アヤメとナグサは比翼連理   作:あばなたらたやた

2 / 5
二話

【過去話】

 

 薄暗い訓練場の空気は、火薬と金属の匂いで張り詰めていた。七稜アヤメと御稜ナグサは、互いに銃を構え、静寂の中で鋭い視線を交錯させていた。模擬戦――実弾こそ使わないが、最新のシミュレーション技術により、命のやり取りに限りなく近い緊張感が二人を包む。

 

「行くよ、ナグサ!」

 

 アヤメの声が鋭く響き、彼女の姿が一瞬で霞む。高速移動。訓練された脚力が床を蹴り、まるで風のようにナグサの死角へと滑り込む。彼女の手には、軽量の自動拳銃が握られ、その銃口は常にナグサの急所を追う。

 

 ナグサも負けてはいない。彼女の目はアヤメの動きを捉え、反射的にショットガンを構え直す。ドンッ! 模擬弾の衝撃波が空気を裂き、アヤメのいた位置に炸裂するが――そこには誰もいない。アヤメはすでに跳躍し、ナグサの背後を取っていた。

 

「くっ……!」

 

 ナグサが振り返るより早く、アヤメの銃口が彼女の首筋に突きつけられる。冷たい金属の感触を模したシミュレーターのフィードバックが、ナグサの肌を震わせた。

 

「チェックメイト」

 

 アヤメの声は静かだが、圧倒的な自信に満ちていた。彼女の瞳は、勝利の余韻に輝きながらも、どこか優しくナグサを見つめている。

 ナグサは肩を落とし、ショットガンを下ろした。

 

「……負けました」

 

(凄い!  凄い!  凄い! いつもと違う武器なのに!)

 

 ナグサの心の中で、アヤメへの賛美が響き合う。アヤメの動きはまるで舞踏のようで、銃を振るう姿は戦場の女神そのものだった。あのスピード、あの正確さ、そして何より、戦いの中でさえ感じる彼女の気品――ナグサにとって、アヤメは憧れの象徴だった。

 

 訓練場のシャワー室では、湯気が立ち込め、二人を柔らかく包み込んでいた。アヤメは髪を洗いながら、隣で少しうつむき加減のナグサに声をかける。

 

「ナグサ、さっきの戦い、凄かったよ。ショットガンのあのタイミング、普通なら避けられなかった」

 

 アヤメの声は明るく、まるで姉が妹を褒めるような温かさに満ちていた。ナグサは顔を上げ、濡れた髪を指でかき上げる。

 

「うそ、アヤメに全然及ばなかったよ。私なんて……ほんと、ダメダメだった」

 

 彼女の声には、どこか自分を責めるような響きがあった。

 アヤメはシャワーの水を止め、ナグサの方へ体を向ける。彼女の瞳は真剣だった。

 

「こらっ、そういう自己卑下はしないの。わかった? ナグサは十分強いよ。今日だって、私を何度も追い詰めたじゃない」

 

 ナグサは驚いたようにアヤメを見つめ、頬がわずかに赤らむ。

 

「う、うん……ありがとう、アヤメ」

 

 湯気の向こうで、ナグサの心は熱を帯びていた。アヤメの言葉、彼女の笑顔、その全てがナグサの胸を締め付ける。アヤメはただ強いだけじゃない。こんな風に、いつもナグサのことを気にかけてくれる。その優しさが、ナグサにとって何よりも眩しかった。

 

(アヤメ……大好きだよ)

 

 ナグサは心の中でそっと呟いた。彼女の視線は、アヤメの背中に注がれ、まるでその姿を目に焼き付けようとするかのようだった。アヤメが振り返り、ふっと笑みを浮かべる。

 

「ほら、ぼーっとしてないで、ちゃんと体洗いなよ。次は私が負けるかもしれないんだから、ナグサも準備しときなさいね」

 

 その言葉に、ナグサは慌てて頷きながら、胸の奥で決意を新たにした。

 いつか、アヤメに並びたい。そして、彼女の隣で笑いたい――ナグサの心は、そんな願いで満たされていた。

 廊下の蛍光灯が淡く瞬く中、書類の束を抱えたキキョウが事務室から出てきた。彼女の足音が静かな空間に響く。ちょうどその時、模擬戦を終えたばかりの七稜アヤメと御稜ナグサが、汗と笑顔を携えて廊下の角から現れた。

 

「あ、キキョウ、お疲れ様!」

 

 アヤメの声は明るく、いつものように周囲を照らす陽光のようだった。

 

「ちょうどナグサとご飯食べに行くんだけど、一緒に行く? 焼き鳥、美味しいよ!」

 

 ナグサが隣で頷き、目を輝かせる。

 

「うん、焼き鳥を一緒に食べに行くの」

 

 キキョウは書類を小脇に抱え直し、呆れたような視線を二人に送った。

 

「アヤメ先輩とナグサ先輩はまた焼き鳥? 飽きないね、本当に」

 

 ナグサは少し頬を膨らませ、まるで子供のようにはっきりと言い返す。

 

「飽きないよ! だって美味しいんだから!」

 

 キキョウは小さく笑い、首を振る。

 

「私は遠慮しておくよ。幼馴染の二人でどうぞ、楽しんできて」

「はは、ありがと!」

 

 アヤメは軽く手を振ると、ナグサを促して歩き出した。二人の背中を見送りながら、キキョウはふと呟く。

 

「ほんと、仲良いよね、あの二人……」

 

 百鬼夜行繁華街の片隅に佇む「百鬼」は、煙と笑い声が絶えない焼き鳥屋だった。カウンターに座るアヤメとナグサの前に、炭火で焼かれた串が次々と並ぶ。ナグサは焼き鳥を頬張り、幸せそうに目を細める。

 

「んー、 美味しい」

 

 だが、アヤメの手元はどこかぎこちなかった。彼女は串を手に持ち、焼き鳥をじっと見つめるが、口に運ぶたびにその表情は暗い。普段の明るさとは裏腹に、彼女の瞳には何か重いものが沈殿しているようだ。ナグサはそれに気づかず、笑顔で話しかける。

 

「美味しい? アヤメ、もっと食べてよ」

「はは、うん、ありがとう」

 

 アヤメの笑顔は柔らかかったが、どこか無理やり貼り付けられたもののように見えた。ナグサは無邪気に串を手に取り、アヤメに差し出す。

 

「ほら、このつくね、最高だよ」

 

 食事が一段落した頃、カウンターの喧騒が少し落ち着いた。アヤメは串を置き、ふとぽつりと言った。

 

「ナグサはさ、百花繚乱のことをどう思う?」

 

 ナグサは少し驚いたようにアヤメを見たが、すぐに目を輝かせて答える。

 

「凄く心地良いよ。問題は多いけど、みんながいて、アヤメがいる。この時間がずっと続けば良いのにって思う」

「この時間が永遠に、か」

 

 アヤメの声は低く、どこか嘲るような響きを帯びていた。彼女はグラスを手に取り、意味深に宙を見つめる。

 ナグサはそんなアヤメの変化に気づかず、身を乗り出して続ける。

 

「うん、アヤメと一緒にいて、アヤメを支えて、アヤメの為に行動できるのが、凄く嬉しい!」

 

 彼女はすりすりとアヤメの腕に身を寄せ、まるで子犬のようだった。アヤメは一瞬、ナグサを侮蔑するような冷たい視線で見た。だが、すぐにいつもの明るい笑顔に戻る。

 

「私も、幼馴染のナグサと一緒にいられて嬉しいよ」

 

 ナグサの笑顔がさらに弾ける。

 

「私も! 私はアヤメみたいになれないけど、それでも頑張る。アヤメは凄いと思うから。何でも解決して、導いてくれるから。私はその姿に安心するんだ」

 

 アヤメの手が、串を持ったままわずかに震えた。彼女はナグサの言葉を聞きながら、グラスを握る手に力を込める。

 

「そっか、その期待に応えられるように頑張るよ」

 

 その声は、絞り出すように発せられた。

 焼き鳥屋を後にしたアヤメは、ナグサと別れ、一人で夜の街を歩いていた。ネオンの光が彼女の顔を照らすが、その表情は曇っている。頭痛と目眩が彼女を襲い、胸の奥に不愉快な澱が広がる。ゆっくりと家に向かう足取りは、まるで重い鎖を引きずるようだった。

 

(嫌なことを思い出す……)

 

 それは、ある任務でのことだった。百花繚乱紛争調停委員会の委員長として、紛争現場に赴いたアヤメ。彼女は必死に解決策を模索し、奔走していた。だが、そこで投げつけられた言葉が、彼女の心に突き刺さった。

 

『来るのがおせーんだよ! この無能委員会!』

 

 被害者の苛立ちと絶望が込められたその言葉は、アヤメのモチベーションを大きく削いだ。あの瞬間、彼女は自分の存在意義を疑った。どれだけ努力しても、どれだけ犠牲を払っても、感謝されないこともある。いや、感謝など求めていないはずだった。それなのに、なぜこんなにも心が軋むのか。

 

 自宅に戻ったアヤメは、シャワー室に立ち、熱い湯をかぶる。湯気が立ち込める中、彼女の思考は過去と現在を行き来する。

 頼まれる。応える。救う。

 その連鎖は、まるで運命の鎖だ。繰り返される旋律は、彼女の心を縛る呪いか、使命か。誰もが笑顔で手を差し伸べ、彼女の名を呼ぶ。その声は温かく、柔らかい。だが、あまりにも重い。

 

(誰のために、私はここに立つ?)

 

 百花繚乱の頂に君臨する者として、アヤメは選んだ。困窮する声を聞き、倒れる者を支え、闇に抗う光となることを。その選択は、確かに彼女自身のものだった。なのに、なぜこの胸に巣食う澱は消えないのか。

 

「助けて、アヤメ!」

 

 その一言で、彼女は動く。銃を手に、笑顔を纏い、まるで陽光のように駆ける。だが、その笑顔の裏で、彼女の心は軋む。どれだけの苦労を重ねても、彼らは知らない。知らなくていい、と思う。知られなくていい、と思う。だが、思う。

――どうして、自分で立ち上がれない?

 

 彼女は誰のために銃を振るうのか。委員長の証を受け継いだ日、彼女は誓った。「強者として、弱者を守る」と。その言葉は、彼女を形作る骨だった。折れぬ鋼、揺らぐことなき信念。だが、骨は軋み、信念は色褪せる。

 

 頼られるたび、応えるたび、彼女の内側に何かが堆積する。それは不満か。苛立ちか。それとも、もっと醜い何かか。

 

「猿め」

 

 と、彼女は呟く。誰に向けた言葉か、自分でもわからない。彼らに向けたものか。それとも、彼女自身を嘲る呪言か。

 夜の帳が下り、誰も見ていない雪原の果てで、彼女は立ち尽くす。クズノハを求めた旅路は、彼女を何処へ導くのか。言い伝えは偽りか、真実か。彼女の銃、「百蓮」は、あの怪異を撃てなかった。

 

 瓜二つの姿で彼女を見下ろしたあの影は、何だったのか。彼女の鏡か。彼女の罪か。それとも、彼女が捨てたかったもう一つの自分か。

 頼まれる。応える。救う。

 その繰り返しの中で、彼女は何を失った? 笑顔の裏で、彼女は何を隠した? 全てを守る力。それが彼女の望みだったはずなのに、なぜこの手は空を掴むばかりなのか。

 

 黄昏が迫る。

 その色は、彼女の心を侵す毒のように美しい。コクリコの囁きが耳に残る。「全てを守れる力」を、彼女は約束した。だが、その力は彼女を彼女でなくすかもしれない。

 それでも、彼女は歩みを止めない。なぜなら、彼女は――七稜アヤメだから。誰かのために、銃を振るう者だから。

たとえ、その銃が、彼女自身を貫くことになっても。

 

 

 夕陽の残光が、百花繚乱紛争調停委員会の部室を淡く染めていた。窓から差し込む光は、まるで世界の終わりを告げるように、静寂の中に溶けていく。

 七稜アヤメは一人、机に肘をつき、虚空を見つめていた。彼女の瞳には、普段の鋭さとは異なる、深い翳りが宿っている。傍らに置かれた銃「百蓮」は、その名に相応しい華やかな輝きを放つはずが、今はどこか色褪せ、冷たく沈黙していた。

 

 扉が軋み、御稜ナグサが顔を覗かせる。

 

「アヤメ!」

 

 その声は、いつも変わらぬ明るさで部室を満たした。ナグサはそわそわとアヤメの隣に腰を下ろし、距離を詰めるように身を寄せる。純粋な瞳でアヤメの顔を覗き込み、彼女は言った。

 

「元気ないね、アヤメ」

 

 アヤメは小さく笑い、視線を逸らす。

 

「そういう日もあるよ」

 

 その言葉は、まるで自分自身を納得させるための呪文のようだった。ナグサは首を傾げ、まるで子犬のような無垢さで続ける。

 

「少し休めば、いつものアヤメに戻るよ!」

(は?)

 

 その瞬間、アヤメの心に冷たい刃が突き刺さった。

 「いつものアヤメ」とは、何だ。ナグサの無垢な言葉は、なぜか彼女の胸を締め付けた。期待、信頼、純粋さ――それらが今のアヤメには、まるで鎖のように重かった。彼女は言葉を飲み込み、曖昧な微笑みを浮かべるにとどめた。

 

 ナグサは少し物足りなそうに立ち上がり、

 

「じゃあ、またね!」

 

 と手を振って部室を後にした。その背中を見送りながら、アヤメの心に小さな亀裂が走る。まるで、彼女自身が砕け散る予兆のように。

 

 夜が訪れ、部室は闇に沈んだ。静寂が重くのしかかる中、突然、かすかな音が響いた。アヤメがそちらを振り返ると――そこには、七稜アヤメが立っていた。

 

 自分と瓜二つの姿。だが、その目は冷たく、まるで彼女の内側を抉るように見つめている。怪異だ。百花繚乱紛争調停委員会の委員長として、数多の怪異を討伐してきたアヤメにとって、これは馴染みの敵だった。彼女は反射的に「百蓮」を手にし、銃口を向ける。

 

「消えて」

 

 引き金を引く。銃声が部室を切り裂いた瞬間、怪異は微動だにしなかった。模擬弾とはいえ、怪異を退けるはずの「百蓮」の力が、まるで効いていない。

 

「効果が、ない?」

 

 アヤメの手が震えた。「百蓮」――委員長の証が、彼女に力を貸していない。それは、彼女の存在そのものが否定されたかのような感覚だった。

 

 「これだけ尽くして」

 

 声は震え、喉の奥から絞り出される。

 

「これだけ頑張って」

 

 涙が一筋、頬を伝う。信念、使命、すべてが崩れ去る音が、彼女の内で響いた。

 

「その結果がこれ?」

 

 膝から力が抜け、彼女は床に崩れ落ちる。「百蓮」が手から滑り、冷たい床に乾いた音を立てた。

 

「なんて無様……」

 

 それでも、彼女は立ち上がらなければならない。百花繚乱を守る者として、委員長として。クズノハ様なら、きっと全てを解決してくれる。どんな頼みも、どんな期待も、クズノハ様なら代わりに引き受けてくれるはずだ。

 アヤメは氷原へと向かった。伝説に語られるクズノハを求め、凍てつく雪原を進む。そこにあったのは、朽ちかけた屋敷。門が軋み、まるで彼女を拒むように不気味な音を立てた。だが、そこで彼女を待っていたのは、クズノハではなかった。

 

「アヤメ……!」

 

 ナグサの声が雪原を切り裂く。息を切らし、雪をかき分けて駆け寄るナグサ。

 

「どうして! 一緒に帰ろう!」

 

 アヤメの心に、冷たい嘲笑が響く。

 

(泣き虫のくせに。馬鹿な女)

 

 ナグサの純粋さが、今のアヤメには苛立ちでしかなかった。彼女の存在は、アヤメが失った「いつもの自分」を突きつける鏡だった。

 

「アヤメ……! 行ったら嫌だ! 帰ろう!」

 

 ナグサの手がアヤメに伸びる。その瞬間、黄昏がやってきた。

 黄昏――生徒を汚染し、変質させる現象。その毒々しい光が、屋敷の周囲を覆い、アヤメを飲み込もうとする。彼女はナグサの手を見た。温かく、柔らかく、彼女を救おうと必死なその手。だが、アヤメの口からこぼれた言葉は、鋭く冷たかった。

 

「私はナグサを友達と思ったことは一度もない」

 

 ナグサの瞳が揺れる。驚愕と悲しみが混じり、彼女の手が一瞬止まる。その刹那、黄昏の光がアヤメを完全に飲み込んだ。ナグサの手は空を切り、彼女の叫び声だけが雪原に響く。

 

「アヤメ――!」

 

 黄昏の光の中で、アヤメは自分の心と向き合う。彼女を縛る鎖――頼まれる、応える、救う。その連鎖は、かつて彼女を支えた信念だったはずなのに、今は彼女を締め付ける呪いだった。

 

 怪異としての自分。委員長の証を失った自分。ナグサの純粋な信頼すら、彼女には重荷でしかなかった。

 

(私は、誰のために銃を振るうの?)

 

 クズノハを求め、氷原を彷徨った先にあったのは、答えのない虚無だった。黄昏の毒は、彼女の心を侵し、「七稜アヤメ」を消し去ろうとする。だが、それでも、彼女は一歩を踏み出す。

 

 なぜなら、彼女は――七稜アヤメだから。

 たとえ黄昏に飲まれようと、彼女は戦い続ける。ナグサの叫びが、遠くでまだ響いている。その声は、彼女を縛る最後の鎖なのか。それとも、彼女を救う光なのかわからない。

 

 アヤメは「百蓮」を握り、黄昏の闇へと歩を進めた。その一歩は、決意か、絶望か。あるいは、その両方だった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。