「久しぶり。元気にしてた?」
芯の通った、声がする。
小柄な体と、明るい髪の色は、あのときと同じく、どこか山猫を思わせる。
私は
「で、そっちが――
山猫の瞳で、シズが瞬――柳瀬秘書を見据える。
あのときの私と同じように、彼は心臓を掴まれたような顔をした。
「……はい。このたびは、突然のご連絡にもかかわらず――」
「ああ、いいっていいって、そんなお堅い挨拶はさ。――それとも、議員秘書として来てるってことかい?」
「いえ、そんなわけでは……」
瞬の生い立ちや職業をシズに伝えたのは私なので、もちろん彼の許可を取ってのこととはいえ、少々申し訳なくなる。
つい、
「トワさんのご葬儀などで、お会いされていたりは……?」
共通の過去があればと、口を挟んでしまう。シズが苦笑した。
「特設艦娘を送る、基地での式には出たよ。リョウコに泣き顔を見られたのはそこ。でも、短いものだったし、外部の人間はいなかったね」
「そう、でしたか……」
「で、人間を弔う、寺かどこかでの葬儀には、あたしらがぞろぞろ行ってられるような戦況じゃなかったでしょ?」
「……すみません」
「どちらにしたって、遺体どころか遺髪もなかったし。お葬式を別にやったって、トワも飛び回らされる手間はなかったろうさ。
――よくあることさ。リンくらいじゃない? 別れを言えたのは」
爆雷もない丸腰で潜水艦を足止めする任に就き、水底に消えたマリアとアオイ。
水面下を独航する特質ゆえに誰にも最期を知られないまま、戻らなかったノゾミ。
砲弾に吹き飛ばされたナツキ、敵艦に食らいついてもろともに沈んだサチ。
〈いなづま〉の艦載ヘリコプターが収容できたリンは、むしろ例外だ。
私も瞬も彼女たちを知っていて、知っていることをシズは知っている。
私は、うなだれるしかなかった。
「ま、いつかの特設監視艇の話じゃないけど、なまじ政治家やマスコミの偉いさんにはあの戦争の記憶、軍神だの軍国の母だのって記録は残ってるんだろうから、さ。公葬とか遺族への取材とかはできなかったんだろうね。
そして、死んだのは
「かもしれません。私も、親が何か言っていた記憶はありません。ですが、だからなおのこと、トワは忘れられる」
瞬はテーブルに身を乗り出し、強い声で言った。
シズが、片方の眉を上げる。
「へえ、議員秘書なんて、まじめくさったことしか言わないかと思ってたよ……って、そりゃそうか」
彼もまた、当事者。私とは違う。
少しだけ申し訳なさそうに肩をすくめ、シズは語り始めた。
まっすぐに、瞬の瞳を見て。
……トワ、ね。ちょっと苦手だったよ。
苦手っていうか、敬して遠ざける、かな。
やたら真面目で、肩に力が入ってたから。
レイカくらいまで斜めに構えるかどうかはともかく、あたしらみたいに息抜きしても自然じゃない、って思ってた。
――ああ、前にツカサさんがあたしのところに来たときは、トワさんとかレイカさんって呼んでたんだっけ?
ま、そう書いてあるならそうだったんだろうけど、当のレイカとかの記録のほうも読んでるなら、距離感は分かるでしょ。
当時も呼び捨てしてたよ、レイカにも、トワにも。
……まあ、そう。なんだかんだ親しんでたのかもしれないね、あたしも。
何があっても変わらないトワの姿は、たしかに、あたしたちの支えでもあった。
委員長、って呼び名は、なにもうるさいことを言うからでもないんだよね。
なんか、マリアがやたらなついてたな。
ほかの特設艦娘だの基地の男たちだのにはそんな絡み方しないのに、トワにだけはバク転披露して、おまえもやってみろって迫ったり。
……トワがとまどってるうちに、リンがあっさり真似して、ナツキが手を叩いて大笑いしてたけど。
リンがそんなふうに対抗するのも、珍しいっちゃ珍しい。
トワの前でいいかっこしたかったのかもしれないけど、当人はマリアとリンに目を丸くして感心してたんだから、大したもんだよ。
それでもしつこく追っかけ回してたら、アオイがさりげなく引き剥がしてた。
マリアといえば、ラブレター事件なんてのもあった。
ツカサさんには言ったかもしれないけど、マリアは綺麗な子だったから、輸送船の船員から訓練中の女の子たちまで大人気でさ。
さすがに自衛官や船員は痛ましさが先に立ってアプローチもできやしなかったろうけど、特設艦娘たちは同じ立場だから、年頃の子がラブレターやファンレターを書くこともあった。
それをもらいまくってたマリアが、トワにもないとかわいそうだってわけのわかんないことを言い出して。
みんなで――だいたいマリアとナツキと、まぁ、あたしで、書いたわけ。トワを呼び出すラブレターを。
それでみんなで物陰に隠れてたら、トワが来た。
ナツキがさっそく吹き出しかけて、リンに口をふさがれたけど、
「――マリアさん」
って、声がした。
トワに名前を呼ばれたマリアの顔は今でも思い出せる――むちゃくちゃ嬉しそうだった。
ばれるなんて、予想もしてなかったのに。
逃げようと思えば、身軽なマリアは簡単に逃げられたろうけど、おとなしく両手を挙げて出て行った。
「……なんでだよ?」
ぶすっとした顔を作ろうとして、明らかに失敗してた。
見抜かれたのが、叱られたのが、たまらなく嬉しいって表情。
「簡単です。――ここはあの人、ここはこの人。あなたがもらった手紙をつぎはぎしたでしょう」
……だって。
今度こそ、ナツキが吹き出して、リンはがっくり肩を落とした。
サチは大袈裟に自分のおでこをぺしっとやって、アオイはいつものマイペース。
あたし? あっけにとられて、なにもできなかったってところかな。
委員長で文学少女だから、トワ、人のラブレターの相談をされまくってたわけ。
自分が考えた文句があちこちにあったら、そりゃ、気づく。
なもんでみんなでお説教された。人をからかっちゃいけません、じゃなくて、他人の文章を勝手に使っちゃいけませんって方向でね。
今じゃそういう講義をするのは、図書館員のレイカだけど。
それからはますますマリアはべったりになるし、サチは漫談のネタ探しにいくし。
いくら委員長でもお笑い方面で役に立ったとは思えないけど、まあ、それはそれで楽しかったんじゃない?
でも、出撃のときはそう、がちがちに真面目だった。
「輸送船に魚雷が向かってきたら、身体で止めることになります。最初は私ですけど、脚が動かなくなったら、次はあなたたちです」
――って、ね。
お願いしますでも、すみませんでもない。最初は私で、次はあなた、以上。
……クソ野郎、いや、クソ委員長か。
でも、
「いっそ、あたしに先に行けって命令すれば」
って言ったら、泣きそうな顔をされた。
悪かったって謝るしかなかったよ。
あとでマリアに蹴飛ばされたけど、まあ、しょうがないってやつ。
最期は、脚も動かなかったんだろ?
じゃあ、委員長が自分でのたまった真面目なセリフのとおり、誰かを行かせりゃよかったのに……なんて言ったって、ありえないことだけどさ。
責任感とか、そういうことじゃない。
四発目だけ誰かに、なんて気の利いた真似は、戦場ではできないってだけ――サナエさんが言ったとおり、あのとき海に立ってるのはマリアとアオイだった、それと同じように。
……そう。
だから、レイカが受けずに済む方法を探したのは、当然だよ。文句を言える奴なんていない。
けど……そのレイカも、トワが海に立っているときには、そうしてはいなかった。
斜めに構えて、文句を言って、皮肉に笑いながらも、痛い思いをしてた。
それだけは、覚えておいてもいいんじゃないかな。
レイカのためにも、トワのためにも。
あとのことは、もちろん、本人に聞けばいいけど。
最後まで、瞬を見据えたまま、シズは言い切った。
「悪いね。あんまり気の利いたことも言えなくて」
「――いえ、ありがとうございます。とても、トワらしいと思いました」
視線をそらさず、生真面目に、瞬は答える。
深く頭を下げ――そして顔を上げたときには、目を惹く、やわらかな笑みを浮かべていた。
「それから、あなたが『敬して遠ざける』と表現されたのが、ちょっとトワっぽいなと思いました」
少し崩した口調に、シズは眼を見開き、ぷっと吹きだす。
笑顔がひろがり、やがて、天井を仰いで大笑いしはじめた。
周囲の視線を集めるくらいの声だが、彼女の明るさが伝わってか、とがめるような色ではない。
目尻をぬぐい、シズは言った。
「さすがお兄さんだな、目を付けるのがそこか。
ええと――『
「ええ。トワの、座右の銘。中国古典名言辞典を、小学生のトワが、祖父の家からもらってきまして。
いささか時代がかった言葉が会話に交じるようになりました」
「もらう、って言ったって、プレゼントするような本じゃないだろ? まして小学生に。トワからお願いして奪い取ってきた、ってところか」
「そういうことです。次に行ったときには、祖父の本棚には、新しくなった同じ本が同じ位置にありました。
自分も読む本だからでしょうけど、トワに本を取られた祖父はうれしそうでしたよ」
「やな――瞬さんも、トワさんの持っている本を読むのですよね?」
笑い合うふたりに、つい割って入ってしまう。
言葉足らずな質問だったが、瞬は意を汲んで答えてくれた。
「私はどちらかというと、『
誰にでも好かれるより、悪人には嫌われるほうがいい――トワほどのまっすぐさがないから、こんな世界にいるのかもしれません」
「んー……」
テーブルに肘をつき、組み合わせた指の上に顎をのせて、シズが山猫の瞳で瞬をじっと見つめる。
「やっぱ、妹のほうが“そんな世界”向きじゃないかな」
「……え?」
「政治家なんて、自らの道を行くくらいでいいんだよ。問題は、歩き通せる強さがあるかどうかだけで」
はっと、瞬が顔を上げる。シズが言葉を続ける。
「トワは通した。最後の一瞬まで、盾になって輸送船を守り抜いた」
一瞬と永遠――そんなつまらない語呂合わせが、脳裏に浮かぶ。
もちろん、口には出さない。
黙って、シズの声を聴く。
あるいは、トワの声を。
「分かってくれる人だけ分かってくれればいい、ってのは、そうじゃないだろ。
千万人の悪人だろうと、分からせるのが政治家であり記者じゃない? この人に学びな」
「わ、私は――」
「……トワに言われたと、思っておきます。学ばせてください、ツカサさんがよろしければですが」
トワの声、トワに言われた――私が思っていたことを、真剣な表情で瞬が言った。
引き合いに出された私は、シズと瞬の顔を交互に見て、わけもなく赤くなった。
手を握りあわせ、口ごもりながらシズに問いかける。
「シズさんは、いまなにを?」
「ん?」
シズが眉を上げた。
「レイカさんが司書だったり、サナエさんが校長先生だったり、サラさんがテストパイロットだったりは、伺いました。
けれど、あなたには――私がまだ記録の道を歩きはじめたばかりで、受け止める強さも賢さもなかったからですけど、いまなにを、ということは聞けなかったと思って」
「――なるほどね」
彼女は、ゆっくりと笑みを形作る。
いま、って言うなら――トラックドライバー。
最近じゃトラジョとかいう適当な言葉を流行らせようとしてるみたいだけど、それよりはずっと前から、ね。
大型って言っても、〈
船や鉄道みたいに、決まったダイヤがあるわけじゃないから、そのつど頼まれた荷物を載せて、今日は東京、明日は石川、って。
きついっちゃきついけど、特設艦娘ほどじゃない。
助手席の暗闇に、ノゾミを見ることはないよ。
リンもマリアもアオイもサチもナツキも、だれも。
前も言ったけど、辛くはない。
ある意味じゃ、長距離トラックだって事故は、死はいつだって同行二名だからね。むしろ出てきてくれたっていいだろうに。
気配だけでも気づけるつもりだけど、そんなことも、ない。
けど最近はときどき、フェリーに乗る。トラックフェリー、ってやつ。
海のおかげで眠れるなんて、あのころは想像もしなかった。
カーテンをめくって、海を見ると……ようやく分かったよ。あのときサラがあとでって言ったことが。
サラのことだから、最終決戦のあとで言い忘れた、なんてはずはないね。
あなたの本を読んで知る、なんてことまでは予想してなかったろうけど――シートアンカーのつもりだったんだろうさ。
海は嫌いなまんまだけど、ま、それもね。
なんで長距離トラックの運転手になったか?
そいつはちょっとだけ、紆余曲折。
戦争が終わって、ノゾミが言ったみたいに高校生になって――年度の途中だったけど、高校浪人ってのも大変だからか入れてくれてね――でもどうしても、馴染めなかった。
いじめられたとか、避けられたとかは全然ないんだけどね。
むしろヒーロー、または、悲劇のヒロイン扱い。
……それがどうにも、合わない服を着せられてるみたいでさ。
授業にもあんまり出ないで、駅で列車を見てた。あの〈北斗星〉で東京に行ったんだよな、線路は呉までつながってるんだよな、って。
それで、しょっちゅう駅にいたからか、学校から連絡が行ってたからか知らないけど、駅員さんに声かけられちゃってね。
なんでかそのときは、六人のことを口にした。
線路の先で会った、ともだちのことを。
話して楽になった、なんてことは、正直なところないけど――なんだかんだで、高卒で鉄道会社に入ることになった。
ひととおりやったよ。駅員、車掌、運転士。
運転席は性に合ってたと思う。
ひとりだけど、ひとりじゃない。多くの人に支えられて、多くの人を運ぶ。
あのときの、あたしみたいなのも。
そう、〈北斗星〉も担当したことがある……ま、会社が会社だから道内だけで、東京までは行かないんだけど。
けど、ね。
星は消えた。眠れないベッドで線路の揺れを感じる誰かは、もういない。
路線も減ったし、人も減らされた。あのときの駅員さんも、もういない。
しょうがないってことは、分かってるけど、ただ、なんて言えばいいのかな……どうしようもなく、さびしくなった。
またなにかを、なくすことが。
そんなときに、運送会社に誘われた。
こっちはサラじゃないけど、自衛隊の縁。隊員時代に大型免許を取る人は多いからね。
あたしも運転席の感覚は捨てたくなかったし、特設艦娘時代から鉄道まで夜には慣れてたから、そうするかなって思った。
今度は、北海道を出ることも多い。
夜の高速道路は綺麗なもんだよ――北斗星から、流星へ。
そんなわけで、行き先も、生き方も、あっちこっち、ふらふら。なかなか子供の顔も見られやしない。
「……え?」
そのときの私は、ぽかんと、とても失礼な顔をしていたと思う。
シズがいぶかしげに眉を上げ、瞬が柔らかく引き取ってくれた。
「お子様は、おいくつですか?」
「十五を筆頭に三人――あのころのあたしたちと、同じくらい。にぎやかなもんだよ」
「ツカサさんの記録にも、どこか母を思わせた、と描写されていましたから、いらっしゃるのだろうと思っていました。
ただ、指輪をなさっていないので、お伺いしてよいのか少し気後れしまして」
「ああ、そっか」
ひらひらと、シズが左手を振る。
「単に縛られたくないタイプってだけだよ、お互い。つけてたほうが便利かもって思うときもあるけどね。
それでも気づいたんだから、ツカサさんも大したもんだ」
「……え、ええと、私はぜんぜん気づいていなくて、あの一文はただの偶然で――」
小さくなって、私は消え入りそうな声でつぶやく。
シズはまた上を向いて、明るく笑った。
「でも真実をついた文章が書けるなら、やっぱり大したものじゃない? 自信を持ちなって」
素直に、うなずくことにした。
白いヘッドライトと、オレンジのテールライトが流星のように行き交う、美しい夜景を眺めながら、運ばれてきた食事をいただく。
シズの子供たちのエピソードも印象的だったが、ここに記すことでもないだろう。
帰り際。
同じくらいの背丈のシズに肩を抱かれ、耳元でささやかれて――私は真っ赤になった。
いぶかしげに振り返る瞬に、あわてて手を振り、歩き出す。
夜風の寒さは、感じなかった。
というわけでシズのところへでした。いつもながらつかさに左右する権限はないのですが、いきなり「同期」のレイカやアカネに会いに行くのも気後れしたとかでしょうか。
期せずして第一章の逆順になっていますが、なら次は……?