〜静謐なひととき〜
「着きましたよ。うさちゃんさん」
「わぁ……! 本当だ。沢山の本がギチギチに……♡」
ある日の休日。
「そんなに借りて読み終わるんですか?」
「う、うーん。本そんなに読むほうじゃないですから……」
「ダメよ……っ。貸し出し期間を守らないなんて……っ。ダメなんだから……っ」
「ダメなのにどうして本を……!?」
うさは喜びのあまり隙間なく積み、季鞠も悦びのあまり上乗せした結果、天井に届こうかというほどの量になってしまった。
「せ、せめてここで読んでいきましょう。うさちゃんさんの読書スピードが分かれば、適切な量も分かりますから」
「そ、そうですね」
二人は向かい合って座り、読み始めた。季鞠は一定の間隔でページをめくる。対するうさは、一ページ読むたびに様子を確認してからページをめくる。そしてまた確認する。
「あ! 季鞠先生季鞠先生! ここ見てっ!」
「う、うさちゃんさん。図書室では大声を出さないように」
「あっ。ご、ごめんなさい」
「いえ……」
(さみしいよう……)
静かな図書館に紙の擦れる音だけが響く。うさは自分の本に集中しようと試みた。だが内容が頭に入ってこなかった。
(どんな本を読んでいるのか覗いちゃおうかな。でもそんなことされたら読みにくい、よね)
うさにとって誰かと一緒にいるということは、できるだけ近くにいることだった。同じ場所にいるなら、同じ時間を共有したい。できるなら話したい。話せないなら、せめて相手が何をしているのかを知っていたい。
だからこそ、机を境に世界が分かれているようにすら思えていた。
(言いすぎちゃったかな……)
一方季鞠もページを進める手が止まっていた。目は文字を追っているが、読み取れてはいなかった。
(謝りたい……。でも謝っても申し訳なく感じさせてしまいそう)
教師として生徒と接するなら、必要なことを尋ねられる。注意することもできる。相談に乗ることもできる。だが友達との会話となると話は別だった。どう話したらいいか、まるで知らなかった。
だからこそ、一緒に本を読むという特に何も起こらない時間の過ごし方が分からなかった。
(私は大好きな季鞠先生と二十四時間ずっと一緒に同じことをしていたい。だけど——)
(私は会話がなくても一緒に本を読んでいる時間が落ち着く。けれど——)
二人は顔を上げると、同時にウインクをしていた。友達であることを秘密裏に伝える用途で編み出した合図だったが、それはいつの間にか次なる距離感を模索するための道標になっていた。
(——季鞠先生はもう少し離れていたいはず)
(——うさちゃんさんはもっと近づいていたいわよね)
季鞠が手招きして隣の椅子を軽く叩くと、うさは花が開いたような笑みを見せて移動した。しかし覗き込むような真似はせず、代わりに机の下でそっと手を添えた。季鞠は一瞬ドキッとしてから、恐る恐る握り返した。
(季鞠先生すごくドキドキしてる……)
(うさちゃんさんの手、温かい……)
ページをめくる音が重なった。少しして、また重なった。それはまるで二人だけの世界で
(同じ本を読んでいなくても、一緒にはなれるんだね……)
(友達がいなくて本を読んでいたのに。こんな日が来るなんて……)
相変わらず静かな図書館に紙の擦れる音だけが響く。しかしその静けさを二人ともさみしいとは思わなかった。
「あ……。もうこんな時間」
「いつの間に……」
茜色に染まった夕日が差し込み、二人は顔を上げる。そうして帰り支度を進めていると、うさが小声で話しかけた。
「……ね。季鞠先生。私実は本を読むのってあまり好きじゃなかったんです」
「えっ? そうだったんですか……」
「一人にならなきゃいけないのが耐えられなくて……。でもね。今日好きになったんだ〜。季鞠先生のおかげだね♡」
「……えへ」
同じものを好きになってくれたことに、季鞠からあどけない笑みがこぼれていた。
「あ、うさちゃんさん。戻すのはこちらですよ」
「えっ? 場所覚えてますけど……」
「図書館の方がどんな本がよく読まれているか統計を取るんです」
「そうなんだ〜! もっと知らないこと、知りたいな」
「ふふっ。私ももっと知って欲しいです」
好きな人が好きなことを知れて、うさからは屈託のない笑みがこぼれていた。すると二人は自然と顔を見合わせて笑い合っていた。
「残りの本どうしよう〜! あれもいいし、これもいいし……あーん。選べないよ〜!」
「……なんとか二人で分担すれば持ち帰れそうですね」
「えっ! 全部読めるかな……」
「今度ファミリーの皆で一緒に読みましょう」
「……! うん! 絶対絶対絶対やろ〜!」
沢山の友達が待つ梳杉町へと戻るべく、二人は再び電車に乗った。行きは迷惑にならないように話をする程度だった。だが帰りは共に本を読み進めながら、手を重ねていたのだった。
〜慣れない一歩〜
「……だから! あていは屋台を継ぐって決めてんでい!」
ある日の放課後。祭李はスマホ越しに両親に向かって怒鳴りつけていた。
「ワタシタチモ、ハジメカラデザイナート、キメテイタワケデハアリマセーン」
「じゃああていにもやれってのかい?」
「そうじゃないんだ。祭李。今何か一つに決める必要はないってことだよ」
「あていに……あていに焼きそば以外の何があるってんでい!!」
「マツリ!」
耐えきれずに通信が切られると、ポケットにしまわれたスマホがすぐに振動を始める。しかし祭李は苛立ちを隠そうともせず電源をオフにした。
「あ……」
だが電話を取ったのは中学生組との下校途中だった。心配そうに駆け寄ってくるファミリーに祭李はバツが悪そうに頬をかいた。
「……というわけでい」
彼女が事情を話し終えると、少しだけ沈黙がこの場を包んだ。だがそんな空気を意に介さないように詩人が口を開いた。
「お互いに譲れないものはあるものさ。例えばボクが吟遊詩人じゃなくなったら、どうなってしまうと思う?」
「学生ではないのですか?」
「今も学生ではあるでしょう!」
「そうとも言えるし、そうでないとも言えるね」
「それくらい未来は分からないということですわね」
「でもあていがデザイナーなんてできるわけないだろぃ?」
「まあ確かにアンタはズボラだけど……」
「うーん。どうでしょう。焼きそばにおいては丁寧に作られていますし……」
「それはあていにとって何よりも譲れないからでい!」
焼きそばへの思いが迸って熱くなってしまう祭李。すると彼女の言葉を聞いた寧夢が話しかけた。
「分かります……その気持ち……」
「何が分かるってんでい!」
「お、落ち着いてください」
食ってかかる祭李に寧夢は少し怯えたが、凛が宥めている間に意を決して目を力強く見開いた。
「おじいちゃん達の靴屋が小さい頃から好きで……昔から手伝ってきたので……」
「あ……! そう……だったねぃ。……わりぃ」
「いえ……。ただ私も二人に言われたことがあるんです。同じようなことを……」
「そうだったのかぃ!?」
「私の場合は二人があまり靴を作れなくなって……わがままでお店を閉じないでもらっているのもありますが……」
寧夢の言葉とは裏腹に、祭李は心臓をちくりと刺されたような感覚を覚えていた。
(確かに……屋台で生計立てるってのは楽じゃねぃ。特にあてい達は地元密着型でい。全国周るのと比べたら左右されるとこはあんでい)
「靴屋を継ぐって……今から決める必要はないんだって……」
「……寧夢はそれでいいのかぃ?」
「やっぱり寂しいです……。大好きな場所がなくなってしまうのは……」
「だろい!?」
「だから継ぐにしろ……そうでないにしろ……色んなことを知っておいたほうがいいのかなって……」
「え……」
「まあ眠いので……夢の中でしかできてないんですが……」
それは祭李にとって青天の霹靂だった。屋台を継ぐために焼きそば以外のことを知る必要性など考えもしていなかった。
(だから一つに決めるなって言ったんでい? いや、まだよく分からねぃ。分からねぃなら……)
「……今日、工房にお邪魔してもいいかぃ?」
「……! もちろんです……」
こうしてファミリーに見送られ、二人は靴工房『ねむい』へとやってきた。
「ここを……こうやって合わせます……」
「器用だねぃ」
「やってみると……楽しいですよ……」
祭李は寧夢の手元を覗き込むと、型紙に合わせて革を切り出していった。
「これを縫い合わせていくのかぃ?」
「その前に……端を少し削ります……重なる部分が厚くなってしまうので……」
「なるほどねぃ」
「……! ぐっ……?」
「寧夢? ……そうか。おめぃさん普通に作っていても眠くなるって……!」
既にサイズの採寸に、足形に合った木型の調整、そして木型へのデザイン作成までも教えながら済ませており、寧夢の睡魔は限界まで押し寄せていた。
(使わせてください……夢留さん!)
「スッキリ……ッ!」
「モンエナでい!?」
「全ての創作の源らしいです……」
「どうしてそこまでして……?」
「祭李さんが……楽しそうに作ってくれているので……」
「……あていが?」
祭李は意外そうにポカンとしていた。自分にこういった細かい作業が合うとは思っておらず、あまつさえ楽しんでいるとは想像の外だった。事実、ミシンを使った縫い合わせには何回かやり直す羽目になり苦労してしまう。
「おめぃさんどうしてここまで靴作りに熱心になれるんでい?」
「それは……」
すると一足先に完成した寧夢に促され、祭李は彼女が作った靴に足を通した。
「履いてくれる人に喜んで欲しいから……ですね……」
「……やっぱりねぃ」
焼きそばとは使う道具も、材料も、完成するものも違う。それでも手を動かしていると妙な感覚があった。知らないものを作っているはずなのに、どこか焼きそばを作っている時と似ていた。
「……できた」
「おめでとうございます……!」
(寧夢のものと比べたら、歪でい。でも……なんだろうねぃこの感じ)
祭李は靴を掲げると、やがて大事そうに抱いていた。
「……その。あんがとねぃ」
「お役に……立ちましたか……?」
「あたぼうでい! ……あていさ。あていには焼きそば以外にねぃって思ってたんでい」
「……今は……違いますか……?」
「もちろん焼きそばは大事にしてぃ。けど……」
祭李は自分が身に付けているものに視線を落とした。そこには靴ともう一つ。両親から送られたお気に入りの
「焼きそばも服も、両方頑張るってぇのを目指してみてぃな」
「素敵な目標ですね……!」
「ま、どうなるか分かんねぃけどな。だからまずは……」
包み隠さず浮かべられた満面の笑みに寧夢が安心して寝落ちすると、祭李はポケットからスマホを取り出しながら、慣れない一歩を踏み出したのだった。