人里の一角にある道具屋にて、私は一人唸っていた。
店番ではあるのだが、客は一人も入っていない。別にそのことで悩み、唸ってしまっているわけでは断じてない。そもそもこの店は私の店ではなく、私の父の知り合いの店であり、私にとっては赤の他人のものである。どれだけ閑古鳥が鳴いていようと私には全く関係がないのだ。
ではなぜ唸っているのか。
それは単純明快である。
客が来ないのをいいことに、店のテーブルを使って広げている『博麗霊夢観察記録』を眺めているからであった。
『博麗霊夢観察記録』とは、私が用紙約二十枚分に書き綴った彼女についての記録である。彼女は週に数度、博麗神社から人里に下りて来る。その度尾行し観察記録をこうして書き溜めていた。そのため、今ではもうある程度の行動は予測できる。
今の時間ならば人里に下りてきて、中央通りを適当にぶらぶらと歩いているに違いない。そしておそらく、お気に入りであろう和菓子屋に入っている可能性が高かった。
普段であればその予測に基づき行動を開始している頃なのだが、今は父からの命により拘束されてしまっている。ああ、父め。今ほどあなたを煩わしく思ったことはない。
正直言って誰も来ないので暇ではあるのだが、とは言っても店番を放り出してしまってもいいかと言うとそうではない。後で大目玉を食らう自分が容易に想像できてしまうから嫌だ。そんな時に頼れるのが母なのだが、今は父と喧嘩して別居中である。もしや父は私に八つ当たりでここの店番を頼んだのではないか? そんな荒唐無稽な妄想までしてしまう始末であった。
私は一つ大きなため息を吐き、広げていた『博麗霊夢観察記録』を小さくまとめ、私がいつも持ち歩いている鞄に詰めた。
そうして私はやることがなくなった。
あの記録を出してから数十分、いや一時間近くたっているだろうに、客が入ってくる気配は全くと言っていいほどない。もっと言えば、開店してから既に二時間は過ぎている。十時開店であり、先ほど十二時を知らせる声が聞こえてきた。
私はこの誰とも知らぬ声が好きではなかった。
なぜ強制的に時間を知らされねばならぬのか。人はもっと自由に生きていいのではないか。時間に縛られ過ぎているのではないか。理由はいくつでもある。その中でも一番の理由は、己の消費した時間の無為さに気づかされてしまうからである。
私がこの世に生を受けて二十余年。生まれた時はそれはそれは可愛かったらしく、両親はご近所を回って自慢していたらしい。とんだ親ばかであった。私にはその時の記憶は当然ありはしなかったが、少し見てみたい気もした。今では冷え切ってしまった二人である。少しぐらい、愛し合っていた時の二人も記憶に収めておきたいのだ。当然無理なことなのだが。
話が大幅に逸れてしまったが、つまり私は親の愛と言うものを十分に感じて育つことが出来なかったために、このような毎日鏡を見ると激情に駆られるような男に育ってしまったということである。
私が今まで築き上げてきたはずの二十余年は、一体どこに行ってしまったのか。影も形もなかった。
愛らしかった顔は、今では人生に疲れ切ってしまったかのように、うだつの上がらない顔をしていた。
趣味と言えば妄想くらいである。
前述した『博麗霊夢観察記録』も、その延長線上にある。普段から部屋に引きこもりなんの生産性もない日々を送る私は、度々外に出て人々の様子を観察し、それをもとに余りある想像力でもって妄想をしていた。
あの蕎麦屋の娘さんは実は重い病気で、あの笑顔の下には辛い思いがあるのだとか、あの菓子屋のばあさんは夫の暴力に耐えながら、健気に商売をやっているとか、そんなくだらない妄想である。
さて、そんな中彼女の記録を書くに至った経緯はと言うと、彼女の服装があまりにも目立っていたからである。あの改悪なのではと言いそうになるほどの、脇の出た巫女服を着ている少女。目立つなと言う方が馬鹿であろう。しかし他の人たちにはすでに見慣れてしまっているのか、反応はなく普通に挨拶を交わしていた。
その奇妙さに心打たれた私は、その日からレポートを書き始めたというわけである。
そして書き進めていくうちに外に出る回数が多くなった私は、母に(その頃はまだ別居中ではなかった)なぜか驚かれ、父にはやたらと嬉しがられた。笑いながら背中をばんばん叩いてきたのを今でも覚えている。
今にして思えば、年がら年中引きこもっていた息子が気持ちを入れ替えて外に出始めた、と思っていたのかもしれない。無論、私は私のままであった。
私は肩が凝り、椅子から立ち上がった。それもそうであろう、既に三時間に至るほどに座り続けているのである。何もやらずとも疲れると言うものだ。
と、そんな時に店の扉が開かれた。立てつけが悪いのかギイと重々しい音を立てて開かれた扉の先には、私が一方的によく知る彼女がいた。
「ここって、何の店なの?」
彼女、博麗嬢は扉を閉めるなりそう言った。
私と彼女のファーストコンタクトではあったが、私は全く動揺することなく、紳士らしく丁寧に返答した。
「ここは道具屋さ。私の店ではないから何があるかまでは把握していないがね」
「ふーん……」
如何にも興味がないと言った風である。
しかしこれも仕方がないことであろう。店番をしている私ですらこの店はたまらなくつまらない。
見た目に派手なものもなく、便利そうなものもなく、しかも手入れすらまともにされてはいないようである。その証拠に店の至る所には埃が積もり、角の隅には小さい蜘蛛の巣が張られているところもあった。
父の知り合いのこの店の主人は、経営の何たるかを全く学んではいないようであった。
「何か暇つぶしになるものとかは置いてない?」
「ふむ……暇つぶしか」
博麗嬢の要求には出来るだけ応えたいところであったが、そんなものがあれば私が使っている。
少し考えて。
「……む、そうか」
私は閃き、足元に置いていた鞄から記録ではない紙の束を取り出す。
「何、それ」
博麗嬢は僅かに興味を惹かれたようであった。
「これは私が書いている小説だ。暇つぶしにどうだろうか。そしてもしよければ評価していただきたい。何せ私も暇でね」
博麗嬢はまたも興味なさそうにしていたが、何かが良かったのか了承してくれた。
「ありがたい。いつでもいいから、またこの店に来てくれたまえ」
「ん。分かった」
そして博麗嬢は去って行った。
私は途端に叫びたい気分であった。なぜあんな妄想の塊を彼女に渡してしまったのか。数分前の自分を殴り飛ばしたい。ただ一ついいこともあった。もう一度彼女に出会えるということである。
だがここで勘違いしないでほしいのは、私は別に彼女に恋をしているなどと言う精神錯乱状態に陥っているわけではないことだ。あくまで学術的研究である。あの巫女服に至るまでを知りたいだけであって、彼女が愛くるしく、故に行動を記録しているなどと言う変態ではないのだ。
そして最近人里でも頻出している、所謂ストーカーでないと断言する。
私はそこまで親不孝者ではない。最近働き口を見つけようと妄想の中で動き始めたのだ。
そんな私が親不孝者なわけがない。
私は鞄から『博麗霊夢観察記録』を取り出した。その後、店に置いてあった薄汚れたペンを拝借し、インクが出るのか数度適当なものに試し書きをしてから、新しい用紙に書き加えた。
『博麗霊夢 道具屋を訪れる』