消えた航跡――特設艦娘の名のもとに――   作:白水つかさ

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アカネと大和

「消えなかった」が、立ち続けた人々の誇りであり、没した人々の墓碑銘であるだろう。

"Not in vain" may be the pride of those who have survived and the epitaph of those who fell.

――Sir Winston Leonard Spencer Churchill, 1944

 

 

 

 大和メモリアル。

 (クレ)に建てられた、戦艦大和と艦娘大和を記念する博物館。

 だが、大型模型を中心とした戦艦のゾーンに比べて、艦娘のゾーンは明らかに人が少ないように思えた。

 まだ血を流している記憶に触れたいと思う人は、必ずしも多くないのかもしれない。

 

 けれど、私個人ならば、最初に訪れたときよりは、記憶に向かい合うだけの気持ちをもてていた。

 鋼鉄と歴史の重みを感じさせる艦娘〈大和(ヤマト)〉の艤装を、見つめる。

 

 

「――おひさしぶりです」

 

 聞き間違えようのない、鈴を振るような声。

 思えば特設艦娘の記録と記憶をたどる、この旅のあいだずっと、彼女の声に導かれていた気がする。

 

 振り向けば、(しと)やかにアカネが微笑んでいる。

 栗色の長い髪と真っ白い肌、あのときと同じ、シンプルなワンピースドレス。

 

「記録を、拝見しました。特設艦娘の記憶をいまに記録していただいて、どうもありがとうございます」

「いえ、お礼を申し上げるのは私のほうです。アカネさんに教えていただいた連絡先のおかげで、それにアカネさんの名前のおかげで、どれだけ取材がスムーズだったか」

 

「シズとレイカくらいまでは、わたしもお役に立てたかもしれませんけれど、その先はあなたの力ですよ。むしろ、レイカのほうが人脈も広くて助けになったと思います。

 ハルだって、レイカの紹介だからあんなに率直だったのでしょうし」

 

「それはそれで、きっちりと線を引かれた気はしますが。いえ、引いていただけた、と言うべきでしょう」

「立ち入り禁止の線は引くけれど、線の外側は率直に、ですね」

 

 くすりと、アカネが笑う。

 そしてハルと出会った場所でもある、〈大和〉の艤装が音もなく佇む部屋を、とても優しい視線でゆっくりと()でる。

 

「何度か、ここで待ち合わせもされたとか」

「はい。記録として発表させていただけたのは、ハルさんくらいですが、話を伺わせていただいた方はほかにも何名か。

 ハルさんがここの建築に携わられたということも、驚きましたけど」

 

「おかしいと思いませんでしたか?」

「――え?」

 

 問いかけの意味を受け止めかね、私は言葉に詰まった。

 

「それは、どういう……」

 

「大和メモリアルの、艦娘ゾーン。艦娘は深海棲艦とともにすべて消えたはずなのに、なぜ艦娘、板東さんの言葉を借りれば歴史の象徴である、〈大和〉の艤装がここにあるのか――と」

 

 アカネは子守唄のように言う。

 だが、疑問をもつほどのことはない、ただのレプリカ――そう答えかけて、気づいた。特設艦娘たちの記憶を、思いを記録してきたいまの私には、(わか)った。

 目の前にある“艦娘の”艤装は、そんなものではありえない。

 

 だから、分からない。なぜ艦娘の艤装がいまに存在しているのか。

 

「……それは」

「お話しいたします。――わたしの、いえ、彼女の記憶を」

「……彼女? あなたのではなく、ですか?」

「ええ」

 

 こくりとうなずいてから、アカネは最初の取材の最後の瞬間のように、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。

 ならばこれは、最後の取材の最初の瞬間なのか。

 彼女の声色と表情が、私にそうささやきかける。

 

 幸か不幸か、ほかに声を聞く人影はない。

 アカネは(うた)うように、あの夜の記憶を語りはじめた。

 

 


 

 

 〈飛鳥(アスカ)〉での、最後の夜。わたしは海に立ちました。

 

 ――ええ、サラが、ディナーパーティーがあったとあなたに語った、あの夜です。

 もちろんわたしも、招かれていることは知っていました。

 ドレスコードも、年齢確認もない、少女たちのための宴。

 

 素敵ですよね。まるで特設艦娘が、人類の希望、剣にして盾と期待される、新艦娘だった時代のような、暖かさときらめき。

 〈飛鳥〉のみなさんができるかぎりのことをしてくださるのは、よく分かっていました。

 わたしだって、レイカと、シズと、みんなと一緒に過ごしたいと思っていました。

 最後になるかもしれないと、痛いほど理解していましたから。

 

 だから、最後の、離れがたい、いっときの安らぎをあとに、なぜ海に立ったのか。わたしにはいまでも分かりません。

 

 船に残る理由なら、いくらでもあったはずなのに。

 けれどそれを言うならば――そもそもなぜ、母のいる家に残らず、(おか)をあとにして海に立つことを選んだのか、それも分かるとは言えませんけれど。

 

 

 ハッチに向かうわたしに、船員さんたちはだれも気づきませんでした。

 いえ、気づいたとしても見ないふりをしてくれたのでしょう。

 サラの言うとおり、パーティーという気分でもない子だって何人もいましたから、孤独を選んだ人に声をかけないのも接遇のうちです。

 翌朝の戦いを前に逃げ出すとは思われてもいなかったでしょうし、事実、逃げた人はひとりもいません。

 

 そして深海棲艦の襲撃を警戒してくれていたサナエさん、リナさん、護衛艦のみなさんも、声をかけてはきませんでした。

 こちらはおそらく、いえ、たしかに、気づいてはいたでしょうけれど。

 ……彼女たちがあなたにわたしのことを語らなかったのは、隠しごとではないのだと思っていただければ幸いです。

 

 

 夜の海。

 波の音と、〈飛鳥〉のエンジン音。

 灯火管制で明かりはありませんでしたが、電探を装備している特設艦娘にはあたりが視えました。

 海に立ちつつデッキで風を受ける感覚のように、闇を見つつおなじ、そして違う眼で三百六十度を把握する感覚。

 

 〈飛鳥〉が、そこに。

 サナエさんがいて、リナさんがいて、海上自衛隊の護衛艦のみなさんがいて、そして――遠くに、艦娘がいた。

 わたしはそちらへ向かいました。なぜか、呼ばれたように。

 

 もちろん、覚えていました。

 艦娘にとって、わたしたちは「人面犬」、似ているけれど違うもの。

 

 レイカはいかにも彼女らしく(はす)に構えて言いましたし、艦娘をおびき出して利用することさえしました。

 艦娘と特設艦娘がもっと連携できていたなら、ミズキが沈むまえに救援できたかもしれません。

 ナルセさんの改名もまた、艦娘との関係が違えば起こらなかったでしょう。

 

 そういうことは、もちろん、覚えていました。最初の特設艦娘として。

 だから、なぜか……なぜか、です。

 わたしは艦娘を感じた方角へと向かいました。

 あのとき、わたしとレイカとトワとミズキが、一隻の駆逐イ級に翻弄された潮岬(シオノミサキ)沖へ。

 

 

 海は混乱していました。

 

 沈みゆく〈大和〉。〈雪風(ユキカゼ)〉が、〈涼月(スズツキ)〉が、〈初霜(ハツシモ)〉が彼女に寄り添い、しかし、なにもできずにいる。

 〈磯風(イソカゼ)〉と〈浜風(ハマカゼ)〉が爆雷を投下し、海面が湧きたち、やがて静かになる。

 〈矢矧(ヤハギ)〉が必死になにかをささやきかけ、〈大和〉がゆっくりとかぶりを振る。

 彼女の海に立つ脚が、沈んでいく。

 

 暗闇でもなお、わたしはそれらを視てとることができました。

 

 ――いえ、少しだけ、話を急ぎすぎたかもしれません。

 〈大和〉の巨大な艤装はともかく、そのときのわたしはまだ、あたりを航行する少女の姿をした艦娘の誰が〈雪風〉で、誰が〈磯風〉なのか、見分けることはできませんでしたから。

 わたしはただ、何隻もの艦娘がいるということだけを把握した状態で、〈大和〉のもとへ向かいました。

 

「……大和」

 

 わたしは彼女の前に立ち、名を呼びました。

 無数の魚雷を受け、それでもなお海に立っている戦艦の名を。

 砲こそ向けられませんでしたが、周囲の艦娘たちの視線は、ほとんど文字どおり肌を突き刺すようでした。

 

「お姉さん、ですよ」

 

 そのときのわたしは、泣いていたとおもいます。微笑んでいたとおもいます。

 そして、大和も、また。

 

 あなたは何を言っているの、ですよね。

 〈大和〉を顕現させたのがわたしの母だからといって、わたしと大和の間に血縁関係はありません。

 顕現は男女関係に由来するわけではなく、産道を通るわけでもなく、艦の魂は完全に艤装を纏った姿で、艦娘としてこの世界に再臨する。

 人間が艤装を纏っただけの、特設艦娘とは似ていてもまったく異なる。それが世間の認識であり事実です。

 

 けれど。

 深海棲艦由来の艤装を、人は纏うことができる。

 あなたがハルやノゾミの記録に、記憶に、触れたとおり。

 だから――いいえ、それでもやはり、けれど、ですね。

 あの夜わたしが海に立った理由は、「妹」のもとに向かった真実は、ハルたちの存在によっても解りはしませんから。

 

「いままで、ありがとう。あとは、お姉さんに任せなさい、ね?」

 

 ――わたしは泣きながら笑顔をつくり、胸を張って言いました。

 大和は無言でうなずき、彼女と私は手を貸し合い、肩を貸し合って、おたがいの背に負った艤装を外しました。

 

 そして、〈大和〉の艤装が、歴史が、わたしの身体に乗る。

 あまりの重みに、膝がくじけかけました。

 けれど、それは一瞬のこと。

 

『……戦艦、大和』

 

 わたしの唇から、そんな言葉がこぼれました。

 

『推して参ります』

 

 そうしてわたしは、〈矢矧〉が、〈雪風〉が、〈(カスミ)〉が見分けられるようになりました。

 敬礼をすると、彼女たちが一糸乱れず敬礼を返してきました。

 波立ちは静まり、艦隊はふたたび進み始めました。

 

 〈大和〉が沈みかけていた理由も、分かりました。

 ――〈飛鳥〉をはじめとした人間の艦隊に向けられた、無数の魚雷を、速力を上げて受け止めたから。

 あのときの、トワのように。

 

 魚雷の本数はトワよりも多く、けれどそれは違っていても、なんの違いもないもの。

 脚も止まりかけ、手で這うようにして、最後の一発までを受けきった、ふたり。

 だからわたしの脚部艤装は、特設艦娘(アカネ)のもの、背負う艤装は、艦娘(ヤマト)のもの。

 

 

 最後に、抱きしめるべきか、手を握るべきか、声をかけるべきか、わたしには決められませんでした。

 妹に敬礼することはない、とは思いましたけど。

 だから、目を見て、微笑みました。

 一瞬のようにも、永遠のようにも感じられた時間のあとに、わたしは妹の視線をあとに海を進みました。

 

 大和はけっして沈みませんでした。

 膝もつかず、海に立ち続けていました。

 ただ、わたしの、わたしたちの背後で、ゆっくりと、蛍のように消えていくのが解っていました。

 

 わたしは振り返らず、ただ、姉として手を振りました。

 

 


 

 

「あなたも……人が悪い」

 

 からからに乾いた喉で、私は、なんとか言葉を押し出した。

 

「こんな大切なことを、黙っているなんて」

「……黙っているつもりでしたから。ずっと」

 

 アカネは目を伏せた。

 栗色の髪が揺れ、長い睫毛が色素の薄い瞳に影を落とす。

 〈大和〉も黒髪ではなく、焦茶色の髪と瞳をしていたと彼女は語った、と、ふと思い出す。

 

 本心だったのだと、思った。

 そもそも私も、すでにこのメモリアルでのように記録されている艦娘のことではなく、記憶されていない特設艦娘のことを聞くために彼女を訪ねたのだから。

 

「艦娘だったから、語り継がれたいわけではないのです。

 わたしは、レイカやトワやミズキやマユカとおなじ、八八艦隊のひとり。海に立ったのが早いか、遅いかの違いはあっても、みんなとおなじ、特設艦娘のひとり。

 その記録と記憶を書き残してもらいたいと、思ったのです」

 

「それは、理解できるつもりですが……」

 

「だから黙っていました。そもそもが異質な感情、曖昧な記憶で、うまく言葉にできないからという理由もあるのですけど」

 

 両手を、アカネがみずからの胸元に押しつけた。

 

 水面に立ちつつ、デッキで風を受けると表現される、特設艦娘が感じたという感覚は、私にはない。

 そして深海にありつつ、イメージだけが海面に浮かびあがっているとハルが言った、深海棲艦由来の艤装で受ける感覚は、さらに遠い。

 ならば艦娘そのものの艤装を纏う感覚は、どうなのか。

 

 海岸から、出撃する艦娘を見送った幼い日の自分を、思い出す。

 さらに近くで艦娘を見て、歴史に敬礼されたと語った板東(ばんどう)を、思い出す。

 ならば歴史そのものを背負う感覚は、どうなのか。

 

「ならば、どうして」

 

 かすれた声で、私は問う。

 同じくらいかすれた、けれど美しい声で、アカネが答える。

 

「レイカやミズキやマユカやみんな、そして……トワの航跡と同じように。

 大和の航跡を、消さないために」

 

 祈るように胸元で両手を組み、アカネは伏せていた目を上げた。

 澄み切った瞳が、私をとらえる。

 

「わたしたちに向けられた魚雷を受け止めた妹の航跡を、消さないために」

 

 


 

 わたしは、ひとりで〈飛鳥〉に戻りました。

 

 ……ええ、旗艦ですから、艦隊に指示だってできたのです。

 戦場でまた、と、彼女たちには告げました。

 艦娘たちのおもてに浮かぶ緊張と決意は、特設艦娘のそれとは少し違って、けれど同じものでした。

 

 来たときと変わらない鋼鉄の靴で、わたしは帰りました。

 背負った艤装(もの)の重さに、少しだけよろめきながら。

 

 

 帰り道で、リナさんと目が合いました。

 

 彼女は眉を上げ、けれど、なにも言いませんでした。

 艤装には、なんと言えばよいのか――覆いのような気配が、わたしが纏ったことによってまとわりついていて、外観からは艦娘〈大和〉のものであるとはうかがい知れないと思ったのですけど。

 

 リナさんは、高校の美術の先生。

 美大ではずいぶん注目されていたとも聞きました。

 それがどうして画壇に背を向けたのか、どうして海に立ったのか、伺ったことはありません。

 けれど芸術家としてわたしの変化を見て取れたのだと、教師としてわたしになにも言わないでいてくれるのだと、どうしてか解りました。

 

 

 船に戻って、ひと息。

 もちろん、艤装はハンガーに戻しましたよ。

 そのときも、隣のレイカのものと違いは見てとれませんでした。

 

 そうして部屋に戻ると――レイカがドアの前で待っていました。

 長身を壁にもたせかけて、ちょっとだけ不良っぽいいつもの雰囲気で。

 レイカは唇の端を上げて、なにげない口調で言いました。

 

「どこ行ってたんだよ。遅刻するとトワに叱られるぞ?」

「――トワは、分かってくれると思うよ」

「なんだそれ」

 

 突き放すように言ったレイカの声は、けれど、とても暖かいものでした。

 

「大遅刻で、パーティーは終わっちまってるぞ。マユカみたいにあれこれがめてきてもないから、残り物でもあっためてもらいに行くか」

「うん。ありがとう」

 

 うなずいて、ふたりで廊下を歩きました。

 (あか)りの抑えられた暖かい通路を、足音を控えて。

 

 レイカは頭のうしろで手を組んで、

 

「明日も捨て駒か。いくら派手にやるったって、人面犬がいつも以上にうようよしてる海に、あいつらホントにやってくるのかね」

 

 とぼやいていましたけど、躊躇も皮肉もなく、からっとしていました。

 わたしははっきりと言いました。

 

「来るよ」

 

 ――って。

 

「ふうん。化粧でも変えた?」

「まさか」

 

 レイカにじっと見つめられて、ぱたぱたと、わたしは手を振ります。

 ちょっと、汗をかきました。

 

 さすが同期、でしょうか。

 レイカには弟がふたりいるから――年上のポメラニアンのアリスちゃんもいましたけど――、姉、でもありますし。

 けれど追い詰めずに、レイカは視線を外してくれました。

 

「――だよな。まだ必要ないだろうし」

「レイカもでしょ」

「いや、ガングロやってると肌が荒れてさ」

「うそ?」

「うそうそ。あんなの東京もんの一部だよ、サーファー気取りが過激化してんの」

「でも、福島の海でもサーフィンできるんだよね?」

 

 そんな、たわいのないおしゃべり。

 呉で十六人が揃っていた、あのときのように。

 

「さて、ね。おまえは化粧を覚えるまで死ぬなよ。――いや、消えるなよ、か」

「……」

 

 それからも、いろいろなことを話しました。

 レイカとも、食事を出してくれた〈飛鳥〉の人とも。

 パーティーの華やかさを少しだけ感じられて、わたしはおなかがいっぱいになりました。

 

――――――――――

 

 そして翌朝。

 わたしはまた海に立ちました。

 わたしの艤装と、妹の艤装を纏って。

 

 レイカが人面犬に見えたらどうしようと少し、でも本気で心配しましたけど、幸いにしてそんなことはありませんでした。

 考えてみれば、特設艦娘のほうは艦娘をそういう存在とは見なかったのですから、不思議なものです。

 

 

 『深海(アビス)』前面での戦いについては、サラの記憶はとても正確です。

 無謀な特攻などはなく、常に戦術的戦略的な艦隊機動。

 わたしとレイカが両翼に立ったのも、ナルセさんが駆逐隊を指揮して深海棲艦を食い止めたのも。

 サナエさんとリナさんは、機体が落とされたとしても魂を失うわけではない、そう知っていましたし。

 

 そして、その正確な記録から、言えることがあります。

 わたしの、〈大和〉の艤装は、覆いがかかったように外見は特設艦娘のものに見えた、と申し上げました。

 リナさんには見抜かれて、レイカにも感じ取られてはいたかもしれませんけれど、多くの人にはわからなかった。

 

 でも、それはただのカバー。力を押さえるような拘束具ではありません。

 まして手加減をする理由もありません。

 

 ――でも。

 両翼に立ったのは、レイカとわたし。

 戦艦レ級を討ち取ったのは、レイカとサラ。

 そういうこと、です。

 

 だからといって、特設艦娘としての実績を軽々と乗り越えるサラへのいま以上の栄光にも、艦娘相手にも最後まで譲らなかったミズキへのはなむけにも、ならないとは思いますけど。

 

 

 ただ、レ級に最後の一弾を放ったのだけは、わたしです。

 そのまま、『深海(アビス)』へ。

 わたしに続いたのは、昨夜の艦娘たち、そして、ありえない顔ぶれでした。

 

 〈長門(ナガト)〉。

 燃料も修理も不足していて菊水作戦には参加できなかったはずの戦艦が、重く、確かな航跡を水面に刻んでいました。

 日本の誇りとうたわれた主砲が、深海棲艦に向かって火を噴く。

 

 〈鳳翔(ホウショウ)〉。

 載せる機体もなく内地で待機していたはずの最初の航空母艦が、飛行甲板からわずかな、けれど編隊を組んだ機体を飛び立たせていました。

 激戦を戦い抜いてきた航空隊が、制空を確保する。

 

 そして動けなかったはずの、水底に沈んだはずの巡洋艦が、駆逐艦が、敵艦隊に突入していく。

 そのとき、わたしには――いえ、艦娘たちにも、解ったのだと思います。

 

 特設艦娘が艦娘突入の道を切りひらいたというのは、単に最後の戦いで先鋒を、捨て駒を務めただけではない。

 ここに至るまでの、すべて。

 海上護衛に、離島護衛に、潜水偵察に従事して、血を流し、身をすり減らし、輸送船に迫る魚雷をその身で受け止めた。

 そのことが、航路(みち)をひらいたのだと。

 

 だから、艦隊決戦で〈武蔵(ムサシ)〉や〈赤城(アカギ)〉の辿(たど)った運命は同じでも、〈長門〉が動く燃料があり、〈鳳翔〉の飛ばす機体がある。

 艦娘と特設艦娘が、違っていても、同じ海に立ったから。

 

 ……残酷な理解でも、ありましたけれど。

 特設艦娘のおかげで〈長門〉が吠えられるいっぽうで、特設艦娘の乗った〈飛鳥〉を護らなければ、〈大和〉が道なかばで斃れることはなかったはずですから。

 けれど、わたしは、妹は、そのことを悲しんではいても、悔やんではいませんでした。

 

 わたしは大和の艤装を背負い、艦隊の先頭に立って、『深海(アビス)』に突入していきました。

 

 

 『深海(アビス)』での記憶は、さらに曖昧です。

 わたしたちの姿が、人であったのか艦であったのか魂であったのかさえ、さだかではありません。

 

 耳をつんざく爆発音と、身体を揺さぶる振動、潮なのか血なのかわからないなにかのしょっぱさ。

 人の叫びにも、鯨の悲鳴にも聞こえる声。

 煙と錆と火薬と油のにおい。

 熱さと冷たさと痛み。

 

 そんな視覚以外の感覚だけを、断片的に覚えています。

 みんながただただ、前へ進もうとしていた意思も。

 

 どれだけ続いたのかも、わかりません。

 一瞬だったのか、一年だったのか。

 補給をしたのか、泊地修理はあったのか、何度繰り返したのか。

 誰ひとり退がらなかったことだけは、覚えています。

 

 〈矢矧〉が倒れながら、わたしの、大和の背を押しました。

 〈長門〉は最後まで膝を屈さず、ただすべての砲が沈黙して、静かに水底へと消えていきました。

 〈鳳翔〉が沈んでも、彼女の飛び立たせた艦載機は燃料が切れる最後の一瞬まで見知らぬ空を飛び続け、戦い続けていました。

 巡洋艦も、駆逐艦も、航空母艦も、みんな、前へ、前へと進み続けていました。

 

 そうして。

 

 ――終わった、と、どうしてか解りました。

 

 音が聞こえなくなったから?

 身体が揺さぶられなくなったから?

 血の臭いが、味が、感じられなくなったから?

 

 わたしには分かりません。

 けれど、解っていました。

 

 

「帰ろう」

 と、思いました。艤装を動かす燃料は、もうなくても。

 

「帰らなきゃ」

 と、思いました。海に立ち続けた脚は、力を失っていても。

 

「帰れる」

 と、思いました。

 ええ、レイカと同じ。

「不思議なことにほんの少しだけ長く機能を残していて」――です。

 どうしてかまだ、立つことができた。

 

 そのときはじめて、わたしは後ろへと戻りました。

 終わりました、って、みんなに告げるために。

 

――――――――――

 

 高速のミサイル艇が、わたしを迎えに来てくれました。

 潮岬沖での、特設艦娘の最初の戦いが終わったあとで迎えに来てくれた船と、同じだったのか、どうか。

 それが最後の邂逅でしたけど、あのとき思ったのは、ああ、帰れた、っていうこと。

 

 甲板に上がっても、顔を見られませんでした。

 ヘルメットをかぶった、ほとんどわたしと同じくらいの歳に見える、若い水兵さんの顔を。

 

 理由は、最初の戦いのあととは違いますけど、ね。

 涙でぐちゃぐちゃで、見せられる顔じゃなかった、っていうだけです。

 あなたがシズの話を聞いて泣いちゃったという記述を読んで、ちょっと懐かしくなりました。

 

 わたしたちも、船の人も、何も話さずに、(おか)に戻りました。

 背中の艤装は、降ろした瞬間にきゅうに重くなって――甲板に落ちて、ひどく高い音を立てました。

 

 


 

 

 私は、なにも言えなかった。

 背後の艤装も、なにも語らない。

 アカネは、くすりと笑った。

 

「戻ったら、どこまで行ってんだ、ってレイカに思い切り蹴飛ばされました。わたしはまだ脚部艤装の鋼鉄の靴を履いていましたから、レイカのほうが飛び上がっちゃいましたけど。

 彼女は腕にはひどい火傷を負っているし、足は普通の靴だし。

 なのにレイカは大笑いして、何度もわたしを蹴ってきました」

 

 最初の式典のときと同じく、いかにも、レイカらしい。

 傷が痛むのは生きているあかしと、どこかの歌手も歌っていた。

 病院に運ばれるまで、じゃれあったり笑いあったり語りあったりしていたのだろう。

 

「レイカの火傷も、整形手術でずいぶん目立たなくなりました。わたしは、大きな傷も負いませんでした。けれど――」

 

 アカネが言葉を切る。

 分かるとは、言えない。けれど、(とび)色の瞳を見かえして、かすかにうなずく。

 

「わたしが記憶しているのは、あの戦争の、いえ、あの最後の戦いのことだけに絞ったとしても、不確かな切れ端に過ぎません。

 いま、残された〈大和〉の艤装を纏うこともできません。

 特設艦娘の脚部艤装は、けっきょく、みんなと同じように海に沈めました」

 

 弔いの祈りのように、アカネの声が静謐な空間にさざ波を立てる。

 それでも、背後の艤装は、なにも答えない。

 白い砂浜に波が寄せても、艦艇だった赤錆びた骨組みはもはや揺らぎはしないように。

 

「でも、ツカサさん。あなたと話して、分かった気がします。

 最後の夜に、そしてはじまりの日に、海に立った、理由が」

「……」

「姉だから。ですからわたしが言えることは、あの旗に書いたとおり。――姉妹に」

 

 ふわりと、抱きしめられる。

 桜の、かすかな薫りがただよった。

 人の、あたたかな熱がつたわった。

 

「あなたが海に立つ前に戦争を終わらせられたことは、わたしの喜びです」

 

 ようやく、私は唇を動かすことができた。ひとことだけ。

 

「……ありがとう、ございます」

 

「どう、いたしまして。こちらこそ、ありがとうございます――覚えていてくれて」

 

 私は目を閉じた。

 私の頬を、ひとすじの涙がつたった。

 

 涙のあとが、消えない航跡のように感じられた。




……さて。語られるべきなのか、どうか、というおはなしですが、いつもながらつかさにできることは何もありません。ただついていくだけ、です。
おそらく次が最後の記録になると思います。おつきあいのほどを。

冒頭は意訳でもないのですが用語を寄せています。survivedを「立ち続けた」、fellを沈没の字で「没した」としたところまではともかく、not in vainを「消えなかった」は厳しいかもですが……。
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