ハーメルンではあまり見ないパニグレ二次を書いてみました。特に指揮官周りがオリジナル設定満載ですが、それでも良いという方はどうぞ。
深夜十一時、幽霊のように浮かぶ街灯から身を隠すように通りを抜け、酒場のドアをくぐった。店内を
「やァ、セレーナ」
コンダクター、イエスタが嬉しそうに言った。
手を掲げて返事をし、私はイエスタの隣に座った。何も
「何をしていたんですか?」
私は訊ねた。
「思考だよ。哲学的にして、形而上の思考さ」
「それは何でしょう?」
イエスタは少し考えてから答えた。
「人に感動を与える事は難しい。そうだろう?」
「そうですね」
おや、予想が外れた。この人が考える事と言えば、九割くらいは自殺かその方法、残り一割は爆弾や爆発物に関する事だ。でも、今回は少し趣向が違うらしい。ただ、この人にとっては考えざるを得ない事でもあると思う。イエスタの肩書の一つは、『売れない小説家』なのだから。
「ならば僕は感動ではなく、絶望を志すべきなのだ! かのキルケゴール大先生も、存在の始まりは苦悩であり絶望であると云っている! 感動させるのは難しくとも、絶望させるのは幾分か容易いはずだ! そうだろう?」
私は反論しようとして、諦める。そして、予想が外れたと期待した事に対して後悔し始めていた。
「不健全極まりないですが、そうかもしれませんね。地獄の試練を経験してこそ、天国を創造する力が得られる。血を流した指のみが、傑作を演奏できるのですから」
「やはりそうだね! そうとなれば早速試そう! マスター、メニューにニトログリセリンはある?」
「ありません」
「洗剤のカクテルは?」
「ありません」
「ないのかあ。仕方が無いな」
「気は済みましたか?」
私は少し怒ったような口調でイエスタを嗜める。結局爆薬か自殺の話であった。この人は、どれほどの人に必要とされ、構造体に愛されているのか自覚が無いのだろうか。斯く言う私もその一人で、例の『時の牢獄』事件ではこの人を護るために壮大な賭けをした。それなのにこの人は自殺がどうのこうのと言った、そんな事ばかり考えている。
少しくらい怒ったって、罰は当たらないだろう。
勿論、イエスタのこの言動がある種のルーティーンのようなものであり、この人の死生観が故に
その感情を誤魔化すように、私はカクテルを一口飲み、訊ねる。
「それにしても」
「なんだい?」
「
「哲学的、の部分の声色に悪意を感じるのだけど」
「お仕事で失敗でもなさったのですか?」
私はイエスタの抗議を軽く無視して質問を決行した。
「神に見放されたという意味では、失敗だね」
イエスタは唇を尖らせた。
「事の発端は、僕達グレイレイヴン隊を愉快な連中が襲撃しようとしている、なんて情報を掴んだ事さ。直々に僕を暗殺しようだなんて、嬉しくさせてくれる連中だよ。これはさぞや優秀な暗殺者が窓枠を乗り越えてくるのだろうと思って、わくわくしながら待ち伏せていたのさ。上手くいけば、華麗なる殺人死体の出来上がりだ」
「こほん」
私は咳払いで抗議の意を伝えた。本当は足でも踏むべきなのかもしれないが、構造体の力で人間の足を踏んだら骨が砕けてしまう。
「ところが、現れたのは一世代前の旧式拳銃のようにパッとしない連中さ。脅威と云えるのは、どうやって持ち込んだのか、メルトビートルの大群程度のものだったね。がっかりして罠を張って軽く小突いたら、あっさりと戦闘不能になって捕まっていたよ。おかげでまた死に損なった」
「それは良うございました」
私は、ここにいないレイヴン隊の面々に心の中で拍手を送った。おそらく、『軽く小突いた』レベルではない苛烈な反撃にあったのであろう襲撃者には、欠片も情は湧かなかったが。きっと、私がレイヴン隊であれば、そうするだろうから。
空中庭園所属―グレイレイヴン隊指揮官——イエスタ=フェアリーレン
ファウンス士官学校の首席。空中庭園の英雄。イエスタがそうしたいと願えば、戦争の銃撃戦の真ん中でランチピクニックをする事だってできる、戦場に出るために生まれてきたような人間。目の前の、アルビノと見紛う白髪と透明な瞳、そしてどこか女性的な身体のラインを見たら、事情を知らない人にとっては笑い話としか思えない経歴。
だが、イエスタの偉業のリストを――或いは闇と血のリストを見れば、笑ってもいられなくなる。特に、イエスタが死にたがっている理由を、イエスタの指揮棒に纏わりつく血と過去を知っている一部の人間や構造体にとっては、尚更笑えない。
代償の無い栄光など、存在しないのだから。
見れば、二人のグラスが空になっていた。私達は、バーテンダーに礼を言って、外に出る。外は心地よい夜風が吹いていて、優しい風音のシンフォニーを奏でていた。
「なるほど、今日の気候設定はこんな感じか。個人的にはもう少し強い方が好みだが、これも悪くはない」
「強い風、ですか?」
まるで、プロスペローが引き起こす嵐のようなものだろうか。かつて、春以外の天気は悪天候が好きだとイエスタが言っていた事を思い出す。嵐も好きだと言っていた。そんなイエスタにとっては、この風は物足りないのかもしれない。
「流石に、嵐ほどではないかな。そんな天気では、気軽に出歩けないからね」
「あ……口に出ていましたか?」
「いいや。でも、君の考えている事は分かる」
思考を読まれていた。
でも、それに何とも言えない心地よさを感じてしまう自分もいる。私の内心がイエスタに伝わっているということが、この上なく嬉しかった。
「僕が言っているのはね、雨や雷鳴の無い、ただ風が吹いている天気を云うのさ。ちょうど黄金時代の、極東の文豪の書いた無邪気な風だ。青い胡桃も、酸っぱいかりんも吹き飛ばすような、ね。どっどど どどうど どどうど どどう。物語の中の子供たちは風と遊べなくなってしまうけれど、僕はまだ、風と戯れる事ができるのさ。だから、嵐は嵐でも、青嵐が好きだね」
それは初めて聞く見解だった。
私は、風と言えば、シェイクスピアの『テンペスト』を思い出す。船を転覆させるほどの、エーリエルの引き起こす嵐。それは魔法の書を手に入れたプロスペローの復讐故の行動なのだけれど、最後には復讐心と魔法を捨て、ハッピーエンドを迎える。
私はこの戯曲が好きだった。シェイクスピアの事実上の絶筆宣言とも言われているけれど、プロスペローは確かに呪縛から解放されたのだと思うから。
しかし、イエスタの言う物語はもっと無邪気で、とてもロマンチックに聞こえた。物語の中では少年たちが野良遊びを楽しみながら墜落死や溺死を危うく回避する経験を通して、「魔」の本質を見抜き、本能的に団結して仲間から魔を追い出してしまうことで幼さを卒業する。しかしその代償として二度と風の精とは遊べなくなってしまうと言う。
だが、イエスタは或る意味では未だに、「魔」に取り憑かれているのかもしれない。それはイエスタの無邪気で想像力豊かな一面であると同時に、解放されない呪縛のようにも感じた。
「…………」
私はイエスタの手を握る。悪霊を、又三郎に取り憑かれたこの人の負担が少しでも軽くなるように。無言でありながらも、優しいメロディーを届けようとイエスタの手を包み込む。たとえ血と爆薬に塗れていても、愛しい人の手だ。
イエスタは少し困ったように笑った。
「それほど心配しなくても大丈夫だよ。私はそう簡単には死なないさ。いや、そう簡単に死ねないと云うべきかもしれないね。なにせ僕は、人間でも構造体でもない、半端物だ」
死は、そんな「魔」からの解放なのかもしれない。生きていて欲しいと願うのは、私達のエゴなのかもしれない。でも、そう簡単に死なせるわけにはいかない。イエスタは美しい想像に形を与えて、私の全てを攫い、虜にして、溺れさせたのに……
「違います」
もう、文通をしていた頃とは違う。あの頃は、気持ちを隠し、抑え……紙が隔てた向こう側にいるイエスタに、軽率に気持ちを表す事など出来なかった。でも、今はもう、自分を抑えられない。
もう、言葉は不要。
私はイエスタの首に手を回す。拒絶されないことを確かめて、ゆっくりと唇を近づけていく。
繋がる唇。永遠より長い、一瞬の口づけ。たとえ目の前の人が、魔であろうと鬼であろうと、私には関係が無かった。
この人は、たった一人の、私の
絶対一話に収まらないと思ったら、案の定だよ……次回以降は、コンダクターことイエスタの設定を明かしていきます。事前に言っておきます。パニグレの原作指揮官とは全く違う設定であり、多分に私の趣味が入り込んだ設定です。それに伴って、原作とは少し話の展開も異なる予定です(原作より状況が好転したわけでもないですけど。というか、場合によっては悪化してますけど)。