あの阿呆が後先考えずに突撃し、見事玉砕してから更に一週間が経った。
未だ博麗嬢は姿を見せてはくれない。代わりと言うわけではないが、弁当を渡した銀髪の少女、名を魂魄妖夢と言うらしい彼女からは、以前よりも綺麗になったと思われる弁当箱が返却された。
彼女は本当に真面目な少女であった。お礼の手紙まで添えて返って来るとは思わなかった。
久しぶりにほっこりしたのは事実だったが、やはり博麗嬢の感想を聞きたいのである。
この店がなければ私の方から出向いても良いくらいだ。いや、それはそれで急かしているようでよくないかもしれん。ならば待つのみか。
「頼もう!」
私の思考が帰結したところで、最近よく聞くようになった、なってしまった阿呆の声がした。それと同時に戸が開け放たれた。反省の色が見られないほどの豪快さである。
「帰れ」
私はコンマ数秒で言葉を返した。岸間はうるさくていけない。静寂な私の世界を壊す悪である。ということは相対的に考えて私が善であるからして、予定調和のようにさっさと退散願いたいのだが、岸間は慣れた手つきで戸を直し、埃の少なくなった椅子に腰を下ろした。
「助言を頼みたいのだ」
岸間は聞いてもいないことを勝手に話し出した。私はそちらに視線も向けず、頬杖をついて中空をぼんやりと見た。
この風景は幾度となく繰り返されている。鬱陶しいことこの上ない。それに連日来るものだから、岸間の奴は対応を覚えてしまったらしかった。戸を直す速さも少しずつ上がっている。
追い出そうにも奴は私がどれだけ言っても一向に帰らない。実力行使に出ようにも、私の貧弱さは周知のとおりであるが故に、話を聞かないと言うのが一番の方法であった。しかしそれでも帰るわけではないのが面倒なところである。
この阿呆には一度決めたことは曲げないなどと言う信条があるらしく、それが帰るという選択肢を消していた。私にとっては甚だ迷惑なことであった。
結果、どうなるかと言うと。
「……それで、今回は何だ」
私が折れる他に道はなかった。
「やっと聞く気になったか。うむ、実はな、霧雨さんに何度も告白しているのだが、いつもいつも簡単に断られてしまうのだ。どうすればよいのだろう」
もう諦めろと言いたい。だがそんなこと言ったところで無駄であろう。もう何度も言っているからだ。さらに言ってしまえば、この質問も繰り返されているものである。同じ日をずっと繰り返しているかのような気味の悪い感じを覚えた。
「知らん」
「そこを何とか」
「できん」
「くっ……」
学習能力と言うものを岸間は持ちえていないらしい。阿呆の一つ覚えで私に助言を乞う。その無意味さをいい加減理解してほしいものである。
「そう言えば、先日仕方なく紹介した森近さんのところへは行ったのか?」
「……ああ」
「そうか。……まあ、多くは言うまい」
男としての歴然の差に、岸間は唖然とするほか道はなかったに違いない。
片や暑苦しく、知性のかけらもない阿呆。美点を上げるとすれば、裏表のないところであろうか。
片や冷静、そして知性を感じさせる薀蓄を語る美男子。しかも店を持っている。
男としてどちらが魅力的かと問われれば、考えるまでもない。
まあしかし、霧雨嬢も森近さんに恋愛感情を向けているようではなく、その逆も然りであるから、霧雨嬢と岸間がいちゃこらする仲になる可能性を否定できるわけではないが。
私としては、森近さんと仲良さそうにしている霧雨嬢を目撃し、岸間はその覆しようもない溝を感じ諦めると言う風に動かしたかったのだが……現実は非常なものであると言うのはいつの世も変わらないらしかった。
「それでもなお、お前は霧雨嬢に告白しようと言うのか。無謀にもほどがある行いだぞ」
「無理無茶無策の半助とは俺のことよ。あれくらいでへこたれてたまるものか。俺のこの恋、それほど軽いものではないわ! ……ないわ」
岸間の声は、最後は尻すぼみとなり虚空に消えた。口ではああ言っているが、実際のところ相当こたえているように見える。とは言え、助け船を出そうと微塵も思えないのは、岸間と言う男の人徳がなせる業であろう。
「……はあ。お前と言う奴はどこまでもお前だな」
「何だそれは。褒めているのか、それとも貶しているのか」
「解釈はお前の好きにしたまえ」
「ふっ。つまり褒めているのだな」
にやり、と嫌悪感が背筋を伝う笑みを浮かべる岸間。もうどうしたらよいのだろう。この男には自分に不利な言葉が聞こえないようになる仕組みが組み込まれでもしているのではないか、と阿呆な妄想が加速しつつあった。
「お前の思考回路はどうなっているのだ……。もしや私がどうにかしてしまっているのか」
「そうだ、お前がおかしいのだ」
「そうか、私がおかしかったのか」
「ああ、だから俺に助言をだな――」
「阿呆め。私がおかしいわけあるまい。もし私がおかしいと言われるのなら、それは私がおかしいのではなく、世界がおかしくなっているのだ」
「世界とは……大きく出たな」
「当たり前だ。私がおかしいなどと、そんなこと可能性すらない」
そう、つまり今おかしいのは岸間、そして世界である。どこまでも世界は私の敵であった。
私の言葉を聞いた岸間は顔を顰めた。
「ううむ……強情な奴。そんなに俺に助言するのがいやか」
「他人の恋路にかかわりたくないだけだ。言ってしまえばどうでもよい」
「酷い男め。友の力になりたいとは思わんのか」
「そんな殊勝な心掛けを私に求めるのなら、お前もそれ相応の態度を示したらどうかね」
ここに来て岸間のやったことと言ったら、戸を破壊し、椅子の埃を自らにまとい、そして助言を乞う。碌なことがない。さぞや返答に困るだろうと思っていたのだが、当の岸間はけろりとした表情で答えた。
「やっているだろう」
「今までを振り返りそう思ったのであれば、お前の見ている現実と、私の見ている現実とでは、大きな隔たりがあるらしいな。道理で話が付かんはずだ」
「何を言っている。この店に客として来てやっているではないか」
「客? そんなもの今ここにはいないだろう。お前のような奴は客とは言わん。それでも自分は客だと主張するならば、何か一つでも買っていくのだな。そうすれば、もしかしたら私がお前に助言をくれてやることがあるかもしれんぞ」
そう言うと、岸間は予想以上に食いついた。何か買う気になったようである。
勢いよく店内を見回すと、最近になって私が香霖堂から引き取って来たガラクタ、もとい商品に目が止まった。そして岸間が椅子から腰を上げ、目当ての商品を私のいるカウンターに持ってきた。ガラクタを買うのか、とこいつの見る目のなさを垣間見てしまったと思っていたが、どうやらその隣に置いてあったものだったようだ。
ちりん、と音が鳴った。
「鈴の首飾りか。お前にしては良いものを持ってきたな。これは比較的新しい物でな、特に傷もなく綺麗な状態だ。音も透き通っている。経年による劣化は免れることは出来ないが、まあそれほど気にすることでもない。これでいいのか?」
「うむ。彼女に似合うと思ってな」
なるほど、言動からして霧雨嬢に贈り物ということか。受け取ってもらえるのかどうか疑わしいところだが、私は売った後のことは関知しない主義である。例え品物を売った相手が何か言って来ようとも、だ。
「分かった。あとは代金だが――」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。今は持ち合わせがなくてな、後日払うから買ったと言うことにはしてくれんか……?」
だろうとは思っていた。約束を守る男なのは理解しているので、仕方なくだが了承した。そこには、売れるときに売らなければ収入がないという世知辛い現実があった。
「では、言った通り助言をやろう」
「おお、待っていた」
岸間は期待に目を輝かせていた。私はそれを見ながら息を吸い、重々しく口を開く。
「香霖堂で働かせてもらえ」