心閉ざした伯爵令嬢は魔法学院で光を探す   作:ひもたろう

2 / 4
はじまりの寮室

あの学院の門をくぐってから、一日が経った。

 

リリアは、未だにその変化に順応できずにいた。

目覚めるたびに聞こえる鳥のさえずりや、窓から差し込む柔らかな陽光。

心を締めつけるほどの静けさと平穏。それらは、つい昨日まで彼女が身を置いていた地獄とは、あまりにもかけ離れていた。

 

学院の名は――王立リスティア魔導学院。

王都でも有数の名門で、貴族の子弟だけでなく、地方の魔法才能者たちも集められる格式の高い教育機関だ。

リリアの入学は、周囲の予想を裏切るものだった。

なにせエルデン家の“落ちこぼれ令嬢”として、王都でも噂の的だった少女が、突如学院の一室に現れたのだから。

 

もっとも、当の本人であるリリアにとっては、そんな他人の視線など二の次だった。

 

何より、部屋が静かだった。

 

誰も怒鳴らない。

誰も彼女を傷つけない。

誰も、泣き叫ぶことを強いない。

 

「……はぁ……」

 

溜め息と共に、リリアは自分の寝台に腰を下ろした。

窓の外では、制服に身を包んだ生徒たちが、楽しげに笑い合っている。

声の波が、閉じた窓越しに響いてくる。

 

彼女には、その輪の中に入る勇気がなかった。

 

この学院には、知り合いなど誰もいない。

いや、いたところで――どうせまた裏切られるに違いない。

期待すればするほど、裏切られたときの痛みは深い。

だから、最初から心を閉ざしておくに限る。

 

けれど、そんなリリアの静かな日常は、思いも寄らぬかたちで破られることになる。

 

「おーい、リリア・エルデン? 入るわよ」

 

扉をノックする声もそこそこに、ずいと部屋へ入ってきたのは、鮮やかな金髪をポニーテールに結った少女だった。

整った顔立ちと涼しげな眼差し、そして何よりも自信に満ちたその佇まいは、貴族というより剣士のような印象を与える。

 

「……誰?」

 

リリアは咄嗟に体を引いた。反射的に身構える自分に気づき、内心で苦笑する。

 

「あ、悪い悪い。怖がらせるつもりはなかったの。自己紹介、まだだったわね」

 

少女は軽く頭をかきながら、にっと笑う。

 

「私、アメリア・ヴァンシュタイン。リスティア学院の二年生よ。今日からあんたのルームメイト兼案内役を仰せつかりました。よろしくね、リリア」

 

その口調は、貴族らしからぬ砕けたもので。

けれど、どこか不思議な安心感を与える響きがあった。

 

リリアは少しだけ目を瞬かせてから、ようやく頷く。

 

「……よろしく、お願いします」

 

「あ、敬語じゃなくていいから。年も近いし、同室なんだし。ね?」

 

アメリアは気さくに笑ってそう言いながら、自分の荷物をぽんと隅に置いた。

 

「この部屋、もともと一人部屋だったらしいけど、最近生徒数が増えてきたから二人部屋に戻したんだってさ。で、私が先にいたもんだから、今度からは新入りの面倒を見ろってさ」

 

「……そう、なんですね」

 

リリアは相槌を打ちながら、じっとアメリアの様子を観察していた。

見た目は明るくて強そう。

けれど、彼女の瞳の奥に、どこか似たような影を見た気がした。

 

「ま、そういうわけで。今日は学院の案内でもしてあげる。これから通うんだし、慣れておかないと困るでしょ?」

 

「……でも、私、人と話すの、あまり……」

 

「気にしない気にしない。喋らなくたって、歩くだけでもいいじゃない。無理強いはしないけど、外の空気、吸っておいた方がいいわよ」

 

そう言って、アメリアは手を差し伸べてきた。

 

それは、不意に差し込んだ陽だまりのようだった。

 

リリアは、躊躇いながらも、その手に指先を重ねる。

 

――怖くない、と言えるほど、もう自分は強くないけれど。

それでも、心のどこかで、ほんの少しだけ救われたいと願っていた。

 

◇ ◇ ◇

 

学院の中庭は、ちょうど春の光に包まれていた。

白い石畳が広がり、噴水の水音が涼しげに響いている。芝の上には本を読む生徒たちや、魔法の訓練をしている者たちがいた。

皆が、どこか眩しく見えた。

 

リリアは、隣を歩くアメリアの歩幅に合わせながら、言われるまま中庭をぐるりと一周していた。

何度も足元を見ては、視線を上げるのをためらってしまう。

 

「……ほら、あそこが図書塔。魔法書が収められてる塔のひとつ。最上階の閲覧室は午後になると日差しがちょうど良くておすすめ」

 

アメリアが指差したのは、灰色の塔だった。見た目は古びているが、その雰囲気がまた学院の歴史を感じさせた。

 

「魔法、使える?」

 

「……多少は、」

 

「そっか。授業、最初は大変かもだけど、まあ何とかなるよ。私も最初は呪文の詠唱すらまともにできなかったし。……って、あんまり慰めにならないか」

 

そう言って、アメリアは肩をすくめた。

 

リリアは小さく笑いそうになって――だが、喉元でそれを呑み込んだ。

笑ってはいけない気がした。

こういう時間に、慣れていない。

 

「……あの、アメリアさん」

 

「“さん”はやめなさい。“アメリア”でいいの」

 

「……アメリア。なんで、そんなに優しくしてくれるの?」

 

問いかけた瞬間、リリアの喉がひりついた。

自分で言葉にしながら、また突き放されるのではないかという恐怖が込み上げる。

 

アメリアは少し歩を止めて、振り返る。

 

「そうだね……うーん、直感?」

 

「直感?」

 

「うん。あんたが泣きそうな顔してたから。ああ、これは誰かがそばにいた方がいいって、そう思っただけ」

 

「……泣いてない」

 

「泣いてなくても、泣きそうだった。だから」

 

その言葉は、まっすぐで。

嘘も遠慮も、ない。

 

リリアは、咄嗟に言い返せなかった。

 

(この人は――本当に、ただの優しさで……?)

 

疑いと感謝が、胸の中でぐるぐると渦を巻く。

でも、今だけは信じてもいいのかもしれない。そう思ってしまう自分が怖い。

 

その日の午後、学院の授業が正式に始まった。

リリア・エルデンは、アメリアと同じ寮棟に暮らしながら、別の学年――一年生のクラスに所属することになった。

 

教師の紹介と共に教室に入ったリリアは、無数の視線にさらされた。

「エルデン家の娘だ」

「例の事件の後……?」

「なんであんな子が?」

 

小声の噂が、否応なく耳に届く。

 

リリアはうつむき、目を閉じる。

 

――耐えろ。いつものことだ。もう慣れている。

 

しかし、そう言い聞かせても、手のひらには汗が滲んでいた。

過去の声が、耳元で囁くように蘇る。

 

「無能の分際で、貴族面するな」

「きゃはは、また泣いてるよ」

「どうせ誰にも必要とされないくせに」

 

自分の存在が否定され続けた、あの暗い日々。

家族に売られ、牢に囚われ、身体を弄ばれたあの時間――。

 

喉の奥が焼けるように熱くなる。吐き気が込み上げる。

だが、そんなとき――

 

「リリア・エルデン。どうぞあちらの席へ」

 

担任の教師が、柔らかい声で彼女を呼んだ。

その一声が、かろうじて彼女の意識を現実へ引き戻した。

 

震える足で席に着いたリリアは、ただひたすら授業の内容をノートに書き写し続けた。

魔法理論も、歴史も、全部が上の空だったが、手だけは動かした。

手を止めたら、心まで止まってしまいそうで。

 

そんな彼女に、誰も話しかけてはこなかった。

 

放課後、教室を出ると、廊下の向こうにアメリアの姿が見えた。

 

リリアはふと足を止める。

呼びかけようとしたその瞬間――アメリアが、他の生徒たちと笑って話しているのが見えた。

 

「そっか……あの子も、あっちの人間なんだ……」

 

独り言のように呟いたその声は、自分でも驚くほど冷えていた。

 

そのままリリアは踵を返し、誰にも見られぬように寮へと戻っていった。

 

◇ ◇ ◇

 

夜。

 

リリアはベッドの上で、天井を見上げていた。

窓の外では、月が青白い光を差し込んでいる。

寮の部屋は静かだった。隣のベッドでは、アメリアが規則正しい寝息を立てている。

 

昼間、彼女に話しかけようとして――やめた。

自分なんかが、その笑顔に触れていいとは思えなかった。

 

アメリアが優しいのは、きっと“役目”だからだ。案内役という名の、義務。

そう自分に言い聞かせる。

期待するな、慣れるな、信じるな――そう、何度も、何度も。

 

(けれど、やっぱり……)

 

リリアは、こみ上げる感情を噛み殺すように、唇を噛んだ。

ずっと耐えてきた。

助けも、希望も、ない世界で。

それでも、生き延びてきた。

 

でも――それが何の意味を持つのかは、分からなかった。

 

ふと、右手が動く。無意識のうちに、脇腹へ触れていた。

そこには、いまだうっすらと残る、あの時の傷痕。

あの地下室で、身動きもできずに泣いていた夜を思い出す。

 

リリアは、声も出さずに息を詰めた。

泣いてはいけない。ここは安全な場所かもしれない。でも、油断すれば、また――。

 

(あの時のように)

 

喉が詰まり、熱いものが頬を伝う。

 

知らないうちに、涙がこぼれていた。

 

月の光が、彼女の横顔を白く照らす。

 

「……私なんて、いなければよかったのに……」

 

呟いた言葉は、空気に溶けて消えていく。

誰にも届かない願い。

けれど、それでも口にせずにはいられなかった。

 

そのとき、隣のベッドが、かすかに軋んだ。

 

「……リリア?」

 

寝返りの音。アメリアの声。

リリアは反射的に背を向ける。

涙を拭い、声を押し殺して言う。

 

「……ごめん、起こしちゃって」

 

「ううん、ちょっと寒かっただけ。……大丈夫?」

 

その一言に、リリアは答えられなかった。

 

――やっぱり、この人は優しい。

優しすぎて、怖い。

 

自分が汚れてしまったことを、もしこの人が知ったら、同じようにしてくれるだろうか。

それとも――。

 

「……ごめんなさい」

 

それだけを言って、リリアは毛布を引き上げる。

もうこれ以上は、何も話せなかった。

 

やがて再び、部屋は静寂に包まれる。

 

夜は、長かった。

まるで、永遠に終わらない夢のように。

けれど朝は、それでもやってくる。

 

リリアの学院生活が、静かに幕を開けた――。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。