アヤメとナグサは比翼連理   作:あばなたらたやた

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4話

 

【現代】

 カフェの空気は一瞬、重みを増した。

 ジャズの旋律が遠くで揺れ、窓の外では夕暮れの街が静かに闇に沈みつつある。アヤメの指はマグカップの縁をきつく握り、湯気が彼女の顔に薄い膜を張るように漂う。

 

「これが、私の罪。委員長という責任を押し付けて、逃げた。だから私は、黄昏で得た怪異の力で、ヒトツメになろうと思う」

 

 彼女の瞳は、先生の言葉を飲み込むように揺れ、しかしどこか遠くを見つめている。長い沈黙が二人の間を満たし、テーブルの上のランプの光が、彼女の手に微かな影を落とす。

 

「みんなを常に見守り、守護する存在。誰かの涙を拭うために」

 

 アヤメの言葉を聞いて、先生は姿勢を正し、穏やかだが確かな声音で続ける。

 

「なるほど、それは大きな出来事があったね。ストレスある生活だったと思う。それを踏まえて結論に対する私の印象としては、少し極端かな、という風に思ったよ」

 

 その声は、まるでアヤメの心の波をそっと撫でるようだ。

 アヤメの眉がわずかに動く。彼女はマグカップをテーブルに置き、視線を先生に上げる。

 

「極端? どういうこと?」

 

 その声には、好奇心とわずかな警戒が混じる。

 先生は一拍置き、アヤメの目をしっかりと見つめる。

 

「アヤメの目的は人助けであり、それをしていくうちに一部の人の醜さを知ってしまった。それに加えて強いプレッシャーで、最終的に全員を助けるという選択をした」

「それの何が?」

 

 彼女の口調には、守るべき信念を試されているような、かすかな苛立ちが滲む。先生の表情は柔らかく、しかし真剣だ。

 

「全員を助けるのは苦しいよ。できるできないなら、できると思う。だけど、苦しくて辛い道になると思う」

「否定しないんですね。無理だって」

 

 彼女の声には、挑むような響きと、どこか安心を求めるような揺れが混じる。

 先生は小さく微笑み、優しく頷く。

 

「生徒の夢だからね。だけど、それが本当にアヤメにとって良いものになるか、は考えないといけない」

「ヒトツメになって、全員を見張り、異常があれば助ける。それの何が辛いの?」

 

 彼女の言葉は、まるで自分の決意を再確認するように力強いが、どこか脆い響きを帯びる。

 先生は一瞬、目を閉じ、深く息を吸う。

 

「それは醜い部分を全て受け入れることだからね。人の弱さや醜さは仕方ない部分であるけど、それを受け入れられるかは別の話だ」

「もう既に見てきたから平気」

 

 その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせるように力強く、しかし指先がテーブルクロスを軽く抓む。先生の目はアヤメをじっと見つめ、穏やかだが鋭い。

 

「それを見続けて、危害を加えず助けることに殉じるのは怖いと思う。最初は平気かもしれない。でもだんだんと嫌になっていく。善良なる人を、食い物にする弱い者。その光景を見て、見続けて本当に平気?」

 

 アヤメの息が一瞬止まる。

 

「そ、れは…」

 

 彼女の声は途切れ、瞳に動揺が走る。彼女はマグカップを見つめ、湯気の揺れに視線を泳がせる。

 先生は姿勢を変えず、柔らかく続ける。

 

「でも、これは私の意見だからね。アヤメの主張も聞きたいな。アヤメは、人間の醜い部分を見続けて、自分を律し続けることができると思う?」

「…………なら、どうすれば。一体私はどうしたら良いの?」

 

 その声は、まるで自分の信念が揺らぐ恐怖と、答えを求める切実さが交錯する。先生はアヤメの動揺を静かに受け止め、穏やかな眼差しで彼女を見つめる。

 

「その答えを私は持っていない。だけど、考え続けて、体験してみて、知っていけば、分かるかもしれない」

 

 その言葉は、まるでアヤメに新しい道をそっと示すように、静かに響く。カフェのランプの光が、アヤメの顔に柔らかな影を落とす。彼女は視線を上げ、先生の目を見つめる。そこには、決意と不安が交錯する光が宿る。窓の外では、夜の帳が完全に下り、街の灯が遠くで瞬く。

 

 カフェの空気は、なおも重く、静かな緊張感に満ちている。ジャズの音色が遠くで揺れ、窓の外では夜の街が冷たく光る。

 

 アヤメの指はマグカップの縁を離れ、テーブルクロスをぎゅっと抓む。彼女の瞳は、先生の最後の言葉を飲み込もうとしながら、どこか途方に暮れたように揺れている。

先生はアヤメの沈黙をそっと見守り、穏やかな声で続ける。

 

「アヤメの『全員を助ける』という思いは本当に尊いし、強い。でも、さっきの話でちょっと感じたのは……それって、どこかでアヤメ自身を削ってるんじゃないかな。自己犠牲の限界って、考えたことある?」

「限界……? でも、私がやらなきゃ、誰がやるの? みんな、私を頼ってくるんだから」

 

 その言葉には、頑なな決意と、かすかな疲弊が混じる。

 先生は姿勢を少し前に傾け、アヤメの目を優しく捉える。

 

「うん。アヤメはそうやって、ずっと周りを支えてきたんだよね。でも、たとえば……アヤメが全部背負うのをやめたら、誰かが困るかもしれないけど、誰かが自分で動き出すかもしれない。そこ、想像してみたことある?」

 

 アヤメの眉が寄る。彼女は一瞬、唇を噛み、言葉を探すように視線を彷徨わせる。

 

「でも……それって、放棄するみたいで。自分がちゃんとしないと、なんか、私が私じゃなくなる気がする」

 

 彼女の手はテーブルで拳を作り、声に力がこもる。

 

「私、いつもそうやってきたから。私がなんとかしてきた」

「そっか、アヤメにとって、頑張ることは自分を保つ方法でもあるんだね。それは強い部分だと思うよ。でも、その『なんとかする』が、アヤメをどれだけ疲れさせてる? さっき、夜に頭がぐるぐるするって言ってたよね。あのぐるぐる、自己犠牲の重さがちょっと顔出してるんじゃないかな?」

「疲れるよ。それは認められる。でも、休んだら、なんか負けた気がする、頑張ってる自分がいるって思えるから」

「アヤメが自分を認める瞬間がそこにあるんだ。でも、考えてみて……その頑張りが、アヤメを認める唯一の方法になってるなら、ちょっと苦しいルールを作っちゃってるんじゃないかな? 自己犠牲がアヤメの価値を決めるわけじゃないよ。アヤメは、ただそこにいるだけで、十分価値があるんだ。」

 

 アヤメの指がマグカップを強く握り、彼女の声は震える。

 

「信じられない。だって、私がやらなきゃ、誰も私のこと必要としない。価値なんて、誰かを助けてる時しか感じられない」

 

 彼女の瞳に、かすかな湿り気が光る。

 先生は一瞬、目を閉じ、深く息を吸う。

 

「その気持ち、わかる。アヤメにとって、助けることが自分の存在を証明するみたいになってるんだね。でも、ちょっと怖い話かもしれないけど……その道を突き進むと、アヤメがアヤメでいられる場所が、どんどん狭くなっていくかもしれない。自己犠牲の限界って、たぶんそこにある。全部背負うのをやめたら、アヤメ自身がもっと自由に息できるんじゃないかな? って思うけど、どう思う?」

 

 アヤメは長い沈黙に沈む。彼女の視線は窓の外、夜の街の光に吸い寄せられる。カフェのジャズが、彼女の心の波をそっと撫でるように流れる。

 

「自由……か。わかんないよ、そんなの。どうやってやめるの? みんなが私を必要としてるのに」

 

 彼女の声は、まるで自分に問いかけるように小さくなる。

 先生は微笑み、温かく続ける。

 

「うん、すぐには難しいよね。全部やめるんじゃなくて、ちょっとずつでいいと思う。たとえば、頼まれごとを一つ断ってみるとか。『これは自分でやってみて』って言ってみるとか。その一歩で、アヤメがどれだけ楽になるか、試してみてもいいかもしれない。」

 

 アヤメは唇を軽く噛み、視線を先生に戻す。

 

「怖いよ。断ったら、嫌われるかもしれないし」

 

 彼女の声には、変化への不安が滲む。

 先生は優しく頷く。

 

「怖い。嫌われるかもって思うのは自然な気持ちだよ。でも、アヤメが自分のために一歩踏み出すの、誰かが本気で嫌うかな? もし嫌う人がいたとしても、それはアヤメの価値を下げるものじゃない。むしろ、アヤメが自分を大事にするのって、もっと強いアヤメを作るんじゃないかな。」

 

 アヤメの瞳が揺れ、彼女は小さく笑う。

 

「なんか、先生の言うこと、綺麗ごとっぽいけど、ちょっとわかるかも」

 

 彼女はマグカップを手に取り、一口飲む。

 

「試してみる、かな。ちょっとだけ。」

 

 先生は穏やかに笑い、会話を締めくくる。

 

「アヤメのペースでいいよ。今日、こうやって話して、アヤメの心がちょっと見えた気がして、ほんと嬉しい。またいつでも話聞くから、気軽にね」

 

 アヤメは小さく頷き、唇にほのかな笑みを浮かべる。

 

「うん、ありがとうございます。なんか……少し軽くなった、気がします」

 

 彼女の視線は窓の外に漂い、夜の街の光が、彼女の瞳に静かに映る。カフェのジャズは、柔らかく二人を包み込み、まるで新しい一歩をそっと後押しするように響き続ける。

 

 

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