東方十畳録   作:破戒僧Z

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三、恋する阿呆

 私がこの十畳に引きこもることを画策してから数日が経った。そろそろ博麗嬢が感想でも言いに来てはくれまいかと少し期待しながらも、今日も今日とて何もやっていなかった。何もやっていないことはそのまま引きこもることに繋がっているのである。故に私の世界は確かに構築されつつあった。もしこの店に客が入ってこようと既にここは私の世界。苦しみを味わうことはないであろう。

 しかし売り上げがないと言うのはいささか痛い。それは私の収入がないと言うことだからだ。食事は父に当分面倒を見てもらうことが出来そうだが、それだけでは人生に潤いがない。潤いがないのでこうなってしまったのだから、これからも潤いがなければ私は枯れ果てるに違いない。

 何と悲惨な未来予想図だろうか。簡単に想像できてしまうからさらに質が悪い。

 そうやって私が考える人張りに物思いに耽っていると、豪快に入口が開けられた。

 

「我が盟友よ。繁盛しているか?」

 

 開ける勢いが強すぎたらしく、立てつけの悪さですら減速しきれずに大きな音を立てて戸は止まった。

 

「おい、お前はもう少し静かにすることは出来んのか」

 

「それはお前がよく分かっているのではないか?」

 

「それもそうか」

 

「それで納得してしまうのか」

 

「この話を長く続けても意味はないだろうからな。もういいから早く戸を閉めたまえ。静かにだぞ」

 

「ちょ、ちょっと待っていろ」

 

 百九十に届くかと言った長身の男が戸を閉めるのにまごついているその姿には、どことなく滑稽さが滲み出ていた。相も変わらずこの男は変わらない。決めるところで決めるかと思えば決められず、どうでもいいところでは決められる。周囲からは『殆ど無能』と称される悲しい男であった。

 その名を岸間半助と言う。

 私やその友人たちは、『天に君臨する唯一無二の阿呆』という名誉ある称号を贈っていた。

 数分格闘してやっと直せたようで、大きく息を吐いた岸間はこちらに歩いてきた。

 

「無事直ったか」

 

「俺にかかればこれくらい造作もないことだな」

 

「そう言う割には、随分と時間をかけたようだが」

 

「た、たまにはこういうときもある。俺とて人間だということだ」

 

 視線があちこちに動いていて、動揺しているのが容易に見て取れた。精神面が弱いのも依然変わらないらしい。だから私たちの中で不動の弄られ役の地位についているのだが、奴はそれに気づいているのか、いないのか……後者か。

 私のそんな考えを乗せた視線を受けている岸間は、店内に乱雑に置かれている埃の被った椅子に腰を下ろした。そして小さく呻いた。

 

「ごほん! う、うむ、まあいい」

 

「何がいいのだ」

 

「お、お前は気にしなくてもいいことだ」

 

「そうか。それはそうと、お前は何しにここへ来たのだ。お前が欲しいものなどここにはないだろう」

 

「そ、それは、だな」

 

 岸間はやけに歯切れが悪かった。何か悩みでも抱えてしまったのだろうか。そんなものをすぐさま捨てるのがこの男の数少ない美徳であったと言うのに。それすらも自らなくすとは、天に君臨する唯一無二の阿呆の称号は伊達ではなかった。そして大の大人が頬を赤らめ、もじもじとしているのは見るに堪えないものである。滑稽を通り越して哀れであった。

 

「見ているこちらも辛い。とっとと言え」

 

 するとややあって岸間は心が決まったらしく、背筋を伸ばして私を見てきた。

 

「恋を、してしまった」

 

 まさかの事態に私はしばし呆然とした。

 

「……正気か?」

 

「お前ならばそう言うと思っていた。俺は正気だ」

 

「恋など一過性の風邪に過ぎんのだぞ」

 

「そうかもしれん。しかし風邪にうなされている間は、どれだけ阿呆なことをやろうと笑って済ませられる」

 

 周囲の人間には迷惑がかかるのではないか、と無粋な言葉が口を突きそうであったが、しかし少しだけ、本当に少しだけだが、岸間が格好良く見えてしまい、踏みとどまった。不覚である。

 

「それだけ覚悟が決まっているのなら、なぜわざわざここに来たのだ」

 

 まさか背中を押してほしいなどとは言わないであろう。

 

「博麗の巫女を、お前は良く知っているだろう?」

 

 よもや岸間の口からその名が出ようとは。不意を突かれたような感覚である。

 

「あり得ないとは思うが、お前が恋をした相手と言うのは博麗嬢だとでも言うのかね? 確かに彼女は魅力的だし、誰にでも平等に接しているし、あのよく分からない服装もまた素敵だし、その声は天上の使徒と間違えるほどだし、人間に彼女の魅力に抗えと言うのは酷と言うものだし、その気持ちは分からないでもないが――」

 

「ま、待て、止まってくれ。別に彼女に恋をしたと言うわけではないのだ」

 

「何だそれは。彼女を侮辱しているのか」

 

「いきなり阿呆になったな、おい……。少し心配になって来たぞ」

 

 岸間はやれやれとでも言いたげにため息を吐いた。馬鹿にされているようで若干苛ついたが、奴に反論するのも馬鹿らしい。

 

「ふん。それで、結局お前は誰に恋をしたと言うのだ」

 

「……博麗の巫女とよく一緒にいるあの……き、金髪の彼女だ」

 

 キンパツノカノジョ。きんぱつのかのじょ。金髪の彼女。

 固有名詞が来ると考えているところに、予想と反するものが来て混乱が生じてしまった。

 岸間を見ると、告白したことが恥ずかしいのかまたもや頬を赤らめていた。そして今まで以上にそわそわしていて気持ちが悪い。なんだこれは。

 

「金髪の彼女ではなく、名前で呼べばいいだろう。何だ、それすら恥ずかしいのか」

 

「うっ、いや、そういうわけではなくてだな……」

 

「何がダメだと言うのだ、お前は。……名前を知らないとは言うまいな」

 

「…………」

 

 待てども待てども、岸間は口を開かなかった。正に沈黙していた。

 

「おい」

 

「…………」

 

「……知らないのか?」

 

「ああそうだ! 俺は彼女の名前を知らん!」

 

 色々と吹っ切れたのか、茹蛸のように真っ赤な顔で岸間はそう叫んだ。うるさい。

 

「……はあ。と言うことは、だ。私にその金髪の彼女とやらの名前を教えてもらおうとやって来たのか」

 

「もう隠す意味はないから言ってしまうと、その通りだ」

 

 何なのだろう、この男は。なぜ恋をしていながら相手の名前すら知らないのか。そしてなぜ名前をその本人に聞くのではなく、私に聞きに来るのか。名前を聞くのが恥ずかしいと言うのは分かるが、もう少し如何にかできなかったのか。出来なかったからここに来たのだろうと言うのは想像に難くないのだが。

 

「少し待て。資料を確認する」

 

「おお、さすがだな。聞きに来て正解だった」

 

 当然だ、と足元に置いていた鞄を探りながら答えた。

 最近資料が多くなってきていたから、この中から当たりを引くのは骨が折れそうだ。

 出ている特徴と言えば、博麗嬢の友人らしいということと、金色の髪をしていると言うこと。もう少し情報が欲しいところだ。

 

「他に何か特徴はないのか、その彼女の」

 

「あるぞ。黒い大きな帽子をかぶっていた。ちらっとしか見ることは出来なかったが、白黒の服を着ていたな」

 

 黒い帽子に白黒の服か。博麗嬢は紅白の服装だから、対のようにも感じる。これならどこかに書き留めていても不思議ではないが……さて。

 資料を探すこと数分。なんとかそれらしきものを見つけた。

 

「『博麗嬢とその友人』?」

 

 岸間が今しがた私が渡した資料に目を通し、不思議そうに声を上げた。

 

「丁重に扱え、紙は貴重だからな。それの中に、博麗嬢と一緒にいた親しげであった少女の記録もとっておいた。おそらくその少女がお前の言う彼女だろう。合っているのならば、名前は」

 

「霧雨、魔理沙さん……か」

 

 岸間はちょうどその名前を書いている場所を見つけたらしい。

 

「見つかったか。ならもういいだろう。とっととかえ――」

 

「うおおおおっ! 待っていてください、霧雨さーんっ!」

 

 岸間の阿呆は私の言葉を聞き終える前に、来た時と同じように戸を勢いよく開け出ていった。

 

「どこまで阿呆なのだ、奴は……よく考えてみれば、これは事件なのではないか? 成人男性が幼い少女に迫る……奴らしいか」

 

 そうひとりごちて、吹き飛ばされた戸を直すために腰を上げた。

 

 

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