少女たち
夜が来る前、
麦畑のそばに野兎は出てくるのか?
水車の溜め池に流れ込む水は今も、甘く冷たく、
優しく茶色がかっているのか?
不滅の川はまだ笑っているか、
水車の下で、あの水車の下で?
答えてくれ、まだ「美」は見つかるのか?
「確かさ」は? 「静けさ」は?
草深い牧草地は、まだあるのか?
嘘も、真実も、痛みさえも忘れられる場所は?
……ねえ、三時十分前を示す教会の時計塔は、いまもまだ立っている?
そして、紅茶に添える蜂蜜はまだあるだろうか?
『死者』と比較されたからでもないが、あの詩を最後まで訳してみる。
グランチェスターの、古い牧師館。詩人がかつて住んでいた、郷愁の対象。
やはり、感覚は正しかったと思った。
はるかかなたで間に合わないティータイムが近いことを告げる時計も、もうなくなったかもしれない蜂蜜も、そしてそれでもなお思い続ける人も、詩人は謳っている。
美や確かさや静けさといった抽象が、牧草地と時計塔と蜂蜜という具象に降りる。
そして時刻は、三時ではなく、三時十分前。
ティータイム目前の穏やかさであり、永遠と変化の境界にある曖昧さでもある。
きりよく言い切れるような瞬間ではなく、ゆるやかに流れる時間のひとしずく。
そしてそれが確かにではなく、まだあるのかという、ためらいがちの切実な問い。
トワや、リンや、多くの少女たちの時は止まってしまった。
ナルセの海に立つ感覚は今はなく、レイカの肌には消えない傷跡が残された。
けれどそれでもなお、今を生きる人たちの思いを、過去を回顧する人たちの思いを、聴くことができた。
ほんの少しだけでも、彼女たちの思いを記録することができたと、信じたい。
記憶することができたと、信じたい。
私に詩は書けない。
ただ他人の詩を、原意に沿って訳すだけ。
私には、文章も書けない。
ただ他人の言葉を、聴きとって忠実に綴るだけ。
綴る、とは昔の人もうまく言ったものだと思う――言の葉を、糸で丁寧に繋ぎとめること。
不器用な手つきでも、せいいっぱいに裁縫に取り組んだつもりだ。
私の手元に、一通の手紙がある。
記録を読んだアカネの母から、送っていただいた。
特設艦娘であるアカネの母であり、艦娘である大和の“母”。
丁寧な手書きの文字でしたためられた、その内容は公開しない方がよいように思う。
私の手元に、もう一通の少し古びた手紙がある。
大学生になって一人暮らしをはじめた私に、母が送ってきた。
特設艦娘になれなかった過去を引きずる娘の、母。
電話もメールもあるのに、あえて手間も時間もかかる方法で送られてきた、その内容を公開する必要はないと思う。
けれど、書かれた状況も宛先もなにもかも違っていて、そしてそれでも驚くほどに似ている、二通の手紙。
私も、海に立っていたのかもしれない。
そしてみんな、海に立つのかもしれない。
だからといってあのとき海に立った少女たちが忘れられてよいわけではないのだが――少しだけ、腑に落ちた。
私は、姉にはなれなかった。
アカネはそれを喜びと言ってくれたけれど、やはり、かすかな悔いはある。
レイカやサラのような明るさも強さもないから、いいお姉さんになれたとはとても思えなくても。
私は、母になるかは分からない。
シズにささやかれたことはいまも耳に残っているけれど、やはり、とまどいもためらいもある。
尚人ではないが、そもそも、授かるかどうかも不確かだとしても。
けれど。
けれど、航跡は、確かにそこにある。
航跡は、未来へと伸びていく。続いていく。
かつて海に立った少女たちの、航跡は。海に立つみんなの、航跡は。
離島の岸辺に、素足で立つ。
シズたちが守り抜き、帰路にリンが寄せ集めの艤装で戦艦レ級と最後の死闘を繰り広げた、美しい島。
火山島の砂は粗く、黒く、素足の白さが奇妙に目立ってしまう。
南の島とはいえ、冬の水は冷たい。
けれど。
けれど、すぐ近くの港から、船が出る。
蒼い海に映える鮮やかなイエローの船は、沖合へと進んでいく。
汽笛の音がひとつ。荒れるかもしれない海のほかはなにひとつ恐れることなく、船は陸を目指してゆく。
目の上に手をかざし、船を見おくって、私はひとつ、息をついた。
水面の航跡は、しずかに消えていった。
と、いうわけで……今度こそ、ほんとうに完結だと思います。
(いつかちょっと書いた「建築」の話はあるかもしれませんが……)
長らくのおつきあい、ありがとうございました。
少しでも彼女たちの航跡に思いを馳せていただけたなら幸いです。
それでは、またどこかで。