消えた航跡――特設艦娘の名のもとに――   作:白水つかさ

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野球観戦2/ホテル/バー

第4話続編 二十年越しの対決

 

あの夏の、少女と少年。

あのときも、いまも、少女はマウンドに立ち、少年は打席に立っている。

かつては中学校の同級生、チームメイト。いまは航空自衛隊のパイロットと、プロ野球の一流選手。

普通に考えれば、いまの勝敗は分かり切っているようにも思えるけれど――

 

「バッターラップ!」

 

彼女はボールを握りなおし、ちろりと唇を舌で湿らせる。

軽く足元を整え、タイミングを計ってから、ゆっくりと投球モーションに入る。

彼は柔らかく自然なフォームで、ボールを待つ。

 

そして、第一球。

 

――山なりのボール。

航空自衛隊と衆議院の試合では一球も投げなかった、超スローボール。

あとで聞けば、中学時代はときどき放っていたのだという。

彼は泰然と見送ったけれど、さすがに、少しだけ驚いているようにも見えた。

ぽすんと軽い音とともにボールはキャッチャーミットに収まり、ストライクがコールされる。

 

言葉はなかった。

けれど、少年が苦笑し、少女が得意げに鼻の下をこする、そのしぐさだけで、かたわらで見ている私にさえ、会話が聞こえたような気がした。

彼が、バットを握り直す。

 

二球目は、内角低めにツーシーム。

 

またストライク。

けれど、どんな球だったとしても彼はスイングしなかっただろうと思った。

二十年ぶりの対戦を少しでも長く、などという感傷的な理由ではない。

フェンスの外からではなく、打席に立ってボールを見ることで、打ち崩せる確率が高まるからだ。

要するに――本気だということ。

けれどそのことは、彼女には読みきられているだろうとも、思った。

 

三球目、すこし奇妙な感じになった。

彼が体勢を崩し、低めの球をかろうじてカットする。

 

これも決着してから聞いた内幕だが、彼は高めの釣り球だと読んで、それを思い切り叩こうとしたらしい。

少々高めに外れているくらいなら、球速とスイングスピードの関係で、打つことは十二分にできる。

草野球の女性投手相手にプロがすることか、と彼女は笑っていたけれど、それも、(わか)っていたわけだ。

投げたのは、あのときの最後のストレートと同じ、真ん中低めだったから。

 

「――!」

 

鋭い金属音と、野手のため息。

裏をかいたのはさすがだが、それでさえもプロは当ててくる。

いったいなにを投げればよいのかと、私も息を詰めた。

 

低めのカットボール、と思った。

低めなら長打の確率は下げられるし、手元で動くボールだから分かっていても芯を外す可能性が高まる。

野手も、彼も、誰もが同じことを考えただろう。

 

けれど。

 

――スローボールを、もう一球。

 

スポーツを題材にしたルポルタージュのタイトルのような、大胆な、そしてとても彼女らしいボール。

となりで図書館の女性が思わず噴き出した。

彼は体勢を崩しかけて、それでも踏みとどまる。

 

スイング。強烈な音を残して、白球は青空に放物線を描く。

 

「ああ――」

 

思わず声が漏れた。

 

だが、音ほどには打球に勢いはなかった。

スイングが速すぎると変形してしまい、反発力に変換されきらない軟球。

軽く勢いが止まりやすいボールを押し戻す、上空の向かい風。

あのときの少女、ではなかった。航空自衛隊の軟式野球投手が、投げるスローボール。

 

だがそれでも、プロの打球はフェンスへ伸びていく。

後退する外野手の背中が、緑の壁についた。

 

「Cleared for take off!」

 

凛呼たる声が、風を裂く。

――離陸を許可する。

フェンスに手をかけて、外野手は跳んだ。

 

グラブに、ボールが収まる。

 

「バッターアウト!」

 

審判の手が上がった。

少女と、――二塁あたりまで全力疾走していた――少年は、顔を見合わせて、どちらからともなく大笑いした。

守備陣も、司書の彼女も、そして私も、つられて微笑んだ。

 

ちなみに“先輩”の敵討ちは、初球のストレートを強烈にとらえたのだが、彼が見事にキャッチしてしまった。

守備力がさっきと違うのはずるいぞと文句を言いながら、彼女も大笑いしていた。

 

私が記者であることを知った彼に、引退試合に来て、野球人生でいちばん手ごわかった投手の名前を質問してください、と頼まれた。

喜んで引き受けたけれど、その日が少しでも先になることも、願っている。

 

青空の下で、私は一枚の写真を撮った。

 

 

 

第6話 福島の海辺

 

ホテルのエレベーターロビーは、大渋滞だった。

人がとても多い、というわけではない。

ただ、ひとりひとりの携えているスーツケースが巨大なので、一度に数名しかケージに入れないのだ。

 

私が駅からの無料送迎バスに乗ったときには、平日だからか、他のグループは誰もいなかった。

当たり前と言えば当たり前だけれど、かれらはツアーバスで到着したのだろう。

交わされる言葉は、中国語だ、というくらいは分かった。

福島に中国語を話す人たちがおおぜいいることは――どちらかといえば、心があたたかくなる。

 

急ぐ旅でもないので、行列の最後尾について、なにをするでもなく言葉のひびきに耳を傾ける。

もちろん、意味は九分九厘まで分からない。

 

そうしていると、先頭付近の青年に手招きされた。

私と周囲の人への身振りからするに、荷物の軽い人は先に乗せてあげよう、という気遣いのようだった。

遠慮するのも悪いので、というよりは、遠慮するだけの語彙の持ち合わせがないので、ありがたく先に進ませていただく。

 

謝謝(シェシェ)

 

「――?」

 

中国語で感謝すると、すぱんと打ちかえされた。

どういたしましてという感じの言葉よりは、もうすこしなにか問いかけるような、鋭いような雰囲気。

とはいえなんと聞かれたかも分からないので、

 

対不起(とぅいぷちー)我是日本人(うおしーりーべんれん)不能説漢語(ぷーなんしゅおはんゆー)

 

すみません、私は日本人なので中国語が分かりません、と、唯一の切り札に頼る。

目の前の青年が、破顔一笑した。

 

「――ああ。私たち、台湾から」

 

――ああ。

そういうことかと、納得する。

私が、かれらの同郷人でないとはとうぜん(わか)っただろう。

それなのに、(ちょっとした、なのだけれど)中国語、普通話(プートンフア)を口にした。

ということは何処(どこ)から来た人間に見えたか、だ。

 

「ええと……」

 

なんと言ったらよいのか分からないうちに、エレベーターが来た。

曖昧に手を振り、会釈して、ケージに乗り込ませてもらう。

小さな音を立てて、扉が閉じた。

 

「ヤキュウ! ヤキュウ!」

 

……感慨のようなものにふける暇は、なかった。

一緒に乗っている、いずれ劣らぬ大荷物を抱えている女性たちは、私が彼女たちの言葉を喋ったのを聞いていたせいで恐ろしい勢いでまくしたててくる。

さすがに、口にされた選手の名前は私でも分かったけれど、もう少し、いやだいぶ北ではと思った。

それと、私としては個人的な事情から、とある打者のことも忘れないでと言いたい。

 

が、もちろん、どちらも伝えられるような語学力はなかった。

少々の語学力では、どのみち口を挟むことは難しかっただろうけれど。

 

歓迎歓迎(ふぁんいんふぁんいん)。――良い旅を」

 

どこかの電気屋で聞いた覚えのある中国語のフレーズを頭につけてそう言い、自分の階で降りる。

部屋で少し書き物をして、いつもながらあらかじめ買い求めておいた夕食を口にする。

隣の声が聞こえるようなことはなかったし、波の音が聞こえる露天風呂につかったときも、異国の旅人たちにはもう出逢わなかった。

 

その理由が理解できた気がしたのは、翌朝だった。

カーテンを開け、海を眺めると、ホテルと海との間にゴルフコースがあった。

すでに色とりどりのウェアの男女がコースに散らばり、プレイを始めている。

海沿いのゴルフコースとして、台湾で有名らしいとは、あとで知った。

 

早く寝て、早く起き、爽やかな朝日とともに外に繰り出す人たち。

おかげで朝食のときも、せっかくなのでと向かった朝風呂のあいだも、かれらの言葉を使う機会はなかった。

まあ、かれらが楽しんでくれればそれがなによりだけれど、野球は何処へ行った、とふと思った。

 

「――よくありますよ」

 

レセプションの女性が教えてくれたのは、送迎バスを待つあいだのことだった。

 

「福島空港直行便で、チャーターバスに乗り換えてウチまで。ゴルフをしてから北上して、最後は花巻空港から帰国。有名コースでプレイしたいお父さんから、そこまでゴルフ好きじゃない娘さんまで大満足、でしょう?」

 

なるほど、と思った。

私も参加してみたい、とも。

 

福島と台湾を結ぶ便を設けるにあたっては、トップセールスもあったらしい。

そんな努力の積み重ねが、2025年の福島への観光客は2010年を上回った、という数字。

努力はしていないけれど、2025年のひとりではあることを、ほんの少しだけ誇りに思う。

 

……ちなみに。

その日は隣の駅にある石炭と化石の博物館に向かったのだけれど、模擬坑道に向かうエレベーターの電気が急に消えたときは思わず声をあげかけた。

心臓が止まった人間は観光客の人数にカウントされないと思うので、できれば予告してほしい。

私が怖がりなだけかもしれないけれど。

 

 

 

第7話 還る場所

 

そのバーは、誰かに導かれてでなければ、まず見つけられない。

看板もなく、裏通りに佇む隠れ家。

まるで霧の海を海図もなく彷徨(さまよ)った末に、不意に現れる港のような、街の喧騒にぽっかりと開いた静寂。

 

「――ここ」

 

水先案内人は、XAIを手掛けるIT企業の女性社長。

容貌も、生き方も、嵐のように激しく、美しい人。

かつて彼女の棋譜――将棋の奨励会を辞めさせられ、スフィンクスとしてその指し手を問うた人生を、描かせてもらったことがある。

そのときは少々踏み込み過ぎて最後に拉致監禁される(メカニカルタークにされる)羽目になったが、今回の拉致はありがたいもの、のはずだ。

 

「あんたも、ここは見つけられなかったって言ってたからさ」

 

嫌味なくそう言い、彼女が扉を開ける。からん、とベルが鳴った。

彼女が盲目の技術者と出逢った、局面を変える一手の(ます)なのだが、確かに取材のなかで辿り着くことはできていなかった。

 

「――ひさしぶり」

 

「おひさしぶりです」

 

どれだけぶりなのかは、(わか)らない。

ひと月まえにも訪れていたようにも聞こえたし、あの一手以来いちども訪れていなかったようにも聞こえた。

彼女の声も、そして、深海の底のように落ち着いた女性バーテンダーの声も。

 

「それで、こっちが――」

 

「白水ツカサさん。ですね」

 

型どおりに私を紹介してくれようとした社長の言葉を、女性バーテンダーがやわらかく引き取る。

少し驚いたが、同時に光栄にも思った。

 

「お読みいただいたのですか。はい、このバーも舞台のひとつとなっている、アンティゴネー社の記事を書かせていただきました。白水です」

 

名乗った私を見た彼女の視線は、どこかで、そして何度も、向けられたものに似ていた。

海に立てなかったというちっぽけで個人的な悔恨を語った私に、当事者たちが向けた穏やかな視線に。

 

「そして、特設艦娘の記録と記録を書き残された、白水さんですね。私も特設艦娘のひとりでした。深海棲艦鹵獲型艤装、重巡ネ級改」

 

「――!」

 

私は、息を呑んだ。

けれど心のどこかでは、解っていたようにも感じた。

深海の底のように落ち着いた、と書いた、そのときから。

 

ネ級といえばかなりの難敵で――政治家を志した少女が、ただひとりで戦い、水底に消えたその相手が、戦艦ル級と、新型の重巡ネ級だった。

 

「海に立ったひとり、かどうかは、少々疑問ですが。海に立つというより、深海にいて、イメージだけが水面にぽっかり浮かびあがっているような、という感覚は、確かにそのとおりでした」

 

深海棲艦由来の艤装を(まと)う感覚を説明してくれたのは、車椅子の女性。

改めて思い起こせばどこか彼女にも似ている、白皙(はくせき)の面立ちを少し斜めにそらし、彼女は淡く言葉を続ける。

 

「それに最初の出撃で、艦娘に足首を吹き飛ばされて、それきりでしたから」

 

「――え」

 

そう声をこぼしたのは、女性社長。

私は艦娘が深海棲艦由来の艤装を纏う少女たちを撃つことを知っているし、彼女も本を読んでくれているとは思うけれど、恩人が撃たれたと聞くことは客観的事実を読むこととはまったく異なる。

 

「そんなことって――」

 

向け先のない雷光をひらめかせる嵐に、深海の底は静かに、不変の温度で言う。

 

「だから辞めさせられたあなたや、海に立てなかったあなたの気持ちは、少しだけ解るのです。そう考えれば、憤ることはありませんよ」

 

「……」

 

女性社長は黙りこんだ。

音もなく、バーカウンターの後ろから、女性バーテンダー――特設艦娘だった女性が、歩み出てくる。

思わず、その足に、私も、彼女も、視線を吸い寄せられてしまう。

 

「――格好いいでしょう?」

 

ふわりと、静寂が揺れた。

細身のスラックスの裾からのぞく、クロームの輝きとグラスファイバーの黒は、義足であることがはっきりと分かり、それでいて、このうえもなく自然に彼女に似合っていた。

 

「スフィンクスの時代はもっと普通の義足を使っていました。もっとも、あのころも最近も、バーカウンターから出る機会はそう多くありませんから、気づく人はほとんどいませんが」

 

「……でも、あいつは」

「それはまあ」

 

盲目の技術者。

彼ならば確かに、音で分かっただろう。

バーの主と、バーで謎を出した男との間に、どのような関係があったのか。

それともたまさかにスフィンクスとして傷ついた少女に謎をかけるための舞台として選んだだけで、主との個人的つながりはなにもなかったのか。

 

「聞いても答えてくれないわよね」

 

女性社長が、すねた子供のような声で言うのも、同じ中身についてだろう。

 

「どうでしょう。でも、まずはご注文を」

 

「……はあ、ったくもう」

 

華麗に止まり木に腰かけ、カウンターにライオンのように、あるいはスフィンクスのように肘をついて、彼女は大袈裟にため息をつく。

波紋さえたてずに、いつのまにか、女性バーテンダーは酒瓶とグラスの並ぶ領域へと戻っていた。

自分を雛鳥のように感じながら、私もどうにかスツールによじのぼる。

 

「あの、こういう場所には慣れていなくて――」

 

「ピンクジンにしたら? 名前も色もかわいいわよ」

 

「……駄目ですよ」

 

白旗を掲げた私に、悪巧みをしていますという顔を隠さず提案してくる女性がいて、さくりと止めてくれる女性がいる。

 

「ピンクジンはドライ・ジンとアンゴスチュラビターズのカクテルで、要はほとんどストレートのジンです。私のレシピだと47度くらいですね」

 

……だ、そうだ。タンザニアの彼女にストレートで飲んだら道で寝ることになると脅された蒸留酒より、さらに強い。

 

「どんなお酒がお好きですか?」

 

「ええと……」

 

「無茶振りしなさい、無茶振り。ぜったい二日酔いにならないやつ、とか、私をイメージしたカクテル、とか」

 

「……あのですね」

 

「――では、白水さんをイメージしたものを」

 

女性バーテンダーが、静かに言葉を継いだ。

落ちついた輝きをもつスターリングシルバーのミキシンググラスのなかに、同色のメジャーカップを用いて、いくつかのボトルから液体を注いでいく。

 

「いえ、私はそんな、無茶振りをするつもりは――」

 

「大丈夫です。よく聞くオーダーですよ、人をイメージした一杯は」

 

そう聞いて、悔しそうに、だが嬉しそうに、社長がうなった。

女性バーテンダーの動きには、迷いがない。シェイクのような派手な動作はなく、ステアにつれて触れ合う氷の、かすかな音だけが鳴る。

 

「それに、白水さんのことは、いくらかイメージできていると思いますので。――姉妹のひとりのように、ですか」

 

ステムの長いカクテルグラスに、静かに液体が注がれていく。

向こうが見えるほどに透明で、ほんの少しだけ海の蒼さをたたえた液体が。

 

「――どうぞ。名前は、まだありません」

 

そっと滑らされたグラスを、両手で受け取る。

おずおずと持ち上げると、口をつける前に、香りだけが先に届いた。

青く、少し苦く、それでいてどこか、遠くまで届いていくような……などと自分をイメージしたカクテルの感想をまとめるのは、いささか気恥ずかしいけれど。

 

ひとくち、唇を湿らせる。

 

「……おいしいです」

 

「光栄です」

 

それだけ言って、彼女はまた沈黙に戻った。

彼女にも、そして私にも、女性社長はいろいろと聞きたいことがありそうだった。

けれど、それはそれとして、いつのまにか琥珀色の液体をたたえた大ぶりのロックグラスを握りしめている。

重たそうなそのグラスを、まるで世界に向けて拳を突き揚げるように、掲げた。

 

「じゃあ――姉妹に」

 

「姉妹に」

 

グラスは、触れあわない。

たぶん、この場では、それが正しいだろうと思った。

 

私は思いきって、カクテルグラスを傾けた。




4話続編:最後の特設艦娘「サラ」さん、やっぱり強し。

6話:できごととしては特設艦娘の登場しないリセットですが……福島は「レイカ」さんの現在の戦場ではあります。「個人的な事情」についてはすぐ上をご覧ください。「九分九厘まで」つかさの実体験だったりしますけど。

7話:ふたたび、『3月のスフィンクス』の香子さん。そして深海の底のように落ち着いた女性バーテンダーについては……そういうことです。「政治家を志した少女」はノゾミの記録で語られるミズキ、「車椅子の女性」はむろんハル。「タンザニアの彼女」はリセット第一話以来のカズサですね。
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