山城の偵察機が情報を持って到着した時、鎮守府は蜂の巣をつついた騒ぎになったという。誰ひとり想像だにしなかっただろう。まさか私たちの出撃に前後して行方の知れなくなっていた鎮守府司令官が、遠く離れた敵制圧下に単身乗り込んでいるなんて。
出迎えの艦隊が寄越され、私たちは護衛を受けながらブルネイへ帰還した。港に響く海域奪還成功の歓声も、曳航されるボートの前に立ち消えになった。
あの人の意識はまだ戻らない。
気絶同然の入渠と休息を終え、東沙島攻略部隊がようやく動けるようになったのは三日後だった。
医務室へ向かう。入り口で間宮と鉢合わせた。
「あの人はどう?」
「だいぶ良くなったわ。脱水症状は抜けたんだけど、元からの過労が酷かったみたい。まだ熱がね」
「そっか。着任から馬鹿みたいに働いてたもんね、余計なことまで手を回してさ」
照明が映り込むまで磨かれた廊下を見やる。奥の方をお風呂上がりの駆逐艦が歩いていった。指揮に必要ないことなんて、私たち艦娘にやらせればいいのに。
間宮は曖昧に笑って医務室の中を指した。
「とにかく、目が覚めても働かせたらだめよ。いっぱい食べて、いっぱい休んでもらわなきゃ」
「わかってるよ」
間宮と別れた私はひとり室内へ踏み込む。あの人は静かに胸を上下させていた。腕に刺さる点滴のルートが痛々しい。戦場での傷よりもよっぽどましなのに視界に収めていたくなかった。
「前代未聞だよ。司令官が戦場に来てどうするの、まったく」
答えは返らない。タオルを濡らして汗を拭ってやる。冷たさにか、瞼がおどろいた。
「……詳報の、提出を……。……改修……」
「呆れた。夢の中でも仕事してるんだ」
「――はやく……戦争、終結……」
首を拭う手が止まる。何も言えずにいると、目の前の瞼が眩しそうに細められながらゆっくり開いた。視線が合う。しばらく無言の時間があった。
「……川内か」
「なによ。悪い?」
「いや。少し驚いただけだよ。何日寝ていた?」
「だいたい五日。鎮守府着いてからは三日。だめだよ、働いたら。間宮から釘刺されてるんだから」
「三日か。おおむね考慮の内だな」
サイドテーブルのゼリー飲料が、二個、三個とみるみる減っていく。食欲というより、ただ必要に駆られて流し込んでいるみたいだった。
ゼリーを口に含む病人は私をじっと見つめて、少しとろんとした眼差しを動かさない。私は居心地悪く腕を組みなおした。
「ねえ、あなたはなんであんなことしたの」
詰問のつもりだったのに顔色は一切変わらない。
「君も気づいているはずだ」
あの行動がさも当然であるかのような言い草に、私の方がたじろいでしまった。
普段以上の実力、冴え渡った思考、万能感。たしかに心当たりはある。しかし、そんなことが――。
「反応を見るに、やはりそうなんだね。思った通りだ」
「ちょっと、なにひとりで納得してるの。詳しく説明してよ」
「知りたいのなら、藤田大将の運用記録……舞鶴の詳報を見るといい。もっとも君にその必要はなさそうだが」
「藤田大将? それって兵器派の筆頭じゃない。なんでその名前が」
この人は、あの異様な冴えの理由を知っている。あれはいったい何なのか。なぜここで兵器派の名前が出てくるのか。疑問が沸騰した。
未知の支援組織の存在といい、この人は私たちの知らないことを知りすぎている。あるいは前任の司令官も知っていたのかもしれないが、こうして艦娘にほのめかすことなどなかった。
やはり信頼しきってしまうのは危険だろう。新しい司令官は得体が知れなすぎる。
沈んだ思考を引き戻し、瞳に力を籠めた。
藤田大将の記録を当たろうにも、いち艦娘に過ぎない私には戦闘詳報の閲覧権限などない。今はこれ以上の情報を知りようがなかった。更なる説明を要求しようとしたところで、私を見つめる視線がふっとぶれる。
「ちょっと、どうしたの、大丈夫!?」
ゼリーがこぼれ、ここ数日で一回り細くなった腕が掛け布団の上を滑る。私の言葉に力なく笑ったかと思えば、穏やかな口調が返った。
「少し眠るだけだ。看病は不要だよ。悪いが、今は体力回復に努める……」
やがて室内には静かな寝息だけが満ちた。容態は安定しているようだ。私の口からは、知らず大きな息が漏れた。
「いるんでしょ」と入口へ声をかける。「みんな入ってきなよ」
言葉に応えてドア裏から艦娘がぞろぞろと姿を現す。先ほどから感じていた気配の正体は東沙島攻略部隊だった。
「無事なんですね。よかった」
大げさに手を合わせる龍鳳に頷く。ベッドへ歩み寄る彼女たちの足取りは鉛を想起させた。
「提督、怒ってなかった? 僕たちの、その……力不足を」
「いや、全然。少し眠るってさ」
そっか、と時雨は唇を噛み締めた。言及がなかったことそれ自体が悔しいのかもしれなかった。
山城は自らの片腕を抱くようにして、普段らしくない様子で言う。
「すべて想定の範囲内、って感じかしら。業腹だけど」
「あんな想定があってたまるかって話ですよ。でもまあ、そですね……」
漣が同調する。無茶を強いた力不足は誰もが感じていることだ。信頼しているかどうかはともかく、私にだってプライドはある。
「提督が無事ならいいです。夕立は失礼します」
言葉少なに立ち尽くす他の子と違い、夕立はそれだけ言って踵を返そうとする。「夕立ちゃん」と漣がその手を掴むと、彼女は強い仕草で振り払った。
「用事あるっぽい」
「なにあの子。ご機嫌斜めかしら」
「放っておきなよ」
行く先なんてどうせひとつしかない。夕立は演習が解禁されていることを知ったのだろう。残りの子にも水を向けると、反応は劇的だった。
「龍鳳たちもやってきたら?」
「あれは、資源の浪費になるから禁止って」
「そうですよ。私たちだってそりゃ、やりたいのは山々ですけど」
「司令官の代替わりと同時に、近海演習は申請が不要になってる。包括的許可が下りてるよ」
彼女たちはわずかに頬を紅潮させ、やる気十分と言った様子で顔を見合わせた。演習なんて今まで誰も縁がなかったから、申請制度に変更があったことを知らなかったのだ。体制変更に伴って新司令官が大量に発布した文書の全てを読み込んでいなければ、私も知ることはなかった。それを帰投からのわずかな内に把握した夕立の振る舞いからは執念が垣間見える。
今すぐにでも、と艦隊は浮足立って動き出した。ベッドの脇から動かずいると声が掛かったが、私は静かに首を横に振る。
「私はいい。もうちょっとこの人の様子を見てる」
彼女たちが去った医務室には再び寝息だけが満ちた。
「なんでも予想内、みたいな顔しちゃってさ」
いつの間にか滑り落ちていた額のタオルを手に取って冷水に浸ける。
「私たちがどんなに心配するかは想定に入れてなかったみたいだね」
あのような無茶な作戦の最中、内心はどのようなものだったのだろう。最前線に護衛なしで赴くなんて、司令官として最低もいいところだ。隠し事も多く、おまけに昏倒までしては最低を飛び越えて司令官失格の域に入る。
「だれも……沈まない……
それでもこの人は、私たちの誰も沈ませまいとしてくれた。
劣勢の最前線、艦娘の消費がまかり通る世界で。
「……看病くらいはしてあげる」
絞ったタオルを額にかけ直す。寝息が少し深くなった気がした。
◇
私たち東沙島攻略艦隊や鎮守府正面海域攻略艦隊におざなりの褒賞は与えられなかった。
与えられたのは、七年越しの前進があった海域図と、これから当たり前となることにいちいち感じ入るなという言葉。意気をみなぎらせる彼女たちには何よりも特別な褒賞だったに違いない。
復帰したあの人は、病み上がりの身体に鞭打ってすぐさま次の攻略に乗り出した。
次なる作戦目標はフィリピン海に遊弋する敵機動部隊の撃滅だった。鎮守府から遠く離れた海域にかかわらず今回も高雄基地の支援はなし。
招集を受けた五航戦と鈴谷、能代、涼月、霞は絶句していた。無理もない。艤装を操る練度に自信のない彼女たちには自沈命令にすら聞こえたのだろう。あの人が本気で攻略を挑んでいることを司令官室で私だけが理解していた。
例のごとく出撃時刻を言づけると、あの人は姿を消す。例の支援組織から決定的な情報を手に入れるために違いなかった。
けれど前回とは違い、出撃時刻が刻一刻と迫る中、呼び出しの気配はない。「やっぱり見捨てられたんだ」と誰かが言った。
私の宥めも意味を成さず、焦れる艦隊に絶望的な気配が漂う中、ぎりぎりの時間にブリーフィングの招集があった。
「敵主力は、正規空母四隻を擁する敵機動部隊。四隻と聞くと身構えるかもしれないが量産型だ。護衛も少ない。燃料と弾薬を著しく消耗しているとの情報もある」
映し出されたのはやはり、上空から撮影した敵主力艦影だった。この莫大なアドバンテージを艦隊も理解し、虚ろだった表情には戦意が垣間見えはじめる。彼女たちに「ほらね」と言ってやるのは少し爽快だった。
海域に想定される敵戦力はヲ級やツ級、ナ級の後期型といった強力な量産型で占められているが、鬼・姫級はいない。前回よりも小規模だ。これなら私たちでも平らげてやれるだろう。たとえどこかの馬鹿の助けがなくても。
情報源に関しては相変わらず「話せない」の一点張りで、ブリーフィングを終えた馬鹿は司令官室を後にした。やけに速い足取りに嫌な予感を覚える。
ドックへ先回りすると、案の定やってきた。最悪だ。
「あのさ、まさか同じことしないよね?」
呆れと同時に憤りが膨れ上がる。
前回出撃よりも戦力差は小さい。隙なんて作ってもらわなくとも私たちは今度こそやれる。あの異様な冴えがこの馬鹿のせいだったとして、それがなくとも倒せる。
目の前のこいつはあろうことか視線すら寄越さず、船台にあるボートを浮かべにかかった。
「無視しないで」
「明石に船室をつけてもらった。もう風邪は引かないから大丈夫だ」
「そういうことじゃない!」
呑気にクレーンを操作している姿を見ているとむしゃくしゃして仕方なかった。目の前の人に、私自身に。
「……そんなに私たちが頼りない?」
この馬鹿は馬鹿なりに責任のある立場なのだ。自身の命に代えても海域を解放する、といった矮小な綺麗ごとが通用する話ではない。天秤に乗るのは『司令官の死』という鎮守府にとって極大のリスクだ。
今までの素振りから窺える合理性に従えば、出撃は取りやめるのが道理だろう。
私は望み通りの答えが返ってくることを確信していた。
ボートはいらないと、私たちのことを信頼していると、その口から直接言わせたかった。
私の言った『頼りない?』の言葉が、広いドックに反響している。
「そうだ」
ずっとドックの奥のほうに向いていた瞳が、私に据えられる。
「戦力不足にもほどがある」
私の卑怯な問いは、真正面からずたずたにされた。
「うちに改艤装を扱える艦が何隻いる? 改二艤装艦に至ってはゼロだ。はっきり言って君たちの戦力は、深海の足下にも及ばない。今の君たちが何隻沈もうが海域奪還は絶対に不可能だ」
罵るような言い方だった。前任の司令官や大本営だってもっと歯に衣着せた言い方をした。
悲観的すぎる分析に思えたが、客観的に見て私たちの戦力はそれほどひどいものなのだろう。実際、例のボートがなければ私たちは蹂躙されていた。
「私の心配をしてくれているならありがたいことだ。だが、こうでもしなければ成らないんだよ。諫言はもっと強くなってから言ってほしいものだね」
不意に、小姓のように付き従わされた大本営での軍議を思い出した。深海の脅威を鼻で笑う前司令官と、その上官たち――。
この国で彼我の戦力差を正しく評価できているのは、目の前の人だけなのかもしれない。
鎮守府のブレーキ役を気取っていた私のなんと浅はかだったことだろう。
こうでもしなければ成らない――。打破しようとしている現実は、それほどのものなのだ。
「そう。わかった」
喉の奥からつっかえたような声を上げることしかできなかった。踏み荒らすようにして踵を返す。悔しさで胃の下のあたりが燃え上がるようだった。
出撃の準備に向かう道すがら、すれ違った駆逐艦たちが怯えの表情で逃げていく。
受け入れがたい言葉の羅列の中で、あの人はたったひとつヒントをくれた。
もっと強く、強く。
◇
「艦隊の斉射、有効弾多数。およそ八割命中です!」
「翔鶴・瑞鶴航空隊ともに第二次攻撃に成功。やった!」
能代と瑞鶴が意気揚々と報告を入れる。敵主力は奇妙なまでに大人しかった。私たちの砲撃に対して回避行動の素振りすらとらず、航空隊に向けられる弾幕は薄い。
あの人が言っていた『燃料と弾薬を著しく消耗している』というのは、例の支援組織と干戈を交えたせいに間違いなかった。いっそ合同作戦にしてくれればいいものを。
少しのわだかまりを抱えながら、普段に比して軽い身体で艤装を操る。
「勘違いしないで。これは私たちの本当の実力じゃない」
「敵が大人しいのは分かってるって。それを織り込んでも、今日のうちらの調子ずば抜けてるじゃん」
「……とにかく、思い上がらないでよね」
半分は自分に言い聞かせていた。少しでも気を抜けばこの万能感に酔ってしまいそうになる。
あの人が来ていることは私以外誰も知らない。十キロ西方の岩礁裏にボートを観測したのは私の水偵だけで、そのことは艦隊に明かしていない。
練度の低い彼女たちのことだ、戦場海域に司令官がいると分かればそちらにばかり気が向いてしまうだろう。敵方が護衛対象の存在に勘付けば、双方のリスクが増すことになる。
あっさりと壊滅までに追い込んだ機動部隊の相手もそこそこに、水偵の目を再び西方へ向けた。はぐれの駆逐艦が例のボートへ引き寄せられるかのように針路をとっている。二度も作戦海域へ到達している以上、被弾を回避するからくりがあるのだろうが、今は私が面倒を見よう。
ボート至近の予測進路へ向け、仰角を大きくとって主砲を放つ。普段なら当たらない距離が、今は当たる。
荒っぽいやり方のせいでボートが派手に揺れたが、意趣返しのつもりだった。それともこれも『想定の範囲内』と言うだろうか。
「川内さん。敵主力、残存艦ありません」
よし、と能代に頷く。次なる目標を艦隊へ告げた。
「作戦主目標の掃討を確認。艦隊、西方へ」
「え? ですが、予定航路は南西方向のはずでは……」
「いいから」
訝しむ艦隊を丸め込んで迎えに赴く。大戦果に湧く彼女たちの中で私だけが無言だった。『実は友軍が来てます。誰でしょう?』なんておどける気にもなれない。あの人の出陣は、惰弱な私たちのせいだ。
やがてボートの影がおぼろげに見えてくる。岩礁の影にあるせいで電探にかからず、艦隊は未だ気付かない。
影は、私たちの到着を見計らったように海面を滑り出した。
「至近に感あり、敵襲です!」
「待ち伏せ? 別動隊か!」
「砲を降ろして。涼月も能代もよく確認しなよ」
「確認って……えっ、友軍?」
ようやくパッシブIFFの識別コードを認めたのか、艦娘たちの表情が驚愕に染まり、遅れて困惑に覆われていく。霞に至っては真っ青な顔で足を震わせていた。
敵艦はびこる戦場海域付近にただ一隻佇む、謎の非武装友軍艇。
彼女たちからすればちょっとしたホラーだろう。
すっかり近付いたボートの船室ドアが不意に開く瞬間、霞の怯えは頂点に達した。
「いやあ!」
そんな悲鳴をよそに例の馬鹿が姿を現す。前の時とはうって変わって幾分健康そうな肌艶だ。「よくやってくれた」とのたまう様子に、艦隊からは再度の悲鳴が上がった。
「え!? 提督!?」
「は!? あの話マジだったの!?」
「いやぁーっ!」
比較的平静を保っている能代と鈴谷に対し、霞はずっと甲高い声で喉を枯らしている。少し同情した。こんな意味不明な状況、私だって嘆きたい。
「やだ、提督!? あの、お洋服は?」
「んもう、なんで下着なんですか……!」
「涼月も翔鶴姉もツッコむのそこなの!?」
顔を赤らめる瑞鶴たちを無視して、私は先手必勝とばかりに口を開いた。
「今度こそ全部話してもらうよ。その恰好の『必要性』とやらも、私たちの異変のことも」
「下着姿なのは理解不能なので置いておくとして、川内さん、異変ってなんですか」
今にも目を回しそうな能代がたずねてくる。心当たりを聞くと彼女は首を傾げた。
「さっきの戦い、道中よりも勘が冴えてたでしょ。自分で気付かなかった?」
「それは……たまたま調子がいいだけかと思って」
「そこまで変わるわけないじゃん。いつもあんなに下手なのに」
能代は「うっ」とつっかえたような声を出しながらも言い返してくる。
「だって、海域奪還の一大決戦ですよ。特別な緊張と使命感がいつも以上の力を引き出した、みたいなこともあるかなって」
私の言葉にダメージを受けた他の子たちも、彼女の言葉に同調するように頷いた。
「……だそうだけど。実際のところどうなの?」
「話は動きながらがいいだろう」
水を向けると、間抜けな下着姿は船内へ引っ込んだ。ボートは当初の予定航路へ飛沫を上げて動き出す。
輪形陣の中央に収まったのを知ってか知らずか、極小のデッキへ繋がる扉が再び開いた。
「これから話すのは、すべて仮説だ」
そう置いて、青空の下に話が切り出される。
「艦娘を運用する将官には、過去の戦闘詳報の閲覧が許されている。当初は戦術や戦闘航法の共有を目的とした制度だったものの、現在は派閥ごとの成果を誇示する場と化しているようだ。現況を打破するため、私はそれらを総ざらいして調べた」
「総ざらいって、開戦から向こうどれだけあると……」
「ここ数年、詳報とは名ばかりのものばかりだから、君の想像するほどじゃない。ところで目を通す中、興味を惹かれたものがあった。舞鶴の藤田大将のものだ」
大物の名に艦娘の表情が強張った。ついこの間の話の続きらしい。わざわざ探る手間が減った。
「特筆すべき戦闘記録はなかった。近年は近海の哨戒ばかりに心血を注いでいる様子が見て取れたが、それは全鎮守府の傾向だから、いい。私が気になったのは備考欄の記述だ。どの報告でも通り一遍の主張をしていた」
「文を考えるのを面倒くさがったんじゃないの?」
「そう思ったさ。事実、横須賀は他の類似戦闘の記述をそのままペーストしているしね。けれど舞鶴のそれは違った。読むのも面倒になるような冗長で長ったらしい、しかし要旨は同じ文章が、わざわざ毎回違った言い回しで記述されていた」
艦隊は無言だった。その要旨とやらを誰もが予想できていたからだ。こんな劣勢下のなんでもない詳報で兵器派が長文を書く理由など、鬱憤晴らしくらいしかない。
「内容は艦娘のこき下ろしに終始していた」と案の定の答え合わせがあり、わずかに残っていた勝利の余韻も掻き消えてしまった。
「立場ゆえか、藤田大将はどうも出張が多かったようだ。詳報はわかりやすく二パターンに分かれていた。ひとつは、大将が舞鶴にいる間の戦闘記録。『我が方の状況判断は概ね的確であり、これが勝機に繋がったものと推察される』。共通していたのはそんなニュアンスだ」
「私の指揮が優れていたから勝てました、って?」
「仕方ないですよ。兵器派の人たちにとって艦娘の手柄なんてものは存在しませんから……」
俯く能代へ追い打ちをかけるように言葉が続く。
「もうひとつのパターンは、大将が不在の間の記録だ。『私がいなければ何もできない無能』。このニュアンスが、これでもかと修辞された文章の中に散りばめられていたよ。在鎮時と不在時、舞鶴の詳報ではこの二パターンが永遠に繰り返されていた」
「……あんたは何が言いたいわけ? 私たちもそうだっていうの?」
『無能』という言葉に心臓が大きく脈を打つ。平然とした声の調子にいくらかの艦娘が苛立つのがわかった。
食って掛かった霞の剣呑な空気を気にも留めず、あの人は言う。
「奇妙じゃないか?」
「なにが」
「一年や二年じゃない。五年以上も繰り返されているんだ」
「そういうもんじゃないの? 私たちの何が気に入らないんだか知らないけどさ」
「果たしてそうかな。大将だって機嫌のいい日はあるだろう。出張中の出撃に関して、『不在にもかかわらず良くやった』なんて報告がひとつくらいあってもいいはずじゃないか?」
奴らは平気で艦娘蔑視を行う。艦娘を下に見ることが染みついているとすれば、それが充分な説明になると思った。
けれど言われてみれば、ひとつの例外もないなんて不自然だ。
「私はこれに、合理的な解釈をひとつだけ与えることができた」
陣の中央へ艦隊の視線と意識が集中する。続くひと言は、波と主機の音の中にあって異様なほど鮮明に聞こえた。
「――詳報の記述がすべて
それは、藤田大将の艦娘たちに対する侮辱だ。
「このッ……!」
目の色を変えた霞が主砲をもたげる。
「所詮あんたもクズだったってわけ!」
「やめなよ」と視線を動かさないまま制止する瑞鶴は、瞳に失望を浮かべていた。「砲を向けるのはマズいって」
他の子たちは彼女に霞を任せて陣を動かず、護衛に回る者は誰もいない。せいぜい翔鶴と涼月が擁護しようと口をさまよわせているくらいだが、あんな発言庇いようがない。能代と鈴谷は温度の無い目で陣の中央を睨んでいる。
証拠が残らない海の上なら。そう思っている子がいるかもしれなかった。
「やっと本性を現したわね、クズ。鎮守府に帰ったら何をされるかたまったもんじゃないわ。せっかくだしここで死んじゃえば?」
「霞ちゃん、慎んで!」
涼月が射線に割って入る。霞は顔を歪めて続けた。
「司令官の性根なんてどいつもこいつも同じなんだから! 私たちに、朝潮姉さんたちに期待させるだけさせておいて、結局、これよ……っ」
「それは、提督にもなにかお考えあっての発言で……」
「どうせこいつは今まで陰で嗤ってたのよ。ブルネイの艦娘はなんてちょろいんだ、って。ぽっと出の司令官をすぐ信用しちゃって、馬鹿みたい。あんたも……私も」
霞の頬には光るものがあった。
「黙って。まだ話の途中だ。……そうだよね?」
希望を込めてたずねる。
果たして頷きが返ってきた。それに驚くほど安堵した自分がいることに気付いて、動揺する。
「今、舞鶴の艦娘の練度如何は関係ない。あえて先の言葉を借りていえば、藤田大将が鎮守府を離れることで、麾下の艦娘たちは
そんな訳がないという思いと、まさかという思いが、突如として猛烈に沸騰して暴れ狂った。
他の子たちは未だ理解が及ばないのか、困惑の面持ちで沈黙している。
「あなた、本気で言ってるの?」
「逆に聞こう。提督が鎮守府に着任していないと、艦娘はどうなるんだ?」
「……本来の力の三割も出せない。鎮守府司令官の位を空けるのは、艦娘運用の上で絶対の禁忌とされてる」
「つまり少なくとも、提督と艦娘の間に何らかの特別なつながりがあることは、事実なわけだ」
まるで生徒に聞かせる教師のような語り口だった。
「私は藤田大将の詳報をヒントにして、『提督』が君たちに及ぼす影響の捉え方を飛躍させてみたに過ぎない。突如現れた既存兵器の通用しない敵性生命体。それと呼応するように工廠に現れた少女らは、かつての艦の記憶を持ち、敵性体に唯一対抗できる……」
穏やかな口調が続く。艦隊は無言でそれを聞いていた。
「君たちは不思議で特別な存在だ。そんな存在を指揮する提督との間のつながりにも、不思議で特別な性質があるんじゃないか。既に知られているものより、なにかもっと深淵で複雑なものがあるんじゃないか。私はそう思い、実行に移したまでだよ」
艦隊の瞳に理解の色がゆっくりと灯る。いかなる理屈で司令官が戦場海域を訪れたのか、私から一拍遅れて把握に至ったようだった。
「さっきの舞鶴の話の反対ということですか。つまり、提督が艦娘に近いほど艦娘のパフォーマンスが向上する。そういう仮説を立てたと?」
「そうだ。立証はされていないが確信に至ったよ」
「前回の東沙島攻略でも、今日と同じことを?」
「ああ」
翔鶴はそれ以上何も言わず、呆けた顔でただ頷いて引き下がった。
「だからって自分が前線まで出るなんて、なんて無茶な……」
「こうでもしなければ成らないと言った」
「待ちなさいよ。さっきの話だけの根拠でここまで来たわけ? いったいどうやって?」
砲を下ろした霞が詰め寄るように言った。
「船を失った漁師が漂流物を装うことで生き延びた例がいくつもある。帰還者は例外なく簡素な服装か裸で、何も持っていなかった。この服装も、船の搭載物が無いのも、それに倣ったものだ。船全体で漂流物を装っている。半ば賭けだったが、前回うまくいったからね」
「……怖く、ないの?」
「矢面に立つ君たちに比べれば申し訳ないくらいだよ」
その覚悟に、今や艦隊は絶句していた。
なおも霞だけが唾を飛ばしてつっかかる。しかしその中身は随分と色を変えていた。
「確証がないのに実行に移したり、賭けって言ったり……死んじゃったらどうするのよ!」
「着任直後のほうがいっそ混乱は少ないだろう」
平然とした返答を受け、彼女は後ずさるように海面を滑った。
この人は本当に、私たちが今まで見てきた司令官たちと同じ人種なのだろうか。
場の空気は完全に支配され、誰も彼もが息を呑んで、次の発言を聞き逃すまいと待っていた。
「私のことを信頼できないのは分かっている。だがどうしても君たちの力が必要なんだ。戦いが終わるその日まで、命を預けてくれないか。対価に私は、命を懸けよう」
その言葉が額面だけのものだとは、もはや誰も思っていなかった。
尋常ならぬ覚悟の下で戦争終結に身を賭す司令官が、私たちのことを『どうしても必要』とまで言う。鼓動が速くなっているのは私だけではない。
「元よりそのつもりです。私の翼は提督と共に」
「翔鶴さんに同じく。絶対にお守りしてみせます」
艦隊の頬ははっきり上気している。とりわけ翔鶴と涼月の二人は、敵主力を撃破したばかりだというのに、はち切れんばかりに戦意をみなぎらせていた。
「翔鶴姉がそこまで言うなら。あんまり無茶な真似しないでよね」
「提督の覚悟がこれほどのものだなんて。……あなたの麾下に置かれて良かった」
言葉と裏腹に、腕を組んでそっぽを向く瑞鶴の口角は分かりやすく上がっている。能代は憂いを帯びて北に目をやっていた。水平線の向こうには本土がある。ここにいない誰を想っているのか。
「……勘違いしないで。信頼に足るかどうか、見極めてあげるだけなんだから」
さっきはごめんなさい、と小声の付け足しがある。
「提督が戦場に来た理由は分かったよ。私たちがもっと強くなれば、その必要もなくなるってことだよね」
それがどれほど困難なことなのか、覚悟を持って鈴谷の言葉に頷く。
そうして最後、私に視線が向いた。
「いいよ、
進路上に躍り出て、ターンでボートに正面から向き合う。
今まで背にしていた空の中ほどには、淡い虹の薄雲が、祝福のように懸かっていた。
「あなたの命じるままに」