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「つまり記憶っていうのは曖昧なものなんだよ。君も今パッと思い出せる記憶なんて精々数個でしょ? その間の膨大な時間の流れは人間には溜めておくことはできない」
「……」
「だからそこに都合のいい概念を混ぜ込まれると、脳は勝手にその通りだと認識しちゃうの。私が卒業したっていう噂とかね。まああの時はまだ神秘の研究が中途半端で試作段階だったけど、ちゃんと機能したのはカヨコちゃんが上手く働いてくれたおかげかな」
「……その口でカヨコさんの名前を喋るな」
「でも一つ問題があってね。学園全体に記憶操作をし続けるとなるとコストが青天井になっちゃうんだ。しかも所詮は催眠。何かの拍子に気付かれる可能性もあった。実際君たちを含めた何人かは薄っすら催眠が解けかけていたからね。だから――」
目の前の少女は一つ間を置き、こちらを見て言った。
「一番欲しいものを優先することにした。それが君だよ。高円寺ナツヒちゃん。角、羽、尻尾。悪魔として全ての要素を持つなんて実に興味深いよ。それも羽と尻尾に関しては突然生えたときた。こんなの研究者としては垂涎物だよ」
そう告げられたナツヒは、不倶戴天の敵を前にしたかの如く怒りを込めて睨み返す。
あの後――カヨコに嵌められてから気を失って、目覚めてみれば四方は金属壁に囲まれた部屋の中にいた。両の手首と足首には冷たい枷が、首には悪趣味な首輪が取り付けられ、ガラガラと鎖が擦れる音が喧しい。力任せに引きちぎろうとしたが、気絶している間に何らかの薬物でも投与されたのか体に力が入らない。完全に自由を奪われてしまっていた。
「こんなことをして……ただで済むと思っているんですか。あなたがヘイロー破壊爆弾を製造して売り捌いていたことは既に掴んでいます。連邦生徒会が黙っているはずが――」
「知ってるよ。カヨコちゃんが全部教えてくれていたからね。アレはもう先のない研究だし、興味もない。工場も売却して今は私の手を離れてるから安心していいよ」
「じ、じゃあ私達が追っていたのは……」
「さぁ。たかが一企業のことなんて覚えてないや。でも、本当にヘイローが破壊できるような代物ではないことは保証してあげる」
両手を広げて肩をすくめる少女にナツヒは一層視線を鋭いものにする。
「…………最初から私達を泳がせていたんですか?」
「こっちも準備がまだできてなかったからね。けど、もう催眠も必要ない。
「……羽沼先輩達がこのまま黙って――」
「アハハ。楽しみだよ、またあの子と遊べるなんて。あの時は本当に驚いたなぁ。まさか私があそこまで追い詰められるなんて。優秀な後輩を持てて鼻が高いね」
どこか楽しそうに自身の過去に思いを馳せる少女に、ナツヒは苦虫を噛み潰したように喉を詰まらせる。準備というのはつまり学園を制圧する戦力のことだろう。だとすれば、ここへマコト達が助けに来てくれるというのはあまりにもお花畑だ。おそらくカヨコが裏切りを断行した時点で先手を打たれている。むしろ、今無事なのは自分だけなのかもしれないのだ。
今頃アル達がどうなっているか分からないことが何より怖い。せめてそれだけでも知りたいとナツヒは思った。
「カヨコさんと会わせて」
「ふふっ……君はまだ自分の立場がちゃんと理解できてないんだね」
「何を……」
パチン!
指を鳴らした音がナツヒの耳に届く。その瞬間、ピッという音が首輪から発せられ、次いで全身を焼くような激痛がナツヒを襲った。
部屋中に凄惨な悲鳴が木霊する。それが自分の喉から出ているものだとは最初は気付かなかった。それほどに痛みと苦しみに溢れた、獣のような悲鳴だったのだ。
「痛いっ……! い゛たいイ゛たい゛イ゛ダい゛っ!!!」
上手く呼吸ができない。脳が指先まで突き刺すような痛覚を処理することに精一杯で、他のことに頭が回らない。
一秒が一時間にも二時間にも引き伸ばされたように感じられる。以前滝壺へ身を投げた時は一瞬の苦しみを超えればよかった。だがこれは違う。ずっと痛いのが続く。今まで経験したことのない苦しみだった。
「ヘイローを媒介に擬似的な痛覚刺激を流し込む……上手く機能してるね。少し強度が高かったかな?」
のたうち回っているナツヒを見下ろしながら少女はもう一度指を鳴らした。それと同時にナツヒの全身を襲う痛みが嘘のように引き、後には自分の情けないうめき声だけが残される。
「がっ……はっ……あ゛っ……」
「実は今、生体クローンの研究がいいところまでいっててね。上手くいけば死なない兵隊が作れそうなんだ。だから君には壊れるまで私に付き合ってもらう。お返事は?」
「…………そんなもの……聞く必要が……ありますか」
涙と鼻水でグチャグチャの顔でナツヒは精一杯凄んでみせる。壊れるなどという物騒な単語が聞こえてきたが、そんなことはこの悪魔に恭順する理由にならない。
「お断りです……死んでもね!」
「……ふふっ」
パチン!
「あ゛っい゛っ……! あ゛あ゛あ゛っっ!!!」
再び絶叫が部屋中に反射する。少女は哀れにもがくナツヒを見ながら、恍惚とした表情を浮かべて頬に手を添えて言った。
「カヨコちゃんに会えるかどうかは……君の態度次第かな?」
――――
救いようのない悪がいる。それはもう矯正されてどうにかなるものではなくて、根源的に悪としてしか生きられない者がいるのだ。
大抵の場合、それらは社会の中で異常性を理由に淘汰される。人間が社会性の高い生物である利点と言えよう。だがもし、救いようのない悪であると同時に、輝かしい天禀を持つ者がいたとすればどうだろうか。淘汰されるのではなく、逆に周りを喰らい、自身に従える手腕があればどうだろうか。
「今日から君は私の部下になってもらいます。よろしくね? 鬼方カヨコちゃん」
「……は、はい!」
鬼方カヨコと雷帝の出会いはこの程度のものだった。自分より一年だけ先輩の彼女があっという間に学園全体を支配した。当時の自分はすごい人がいるな、という漠然とした感情しかなかったのをまだ覚えている。
だから、この時引き返せばよかったのだ。まだ自分が戻れなくなる前に。
「あのっ……これは……! いくらなんでも……!」
「早くやって。君は私の言うことを聞いてくれるよね?」
目の前には恐怖で泣き叫んでいる生徒が一人。体を台座に縛り付けられて逃げられない状態にされていた。
「お願いします! お願い! 助けて! 嫌だ! ごめんなさいごめんなさい!」
「……っ」
「どうしたの? 早く
「ひっ!」
今思えばそれは彼女の策だったのだろう。カヨコを共犯者にすることで罪悪感を植え付ける。しかも自分の保身のために助けを乞う者を見捨てるどころか、自ら痛めつけさせたのだ。
恐怖による人心掌握は、支配される側に一定の特権を与えることで更に強力になる。自分は雷帝の部下だからこうなることはない。その猛毒がより一層雷帝への従属を加速させる。
カヨコはそれに気付いてからもどうにもできなかった。雷帝のやり方は狡猾だ。自分のように恐怖を利用して支配する時もあれば、時には弁舌で。金で。物で。
心の隙間に入り込むように他人を屈服させる。中には雷帝へ狂気的な信仰を寄せる者もいた。どんな洗脳をされたのか知らないが、彼女らの濁った目は見ていて気持ちの良いものではなかった。
「風紀委員会に行ってもらう」
「風紀委員会へ……?」
そう告げられたのは彼女の部下になってしばらくした頃だ。
「うん。現状万魔殿は完璧に抑え込んでるけど、風紀委員は治安維持組織としてある程度の特権があるからね。まあそれ自体を潰してもいいけど、羽虫が煩いでしょ?」
――だから君が潜入して、何かあった時は内部破壊できるように工作しておいてね。
――――
「じゃあ私達は今日から同期だね! よろしくカヨコちゃん」
「……よろしく」
風紀委員会は思いのほか風通しの良い職場で、皆自分の行動に誇りを持っていた。ゲヘナ学園にいながら風紀を守ろうとする変わり者の集まりなのだから、誇りの一つでも無ければ逆におかしいか。
ただ、彼女達の目を見て話すことがカヨコは怖かった。彼女達の純粋な正義を聞くのがカヨコは嫌だった。それが自分を非難しているように感じたから。「お前はクズだ。最低の裏切り者だ」と。だからいつもイヤホンをして、誰とも目を合わせないようにしていたのに。
「カヨコちゃん。何聞いてるの?」
「……アンタは……あの時の」
「どれどれ……って、ナニコレ? 交差点の交通音? 環境音の中でもこりゃまたヘンテコな……」
「……別に……何だっていいでしょ。返してよ」
どこにでもお節介を焼きたがる者はいるものだ。カヨコは目を伏せるようにそっぽを向いて、イヤホンを取り返す。隣には風紀委員会に所属した初日に声をかけてきた少女がいた。よくドジをしている姿を書類越しに見たことがある。彼女はイヤホンを取り返された手でポケットに手を入れたかと思うと、スマホを取り出してこちらに差し出してきた。
「じゃあさ。これ、聴いてみてよ! 今一番アツいメタルバンド!」
「別にいいって……」
「いいから!」
半ば押し切られる形でイヤホンジャックを差し出されたスマホに挿す。途端、耳内に爆音で流れ出すジャキジャキとした音色にカヨコは思わず跳びはねた。
「ぎゃっ! ごめん! 驚かせちゃった!?」
「……大丈夫。もういい?」
「えぇっと……あ、あの……今日はいい天気だよね! 昨日はあんなに曇ってたのに」
「……」
何が目的なんだこの女は。カヨコは内心でそう思った。突然話しかけてきたと思えばなぜ天気について喋り始めるのだ。別にお互いに親しいわけじゃないだろう。もしかして気でも触れているのか。
「あっ……えっと……その、カヨコちゃんいつも一人だからさ。皆と馴染めてないのかなって。実は私もまだ友達とかできてなくて……だから何か話せたらなって思ったんだけど……たはは……流石に天気なんてどうでもいいよね」
「……いいよ別に。気にしないで。私がその方が気楽だからそうしてるだけ」
「で、でも! やっぱり友達といた方が絶対楽しいよ!」
「そうかもね」
そうだとしても、自分には不要なものだ。スパイ行為なんてやっておきながら楽しさを感じていたら、とうとう気が狂ってしまう。
「じゃあ私は見回り行くから」
「あ! ちょっと待ってよ~!」
これ以上会話していると吐き気がこみ上げてきそうだったので、カヨコは強引に話を切って席を立つ。しかし、少女は小走りで追いかけてきて頼んでもいないのに身の上話を語り始めた。
「何か話そうよ。まず私からね! この前ストバ行ったときにさ――」
「……はぁ」
「――それでね、私お腹空いてたから多い方がいいと思って『Lでお願いします』って言ったの。でも店員さん全然反応しなくてさ――」
「……」
「――もうどうしたらいいか分からなくて困ってたら、店員さんがサイズの種類教えてくれてね。SはShortのSなのにその後はMとかLじゃなくてTall、Grandeなんだって。おかしいよねぇ!? もう恥ずかしくてお金払ったのに商品受け取らずに飛び出ちゃったよ!」
「……っ」
「あ。そういえば今日の分のガチャ引いてないや。折角だからカヨコちゃん引いてみてよ」
「…………あのさぁ」
廊下を歩く最中、カヨコは足を止めて口を開く。
「何でそんなに私に構うの。こんな嫌な奴、放っておけばいいでしょ。いい加減迷惑なんだけど」
「…………そ、っか」
精一杯平常心を装ってカヨコは言った。本心を言えば嬉しかった。自分は顔が怖いとよく言われる。実際それが原因でクラスに友達もいないし、話しかければ身構えられる。そんな自分にも根気よく話しかけてきてくれることが嬉しかったのだ。
だが、だからこそ突き放さなければならない。自分は明確にあなたとは違う。もっと醜い存在なのだから、こっちの世界に引き込んではいけない。自分と近しくなればなるほどきっとあなたを不幸にしてしまう。
「そう。分かったなら早くどっかいっ――」
「わーーーー!」
「うわ!」
突然叫び声を上げた少女にカヨコは尻もちをつきそうになる。本当に気でも狂ったのかと思って顔を見れば、ひどく怒ったような、悲しんでいるような顔をした少女が目に入った。
「私さ、バカだから難しいことは分かんない。でも人が苦しんでたらなんとなく分かるよ。カヨコちゃんはずっと自分を責めてる顔をしてる。苦しいって顔してるよ」
「……何を……知ったようなことを……」
「ううん。知らない。知らないから分かるんだよ。だって今も顔に書いてあるもん。『助けて』って」
「……っ!」
「話せなくてもいいよ。でもせっかく可愛い顔してるのにそんな悲しそうな表情をしてるなんて、もったいないよ。自分のことは自分が一番好きになってあげなくちゃいけないんだよ?」
その言葉はカヨコの心にじんと染み渡っていくようだった。自分を好きになるなど、考えたこともなかった。まるで地獄の底に垂らされた一筋の蜘蛛の糸を掴むかのように、自分という存在を肯定された気がしたのだ。
「でも安心して! カヨコちゃんがカヨコちゃんのことを好きじゃなくても、私はカヨコちゃんのことが大好きです! ここに一人カヨコちゃんを好きな人がいるんだから、カヨコちゃんだって絶対自分を好きになれるよ!」
「……何それ。新手の告白?」
「うぇえ!? いや、これはそういう意味じゃないっていうか……推し活的側面が強いというか……と、とにかく! もう私達は友達なんだから、遠慮しなくていいんだよ」
顔を真っ赤にして早口でまくし立てる少女に、カヨコは深いため息をついた。完全に調子が狂う。この少女と話していると、自分が抱えている罪悪感や重荷が馬鹿らしく思えてくるのが不思議だった。
「……はぁ。分かったよ。友達でいいから」
「ほんと!? やったぁ!」
「その代わり静かにしてて。頭に響く」
カヨコが歩き出すと、少女は嬉しそうに小走りで隣に並んだ。
「じゃあさじゃあさ! 友達になった記念に、カヨコちゃんのこと教えてよ! 好きな食べ物とか、趣味とか!」
「……そういうのはまた今度」
「えー、ケチー。じゃあ、勉強教えて!」
「は?」
あまりの脈絡のなさにカヨコは立ち止まって少女を見た。少女はカバンからしわくちゃになったテスト用紙を取り出し、バツの悪そうな顔で広げて見せる。
「実はね……私、勉強がからきしダメで……来週の補習パスしないと、見回りの当番増やされちゃうんだよぅ」
見せられた答案用紙には、目も当てられない点数が赤ペンで大きく書かれていた。特に数学は壊滅的だ。
「……これ、授業聞いてた?」
「聞いてたよ! 子守唄みたいに心地よかった!」
「……聞いてないってことね」
カヨコは呆れながらも、テスト用紙を受け取る。自分の罪悪感を誤魔化すためか、それともこの少女の純粋さに絆されたのか。カヨコは自分でも意外なほど素直に提案していた。
「……放課後、図書室でなら見てあげる」
「えっ! 神様! カヨコちゃん様!」
「様はやめて……その代わり、条件がある」
「条件? ジュース? それとも肩たたき?」
「違う」
カヨコは少しだけ躊躇った後、先ほど少女が無理やり聴かせてきたスマホを指差した。
「……さっきの曲。バンド名、教えて」
少女は一瞬きょとんとした後、パァっと顔を輝かせた。
「えっ、もしかして気に入ってくれた!? これね、『ブラック・デス・ポイズン』っていうんだよ! 超カッコいいでしょ!?」
「……うん。悪くなかった」
カヨコがボソリと答えると、少女は飛び上がらんばかりに喜んだ。
「やったー! じゃあねじゃあね、勉強教えてもらうお礼に、私が持ってるCD全部貸してあげる! 布教用のがいっぱいあるから!」
「全部って……そんなに聴けない」
「大丈夫大丈夫! 一回ハマったら抜け出せない沼だから! カヨコちゃんも今日からファンの仲間入りだね!」
少女はカヨコの腕を強引に取ると、ブンブンと振り回す。
カヨコは、振り回される自分の腕を見ながら、胸の奥にあった冷たい塊が、少しだけ溶けていくのを感じていた。
(……こんな私でも、誰かと『好き』を共有してもいいのかな)
雷帝の命令で動くスパイ。裏切り者。汚れた自分。けれどこの少女の前でだけは、ただの女子高生でいられるような気がした。
「……名前」
「え?」
「名前、聞いてなかった……教えて」
カヨコが小さな声で尋ねると、少女は満面の笑みで答えた。
「私はね――」
どうもOluyetです。
今回は短め。次回はさらに短めになります。長いのを期待してる人がいたら申し訳ないです。
最近はブルアカのストーリーも更新されて活気づいたのか色んな二次創作をよく目にします。その中で自分の文章を晒すのはやはり怖いものがありますね。
期待に応えられるようにこれからも日々精進してまいります。
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