月隠奇縁譚 〜魂祭りのマレビト、故郷に戻りて縁を復する〜   作:mimick

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プロローグ

 

 湿った冷たい風が、洞窟の奥から吹き抜けてくる。洞窟の奥は闇に沈み、その深さを伺い知ることはできない。果たして洞窟は何処かに繋がっているのか。それとも何処かで行き止まりになっているのか――

 

「……もう、行っちまうのかよ」

 

 頭頂部に角を生やし、筋骨隆々な体躯をした大鬼が唸るように言った。その表情は何処か寂しげで、とても強力な力を持った存在には見えない。

 

「せっかくここまで来たのに、寂しくなるじゃねぇか。お前がいないと退屈で仕方ねぇ」

「俺にも帰らなきゃならない場所があるんだよ」

 

 鬼に負けず劣らず背の高い男が洞の入り口を見つめたまま、ゆっくりと答えた。

 

「向こうで待っている人たちがいる筈なんだ。もう一度会いたい人たちも、たくさんいる」

「……ふん。人の世か」

 

 鬼が不満そうに鼻を鳴らす。

 

「俺たちは人間とは違う。何年だって生きられんだ。十年なんざ俺らには一瞬みたいなもんだが、人間にとっちゃ長いんだろ? お前が帰っても誰も待ってねぇかもしれねぇじゃねぇか」

 

 そのボヤキに、狐のような姿をした野干が金の瞳を細め、くすりと笑った。

 

「そうそう。行っても居場所がないかもしれないよ? 此処で過ごした時間は、もう簡単には消えない。あちらは、きっと色々と変わっているわ」

「それでも、戻らなきゃいけないんだ。向こうに戻るのはずっと俺が願ってたことだから」

「……あいかわらず、真っ直ぐだねぇ」

 

 狐は尾をゆらりと揺らし、仕方ないとばかりに息をついた。

 

「ま、そういうところがアンタの良いところだけど」

「オメェはいつも文句ばかり言ってるくせによ」

 

 鬼が揶揄うと、狐は舌を出してみせた。ふたりのやり取りに、男の口元も緩む。

 

「ありがとう。お前達がいてくれたから、ここまで来られたよ」

「礼なんかいらねぇよ。勝手に仲良くなって、勝手にここまで付いてきただけだ」

 

 ぶっきらぼうに鬼が言う。

 

「ほんとにね~。最初はこんなに仲良くなるなんて思いもしなかったよ。アタシなんてアンタたちを利用しようと思ってただけなのに」

「あ? オメェ騙すつもりだったのかよ!」

「くふふ。でもまぁ縁なんていうのは、そういうものなのよ。出会って、別れて、またいつか再会する。それでいいの」

 

 狐が目を細めたその時、洞の奥から白い衣をまとった童子が歩み出てきた。澄んだ声が、静かに響く。

 

「準備が出来た」

「……ああ」

「行くといい。向こうに、おまえの進むべき道がある。こちらで過ごした日々が、おまえを縛ることはない。すべてが、おまえを形づくる糧となるだけだ」

 

 男は息をひとつ吐いた。

 

「……正直、怖い。向こうがどんな場所になっているのかも、何が待っているのかも分からない」

「恐れは当然のことだ。でも、忘れるな。たとえ何が変わっても、おまえはおまえだ」

 

 童子の声はどこまでも穏やかで、深く沁みるようだった。

 

「……ありがとう」

 

 男は深く頭を下げた。童子が瞑目し、狐が口元をほころばせ、鬼が肩をすくめる。

 

「行ってこい」

「また帰っておいでよ。そのときは向こうの酒たんまり持ってさ」

「次に顔を見せたら、酒の肴にたっぷり話を聞かせてもらおうじゃねぇか」

 

 それぞれの言葉を背に、男は一歩、また一歩と洞窟の暗闇へ進み出す。闇が近づくたび、洞窟から抜けてくる風が頬を撫でた。

 

「……じゃあ、行ってくる」

「行ってらっしゃい」

 

 その声を最後に、男の姿は洞窟の闇の中へと消えていった。

 

 

 

 ──男の姿が闇に飲み込まれていったあと、洞の中には静寂が訪れた。風が抜け、ぽつり、ぽつりと水滴が落ちる音だけが響いていた。

 

「……行っちゃったね」

 

 狐がぽつりと呟く。元気をなくした尾が床を掃き、揺れる狐火が彼女の横顔を照らした。

 

「行かせてやらなきゃな。あいつが生まれたのは、あっち側だ」

 

 鬼は腕を組んだまま目を細める。口調こそぶっきらぼうだが、その眼差しにはどこか友人の選択を誇る光が宿っていた。

 

「それでも、寂しいものだ」

 

 童子が静かに目を閉じる。

 

「ここで過ごした歳月は、あの者にとっても、我らにとっても、かけがえのないものだった」

「でも、どうせまた来るよ。だって、あいつだもん」

 

 狐が唇の端を上げる。

 

「……ああ、きっとまた来る」

 

 鬼も短く応じる。

 

「帰る場所があるってことは、戻ってくる場所もあるってことだ」

「次に会う時は、どんな顔をしているだろうな」

 

 童子の言葉は、未来への小さな祈りのようだった。

 

 洞窟の向こう側で始まる新たな物語を思いながら、三体はしばし黙って立ち尽くした。誰も口にはしなかったが――その胸の奥には同じ想いが宿っている。

 

 『また、きっと会える』

 

 洞窟に風が吹き抜け、狐火が揺れていた。

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