艦これ戦争終結RTA   作:poox

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かつてない難産でした。でもこの話絶対いる。


涼月 - 降り続く雨

 

 

 提督がガラスの玄関戸を叩くと、背の小さなおばあさんが顔を出す。

 

「どちら様ですか?」

 

 駅を出た私たちは、小さな丘を超え、入り組んだ路地を抜け、しばらく歩いた。

 今、目の前には二階建ての小さな一軒家がひっそり佇んでいる。二階の雨どい近くには『民宿』の錆びた看板があった。

 

「星名と申します。こちらは民宿とお見受けしますが、ひと晩泊めていただけませんか」

 

 戸口のおばあさんはぽかんと口を開け、「ええと……」と私たちをまじまじ眺めた。今はTシャツにハーフパンツという鎮守府の部屋着の格好だから、あまり見られたくなかった。だらしないと思われたかもしれない。緊張も相まって身体の前で組む手に力が入る。

 

「……お客さん?」

「はい」

「うちは、今はやってない」

 

 おばあさんの後ろからのしゃがれた声だ。歩み出る老年の男性の顔に、傾く日が複雑な陰影をつけた。

 

「そこをなんとか、泊めていただけませんか。他にあてもなくて」

「無理だ。帰ってくれ」

 

 ぶっきらぼうなおじいさんを、おばあさんが「ちょっとあんた!」と強く取りなして言う。強い関西のイントネーションだった。

 

「お困りなんですか」

「はい、恥ずかしながら。急なお願いで申し訳ありません」

「無理だと言ってるだろう。何も出せないから泊められない」

 

 追いやるように手を振るおじいさんを、おばあさんが「こらっ!」と鋭く叱る。なんとなく微笑ましい。

 

「この人の言う通り、民宿をやめて結構経ちますんで、本当に何のお構いもできません。それでもよければ、狭くて汚いですけど、泊まっていかれますか」

「だが、その分の飯は……」

「うるさいなぁ、ほんなん買い出し行けばええやろ。それで、どないしはりますか?」

「ありがとうございます。ぜひ、お願いします」

 

 提督は深く腰を折って感謝を述べる。私たちもそれに倣い、深いお辞儀をした。

 

「よし、決まりやね。久々やわぁ。そしたら、そうですね、部屋の準備ができるまでは一階でくつろいでおいてください。入って入って。あんた、二階綺麗にしといてや」

「金の話がまだだ。ひとり五万、それ以上は負けられない」

「五万ってあんたねえ」

 

 おばあさんはそう言いながら媚びた視線を提督へ送る。相場は分からないが、提督が頷いたのだから相応しい額ということなのだろう。形だけ制止するおばあさんへ駅のATMで降ろしたての現金を支払い、私たちはようやく玄関をくぐった。知らない生活の匂いが鼻をくすぐる。

 

 

 

「それにしても、うちのことどこで知りはったんですか」

「大通りで、電柱の広告を見まして」

「ああ、そんなん出してたなあ。よう気付きますね」

 

 靴下越しにひんやりとした心地が伝わってくる。踏みしめるたびに懐かしく鳴る木の廊下を歩き、奥の扉を開くとダイニングルームが広がった。入口の向かいにはカウンターキッチン、中央には大きなテーブルがあり、それを六脚の椅子が囲んでいる。うち四脚は雑多な物置と化していた。

 私たちはさらに、そのテーブルの向こうに見える和室へ案内される。こちらもいかにも生活空間といった感じで、端には埃を被ったストーブや健康器具が積まれていた。漂う畳の匂いを思わず吸い込んでしまう。

 

「どこでも遠慮せず座ってくださいね」

 

 会釈して腰を下ろした。畳なんて、いつぶりだろう。艦娘になって初めてかもしれない。筋を指先で無意味になぞり上げ、同じことをしていた霞ちゃんと笑みを交わす。

 

「お連れの女性たちは?」

「同じ職場の仲間たちです。ずっと海の上での仕事なものですから、陸の空気に当てさせてやりたいと思いまして」

「はあ、それはまた……」

 

 おばあさんは一瞬探るような目を向けたが、すぐに愛想のいい笑顔を取り戻した。

 彼女が「飲み物持ってきますね」と席を外すと畳の上は無言になる。

 

「……こんなご時世に旅行か」

 

 気まずさに耐え兼ねたのか、おじいさんが口を開いた。言葉が部屋にこびりついて微妙な雰囲気が満ちる。彼は自分で言っておきながら居心地悪そうに身をよじった。

 

「どっからいらっしゃったんです。ここなんて海軍以外なぁんもないのに」

 

 おばあさんが戻ってきて、湯呑を座卓の上に配りながら言った。提督は答えず、私に視線をやって頷く。緊張した。民間の方と接するのはこれが初めてだ。

 

「南の……すごく南のほうから、来ました。太陽が痛いくらいに降り注ぐところから」

「へえ、そうなんですね。なら、暑さはへっちゃらやんね」

「ええ。でも湿度が高くて、驚きました」

「今日は特別蒸し暑いですよ。こういう日は炭の面倒が熱くてほんま敵いませんよね」

「ええ、そうですね」

 

 普通に会話が成り立った。私のことを、普通の人間みたいに扱ってくれた。拍子抜けだった。

 おばあさんは私ににっこりと笑みを向け、それから出立の支度を始める。

 

「私は買い出しにいってきますんで。あんたは、なにくつろいでんねん。二階片付けてって言うたやろ」

 

 すまん、とおじいさんは小さくなって謝った。彼は重たそうに身体を持ち上げ、二人そろって和室を出ていく。

 玄関の風鈴の音が鳴って、一階はしんと静まり返った。

 

「二人ともそう固くならないでいい。誰も彼もが君たちに敵意を向ける訳じゃないんだよ」

「……急にそんなこと言われても。こんなの初めてだし」

 

 ずっと静かだった霞ちゃんが息継ぎをするかのように言った。彼女も私と同じで、上下関係のない、かといって友人同士でもなく、恨まれるでもない自由な会話でどう振る舞ったらいいのか分からないのだ。

「適当でいいよ」と川内さんは言う。ブルネイの前には本土にいたという彼女は、さすがに少し慣れているみたいだ。

 

「まあ、追々慣れていけばいいさ」

 

 提督が湯呑を掴む。緊張からか、意図せず私も提督の動きを追うように手を伸ばしていた。

 おばあさんが運んで来た時からてっきり熱いお茶だと思い込んでいたが、中身はぬるい水だった。ブルネイの水より硬度が低くて飲みやすい。

 全員が飲み干したのを見計らったように、二階から足音がゆっくり降りてくる。口数の少ないおじいさんに案内され、私たちは荷物を持って客室へ上がった。

 

 

「自由に使ってくれ」と案内されたのは八畳の和室だった。部屋の真ん中には小さなちゃぶ台があるが、天面は空虚だ。左の壁には黄ばんだ襖の押し入れがある。奥の壁にはすり硝子の窓があり、外から見えた『民宿』の看板と思しき色が透けていた。

 

「片付けに上がってからずいぶん早かったですね」

「誰がいつ来てもいいように片付けてある」

 

 おじいさんは提督に短く答えた。けれど玄関先で私たちを追い返そうとしたのは、当の彼ではなかったか。

 ごゆっくり、と言って部屋を出ていく。畳に座り込んで、私たちはやっと大きな息をついた。

 

 

 ひと段落おいて川内さんが窓を開ける。忍び込んできたのは大人しくなった熱気だ。耳をすませば木々のざわめき以外にも音がある。

 赤ん坊のぐずる声、どこかで戸を開け閉めするがらりという音、遠くのかすかな犬の鳴き声。

 窓に駆け寄ると夕日に輝く種々の屋根が見えた。そこかしこで細い煙がたなびいている。炊事の煙だ。

 ひと気のないように見えるだけで、そうではなかった。この町はたくましく生きている。

 

「私が見せたかったもののひとつだよ」

 

 差し込む西日を受ける提督の瞳が橙にきらめいている。その視線の先を私はじっと見つめた。太陽の角度が変わって眩しくなくなるまで、長いことそうしていた。

 

 やがて、しゅり、と畳の擦れる身じろぎの音がして、提督がおもむろに腰を上げる。

 

「すまないが少し出てくる。急に四人も泊めるとなれば必要な準備も多いだろうから、ご夫婦へは手伝いを積極的に申し出るように」

「どこに行くのよ」

「近場だよ。気になることがあるんだ」

 

 霞ちゃんに答え、提督は荷物から望遠レンズ付きのカメラを取り出す。

 

「川内、二人を頼んだよ」

「ん」

 

 もっともなことだと理解しつつも、全幅の信頼を向けられる彼女に少し嫉妬してしまう。「たくさん喋りなさい」と言い残して、提督は階段を下りて行った。ほどなくして玄関の風鈴と話し声の気配が聞こえてくる。入れ違いでおばあさんが帰ってきたようだ。一階へ降りた私たちは彼女にたずね、おじいさんの畑作業を手伝うことになった。

 

 

 

 

「服、それでいいのか」

「はい。他にありませんから。汚れないようにして頑張ります」

「……待ってろ」

 

 彼の口数は相変わらず少ない。大きなため息に呆れられたかと思ったけれど、私たちはすぐに目を丸くする。彼は三人分のもんぺを持ってきてくれた。

 ショートパンツの上から履き、シャツの裾を腰ひもの中に入れ込む。おじいさんに続いて家の裏側に回ると、建物の敷地の倍くらいの畑が広がっていた。

 

「立派な畑ですね。ご趣味なんですか?」

「そんな訳ないだろう」

 

 雑談でさえおっかなびっくりだ。私たちに手のひらサイズのスコップを配り、彼は「そこの畝、ぜんぶ掘り出すぞ」とぞんざいに告げた。

 霞ちゃんと一緒に、緑に茂った葉をかき分け蔓を辿る。その先をスコップで追うと紫の塊が現れた。かなり痩せたさつまいもだ。その細さに驚いたのか彼女が手を止める。

 

「国営のと違ってびっくりしたか」

「あ、いや……。えっと、国営って?」

「国営は、国営だろ」

 

 話の最中もおじいさんは手際よく掘り出し、葉と蔓と芋に分けて整理していく。国営とやらについて再度たずねると、彼はわずかに眉をひそめて語った。

 

「お前さんたちが配給所でもらう芋、あれを作ってる場所だ。こことは土からして別もんだ」

「配給……」

「ほら、早くしないと日が暮れるよ」

 

 気付けば川内さんが私たちの分まで掘り起こし終えていた。

 彼ははさみを手渡し、今度は別の畝の収穫を指示する。一番奥の畝にかぼちゃが成っていた。実は私の拳より二回り程度大きいだけだ。かなり小さい。

 

「……シーレーンがだめなせいで食糧が足りないから、多くの人が国営農場で働いてるんだ」

 

 片手で支えるかぼちゃを切り離して、川内さんが言った。

 劣悪な環境、身も心も擦り減らす出撃。そんなブルネイ泊地で生きることに必死だった私が知ろうともしなかった、本土の暮らし。垣間見える生活の実態が、初めて実感となって私の中に積もってゆく。

 

 収穫を終えた私たちは葉とつるを仕分けし、おじいさんに言われてもんぺを脱いだ。

 野菜をキッチンへ持っていくように言われ、立ち去る間際、私はずっと気になっていたことをたずねる。彼は二階の部屋について『誰がいつ来てもいいように片付けてある』と言っていた。

 

「最初、私たちを泊めることを断ったのは、どうしてでしょうか?」

「お前たちを泊めたくなかったからだ」

 

 返った刺々しい言葉に、聞かなければよかったと思った。俯く視界に黒い土が広がる。

 

「それはなんで?」

 

 どうしてこれ以上辱めるような真似をするのだろう。川内さんがたずねる。耳をふさいでしまいたかった。

 

「……もてなせないのに客を入れるのは好きじゃない。準備ってもんがある」

 

 違う。これは、横須賀の天井さんから感じたような悪意ではない。

 はっと顔を上げた私へ川内さんがウインクを送る。おじいさんは照れ隠しのようにそそくさと作業を再開した。

 たずねて良かった、と思った。司令官より不器用かも、なんて霞ちゃんと笑い声をひそめる。

 

 

 

 提督はまだ帰らない。いくつかのサツマイモとかぼちゃをキッチンへ持っていくと、おばあさんは大げさにお礼を言った。

 さらに手伝えることはないかたずねる。それじゃあ、と言って彼女は買い物袋を探った。私の顔くらい丈のあるアジが六匹、まな板の上に乗る。

 

「お客さんが来たって言うたら、良いのを譲ってもらえてねえ。全部三枚におろしてくれはる? まな板と包丁は二つあるから」

 

 霞ちゃんと並んでキッチンに立つ。おばあさんと合わせて三人も並べばかなり手狭になった。

 

「ほんまはお肉もぎょうさん出してやりたいんやけど……。今じゃ国営で育ててる豚牛鶏、全部海軍が食べるって話やろ。奮発してもこれが限界やった。ごめんね」

「そんなことありません。ありがとうございます」

「私はどうしたらいい?」

「今火をおこすとこやったから、それやってもらおうかな」

「わかった。外のやつだね」

 

 川内さんがキッチンを出ていく。私はアジの胴を掴んだ。ぬめぬめした感触とうろこのざらつきが伝わってくる。包丁がアジの上をさまよった。霞ちゃんを横目で窺うと、彼女も汗を掻きながらおっかなびっくりアジを触っている。

 ずっと最前線にいた私たちは戦いしか知らない。魚をさばくなんて初めてだった。

 かぼちゃの煮付けに取り掛かっていたおばあさんが、こちらに視線を向ける。

 

「どしたん、もしかして初めて?」

「えっと……」

「はい……」

 

 おばあさんは「せやったら無理やねえ」と高い声で笑い、背中越しに私の手ごと包丁を握った。しわの多い、かたい手のひらだった。

 

「最初はこうやってうろこを剥いで、それから頭を落とすんよ。ヒレの下に刃入れて……」

 

 細腕からは想像もつかない力強さが手の甲に伝わる。ゴリ、という感触と共にアジの首が落ちた。「そしたら腹を裂いて内臓を掻いて」彼女の操り人形のようになって刃を入れていくとあっという間に三枚おろしが完成した。

「よちよち歩きやな」と笑って私を評した彼女は、霞ちゃんの手を握って、向こうでも実演が始まる。

 

「なんや、孫が帰ってきたみたいで楽しいわあ」

 

 彼女は目尻をたっぷり下げ、本当に嬉しそうに言った。

 

 

「お孫さんがいらっしゃるんですか?」

「いや、空襲で焼けてしもてなあ」

 

 

 包丁が止まる。

 心臓が大きく脈打ち、遅れて脇に冷や汗が滲んだ。

 

「あの日、ここらへんまで横須賀の基地の巻き添えになったんよ。息子夫婦ごとや」

「……それって、七年前の?」

 

 霞ちゃんに頷きが返った。

 前線の甚大な後退を余儀なくされ、本土も大きな被害を受けたという深海棲艦の大規模反攻。電車から見えた瓦礫はその空襲によるものだったのだ。基地の防空網が用をなさないほどだ、最大の鎮守府に向けて熾烈な攻撃があったに違いなかった。

 前線を担う私たち艦娘にも責任の一端はある。罪悪感と後ろめたさでお腹の底が冷えて、上手く言葉を返せない。

 

「あの日から全部があかんようになったわね」

 

 包丁を止めたおばあさんは遠い目をして、窓の外に呟いた。

 

「前はな、汗水流して働けば、次の日は少しだけ暮らしがようなったやろ。今は違う。じりじりすり減っていくだけや」

 

 左手の下でアジがぬるくなっていく。

 

「海軍は連日『またも大勝利!』やて威勢のええこと言うとるけどな。勝利、勝利って、それで私たちの暮らしがなんかようなったか? 配給は減る一方で、海軍の態度だけ大きなって」

「……ラジオだと、そんな風に言っているんですね」

 

 言葉には、静かな怒りと不信感の底に、莫大な諦観がある。

 

「あんたら若い子は、可哀想になぁ。産業もなくなって、物もなくなって、これからどうなっていくんやろね」

 

 手から力が抜けて、もう包丁を持っていられなかった。

 

 

「この国も、もうあかんのかもしれんね」

 

 彼女の諦めたような呟きに、霞ちゃんが力強く振り向く。

 

「良く、なります。これから、この国は」

 

 呆けた顔で返事をしたおばあさんが、その表情の真剣さに息を呑む。

 

「私たちが、良くしてみせます……」

「……あんた」

 

 かぼちゃの入った鍋のほうから、生臭さと発酵臭の入り混じったツンとしたにおいが漂ってくる。燃料の手に入らないガスコンロはもはやその用を成さず、わずかな電気で動かせる電熱線コンロのための架台と化していた。漂ってくるにおいの正体は、魚からつくった魚醤だ。

 醤油も味噌も、市民は手に入れられない。

 

「涼月、わたし、本土がこんなだなんて、知らなかった……」

 

『私も同じ』なんて言葉は何の慰めにもならない。

 

「普通の人がいっぱい苦しんで、当たり前のものも無くて……。わたし、司令官が言ってたこと、やっとわかった」

 

 彼女はしゃくり上げて、絞り出すみたいに言った。

 

「こんな戦争、早く終わらせなきゃっ……」

 

 抱きとめて震える背中を撫でる。胸のあたりが涙で湿るのが分かった。

 

『私が目指すのは、戦争の終結だ。そして、その先にあるべき、本当の平和――』

 

 着任初日に提督が語った言葉が思い出される。

 提督は休まず、何かにつけて忙しなく働く。

 あの人は全てを知っていて、だから必死なのだ。

 

「あんたたち、海軍か」

 

 底冷えするような低い声がキッチンに響く。

 私たちを見守る温かい眼差しはもうない。どこまでも冷たい視線が私たちを射抜く。

 提督が私たちを着替えさせた理由を今さらながらに知った。私たち軍属への風当たりは想像以上に強い。

 

 

 

 

 追いやられるようにキッチンを出た私たちは、畑から戻ったおじいさんに言われるがまま、交代でシャワーを浴びた。暑い日だからましだったけれど、冬になれば耐えられないだろう。身体を伝う冷水は星名提督がやってくる前の鎮守府を思い起こさせた。

 私たち三人が入浴を終えた頃に提督も帰ってきて、同様にシャワーを浴びる。出てくるのを見計らったおじいさんから夕食に呼ばれた。

 

 六人掛けのダイニングテーブルに並んでいたのは、さつまいもの炊き込みご飯、魚醤で味付けたかぼちゃの煮付け、私たちが捌いたアジのお刺身、根菜とアジのアラの潮汁、芋つるのきんぴら。きっと、精いっぱいの歓迎がこもった今の世のごちそうだった。

「どうぞ」と不愛想におばあさんが言い、私たちは手を合わせて食べ始める。

 ひと口含んだ炊き込みご飯は、同じお米でも鎮守府で食べるものより炊き上がりが柔らかくて、新鮮な気持ちで味わった。かぼちゃの煮付けは魚醤の香りが強いものの、口に入れれば一気に旨味が広がる。アジのお刺身は塩を振って食べた。こりこりの身が歯を楽しませて噛む喜びが溢れる。潮汁ときんぴらも、限られた食材と調味料で作ったとは思えないほど美味だった。

 どの料理も食べ慣れた普段の味とは違うけれど、とってもおいしい。

 

「おいしい、おいしい、って。嫌味のつもりやろ」

「え? おいしいから、そう言っているだけですけれど……」

「まずかったらあんなに口いっぱいに頬張らないでしょ」

 

 川内さんの視線の先には頬をハムスターのようにした霞ちゃんがある。おばあさんは「……そうかい」と言って身体の向きを変えた。

 

「あんた、海軍なんやってな」

「ええ、そうです。騙すつもりはなかったのですが、すみません」

 

 提督が箸を置き、落ち着いて答えた。食卓は静かだった。

 

「基地はすぐそこやないか。なんでうちに来たんや」

「恥ずかしながら、本当に行くあてがなかったというのがひとつ。私たちは横須賀ではなく東南アジアのブルネイという泊地の所属なんです。明日の式典のために本土まで来たのですが、当日になって急に宿泊の段取りができていないと基地に言われまして」

「ほん。他にも理由があるんか?」

「もうひとつは、彼女たちにこの光景を見せたかったから」

 

 提督は箸を持ち、焦らすように煮付けをつまんだ。「このかぼちゃは味が濃くて、本当においしいですね」と言って、汁椀にも唇を付ける。

 さつまいもご飯まで頬張ってたっぷり楽しんだあとで、ようやく口にされた続きは、私たちが想像だにしない内容だった。

 

 

「三人は艦娘です。この年端もいかない少女たちが日本の海を日夜守っている。なぜなら、深海棲艦に対抗できるのは彼女たちをおいて他にいないから。それを強いているのは私であり、あなたたちでもあります。我々大人の不甲斐なさを、この少女たちに肩代わりさせているのが、今のこの国の現実なんです」

 

 おばあさんは『艦娘』の言葉に目を丸くしたが、口を挟まず提督の話を受け止めた。瞳は提督を見据えているが、合間に視線が何度もこちらへ送られる。

 

「彼女たちはなんの褒賞もなしに、我々の想像を絶する理不尽の中で、命のやり取りをしている。守るべきあなた方の顔も知らずに、戦っている。だから私はどうしても見せたかった。守るものの影すら知らず、ただ心身をすり減らすだけの彼女たちに」

 

 常に泰然として隙を見せない提督が、そんな内心を抱えていたことを、私は知らなかった。

 

「よく聞け、涼月、霞、そして、川内」

 

 提督は熱のこもった口調で言い、私たちの目をひとりずつ見る。

 

「君たちが守っているのは、この生活だ」

 

 ――『守る』。出撃の度そう胸に刻んできた。守ると誓ったものは、海であったり、鎮守府であったり、僚艦であったりした。

 けれどその言葉はどこか空っぽだった。場当たり的、というのだろう。私が守ると言ったのは、単に私の目の前で深海棲艦の脅威に晒されるものだけだった。

 その感じていた漠然とした空虚さの理由が、今分かった。

 海を守ることも、鎮守府を守ることも、僚艦を守ることも、すべてはこの究極の目的のための手段に過ぎない。

 守るべきものの本当の姿を、私たちは知った。

 私たちが守っているのは、生そのもの。ひとやものではなく、それをひっくるめたすべて。

 

 背負うものの重さに押しつぶされそうになる感覚を味わうのは初めてだった。

 同時にまた、その重さを自覚すればこそ、いつまででも戦えるような力がみなぎった。

 

「ひと時だけでも、彼女たちがただの少女として過ごせる時間を与えてくださって、ありがとうございます」

「あんたも、そこの子たちも、俺にとっちゃただの客だ」

 

 おじいさんは相変わらず仏頂面をしている。艦娘と知っても一切変わらない態度に、私は頭を下げた。

 

「……艦娘って、もっと得体の知れんもんやと思ってた」

 

 おばあさんがわずかに口を震わせて言う。

 

「……ふつうの、女の子なんやねえ」

「あなたにそれを分かってもらえて、よかった」

 

 口調は万感の思いを込めたもののようだった。

 提督は料理を平らげると、二人に向かって「お願いがあります」と告げる。

 

「明日の午前、海軍から大きな発表があります。ラジオだけでなくテレビ、ネットでの中継も行われるはずです」

「最近しょっちゅう宣伝されてるやつやろ。知ってるけど」

「その発表を、ぜひ聞いてほしいのです」

「せやけど、どうせどうでもいい内容やろ。なになに言う戦艦を撃沈したとか針小棒大に言うて、でも私らの暮らしは悪くなるばっかりで……」

「今まではそうだったかもしれない。でもこれからは違います。私たちが、良くしてみせます」

 

 奇しくも霞ちゃんと同じ台詞だった。視線で窺うと、彼女は誇らしそうに鼻の穴をひくつかせている。嬉しくない訳がないだろう。慕う提督が、自らとはっきり同じ気持ちだったのだから。

 

「……まあ、期待せんと待っときますわ」

「ええ。待っていてください」

 

 視線を上げないおばあさんをよそに、おじいさんが席を外し、瓶を抱えて戻ってくる。彼は提督へ手渡したグラスに中身を注いだ。

 

「あんた、それずっと大事にしてた……」

「飲め」

「では、ありがたくいただきます」

 

 通じ合うところがあったのか、二人はそれ以上の会話もなしにお酒を酌み交わす。

 それからしばらくして私たちはご飯を食べ終えた。箸と食器の音しかしない食卓だったけれど、不思議と満ち足りた感じがした。おばあさんは私たちを黙って眺めて、時折唇をさまよわせたりしていた。なにを言おうとしていたのかは分からないし、聞くつもりもなかった。

 私たちは二人に改めて感謝を告げ、提督と共に二階へ上がった。

 

 

 

 

「どうだった、私のいないあいだは」

「畑の収穫を手伝ったり、魚を捌くのを手伝ったりしました」

「そうか。いいことだね」

 

 提督の顔が少し赤い。歯磨きを終え皆で四人分の布団を敷くと、私の隣ですぐに横になった。

 

「もう寝ますか?」

「うん、寝よう。眠たいな」

 

 少し舌足らずな返事に頬が緩む。霞ちゃんと川内さんも声を潜めて笑っていた。

 提督は夏の掛け布団代わりのタオルケットを腰まで掛けて、もごもごと何ごとか喋る。

 

「この世界も、捨てたものじゃない」

「そうですね」

「うん……君たちがいるし……」

「はあ? 意味わかんないんだけど」

 

 霞ちゃんの口調は明らかな喜びだった。

 いよいよ提督のまぶたが落ちかける。アイコンタクトで私たちは布団にもぐり込んだ。川内さんが部屋の電気を消す。

 

「はやく、君たちを要らなくしたい……」

「どういうこと、提督?」

「だから……君たちが普通の女の子として、暮らせるように……」

 

 初日の言葉が、私の脳内に再び生き生きと蘇った。

 

『――私は、君たちの存在意義を無くすつもりでいる。君たちが「艦娘」である必要のない世界。兵器というくびきから解放され、ただ人として生きられる世界。それを、一日も早く実現することこそが、私が自らに課した使命だ』

 

 私たちは戦うことしか知らない。そのために作られ、相応の扱いを受けてきた。あの時の私たちに、人として生きることなど想像もできなかった。だからあの言葉は、私たちの存在そのものを揺るがすような、とても恐ろしいものに聞こえていた。

 提督のあの言葉は、世界に向けた願いだった。

 

 戦争の終わる日がいつかは知れない。十年後か、二十年後か、もっと先かもしれない。それでも提督は着任の日から、その先を見据えていた。

 戦うふねとしての役目を終えたその後、私は生きてゆけるだろうか。

 そんな問いが不意に浮かぶこと自体、今まででは考えられないことだ。

 本土を踏むこの機会に提督が私たちに示したかったのは、守っているもの、それだけではないのかもしれない。

 守り抜いた先、戦争終結の後に待つ『未来』を生きるための、戦い以外の生き方も、私たちに見せたかったのではないか。

 

「君たちがいるから、私は頑張れる……」

 

 その言葉を最後に提督は穏やかな寝息を立てる。口を半開きにした可愛らしい寝顔だった。暗闇に慣れてきた目で無防備な寝顔をじっと観察する。川内さんと霞ちゃんには悪いけれど、こればかりは隣の布団の特権だった。

 思えば、まともに休んでいる姿を見るのは初めてかもしれない。提督はとにかくずっと働き詰めでいる。

 指先でかるく頬を撫でても、提督は反応を示さない。まだ布団に入って三分も経っていないのに、疲労からかぐっすりと寝付いている。

 

 私たちのことは提督がねぎらってくれる。けれど提督のことを、いったい誰がねぎらってあげられるだろう。

 ていとく、と口の形だけで呼びかける。暗闇の中、すぐ近くの頭を胸に抱き寄せた。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 軽い身じろぎの、普段と違う寝床の感覚で目が覚める。カーテンの隙間から青白い空の色が覗いていた。

 胸元に湿ったような暖かい感覚を覚え、驚いて意識が覚醒する。ああ、と思い出した。提督の頭を抱いて眠ったのだ。普段夜中に何度か目を覚ますのに、今日はそれがなかった。普段より深い眠りで休めた感じがする。提督もそうだといいのだけれど。

 

 提督は私の胸の中であどけない寝顔を晒して、背中をゆっくりと膨らませたり萎ませたりしている。じっと見ていると、なにか独占欲のような黒い感情が湧きあがりそうになって、慌てて首を振った。ここには川内さんも霞ちゃんもいる。

 私は一度深呼吸した。叶うことならこの可愛い寝姿をずっと眺めていたいけれど、提督が目を覚ます前に、この明らかに礼を失した体勢を戻さないといけない。

 

 提督を抱きしめるように後頭部にかけて回していた腕をそっと持ち上げて胴の横に戻す。脚を使ってじりじりと距離を離そうとしたところで、提督が身じろぎした。慌てて寝たふりをする。まだ顔は私の胸に埋まったままだ。

 まどろみの中にある提督の手が、状況を把握しようとするかのように私の身体をまさぐる。声が出そうになるのを必死で堪える。

 波が止んだと思うと、不意打ちのように胸に手が這った。

 

「んっ……!」

 

 思いのほか大きな声が漏れ出て、諦めて瞼を開ける。提督と目が合った。固まる茶色の瞳が一拍置いて忙しなく泳ぎ始める。

 

「なに、どうしたの……?」

 

 斜め向かいの布団で、私の声に霞ちゃんが目を擦りながら上体を起こす。私の胸に半ば埋まったようになった顔と手を見て、その眼がかっと見開かれた。

 

「なっ……! 涼月の寝込みを……」

「……いや、すまない、これはその、誤解というか」

「最っ低! このっ……クズ! クズ司令官!」

 

 霞ちゃんの容赦ない攻撃に提督もたじたじになっていた。

 飛んできた枕が提督の後頭部に直撃して、顔ごとより深く埋まる。枕に隠れてそれを胸に収めたまま、私はその頭をぽんぽんと撫でた。

 

 

 

 

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