の言葉。

 

「だからあなたの記録で、委員長オブ委員長だったり、歯茎を定規でぐりぐりしかかったり、ケーキを作ろうとしたりというのを読んで、思わず笑ってしまいました。

 トワらしくなくて、そして同時にとてもトワらしい」

 

 くすりと、柳瀬が笑う。

 私はわけもなく赤くなって、つかえながら言葉を絞り出した。

 

「あれは……あれは本当に、みなさんから伺ったことをまとめただけで……」

「それでも、私はみなさんにだけでなく、あなたにも感謝しています。あなたがいなければ、語られなかった、記録されなかった言葉ですから。

 ――航跡は消えても、航跡を刻んだトワも、トワを見た人たちも、消えない」

「……はい」

 

 私は、うなずいた。そしてふと、ついさきほどまでいた部屋のほうに、視線を投げる。

 

「三枝議員はご存じなのですか?」

「もちろんです」

「だから、かもしれませんね。今回のことは。最後の言葉も、ひょっとしたらあなたに」

 

「ええ。――ですが私は、死者よりもグランチェスターが好きです」

「……ありがとうございます」

 

 微笑みが、重なった。

 ふわりと、胸に温かいものが広がる。

 

「どなたか、会いたい方がいれば――」

 

 そのとき、エレベーターが到着して、澄んだベルの音がした。

 詩が送られてきたのは、彼のアドレスからだったから、連絡先は、分かる。

 私は一礼して、エレベーターに乗り込んだ。

 

 静かに、扉が閉じた。

 

 

 

白く永遠の栄光を、集う輝きを、

広がりを、そして、輝きわたる平和を、

かのじょは残していった。

夜のもとに。




特設艦娘たちとツカサの物語、その後が出てきました。いつもながらつかさは後ろから見ているだけですが……。にしても、三枝議員ですか、ヒロインらしき人が出てこないむさい回なせいか不人気なんですけど(第3話ショック?)。
しかし今回は最後に思わぬ人が。
というわけで、完結から連載ステータスに戻しまして、また数話おつきあいいただければ幸いです。ただ、不定期投稿になるかと思います。

ちなみにThe Deadですが、白水もAIにかけてみてそのあとつつきまわしました(笑)。夜のもとには消しこそしませんでしたが、目立たないところに置いてきました。
なお、「これらのたましい」はThese heartsと複数形なのですが、「かれら」と訳した部分は実はheで単数です。顔のある死者、読者それぞれが身近な誰かを思い浮かべる、ということなのかもしれず、その意味でも痛みのない賛美とはやや違うのかもしれませんが、英文学論議に(しかも素人の白水が)突入しても何なので深入りせずでした。時代的背景や、The Soldierを読む限りでは、やや成立しづらい読みかもしれませんしね……。
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